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18. 見知らぬ場所から始めます(本編)




この世界には、迷い子というものがあるらしい。



今のところまだ腑に落ちない思いでそんな説明を聞いていたレイノは、豪奢なその部屋の中をおずおずと見回した。



(…………教会のレリーフなのに、竜や妖精のものも多いのだわ…………)



そのことに驚いて、先程のこの教会の興りについて考えてみる。

よくある土地の伝承のようなものではなく、どうやら本当にここには竜が存在すると信じている様子の聖職者達に、レイノは微かに眉を寄せる。



(竜、…………いるのかな。会えたりするのかしら…………?…………竜…………)



露骨に不信感を見せてしまうのは利口ではないが、説明への理解が足りていない様子であれば示しても許されるだろう。

然し乍ら、今のレイノと対面している聖職者達はいささか失礼だと言わざるを得ない。



(多分、私はあの人達の望んだ基準に達していないのだとは思うけれど…………)



そう考えると溜め息を吐きたくもなるが、レイノとしては、それでもとここに居座りたいだけの理由もあるのだった。



現在レイノがいる部屋の内装は、深い緑色に統一されている。

豪奢な金色の装飾があり、けれども同色な不透明な筋のある透明度の高い深い灰色の床石が独特な抜け感を与え、決して華美には見えないのが絶妙なバランスだ。


部屋の壁にかけられた絵画も、独特なものだった。



(……………映像………?動いているのはどんな仕組みなのかしら………………)



美しい彫刻のある額縁に収められた絵画は、深い森の情景を描いたものだ。

夜の森なのだが決して重くならず、絵の中には見当たらないものの満月の夜なのだと見て取れた。

その明るい月光に照らされた木々の枝葉の色合いが夜の森を軽やかに見せ、暗い森の印象をどこか不思議なお伽話の森のようにしていた。



その絵がすっかり気に入ってしまったレイノは、もっと近くで見たくてうずうずしていたが、この部屋の空気ではそれも難しいだろうか。



何しろこの部屋にいる三人の聖職者達は、レイノに対してとても冷ややかな対応なのだ。

布張りをした優美なソファセットに腰掛け、象嵌細工の美しい百合の花束を表現したテーブルの上には、セージグリーンのティーセットが置かれている。



そしてそんなテーブルを挟み、聖職者達はどこか胡乱げな眼差しでこちらを見ていた。

殆ど困惑していると言ってもいい。



「……………彼女が、迷い子?」

「いやしかし、例の術式からこちらに迷い込んでおりますから………」

「つまり、あの術式はまだ不完全ということではなくて?…………この資質でどれだけのものを得られるというのでしょう」

「とは言え、迎え入れてしまった以上は致し方ありますまい。…………場合によっては、この迷い子にも必要な役割があるのかもしれません。中央の監査を撹乱するという意味では…………」

「…………まぁ、それはいいかもしれませんね。まだ、ほんの子供ですもの。飲み込みも早いでしょう」




レイノとしては、このやり取りはたいへん遺憾であると言わざるを得なかったのだが、どういう訳かここではレイノは小さな子供のように扱われる。


この姿を見てどうしてそう判断されてしまうのかよく分からず、とは言え明け透けに目の前で本音を語ってくれるのだから、それはそれで有利と言えるのかもしれない。



「……………レイノと言いましたね」

「はい。………その、こちらで私を保護していただけるのでしょうか。………こちらでは、教会にそのような役割があるのですか?」

「勿論ですよ。迷い子の門から教会に迷い込んだのですから、あなたは鹿角の聖女様の導きでこちらを訪れたのです。とは言え、我々も全ての迷い人を守れる訳ではありません。救いの手となる教会はガーウィン領内だけではなく、国内の各所にありますからね。我々は、あの魔術の門が、この銀白と静謐の教会で保護するべきと定めた者だけを迎え入れております」



レイノの質問にそう答えてくれたのは、華やかな装いだが、聖職者らしい凜とした面持ちの女性である。


ふくよかな緑色の聖衣に不思議な漆黒のケープを羽織り、レイノのよく知る聖職者達とはまた一風違う、剣と魔法の物語の中の登場人物のような不思議な衣装だ。


淡い金髪の髪を複雑に結い上げ、髪飾りは全てつや消しの琥珀色の結晶石のようなもので出来ている。

美しい緑色の瞳は、慈悲深いというよりは若干事務的だが、この際文句は言っていられない。




なにしろ、ここはレイノこと、ネアハーレイにとって全くの未知の世界なのである。



もしかすると、事故などで命を落として生まれ変わったのかもしれないし、誰かと魂が入れ替わる映画的な事件や、いっそ長い夢を見ているだけなのかもしれない。


とは言え、意識があり、最初に与えられた控え室のようなところで身支度を整えさせられた時に頬っぺたをつねったところ、しっかりと痛覚もある。



驚くべきことではあるが、この体はやはり、今のネアハーレイのものなのだ。



(……………ちょっとまだ事情がよく飲み込めていないけれど、ここにいれば、見ず知らずのところに放り込まれた上で遭遇するような、一番恐ろしいことは避けられる。…………ひとまずはここで様子を見よう…………)




覚えているのは、不思議で美しい門をくぐったことだ。


うっとりとするような精緻な彫刻が施され、きらきら光る不思議な石が惜しみもなく嵌め込まれているその門を呆然と見上げ、これは魔法かなと考えていたのは、つい二時間ほど前のこと。


その門をくぐり抜けると、待っていたのはこの目の前に座っている、三人の聖職者達だ。

そこでまず、唖然としている間に迷い子という肩書きについての説明がなされ、それについてすらよく知らないようだぞと分かると、彼等は、レイノがどんな田舎から迷い込んだのだとざわざわした。



(田舎というか、異世界なのかもしれない……………)




その疑惑が芽生えたのは、いつも真ん中に陣取る女性聖職者が、手に持った宝石を嵌め込んだ綺麗な杖をえいっと振ると、目の前の扉がばたんと開いたからだ。


とは言え、ネアハーレイことレイノは、この種のことにたいそう憧れていたのでついうきうきしてしまう反面、かなり後ろ暗い過去を持つだけにたいそう疑い深くもあった。



(誘拐して、この種の壮大な仕掛けのある施設に連れ込まれて、いいように洗脳される可能性もあり得るのかしら。……………でも、その門から案内された道中に見たものが間違いでなければ、扉の影に妖精みたいなものがいた気がする…………。隠れてしまったけれど、もっとちゃんと見てみたかったな。…………投影型の映像の仕掛けかもしれないけれど…………)



そんな風に警戒していたので、歩きながらなされた説明は若干聞き流しつつ、レイノはまずはこちらで着替えるようにと、控え室に通された。


そこは、簡素だが住んでもいいかもしれないと思えるくらいに、クラシカルで上品な小部屋だった。


椅子が二脚の優美なテーブルセットに、不思議な飴色の琥珀のような素材で作られたクローゼット、リボン柄のエッチングの華やかな鏡と、白い陶器製の貝殻の形を模した洗面台があり、金色の百合の花の形をした美しい蛇口がぴかりと光る。


何という可愛らしい部屋だろう。


すっかり警戒も忘れて喜びに弾みかけていたところで、レイノは鏡の中に映る自分を見て愕然とした。


そこに映っていたのは、どこかネアハーレイとしての面影を残しながらも全くの別人と言っていい、一人の少女であったのだ。



青みがかった灰色の髪に、深い水紺色の瞳はどこか静かな夜を思わせる端正な面立ちで、その姿を見たレイノが失神しなかったことをどうか褒めて欲しい。


こうなるともう手に負えなくなってきたぞと思いながら、言われるがままに身支度を整えつつ、レイノは鏡の中の自分を何度も見てしまった。


姿形が変わってしまった問題はかなりの大事件だが、この容姿はなかなかに悪くない。

地味だという人もいるかもしれないが、上品で聡明そうで、それでいてちょっぴり儚げでもある。


密かにこの容姿は気に入ったかもしれないと考えていただけに、その控え室を出て、審議と教えの間というなかなかに不穏な名称の広間に通された後、こうも容姿をあからさまに貶されるとがっかりしてしまった。




(彼等の言うように、この世界には、人ならざる者達がたっぷりと存在しているとして……………)



ネアハーレイこと、物語にありがちな名前を取られる的な展開を避けるべく慌てて考えた偽名上のレイノは、そんなこの土地の、或いは世界の在り方も含めこちらの情報をまるで持っていない。


この教会が本当に善意の人々の集まりであれ、或いはカルト集団的な厄介な場所であれ、情報や知識を衣食住がある程度保証された状態で収集されるのはとても有難い。



(あまり歓迎されていない様子だし、何らかの目的に利用されそうな言動も見られるから、外に出て自分でどうにかしますと言いたいところだけれど、そもそもここに来てから一度も外の様子を見ていない現状では難しいわ。この国の人々の暮らしや、治安状態を知らないことには、危険が大き過ぎる…………)



自分をそこまで生かしたいかという問題はさて置き、獣に襲われたり、人身売買をするようなならず者達に捕まったりというような、耐え難い程の不快な目には遭いたくないのは確かだ。


であればここは、与えられた環境を享受し、情報収集とするべき期間なのである。




「では、まずはあなたの部屋を決めましょうか。…………いつも通りの手順で?」



金髪の女性がそう問いかけたのは、レイノではなく左右に座る二人の神父に対してである。


こちらも少し異国風と言うか、ファンタジー寄りの装飾があるものの、女性よりは、はっきりと神父服だと分かる服装をしている。



(でも、胸元の装飾はまるで軍人のようだわ。………もしかすると、教会兵のような組織もあるのかもしれない…………)



それは、場合によっては穏やかな話ではないかもしれない。


ここが異世界なら、国内の治安状態もとても大切な問題だ。

国王軍や他国、或いは魔王軍と交戦中などという様子では、到底安心して暮らせないではないか。



右側に座っている男性は、二十代後半から三十代半ばくらいの若い男性だ。

中央に座る女性が呼びかけてくれたことで、ザンスタという名前は分かったが、どこかぼんやりとしたような覇気のない眼差しが見る者を不安にさせる。


左側の男性は五十代半ばくらいだろうか。

鷲のような目の険しい面立ちをしているが、言動からの印象が思いがけず柔らかいので少し意外だった人物だ。



(そして、この人達は意図的に自分達の名前を出さないようにしているかもしれない?…………まずはと自己紹介をするような風習がない国なのかしら。それとも、保護する子供には、名乗る必要がないと思っている?)



話の流れを見ていると、あまり期待もされていないようだし、彼等のような上の役職の人達と対面出来る機会はそう多くはないかもしれない。


であれば、今の内に決定権を持つような高い役職に就く人物達の言動をしっかり見ておき、少しでも情報を手に入れておきたい。




「ええ、いつもの手順がいいでしょう。それがこの教会のしきたりですから」

「そうですな。やはりそれが宜しいでしょう。魔術の理を外れてはなりません」

「ではそういたしましょうか」



(……………ずっと気になっているのだけれど、教会なのに“魔術”でいいのかしら…………?)



不思議な取り合わせに思えてならないが、彼等の言動には躊躇いも嫌悪感もないので、それはありふれたものなのだろうか。

確かに物語などでは、魔法を使う聖職者も多いので、そのような感覚なのかもしれない。



そうして、レイノの前に差し出されたのは、七枚のカードだった。




「こちらから、気に入ったものを一枚選びなさい。あなたの教官を決める、信仰と導きの魔術の札となります」

「…………ここに描かれているものが、教官の方を示す意匠なのでしょうか?」

「ええ、そうなります。経緯はどうあれ、魔術の導きがそこに案内してくれますが、見て考えて選んで構いませんよ」

「はい。では、まずはカードを見てみますね」




(不思議で綺麗なカードだわ…………)


ガラス細工のようだが、不純物の混ざり方から水晶のような鉱石製かもしれないケースから取り出されたカードは、惚れ惚れとするくらいに美しかった。


どんな仕掛けなのか、描かれた花輪の絵が風に揺れるように動いているのが不思議で、そんな花輪の中央にはカードごとに違う絵柄がある。



(…………百合の花、望遠鏡、小鳥に、フォーク?………パレットに林檎、それから本……………)



どれも美しい絵なので迷ってしまったが、今のレイノに必要なのは、この世界の知識ではないだろうか。

であれば、教官としてその知識を与えてくれそうなカードとなると、やはり本の絵が示す教官だろう。


図書館の司書のような雰囲気の、柔和な微笑みを浮かべた可愛らしいお婆ちゃんを想像してふむふむと頷き、レイノは本のカードを指し示した。


何だか絵柄が動くので、触れてもいいのかが分からなかったからそうしたのだが、指で示した途端、そのカードがしゅわりと淡く煌めく。



(……………っ!)




「まぁ、…………カードが光りました」




目を丸くしてそう言えば、向かいの三人は困惑したように顔を見合わせ、ゆっくりと頷く。



それはどうも、カードが光ったからではないらしい。



「…………このカードを選ぶ迷い子は三人目ですが、彼がその指名を受け入れるのは初めてですね」

「……………アンセルムは、責任を負う事が不得手だったのでしょう。確かに、教官向きではないかもしれません…………」

「とは言え、了承したのだ。彼は穏やかで優しい男だからな、良い教官になるだろう」



そんなやり取りを聞きながら、レイノは、このカードは女性教官ではないかなと思ったこともあり、思惑が外れたことに内心がくりと肩を落とす。



(食べ物っぽい林檎にしておけば良かったかしら…………。でも畑仕事だったりしたら、虫が出ると怖いし…………)



ここが見ず知らずの場所である以上、生活に纏わることを尋ねるのにはやはり、同性である女性が良かったと思う。

他に身の回りのことを教えてくれる人がいるかどうか分からないし、男性には質問し難いことが沢山あるではないか。




「では、ここにアンセルムを呼びましょう。…………レイノ、彼は少し頼りなく感じるかもしれませんが、この教会の図書館の司書であり、叡智の番人の一人です。誰よりも優しい神父ですよ。安心して学ぶと良いでしょう」

「はい。有難うございます。その方は、図書館の司書をされている方なのですね。本は大好きなので、ちょっぴりほっとしました」

「ただ、彼は時々食事に行くのを忘れるからね。気になったら君から指摘してやるといい」

「…………そう仰られるという事は、弟子入りのような形で、共同生活になるのですか?私はてっきり、他の迷い子さん達との生活だと思っていました…………」



孤児院や寄宿舎のようなものを想定し、そこに各教官が訪ねてくるのかなと考えていたレイノは、微かにひやりとする。

同じような立場の人達と会話をする機会を与えないとなると、この組織は少しばかり危ういのかもしれない。



「ええ、勿論あなたにも部屋は与えられますが、それは教官となるアンセルムの工房に併設されます。食事は食堂がありますし、女性用の浴場は修道院にありますから、教会や修道院の者達の紹介はアンセルムに頼むといいでしょう。彼は、皆に愛されておりますから、暖かく迎え入れられると思いますよ」

「また別に、修道院があるのですね………」

「外廊下で繋がっております。ここは、信仰の地であるガーウィン領の中に位置する静謐の教区となり、教区の中に、大聖堂と教会、そして修道院があります。他には葡萄畑などもありますよ」



その情報は、少しだけ明るい展望を齎した。

信仰を重んじる領であるらしいが、少なくとも戦争中という感じはなさそうだ。

そして、初めて知らされた外の世界の気配が滲む発言でもあった。




「おや、アンセルムが来たようだね。後は彼から説明をして貰うといい」

「はい。有難うございます」



レイノは一区切りとして、三人の聖職者達に丁寧に頭を下げた。


真意はどうであれ、今のところ彼等はレイノを保護してくれた人達だ。

若干失礼な発言はあったものの、礼儀正しく接しておき、心象を良くしておいて損はないだろう。


ネアハーレイは、とても打算的でしたたかな人間なのだ。




かたんと扉が鳴った。

けれどもすぐには開かず、ガチャガチャと音がした後、あっと声が聞こえ、大きな扉がぎいっと開く。




(……………わ、若い!)



ここで、レイノにはまた、新たな誤算が生じた。


教会で叡智の番人と言われる図書館の司書となれば、もう少しお年を召した方であるべきではないのだろうか。


けれども現れた男性は、すらりと背が高いものの、しなやかな印象というよりはひょろりとした雰囲気のある若い男性であった。


こちらを見てにっこり微笑んだ柔和さには、苦学生的な若さを感じさせるものの、実はそれなりのお年なのかなと思わないでもなかったが、だとしても考えていたよりも随分と若い。



「……………アンセルム、あなた、また扉を押したでしょう」

「はは、申し訳ありません。うっかり押していました。ここの扉は引かないといけませんね…………」

「まったく。ここに来てから二十年も経つのに、まだ覚えていないのね……………」

「ディバステア様……………」

「それから、私の名前を気安く呼ばないで頂戴。この教会筆頭司祭になった今はもう、私は名前を捨てた身です。名前を使うのは、お役目を降りる時だけですよ」

「そ、そうでした………!」



あわあわとして頭を下げると、ゆるやかに結んだ銀髪がぴょこんと揺れる。

レイノはそんな様子を目を瞠って眺め、これは悪い人ではなさそうだぞと考えた。


司書らしくていいのかもしれないが、随分と草臥れた作りの銀縁の眼鏡に、優しい青みがかかった菫色の瞳。

渋めで霞んだ色ではあるが、無垢な透明感があって美しい。


レイノの正面に座った聖職者達もにこやかにしているので、彼が皆に愛されているというのは確かなようだ。



「さあ、レイノ。このアンセルムがあなたの教官であり、後見人となります。ご挨拶をしなさい」



そう言って立ち上がったのは、三人の中で一番年若い男性だ。


そちらの三人が立ち上がらないので、どうしたらいいのか分からずに取り合えず着席したままでいたレイノを促し、アンセルムという男性に紹介してくれる。


立ち上がってその正面にまで歩いてゆけば、どこか落ち着きのない大型犬のように嬉しそうにこちらを見るアンセルムが、がばっと頭を下げた。



あまりの勢いにびくっとなってしまったレイノの隣で、呆れたような溜め息が聞こえる。



「……………アンセルム。君が畏まる必要はないんだよ。寧ろ、教官として彼女を導いてやる立場だ」

「いえ、でも挨拶は大事ですからね。僕はアンセルムと言います、レイノさん。ん?…………教官だから、レイノ、でいいのかな。…………頑張って君のお世話をするので、どうぞ宜しくお願いしますね」

「レイノと申します。まだ分からないことばかりですが、どうぞ宜しくお願いいたします」

「……………アンセルム、お世話ではなく導くのが君の仕事だ」

「はは、先生らしく威張るのはどうも苦手で…………」

「威張る必要はないが、彼女を安心させる為にも威厳は必要だろう」

「…………威厳」




少しだけしょんぼりしたアンセルムを見ながら、レイノはふと、何かを思い出しかけた気がした。




そこには、同じように背の高い誰かがいて、こんな風にしょんぼりと項垂れることがあった気がする

そしてレイノは、そんな誰かの頭をいつだって丁寧に撫でてやっていたのだ。



(……………そんな人は、いなかった筈なのに)




あの門をくぐる迄、ネアハーレイは一人で暮らしていた。

家族がいなくなった屋敷で、困窮しながらも何とかその日暮らしで生活を維持し、一人ぼっちで生きてきた筈なのに。



(でも、……………どうしてかしら。それから今日までの間に、もっと何かがあって、ここまで来た気がするのに……………)




そんな奇妙な感覚は、まるで予め収まるところが決まっていたように、すとんと胸の中に落ちた。

すると、不安や警戒にざわざわしていた心が落ち着き、レイノはとても安らかな気持ちになる。




“少しだけ我慢してくれるかい。すぐ側にいるからね”



そんな優しい声が、どこかで聞こえたような気がした。





(……………これは待ち時間だわ)



ふと、そんな言葉を自然に考えていた。


それはまるで、本を読む時に、この次のページを見れば事件のヒントが現れると知っているような感覚で、上手く説明出来ないが、どうであれそう決まっているので安心していいという結論になる。


けれども、その感覚に触れた途端、レイノはとても落ち着いた。

それまでも冷静にしていたつもりだが、やはり怯えていたり焦っていたりする部分があったのだろう。




「さて、では教会の中を案内しますよ。君の部屋と、食堂にも。……………僕の工房は書架の形が独特なので、彼女の部屋の併設は僕の方で済ませてしまっても構いませんか?」

「ええ、勿論よ。くれぐれも魔術の展開を間違えないようにね」

「はは、嫌だなぁ。さすがに僕も、そんな失敗はしないと思いますよ」

「……………どうだか。…………いい、アンセルム。この筒の中央にある魔術印に魔術を通し、併設する壁に背面を押し当てるのよ。術式陣が広がったところで、手を離して併設空間が固定するまでは触らないこと。いいわね?」

「え、……………僕はそんなに信頼されてないんですね……………」




アンセルムは悲しげに目を瞠ったが、レイノはすぐに、その説明を自分も聞いておいたことに感謝する羽目になった。


レイノの部屋を作ろうとしたアンセルムが、悲しげな目をしてこちらを見た時に、手順を説明してやりながら、これからの生活について不安を覚えたのは言うまでもない。







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