夏至祭の欄干と青玉の妖精
時間を帯びない土地があるという。
それは、妖精であれば誰もが知り得る、妖精のダンスの輪の中での小さな秘密だ。
特に夏至祭に円環の中に踏み込み、妖精の手を取ってしまうと、もう後戻りは出来ない。
だから人間達は皆、親から子へ、その日にはどんなに親しい者に似ていても、妖精除けの香を焚かない場所や水辺でのダンスを禁じるという。
とは言え、意中の妖精の心を得る為に、花輪や酒などを持って円環の中に入る乙女も少なくはない。
だが、そんな少女達が知るのは、目当ての妖精が迎えに来ないのであれば、即ちそれが答えだという事だろうか。
妖精は古くから人間の良き隣人だが、時と場合によっては魔物や精霊達よりも遥かに残忍で狡猾である。
微笑みだけを投げておき、獲物が輪の中に入って来るのを待ち構えている妖精達は必ずいて、そして、恋を得るどころか彼等の食卓に上がる羽目になる無垢な乙女もまた、毎年現れるのだ。
だからこそ、夏至祭の日は、気を付けなければいけない。
例えばこんな風に、見慣れた筈のリーエンベルクの廊下の絨毯が、見た事もない模様に変わっている事もあるのだから。
「むぎゃむ?!」
素晴らしい晩餐の時間を終え、リーエンベルクに戻ったばかりの事であった。
明日の打ち合わせもあるのでとこちらに歩いて来ていたネアの足元の違和感に気付き、手を伸ばして素早く抱き上げる。
はっとしたように息を呑んだネイが見えたが、これはさすがに妖精でなければ気付けない変化だろう。
視界の端に微かに見えただけだが、あの瞬間に、絨毯の模様が音もなく変化したように思えた。
「………妖精の魔術ですね。暫くご辛抱下さい」
「よ、妖精さんの…………?」
いきなり抱き上げられて驚いたのだろう。
声を上げて目を丸くしていたが、ネアはすぐに事情を理解したようだ。
小さく頷き、手をしっかりとこちらの肩にかけてくれる。
これはもう、経験則と言えばいいものかもしれないが、このような状況では、傍にいる者と離れない事こそが重要だとよく分かっているのだろう。
「…………ありゃ、僕も巻き込まれたかな」
「やれやれ、あなたもですか。あの見慣れない織り模様については、踏む前だったとは思うのですが、連続模様であればどこかで既に踏んでいたのかもしれませんね」
「僕が全く気付かないってことは、階位の低い妖精の仕業なのかな?」
「一概にそうとも言い切れませんね。まもなく、夏至祭の時間の座に入ります。妖精達は力を強めもしますが、より曖昧な境界へと触れれば、その階位を隠す事も出来るようになりますから」
「わーお。そうなると、あの場所に円環を仕掛けられるだけの階位って事もあり得るのかぁ…………。おっと、ネア、大丈夫かい?」
「リーエンベルクの廊下を歩いていた筈なのに、見知らぬお家の中にいるのは、どこかの妖精めのせいだという事が分かりました」
低い声でそう答えたネアは、勿論、この展開はひどく不愉快なのだろう。
明日の夏至祭ではかつてのように踊る事はなくなったが、それでも神経をすり減らす日である。
美しく陽気な祝祭ではあるのだが、不穏さというのもまた、夏至祭の資質であるのだ。
ましてや、外出から帰ってきたばかりともなれば、これからは部屋でゆっくりしたい時間だろう。
ネイが一緒とは言え、このような場所に迷い込んでしまうのは不本意に違いない。
そんな彼女を抱いたまま、周囲を見回した。
先程までリーエンベルクの廊下に立っていた筈なのに、今は見知らぬ邸宅の中にいる。
天井の高さや廊下の広さを思えば、城や王宮に近いような建物なのかもしれない。
窓の外は穏やかな夜が広がり、庭園の向こうには市街地の明かりが見えている。
内装は、リーエンベルクを見慣れてしまうと金色の装飾が強いような気がするが、壁の装飾や天井画などはなかなか質が良い物のようだ。
「私はもう、退避用とお食事用で二回も不思議な所へ出かけた日ですから、三度目があってもそんな事もあるかと思えてしまうのですが、折角の素敵なお食事の後で、ヒルドさんを巻き込むのは許せません…………」
「………私、がですか?」
「ノアだけであれば、最悪の場合は徹夜で我慢して貰えるのですが、明日もお忙しいヒルドさんの睡眠時間を削ったら、許さないのです…………」
「え、お兄ちゃんも繊細だから、もっと労わって…………」
まさか、こちらが案じられているとは思いもせず、目を瞬いていると、どこか遠くからオーケストラの演奏が聞こえ始めた。
ぎくりとしてネイと顔を見合わせ、ゆっくりと視線を巡らせる。
「…………音楽が聞こえてくるのはあっちかな。ヒルド、ここは妖精の領域だから、ネアを任せてもいいかい?僕もそれなりに敏感な方だけど、ここでさっきみたいに反応が遅れて、僕の大事な女の子に何かがあったら嫌だからね」
「ええ。あの音楽は、…………特徴的な音階といい、やはり夏至祭の関連でしょうね。気の早い者達が宴を初めてしまったのかもしれませんが、だとしても、なぜ、我々を招き入れたのか…………」
「もしかするとこれって、リーエンベルクの影絵かもしれないね」
「まぁ、であれば安全なのでしょうか?」
「うーん、こんな日はさ、そうとも言えない場合があるんだ。リーエンベルク自体は、僕達には、………そして特に、エーダリアや君には好意的だけど、時として、この土地に紐付く過去からの呼び声の方が強くなる時がある」
ネイは、こちらにも説明しようとしているのだろう。
音楽の聞こえてくる方を警戒しつつ、見上げた天井に、見知らぬ屋敷に立っている筈なのに見慣れたシャンデリアがかかっている様子に眉を顰めた。
(これを見て、ネイは、ここが影絵だと判断したのかもしれない…………)
完全な呼び落しであれば、この景色の中に、リーエンベルクが残っている筈はない。
だが、重ねられた影絵の中に足を踏み込んでしまっているだけであれば、まだ魔術汚染されていない部分には、いつもの風景が覗いていても不思議はないのだ。
「過去からの呼び声、なのですね」
「うん。リーエンベルクには、王宮としての機能の中で、影絵を残すような住人や訪問客がいた事もある。そんな時に残された魔術証跡が、影絵として残されている事もあると思うんだ」
「…………音楽が聞こえるという事は、統一戦争の時ではありませんよね?」
ネアがそう言った途端、ネイが、はっとしたように瞳を揺らして微笑んだ。
薄暗い廊下の照度の中で、その瞳は宝石のように光る。
こうして見てみれば、白い髪を持つ魔物らしい美貌は冷淡ですらあるのだが、最近はもう、温度を持つ家族の顔として見慣れてしまった。
「そうだね、最初にその不安を取り除いてあげるべきだった。大丈夫だよ。…………ここは、壁の装飾や庭園の作り方的に、統一戦争よりは二百年程前の時代だと思うよ。………街の見え方的には、高台にある屋敷か城なんだろうな。………うーん、この風景ってどこかで見た事があるんだけどなぁ………」
「統一戦争でないのなら一安心ですね。ノアに、目隠しをする必要はなくなりました」
「…………ありゃ。僕の為なの?」
「まぁ、当然ではないですか。ここがもし統一戦争の影絵の中だったのなら、私は、ノアを狐さんにして目隠し抱っこをしなければならなかったので、どうしたものかなと考えていたのですよ」
「君は怖くないかい?」
「ふふ。ノアとヒルドさんがいるのに、どうして私が怖くなってしまうのでしょう?先にお風呂に入ってもらっていたディノも一緒だったら尚良かったのですが、そうすると今度はエーダリア様がお一人になってしまうので、今回は、お留守番で我慢して貰うより他にありませんね」
「ありゃ、この手の展開に慣れているぞ…………」
幸いにも、抱き上げているネアには、不安そうな様子は見られないようだ。
折角の夜の後でそんな思いはさせたくないので、その事に安堵しつつ、注意深く周囲を見回した。
(この規模の建物の中で、ましてや音楽からは夜会が行われている筈だ。それなのに、部屋の出入りをする招待客の姿がどこにも見えず、巡回の騎士達や兵士達も見えないのは奇妙だな…………。となれば、ますます、妖精の罠だと考えて良さそうだ………)
妖精が円環の中に隠している隔離地は、主に影絵やあわいなどを足場に構築している事が多い。
妖精の国そのものに招き入れる事もあるが、罠や仕掛けとしての作業部屋を設けている事は少なくないのだ。
とは言え、そのような物を作れるのはシーに限られる。
(となると問題は、この場所を管理する妖精が、どのような意図で影絵を設けたか…………)
気紛れな彼等が息抜きの為に設けた社交場ならともかく、藤の妖精達のように、一氏族で使っている餌箱という可能性もある。
その場合、侵食には細心の注意を払わなければならないし、ある程度の交戦が必要になるだろう。
先程まで羽の再生に必要な魔術の貯蓄量について話をしていたばかりでこの有様かと、小さく息を吐く。
「どうやらここは、典型的な妖精の仕掛け場のようです。円環から招かれるこのような場所では、時間の流れ方が外とは違いますので、あちらを空けている時間を心配する必要はないでしょう。…………とは言えだからこそ、望ましくはありませんが、仕掛けを動かす為に、あちらの広間に向かう必要がありそうですね」
「敢えて触れずにやり過ごすのではなく、このような場合は、いっそ踏み込んだ方がいいのですか?」
「今回は、私とネイがおりますからね。もしお一人の場合は、仕掛けが動かない、このような準備地に留まるのも良いでしょう。本来なら人の出入りが有る筈なのに誰もおらず、光の当たらない舞台の袖のような場所を、予備地や準備地と言います。妖精の仕掛けの余白の部分だと思っていただければ、分かりやすいでしょうか」
「余白の部分であるからこそ、舞台の方々がこちらに降りてくる事はないのですね………」
「ええ。しかし、この場に留まり続ける限り、永遠にどこにも行けないままでしかないという事もありますから、一概にどちらがより安全かとは言えない部分もありますね」
特にこのような場所は、時間の概念が曖昧になる。
一年以上も迷い込んでいたのに、戻ると数分しか経っていないという事はよくあるし、時間軸の交差位置がずれるのか、数分前に引き戻されてしまうこともある。
なぜそのように時間の差異が出るかと言えば、このような土地は、妖精が何らかの時間稼ぎ、多くの場合は、獲物を隔離する為に作った物だからだ。
(簡単に捕まえられるものであれば、わざわざ隔離地に迷い込ませる必要はない)
だが、手強い獲物や籠絡に時間のかかる乙女など、いくらでも時間をかけられる隔離地を使わなければ、手に入れられないものもあるだろう。
だからこそ、時間の概念の曖昧な隔離地を作るのだ。
「よーし、じゃあまず、音楽の聞こえてくる方に行ってみようか」
「そうですね。ネア様、ご不快な面もあるかと思いますが、このままの状態で我慢いただけますか?」
「はい。なぜ大広間に、抱えられたまま搬入されたのだという視線を浴びても、ヒルドさんに持ち上げていて貰った方が安全ですものね」
「ええ。もし声をかける者がいれば、足を挫いた事に」
「はい。そうしますね」
ゆっくりと廊下を歩けば、かつこつと靴音が響く。
窓の外の景色からすると、季節としては晩秋だろうか。
外は風が強いのか、時折かたかたと窓が鳴る。
そんな窓辺近くを歩けば、肌に触れるのはひんやりとした夜の温度だ。
少し肌寒く感じるくらいの気温なので、先程までいたのが、あまり気温の上がらないウィームで良かったようだ。
例えば、この時期にはもう薄物を着ているヴェルリアからこの影絵に迷い込んだ場合は、見知らぬ土地で慎重に動かざるを得ないだけでなく、体を冷やさないように注意を払う必要まで出てくる。
わあっと、どこかで歓声が上がった。
目指している広間の扉は薄く開いており、扉の隙間から明るい光が廊下に落ちている。
その細い光の筋を横切る影には、妖精の羽があるようだ。
不安そうに肩に手を回している少女をそんな広間に連れてゆくのは躊躇われたが、とは言えここに残っていても仕方ない。
「…………おっと」
「ネイ?」
「……うん。巧妙に作られているけれど、妖精の仕掛けの中に、何か不純物があるなぁ。ここ見てよ。………この魔術の扱い方って、魔物独自のものなんだよね」
「おや、この広間の入り口に敷かれた魔術は、確かに妖精の物ではありませんね」
「うん。誰かが、妖精の隔離地の中に二重に罠を仕掛けてあるね」
扉を開くまでは、仕掛けは動かないと思っていたのだろう。
呑気にそんな話をしていると、不意にぎいっと音を立てて扉が薄く開いた。
「…………おや、お客人かな」
腕の中で、ネアが小さく息を呑む。
素早く立ち位置を変え、こちらの目隠しをするように立ったネイの背中に彼女の表情を隠し、扉からこちらを覗いた人物を見つめる。
(青玉の妖精か…………!)
はっとするような青い髪に、澄んだ青色の瞳は青玉妖精の特徴的な色彩だ。
海の妖精達も似たような色彩を持つが、実際に対面すると色の持つ温度がまるで違う。
特に海のシー達は獰猛な獣のような気配を持つのに対し、青玉の妖精は理知的で老成した気配を帯びる。
そして、そんな青玉の妖精の瞳には、拍子抜けする程に悪意も敵意もなかった。
言葉通り、客人が来たのかと扉を開けて廊下を覗いたようにしか見えないのだ。
(であれば……………、)
「我々の家から、こちらに迷い込んでしまったようです。夏至祭が近いからでしょう。もし良ければ、出口を教えていただけませんか?」
ネイの背中に片手を当ててこちらが交渉する事を告げてからそう話しかければ、青い瞳の青年は一つ頷いた。
長い髪を高い位置で結い上げており、青い装束は、ヴェルクレアの物にしてはやや装飾が多い。
とは言え、貴石の妖精達の中には装飾品を好む者たちも多いので、その類かもしれなかった。
「であれば、我等の思索と遊興を邪魔しようとする何者かの仕業だろう。一人、しつこい魔物がいてね。あちこちに、我々を探す為の術式を仕掛けてある。…………ふむ。どうやら、夏至祭の妖精の魔術と青玉の祝福と、最初の魔物と、あの厄介な魔物の気配が重なったようだ。はは、そのお嬢さんにかけられている祝福が道を円環に書き換えた原因だとしたら、今頃、選択の魔物は思わぬ場所から道が繋がって焦っているところだろう。何しろ、守護を与えた人間を、みすみす獲物の敷地内に落とした訳だから」
「…………ふうん。そうなるとこれは、アルテア由来の事故って事かな」
そう呟いたネイに、扉から顔を出した青玉妖精が肩を竦める。
多少うんざりはしているようだが、やはり、悪意や嫌悪などは感じられない穏やかな目のままだ。
「幸いにも、どうやら夏至祭に至る前の欄干に引っかかっているようだから、向こう側に押し返そう。我々も、このお嬢さんを探してあの魔物に入り込まれ、この隔離地で過ごす愉快な日々の邪魔をされては堪らない。早々にお帰りいただこうかな」
「うん。助かるよ。理由如何によっては、アルテアを叱っておくけど、あまり言いたくない事かい?」
「そうだね。知ると言う事は知られる事だ。その提案は魅力的だが、危険を冒すのはやめておこう。…………お嬢さん、もしまたここに迷い込んだら、青の賢者の知り合いだと誰かに告げるといい。あの魔物を呼び寄せては堪らないから、すぐに送り返してあげるよ」
「は、はい!もしまた迷い込んでしまったなら、そうさせていただきますね」
「ここで、他の種族の妖精達なら君を殺してしまうかもしれないけれど、我々は荒事は好まないんだ。それに、青玉の守護を持っている者であれば、本来は歓迎するのが習わしだからね。残念ながら歓迎はしてやれないけれど、帰り道は保証するよ」
ネアが頷いたのを確認してた青年は、今度はこちらを見ると、なぜか深々と頭を下げた。
驚いて目を瞠れば、頭を戻した青年は、どこか懐かしむような穏やかな目をして小さく笑う。
「あなたは多分、森と湖の古き叡智と力を持つ一族の王族だろう。かつて我々は、あなた方の治める深い森から生まれたのだ。その腕に抱いている少女を迎え入れられないのと同じ理由で、この城でもてなす事は出来ないが、それでも、我らを育んでくれた森の主人への恩義には相応しい感謝を示したい」
その言葉と同時に、ざあっと周囲の風景が変わった。
無事にリーエンベルクに戻されたようだと胸を撫で下ろしていると、背後に落ちた短い舌打ちに振り返れば、そこには、来たばかりなのか帽子をかぶったままの選択の魔物が立っていた。
「…………む。元凶だと思われるアルテアさんです」
「アルテアのせいで、僕達がおかしなところに迷い込んだんだけど。土地の魔術が潤沢だからって、リーエンベルクの中に仕掛けをするのはやめて欲しいな」
「こいつの事故りやすさを知っておいて、この中に仕掛ける訳がないだろうが。円環を模ったのは、元々この地に住むような名もなき小さな妖精達だ。たまたまそこに、俺とお前の要素が重なったんだろう」
「…………え、僕?」
「ほお、忘れたのか?あの賢者どもが使っている隔離地は、お前が放棄して奴らにくれてやった城の一つだぞ。そのお陰で、俺は奴らにまんまと逃げられる羽目になったんだからな」
「おや、自分で作った城なのに、気付かなかったのですか?」
「…………わーお。何だか見覚えがあるなって思っていたけど、あそこ、僕の城だったんだ」
「むぅ。それなら、あの妖精さん達とは、初対面ではなかったのです?」
「………どうだろう。覚えてないんだよね。…………うん。でもずっと前に、何だか楽しく飲めた連中に使わなくなった城をあげた記憶はあるかな。運試しの壺と引き換えだったんだよ」
「…………やれやれ」
「ったく。お前は隙あらば事故りやがって」
「なぜなのだ。私は、ノアとアルテアさんのせいで巻き込まれただけの、罪なき乙女なのです」
確認の為にもう一度周囲を見回し、他の魔術異変も起きてないのを確認してから、ネアを降ろした。
こちらを見上げてお礼を言うネアに微笑みかけ、ふと、上着のポケットに先程まではなかった筈の重さを感じて、手で探ってみる。
すると、そこには子供の拳大の青玉が入っていた。
「…………まぁ、素晴らしく綺麗な青玉です」
「青玉の祝福石でしょう。祝福を凝らせただけではなく、祝福そのものを落とす生きた石ですので、かなり貴重な物だと思いますよ」
「え、そんな祝福石を見るの、僕でも初めてなんだけど。青玉は気難しいからなぁ………」
「ふふ。さすがヒルドさんですね。あの方は、ヒルドさんに会えた事が、きっととても嬉しかったに違いありません。…………むぐ?なぜ、私はアルテアさんに捕獲されているのです?」
「妖精の隔離地に落ちたんだ。向こうの反応がどうであれ、もうすぐに夏至祭になるからな。魔術洗浄をかけるぞ」
「ま、待って下さい。私はこれから、明日の予定の擦り合わせを…………ぎゃ!抱えるのは禁止です」
「ネア、お兄ちゃんが聞いておいて、後で知らせに行くよ。確かにアルテアの言う通り、念の為に魔術洗浄はしておいた方がいいからね」
「今夜は素敵な花蒸し気分のまま、お気に入りの入浴剤でのんびり入る予定だったのですよ………!!」
「残念だが、諦めろ」
「むぐるるる!!」
連れていかれるネアを苦笑して見送り、手の中の青い青い宝石をそっと窓の外の夜の光にかざした。
すると、隣に立ったネイも、青く輝く宝石を覗き込んでくる。
「…………何だか騒々しい夜になっちゃったけど、いい贈り物だね」
「ええ。彼の言葉で、私の祖父の時代に、あの森から賢者の質の青玉の妖精達が生まれたという事を思い出しました。私は彼等に会う事はありませんでしたが、本と思索とダンスをこよなく愛する、心穏やかな道楽家達だったと聞いております」
「うーん、だからかなぁ。あの夜の事は飲み過ぎてて殆ど覚えてないけど、何だか珍しく楽しくていい夜だったんだよ。だからこそ僕も、使ってはいないとはいえ、城をあげたんだろうしね」
「やれやれ、そんな事を覚えていなかったとは………。これからは、飲酒の際の言動には、くれぐれも注意して下さいよ。…………何しろあなたは、ここにもう、家族がいるのですから」
「…………え、何で泣かそうとするの」
(…………あの森で生まれた妖精は、全て滅びたと思っていた)
贈り物の宝石を握り締め、この先もずっと暮らしてゆくであろう、リーエンベルクの廊下を歩く。
あの森から随分と遠い所へ来た今、こうして、あの森で生まれ育った妖精が今もどこかにいるのだと知る日が来るとは思わなかった。
そのままエーダリアの執務室に向かい、ノックをして扉を開け、こちらを見た大事な子供に手に持った青玉を差し出した。
「…………ヒルド?素晴らしい青玉だが、これはどうしたのだ?」
「先程、ネイとネア様と共に迷い込んだ妖精の隔離地で、青玉の妖精に出会いまして」
「………大丈夫だったのか?」
「ええ。様々な縁から、たまたま繋がっただけのようでしたし、幸いにもこちらに好意的でした。彼は、私が生まれ育った森で派生した青玉妖精であるらしい」
「そうだったのか。………何があったのか詳しく聞きたい。話してくれるか?」
そう言えば、真っ先にこちらの身を案じてから、今度は妖精の隔離地に興味を持ったらしいエーダリアが、鳶色の瞳を輝かせる。
そこで何があり、この青玉を手にするに至ったのだろうと考え胸を弾ませているに違いないその姿の無垢さに、堪らなく心が温かくなって唇の端を持ち上げた。
明日は夏至祭だが、もう少しだけ話しをしていてもいいだろう。
贈られたこの青玉は、きっとこれから、リーエンベルクの者達に祝福を落とす友好の証になる。
「よいしょ。僕は紅茶を飲むけど、ヒルドはどうする?」
「では、同じものをいただきましょうか」
正直なところ、先程の妖精の隔離地よりも、花蒸しを食べに行った町の青い夜の美しさの方が、まだ記憶には鮮やかだ。
だが、あの夜風の心地良さを思い出して手のひらを広げると、そこには、美しい夜を凝らせたような素晴らしい青玉の祝福石がある。
(…………良い贈り物だ)
この夜だからこそ繋がったのであれば、これは、再び家族を得られたからこそ出会った恩恵なのだろう。
手の中の宝石をエーダリアに持たせてやりながら、この安らかな夜への感謝を小さく心の中で呟いた。
明日7/6の更新はお休みとなります。
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