瓶の中の鉱石と夏至祭の靴音
採取用の瓶の中でころりと転がったのは、菫色の夜鉱石だ。
小さいがよく光るその鉱石は、端の部分に祝福がかかり内側が明るい水色に滲んでいる。
その色彩に唇の端を持ち上げ、魔術的にはさしたる価値のないその小石を喜びそうな人間の顔を思い浮かべる。
混ざり合った色彩の中央部分は、まさしく万象の瞳の色なのだ。
(…………こちらも頃合いだな)
逃げ出さないようにケージに入れていた夜金糸雀草を夜霧のピンセットで取り出し、淡い黄色の花が明るく光ったのを見てから水薬の中に漬け込んだ。
瓶の蓋をしてからくるりと回せば、水薬が澄んだ金糸雀色に染まる。
これは夏至祭の魔術の及ぶ範囲でしか作れない薬なので、この機会に増やしておこう。
どうせまた、どこかに迷い込んで妖精の夜明かりを必要とする人間がいるに違いないし、仕事で卸す分も三本ほど必要であった。
その簡単な作業を終えてしまうと、折り上げていた袖を戻し、隣の椅子にかけてあった上着を羽織る。
杖と帽子を取り出しながら転移を踏み、むわりと熱い空気が肌に触れる土地に降り立った。
こちらに気付き、砂混じりの乾いた風の中で振り返った男は、この土地で仕事を任せたところめきめきとその手腕を発揮し始めたばかり。
それまでは中庸であったが、どうやらカルウィ近郊での商売の才能があったらしい。
土地によって住人達の気質が違うので、この男は、後ろ暗い商売の管理に向いていたのだろう。
今はもう、生まれながらのこの土地の住人かのような装束を着ているが、つい先月まではクラヴァットを結んだ貴族然とした装いでガーウィンに拠点を構えていた。
表情すら変わって見えるのだから、所変わればとはまさにこの様子である。
「すみません、わざわざ。夏至祭前に助かります」
「育ち具合はどうだ?」
「上々ですね。とは言え、あまり調子付かせない程度の商売に留めておくべきでしょう。金を払っているにせよ、何でも手に入れられると思わせると付け上がりかねませんよ、あの男は」
「だろうな。この水薬も、一度には渡すなよ」
「ええ。まだ彼は、この薬が必要になるとも知らないんですが、いざ発症したら、あるだけ寄越せと言う姿は容易く想像出来ますからね」
手渡された帳簿を素早く捲り、こちらでの取り引きに問題がないか目を通した。
間違いがあるような人員を使う事は滅多にないのだが、こうして第三者が目を通す事で別角度から問題が浮き彫りになる事もある。
「…………仕入先は問題ないな。得意先は、…………こいつは、精霊絡みの問題を抱えているようだな。場合によっては切った方がいい」
「おっと、三商品に分けてうちから薬の材料を仕入れていますね。自分の手元で解決出来てないとなると、それなりに厄介な相手なのでしょう。精霊のとばっちりはごめんですので、付き合いを考えましょう」
帳簿を返して頷き、そのまま次の目的地に転移を踏む。
幾つかの報告を組み合わせ現地で起きている事にあたりは付けてあるが、とは言え用心を怠る理由もない。
念の為に幾つかの術式を展開して爪先を踏み替えれば、先程とはまるで違う外気が肌に触れた。
凍えるような吹雪の中で、光の尾を引くようにこちらを見た白金の瞳がある。
雪混じりの強い風にはためくケープの裏地の赤が、はっとする程に鮮やかに見えた。
「アルテア、この国の基盤に手を入れましたね?」
「いや、この仕事は俺じゃない。だが、こちらで引き取ろう。今回は、修正することに旨味があるからな」
「という事は、白夜や白虹あたりか…………。やれやれだな」
「白本だな。感謝しろよ。手直ししておいてやる」
「旨味があるんじゃなかったんですか?くれぐれも、今回のように千人単位で国民が死ぬような仕掛けはしないで下さいよ」
「この土地で採掘される鉱石は、いい顔料になる。現段階では、国民を間引くつもりはないな」
「夏至祭を控えて、今年もどうもこういう案件が多いな……………」
「そりゃそうだろう。境界が曖昧になる貴重な日だ。妖精絡みの案件の多さには負けるだろうがな」
「そちらはナイン達に任せていますが、そろそろ大規模な戦乱が起こりそうですね」
「ほお、どの辺りだ?」
「あなたの仕事の為に、ただでさえ気の重い俺の仕事を、いっそうに危うくする趣味はありませんよ」
憂鬱そうに返しながらも、この終焉を司る男は、ついさっきまで、吹雪の中で死に絶えてゆく国を見て微笑んでいたではないか。
嘆息し、すっかり書き換えられてしまった魔術基盤に降りると、緻密なようでところどころに綻びのある術式を上書きする。
さして時間はかからずに手直しと掌握が終わり、ざあっと青白く光が揺らぎ、さざ波のようにどこまでも広がっていった。
幸いな事に、この地に目を付けている魔物は多い。
敢えて僅かに手癖を残せば、白本の目には他の魔物の書き換えに映るだろう。
このあたりで、アイザックに白本の手綱を握らせておこうとは、常々考えていた。
また、終焉の気配の影で、堂々と基盤に手を入れられる滅多にない機会だ。
これを見逃す手はない。
(こんなところだろうな……………。こちらにより優位に書き換える事も出来るが、ウィリアムの気に障ると、諸共更地にされかねない)
大規模な終焉の障りもまた世界の理であるが、この土地には長年の手入れの思い入れがある。
それは、アイザックとて同じ事だろう。
あちらはあちらで、幾つかの嗜好品の取り引きを抱えているので、この国の惨状は目に余る筈だ。
白本がそちらに恨みを向けても、アイザックにもまた、白本を躾る理由がある。
重たい雲空の隙間から僅かな光が差し込んでいるのを確認し、長居は無用だとウィリアムを振り返る事なく踵を返した。
(……………そう言えば、)
次は、注文しておいた品物を贔屓の工房に受け取りに行く予定だ。
ふと気になってカードを開けば、珍しく何のメッセージも浮かび上がっていない。
そのままカードを閉じようとしてから少し考え、事故っていないかどうかの確認だけはしておくことにした。
夏至祭は、どんな引っ掛かりであれ、境界に触れる。
本人が事故だと気付いていないのが、一番厄介ではないか。
“事故などは起きていませんが、リーエンベルクからディノと共に迷い家にお邪魔し、丸犬もふもふと出会いました。たいへん魅惑的なもふもふでしたが、残念ながらディノは触れ合いを許してくれませんでしたので、お知り合いの丸犬もふもふがいたら、是非に紹介して下さい”
「……………は?」
思わずそう呟いてしまい、ノックを受けて扉を開いた工房主が訝し気な目をする。
そちらには短く首を振り、カードに短い返事を書いた。
“いいか。それは、事故っていないとは言わないからな”
カードを閉じながら小さな溜め息を吐いた。
どうせ明日は夏至祭なのだ。
今夜からリーエンベルクに滞在していても、さして違いはないだろう。
本日はSS更新となります。
短いお話にて更新させていただきました。




