表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
407/880

復活祭と妖精の魔術師 2




ネア達が外客棟の客間に到着するのと、ノアがヒルドを連れて戻るのはほぼ同時であった。

ふわりと立ち昇る転移を開いた魔術の風に、くたりとノアの腕に抱かれたヒルドの孔雀色の髪が揺れる。


力なくこぼれた腕が垂れ下がり、ネアは、初めて見るようなヒルドの姿に胸が潰れそうになってしまう。



「……………っ、」

「ネア、シル、ヒルドを頼むよ。怪我をしたのは背中なんだ。因みにこの傷は、もう一度言うけど、目を覚ませば本人が簡単に治癒出来るからね。本人にしか治せない部位なんだけど、背中に一撃受けた後にもそのまま抗戦していてさ、向こうの使い魔が放った衝撃波を浴びて倒れたんだ。…………他の傷は全部治したんだけど、…………多分、かなり消耗したんじゃないかな。まだ目を覚さないんだよね………」

「せ、背中という事は、普通に仰向けに寝かせない方がいいですよね。ディノ、ヒルドさんを横向きに寝かせたいので、手伝ってくれますか?」

「うん。………ノアベルト、こちらは大丈夫だ。戻ってあげるといい」

「……………うん。任せたよ。ヒルドはさ、僕の大事な友達なんだ」



横抱きにして運び込んだヒルドをディノに預けると、ノアは、ほんの一瞬だけ、途方に暮れた迷子の子供のような目をした。

はっとしたネアは、慌ててそんな義兄の魔物の腕をぎゅっと掴む。



「ノア、ヒルドさんは大丈夫ですよ。私とディノとで、リーエンベルクを出た時よりも元気にしてみせますから、どうか安心して下さいね」

「……………うん。慰められちゃったね」

「そして、エーダリア様達をどうかお願いします。もし、散らした方が良ければこれを持って行って下さい」

「わーお。戸外の箒だ………。うん、向こうの事は任せてよ。エーダリアが狙われたもんだからみんなすごく怒ってるし、グラストを傷付けられたゼノーシュは、あの人間達を絶対に許さないんじゃないかな」

「ほわ、………ゼノが怒り狂っているに違いありません」



にっこり微笑むと、ノアはそのまま転移で姿を消した。


通信の時に聞こえた音を思えば、あんな場所に大事な家族を戻してしまうのかと足が震えそうになったが、それでも送り出すしかない。


ネアはまたしてもじわっと滲んでしまった涙を飲み込み、ディノに、体が横向きになるようにしてヒルドを寝台に寝かせて貰う。


体がばたんと戻ってしまわないように、手を伸ばさせる姿勢で横向きの姿勢を安定させ、毛布を畳んだものを背中に当てて、うっかり寝返りを打っても傷口を下敷きにしないようにと工夫する。



「…………血などは滲んでいないようですが、………どの部分を………あ、」



ヒルドはどこを怪我したのだろう。

ノアはさかんに本人にしか治せないと話していたが、傷口の血を拭ったりくらいなら出来るだろうかと、怖さを噛み殺して背中を調べていたネアは、目に止まった無残な傷跡にひくりと震える息を飲み込む。



「……………ふぇ、………ぐ。…………ディノ、ヒルドさんのこちら側の羽が、…………」

「羽を欠いたのだね。シーにとって、内羽を失う瞬間は酷い痛みを伴うという。もしかすると、攻撃の衝撃を受けて意識を失ったというよりも、その羽を失った痛みも響いたのかもしれない」

「……………は、羽が」



ネアはもうすっかり駄目になってしまって、嗚咽混じりの声でそれしか言えなかった。

ヒルドの左側にある美しい妖精の羽が、たった一枚しか残っていない。


怖さを堪えて傷口を確かめると、外羽の一枚は肉ごと抉られるように、そして内羽の一枚は、僅かに根元を残して引き千切られるようにして失われたのだと分かった。



(羽が……………、)



わあっと声を上げて泣きたいのと、くらりと目眩に目を閉じてしまいたいのをぐっと堪え、ネアはくすんと鼻を鳴らして踏み止まる。

あまりの悲しさに指先をきつくきつく握り込んだが、それでも今にも倒れそうだった。



「…………ノアベルトが、治癒したのだろう。元々は、もっと酷い傷だった筈だ。この魔術の残滓は、聖堂魔術だね。…………ヒルドを傷付けたのは、この国の者ではない筈だ」

「よ、他所の国から襲撃されているのです?!」

「ノアベルトは何かを察したようだから、彼らが戻ってから話をしようか。…………ネア、泣かないでおくれ。腐食した魔術の入れ替えを行ったから、ヒルドが目を覚ませば、すぐに羽は治せる筈だよ」

「ふ、ふしょく……………。ふぇぐ」



我慢しても我慢しても滲んできてしまう涙に、ネアは、目元をごしごしながら手のひらに伝わる体温にこんなにも安堵するのだと感謝しながら、ヒルドの背に手を添えていた。


同じように寝台の端に腰掛け、優しく微笑みかけてくれたディノが、そんなネアの頭を優しく撫でてくれる。



「違う文化圏の聖堂魔術に、悪しきものを腐り落とす為の固有魔術がある。恐らくこれは、その魔術を錬成した武器を使われたのだろう。…………教会に属する者達が扱う道具なのは間違いないが、ヴェルクレアが有する教会組織には、この武器を受け入れる信仰の基盤がない。……………ロクマリア域、或いはあの周辺の国々のどこかのものだ」



ディノの声は静かだった。

その静かな声を聞きながら、ネアは、上手く返事が返せずにこくりと頷く。



暫くすると、ノアからもう一度通信が入り、復活祭の儀式の全てが無事に終わったと報告された。

僅かに掠れた声で、エーダリアからヒルドの様子を窺う質問があったが、まだ目を覚ましていないと答えると落胆したようにそうかと呟く。


きっと、この魔術が繋いだ向こうでは、エーダリアが苦し気に瞳を揺らしたのだろう。


そんな表情が簡単に思い浮かんでしまい、ネアはまた胸が苦しくなる。

だが、ディノが、傷口の魔術補填を行ったので羽の再生はすぐに叶うだろうと告げると、少しだけ安堵したようだ。



「やはり、アレクシスが駆け付けた事が大きかったようだね」

「はい。ノアもいるのになぜこんな事になったのだろうと思っていたのですが、異国の魔術を扱う方々のせいで、復活祭の祝祭儀式を壊されそうだったのですね…………」

「数ある祝祭儀式の中でも、終焉に触れるものは扱いが難しい。儀式の足場を崩す訳にはいかない分、こちら側は不利だったのだろう。………ヒルドを傷付けた魔術は、儀式の基盤を荒らす物だ。触れて混ざりかけた余分な魔術の澱を除去しながら、儀式魔術を続けるのは手のかかる作業だろう」

「ええ。そちらに多くの労力を割かねばならず、そうすると、防衛にかけられる力はやはり足りなくなる。そうして皆さんが磨耗していってしまったのだとか。常に色々な国の色々な物に対応出来、尚且つ、環境に優しい魔術を使えたアレクシスさんが参戦した事で、一瞬で片が付いたそうです」

「…………私もノアベルトも、異国の者達が絡んでくるとは想定していなかった」



静かな声でそう言ったディノに、ネアは、そっと体を寄せた。


今回の襲撃者達は、ネアの大事な家族を襲ってヒルドやグラストを傷付けただけでなく、この優しい伴侶に小さな後悔までさせたではないか。

まだ首謀者が捕縛されたという一報は入っていないが、キャルベリアは絶対に許すまじという気持ちになる。



「…………あ、」

「目を覚ましそうだね」


そんなネアの殺気が、ヒルドの意識を震わせたのだろうか。


覚醒の兆候を感じ、慌ててその顔を覗き込んだ。

ふっと、瞼が震え、長い睫毛の影が揺れる。

息を呑んで見守っていると、ゆっくりと瞳が開いた。



「…………ネア、様?」

「ヒルドさん!………ノアが魔術で遮断してくれているそうですが、体に、痛みなどはありませんか?」

「………いえ、」



小さく息を吐き、瞳が閉じる。

そうしてもう一度開いた深い瑠璃色の瞳は、先程よりも鮮明な輝きを帯びていた。

唇の端が僅かに持ち上がり、くたりとしていた残された羽がゆっくりと伸ばされる。




「…………お恥ずかしい限りです。意識を失っていたようですね。私がここにいるという事は、あちらはネイが収めたのでしょう」


そんな言葉に、ネアは少しだけ驚いた。

目を覚ましたヒルドはエーダリアを案じるだろうと思っていたが、自分が避難させられたのであれば、あちらはもう問題ないに違いないと、すぐさまそう判断したようだ。


「はい。ヒルドさんが守ってくれたエーダリア様は、擦り傷一つなく無傷だそうですよ。ただ、怒り狂った領民の方が、悪い奴らめをずたぼろにしたので、捕虜の確保が大変だったのだとか。そちらの用途の方々は、捕まえてダリルさん達に引き渡しているそうです」


ネアが一息にそう言ってしまえば、ヒルドが淡く微笑んだ。

伸ばされた手に手を重ねると、そっと握った指先を引かれて、そこに口づけが落とされる。

その体温にまた、心の中で大きく安堵の思いが震えた。



「さすがですね。私が案じた事の全てを、こうも的確に伝えていただけるとは」

「も、もうすぐ、エーダリア様達もこちらに帰ってきますから、そうしたらもっと安心出来ますからね!」

「…………ええ。ご心配をおかけしました。…………この程度であれば、すぐに修復出来ますから、どうかそんな悲しい顔をされないで下さい」

「むぐ………。しかし、内羽が…………」



確かにネアも、シーは、欠いた羽を修復出来るのだと聞いていた。


しかし、一度失った羽を取り戻すまでにはある程度の時間がかかり、その間は階位を落とすとも聞いていたのだ。

おまけに内羽は、他の羽とは違う大事な物だということも知っている。



「おや、まだ不安そうなお顔ですが、私はロクサーヌと違い、ある程度の治癒に備えた魔術を日頃から蓄えておりますよ。…………傷を治癒してくれたのは、ネイですね」

「はい。そしてディノも、腐食した魔術の入れ替えを行ってくれたようです」

「…………ディノ様、助かりました。羽を再生させる前に、傷口の周囲の組織を薄く削ぐ必要があると思っていましたが、それが不要になったのは幸いです」

「うん。綺麗にしてあるから、そのまま治癒にあたるといい。魔術の蓄えが足りなくなるようであれば、ノアベルトが補充するだろう。体力を補う薬は、ここに置いてあるよ」

「では、そちらの薬は有難く頂戴しましょう。魔術の蓄えにつきましては、全ての羽を落とされても対処出来るくらいには、備えておりますので大丈夫かと思いますが、…………ネア様?」

「…………す、全ての羽を落とされてしまっても、元に戻せるのですか?」



あまりにもさらりと言及され、ネアは目を丸くしてしまった。

思わずそう言えば、ヒルドはいつもの優しい目をして、くすりと笑う。



「ええ。私は、有事には戦闘に従事する妖精です。そのような妖精の弱体化の手段となれば、やはり羽を捥ぐ事でしょう。…………ただ、治癒の為の魔術の備えがあったつもりでしたが、このように意識を失ってしまったのは、お恥ずかしい限りです」

「よ、…………良かったです。ノアは大丈夫だと何度も言ってくれましたが、…………本当に治せるのですね。…………ふぇっく」



今度は安堵から小さなすすり泣きがこぼれてしまうと、優しい目でこちらを見たヒルドが、そっと抱き締めてくれる。


しっかりと背中に回された腕は力強く、そこにはもう、先程までの力なく横たわっていたヒルドの儚さはどこにもなかった。



「むぐ。…………ただでさえお留守番なのに、すっかりめそめそしてしまいました」

「おや、このように案じていただけて、とても嬉しかったですよ。…………さて、そろそろあなたを、ディノ様にお返ししないといけませんね」

「…………む。ディノ、これは無事を祝う為の儀式抱擁なので、心配しなくてもいいですからね?」

「…………うん。でも、もういいかな」

「ふふ。ヒルドさんが羽を治しやすいようにしてくれた魔物も、ぎゅっとしますね」

「ご主人様!」



ヒルドがネアを抱き締めていた間、ディノは、ぐっと我慢してくれていたようだ。


以前から、家族の触れ合いと抱擁については講義してあったが、こうして目の前で行われても許してくれる優しい伴侶なのである。


勿論、そんな伴侶は大事にするしかないので、ネアは、ヒルドが立ち上がるのに手を貸して自分も立ち上がると、こちらも立ち上がり、少しもじもじしている伴侶をしっかりと抱き締めておいた。



「ずるい…………」

「ふむ。ディノは少し弱ってしまったので、私はヒルドさんの治療の付き添いを再開しますね」

「ヒルドなんて…………」



その間にヒルドは、寝台横のテーブルに置かれた、体力補充の魔物の薬を飲み終えたようだ。


これは、普段エーダリアが徹夜作業などの後に服用している物よりも遥かに強い効能を持つ、ディノが作り納めたものである。


深刻な損傷や、魔術による病変などで損なわれた体力の回復が想定されていたが、飲んだヒルドが目を丸くしてこれは凄いですねと呟いているので、やはり作っておいて良かったようだ。




「では、治してしまいましょう」


そう呟き、ヒルドは僅かに背を反らした。

残った羽が、大きく広げられる。


息を呑みその様子を見守っていると、無残に失われた羽の付け根や、残った羽の部分に淡い青緑色の光の粒子が集まってくるではないか。


そして、そこからどうなるのだろうと拳を握ったネアが凝視する中、ばさりと羽を振るう音が響いた。



「…………ほわ。い、一瞬で元通りになっています!」

「形ばかりは、この通りすぐに治せます。ただ、まだ再生したばかりですので、少々感覚が鈍いですね。このような状態で戦闘に出ると、攻撃を躱す動きに遅れが出かねない。ですので、失った羽を戦いの中で治癒するというのはやはり、なかなか現実的ではないのですが…………」

「感覚を戻すのには、少し時間がかかるのでしょうか…………?」

「少なくとも、一刻程は」


にっこり微笑んでそう教えてくれたヒルドに、ネアは、感覚が戻るまでの時間も恐れていた程にかからないと知り、安堵の息を吐いた。



「ヒルド!」



そこに響いたのは、部屋に駆け込んできたエーダリアの声だ。


はっとしたように振り返ったヒルドが、見ていてどきりとするような、愛おし気な眼差しになる。

儀式が終わって戻ってきたエーダリアの後ろには、ヒルドの背中の羽を見てほっとしたように瞳を揺らしたノアがいて、ネアは、そんな義兄に微笑みかけた。



「申し訳ありません。途中であなたから離れる事になるとは…………」

「そんな事はどうでもいい!…………き、傷は、治癒出来たのだな…………」

「エーダリア様?!」



安堵のあまりにへたり込んでしまったエーダリアに、慌ててヒルドが屈み込んでいる。

その際に、再生させたばかりの羽もぴんと伸びたのを見て、ネアはやっと安心して笑顔になれた。



「はぁ、…………何か飲もうかな」

「それより、昼食の時間ではないか。どこかで食事にしよう。…………ヒルド、お前は休めるなら少し休んだ方がいい。食事はこの部屋でいいか?」

「それは構いませんが、ディノ様に薬をいただきましたので、そこまでの休息は必要ありませんよ」



街の見回りに出る騎士達もいるので、エーダリア達はまた執務室に戻らねばならないのだが、とは言え情報共有と体を休める時間を取ろうということで、ネア達は、このまま、外客用の部屋で昼食と休憩に入る事にした。




「儀式を無事に終える事が出来たのは、ヒルド、お前のお蔭だ」


食事の運ばれてきた部屋でそう呟いたのは、安堵のあまりに力が抜けてしまったのか、どこか幼い目をしたエーダリアだ。


ネアは、テーブルの上に置かれた辛いスープを見下ろし、傷は治したとはいえ、元怪我人には刺激が強過ぎるのではないだろうかと眉を寄せる。



「今回は、我々の備えでは足りませんでしたね。…………ネイ、あれはやはり、キャルベリアの手の者でしたか?」

「ああ。そう見て間違いないね。そしてあれは、旧ガゼットの魔術師騎士だよ。聖堂騎士団の魔術師達は、先の戦乱で壊滅したって事だったから、生き残りがいるとは思ってもいなかったよ」

「ガゼットの方々だったのですね…………」


懐かしい国名に目を瞬いたネアに、エーダリアがゆっくりと頷く。


「ケープの裾に、特徴的な紋章があるのだ。大鷲の紋章は、国境伯に仕えていた騎士団のものだな」

「…………ガゼットの大鷲と言えば、ウィリアムさんと初めて会った際に、大鷲城に宿泊したのですが、何か関係がありますか?」

「まさに、その城に暮らしていた王に仕えた者達だ。ガゼットは、ロクマリアの一領となる以前から、少し特殊な仕組みを持った国でな、国内を三つの領地に分割し、その領地を治める者達を国境伯という肩書に据え、尚且つ各領地の王とした。ガゼットそのものを治める国王は、政治的な役割を持つ外交官のような存在だ。三領地の王族の中から選挙で選出されるが、最も多くの国王を輩出してきたのが、大鷲城のあった領地だったと聞いている」



ロクマリアという大国の一部になる以前から、ガゼットは交易の要所であった。


多くの人々が行き交う領内を円滑に治める為に、その三領制度が始まったのだという。

結果としてその運用が多くの利益を上げ、ガゼットは独立後もそのままに三領の王を戴いた。


しかし、そんな国土の運用の巧みさはガゼットを豊かで頑強な土地にしたのだが、結果として、独立戦争後も豊かさを維持していた事が、周辺諸国に侵攻される理由にもなってしまう。



「恐らく、キャルベリアはガゼット出身なのだろう。でなければ、彼らが姿を現す理由がない」

「ええ。ロクマリア王宮の出だと伺っていましたが、そこから王宮に出仕していたと考えれば辻褄が合う。…………そして、ガゼッタの大鷲領は確か、妖精の王族と人間の王族の婚姻が盛んでしたね」

「あの土地は、独自の教会文化が栄えた土地だ。聖堂妖精達が大きな力を持ち、土地の人間は彼等と共存していた。…………その地の妖精との混ざりものとなれば、…………キャルベリアは、王族なのだろう」



(…………あ、)



そこで漸くネアは、様々な情報が一本の線になるのを感じた。


ヴェルクレアに亡命し、多くの人間達を殺した罪で投獄された魔術師は、隣国の王子であったのだ。

となれば、彼を収監していた伯爵領の悲劇にも、その亡命を受け入れた国側にも、何か含みがあったのではないだろうか。



「ってことはやっぱり、今回の一連の事件は、そいつ等の筋書きなんだろうね。…………一応アルテアには連絡をして、国境域を押さえた方がいいって伝えたけど、こちらが後手に回ったのは否めないかぁ………」

「…………ちち……国王がキャルベリアの処刑を禁じていたのは、彼が、王族だと知っていたからかもしれない。ガレンからは、彼が残した魔術の解析が終わる迄は処刑は望ましくないと意見書を送っていた。その事情が考慮されたと思っていたが、政治的な思惑があって、あの判決だったのだろう」

「やれやれ、こちらの被害を未然に防げたかもしれない情報です。あちらには、正式なルートで抗議文を上げましょう」

「……………そうだな。ダリルに手配させよう」



疲れたように目を伏せたエーダリアは、キッシュを一口頬張り、ほっとしたように表情を緩ませた。

こんな時はやはり、美味しい食事の力はとても偉大なものなのだ。



「そうなると、件の死者は、ガゼットの方へ抜ける頃合いだろうね。僕なら少なくとも、陽動と同時に国境を越えるようにするだろうなぁ」

「…………ああ、そうなるだろうな。今回の一件は恐らく、彼の履歴を知った上で国外への逃亡を阻止せんとするに違いない、国王派の目を欺く為の陽動だ」

「まぁ、実益も兼ねた陽動だね。ほら、国王派への嫌がらせには最適だと思わないかい?」

「………嫌がらせ、なのですか?」


目を欺くという理由は分かった。

キャルベリアの履歴を内々に知っていたに違いない国王派が国境域の警備を強化していたにせよ、死者の国から戻ったかの魔術師の真意は、測りかねていた筈だ。


だからこそ彼らは、キャルベリアの目的が復讐に見えるように動き、それを陽動としたのだろう。


自分の罪を暴き、有罪に導いたアリステル派への報復をしたいだけなら、今日の、死者の国への扉が閉まってしまう前に行わねばならない。

けれども、妖精への転属を最優先させるのなら、報復は優先して行う必要はないのだから、まずは、どこかにひっそり籠って儀式を行うだろう。


つまり、ガーウィンとウィームへの襲撃を行えば、少なくとも一定数の者達の目を、国内に向けることが出来る。



(…………各地への襲撃を行う事は、陽動だけではなく、国王派への嫌がらせになり、尚且つ、その人はガゼットで大きな力を持っていた辺境伯の王族の出だと言う…………)



「まぁつまり、そいつはずっと、ガゼットの人間だったって事なんだろうね。亡命にどんな理由を付けたのかは知らないけれど、ロクマリアの滅亡後もガゼットは独立して上手くやっていたし、その中でも大鷲の領地は力を持っていた土地だ。………諸外国に豊かな独立国として狙われる事を見越して戻らずにいたのか、或いは、大鷲の一族の中で内部抗争があって姿を隠す必要があったのか、はたまた間諜だったのか。どちらにせよその人間は、いずれはガゼットに帰還する事を見越して全ての計画を立てている。…………ヴェルクレアでの活動は、その全てが、国に戻ってからの足場を作る為の素材集めだったんだと思うよ」

「それはつまり、…………信奉者の方々も含めて、なのでしょうか?」



ネアがそう問いかけると、こちらを見たエーダリアが僅かに目を瞠るのが見えた。

ふうっと息を吐き、ウィームの領主はどこか苦く微笑む。



「お前ですら、そのような予測が立つのだな。…………私は、ノアベルトに指摘される迄、そのような可能性には気付きもしなかったのだ」

「あら、それは、私の推理は他人事だからなのでしょう。第三者として遠くから全体像を見れる私とは違い、同じような道筋を知り、けれども、その方と土地や血筋を背負う者としての信念があまりにも違うエーダリア様はきっと、少し離れて見るという事がし難い案件なのかもしれません」

「そうかもしれないが、だとしても、想像出来るようにならなければならない。…………恐らくダリルには、そう説教されるだろう」



そう呟いたエーダリアは、じっと辛いスープを見つめると、おずおずと、隣のヒルドに辛い物を飲んでも大丈夫なのかを尋ねている。

どうやらエーダリアも、ネアと同じ懸念を持ったようだ。



(キャルベリアという人は、お弟子さんや信奉者の人達の心を掴み、……そして、事件を起こして自分をこの国での咎人にすることで、自分の支持者層にこの国への不信感を植え付けたのだわ…………)



それは、なんと狡猾で向こう見ずな罠だろう。

下手をすれば自分の未来すら閉ざされてしまいかねない作戦を実行したのだから、どこかに、絶対的な保証のようなものがあったのだろうか。



「裁判で争った事も、その方にとっては必要な工程だったのですね…………」

「そうでしょうね。あの裁判では、アリステルが、自身の求心力を上げる為にキャルベリアを陥れたのだという声も上がりました。明確な証拠が出揃い、キャルベリアが有罪となる頃にはそのような声は聞こえなくなりましたが、とは言え、彼は陥れられたのだと信じている者がいなくなった訳ではないでしょう」


ネアが知らないその時のことを、当時は王都にいたヒルドは良く知っているのだそうだ。

また、エーダリアも、ガレンの長としてその処遇を決める際に助言を求められている。



「キャルベリアの魔術として報告されていたのは、術者にしか解術出来ない遅効性の浸食魔術のようなものだったのだ。術者を殺せば解術の出来る致死性の高い攻撃魔術や呪いなどを扱っていたのであれば、私は、ガレンの長として、一刻も早く彼を処刑するべきだと進言しただろう。…………そうなってくると、極刑に処す訳にはいかないと誘導するよう、私も含め、多くの者達が利用されていた可能性もあるな」


ここでネアは、少しだけ眉を寄せた。


「どの道死者の国から戻られるつもりなら、すぐに処刑されておいても良かったような気がしますが…………」

「時期的な物もあったのかもしれないが、ヴェルリアでは、魂ごと砕く処刑方法がある。それは避けねばならなかったのだろう」

「あ、………!」


それはそうだと頷いたネアに、ヒルドはまだ厳しい表情のままだ。


「こうなってきますと、…………伯爵家の騒動にも、キャルベリアの信奉者が絡んでいる可能性が高いでしょう。今回の件が全て彼の計画通りであれば、伯爵自身が、…………例え彼を殺した事を明かしてしまったのだとしても、ある程度は取り込まれていた可能性すらあり得る。………ガゼットの聖堂騎士団をどうやってヴェルクレア国内に潜伏させたのかも含め、今後の調査課題は多そうです」





(…………キャルベリアという人は、どんな人だったのだろう)



だからネアは、もう一度そんな事を考える。


魔物達でさえ老獪な男だと評するバーンディア国王率いる国王派の目を欺き、もし、まんまと牢獄から抜け出して必要なものを国外に持ち出したのだとすれば、彼は、この国にとってどれだけ油断のならない相手となるだろう。


彼が意気揚々と連れ出したのかもしれない信奉者達は、この国を裏切りキャルベリアについた優秀な人材というだけでなく、それぞれの人生が、膨大な情報そのものにもなるのだ。



一度死んで、死者の日に地上に戻って妖精に成る。

転属の儀式を使って舞い戻るその彼は、死者でもあるのか、妖精でしかなくなるのかまでは、ネアには分からない。


だとしても、そこまでの覚悟をし実行するだけの力を持つ人物だと思えば、背筋がひやりとするような不安を覚えた。



「ネア、お前がガゼットの大鷲城に滞在した際、その中は空だったのだな?」

「はい。そのお話をした際も、エーダリア様は不審がられていましたよね…………」

「ああ。当時あの城を治めていた王は、本来なら王家筋ではなかった人物だと聞いている。息子である王子を残しての撤収があまりにも早く、不自然過ぎた。権力への執着が元々あまりなかったと考えれば不自然ではないかもしれないが、とは言え、その土地に古くから暮らしてきた貴族ではあったのだ。我が子すら残して全てを放棄するには、…………そう決断させるに相応の、他の執着が必要となる」

「…………うーん、その王が亡命したのって、カルウィだよね?」

「難しいところでしょうね。カルウィも利用されただけなのか、或いはカルウィこそが同盟の本命であったのか…………どちらにせよ、キャルベリアを国外へ逃がせば、近い内に、旧ガゼット域で大きな動きがありそうです」

「ヴェルクレアで冤罪をかけられ、死者の国から転属して妖精になって戻った王族か。古い時代の体制を惜しむ連中からすれば、この上なく美味しそうな肩書かもしれないね。ああ嫌だ。僕のものに手を出した奴なんて、早々に排除したいんだけど………」



視線を窓の外に向ければ、そこには、薄暗いもののいつもと変わらないウィームの風景があった。

正門に窓が向いているこの部屋からは、リーエンベルク前広場と、並木道の向こうに広がるウィームの街が見える。



(今日の私は、リーエンベルクから一歩も出ていないのに…………)



それなのに、こうして繰り広げられる話題は、なんて遠くを向いているのだろう。


あまりにも強烈な体験だったのでそうそう忘れはしないものの、ネアがガゼットに迷い込んだのも、昨日今日の事ではない。


けれども、その日に感じた疑問やあの場で行われていた何かが、こうして今更一本の線になろうとしている。

キャルベリアが捕縛される前の事を知っているエーダリア達からすれば、そんな思いはいっそう強いものだろう。



「ノアベルト、今回の事はグレアムにも共有させておいた方がいい」

「シル?」


それまで黙って話を聞いていたディノが口を開いたのは、ネアが、とは言え辛酸っぱいスープは美味しいと、意識を復活祭の昼食に向けていた時の事であった。


不思議そうに目を瞬いたノアが、何かに気付いたように、ぎくりとする。



「え、…………もしかして、そういう事?」

「その人間が扱おうとした転属の儀式は、恐らくは犠牲の系譜の魔術ではないかな。殺されたという人間達は、儀式上の贄の役割りを果たしたのだろう。そして犠牲の魔術は、対価に見合っただけの成果を得る事が出来る。今日、ウィリアムが傷を負った戦場は、ガゼットを侵略した国だった筈だよ」

「わーお。…………シルは、そこも、贄だったって考えているんだね?」

「その人間は、ロクマリア王宮にいたのだろう?あの国の滅亡は、同じような犠牲の魔術の顛末だったと聞いている。国一つを贄にして結ばれた魔術に気付いたのなら、小規模な形であれ、それを模倣しようとしていた可能性は少なくないだろう」

「ふーん。つまりそいつは、転属の儀式の完了と同時に贄を捧げて、犠牲の魔術対価で階位上げまでしようとしたって事か…………」



大枠では分かったような気もするのだが、とは言え細部が読み取れない。


話の内容についていけずに首を傾げていたネアに、ディノが、妖精への転属そのものは、かつての犠牲者の数で十分に事足りる筈なので、時間をかけて儀式を整えれば完成していなかった転属が叶う事、その上で、大規模な災厄で贄を加えようとしていたのであれば、転属後の階位を上げようとしたに違いないと予測されるという事を教えてくれた。



「…………という事は、ウィリアムさんが王都の崩壊を防がなければ、…………その方は、相当な階位の妖精として、転属していたのかもしれないのですね」

「陽動に過ぎない筈のウィームでエーダリアを狙ったのは、この国の王や自分を捕縛した者達への腹いせもあるのかもしれない。亡命者であれば、居住していた王都での行動制限など、数多くの魔術誓約をかけられていた筈だ。となると、王都は狙えない事になる。その結果、ヴェルリアに準じる国の要所、そして、その土地の為政者を狙って国の弱体化を図るというのも、よくある報復の手段だよ。だが、それは同時に、自身の階位上げに有用な贄でもあったのかもしれないね」

「成る程。ガーウィンの陽動では、その場に教え子がいたという。私も彼も、魔術的な階位という意味では、それぞれに重要な役職を得ているな。同階位の他の者よりはやはり、銘のある者を贄にする方が効果は高くなるのだ………」

「…………またあなたは、そのように…………」



思わずなのだろうが、キャルベリアの計画にうっかり感心してしまったエーダリアに、ヒルドは額を押さえて低く呻いた。


そのヒルドが自分を守って負傷したのだ。

真っ青になったエーダリアが慌てて謝り、ヒルドは、ちょっと慌て過ぎたのかぎゅっと手を握ってきてしまった教え子に、目を丸くしている。



(今年は、…………誰も逃げ沼には落ちないで済んだけれど)




暫くすると、街の見回りの騎士達から、襲撃事件に参加した者達以外には、ウィーム内に潜伏している者はいなかったと報告が入った。


これは、グラストの負傷を経て、怒り狂った見聞の魔物が、持てる力の全てを使って調べ上げた結果である。


また、大聖堂付近での大きな襲撃事件があった為、いつもの復活祭につきものの小さな事件は、現時刻迄の報告では昨年よりも少ないようだ。



「今回の件を踏まえ、エーダリア様は、通常時のようにガーウィンでの復活祭の儀式に参加せず、今年はウィームでの儀式となりました。これは、土地の魔術の揺らぎが大きい年にも適用される事ですが、どちらで儀式を執り行うのかは、三日前までに決定します。少なくとも、その段階で作戦の変更が可能になるよう、予め何手かの予備はあったのでしょう」

「シル、…………アルテアからの連絡はあったかい?」

「いや、こちらの襲撃についてネアが連絡を入れているけれど、そこにも、まだ返事はないようだね。けれど、その者の目的が国外に出る事であった方が私としては都合がいいかな。アルテアからの返事が遅いのは、そちらが本命であったからだろう。悪い知らせではないと思うよ」

「ありゃ。それもそうだね…………」



そう微笑んだ魔物に膝の上に持ち上げられ、ネアは、こちらもこちらで困った魔物であると眉を寄せた。


エーダリア達への襲撃が、とは言え所詮は陽動や贄の付録であるとなれば、確かにキャルベリアの目はこちらに向いていない事になる。


また、もしガゼッタが彼を中心に再興されるとなっても、その対処をするのは主に国王派であろう。



しでかした事は許し難く、厄介な脅威となりかねない人物が王位に就くのは脅威でもある。

だが確かに、そうして起こるであろう事態は、ウィームにとっては最悪の展開ではないのだろう。



例えば、それだけの力と人脈を持つ彼が、国の歌乞いというものへの怨嗟を育て、執拗にネアを狙ってきた可能性もあったのだ。

国造りに野心を傾けてくれていた方が、遥かに心に優しい。



「うん。だからもう、安心していいよ、ネア」

「むむ、…………その方の矛先が、この国に向いたらと思うと少しぞわりとしますが、今日を脅かすものがこれ以上ないのであれば、安心して食後のデザートをいただきますね。ですが、そやつにどこかで遭遇した場合は、ヒルドさんの羽の一件の恨みは果たしてみせます…………!」

「その人間は知らないのかもしれないけれど、特定の魔術には、その系譜の王の、魔術支配がかかるんだよ。犠牲の魔術を用いて己の運命を変えたのであれば、そうして自らが首にかけた鎖は、生涯外す事が出来ないものとなる。ましてや、固有魔術の模倣は、その魔物の名前の響きを借りるようなものだ。後は、問題があればグレアムが対処してくれるようになるだろう」

「…………なぬ」



あまりにもあっさり語られた事に慄き、ネアは思わずエーダリアと顔を見合わせてしまった。

エーダリアもそのような事は知らなかったのか、茫然と目を瞠っている。



どうやらキャルベリアは、魔物達にとってはさしたる脅威にはならないようだ。

それはあくまで、個人としての問題なのだとしても、そうして枷があると知るのは安心材料になる。




「やれやれ、久し振りに動けなくなったな…………」

「ウィリアムさん!」



そこに、無事に仕事を終えたウィリアムが到着し、ネアは、ぱっと顔を輝かせた。


こうして見ていても、治癒済みなのかどこにも怪我などは見当たらないが、口にした言葉の不穏さに、慌てて昼食を提案して労う事にする。


アルテアからのカードには新しいメッセージはなかったが、今回の事件の流れをウィリアムに説明しているノアの姿を見ていると、これでもう今日は、怖い事など何も起こらないような気がした。





お話の都合上、明日分の更新と今日のお話を合わせてしまいましたので、明日の更新のお話は少なめになります…。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ