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バルバと竜と焼きスグリ 1




その日は良いバルバ日和であった。

日差しは暖かいが、柔らかな風はひんやりとしている。


木陰の涼しさはバルバに使う建物の中の気温を素晴らしく丁度良く整えていて、ネアは、これからお腹いっぱいに美味しい棘牛などをいただくのだとぐいんと伸びをした。


建物の窓のステンドグラスの装飾部分から、色のついた影が足元に伸び、そこに木の枝の影がレース模様のように重なった。

そんな影の上をちょこちょこと走ってゆく生き物の輪郭に、窓の方に歩み寄ったネアは、木の枝の上を歩いているココグリスを発見して笑顔になる。



「……………浮気」

「あら、なかなかのもふもふだなとは思いましたが、ムグリスなディノには到底敵わないもふもふです。ただ、これからの季節はムグリスになる際には日差しに気を付けないとですね。…………むむ」



すっと差し出された三つ編みに、ネアはゆっくりと手を伸ばした。


最近のこの魔物は、どうやら髪の毛を毎回引っ張って貰うのが一般的ではないようだぞと気付きつつある気もするのだが、すっかりお気に入りになってしまった愛情表現を手放す気はないようだ。


しかし、気付いてしまった真実から目を逸らしているからか、三つ編みを手渡す仕草に僅かな背徳感が滲んでしまう。


それは、この行為において、もっともいけない状態付与ではないか。


ネアは、恥じらうにしても後ろめたそうに恥じらうのはやめ給えの心持ちで三つ編みを引っ張ってやり、そうするといつもの目元を染めた魔物が、目をきらきらとさせて嬉しそうに微笑むまでを見守った。

どうやら今後は、受け取った三つ編みを早急に引っ張り、こちらの無垢な喜びの表情に変化させる必要がありそうだ。



「…………そして、既に青い胡瓜にしか見えない鯨さんが籠に入れられて用意されています。…………こんなに胡瓜なのに、なぜ鯨なのだ………」

「これは、……………何だろう」

「むむ、…………岩…………ではなさそうです。今年はもう、抵抗する時間が無駄だと悟ったものか、素直に棘牛を捌きに行ってしまったアルテアさんが戻るまで待ちましょうか」

「うん。………植物の系譜の魔術の残滓があるから、………岩ではないかもしれないよ」

「まぁ。こんなに灰色でごつごつしているのに、岩ではないのですね」



今日は、ダナエ達とのバルバだ。


先日の境界の竜の事件で共に戦ってくれた優しい春闇の竜は、その後、アイスケーキにはまってしまい、三日連続でお店に通ったらしい。

街中の人気店なので、お店の在庫を食べ尽くしてはいけないとバーレンに窘められ、一日二十個で我慢して三日に分けて通ったのだそうだ。


しかし、擬態してはいても、滅多に見かけられない竜種だとどこかで露見してしまうものか、ウィームの魔術大学の講師達が近くのテーブルから凝視してきてとても怖かったのだとか。


ダナエは色々なものを食べてしまう悪食の竜として、ウィーム以外の土地では恐れられている事が多い。

だが、この土地では領民を傷付けないと約束してくれているので、大学の講師陣も安心して観察出来てしまうのだろう。



「あれ、まだ始まってないんだね。良かった!最初から全部食べられそう!」

「ゼノ、グラストさん、お帰りなさい。お花さん達の抗議活動は落ち着きました?」

「いや、今回はなんとか収められましたが、あれは長引きますね………」


そこにやって来たのはゼノーシュとグラストで、こちらの二人は、直前まで工房街で街の騎士達の手に負えなかった騒ぎの収拾にあたっていた。

硝子の加工をする工房から出る煙が我慢ならぬと、歩道沿いの植え込みに暮らす花の妖精達が荒ぶったのだという。


人外者達と上手に共存しているウィームでも、時折、そのような諍いが起きる。


道に寝そべっての抗議活動をされてしまうと、荷運び用の馬車が通れず大迷惑なので、今回はひとまず、グラストが妖精側の代表者を説得して、野生の生き物に配布する用に作られている砂糖菓子を与えて宥めたらしい。


しかし、工房主にも勝手に移住してきたくせにという言い分があり、元々そこに植えられていた煙草を追い出されてしまった積年の恨みがあるのだとか。

両者の主張が平行線を辿っているようなので、なかなか長引きそうな事案である。



あらためて対応策を検討しなければと苦笑したグラストは、柔らかな琥珀色の瞳を細めて、バルバへの期待に目を輝かせたゼノーシュを見て微笑む。



(……………最近、グラストさんが若返る事はなくなったけれど、)


美しさに於いて飛び抜けた魔物達がいると、ついつい視線を滑らせてしまうものの、グラストもまた魅力的な男性である。


少し年上の男性が好きなご婦人達が色めき立つのも分かるような、どきりとする程に魅力的な表情を浮かべる時があって、ネアは、それをゼノーシュを見て微笑む時だと思っていた。


騎士らしいしっかりとした体格に柔らかな陽光のような端正な面立ちは、目元の微かな皺が何とも言えない味わいになるのだ。

そんなグラストと、檸檬色の瞳をきらきらにした美少年のゼノーシュの組み合わせは、見ているだけで幸せになれる組み合わせと言わざるを得ない。


ゼノーシュが嬉しそうにしていると、グラストが幸せでならないという目をするのが堪らないのだ。


(きっと、ご親族や、お屋敷に勤める方々は、こんなグラストさんを見たら嬉しくなってしまうのではないかしら…………)



グラストは、妻子を亡くしている。

こんな優しい目をする人が愛する人達を失った日々は、どれだけ暗く寂しいものだった事だろう。

当時はまだ歌乞いではなかったグラストは、当然ながら家族との交流も多かったらしい。

であれば、彼の家族は、そんな息子や弟の姿をどんな思いで見つめていたのか。



(今はもう、滅多に会う事もないそうだけれども、それでも家族が幸せにしていてくれれば、きっと安心する筈だから…………)



歌乞いとなった者を聖人として一族から除外する文化は、これからも続くのだろう。


そうして疎遠になってしまうのをネアは悲しく思うが、悲しむ余裕があるのは、幸運な事にディノが鷹揚な魔物であったからだ。

ゼノーシュですら、グラストが家族と保っている一定の距離を狭めていいとは言っていない。


それでもここには、生き方を制限するような狭量な魔物と共に生きてゆく事で得られた幸せな形がある。

小さな魔物の頭を愛おしそうに撫でるグラストは、とても幸せそうに見えた。



「わぁ、これ鶏肉と乾燥させたトマトとチーズの!僕、これ大好き。いっぱい食べられちゃうんだよ」

「ふふ、私もこの前菜は大好きなんです。羊さんのチーズと、バジルの香りがとっても合っていて、乾燥させたトマトの塩味と旨味が、鶏肉をぐぐっと美味しくしてくれるのですよね」

「うん!あ、丸薬スグリがあるんだ。わぁ、久し振りだから嬉しいな」

「むむ、ゼノはこの岩的な物の正体を知っているのです?」

「スグリの一種で、この表皮が凄く硬いんだよ。スグリの茂みに雷が落ちると変質して生えてくるもので、ゆっくり皮を焼いてから割って食べると、焼き林檎みたいで凄く美味しいの。種の部分が熱されると溶けてバターみたいになるから、ネアは好きだと思うよ」

「は、早く食べてみたいです!じゅるり………」



教えて貰った丸薬スグリの情報に、早くも心がバター載せの焼き林檎になってしまったネアは、びょんと弾んだ。

しかしその途端に、がしりと肩を掴んで押さえてくる悪い魔物がいるではないか。



「おい、弾むな…………」

「むむぅ。期待と喜びに弾んでこそ、バルバのお作法と言えましょう。これは世界的な共通言語なので、決して誤りではないのですよ?」

「初耳だな。…………ダナエ達はまだ戻らないのか」

「ロマックさんのお勧めチーズを受け取りに行った筈なのですが、……………あの方はチーズについての質問を受けると、ついつい饒舌になって沢山の試食を出してきてしまう癖がありますので、少し時間がかかっているのかもしれません」


ネアがそう説明するとアルテアは怪訝そうな顔をしたが、ここで、椅子に腰掛けて居眠りしていたノアががたんと体を揺らしたので、視線をそちらに向けた。


どこに外泊したのか、朝帰りをしたばかりの塩の魔物は、結婚生活の良さを恋人に朝まで語られてしまい、へろへろになっての参加である。

バルバを楽しむ為にと、今は直前までの体力回復に努めている。



「……………ありゃ。もう終わっちゃってないよね?」

「まだ始まっていないので大丈夫ですよ。短くても深い眠りに入ると、そう感じて焦る事がありますよね………」

「…………あ、良かった。寝過ごしたかと思った」

「おい、そこをどけ。火を入れるのに邪魔だ」

「わーお。アルテアが冷たいぞ。この前、ちびふわを床に落としてからかな………」

「あれには私もひやりとしましたが、幸い身体能力の高いちびふわでしたので、しゅたっと着地して事なきを得ましたね。ただし、抱っこしてくれると思っていたのに落とされた驚きでけばけばでしたので、根に持っているかもしれません」

「うっかりだったんだけど、怒っちゃったかぁ…………」

「アルテアが…………」

「そんな理由な訳があるか………。邪魔なだけだ」



うんざりしたような顔でノアを移動させ、温度を低めにしておく方の網にも火入れしている魔物は、戦争を引き起こしたり人間を破滅させたりする悪い魔物なのだが、今日はデザートのタルトを持って来てくれ、尚且つタルタルを作ってくれるバルバの魔物である。


ネアは伴侶の三つ編みを引っ張ったまま近寄り、美味しい時間の準備をじっくりと観察した。


今日の会場は、昨年のネアの別宅の敷地内ではなく、元々バルバ会場として使われてきた、リーエンベルクの敷地内にある魔術試験会場にも使われる温室に戻った。


幸いにも今年は疫病の竜は現れなかったようで、ネアの大事な使い魔ご飯の作り置きも、破棄されずに済んでいる。


木漏れ日を最も美しく透過させるという森水晶と湖の結晶石を使った窓の澄んだ輝きに目を細めていると、温室の中央にある炉にかけられた料理用の網がぱちりと音を立てた。

温室内で火を焚いてしまっても、この温室の枠組みになっている石化した楓は、過分な温度を逃がし室温を調整するものなので、暑くなり過ぎるということはない。


春先なので外でやっても良かったのだが、実は一昨日からこの森で食いしん坊なもふもふ精霊が荒れ狂っており、焼き網に突撃される危険があるのでと屋内開催になっている。

外の木に繋がれていた棘牛は、ネア達がこちらに来る前に解体されてしまったので、今年はワンワン鳴いている牛とは出会わずに済んでいた。



「すまない、遅くなったな。西門の前に小さな悪食が出たのを、ダナエが対処してくれていたのだ」


かちゃりと扉が開いて入って来たのは、どこかほっとした様子のエーダリアだ。

一緒に戻ってきたダナエは口をもぐもぐさせているので、その悪食とやらは食べてしまったらしい。



(こんな時、その線引きを面白く思うのだ……………)



先日の水路に現れた境界の竜の事件では、きちんと負荷を退ける発言をしていたダナエだ。

だが、こうしてリーエンベルクの周辺に現れたものについては、報酬などを渡さずとも対処してくれている。


それは多分、今回の悪食な何かが美味しかったからというだけではなく、この場所は自分のお気に入りの領域として線引きの内側に入れてくれているからなのだろう。

仕事として引き受けてくれた水路の問題と、リーエンベルクを脅かすものとでは、ダナエの関わり方も違う。


蝕の時に力を貸してくれたダナエは、わざわざ駆け付けただけでなく、騎士達の事までを案じてくれていたくらいなのだ。



「食べてしまったのかい?」

「美味しかった。もう一匹いても良かったかな…………」

「わーお。美味しかったんだ…………」

「今回のものは、蔓紫陽花の悪食でしたからね。果実が食用になる植物でしたので、ダナエの口に合ったのかもしれません」


朝露で濡れたらしい羽先を指で拭いながら、そう苦笑したのはヒルドに、ネアはぐりんと振り返る。

蔓紫陽花なる植物の果実は未履修であったぞとさっとアルテアの顔を見れば、お前の可動域では食べられないからなと悲しい事実を告げられた。


「ほぎゅ。……………食べられないのです?」

「結実の系譜の実は、魔術階位が高い。薬用にすれば系譜の魔術が変わるが、食用では扱えないだろう」

「何てことでしょう。せめて、どんなお味なのかだけでも……………」

「ほお、お前の好きな無花果に似た味だと知っていいのか?」

「ぎゃ!何という残酷さなのでしょう……………いちじく」



あまりの悲しみに打ちひしがれ、ネアは小さく項垂れた。


しかしそれも、参加者が揃ったのでと、アルテアが早速あざみ玉を焼き始める迄の事だ。

ヒルドは、ニワトコのシロップを使った飲み物を配り、ネアは、淑女らしくお手伝いをしている風を装おうとしてうろうろする。


「ったく。タルタルでも食ってろ」

「は!タルタル様!!」


しかし、お手伝いをしている風を装う前にタルタルで鎮められてしまった淑女は、幸せな気持ちでふすんと着席した。



「……………バルバ」


そう呟いたのは、嬉しそうにふにゃりと微笑んだダナエである。

この春闇の竜は、選択の魔物が監修するバルバが大好きなのだ。



「今年も来られて良かったな」

「うん。リーエンベルクのバルバは好きだ」

「先日は、力を貸して貰えて助かった。ウィーム領主として、あらためて礼を言う」

「いや、こちらこそ毎年世話になる。これは、カルウィの北部で作られる砂糖と夜陽炎の酒だ。ダナエと、ウィームの住人はあまりカルウィに行けないだろうと話して土産にしたのだが、問題ないだろうか」

「おや、カルウィの酒ですか。含みのない流通が難しく、ウィームでは手に入る機会が滅多にない物ですから、このような機会でもなければ口にする機会がない物です。有り難く頂戴しましょう。……………エーダリア様、折角ですので、ここで開けましょうか」

「…………これは、兄上が前に話していた酒だな」



ダナエとバーレンは、何やらウィームでは入手困難なお酒を持ってきてくれたようだ。

ゼノーシュがとても美味しいお酒で肉料理に合うと教えてくれたので、それではここでとすぐさま魔術で冷やされる事になる。


グラスに注いでそのまま飲んでも美味しいのだが、一枚のミントの葉を入れて飲むとまた爽やかなのだとか。


その他の砂糖のお酒の例に漏れず、飲み終えた後に微かな砂糖の甘さが残るのが特徴だ。

それでいてもったりと甘くはならないので、砂糖の系譜のお酒はネアのお気に入りの一つでもある。



「焼き始めるぞ」



待ちに待った、そんな声がかけられた。


まだ少し眠そうな目をしていたノアが、おぼつかない手つきでグラスに手を伸ばし、グラスを倒さないようにとヒルドに叱られている。

エーダリアは貰ったお酒のラベルを夢中で見ているところだし、グラストはゼノーシュに食べる順を説明されて優しく微笑んでいた。


それは、なんて幸せな食卓の風景だろう。


お客様なダナエとバーレンを見ると、そこにいるのは、ネアが子供の頃に物語本で憧れた竜達なのだと思い、不思議な感動を覚える。



「はい!私のお皿は、いつでも重ね置きを許可しておきますね」

「腰は残しておけよ」

「……………むぐぅ」

「わぁ、今年は棘雉もあるんだね」

「なぬ。初めての食材です…………。雉という事は、やはり鳥さんなのですか?」

「竜と牛の間の生き物なんだよ。凄く美味しいから、ネアも好きになると思うよ」

「雉とは………」



雉とは何なのだろうと首を傾げたネアは、もはやこの世界での鳥類については、以前の世界と同じような運用を期待してはならないと自分に言い聞かせた。

そもそも、雷鳥がタオルハンカチで梟がかさかさの包装紙だった段階で、早々に見切りをつけるべきだったのだ。



「ネア?」

「は!ついつい命名の謎に触れていました。そんな事よりも、バルバの開始に乗り遅れてはなりませんね!」

「可愛い。弾んでしまうのだね………」

「このいい匂いには、弾まざるを得ません!」



じゅわっと音を立てたのは、網の上に置かれた塩だれの鶏肉だ。

何でも美味しくいただくがやはりお肉が好きなダナエの為に、鯨や野菜などのさっぱりめの焼き物よりも早く置かれる特別区画の鶏肉である。


香辛料と鶏皮の焼けるいい匂いにくんくんしたネアは、その手前に並べられてゆく青い胡瓜としか思えない鯨からさっと目を逸らす。

焼き上がって食べると美味しいのだが、こうして並んでいると異世界の鯨の在り方に心が彷徨い出してしまうのだ。


あざみ玉のホイル焼きもごろんと置かれ、オーブンでしっかり火を通さなくてもいいような具材を選んだ、バルバ用の簡易グラタンも火にかけられる。

水色のグラタン皿の夜露の魔術が、火の魔術に反応してしゃわんと煌めいた。


アルテアの一言を開始の宣言とし、ネア達は、まずは爽やかな飲み物からグラスを交わす。

焼き物を並べ終えてグラスを手に取ったアルテアも、リーエンベルクのニワトコのシロップは気に入っているらしい。

外ではあまり飲まないというニワトコの飲み物を飲んでいる姿を、リーエンベルクではよく見かけた。



(食事に使われる道具に夜の系譜の品物が多いのは、美食を司る時間の座が夜だからであるらしい……………)


また、夏の系譜の者達よりも、長い時間を家で過ごす季節を司る冬の系譜の者達の方が、美食家が多いようだとゼノーシュに教えて貰った事があった。

ウィームの食べ物が何でも美味しいのもそれでかなと考えたネアは、この素敵な土地に呼び落としてくれた伴侶に心から感謝している。


ネアという人間の適性を見誤って常夏の陽気な国などに招かれたら、最初の一年を生き延びられたかどうかすら分からない。

粗食の国であれば、せっかく異世界に来たのにと憤死したかもしれないではないか。



「ディノ、何か取って欲しいものはありますか?」

「ネアが甘えてくる……………」

「このお魚の前菜は、ディノの苦手な物はないので取り分けますね。タルタルを美味しくいただく為に、今飲んでいる物が終わったら、シュプリにしますか?」

「君が持って来たのは、蒸留酒かい?」

「はい。ジンの魔物さんのいた醸造所で買った、雨の祝福と木苺のお酒を持ってきました。こちらがよければ、いつでも言って下さいね」



前菜の中でも目を引くのは、洒落たお皿などではなく白い琺瑯のバットで用意され、それが何だか素敵さを増してくれるカルパッチョ風の鮮魚のお料理だ。


細切りにして舌触りを良くするために軽く湯通ししたセロリと紫玉ねぎがたっぷり盛られていて、薄く削ぎ切りにした白身の魚によく映える。

そこに酸味と香りを加える為に使われた雨霧檸檬の黄色が加わり、ネアは専用のタルタルボウルを受け取りながら、そちらもすかさず小皿に取り分けた。



「……………あぐ!」

「可愛い…………」


椅子の上で弾み上がりながらタルタルを頬張る伴侶に、ディノは目元を染めている。

そんなディノのお皿にも、ネアは忘れずに鮮魚の前菜を取り分けておいた。


「タルタルという素晴らしい文化に出会えたことを、心から感謝するばかりなのです…………」

「……………美味しい」

「まぁ、ディノは今年のあざみ玉に出会ったのですね?」

「うん。このソースは何だろう…………」


タルタルの神域にいたネアの隣で、ディノは、手際よく色々なものを焼いてゆくアルテアから、蒸し焼きのあざみ玉をお皿に届けて貰ったようだ。

回しかけられたソースは、ネアが自分のお皿にもやってきたあざみ玉を解析したところ、大蒜と唐辛子に塩胡椒とオリーブ油を加えたものであるらしい。


「はふ!」

「おい、火傷するなよ」

「……………お母さんです」

「やめろ……………」



(……………わ、いい匂い!)


ふわっと香るのはオレガノだろうか。

しっかりと味が入ったあざみ玉は、熟れる直前の甘さが控えめなものを選んだようで、蒸し焼きにしてほくほくといただける。


「バターも載せてあるようですね。この味付けで、美味しくない筈がありません」

「…………美味しい」

「ディノがすっかり気に入ってしまいましたので、あざみ玉が食べられる季節の間に、市場であざみ玉を買ってきてやってみましょうね」

「ご主人様!」



万象の魔物にあざみ玉の流行が訪れている間に、エーダリアやダナエ達の間には、雨の花のチーズ焼きの波が来ていたようだ。


見目麗しい男性達が、じゅわっと蕩けるチーズをかけたピンク色の雨の花を目を輝かせて食べている姿は、何やら心温まるものがある。


その奥でひっそりタルタルをちびり食べしているバーレンは、意外にマイペースなのかもしれない。

その食べ方を好むのであれば、隣で焼き立ての塩だれ鶏を丸鶏のままぱくりと食べているダナエとの普段の生活はどうなっているのだろうかと、ネアは真剣に考えてしまった。



「そう言えば、この前夜の海流しを見た」

「まぁ、それはどのようなものなのですか?」

「海に小舟を浮かべ、そこから月の祝福石を取り付けた小さな紙片を空に浮かべる祝祭ですよ。ネア様はご覧になられていなかったのですね」

「とても素敵なものだという気配を察知しました……………」

「そうか。お前はヴェルリアの海流しに参加した事がなかったのだな。だが、王都の祝祭は荒っぽいところもあるので、街中を歩くには危険もあるかもしれない。もし見に行くのであれば、ディノに相談して安全なところから見てみるといい。我が国の海流しは秋になるが、他国ではこの時期に行われると聞いている」

「うん。この大陸に、二番目に近い島だったかな」


その国での海流しは、一般的な月の祝福石ではなく、流星の結晶を使うのだそうだ。

しかし、ふんわりと浮かび上がって空に昇ってゆく月の祝福石と違い、流星の結晶は、しゅわしゅわぱちんと跳ね回ってしまう。


その結果、うっとりと美しい煌めきを眺める海流しが、その国では跳ね回る流星の結晶から逃げ惑う賑やかな祭りになるのだそうだ。


「え、逃げ惑うのに、何で毎年流星の結晶を使うのさ。海流しの役割って、取り付けた願い符を空の魔術に紐付けて、海辺の生活者の安全を祈願するものだよね?」

「星の祝福に近しい土地なのかもしれないね。……………アルテア?」

「あの島の海流しは、厄払いの意味合いも強い。くれぐれもこいつを近付けさせるなよ」

「ふむ。アルテアさんがとても事故りそうな気配を感じますので、渡航の際には気を付けて下さいね」

「なんでだよ」


ぶちんと、網の上の青い胡瓜な鯨焼きの仕上がる音がした。

ネアは人知れずに小さな動揺を押し隠し、これは鯨焼きであると自分自身に言い聞かせる。

表面のしんなり具合といいどう見ても青い胡瓜なのだが、こうして皮が破れて焼き上がりを示したところでいただけば、脂ののった美味しい白身のお魚なのだ。


この鯨焼きがすっかりお気に入りのダナエは、目を輝かせてお皿を差し出している。


「前から思ってたけど、エーダリアも鯨焼き好きだよね」

「ああ。味わいもそうだが、我々人間は、旬のものを食べると、祝福や魔術の巡りが整えられて体にいいのだ。とは言えウィームでは新鮮な鯨はあまり手に入らないからな。こうして食べられるのは有難い」

「そっか。保有じゃなく循環だと、そうやって体の中の流れを整えるのかぁ」

「保存食ばかりを食べる人間は匂いが変わってしまうから、季節の物は食べた方がいいと思う」



そう教えてくれたのはダナエで、どれだけ痩せた土地でもやはり、土地の旬の物というのは口にした方がいいのだそうだ。

季節に応じた魔術の変化を作れない人間は、そうして体を整えるのである。



「……………むぐ」



ネアは、ナイフで切れ目を入れて真ん中から割ると、相変わらずのソーセージかなという様相を曝け出した鯨に少しだけ慄く。


こんな物体がどうやって川を遡上するのかは謎しかないが、そう考えるとカワセミの生態なども謎めいてくるので、深く考えたら負けだと重々しく頷く。


とは言え人間はとても大雑把な生き物でもあるので、前回もとても美味しかったおろしソースをかければ、後はもう、はふはふと美味しくいただくばかりだった。


食べ始めてしまうと、内臓類や骨などがない鯨は、味も良い上にとても食べやすいと認めるしかない。



「君は、鯨の見た目は苦手なのだね」

「…………はい。ですが、こうして食べるととても美味しくて幸せな困った鯨焼きなのです。ウィリアムさんから、開いた身を甘辛いたれで串焼きにした物も美味しいと伺ったのですが、その場で食べに連れて行って欲しいとは言えませんでした……………」

「ああ、あの調理法も美味いな。以前、港町で食べた事があるが……………ダナエ?」

「………それは知らない」

「あ、ああ。お前に出会う前の事だ。……………今度、食べに行くか?」

「行く」



(……………美味しそうなのに!)



微かな憧れに胸が痛んだが、とは言えネアは、複雑な思いを抱えていた。

乙女の繊細な心も困ったものだなと苦い微笑みを浮かべていると、あざみ玉を食べていたアルテアが、呆れたような目でこちらを見るではないか。



「全体像が分からなければいいんだな。今度、調理したもので出してやる。身だけで盛り付ければ問題ないだろ」

「は、はい!」

「ありゃ、相変わらずアルテアは甲斐甲斐しいなぁ」

「アルテアなんて……………」

「ダナエ!その鯨は四本目だろう?!」

「……………安心しろ。今年は数を増やしてある。七本までなら構わない」

「もう三本食べれる……………」



賑やかなバルバの席で、ネアはふと、岩のようなスグリがごろんと動いたような気がした。

しかし、じっと見つめると動いている様子はなかったので、気のせいだったのかもしれない。











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