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茨の杖と繊細なリボン




ウィームには、多くの奇祭がある。


いや、正確には奇祭だと思っているのはネア達や魔物達くらいで、ウィームの領民達は当たり前のようにそれを受け入れている。

伝統の祝祭なのだ。


例えばそれが、食べ損なわれたクッキーが荒れ狂うお祭りでも、あちこちに尖った棒が現れて清らかな乙女ならぬ単身者であれば誰でもと言わんばかりに男達を拐うのだとしても。



そして、とても利己的な人間は、そんな祝祭に備え、儀式制服であるドレスを持ち上げて悲しみに打ち拉がれていた。



尖り棒祭り、もしくは茨の杖の祝祭と呼ばれる日の三日前の事である。



「……………みゅむ」


悲しく項垂れたネアの手には、しっとりとした艶のある生地のドレスがある。

ウィスタリアがかった水色は素晴らしく、可愛いらしいセーラー風の襟には繊細なレースが、そして腰回りには細いリボンを三重に通した何とも可憐な雰囲気のものだ。


しかし、そのリボンこそがネアを大いに苦しめていた。



「ネア、そのドレスが気に入らないのかい?」

「…………この腰回りの、繊細なリボンを見て下さい。あまりに細く、そして伸縮性もないものですので、場合によってはぷちりと千切れかねない危ういものだと言わざるを得ません………」

「そのようなものなのかな…………」

「わ、私の腰はとても括れていますが、しかしこれは、……………ぴったりと体に張り付くようなドレスなのですよ?」


悲しげにそう訴えたネアに、隣に座っているディノは、水紺色の瞳の表情を柔らかく細めると、そっと頭を撫でてくれる。

僅かに体を屈めたからか、淡い影が落ちる中で瞳の色が光を孕むよう。


その美しさに、強張った心がほうっと緩む。



「君が扱い難いものであれば、変えて貰おうか」

「…………そ、それでは、私の腰がこのドレスに耐えられないと告げるようなものではないですか。…………き、着る事は出来るのです!ただ、………このドレスで棒さんと戦えるかが分かりません………」

「……………棒とは、戦うのだね」

「はい。私の場合、お祭りの概要を知らないと危険過ぎるという事で、貴重なマロンクリームのおまんじゅう一つを対価にグレアムさんに教えて貰ったところ、…………戦いは恐らく避けられないだろうと確信した次第なのです」

「…………棒と」

「祝祭の魔術が整うと、どこからともなく現れる恐ろしい尖り棒なのですよ?」

「棒……………」



ディノはとても困惑しているが、それこそがまさに尖り棒祭りの主役たる存在である。

とは言え、対価を支払い教えて貰えたのは祝祭の起源と基本的な作法の大事な部分だけで、実際には体験してみないと分からないところも多いのだそうだ。



なぜ、尖り棒が祝祭になると荒ぶるのかと言えば、かつては物語にもなっていた、とある伯爵領で起きた古い事件が起源となる。


まず、聖堂か祠か教会という場所すらあやふやなどこかに伝わる、茨の杖と呼ばれる聖遺物があった。

これが、一人の不遇な青年を助け力を与えたることになり、後に、彼を破滅させた恐ろしい災となる。



聖堂か祠か教会などこかでその杖を手に入れた青年は、杖が宿した魔術の叡智から多くのものを得た。


物語として好まれたのはこのあたりのエピソードで、悪変した竜と戦ったり、疫病の薬に必要な薬草を探したりと、色々な出来事があったのだそうだ。

グレアムの記憶では、その青年は、元は小さな陶器工房の見習い職人だったらしい。



(グレアムさん曰く、その茨の杖は、聖遺物や魔術具ではなくて、銘のある武器のようなものだったのだろうという事だったけれど…………)



そんな品物に出会ってしまった青年の人生が、穏やかで平坦なものとはならなかったのは必定なのだろう。


まず間違いなく人ならざる者達の手で作られた、力のある武器を得た彼は、彼の暮らしていた土地を治める伯爵家を邪悪な災いから助け、最終的にはその家の一人娘の伴侶となった。


だがそうして得られた幸福こそが、青年を破滅に導く事になるのだ。


全ての冒険が終わり愛する人を得て幸せな日々を送るようになった青年は、災いから守ってくれた大事な杖を、丁寧に、けれどもどこかに仕舞い込んでしまった。


それこそが、大きな過ちだったのだ。


当人は、力のある道具だからこそ、無闇にその力を借りないようにしたらしいのだが、その辺りの配慮は、道具に伝わらなければ意味がない。

結果として荒ぶったその杖は、青年をどこかに拐ってゆこうとしたが、婚姻によって土地の他の名前を持つ者と結びついた青年をそこから引き離す事は出来なかった。


何とかその怒りを鎮めようとした伯爵家からも姿を消してしまい、その日以降、ウィームの各地で未婚の青年を拐う茨の杖の話が聞かれるようになる。

そして、災いを恐れた人々は、得体の知れない尖った棒を見ると、まさか茨の杖ではあるまいなと疑うようになった。



(…………その結果、茨の杖ではない尖り棒を、認知や因果の魔術によって呪物のような物に仕立て上げてしまったらしい…………)



だからこそ、祝祭の日に現れる尖り棒達は、噂で恐れられるように未婚の青年を拐うのである。

おまけに、本物の茨の杖ではないので、勿論、相手の選別などもしない。


名もなき尖り棒達は、未婚の青年を拐う危険な棒かもしれないという疑念から派生し、呪物と成り得た己の派生理由を象る為だけに行動するのだ。



(祝祭の当日は、…………あちこちから現れる尖り棒からの襲撃を躱しつつ、男性達が主導して鎮めの儀式を行わなければならない。女性は儀式制服を着て、そんな男性達が拐われないように、尖り棒を追い払う役目を担うのだとか…………)



勿論、男性達も自力で抗うのだが、なぜか祝祭の日は尖り棒に対する抵抗力が落ちる。

よって、大事な家族や仲間を守る為に女性陣が大活躍するのが、この祝祭であった。


残念ながら、家事妖精くらいしか女性がいないリーエンベルクでは、騎士達の家族が活躍したり、男達が自力で尖り棒を撃退したりとなかなか苦心していたようだ。


そしてそこに、今年はネアが初参戦するのである。

魔物達は恐らく狙われないだろうと言われていたが、尖り棒達は興奮すると周囲が見えなくなるようで、本来は獲物にならない筈の、人間以外の種族を襲う事例も報告されている。


(土地の魔術に守られたエーダリア様や、伴侶のいるディノは大丈夫だけれど、ノアやヒルドさんは危ないかもしれない…………)


なので、儀式に参加する者達は、母親や同僚でも構わないので、出来るだけ女性を同伴するのが望ましいと言われていた。



因みに本物の茨の杖は、きちんと青年に報復を果たし、作り手に回収されたらしい。


初回の襲撃を途中撤退としたのは、別に伴侶がいたから攫えなかったという事でもなく、たまたま伯爵家に残っていた古い魔術が彼を守ったというのが真実なのだとか。


当時、ウィームの王宮で働いていたらしいグレアムは、国王から事件の相談を受けてその伯爵家を訪れ、青年に、まだ杖の障りは続くのでくれぐれも油断をしないようにと忠告したらしい。

しかし、付与された守護はそうそう失われるものではないと考えすっかり油断してしまっていたその青年は、ある日、ささいな事から奥方と喧嘩をしてしまった。


愛情や親しみの心が守護の術式を繋いでいたことを、青年は知らなかったのだろう。

もしかすると奥方の方も、心を離してしまう事が、彼への守護を剥がしてしまうとまでは知らなかったのかもしれない。


だが、青年は茨の杖に連れ去られ、このような物語の顛末に相応しく、当然ながら生きて戻ることはなかった。



(グレアムさんは、その杖は、相応しい扱いをしておけば、生涯良き相棒になったのだろうと話していたけれど、…………)



だからつまり、手に入れた幸福を失わずに済むような選択肢も、最初からそこにはあったのだ。

けれども青年はその選択肢を誤り、大き過ぎる対価を支払う事になった。



使われた魔術の嗜好からすると、選択の魔術の仕掛けかもしれないなと話していたグレアムの言葉を思い出せば、ネアも、そうして運命の分岐を作るやり方はアルテアが好みそうだなとも思う。


となると尖り棒祭りは、ネアの使い魔の企みが起源なのかもしれなかった。



だが、考えてみれば、荒ぶる尖り棒達が現れ始めたのはアルテアのせいでもない。

与り知らぬ所でよく分からないものが現れてしまい、結果として、その理由を作った事件の記録は封じられてしまった。


尖り棒は認識や因果を糧とするので、茨の杖の記録を残しておくと、新たな尖り棒を生み出してしまう危険があったのだ。




(…………腰肉)



そんなお祭りの起源はさておき、ネアは、自分の腰肉を悲しい気持ちで掴んだ。


勿論、大人の女性に相応しいだけの分量は保有しているし、そうなると掴めないということもない。

だが、ここは強く主張させていただきたいのだが、種族的な体格の差というものもあるのだ。


例えば妖精の女性達は種族的にたいへん儚げであり、胸などがしっかりある妖精でも、腰回りや手首に足首などがぎゅぎゅっと細い。


そもそも、ネアとディノだって種族的な体格差があり、成人姿の魔物達は総じて人間よりも長身の傾向があるし、竜に至ってはそれよりも長身なので、女性であっても人間としては長身であるグラストくらいの身長であることも多い。


即ち、人外者との婚姻も珍しくなく、また生まれながらに人ならざる者達からの祝福を貰う事の多いウィームの女性達は、腰回りがぎゅっと細い魅惑の体形なのだとしても不思議ではないのだ。



「…………だから、このデザインを考えたウィームの皆さんが、ドレスを難なく着こなせても不思議はありません。………既製品のドレスは、どれもきちんと着こなせるのですよ?胸周りが苦しいものは時折ありますが、そこに、腰回りの肉量との因果関係はありません」

「………ご主人様」

「ウィームの女性達の平均身長の中では、私は標準くらいになります。食べ物の妖精さん達に好まれるようなもう少し小柄な方もいますし、竜さん達とかかわるお仕事の方には、すらりとした長身の方もいます。ですが、平均的な身長であり、既製品の服で苦労したこともない私は、やはり平均的な体型であると自負しても良い筈なのです…………」



静かな声で分析を披露すれば、ディノは、優しく微笑んでそうだと思うよとぎゅっと抱き締めてくれた。


だが、どれだけ慰めてくれてもこの魔物は伴侶至上主義に偏るので、少々参考にならないところもある。

冷静にそう考えたネアは、じっと見上げてディノを恥じらわせてしまいつつ、もう一度手の中にあるドレスを指先で撫でた。




このドレスは、祝祭の制服のようなものである。

祝祭の加護を織り込んだ特殊な織物を使って仕上げられる伝統衣装で、例えば、ディノが似たようなものを作らせても決して同じ魔術を宿す制服にはならない。


なので、祝祭用に作られた古いドレスを直しながら領民達が使い回しているのが現状で、ネアのものも、リーエンベルクに残っていたドレスを、アルテアがシシィ経由で直しに出してくれて届けられたところであった。


おいそれと、伸縮性のある生地に変更して欲しいと改良してしまう訳にもいかず、勿論、腰のリボンを毟り取ってしまうことも出来ない。



(それに、これが制服として成り立っているという事は、ウィームの女性達は腰のリボンには不服はないのだわ…………)




「…………アルテアの反応が、悲しかったのかい?」

「……むぐ。………使い魔さんは、ドレスを着た私を見て、思ったよりもぎりぎりだなと言ったのですよ。いつもの意地悪ですらなく、どこか深刻そうな顔をして、シシィさんの妹さんだというお針子さんと何やらこそこそと話し合っていました。おまけにその妹さんは、腰がぎゅっとなっていました…………」

「妖精と人間は、違うのだろう?」

「…………ふぁい。それでも、繊細な乙女は心が傷付いてしまうのです。おまけに、激しく動くとこのリボンが千切れそうなのは私にも容易に想像出来るので、あらぬ疑いをかけられたと腹を立てる事も出来ないのです」

「ネア、………君は可愛いし、どこにも余分はないと思うよ。このドレスだって綺麗に着ていたし、よく似合っていたよ。ただ、このドレスは儀式衣裳の趣が強いから、君にとっては動き難いものなのかもしれないね」



優しい声でそう言われ、ネアは、くすんと鼻を鳴らした。


誰かと比較されることで、一般よりも劣っているという評価がなされる危険を感じたからこそ、ネアの強欲さで磨き上げられた虚栄心が傷付き、こうして脆弱な心が抉られるのだろう。


だが、よく考えればディノという大事な伴侶が一緒なら何も怖い事はないので、もしお祭りの日に、腰のリボンがぶちりと弾け飛んでも、その屈辱に耐えられるかもしれない。




「…………当日、リボンが千切れても、ディノは私を見捨てたりしません?」

「私が君を見捨てる事なんてないのに、どうして不安に思ってしまうのだろう。ネア、君はいつだって可愛いよ」

「………もし、そんな事件が起きたら、魔術で、リボンが千切れていないように隠して貰う事は出来るでしょうか?」

「………そうだね、似たようなもので繋がっているように見せる事は出来るのではないかな。けれど、それよりも、千切れてしまわないように出来るかどうかを、エーダリアと相談してみようか?」

「…………ぎゅ。エーダリア様に、私の腰回り問題が露見してしまうのです?」



ネアはそれもとても悲しいと思ったが、すぐに考え直した。


エーダリアは、魔物達に混ざると頭ひとつ小さく感じられるものの、理想的な体型の美麗な男性だ。

しかし、同族の人間である。

ネアの体形が一般的であることは、きっと理解してくれる筈なのだ。



(ただの既製品であれば、胸元に引っ張られて生地が少し上がっているのでと言い訳出来るけれど、お直しされているものなのだから、そう言う訳にもいかないし…………)



狡猾な人間はすぐに言い訳を考えてしまうが、やはり正直に腰回りが不安だと言うしかないだろう。


何か懸念材料があるらしく、当日は同伴者を見繕って人間に擬態して出席するというアルテアが、どんな腰の細い美女を伴っていても、ネアは優しい伴侶の横に隠れていればいい。



「ヒルドに相談してみるかい?」

「むぐ。ヒルドさんは素敵に細いので、やはり同族であるエーダリア様にします。あまりにもこっそり感が出ても恥ずかしいので、ディノも一緒に来てくれますか?」

「うん。一緒に行くよ。…………ネア、今夜は好きなように食べて構わないんだからね?」

「…………おまんじゅうを貪り食らったばかりの私が、今夜は、クッキーやスコーンを食べても許してくれます?」

「困ったご主人様だね。君は好きなものを食べていて構わないし、もう二度と、食べ物で悲しい思いをして欲しくないんだ」

「ディノ…………」



今夜は、リーエンベルクに香油の原料となる花が届けられるので、夜に、ノア主催のお茶会があるのだ。


籠いっぱいに届けられる花は、リーエンベルクの契約している花畑から、そこを管理する妖精達の手で届けられるらしい。


摘んだ日の夜に月の光や雪明かりに当ててやるとより土地の魔術に馴染むので、今夜は庭にテーブルを出して籠の花を月の光に当てる事になる。


なお、流星雨の日は星の魔術でもいいのだが、星の系譜の生き物達が花を欲しがることもあるので注意が必要なのだとか。



そんな花籠を並べる日を利用し、夜に庭園で花籠を囲んでお喋りしようよと提案してくれたのはノアだ。


最初は、ネアに月明かりを浴びてきらきら光る花を見せてくれようとしたようだが、折角なら、そのテーブルを囲んでお茶会をしようと言う運びになった。


どうもノアは、瑠璃色に金の絵付けのある素敵な夜水晶の茶器を持っているらしく、それを使ってのお茶会となる。



これだけ腰回りを気にしていながらもお茶会でおやつを食べるのは愚かとしか言いようがないのだが、時として、無情な現実よりも心を温めるのは愚かな享楽こそである。


ネアという強欲な人間は、素敵な花明かりと月の光の下で行う夜のお茶会を諦める筈もなく、とは言え、こんなタイミングで心配せざるを得ない腰リボン問題には僅かな憤りを感じてしまうのだった。



(きっと、夜の光の下で白く輝く花は綺麗だろう…………)



美しいものを思い、わくわくと心を弾ませると不安がさらりと解けて消える。

ネアは、もう今夜はいいやと腰リボン問題はぽいっとやってしまい、明日の午前中に、ディノにエーダリアへの相談に同行して貰うことにした。




「ネア、尖り棒祭りの日までに、この香油を作ってしまうのだろう?これは、土地の魔術の守護さえあえれば、後はどのようなものを入れておいても構わないのだね?」



そう尋ねたディノに、ネアはこくりと頷いた。


尖り棒祭りには、このドレスの他にも必要なものがあり、それが、当日に手首につける香油なのである。

香水や練り香水にしておいても構わないが、油分が祝祭との相性が最も良いそうで、現在では香油を使うのが主流となっているらしい。



香りの魔術を駆使するという祝祭は、実は珍しくはない。


イブメリアにも独特の香りがあるし、夏至祭にも花の香りや、妖精除けの篝火に投げ込む香木の香りが祝祭の魔術を錬成している。


そんな香りの魔術を利用する尖り棒祭りでは、手首に付けた香油が、かつて茨の杖から青年を守った守護魔術の代替品として、尖り棒に対する守護結界の役割りを果たすのであった。


ただ、自家製であることが望まれるので、各家庭ごとで作らねばならない。


本日リーエンベルクに届けられた花はその香油作りに使われるものなのだが、ネアは、魔術の抵抗値が高いので、先に用意された別の花を使ってより階位の高い香油を作っているところだ。



こちらの世界での香油作りはとても簡単である。


触れるだけで割れてしまいそうな、花びらのような薄さの水水晶の皿に使う植物を入れ、そこに香り成分を抽出する為の魔術薬をとろりと注ぐ。

この薬の種類によって、花水なども出来るのだが、今回は香油用の薬剤を使った。


そこに、銀水晶の細工が施された専用の蓋を載せ、美しい香炉魔術の術式陣が描かれた薄紙をその上に敷いておくだけで完成するので、誰にでも出来る簡単なものである。


可動域が足りないネアは、ディノに手伝って貰いながらではあったが、それぞれの香りの配分を考え、三回目にして理想に近い香りのものが出来た。



「はい。自家製である事が望まれるくらいで、使うものに縛りはないそうです。こちらの世界では、水蒸気蒸留などの手間暇かかる製法を使わずとも魔術で香りを抽出出来るので、道具を使えば個人でもお花から香水を作れるのですよね。………初めての経験でしたので、何だか実験のようでわくわくしてしまいました」

「君が使ったのは、白薔薇と少量のラベンダーにヴァーベナだね。……であれば、もう少し果実に似た香りになっても良ければ、私の方で祝福の階位を上げておいても構わないかい?」

「まぁ、そんな素敵な事が出来るのですか?是非に、やって欲しいです!」

「では、作り足しておこう」




ディノが微笑んで頷けば、しゃりんと、澄んだ硝子のベルを鳴らすような音がした。



あの時とは違う音なのになぜか、ネアは、ディノの錫杖が鳴った音を思い出し目を瞬く。


そうすると、すいと伸ばしたディノの手のひらに、時折見かける結晶の花が咲くではないか。

透明度が高いのに、真珠色を宿した美しい鉱石の花は、ネアの大好きな、花びらをたっぷりと詰まらせた薔薇のような形をしている。


ディノがもう片方の手の指先でそっと花を撫でると、しゅわりと崩れて液体になり、きらきらと光るホワイトオパールのような煌めきの雫が、用意してあった硝子瓶にぴしゃんと落ちた。



「…………ほわ」

「これを調合に使ってくれるかい?香りは、君の作ったものに合わせやすいと思うよ」

「むむ、くんくんしますね!…………ふぁ、なんて素敵な香りなのでしょう!ほんのり薔薇の香りや森の香りのある、瑞々しい青林檎のような爽やかな香りです……!!」



思っていた以上に素敵な香りだったので喜びに弾み、ネアは、持っていたドレスを長椅子にかけておくと、用意していた香油との調合を始めた。


少しだけラベンダーの比率を下げ、薔薇よりヴァーベナの香りを上げると柔らかく香りが混ざるようになり、これは売り物かなというくらいに素敵な香りの香油が出来上がる。


小瓶の中にたぷんと揺れる香油は、綺麗な水色の液体で、見た目も満点であった。




(…………ドレスのリボンは、…………また明日考えよう)



香油造りですっかり気分転換が出来てしまったネアは、長椅子にかけてあったドレスをハンガーに吊るして衣裳部屋に片付けた。


すっかりお気に入りになった香油の香りを纏えば、きっと、あのドレスのリボンなど些末な問題だろう。

そして勿論、今夜のお茶会では、美味しいお菓子を心ゆくまで食べると決めているのだ。





ゆっくりと暮れてゆく空に、夕暮れが青く青く染まる。

星の煌めきが空に宿り、木立の影はどこか物憂げになってゆき、青白い月がぼんやりと浮かんだ。



庭に出されたテーブルには、そろそろ花籠が並べられるようだ。

そこにエーダリアが詠唱で花守りの術式をかけておき、夜明けまでは、月光に晒されることになる。




最後にもう一度だけ、ネアは、自分の腰肉を指先で掴んでみた。



摘まめはするが、服地の上からだとするんと指先が滑って逃げてゆくくらいの厚みである。

息を吸い込んでお腹をへこませてはみたものの、その状態を当日維持出来る筈もない。



また少しだけむしゃくしゃしたが、いっそうもう、尖り棒などは出現早々に全て滅ぼしてしまえばいいのだと考えると、何だか穏やかな気持ちになった。




(ディノの言う通りだわ……………)



やっと、美味しいものを幸せに堪能できる自由を、手に入れたのだ。

腰肉問題如きに、その幸福を奪われては堪らない。




「ディノ、今夜のお茶会が楽しみですね」

「……………ネアが可愛い」



にっこり微笑んで小さく弾んだネアは、とは言え、明日の朝食のパンは、四個までにしておこうと、悲壮な決意を固めたのであった。










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