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おまんじゅう祭りと水色の羊 2




「ふぇ………」

「…………ありゃ。どうしてヨシュアがいるんだろう」

「ヨシュア、………誰かと一緒に来ていないのかい?」

「イーザが、僕を置いていったんだ。僕は、待たされるのが嫌いなんだよ」

「そしてまたしても、その場所から動いてしまったのですね?」

「どうして僕が待たされるんだい?イーザは、今日だって僕を大事にするべきなんだよ」



どこからかやって来た雲の魔物は、そんな主張を繰り返し悲し気に項垂れる。

憤然とするのではなく悲しげなので、一人で待っている内に寂しくなって見知ったネア達の方に来てしまったらしい。


やれやれと思わないでもなかったが、ヨシュアがこうして合流してしまうのはもはや珍しい事ではないので、ネアは、まぁいいかなと考えることにした。


寧ろ、会場で騒ぎを起こされるよりは、こうして保護してしまった方が安心である。


何しろある程度の擬態はしているものの、観光客の多いお祭りだからなのか、ターバンはそのままなのだ。

下手に騒ぎを起こせば目立ってしまう。



(イーザさんなら、すぐにヨシュアさんを見付けてくれる筈だから、それまで一緒にいて、悪さをしないように見ていればいいのだし…………)



しかし、そう考えて少しばかりきりりとしていたネアは、すぐさま雲の魔物を叱らなければいけなくなる。

ほんの少し目を離した隙に、ヨシュアが通行人を捕まえてしまったのだ。


ぎゃっと声がしてぐりんと振り返れば、ランシーンの人達の装いに似た、砂色の不思議な衣を纏った誰かが雲に絡みつかれてぶら下げられているではないか。



「こらっ!通行人の方を、捕まえてはいけません!!」

「これは、羊だからいいんだよ。今日は、人間に混じって悪さをしているものは捕まえていいって、イーザが言っていたからね」

「………むむ、羊さん?」

「わーお。羊かぁ。………ウィームには、こんな稀少種までいるとはね」



ネアは、稀少な羊とは何だろうと首を傾げつつ、ヨシュアが、もくもくとした雲のようなもので縛り上げてしまった、水色の髪の青年をじっと見つめる。


むがーと暴れていた青年は、少女のような儚げな雰囲気をしている。

とは言え、ネアのお隣に並んだ魔物達のような美貌というよりは、やや淡白めながらも繊細で端正という感じだろうか。


背中の真ん中あたりまで伸ばした髪の毛は、細く真っすぐだが毛先だけくるんとしている。

口元を雲で覆われてしまっている為に何を言っているのかは分からないが、こちらを睨んだ瞳は黄緑混じりの変わった砂色の瞳であった。



「ディノ、羊さんは人間に悪さをするのですか?」

「よく、人間を食べると聞くね。………ノアベルト、ウィームで受け入れているものだと思うかい?」

「うーん。案外そういうこともしそうなんだよね。念の為に、事情が分かりそうな連中に聞いてみるか。…………ヨシュア、そのまま捕まえておいて」

「僕に命令するなんて、ノアベルトは我が儘なんだ」

「ヨシュア、少しだけ捕まえておいてくれるかい?」

「ほぇ………、わかった」



ディノに頼まれるときちんと聞いてくれるのか、ヨシュアは小さく頷いた。


注意を引かないような魔術を敷いているからか、或いは排他結界のようなものを展開したのか、もくもくした雲に捕らわれた青年が暴れているのに、周囲を歩く人々は気にする素振りもない。

むぐむがーと暴れている青年は、ネアの考える羊というものの擬人化の印象とは違い、少し獰猛な生き物のようだ。


さっと席を立って転移で姿を消したノアは、誰に確認に行ってくれたのだろう。


ネアは、せっかくおまんじゅう祭りでのんびりしていた時間を邪魔されてしまった以上は、もし悪いやつであればきりん刑かなと考えながら、防犯上の措置なのか、ディノが、そっと膝の上に設置した三つ編みを手に取った。



「…………むぅ。ヨシュアさん、その方はもしかするとただのご近所さんで、解放するかもしれない方なのです。ぶんぶん振って、怪我をさせてはいけませんよ?」

「どうしてみんな我が儘なんだろう。これは僕の獲物なんだから、好きにするんだよ」

「もし、多少獰猛でも善良な領民だった場合は、怪我をさせると困ったことになってしまいますから」

「羊は人間を保存食にするから、壊してしまうといいんだ」

「ふむ。その場合我々も、負けじとこの羊さんを香草パン粉焼きにするべきなのでしょうか…………」

「ほぇ………。人間も羊を食べるのかい?」

「はい。美味しくいただきますし、私も好きですよ。香草パン粉焼きだけでなく、美味しいタルタルソースでいただくステーキも好きですし、挽肉にしてハンバーグにしても美味しいのです」

「ふぇ……………」



ネアがそう言うと、なぜかヨシュアは怯えてしまい、雲に捕縛された羊が、真っ青になってむがーと叫んでいる。


ネアとてさすがに人型のものは食べたくないものの、本来の姿が美味しくいただける方の羊だった場合はどうすればいいのだろうと、そんな青年をじっと見つめて首を傾げた。



「ネアが浮気する………」

「浮気ではないのですが、少し考えてしまいました。我々人間は羊さんの毛刈りをしますが、この方でそうした場合は、暫く丸刈りになるのです?」

「……毛を刈ってしまうのかい?」



こちらも怯えたように問い返した魔物に、ネアは、そう言えばこの世界では植物の花の色などから毛糸を紡ぐが、前の世界と同じような羊毛の毛糸もあるのだろうかと眉を寄せた。



(でも、ルドヴィークさんの飼っている羊さんは、毛刈りをすると聞いていたから、やはり羊毛もあるのよね………?)



雷鳥がふわくしゃなくらいなので、何事も、生まれ育った世界と同じだと考えてはいけないのだろう。

こうあって当然だという知識に惑わされないように、ネアは、ここは慎重に考えておこうぞと頷く。


もしかすると、この羊は、獣型の羊とは違う生き物なのかもしれない。



「よいしょ。聞いてきたよ」

「おかえりなさい、ノア。有難うございました」

「…………ありゃ。今のおかえりって響き、何だか恋人みたいでいいね」

「ノアベルトなんて…………」



あっという間に転移で戻ってきたノアは、ふわりと暗いコートの裾を翻し、魔術の風で前髪を揺らす。

青白く光るような魔術の残照を見た羊な青年が、なぜか先程よりも真っ青になった。


ネアは、擬態していてもそのようなところから階位に気付けるのかなと思って目を凝らしたが、僅かに残った煌めきの中に特別なものがあるのかどうかは、残念ながら確認出来なかった。



「この羊は壊すといいよ。雲から雨と一緒に落とすんだ」

「おまんじゅう祭りの会場が雨模様になるので、やめていただきたい」

「その羊は、ウィームの領民じゃないみたいだね。おまけに、入領記録もないから、恐らくは密入領ってことらしいよ。侵入経路を吐かせる為に騎士に引き渡しになったから、ヨシュアは壊さないようにね」

「なんで、僕がノアベルトの指示に従わなければならないんだい?こんなのは壊せばいいんだ。雨で流せばすぐに終わるのに」

「ヨシュアさん、悪い羊さんを騎士さんに引き渡すと、皆さんから感謝されますので、きっとイーザさんも褒めてくれますよ」

「それなら、僕は偉大だからそうしてもいいよ。イーザはまだ探しに来ないけれどね」

「あ、しまった。その羊が見えないようにする為に、排他結界を厚めにしていたんだった」

「ほぇ………」



かくして、ノアが結界を薄くした途端にイーザはやって来たし、不審者を捕まえたお手柄ヨシュアは、駆け付けたリーエンベルクの騎士達に羊な青年を引き渡して誇らしげに目を煌めかせている。


ぜいぜいしながら走ってきたイーザは、ヨシュアを保護したのがネア達だと知りほっとしたようだ。

何度も、領民を放り投げたりはしていませんねと確認されている雲の魔物に、ネアは、そう言えばこちらの魔物はなかなかに獰猛な類であったのだと思い出す。



「良くないものを発見出来たようで、良かったね」

「はい。人間を食べる生き物というものもいるでしょうが、おまんじゅう祭りが中止になったら大変ですので、何事も起こらない内に捕縛出来て良かったです。ゼベルさんが引き取ってくれましたので、安心して引き渡せました」

「こういう時って、エアリエルは万能だからなぁ…………」

「……ヨシュアが、たいへんご迷惑をおかけしました」



待たせておいた場所からヨシュアが消えてしまい、イーザは会場中を探したそうだ。

離れていたのは、ヨシュアが欲しがったおまんじゅうを買う為に列に並んでいたからであるらしく、列に大人しく並べないので離れた場所で待たせておくしかなかったが、木に縛っておけば良かったと項垂れている。


ネアは、それは綿犬にしてから縛るのかなと首を傾げ、列には並ばないのだと宣言したヨシュアに視線を戻した。



(何だか一度も待ててない気がするけれど、ヨシュアさんの脱走に遭遇した回数よりも、ちゃんと待っていた事の方が多いのかもしれない………)



「まぁ、ヨシュアさんは列に並べないのです?」

「当たり前だよ。偉大な僕が、どうして人間の後ろに並ぶんだい?」

「あらあら、ディノもノアも並べるのに、ヨシュアさんは並べないのですねぇ。因みにディノは、きちんと大人しく並べる優秀な魔物なのですよ?」

「…………僕だって並べるよ」

「では、次はイーザさんに、周囲の方に迷惑をかけずに上手に並べるところを見せて差し上げるといいかもしれませんね。上手く出来たら、きっと褒めてくれますよ」

「ほぇ。………イーザ」

「ネア様、ヨシュアの面倒を見ていただいたばかりか、ご調教までしていただき有難うございます」



他の魔物は、お行儀よく列に並んでおまんじゅうが買えると知ってしまい、ヨシュアは、自分も挑戦してみることにしたようだ。

大人しく列に並べれば、ずっとイーザが一緒だと重ねて伝えるとそれは並ぶだけの価値があるというような顔をするので、ネアは、魔物とは何だろうと考えてしまう。


しかし、大きく溜め息を吐いてしっかりとヨシュアの手を掴んだイーザからお礼を言われると、いえいえただ同じベンチに座っていただけなのでと、慌てて首を横に振った。


列に並ばせようとすると、前のお客をどかそうとするので難儀していたらしい。


そんな困った魔物ではあるが、イーザが買っておいてくれたおまんじゅうを袋から引っ張り出して嬉しそうに食べながら、これは美味しいので霧雨の妖精達にも沢山買うのだと言っている姿を見れば、良い系譜の主でもあるのだろう。


人間とは嗜好も習慣も違う生き物なので、買い物の行列に並べないような部分も、いっそ魔物らしいと言える。

それでもヨシュアがこの会場にいるのは、イーザが大好きで一緒にいたいからなのだろう。

であればやはり、きちんと列に並べる方が当人にとっても良いに違いない。



自分で並ぶ列を指定したヨシュアが、イーザに連れられて行ってしまうと、ディノがなぜか、もう一度、誇らしげに三つ編みを持たせてきた。

こちらを見る眼差しは木漏れ日を映してきらきらしており、ムグリスディノであれば、三つ編みがしゃきんとなっているような表情だ。



「ディノ?」

「次の列にも並ぶのだろう?」

「ええ。折角なので、次はディノの楽しみにしていたグヤーシュのおまんじゅうの店に行きましょうか」

「うん。私は列に並べるからね」

「あら、それで張り切っているのですね?ふふ。ディノとなら、安心してどんな行列にも並べるので、どこにでも一緒に行けますね」

「ご主人様!」

「僕も並べるから、一緒に褒めて貰おうかな」

「…………なおノアは、狐さんの時は並べないと聞きました」

「ありゃ…………」



会場には、顔見知りの人達が何人もいた。


途中で、リドワーンと陽射しに弱っているワイアートの二人連れに出会い、挨拶を交わす。


本当はベージも来る予定だったのだが、今日はやや気温が高めの予報だったので断念したのだそうだ。

お土産のおまんじゅうを買ってゆき、今夜、まだ雪や氷の残っている土地で一緒に過ごすらしい。



「そう言えば、昨夜の事があったので、今年は補償の為に使われたマロンクリームが、事前に知らされていた用意数より少なくなるのだとか。今はまだ沢山残っていますが、午後になると危ういと聞きましたので、もし購入の予定があれば午前中の内に買われた方がいいかもしれません」

「まぁ、それは知りませんでした!ワイアートさん、大切な情報を教えてくれて有難うございます。…………その、真っすぐに立てないくらいであれば、もう少し日陰を歩かれた方がいいかもしれませんね」

「…………そう命じて下されば…」

「ワイアート!少し、混乱しているようだな。さぁ、あちらに行こうか!ネア様、失礼いたします」

「…………むぅ。走って日陰に向かう程に弱っていたようです」

「わーお。意識が朦朧としてくると、自制が効かなくなるのかぁ…………」

「今日は、擬態はしていないのだね………」

「あの様子だと、雪竜の方が擬態をする余裕がなかったんだろうなぁ…………」



何やらこそこそと話をしてる魔物達に挟まれ、ネアは、抜け目なく現在地を確認した。


グヤーシュまんじゅうを買った後に来た道を少し戻って左に曲がれば、マロンクリームのおまんじゅうの屋台がある。

予定を変更して、そちらに寄ってから春詰め草のものを買いに行こう。



「そして確かに、日なたは少しだけじわりと暑くなってきましたね」

「この土地の特性でもあるのではないかな。周辺に生えている木が、陽光や夏の系譜のものなんだ。ウィームでは珍しいものばかりだね」

「なぬ。そうなのですか?」

「そうそう。この辺りは、陽光の系譜の補填の為に、敢えて土地の魔術をそちらに傾けているらしいよ。夏に向日葵が咲く珍しい公園だって、前にヒルドに教えて貰ったから」

「………そう言えば、エーダリア様から聞いた事があります。特定の系譜に偏り過ぎると、ウィームが季節の祝福を取りこぼしてしまうので、その恩恵を受けられる場所を設けておくのですよね」

「うん。魔術にはさ、特性を揃えないと発動しないものや、解けない呪いや災いもあるからね。夏が訪れない土地ならいいんだけど、ウィームは夏もある土地だから、こうして不得手な魔術を補う為の場所は幾つか造られているんだと思うよ」



また一つ賢くなってしまったと、ネアは、言われて見ればウィームの木立では珍しい色合いの葉を茂らせた木々を見上げた。


ウィームの森は、紅葉の時期を除けば、黄色みの強い緑の葉や黄色の葉、橙色や黄色みに偏る赤色などはあまり見かけない。

土地の魔術に沿った色彩の貴賤というものがあり、ウィームでは、青緑やミントグリーン、白緑などが多くの植物の持つ色合いとなる。


魔術の系譜によるものなので、人間や人外者達の髪色や瞳の色合いにも黄色みの少なさが反映されるのだが、大地に根を下ろして育つ植物はその傾向がより顕著なのだそうだ。



(そう言えば、山猫さんの金庫の街に行った時は、風景の色相ががらりと違って見えたな…………)



そう考えると、この世界の土地の魔術系譜というものは、誰にでも視認出来るくらいにはっきりと示されているものだと言えよう。


隠された系譜などがあるにせよ、陽光や火の系譜、夏や海の系譜、雪や冬の系譜などの区分くらいはしっかりと把握出来るだけの色相の差が現れる。


人外者達も、身に持つ色がどのようなものに属するのかを識別さえ出来れば、名乗らずとも正体を看破することは難しくない。

だからこそ、この世界では擬態魔術が発展しているのだろう。




「むむ、ちょうど列が途切れたところのようですよ」

「残っているかな………」

「わーお。こりゃいい匂いだぞ…………」



次に訪れたグヤーシュまんじゅうのお店は、とろりと濃厚に作られたグヤーシュを入れた小ぶりなおまんじゅうの屋台だ。

今年からチーズグヤーシュという白いグヤーシュのものも現れ、ネアは店頭で売られているおまんじゅうの匂いを嗅いだだけですっかり心を奪われてしまう。


本日の気温では、ほこほこと湯気を立てているおまんじゅうは合わないと思う人もいるかもしれない。

だが、このいい匂いを嗅いでから果たしてそんな事が言えるだろうか。

ましてや、冷たいシュプリの屋台が隣にある我が儘さは、ウィーム領民達の願いを体現したような並びではないか。


幸運にも並んでいるお客が五人程になった瞬間に並べたので、ネア達はさして待たずにグヤーシュまんじゅうを買うことが出来た。

勿論、隣のお店のシュプリもお買い上げし、背の高い、立食用の丸テーブルでいただく。



「はふ!…………むぐ。………むぬ?!………チーズグヤーシュまんじゅう恐るべし…………」

「……………え、これ美味しいね」

「美味しい……………」



本日三つ目のおまんじゅうながらも、ディノはふにゃりと目元を緩めて美味しそうにおまんじゅうを食べている。

そうしていると元々の怜悧な美貌との相乗効果で無垢さが際立ち、通りがかったジッタも、柔らかな眼差しでにこにことそんな魔物を見ていた。


チーズグヤーシュは、ネアが前の世界にいた頃、子供の時に食べたビーフストロガノフのようなものだ。

二口程度で食べられてしまうおまんじゅうは、皮の部分に少しだけ甘みがあって、濃厚なチーズグヤーシュとの組み合わせは珠玉の一品である。


三人とも二種セットを買ったのだが、あまり冒険をしないディノは通常のものから選び、ノアは、ネアと同じようにチーズグヤーシュからだ。


お土産にはそれぞれが二個ずつ入った箱を二つ買い、ノアはエーダリアとヒルドにも買っている。

こちらは、ご自宅で蒸して下さいの仕様であるが、心強い料理人がいてくれるリーエンベルクでは、調理に失敗する事もない。


なおネアは、昨年はアルテアに蒸して貰ったので、今年もそれを見越しての、アルテアの分を含めた二箱買いである。


(折角なら、ウィリアムさんも来ている時に作れたらいいな…………)


そんな事を考えながらきりりと冷えたシュプリをぐびりと飲み、氷紙という新素材で出来ている軽量グラスのようなカップの中に立ち上る細やかな泡を笑顔で見つめた。



「ネア、あの店に並んでるのって、多分ミカだよ」

「まぁ、ミカさんなのです?大きな箱のお土産を買っているので、ファンデルツの夜会でお会いした誰かにお土産で差し上げるのかもしれませんね」

「ありゃ、それも二箱も買うんだ…………」



ノアが教えてくれた黄色い屋根の屋台では、ちょうど順番の回ってきた栗色の髪の青年がお土産用のおまんじゅうを大量買いしている。

どこかで見たような青年に、ネアは、もしやリノアールでヴェルリア市について教えてくれた人ではあるまいかと思ったが、そうそう真夜中の座の精霊王がウィームにいる筈もないので、きっと他人の空似だろう。



そして、事件が起こったのは、ネア達が無事にマロンクリームのおまんじゅうも入手した後の事だ。


こちらでの食べ歩きは、一つのおまんじゅうを三人で分けて食べたのだが、ネアが一番大きな欠片の全てをお腹に収めてしまった直後、ふっと視界に揺れた水色のものがあった。



「……………む」


その色に目を留めたのは、先程目にしたばかりの配色によく似ていたからだ。

水色の髪に砂色の独特な装束は、ヨシュアがゼベルに引き渡したばかりの羊の青年の様子に酷似していた。



次は、春詰め草のおまんじゅうを買いに行かなければだったのだが、ネアは経路を変え、ててっと早足でそちらに体を向ける。

そして、急に方向転換した伴侶に手を繋いだ魔物がおやっとこちらを見る前に、ネアは、小さな子供をひょいと持ち上げたその青年を、容赦なくブーツでげしんとやってしまった。



ぎゃーと声が上がり、水色の髪の青年はぱたりと倒れる。

持ち上げられていた檸檬色のコットンドレスの少女が、地面に尻餅をついてじわりと涙目になった。



「大丈夫ですか?」


ネアがすぐにしゃがみ込んでそんな少女の顔を覗き込めば、むちむちほっぺの幼女は、えっくと嗚咽混じりの小さな声を上げた。



「わーお。ここにも羊がいたんだけど……………」

「ネアが浮気する……………」

「ディノ、これは被害者の保護ですので、荒ぶってはいけません。…………ご両親や、ご家族の方は近くにいますか?」



ネアは慌てて魔物を叱りつつ、手を伸ばして、座り込んでいた少女を立たせてやった。

可愛いドレスのお尻の土も払ってやり、最後にずれてしまっていた帽子も綺麗に直す。


横に倒れている羊な青年がぱかっと口を開けるのが見え、この少女が上げた、誰かという助けを求める声を聞いた瞬間に羊な誰かは容赦なく踏み滅ぼしてしまったが、幸いにも、こちらを見た青い瞳に浮かんだ安堵を見る限りは、実は家族だったという事はなかったようだ。



「……………お兄ちゃんとお母さんと来たの」

「はぐれてしまったのですか?それとも、こちらの方に何かされてしまいました?」



もしや、先に食べられてしまったのではとぞっとしたが、少女は、人混みで家族と逸れてしまっただけのようだ。


虫の息な羊の青年と、近くにいる街の騎士への連絡はノアが行ってくれ、駆け付けた騎士はすぐに少女の家族を探してくれることになる。

近くにいた二人連れのご婦人が、あちらで子供を探している家族がいたと声をかけていたので、すぐに見付かるといいなと思いながら、ネアは怖い生き物から解放されてぶるぶるしている子供の小さな手に触れた。



「すぐに、お迎えが来ますからね。一人でよく頑張りました。怖かったですね」

「……………えぐ。ごじゅじんさまが、私を食べようとしたわるいのをたおしちゃった」

「……………ご主人様?」

「……………えっく。……………お兄ちゃんのごしゅじんさま。お兄ちゃんが、ねあさまは強いんだって教えてくれたの!」

「……………なぬ」



むちむちふりふりな可愛いドレス姿に、大きな瞳から涙が零れ落ちそうな可愛い幼女に、伴侶の魔物を羽織物にしたまま優しく微笑みかけていたネアは、何やら不穏な単語が聞こえてきたぞと、笑顔のまま固まる。


名前が出てしまった以上は、そのご主人様とやらは明らかにネアの事であるのだが、現状、こちらの可憐な乙女をご主人様と呼んでもいいのは二人の魔物だけな筈だ。


とは言え、こんなに小さな子供に、お兄さんはどういう方でしょうかと問い詰める訳にもいかない。

ましてや、羊に食べられそうになったばかりなのだ。


どうすればいいのか分からずにネアが無言でわなわなしていると、すぐに家族が見付かったのか、先程の街の騎士が戻ってきて、小さな女の子を抱き上げて連れてゆくことになる。

先程はいなかった騎士が一人増えており、そちらの男性は、おじさんと親し気に呼ばれているのでどうやら少女の顔見知りのようだ。


その騎士からもお礼を言われ、助けてくれて有難うとちびこい手を振ってくれた女の子を笑顔で見送ったネアは、少女の姿が見えなくなるとすぐに、眉をへにゃんと下げた。



「……………あの子のお兄様は、何者なのでしょう。わ、私をご主人様と呼んでいいのは、ディノとアルテアさんくらいなのです……………。狩りの女王としても、弟子は募集しておりません」

「アルテアも呼ばなくていいと思うよ…………」

「ありゃ。多分、会員なんじゃない?野良だと厄介だけど、街の騎士団の事務員みたいだから、会には所属してるんじゃないかな」

「……………かいなどありません。ないので、ごしゅじんさまとよぶひとなどいないのです」

「お兄ちゃんは、そろそろ認めちゃった方が楽になると思うんだけどなぁ……………」



そう言われても会はない筈なので、ネアはぶんぶんと首を横に振ると、気を取り直して春詰め草のおまんじゅうを買いに行くことにした。



春詰め草は、アスパラに似た食感の春の系譜の山菜のようなものだ。


リーエンベルクでは守護結界との相性が悪くお目にかかれないものの、ウィーム中央では、お庭などにも生えてくる身近な植物なので、夜明けと共に収穫して美味しくいただける季節の味覚である。


こちらは、味の予測がやや難しかったので一つを三人で分けてみたが、特別な感動はないものの充分に美味しいという結果であった。

とは言え、旬のものをいただいたという満足感があるので、食べなくても良かったというものでもない。



「旬のものをその季節に食べると、単純に美味しいですし、加えて何だか上等な暮らしをしているような気がしますものね」

「そのようなものなのかい?」

「ふふ、エシュカルは、やはり大晦日に飲むのが一番美味しくてわくわくしませんか?」



そう言えば、ディノが目を瞠ってそうかもしれないという顔をしたので、ネアは何だか嬉しくなった。

季節を楽しむという事は、精神面においても、経済面においても、とても贅沢な事なのだ。


久し振りに食べたと呟いているが、運悪く毎回ノアが外泊していた日のメニューに当たっていただけで、リーエンベルクの料理にも春詰め草は使われている。

ともあれこちらは、お土産は買わなくていいかなという感じであった。



その代わり、ジャムのお店のおまんじゅうはどれもが素晴らしい美味しさであった。


特に、目をつけていた紅茶のジャムのおまんじゅうはさっぱりとした甘さにオレンジの香りのするジャムに、ふっくらとしたおまんじゅう生地の組み合わせが魂を揺さぶる、常温タイプのおまんじゅうだ。


ぱくりと齧って幸せいっぱいで弾んだネアは、くすりと笑ったノアに、このお店のお土産用詰め合わせセットを二箱も買って貰い、最後にもう一つ、ぴょむと弾んでしまう。


(さて、そろそろ締めのトマトソースかな………)



こちらは、想像通りの味ではあるが、その定番の美味しさが何度食べても美味しいおまんじゅうとなる。

いそいそと、そちらの屋台に向かったネアは、大事なことを一つ忘れていた。



「ありゃ………」

「ぎゅむ。売り切れです……………」

「こちらの物も、用意数からだいぶ減ってしまっていたのかな…………」

「ふぁい。マロンクリームだけでなく、他のお店のものもそうであるべきだという事を、すっかり失念していました。今年は、いつもは終わりの頃まで残っているお店のものが、早々に売り切れてしまったのですね…………」



売り切れていたのは、トマトソースだけではなく、檸檬クリームのおまんじゅうや、キノコのホワイトソースのおまんじゅうもで、どうやら、定番商品の中から会場移動における配布用のおまんじゅうが選ばれたようだった。


いつもより準備数が減ってしまうので、店側が残り個数の看板を出し、その結果、事情を知らない観光客が集まってしまうという、負のスパイラルが起きたようだ。



悲しみに暮れた人間は、項垂れた瞬間に手に持った三個目のジャムまんじゅうを狙ってきた鳥姿の精霊をむんずと掴むと、力いっぱい遠くに放り投げる。

なぜかそんな姿を見て崇めてくる者達もいるが、彼等は恐らく、あの鳥に大事なおまんじゅうを狙われていたのだろう。



しかし、帰りがけにまだ売っているのを発見して買ってみた豚挽肉の白葡萄酒風味な塩味のおまんじゅうが思いがけずの大当たりの美味しさだったので、最終的には幸福感でいっぱいの帰路になった。


ネア達と同じように買い損ねたおまんじゅうがあったお客も多かったのか、そのお店は、ネア達が離れた後で大行列になってしまい、早々に完売御礼となったらしい。



「僕のお気に入りはこれだね」

「最後のお店で、良い出会いをしてしまいましたね」

「うん。白葡萄酒でのんびり食べたい味だなぁ。それに、こうやってネアやシルと遊びに出かけるのも楽しいや。また行こうよ」

「グヤーシュ………と、ソーセージかな」

「ふむ。私はジャムとチーズグヤーシュとソーセージと豚挽肉と………ぐぬぅ、それぞれの良さがあって選べません!ノア、また一緒にお祭りで食べ歩きしましょうね」

「よーし、手を繋いじゃおうか!」

「ノアベルトなんて…………」

「ぎゃ!真ん中に挟むのはやめるのだ!両手が塞がると、獲物を狩れません!」




余談だが、今年の会場近くに住む生き物達の中には、初めておまんじゅう祭りに参加し、あまりの美味しさに驚愕した者達もいたようだ。

多少離れた会場であっても、来年も必ず参加して迂闊な人間からおまんじゅうを奪ってみせると意気込んでいるようなので、来年は注意が必要なのかもしれない。



なお、捕縛された羊は、魔物印の洗剤の運搬用荷馬車に潜んでの密入領だと判明した。


一氏族が丸々忍び込んでいたようで、他にもウィームのあちこちに隠れていた羊がいたのだそうだ。

その内の一人は美味しいパンを焼いているジッタにとても懐いてしまい、追い返すのに苦労したそうだ。


エーダリア曰く、希少種なので、気性が穏やかな個体であればウィームで保護をしても良かったそうだが、主食が人間の副菜がパンと紅茶だと判明した為、やはり駆除するか追い返すしかなかったらしい。

ネアは、紅茶は副菜にあたるのかどうかで、しばらく悩む羽目になった。







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― 新着の感想 ―
お饅頭祭りのお話は群を抜いてお腹が空きますね…最高です。想像するだけで幸せな美味しさです(食べられないので涙目になどなっておりません)
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