風車小屋の糸車と優しい妖精
からからと糸車が回る光景を脳裏に描いた。
ネアは、残念ながら前の世界の糸車の仕組みはよく知らないのだが、見た事がある物は、足踏み式や手動の道具だったように思う。
だが、こちらの世界の糸車は、妖精の風車で回るのだ。
がこんがこんと、風で回るたびに軸の部分が控えめな音を立て、風車の羽の上で遊ぶのは可憐な妖精の乙女達だ。
そんな風の妖精達が怖がってしまうのでと、本日の魔物はムグリスディノになってネアの胸元に収まっている。
(……………わぁ、妖精さんが!)
その風車を見上げ、ネアは小さく弾んだ。
手を繋いでくれているヒルドがくすりと笑う。
「……………薄物のドレスが、何て綺麗なのでしょう。あの妖精さん達は、いつもここにいるのですか?」
「いえ。彼女達は風車の屋根にあの硝子飾りを取り付けると集まってくるんですよ。光る物の周りで踊るのが嬉しいようですね」
風車の周囲に集まった乙女たちは人の姿をしているが、身長はネアの肘下の長さよりも低いくらいだろう。
とは言え子供の姿ではなく、少女くらいの歳格好ですらりとした肢体は、ネアが子供の頃に絵本で見て思い描いていた妖精そのものだ。
きゃいきゃいと楽しそうにお喋りをしているが、その言葉はこちらに理解出来るようなものではなく、人型をしていても獣に近い性質の妖精である。
ネアの目には見えないゼベルの周囲にいるエアリエル達が、狼姿でも人間の心を解するのとは逆なのだなと、ネアは、ヒルドに教えて貰った硝子飾りを見上げた。
風車の羽の部分には、きらきらと光る硝子飾りが幾つも設置されている。
風車の羽部分は元よりその飾りを嵌め込めるような作りになっていて、朝になると、風車小屋の管理人があの硝子飾りを一枚一枚の羽に丁寧に嵌め込む。
そうすると、どこからともなくあの妖精達が集まってくるのだそうだ。
因みに、硝子飾りを取り外し出来るようにしてあるのは、風車を動かしてはいけない時もあるからだ。
中に置かれているという糸車が紡ぐのは土地の魔術なので、人がいない時に勝手に動かしておける物ではない。
そんな風車の管理人は今、風車の周囲にある花畑の手入れをしている。
風車小屋の魔術は繊細なので、こちらの視察が終わるまでは外にいてくれるのだが、質の良い風が集まるように風車の周りの土地を整えるのも、管理人の仕事なのだそうだ。
「羽の部分にいらっしゃる方々は、元は、風の妖精さんなのですよね?」
「ええ。ですが、風車の周りに住むようになると、妖精達の間では風車妖精と呼ばれるようになります。人間にはその違いが分かりませんので、取り違えるよりはと、そのまま風の系譜の妖精として呼称するようですがね」
「この、風車の周りに咲いているお花は、チューリップなのでしょうか?」
「これは、風車草と呼ばれる花でして、確かガーウィンではチューリップもどきと呼ばれていた筈ですよ」
「まぁ。よく似た別のお花なのですね」
「キュ…………」
木造ではなく、煉瓦と薄く薄く切り出した森結晶を貼り合わせて造られた風車だが、そんな建物の周りにチューリップによく似た花が咲き乱れてる光景は、何とも可憐で牧歌的な風景であった。
どこかから摘んできたのだろう。
小さな花を帽子のように被った妖精達が風車の羽で踊っている姿は、まるで絵本の挿絵のようにも見える。
(可愛い…………!)
思わず目をきらきらさせてしまったネアに、隣に立ったヒルドが微笑む。
この、優しい森と湖の妖精は、先日のダリルの仕事でネアが落ち込んでいないだろうかと、こうして素敵な仕事現場に同席させてくれたのであった。
「ヒルドさん、今日は有難うございます。この風景を見れただけでももう、すっかりご機嫌になってしまいました!」
「気に入っていただけたようで良かったです。では、風車小屋の中の糸車を見に行きましょうか」
「はい。ここで紡がれた糸が、祟りものや困った生き物の捕縛に使われるのですよね……………」
「ええ。他にも、災害時の救助道具や壊れた建物などの補強にも使われます。ただ、クロウウィンの日に紡がれた糸は災いを呼び込みますので、その日だけは糸車を動かさないように見張りが立つ決まりになっているんですよ」
「…………見張りの方を立てないと、紡がれてしまうのですか?」
「そういう悪戯を好む生き物達もおりますからね。……………私がウィームに来る前の事ですが、クロウウィンの妖精があの風車の羽に硝子飾りを縛り付け、禁忌の日に糸車が動いてしまったことがあるのだとか。その際には、昨年ザルツで行われたような祝祭の鎮めの儀式が必要になったそうです」
静かな声でそう語るヒルドに、ネアは、その横顔を見上げた。
宝石のような羽にかかるのは孔雀色の長い髪で、その長い髪を一本に縛る髪飾りは、贈り物を大事に使ってくれているらしい。
瑠璃色の瞳は深く豊かで、同じ青みのある瞳でもディノの澄明な水紺色の瞳とはまるで色相が違う。
きっと美しいこの妖精は、その儀式の時にエーダリアを守る者が少なかった事を思い、心を痛めているのだろう。
その時の儀式の際には、騎士達だけでなくエーダリアまでもが負傷したのだと聞かされれば、ネアは、とうに過去の事であるのに足踏みしたくなってしまう。
「幸いにも、小さな怪我で済んだそうです。……………あの方は、その報告をこちらにするのを忘れておりまして、私はアーヘムから話を聞く羽目になりました」
「…………ほわ」
にっこり微笑んでいるが、エーダリアは、その報告が遅れた事で叱られてしまったのだろうか。
もしかすると、王都を離れられないヒルドを案じ、エーダリアはわざと言わずにいたのかもしれなかった。
(そんなエーダリア様は、今日はノアに手伝って貰って、ガレンの仕事である魔術研究の論文を終えてしまうのだとか)
ウィーム領主でもあるエーダリアだが、ガレンの長として、魔術師の仕事も少なくはない。
ネアは最初、ただでさえ大変な領主の仕事と掛け持ちさせるだなんてと、その兼任を何て無茶な任命なのだろうと思っていた。
だが、ウィームで暮らすようになってからあらためて考えると、魔術に纏わる意思決定をエーダリアに一任する事で、ウィームの在り方に魔術の権力を持つ者が介入する危険を防ぐ仕組みになっているのだった。
風車小屋の下には三段の階段があり、それを上って小屋の扉を開ける。
古き良き鍵束という感じが満載なじゃらりと鍵を束ねた鍵束を取り出したヒルドが、その中から綺麗な緑色の鍵を選び出し、鍵穴に差し込んだ。
かちりと音がして鍵は回ったが、この鍵穴はそろそろ交換時期かもしれない。
木の扉に金属の鍵穴を取り付けてあるのだが、縁の部分の木がひび割れて摩耗している。
(重たそうな鍵だから、金属と木の扉の接着面に負担がかかるのかな……………)
そんな事を考えている内に、ヒルドはその上に付いている他の二つの鍵も開けてしまい、ぎいっと扉が開いた。
ぷんと漂うのは、乾燥させたラベンダーのような香りで、雨に濡れた土のような匂いもした。
このような小屋の中を見るのは初めてなのか、胸元から顔を出していたムグリスディノの三つ編みが、ぴーんと伸びる。
「……………まぁ」
「キュ……………」
そこには、吹き抜けの屋根の真下に佇む、水晶の糸車があった。
風車小屋の床に固定されている足部分にだけ、艶消しの金色の金属部品が嵌め込まれているが、それ以外は全て水晶製だ。
大きな水晶から掘り出したのかのような透明な水晶の内側には、氷のひび割れのような色が幾筋も入り、それがまた、この糸車をいっそうに美しく見せてくれる。
その含有物には僅かに水色や金色も入り、屋根の側面にある窓から差し込んだ陽光に、きらきらと光を宿していた。
「物語に出てくるような、素敵な糸車です。……………からからと音は立てないのですね」
「音の魔術で遮蔽されているので、近付くと聞こえてきますよ」
「聞こえないように、工夫されているのですか?」
「風車の獣が現れると、糸車の音で謎かけをされるそうですからね」
「風車の獣さん……………」
風車の獣は、毛足が長めの灰色の狼のような不思議な生き物だ。
頭には山羊の角があり、一説では風車小屋を飲み込んでしまう程に大きいという。
この獣は、からからと音を立てる糸車や、ごろごろごりごりと音を立てる粉挽き臼の音で近寄ってくるそうで、その音を立てない事が対策となる。
糸車が何回回転したか、臼の中に潰れていない麦があるかどうか、そんな謎かけに答え損ねると、ぱくりと食べられてしまうこともあるのだとか。
なので風車の中に設置される道具には、こうして音の遮蔽魔術を展開しておく事が多いらしい。
なぜか、店舗や住居を兼ねる風車には現れないのだそうだ。
窓から差し込んだ光の筋に、きらりと光る線がある。
糸車で紡がれているのは、細い細い蜘蛛の糸のようなもので、これは土地の魔術を紡ぎ上げているのだと言う。
だからこそこの糸は、土地の祝福を宿して様々な場面で活躍するのだ。
(あ、聞こえた……………)
ヒルドに促されて糸車に近付くと、からからという音が聞こえてきた。
弾み車を回転させる動力は風車から来ている筈なのだが、ネアの目には、小屋の中央に置かれた糸車が自動で動いているようにしか見えない。
上を見上げてから視線を糸車に戻し、ネアは首を傾げる。
「風車の羽と何らかの形で連結されているのかと思っていましたが、そうではないのですね……………」
「風車の中には、羽を回して集めた魔術の雨が降っている、と言いますね。系譜の魔術を扱う者には見えているようで、風車の中に降る雨を見る事の出来る者だけが風車番になれる決まりなのだそうです。残念ながら、私の目には見えませんね」
ヒルドがどこか悪戯っぽく微笑むと、そう教えてくれた。
ネアは、ヒルドにも見えないものなのだと驚いてしまい、不思議な感動を胸にもう一度天井を見上げてから頷いた。
この風車小屋の中では、淡い光の筋を映したヒルドの瑠璃色の瞳は、宝石のようだ。
今日は仕事の視察であるので、妖精用のケープは羽織っていない。
「……………むぅ。目を凝らしてみても、私にもその雨は見えないようです。風車を訪れて、この中に降る雨を見る事が出来たなら、なんて素敵なのでしょう………」
「淡い金色や、光を孕む水色であることが多いそうです。ごく稀に紫色の雨が降る場合もあるそうですが、その場合は人外者の介入がある印なので、風車を止めるのだとか」
「色々な影響が現れるのですね……………」
「キュ」
ボビンに巻き取られた糸は、僅かに金色の光を帯びた灰色の糸だ。
土地によって糸の色は変わるそうで、この世界の色の貴賤に於ける白の希少さは、この糸には反映されないらしい。
「という事は、白い糸も紡げるのですね」
「なぜ、土地の魔術から紡ぐ糸には白も多いのかは、明らかにされていないようですよ。帰ってから、ディノ様にお聞きすれば或いは分かるかもしれませんが……………」
「キュ?」
「ディノにも分からないようです」
こてんと首を傾げ、なぜ糸が白くなるのかを必死に考えてくれている伴侶に唇の端を持ち上げ、ネアは、指先でそっと頭を撫でてやった。
「本日の視察は、この風車小屋の守護魔術の確認と、紡がれている糸の品質の調査なのですが………どちらも、特に問題はなさそうですね。ネア様は、ご覧になって気になられた部分はありますか?」
「私には専門的な事は分からないのですが、入り口の鍵の部分はあのままで良いのでしょうか?木の扉に嵌め込んだ鍵穴が、すぽんと抜け落ちてしまいそうに見えたのです」
ネアがそう言えば、ヒルドはよくご覧になっていましたねと微笑む。
僅かに開いた羽に光が落ち、足元の石床に青と緑の美しい影が広がった。
(…………綺麗。影の中に森があるみたいだ)
そんな小さな感動を覚えながら説明を聞けば、この風車小屋の鍵は敢えて使い込まれたように細工されているのだそうだ。
鍵穴があまりにも新しいと、何が中にあるのだろうと好奇心でこじ開けようとする妖精が、近くの川に住んでいるらしい。
この周辺の土地の古くからの知恵だと聞けば、ネアは何だかわくわくしてしまう。
「そうして、色々な生き物との共存の工夫があるのですね」
「人間側の生活の中から人外者を排除する仕組みを構築出来る産業もありますが、この辺りは、土地の魔術の恩恵を受ける昔ながらの仕事が多いので、様々な知恵を受け継いでいるようです。ネア様のお好きな、ちびふわによく似た森の悪戯ものも居るようですよ」
「や、野生のちびふわなのです?!」
「キュ?!」
「まぁ、そんなに荒ぶらなくても、大事な伴侶と野生の獣さんを入れ替えたりはしませんよ?」
「キュキュ!」
ヒルドの言うその生き物は、森ウィンムィという生き物なのだとか。
恐らくはちびふわのモデルである、ウィーミアの亜種ではないかという事で、そんな関連性が判明したのは、リーエンベルクのお仕置きでちびふわの魔物が現れ、その生態が知られるようになってからなのだとか。
リーエンベルクの騎士の一人が故郷に似たような生き物がいると報告し、先月には、アメリアが十日程かけて現地調査を行っている。
ネアの良く知るちびふわより少し毛並みがぼうぼうで、オリジナルちびふわのような巻き角のない茶色い生き物は、木の実を食べる穏やかな気性の生き物であるらしい。
「茶色いもふもふ…………」
「キュ!キュキュ!」
「私の大事な伴侶がすっかり荒ぶってしまったので、なでなでしますね」
「キュ?!」
うっかり森ウィンムィに思いを馳せてしまい、ムグリスの伴侶を不安にさせてしまったネアは、慌ててむくむく毛皮の伴侶を沢山撫でておいた。
その隙にヒルドは、床石や窓枠などを調べてしまい、ネアは、高い位置にある窓を調べる為にふわりと飛び上がったヒルドの姿に目を瞠る。
「…………ふぁ。ヒルドさんが飛んでいる姿があまりにも綺麗で、じっと見てしまいます」
「おや、ネア様もこちらでご覧になりますか?」
「…………む」
柔らかな微笑みを浮かべたヒルドは、一度戻って来てくれると、ネアを抱き上げてもう一度ふわりと飛び上がる。
妖精の飛翔は、羽を使うというよりも魔術で飛ぶのだと知っていても、ネアは、この余分な重さのせいで墜落しないだろうかとひやりとしてしまった。
しっかりと抱き抱えられ、顔を寄せて窓枠を覗き込む。
背後から同じ方向を覗き込むので、耳元に吐息の温度を感じ、大きく広げられた妖精の羽は宝石のテントの中にいるような不思議な色で、その美しさに密かにうっとりとしているネアを閉じ込めた。
薄暗い風車小屋の中に確かに森と湖の色相が宿れば、ネアは、その場に己の属性の持つ気配すら宿してしまう妖精というものの存在の鮮やかさを思う。
(でも、今は妖精さんだけれど、……………例えばここにロサさんがいれば、白薔薇を思うのだろうか)
少しだけ想像してみたが、妖精と魔物では、司るものの現れ方がまた違うのかもしれない。
「窓枠の部分に、外向きで彫刻があるのが見えますか?この、窓にかけられた守護が緩んでくると、彫刻の掘り込みが浅くなってくるんですよ」
「もしかして、この窓ガラスは糸車と同じ素材なのでしょうか?」
「ええ。質を揃えた魔術を添わせる事で、紡がれる糸の品質を高めるのだそうです」
「綺麗な彫刻ですねぇ。お花と糸車と、………これは怪物でしょうか」
「この術式模様は、エーダリア様が以前研究しておられましたが、糸の怪物と呼ばれるものなのだそうです。守護を強固にする為に、怪物を加えた模様を描くのもまた土地の人々の知恵なのでしょう」
(…………熊のような怪物だけれど、首回りの毛並みがふさふさしているのかな………)
面白い事に、この怪物がどんなものなのかは、まだ分かっていないのだそうだ。
口伝が禁じられた生き物であるらしく、新月の夜になると、使われている糸車やボビン工房を見回ると言われている。
糸を紡ぐ妖精達ですら知らない糸の怪物は、どちらかと言えば糸を扱う人間の生活圏に現れる物なのだとか。
「とても不思議で綺麗で、エーダリア様が、魔術に夢中になってしまうのが分かるような気がします。そして、今夜は新月ではない筈ですが、もし怪物さんが現れたら私が追い払いますね!」
「おや、その時は、私がお守りしますよ。ですが、良きものなのか悪しきものなのかの判断もなされていませんので、どのような役割を担うのかを知りたくもありますね」
「この模様を考えた方は、怪物さんと出会ってしまったのでしょうか…………」
ヒルドは、窓枠だけでなく、風車の羽が集めた魔術を注ぎ落とす、雲と呼ばれる天井飾りも見せてくれた。
近付くとムグリスディノがけばけばになったので、この小さな伴侶には、風車小屋に降る雨が見えているのかもしれない。
これは、雲型にトリミングした木の板を天井に嵌め込んであるのだが、風車小屋の大事な部分だからか、綺麗に磨き込まれており、一部が結晶化している。
近付いた時にふわりとラベンダーの香りがしたので、ラベンダーオイルで磨いているのかもしれなかった。
五十年に一度、新しい物に取り替える決まりで、取り外すと、裏側に作者のサインにあたる工房の印章が刻まれているらしい。
一通りの説明が終わると、ネアは地上に戻された。
ずしんという重力のかかる重たい着地ではなく、魔術による飛翔の着地はふわりと軽やかだ。
ヒルドは、まるでダンスを終えた後のパートナーのように、ネアがしっかりと立つまで手を握っていてくれた。
「…………では、手を離しますよ」
「はい。………ヒルドさん、窓や天井を見せてくれて、有難うございました。沢山わくわくしてしまいましたし、この風車小屋の仕組みや歴史にも触れられ、とても勉強になりました」
おまけに、ネア一人とムグリスディノ分の重さを抱えて飛んでくれたのだ。
ぺこりと頭を下げてお礼を言えば、ヒルドは青い瞳を細めて優しく微笑む。
「私は、ネア様には、このようにウィームの伝統や魔術の形に触れる仕事をしていって欲しいと思っております。とは言え、肩書きに見合った配分も有るでしょう。そして、こちらであれば一概に安全であるという事でもない。ですが、先日のダリルが体験させたような分野は、ネア様の持ち得る閃きや才能を生かせる場所ではないのだと、お忘れ下さい」
「……………ヒルドさん」
「ネア様の仕事は、ディノ様と共に薬を作ること。それは、契約の魔物の力や叡智を借りて恩恵を齎す、この上なく歌乞いらしく、だからこそ大切な仕事でしょう。ディノ様が作られる薬は、それだけでも、もう充分にこれ迄にない恩恵を我々に齎しております。…………無理をして祟りものを狩らずとも、立派に果たされている役割があるのだと、こちらは、どうか覚えておいて下さい」
「…………ふぁい」
優しい声でそう言われると、ネアは、なんだかぽすんとヒルドの胸に顔を埋め、よしよしと頭を撫でて貰いたくなってしまう。
胸元から顔を出したムグリスディノも、任せるのだと言わんばかりにしゃきんと三つ編みを立たせていた。
「さて。これで、風車小屋の視察は終了です。今回はどこにも問題はありませんでしたので、管理人に視察が終わったと声をかければもう帰れますよ。この近くの町には、鉄板型で焼いた糸の怪物焼きという焼き菓子があるそうですが、寄ってゆきますか?」
「よ、寄ります!!」
「キュ!!」
「糸の怪物さんがあるとなると、風車の獣さんのお菓子もあるのでしょうか?」
「いえ、そちらは作ろうとしたところ障りがあったので、諦めざるを得なかったのだとか」
(という事は、怪物さんはなかったんだ…………)
口伝はならないが、怪物焼きにしてしまうのは構わないらしい。
そんな落差が気になったが、この土地で生きる人々の逞しさを見せられたようで、ネアは何だか唇の端を持ち上げてしまう。
しかし、ヒルドに案内されて訪れた町では、思っていた以上に糸の怪物が商業利用されていて、ネアは、きっとこちらの怪物は寛容な生き物に違いないという確信を得て帰ったのだった。
なお、怪物焼きはふかふかのパウンドケーキで、シナモンの香りのする素朴な焼き菓子である。
ジャムを付けて食べるのもいいらしいが、檸檬ジャムをつけようとすると逃げ出すので要注意だ。




