小箱と街と山猫の荷馬車 5
「で?どこをどうしたら、お前がここに居る羽目になるんだ」
「むぅ。さも私の事故のように言いますが、何某かの陰謀に巻き込まれただけなのです」
「ほお。どうせお前の事だ。この時期となると、ジルク絡みだろう」
ネアがそろそろ就寝時間かなというところで使い魔に責められているのは、本日宿泊の部屋の中である。
あの後、もう一度執務室に戻って話し合うかいと提案してくれた、アンジュリアにこちらの問題だと首を横に振ったのはアルテアだ。
結果としてこちらで、三人で話し合う事になってしまったが、部外者が居た方が追及が和らいだかもしれないので、ネアは密かにがっかりしていた。
なお、落ち着いた青色の壁紙に凝った窓辺の装飾が美しい部屋は、可愛らしいホテルのようでネアは目をきらきらさせるばかりである。
重厚な飴色の調度品は優美な草花の意匠で、カーテンは綺麗なミントグリーンだ。
「宝物庫の妖精さんが……」
部屋の中にある長椅子に座って渋々そう説明をし始めると、アルテアの表情が強張る。
目の前に立ったアルテアに、伸ばされた手で顎を持ち上げられ、ネアは目を瞬いた。
いつの間にか手袋は外したようで、こちらを見る赤紫色の瞳は鋭い。
ふつりと落ちた前髪の影に、ほんの少しだけ瞳が翳った。
「……………あの商会の職員や妖精達は、リーエンベルクの関係者には手を出さない予定だった筈だ。ウィームの住人を、だが、ある程度救出に手をかけるような者を一人と聞いていたが」
「……………なぬ。さては一枚噛んでいますね?」
「俺は、あくまでもその事後処理を任されただけだ。ヴェンツェルの依頼で、統括の魔物としての整地に過ぎん」
「やれやれ、あなたがこちらにいた以上そんな予感はしていましたが、今回の事件の事情は、アルテアが知っていそうですね」
ふうっと溜め息を吐き、ウィリアムは呆れたような目をしている。
コートを脱いでクラヴァットを外しているので、どこか寛いだ印象だ。
そんな終焉の魔物の方を一瞥し、アルテアは顔を顰めた。
「この街の中には既に、ハバーレンの妖精の王の副官が入り込んでいる。お前はくれぐれも余計な手出しをするなよ」
「という事は、やはり妖精側の事情なんですか?」
「元はと言えば、ヴェルクレアの第五王子の癇癪だ。あいつは、近い内に王側の陣営から報復を受けるだろうな」
「まぁ。第五王子様の画策なのです?となると私は、そやつに報復しなければならないようです…………」
「……………は?」
「アルテア、ネアは酷い目に遭ったんですよ」
ここでウィリアムが、こちらに落とされた際にネアが負傷した事を話してくれたので、ネアは、今はもうすっかり治ってしまった両手首を掲げて、とても怖かったのだと主張した。
これは何も哀れな乙女感を誇示したい訳ではなく、万が一アルテアが森側から何かを画策していた場合に備え、これ以上の負荷は受け付けられませんと主張する為でもある。
「……………見せてみろ」
「むぅ。もうウィリアムさんに治して貰いましたし、あの憎たらしい鎖は、ウィリアムさんがばりんとやってくれました!」
「拘束をかけるかどうかは、ジルクの側で調整出来た筈だ。……………敢えてそれをしたとなると、お前の姿を見えなくさせておく必要を感じるくらいには、あいつも頭を使ったという事だろうが……………」
「他に手段はなかったのでしょうか。せめてあの鎖は、もう少しお手入れしていて欲しかったのです……………」
「そうそう作り足せるものじゃないからだろう。……………そもそもお前は、落とされた先で存在を認識させないように身を隠すだけの力がないからな」
「……………私の可動域は、上品なだけなのです」
そう言われてしまえば、鎖なしの運用もあったのだと知っても、他に手がなかったのだと理解は出来る。
だがまだ、どうして今回の事が起こったのかの説明は成されていない。
そう考え、ネアは少しだけ悩んだ。
こちらの世界の魔術の理に漏れず、知ると言う事は知られる事なのだ。
相手方に妖精王の副官などという者がいるのであれば、あまりそちらの騒ぎには巻き込まれたくない。
(でも、……………知っておかないと報告も出来ないわ。…………今回は、きちんと理由を訊いておいた方がいいのかもしれないし……………)
「キュ……………」
悩ましいところだと眉を寄せていると、胸元から取り出して膝の上に設置していたムグリスディノが心配そうにこちらを見上げている。
ネアは小さく微笑み、そんな伴侶のお腹を指先で撫でてやった。
「事情をお聞きしなければと思いながらも、知る事で知られてしまっても怖いので、どこまでをアルテアさんにお聞きするべきなのかを悩んでいました」
「キュ」
「ふふ。もふもふの伴侶と、ウィリアムさんが一緒なので怖くはないんですよ?」
「キュ!」
「ネア、安心していい。今夜は俺も同じ部屋だからな」
「おい、お前に妖精の浸食の判断はつくのか……………?」
「嫌だな。既にこの一件に関わっているアルテアよりは、俺が側にいた方が安全だと思いますよ」
「言っただろうが。俺は外周からだ。……………それと、今回の一件はかなり込み入っている。足を取られないように状況を一通り説明しておくぞ。カードを開いておけ」
「むむ!」
ネアがこちらの懸念を伝えた上でアルテアがそう判断したのであれば、覚悟を決めて話を聞いた方が良さそうだ。
こくりと頷き、ウィリアムから預かっているカードを取り出すと、まずはこちらでアルテアと遭遇した旨と、アルテアが事情を知っていそうだという事を共有させて貰う。
“そちらで、アルテアに会えたのだな。たった今、兄上からもその中に統括の魔物がいる筈だという連絡が入り、お前に連絡を取ろうとしていたところなのだ”
すぐにエーダリアから連絡が入り、リーエンベルクを離れているダリルも交えての会話をする為に、色々と準備を整えていたところだったのだと告げられた。
“まぁ。という事はヴェンツェル様とも事情を共有出来たのですね”
“ああ。兄上は今回の一件については事の経緯を把握されていたようだが、宝物庫の妖精の魔術を警戒して、こちらへの共有が遅くなったらしい”
“ダリルは、共有ではなく許可だと言っていますがね”
それは即ち、ウィームの領民を一人利用するつもりだったという点に於いてだろう。
ネアは、ムグリスディノにもカードのやり取りが出来るよう、もふもふの伴侶をテーブルの上に乗せ、アルテア達にもやり取りが見えるようにカードの位置を調整する。
(……………か、可愛い!)
そうすると、ててんとテーブルに座ったもこもこの伴侶の後ろ姿が視界に入り、あまりの愛くるしさに悶絶しそうになるが、ここは真剣な報告会なのだ。
ネアは心を殺してその背中を指先で撫で撫でしたい思いを堪えた。
“何を暗躍したのかはさて置き、よりにもよって、こっちにこの被害だ。まぁ、あの王子にはきちんと対価を支払って貰う事になると思うけれどね。まずは、アルテアから事の経緯を聞いてくれるかい?”
“はい。そうしますね”
「……………という事なのですが」
「発端は、第五王子が、女の問題で国王と揉めたことに起因する」
「記憶違いでなければ、その王子はまだ子供なんじゃなかったか?」
「何という迷惑な理由なのだ…………」
とは言え今回の一件は、紅薔薇の妖精達の階位が一時的に落ちかけているという、ネアも知らなくはない問題が影響したようだ。
王都でのとある舞踏会で、ロクサーヌに代理妖精としての役目の多くを任せていたディートハルト王子を、国王がさらりと窘める場面があったらしい。
それは、決してロクサーヌを手放せというような内容ではなく、現在の彼女の立場を踏まえ、厄介な交渉でより難しい立場に置かないようにという忠告であったのだが、ディートハルト王子はそうは受け取らなかった。
その場に居たヴェンツェル王子が聞いても問題はなかったそうなので、表現が伝わり難いという事はなく、残念ながらディートハルト王子の受け取り方がだいぶ捻くれていたというだけのようだ。
好意的にみれば、ロクサーヌが大事な人だからこそ、過剰反応したと言えなくもない。
だがその一件で腹を立て、父王がロクサーヌを排除しようとした場合に備え、父殺しの槍などというとんでもないものを用意しようとしたあたりは、やはりまだ子供なのだろう。
「……………ですが、王子様なのです。ご自身のお立場を危うくするような行為を、どうしてどなたも諫めなかったのでしょう?」
「そこは、あの王子の支持者達が、甘やかし過ぎているせいだろうな。あの人間が集めているのは、自分を愛玩する女達ばかりだ。ロクサーヌが、耳に痛い意見も言える文官を手配したが、周囲の女達がそれとなく遠ざけているので機能していないらしい。文官共も抵抗はしたようだが、相手はある程度高位の人外者だからな」
そんな背景を聞けば、ネアは、今更ながらに人外者達の寵愛の偏りについても考える。
彼等の多くは人間の組織での作法や調整などは気にも留めない。
その不安定さを理解して力を借りなければ、場合によってはどれだけ有用な力も毒となりかねないのだ。
「……………そうして手にしてしまった守護や庇護は、使い方を間違えると怖いものなのですね」
「それが不可侵の権力であれば、またそれはそれで成り立つが、あの程度の揃えでは難しいな。王側の陣営であれば、白樺一人で簡単に処分が出来る。資質上の相性もあるが、正面からぶつかれば正妃の精霊共も勝るだろう」
であるならばやはり、その王子は、そんな短慮な振る舞いはするべきではなかったのだ。
ネアはほんの少しだけ小さな王子の愚かさが哀れになり、とは言えウィームの害悪になるのであればと、そんな感傷はすぐにどこかに流れ落ちていってしまった。
「その槍を探す為に、今回の一件が起こったのか?」
「あの槍がかつて保管されていたのは、ハバーレンの妖精が管理していた宝物庫だ。そこから失われてとうに流れているが、槍の在り処の情報が混乱しているようだな。因みに父殺しの槍はヴェルクレアには流れないように調整済みだ」
「現段階では、こちらの妖精さんは完全に無関係です……………」
ネアはそう眉を寄せたが、ここから、情報というものの曖昧さと、それを追いかけてしまった妖精達とそれに関わった人間達の混乱を重ねて思い知らされる事になる。
まず、ディートハルト王子が頼ったのは、自身の取り巻きの人外者達であった。
すると、ハバーレンの妖精が管理していたという、その時点でもう既に古い情報が上がってきた。
その妖精達は王都の宝物庫を管理していたが、残念ながらそれを知らず、ハバーレンの妖精への伝手がなかったディートハルト王子は、そこから更に、ハバーレンの一族に伝手のあるヴェルリア貴族が興した商会を頼る事になる。
「名前なんぞどうでもいいが、紛らわしいから名前を出すぞ。その、ロゴ商会で状況がますますおかしくなったらしい」
うんざりしたように説明するアルテアは、どこから出したのか、ネアの前にことんと葡萄ゼリーを出してくれた。
丁度まだ歯磨きもしておらず口寂しくなっていた人間は、思わぬおやつに椅子の上でひと弾みする。
笑顔で見上げると、アルテアはやれやれと肩を竦めてみせた。
ロゴ商会が最初に話を持ち掛けたのは、ハバーレンの王とその副官であったらしい。
すると、父殺しの槍を管理していた妖精が亡くなっている事が判明した。
と同時に、問題の槍が行方不明になっている事も発覚し、ではその妖精はどうやって死んだのだという話になる。
情報が錯綜し始めるのはここからで、ロゴ商会がどこからか、問題の槍が山猫商会の隔離金庫の中にあるらしいという情報を仕入れてきた。
その情報と時を同じくして、その槍を管理していた妖精を殺したのはアクス商会の者だという一報も入る。
アクスの情報はすぐに裏が取れ、槍を管理していた妖精は、どうやら悪変してアクス商会に災いを持ち込んだ事が原因で処理されたと判明した。
「因みにお前も関わった事件だな。ザルツに住んでいたシーが、郵便でアクスに煮込んだ悪夢を送り付けた一件があっただろう」
「……………おのれ、嘘の精霊め……………」
「ああ、あの時か……………」
ネアは、その一件からどんな事件に発展したのかを思い出し、わなわなと震えた。
問題になった妖精は、確かアイザックに失恋して荒ぶってしまったと記憶しているが、寧ろその影響で対峙した嘘の精霊の方が記憶には鮮やかだ。
ウィリアムが少しだけ遠い目をしているのは、その時のリムファンの王都に、アンジランの夜光灯から解放された怪物たちが現れたりもしたからだろう。
「ですが、アクス商会でもなく、なぜ山猫さんの金庫の中という話になったのですか?」
「ロゴ商会の情報源が、余程いい加減なんだろう。因みに、問題の槍はあらためて確認してきたが、別の国の宝物庫にしまわれていたぞ」
「となると、完全な誤情報か。その情報の信憑性が問われなかった理由はあるんですか?」
「ハバーレンの王子が、少し前に山猫の金庫に暮らす別氏族の宝物庫妖精から、取り戻さないといけない品物があると話していたらしい。因みに前述のシーの兄にあたる」
「うーん。この流れでいくと、それが父殺しの槍だと取り違えられたが、そうではなかったという感じなのか……………」
「王子側が触れた品物については、実際にそのような品物があるのかも含めて確認しているところだ。だが、その情報を聞きつけたハバーレンの国王派が焦った。どうやらハバーレンの王族も、父王と息子の間に問題を抱えているらしいな」
「それはつまり、息子の一派に父殺しの槍は渡さないぞ的な……………」
「うわ、こんがらがってきたな………」
あんまりな連鎖にネアはとても悲しくなったが、得てして、運命というものは馬鹿馬鹿しいくらいに救いのない方向へ転がる事が多い。
となればこれは、運命が運命らしく転がったとも言えるのだろう。
かくして、ヴェルリア貴族からの依頼という大義名分を得たハバーレンの妖精の国王一派は、自分達の事情もあり、とても意気込んだ。
ヴェルクレアの王子の依頼だという品物の回収に応えつつ、王子一派に父殺しの槍を渡さない為に一刻も早くとその回収を急いだのだ。
なぜ、誰もが情報が正確かどうかを確認しなかったのかと思うだろう。
しかしそこには、確かにハバーレンの王子が、山猫の金庫の中に暮らす宝物庫のシーに求婚していたという明白な過去が立ちはだかる。
それを踏まえ、そこを隠し場所にしたのであれば、さもありなんという認識が生まれてしまったらしい。
「憶測で動き過ぎなのだ…………」
「まぁ、宝物庫の妖精だからな」
「そういう傾向がある方々なのですか?」
「彼らの資質は二択なんだ。見栄っ張りで軽率か、有能で慎重かそのどちらかだ」
「…………まぁ、当たり外れなのです?」
ネアが思わずそう言ってしまうと、ウィリアムは言われてみればそうだなと苦笑した。
そのどちらもが、宝物庫の妖精の資質なのだとか。
「ウィームの住人を一人こちら側に落とすという戦略は、山猫の金庫の中からの戻り道を確保する為だ。ウィームの住人を使うと聞いて尻込みしたロゴ商会の連中を内部浸食してまで動かしたのは、妖精共が槍回収したさに歯止めが効かなくなったからだろうな」
「という事は、帰り道はウィームの住人の内側に巣食うつもりだったのか…………」
「……………それはつまり、私がその帰り道の乗り物にされるところだったのです?」
「キュキュ?!」
ネアがそう呟けば、慌てたムグリスディノがネアの指にひしっと抱き付いて荒ぶっている。
そんな伴侶を両手で包み込み、頭の上に口付けを落とすと、今度は三つ編みがへなへなになってしまった。
(……………そうか。だからこちらには、既にハバーレンの王の副官がいるのだ)
その妖精は恐らく、槍を手に入れてから哀れな獲物の内側を奪う為に、先んじて中に入っていたのだろう。
ネアはふと、ジルクの荷馬車の箱を覗いた時に見えたような気がした妖精の姿を思い、ぞっとして身震いした。
(槍が手に入っていなくても、入れ物だけは手に入れておこうとしたのなら……………)
鎖で拘束され痛い思いもしたが、そうして隠されていなければ、その妖精に乗っ取られかけたのだろうか。
守護云々で弾けそうな気もするが、そんな目的の妖精に襲われたら、きっと怖い思いもしただろう。
そう考えると、ジルクの判断に幾重にも救われた事になる。
“………そちらに、既にハバーレンの妖精が下りていたのは、想定はしていたが確証がなかった。その情報が手に入っただけでも有り難い”
“むむ、そうなのですか?”
“ああ。王の副官はかなり厄介な武人であるらしい。その妖精がいない隙に、王都では王や兄上が内々に動き、そろそろ現ハバーレンの王には引退して貰おうという運びになりそうだ”
“という事は、そちらでは、ハバーレンの王子様と連携が取れているのですね”
“ああ。兄上が知り合いだったのだそうだ。だが、それが足枷となって、ぎりぎりまで今回の一件についてウィームと共有が出来なかったらしい。…………それが建前で、想定しうる最悪の展開を避けられるのであれば、ウィームの領民の一人くらいの犠牲は致し方ないという思いもあったかもしれないがな………”
そう書いたエーダリアの隣にはきっと、ヒルドやノアがいる。
そう思うととても安心して、ネアは、かもしれませんねと答えておいた。
エーダリアにあらためて確認したところ、ネアの身代わりとしてこちらに落とされたウィームの領民は、近く、妖精の違法売買で捕縛される予定だった人物らしい。
裁判を受けた後は、子供達を奪われた妖精に下げ渡される予定だったので、こちらでどうにかなってしまっても構わないというのが、ダリルの見解だ。
ネアはここで、アンジュリアとトレベルの提示した案をあらためてカードから共有させて貰い、ダリルからもその方向で構わないという了承が取れた。
ただし今回の一件は、この事件そのものを利用して、バーンディア王の陣営が国の別の面を手入れしている可能性も高いと言う。
ダリルの言葉をそのままノアが書いてくれるので、ネアは、カードの向こう側のダリルと話しているような気分になった。
“第五王子の躾にも使うだろうね。今回の一件で、二つの商会が軽微な不利益を被る。その上で、それぞれの商会に、自分の感情を制御出来ずこのように振る舞う人間なのだと第五王子の愚かさを周知する事にもなった”
“………今後、或いは当面の間、主だった商会のどちらとも、有利な取引きが見込めなくなるのですね?”
“そう。それが、派閥としての足場を固めたい第五王子派にとって、どれだけの足枷となるか分かるかい?少なくともその出遅れは、今後あの王子が王位継承者としてその名を並べる事を許さないだろう。独自の仕入れのルートでも持たない限り、一流どころ商会を経由せずに王子としての矜持を保つのは難しい。あの王子はこれから、誰かに頭を下げて王子としての体裁を保たなければならなくなるんだよ”
(第五王子が、ジュリアン王子の軍門に下ることはないだろう…………)
何しろ第五王子の母親を死に追いやったのは、第四王子派であったレーヌである。
恐らくは、その小さな心を困った小さな怪物にねじ曲げかける最初の要因ともなった悲劇を引き起こした者達に、ディートハルト王子は決して膝を折るまい。
それはつまり、事実上、バーンディア王に謝罪をしてその慈悲を請うか、ヴェンツェルの派閥に下ると言うことを示唆していた。
(……………凄い)
政治的な教養がないネアも、この小さな小石が広げた大きな波紋に慄くばかりだ。
ダリルは更に言葉を重ね、ハバーレンの王の副官にも用心するようにと忠告する事を忘れなかった。
エーダリアが指摘したように、一人で父殺しの槍の回収を任されただけあり、その妖精はかなりの手練れであるらしい。
「だからこそ、外では俺との接触も避けろ。このアンジュリアの領域とされる建物の中にいる間は、領域の魔術で隔離されているが、外では俺も、統括の魔物として訪れているからな」
「その、………アルテアさんは、今回はどのような役割りなのです?ジルクさんは、アルテアさんがこちらに下りている事をご存知なかったようなので、こっそり入ったのですよね?」
ネアがそう問いかけると、アルテアは魔物らしい赤紫色の瞳を細めてはっとする程暗く微笑んだ。
「山猫の目くらい、盗めないと思うか?」
「ディノ、アルテアさんはこっそり忍び込んだようですよ………」
「キュ………」
「おい、その目をやめろ」
アルテアの役割りは、抑止力なのだそうだ。
もし万が一にでも、ハバーレンの王の副官がここにはない筈の父殺しの槍を手に入れる事があれば、その妖精を狩る事がヴェルクレア王の名の下に許される。
また、同等の危険を持つ武器や魔術具などを持ち帰るようであったとしても、それが許されるのだそうだ。
「その許可がないと、狩れない妖精さんなのですか?」
「考えてもみろ、国の財産を納めた宝物庫の管理をする妖精達だぞ。ヴェルクレアの場合は、相互間の守護と機密保持などの魔術誓約を交わしている。討伐や刈り取りが許されるのは、悪意を持って国民を襲った場合だけだ」
「………まぁ。となると、ウィームではそんな妖精さん達を捕まえてしまったのです?」
「ヴェルクレアの宝物庫の守り手は、数年前に入れ替えられたばかりだからな。国の宝物庫の守り手の情報は、王都でも国王を始めとしたごく限られた者達にしか開示されない」
「なのに、その商社の奴らめは知っていたのです?」
「いや。まさか、国の宝物庫の管理人だとは思わなかったんだろうな。ハバーレンの妖精達の契約は現王によって行われている。下手をすればそちらの動きが筒抜けになるだろう」
「それなのにこんな事をした妖精さん達を見て、国王様は、ハバーレンの王様を排除する事にしたのですね…………」
「そういう事だな」
明日は、アンジュリアの要請の通り、ネア達は市場や陶器の工房で買い物をする事になった。
アルテアは別行動でハバーレンの副官の所在を探りつつ、ウィームからのお客を見張る事になる。
エーダリア達とのやり取りをしていたカードを閉じ、ネアは、空っぽになってしまったゼリーの器を見て、美味しかった記憶を反芻しつつお口をむぐむぐした。
「ったく。…………顔を上げろ」
「むぐ?!」
顎を持ち上げられ、口づけが落とされる。
ムグリスの伴侶がぴゃんとなってしまい荒ぶるので、ネアはすぐにそんな伴侶にも口づけをしてやる羽目になった。
「祝福を深めておいてやる。もし何かがあれば、すぐに俺を呼べ」
「むぐぐ、鎖でがしゃんとやられた際には、応答がありませんでしたよ?」
「届かないだろうな。ここは宝物庫の中で、お前はその理に紐付いた管理の鎖をかけられていたんだ」
「……………なぬ。ぞくりとしました」
「うーん。となると、今後は封印庫の魔術対策もしておいた方が良さそうだな」
「そのあたりを、補償として取り付けるのがいいだろうな」
ネアに祝福を落とすために跪いていたアルテアは、ゆっくりと立ち上がるとなぜか眉を顰める。
何か問題があったかなと顔を上げたネアを、酷く暗い目で見下ろすのはなぜだろう。
「……………おい。どうやって寝るつもりなんだ」
「このお部屋の寝室は二つあるのですよね。ですが、寝台が離れているのは危ないという事で、ウィリアムさんとムグリスディノと、一緒に寝…」
「ほお?ウィリアムと?」
「アルテアは、勿論自分の部屋に帰るでしょうから、ネアのことは俺とシルハーンで見ていますよ」
「キュ!」
「お前に、侵食排除が出来るとは思えないな」
「この建物には、隔離領域の魔術があるんですよね?それに先程、トレベルから就寝時の安全確保の為に守護布を貰ってきてありますから。心配しなくても大丈夫ですよ」
にっこり微笑んだウィリアムに、ネアもこくりと頷く。
ウィリアムとの間にムグリスディノを寝かせて、しっかりとくっついて眠る予定だったのだ。
しかしアルテアは、なぜか顔を顰めるではないか。
「やれやれだな。俺もこっちに部屋を移すぞ」
「…………まぁ。アルテアさんも不安なのです?」
「何でだよ」
「ネア、アルテアは一人で眠れるようだから、隣の寝室を使って貰おうな」
「お前は、自分の取り分の計算をする前に、どちらが有用かを考え直してみろ」
「考えていますよ。何なら、小さく鳥籠の魔術を切り出してもいいくらいですからね」
「キュ………」
「まぁ。………私はその、顔を洗ってもう横になっていてもいいのでしょうか…………」
そろそろ寝たい人間は、そう呟くと顔を洗いに行く事にした。
すぐにウィリアムに捕まえられてしまい、ひょいと背後から抱き上げられると、くれぐれも一人で行動しないようにと注意されてしまった。
生理的かつ人間の尊厳に関わる問題については、布紐対応となる事になり、ネアはとても悲しい目になる。
「まだ議論しているようなので、私達は先に寝てしまいましょうね」
「キュ!」
ネアは、何やらまだ議論中の魔物達を眺めて少しだけ遠い目をすると、そそくさと寝台に潜り込む事にした。
すぐに叩き起こされ、アルテアに顔にクリームを塗り込まれたので、若干むしゃくしゃして眠りにつく。
翌朝目を覚ますと、ゆったり二人使用の寝台にまさかの三人と一匹で寝る羽目になっており、ネアはぎゅう詰めで寝かされた恨みを精一杯唸る事で示しておいたのだった。




