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小箱と街と山猫の荷馬車 2



ぼんやりとした水晶のカンテラの灯りがさざめく、不思議な金庫の中の街の夜。

山猫商会の商品箱の中に落とされたネア達は今、助けに来てくれたウィリアムに持ち上げられ、あまり人通りのない静かな表通りを歩いていた。



驚くべき事に、ウィリアムはいつの間にか、リーエンベルク所有のカードも持っていたらしい。

そこから無事に合流したことを報告してくれ、ネアは、エーダリア達や心配しすぎてくしゃくしゃになってしまっていた義兄とも話が出来た。



ひんやりとした夜風は、春のものでいいのだろうか。

胸元に入っているムグリスディノも、あちこちを見回してもぞもぞしている。


かつこつと響く靴音に、ネアは周囲の建物を窺ってしまうのだが、時間的に商店などは既に閉まっているようだ。

しかし、飲食店にはお客が入っている気配があるので、まだ就寝の時間という訳でもないのだろう。



(少し遅めの、晩餐の時間という感じなのかしら………)



街路樹の背は高く、木々のカンテラの明かりで間に合うからか、街灯はない。

建物はどこか異国風の砂色煉瓦作りで、装飾などはどこか砂漠の方面の国々のようだ。

ネアがどこの意匠だろうと首を傾げていると、小さく息を吐いたウィリアムが、白金色の瞳を細める。 



「ハーグルムーハの街そのものか。…………地上から忽然と消えた小さな街だが、金庫の中に移築されていたとは驚きだな」

「むむ、だからこそハムの街なのです?」

「以前の街の名前を封じ、ここに隠されたんだろう。ロクマリアが、カルウィ近くまで領土を広げていた最盛期の頃に、最も東寄りだった国境域の街だった所だ。処刑された第二王子の支援者達が多く住み、国王に取り潰しを命じられたが、取り潰しの日の朝にはもう街がなくなっていたらしい」

「ま、街ごと金庫の中に入ってしまえるのですね………」

「ああ。タジクーシャも似たようなものだからな」

「は!そ、そうでした。タジクーシャも、閉じてしまえるのですものね………」



ネアは、こんな時に街の歴史を知っている魔物が側に居てくれると事の頼もしさにむふんと頬を緩め、これから訪ねるのはどんな人なのだろうと、どきどきする胸をそっと押さえた。



「キュ…………」

「ふふ、怖がっているのではなく、どのような方にお会いするのかなと考えていただけなのです」

「キュ!」

「ウィリアムさん、この街はどのようなところだったのですか?」

「良質な陶器と燻製肉で有名な街で、兵士達に人気の安価な食堂が多かったな。建物が整っているので印象が違うだろうが、貴族の街ではなくて、中流階級の人間達が多く暮らしてきた街なんだ」

「…………ハ、ハム様もありますか?」

「あると思うぞ。だが、この街で最も有名なのは、林檎の木のチップで燻製されたベーコンだった筈だ。食べられる機会があれば、食べてみるといい」

「は、はい!!」



そんな一言でもう、ネアの心の中から、重たい鎖に拘束された悲しみは流れ落ちていってしまった。

美味しいベーコンというものの汎用性はかなりのもので、そこから派生する料理は数知れず。

ベーコンを入れるだけで味わいの深さが変わる料理も沢山あるので、美味しいベーコンがあるという事はもう、この街の料理が美味しい証と言っても過言ではないだろう。



すっかり嬉しくなってしまい、唇の端を持ち上げると、なぜかウィリアムがじっとこちらを見て表情を緩める。

おやっと首を傾げれば、ウィリアムはどきりとするような優しい目をして、ぎゅっと抱き上げ直してくれた。



「ウィリアムさん………?」

「あんな事があった後だからな。ネアの表情が明るくなって、ほっとした。今夜は、この街で何か美味しい物を食べような」

「はい!」

「キュ!」


ネアが視線を落とすと、ムグリスディノもすっかり元気になっていて、三つ編みをしゃきんとさせてもふもふしている。

この小さな伴侶にもどれだけの心配をかけたのだろうと考え、ネアは、ムグリスな伴侶を安心させてくれたウィリアムの存在にあらためて感謝した。



(……………あ、)



暗い街の歩道で、初めて街の住人とすれ違った。

少しふくよかな男性は、トップハットにジャケットの紳士めいた服装だが、足元はしっかりとしたブーツというアルビクロムの領民のような姿をしている。

そして、見た事のない不思議な意匠の羽飾りを帽子につけていた。


鮮やかな赤と黄色の羽は、夜の光の中でしゅわりと魔術の光を帯びていて、ネアは不審がられない程度にちらりと観察しておき、何だか悪くない雰囲気だぞと密かに心を躍らせる。



(あの羽飾り一つで、服装の雰囲気を砂漠の国の住人のように変えているのが、何だかとても素敵だわ………。それに、とてもお洒落な人だったな………)



胸元にしゃらりと垂らした金のチェーンは、一瞬しか見えなかったが手の込んだ細工であった。

ウィリアムに教えて貰ったように、上流貴族の装いとは違う崩したような合わせ方であるが、何とも言えないこなれたお洒落さがあり、まだたった一人の住民を見かけただけなのに期待値は高まる。



(むむ………!!)



ここで、路地裏からまた住人が現れた。

今度は夫婦と思しき二人連れで、こちらもまたお洒落な装いである。

男性はシャツ姿だが、黒い帽子と黒いサスペンダーがとても小粋な感じで、女性のドレスもシンプルだが体を綺麗に見せる縫製と、バッスル部分を膨らませたドレスのデザインが何とも優雅ではないか。


今度も男性は帽子に羽飾りをしていて、女性はじゃらりとした凝ったデザインの装飾品に異国風のお洒落が見られる。

ちらりと見えた足元は、編み上げのサンダルのようでこちらも素敵なものだった。



「………キュ?」

「ディノ、こちらの街の方は皆さんとてもお洒落さんなのです!私には到底真似出来ないような、絶妙な組み合わせが楽しくて、ついついじっと見てしまいますね」

「キュ………」


そう言えばムグリスディノはしゅんとしてしまうが、これは何を言っているのか分かるので、ネアはくすりと微笑んだ。


こちらの魔物は、いつだって伴侶が一番だと主張したい困った優しい魔物なのである。



「…………そろそろ見えてくる筈だが。ああ、これだな」

「まぁ。とても立派な建物ですね。庁舎のような施設に見えますが、一階部分がレストランになっています」

「ああ。ここは、土地の料理を安価に食べさせてくれる店だったんだが、まだやっているんだな。この街の管理人に会った後に時間があれば、ここで食事をしようか。確か、遅くまで開いていた筈だ」

「はい!見て下さい、お店の中のステンドグラスがとっても素敵なのですよ」



これではいけないと思いつつも、ネアは少しだけ観光気分でほくほくと微笑みを噛み締める。

ぷわんと漂う焼きたてのパンのいい香りに、お店に入るお客が扉を開けた際に、美しいバイオリンの調べが聞こえてきた。



(とても不思議だわ。…………金庫の中という閉ざされた土地の中にも人々の生活があって、それは、こんな風に優雅で満ち足りた物なのだ)



人々の生活がどのようなものなのかは、その表情を見れば一目瞭然だ。


幸せそうに食事に向かう家族連れの笑顔は、この街がどれだけ上等な管理の下にあるのかを教えてくれる一端である。

街行く人々のお洒落さも、装いを楽しむ余裕のある日々なのだと示すよう。


勿論、人々の暮らしは決して一面で成り立つものではないので、影になるような部分もあるのだろうが、一時的に滞在するだけの通りすがりのネアにとっては、こうして整った表層があるだけで充分であった。



(そして、ここはなんて立派な建物なのだろう)


どこか異国の聖堂めいた建物の入り口正面の壁には見事な彫刻と壁画があり、けれども一階部分をレストランにしている作りには親しみやすさもある。

入り口には大きな陶器の鉢が置かれ、艶なしのどこか掠れたような青磁色は、冬の日の朝のようななんとも言えない美しさであった。


とろりとした蜂蜜色の階段を登って石床を踏み、庁舎のような建物の入り口に向かう。

途中でレストランの方に分岐する道があり、優美な木の手すりのあるそちらには向かわず、ネア達は衛兵めいた装いの二人の男性に守られた入り口に向かった。



「止まられよ。このような時間に訪問は受け付けておらぬ」



そう告げたのは、向かって右側の男性で、二人の衛兵は深い青色の騎士服のような装いである。

と言っても、近衛騎士のような華やかな騎士服に、どこか軍服めいた物々しさも加えられたまたしてもお洒落な装いで、帽子にはやはり羽飾りがある。

この羽が、黒に赤と青の色鮮やかさでとても美しいのだ。


「山猫商会のジルクからの書状を、預かって来ている。どんな時間であっても、それには目を通すだろうと言われて訪ねたんだが、取り次いで貰えないだろうか」

「…………監査の年ではない筈だが、となると予定外の客人か。厄介ごとでなければ良いのだが」



そう呟いたのは、最初にネア達を追い払おうとした男性ではなく、左側に立つ中肉中背の男性だ。

飄々とした物言いだが、なかなかに頭の回転の早そうな人物なので、ネアは、物語本だとこのような人物がなかなかの情報通だったりするのだと鋭い目で凝視した。


この建物の、恐らくは土地の為政者が過ごす施設を守る兵士としては軽装備なので、彼等は魔術師なのかもしれない。

言動からすると、それなりの権限を持たされているようだ。



その時のことだ。


ジリリリンと、生まれ育った世界で聞き慣れた電話のベルの音が響き、ネアはウィリアムの腕の中で飛び上がった。

左側の衛兵の方がなんとも言えない顔になり、さっと壁に備え付けられていた受話器のような物を手に取る。



(…………電話に似ている。でも、受話器のような道具に見えるけれど、見た事のない部品も付いていて、まるで楽器のようにも見えるのだわ………)



その道具を見た瞬間はひやりとするような思いだったが、似ているだけで違う物なのだと理解すると、ネアは胸を撫で下ろした。


生まれ育った世界なのだ。

決してあの世界を呪うような事はないのだが、それでも、こちら側でその気配に触れるととても怖くなる。

ネアはもう二度と、大切な人達のいないあちら側に戻りたくはないのだ。



「………二人とも、そのお客は上に上げて構わないよ。ジルク坊やの魔術誓約書の匂いがするからね」



(………女の人だわ!)



びりりと響くような声は、ネア達にも聞こえた。

ひび割れて掠れた声だが、力強く魅力的な声だ。

力を持ち、その力の使い方を理解した頭の良い人の声だと考え、ネアは気を引き締める。


この金庫の中の街が山猫商会の管理下にあるとは言え、その街を治める人が、そこから独立した権限を持っているという事をやっと肌に触れる声の響きで理解したのだ。



かしゃんと受話器を置き、ではと、手で奥の階段を指し示した衛兵に従い、二人の衛兵がそれぞれ取り出した鍵で開けてくれた扉をくぐる。

ここで、ウィリアムには自分で歩くと言ったのだが、なぜかにっこり微笑んで首を横に振られてしまった。



扉もステンドグラスの嵌め込まれた美しい意匠であったが、ぎりぎりっと開かれる瞬間の音を聞くと、かなり重たい扉らしい。

見た目の優美さで判断する程に簡単に開けられる物ではないようなので、その落差を付けたのは防犯上の工夫だろうかと感心しながら、ネアは思っていたよりもずっと広い階段にぽかんとした。



扉の向こうには、小さなエントランスホールから続く、広大な吹き抜けの空間があった。

大きなシャンデリアが吊るされ、その光が細やかに煌めく。



「まぁ、…………なんて立派な階段なのでしょう。壁画もとても美しくて、………美術館のようですね」

「ここは、元々は美術館だった筈だ。途中で辺境伯が暮らしていた城砦が国の管理下に置かれ、拠点をこちらに移したんだったかな」



そんな説明をしてくれたウィリアムにぎょっとしたように振り返った衛兵は、ここで漸く、明るい建物の中の光で客人の髪色を見たらしい。

慄いたように体を揺らして蒼白になったが、ネアとしては、寧ろ今まで気付かずにいた事の方が驚きであった。



(ウィリアムさんだから、…………なのかな)



終焉には元々、雑踏に紛れる資質がある。

終焉の魔物としての力は損なわずにこちらに来ているのだから、そうして印象を抑えていたのかもしれなかった。


かつこつと踏む豪奢で美しい石造りの階段を上がれば、途中から同じような階段が交差する形で反対側に伸びている。

二階部分からが、公的機関の執務スペースになっているようで、階段を登り切れば、夜なのに軍人のような制服姿で書類を持って行き来する人々が見えた。


その内の何人かが、ウィリアムの姿を見て目を瞠る。

ネアは、ウィリアムに持ち上げられているままなのではらはらしたが、そんな事よりも周囲の目が集まるのは白に近しい色を持つウィリアムのようだ。


とは言えそろそろ、床に下ろして貰えないだろうか。



「…………その、偉い方にお会いするのですから、ここからは自分で…」

「いや、このままでいてくれ。まだ、話し合いが済んではいないし、………この建物の中には、別の魔物がいるみたいだからな」

「なぬ…………」



思わぬ情報に眉を顰めたネアは、ふっと微笑んだウィリアムから、安心させるように頭を撫でて貰った。


その様子にますます周囲の人々が慄いているようなので、今はきりりとしていたいところである。

仮にも、土地の為政者に面談しようとしているところなのだ。



(ディノには、服の中に入っていて貰っているし……………)



ウィリアムの言うように、まだここで歓迎されるかどうかは分からない。

なので、ムグリスな伴侶には隠れていて貰い、ここはウィリアムと二人で乗り切る所存だ。



二階に上がると階段周りの通路をぐるりと歩き、そこから更に奥に続く廊下を歩くと、突き当たりにある立派な木の扉の前に案内される。

それ迄に通り過ぎた部屋よりは立派ではあるが、美術館の館長室のような作りの入り口で、土地の為政者の執務室としては控えめな方だろう。


案内してくれた衛兵がこつこつと扉をノックすると、先ほど聞こえた女性の声で、どうぞと返される。

ネアは、入り口を守っていた兵士がここ迄案内するのだなと、そんな事に密かに驚いていた。



(この間、入口の兵士さんは一人で大丈夫なのかしら………)




「お客様をお連れいたしました」

「ご苦労。…………ああ、これはジルク坊やも気を使う御客だろう」



ネア達を一瞥し、そう笑ったのは美しい女性であった。


外見的な年齢であれば、もうお孫さんがいてもおかしくないくらいの姿であるのに、ぞくりとするような色香があり、そして何よりも鋭い燐光の緑の瞳が垣間見せる聡明さがその微笑みに力を与えている。


ふさふさとした波打つ髪は腰まであり、鈍い黄金色で室内の明かりにきらきらと光っていた。

黒いジレに白いドレスシャツ、すらりとした黒いパンツ姿に編み上げのブーツを履き、じゃらりと重ねた腕輪がやはり異国風のひと匙だ。



(なんて素敵な女性だろう…………)



ネアはまず、軽く会釈をした。

目の前の女性はこのハムの街の管理者だが、ネアにもウィーム領主の部下という肩書きがある。

ウィーム領が関わる交渉からの地続きでここにいるので、必要以上に腰を低くする事は出来ない。



「こんな時間の訪問になってしまい、そして、このような体勢からのご挨拶になってしまい、申し訳ありません。諸事情でこちらに落とされてしまい、お迎えが来るまでの間、山猫商会の方が使う宿舎を利用しますのでご挨拶に参りました」



こんな時、真っ先に挨拶をするのはネアの役目だ。

今回の一件ではウィリアムは外部協力者に当たる。

あくまでも、ウィームと山猫商会の仕事の中で起きた事件として、リーエンベルクに在籍するネアが挨拶をするべきだろう。


逆に言えば、これだけ済ませてしまえば、後はウィリアムに任せられるのだった。



「構わないさ。魔物は狭量なものだ。お嬢さんをその手から離すのは好まないだろう。………ふうん、それにしても終焉がここを訪れるとはね。それに、あんたがそんな風に大事そうに人間を抱えている姿を見るとは思わなかったよ」

「久し振りだな、アンジュリア。先程の声からまさかとは思ったが、ここで暮らしていたのか」



親しげにウィリアムに語りかけた女性に対し、ウィリアムの声も柔らかい。

ネアは、この二人は知り合いだったのかと驚いたが、互いの雰囲気を見ていると良い関係だったようだ。


ウィリアムは、ジルクからの書状をアンジュリアに渡しながら、二人の関係を教えてくれた。



「彼女は、二代前の山猫商会の代表だ。ジルクの祖母にあたる。俺は彼女の伴侶とは親しくしていたから、何度かグレアム達も含めて食事をした事があるんだ」

「まぁ!ジルクさんのご親族の方なのですね。目の色がよく似ていたので、気にはなっていたのです。グレアムさんもお知り合いだったのですね」

「ここにいるとは思わなかったが、アンジュリアがいれば、こちらに滞在している間の不安はなさそうだな。この街の治安がいいのも納得だ」

「……………ウィリアム、ちょっといいかい?ジルク坊やからの手紙に、そこのお嬢さんについて、大事なご主人様だと書かれているんだけれど、…………どんな関係なんだい?」

「おっと、ノアベルトが中身を確認していると聞いて俺は開けてなかったが、会について触れられているのか」

「……………かいなどありません」



ネアがとても暗い目でそう告げると、ウィリアムは困ったように苦笑し、宥めるように背中を撫でてくれる。

しかし、そのまま続けられた説明にネアはびゃんと背筋を伸ばした。



「ああ、それについては、彼女の…………そうだな、非公式な会があるんだ。ジルクはそこに所属しているらしい。何というか、………彼女を見守ったり手助けしたりする組織らしいな」

「か、かいなどありません!」

「ああ。………お嬢さんの表情で、なんとなく察したよ。あの子が世話をかけるねぇ。魔物の指輪持ちに手出しをするんじゃないよと、あれだけ言い聞かせたのだけれど」



やれやれと溜め息を吐き、アンジュリアは、ネア達を客用のテーブルセットに案内してくれた。

ただの応接セットではなく、執務なども行う部屋だからか、しっかりと書き物の出来る会議用のテーブルセットである。


部屋の中はとても不思議な作りで、資料室と倉庫と執務室を一緒にしてしまったようになっているのだが、その雑多さが不思議な居心地の良さを醸し出していた。



(なんて素敵な部屋なのだろう…………)



相手が古い知り合いだと分かると、漸くウィリアムは、ネアを床に下ろしてくれた。

手はしっかりと繋いだままだが、それはこの土地との魔術的な相性を気にかけてのことなのだとか。




「……………ふむ。妖精ねぇ。となると、この土地を開墾した際に打ち滅ぼした妖精達に、残党がいた可能性があるね」



ウィリアムが、ネアもまだ知らなかった事情も含め、あらかたの事を説明し終える頃には、アンジュリアは下のレストランの支配人に連絡をし、閉店の一時間前に大事なお客が向かうからと席を予約しておいてくれた。


こちらの要望を理解して手際良くその手配までを済ませてくれるあたり、やはり有能な人であるらしい。



(このような場合、いつこちらに落とされたのかとか、食事は出来ているのかという質問は流されてしまいがちだけれど、この方はすぐに気付いてくれたのだわ………)



ウィリアムが途中で食事の時間に間に合うようにここを出たいと伝えてくれる予定だったが、とは言え、アンジュリア側からその確認がなければ、うっかり議論が長引き晩餐を食べ損ねたかもしれない。


有事の際には些細な事なのだが、それでも、面会している相手の今後の予定を尋ねておくというのも、大切な事なのだと思う。



(それは多分、この方が商人さんだったからこそ身についている価値観なのかもしれない…………)




「ここは、どのような経緯で開墾されたんだ?言えない事は言わなくてもいいが、とは言え、巻き込まれたこちらの対応に問題が出ても困る」

「はは、そりゃ暗に全てを告白しろと言っているようなもんさ。だが、別に構わないけれどね。…………ここは、元々は宝物庫の妖精の一氏族が治めた土地でね、そこにこの街を魔術移築させて貰ったんだよ」



アンジュリアが説明してくれた経緯はこうだ。


まず、元々この金庫の中には、宝物庫の妖精のシー達が治める豊かな土地があったらしい。

そんな妖精達は、ハムの街の陶器をとても気に入っており、人間の国に取り潰しが決められた事にたいへん憤った。


そして、当時この街を治めていた辺境伯と交渉し、街を宝物庫の中に隠してしまったのだ。



その決定の後に全ての住人に意思確認がなされ、金庫の中に暮らす事になっても構わない者達だけが移住となり、地上に残るという決意をした者達は街が無くなる前に秘密裏に土地を離れたという。


元々、この街の住人達は残虐で知られた当時のロクマリア王の命令で全員が粛清対象とされ、街は、住人達全ても含めて祟りものに滅ぼされる予定であった。

地上に残っても生きながらえる可能性は低く、殆どの住人達がこの金庫の中に移り住んだようだ。



「死者達の循環はどうしているんだ?ここには、淀んだ死者の気配はないようだが」

「二年に一度、山猫商会の者達が降りて来る際に、死者達の回収も行われるのさ。ほら、うちの主人が持っていた死者の城の魔術書があっただろう?あの中に記載のあった仮住まいの魔術で回収させておいて、地上に出すんだよ」

「……………やれやれ、あの魔術書は回収した筈なのに、その中の技術を手元に残しておいたのか」

「はは、こりゃしまった。だが、見逃して貰うより他にないね。ここの死者達の管理は、あんたが問題視する程には悪くない筈だよ?」



話ぶりからすると、ウィリアムにとっては回収しておきたい魔術が使われているようだが、アンジュリアは巧みに交渉してしまい、その仕組みを今後も運用する事を認めさせてしまった。


出された甘い花のお茶を飲みながら、鮮やかな交渉ぶりをわくわくしながら見ていると、こちらを見たウィリアムが苦笑して頭に手を載せる。



「いいか、これは特例だからな?」

「ふふ。アンジュリアさんが管理しているのであればと、特別に許可出来たものだったのですね?」

「彼女は、昔から死者の扱いについては厳格だった。あの頃ですら扱い方を間違えなかったのであれば、ここでも悪用はしないだろうからな」

「山猫商会は、死者達を商品として扱う事もあるからこそ、予め規格を定めておかなきゃならないからね。砂猫も山猫も、あれだけ死者達を集めても終焉の魔物の報復を受けないのは、魔術の理と終焉の倫理を、まぁ、ある程度の問題はあれ、最終的にはきっちりと守っているからなのさ」



ハムの街は、とある砂漠の国の中に隠された宝物庫の中に納められた。


そして、その国が戦乱で落とされた際に、宝物庫の妖精達との交渉で、扉となる宝物庫の内壁を預かったのが山猫商会だったという訳だ。

なお、その他の街も、それまでの間に吸収されたらしい。



「解体された宝物庫の内壁を、商品箱にして管理する迄には、…………まぁ、随分と妖精達とも話し合いをしたね。だが、行き場のなくなった妖精達と、歴史から隠された街を預かるんだ。山猫商会にも益がなければ話にならない。罪人達の処理をこの中では大きな権限を持つ宝物庫の妖精に任せ、代わりにこちらはハムの街の燻製肉や、妖精達の取り分を除いた陶器の買い上げもする。なかなかいい着地点だろう?」

「となると、ここにはまだ、宝物庫の妖精達がいるんだな?」


そう尋ねたウィリアムに、アンジュリアは頷いた。


「いるよ。それに今も上手くやっている。だが、あの子達が宝物庫の内壁の管理を山猫に委ねたのは、同じ宝物庫の妖精の、別の氏族に吸収されるのを嫌がったからだ。恐らく、今回の件はそいつらの仕業だろうね」

「うーん、……となると、ますますこちらは巻き込まれただけだな。念の為に聞くが、外にいる妖精達が、ここの妖精達を取り込もうとしている理由は知っているか?」

「こっちにいる宝物庫の妖精の中にはね、花の宝物庫のシーと呼ばれる、可愛いお姫様がいるんだよ。どうやら、外側の氏族の王があの子を狙っているらしくてねぇ」

「…………ふむ。そやつを滅ぼせば済むのでは?」



ネアは、即座にそちらに傾いてしまったが、ここから、そうもいかない事情が示される事になる。



「そうはいかないだろう。あんたは、ウィームの子って事だが、あの国は今、ヴェルリアに統合されたんだろう?外の氏族の妖精達は、ヴェルリアの宝物庫の管理妖精だった筈だからね」



そう告げられ、ネアは、政治的な問題に疎くても今後の騒動が容易く想像出来てしまい、悲しみのあまりにわなわなした。



「……………ちょっと情報が混み合ってきたので、そちらの問題については、山猫商会さんと、………話のわかる方々で話し合って貰いましょう。門外漢が出しゃばってもろくなことになりません」



遠い目をしたネアがそう宣言すれば、アンジュリアは声を上げて笑う。


商人として、領域外の問題に口出しするくせに理解の甘い輩が大嫌いだそうで、ネアがただ問題をぽいしただけの行為がたいへん気に入られたらしい。



「山猫商会には、こちらとの連絡経路が幾つもある。ジルクに何かされたら、私に言うんだよ。これでもジルク坊やはね、私が初恋の相手なんだ。おかしいだろ?でも、そのせいか今でも私には弱いからねぇ」

「まぁ!とても頼もしいです!」

「……………それは多分、本人は知られたくなかった事だろうな」



ネアは、ウィリアムから預かったカードから、リーエンベルクの家族宛にさらさらと聞いた事を書き記した。


あらためて無事を喜んでくれるノアに返事を返しつつ、山猫の金庫とヴェルリアの繋がりについて共有すれば、カードの向こう側の混乱がこちらにも伝わってきた。



時計の針がかちりと動き、柔らかなオルゴールの音が流れる。



「おや、もうこんな時間かい。一度、食事に出ておいで。それ迄に私も、宝物庫の妖精達と話をしておこう。ここでも、数人働いているからね」



アンジュリアがそう言い、会談はひとまずお開きとなった。


ネア達が食事を終えた後で再開する事となり、その間にネア達が泊まる部屋も整えておいてくれるらしい。



「私達が泊まるお部屋も、この中にあるのですね。アンジュリアさんが管理する施設の中にあるのなら、一安心です」

「そうだな。この中であれば警備もしっかりとしているし、問題が起きてもこちらの者達とすぐに連携出来る。さて、…………ここのレストランには、美味しい料理が沢山あるぞ?」

「ベーコン様!!」



喜び弾んだネアに、出口までの案内をしてくれていた女性がくすりと微笑む。

この女性も山猫の一族で、こちらで街の住人を伴侶にして暮らしているらしい。


広い階段を降りながら、ネアは、胸の中に凝った宝物庫の妖精達を巡るヴェルリアとの問題を、手のひらでささっと払い落としておいた。



美味しい食事には、それに相応しい食べ方というものがあるのだ。



















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