おつまみセロリとシロップ記念日
「うぃっく!」
現在ネアはとても酔っ払っていた。
それというのも、美味しいほろ苦檸檬のお酒風な、ジンデンの葉のお酒が、まさかの二杯目からは酩酊の祝福を付与されるという危険な仕様だったせいである。
とは言えまだとても冷静なので、ネアは常識人な一面を誇る為に、初めてシロップを作った記念日のディノのシロップを少しだけ小瓶に詰め替え、グレアムに送り付ける手筈を整えていた。
きっと喜んでくれるだろうし、何しろ元は薬のシロップである。
体を労る贈り物としてもうってつけなのだ。
「ふむ。ギードさんにも贈りましょう。お庭に、黒つやもふもふ用の罠を仕掛ければいいのです?」
「知らん。勝手に仕掛けておけ」
「はい!!!」
「っ、ネア!!アルテア!」
「放っておけ。紐の長さより遠くには行けないんだろ」
「ネア、一人では危ないよ。一緒に行こうか」
「むむ。ディノは、ギードさんを呼び寄せる為の餌を探して下さいね」
「餌…………」
「シルハーン、ギードとグレアムには俺が届けますよ。………ネア、俺が届けた方が安心だろう?郵送や、罠を仕掛けるのはやめておこうな」
「……………むぐ。ウィリアムさんの方が、安全に送れます?」
「ああ。任せておいてくれ」
にっこり微笑んだウィリアムにそう約束して貰い、ネアは、このシロップはディノと一緒に作ったのだという旨をカードに書いて一緒に封入しておいた。
小さな小瓶に分けたシロップは、何だか魔法の薬のようで秘密めいた美しさがある。
大切な友達に初めて作ったシロップを贈るという体験に、ディノは少しだけおろおろしていた。
だが、シロップの小瓶とカードを入れて出来上がった贈り物セットを見せると、目元を染めて誇らしげにしている。
ふと、賑やかな気配を感じて振り返ると、最近お気に入りの房付きの赤いボールを持ってきた銀狐が、アルテアに投げて貰おうとお尻を上げて尻尾を振り回していた。
アルテアはとても遠い目をしていたが、咥えたボールをぐりぐりと足に擦り付けられて仕方なく投げてやっているではないか。
この姿を見てもうネアは切なくなってしまい、しゅばっと駆けてゆくと、すぐさま使い魔のお腹を撫でてやった。
「おい、やめろ!」
「使い魔さんのお腹を撫でますね。………もしかして、尻尾の付け根の方がいいですか?」
「……………っ?!おい、やめろ!!シルハーン、こいつを引き剥がせ!!」
「ネア、アルテアが照れてしまうからやめようか。今は尾がないから、ある時に撫でたらどうだい?」
「むぅぅ。尻尾だけ生やせないのです?」
「……………お前、本気で言ってるのか?」
「む?」
「合成獣と変わらんだろうが」
「うささん耳でもです?」
「……………は?」
ここでネアは、いつか誰かが付けてくれるだろうかと考えて温存していた、うさ耳カチューシャを取り出す。
これをなぜ作ったのかと言えば、合成獣を怖がるこちらの生き物達への武器としてなのだが、この時はちょっぴり可愛らしく酔っ払っていたので、すっかり失念していたのだった。
「えいっ!」
「……………っ?!」
ここでアルテアは、こんな時ばかりはたいへん素早い悪辣な人間の手によって、うさ耳カチューシャを頭に装着されてしまった。
座ったままでいたので、ネアが容易くカチューシャを装着出来る高さに頭があったのも敗因だろう。
騒ぎを聞きつけて振り返ったウィリアムが、真っ青になり、すぐ近くにいたディノもびゃっと飛び上がっている。
けばけばになり、しゃかしゃかと音を立ててどこかに駆け出してゆくのは銀狐だ。
「ほわ、…………少し可憐で、少しだけ色っぽくて、何だか愛くるしいアルテアさんです?」
「……………ほお、今後ひと月のパイを没収されたいらしいな?」
「ぎゃ!」
ネアは自分の作品にたいそう満足していたが、残念ながらうさ耳にされてしまった使い魔はお怒りのようだ。
そろりと手を伸ばしてアルテアの頭の上のカチューシャを回収すると、じりじりと後退する。
しかし、無言で立ち上がり、ずずいと距離を詰めたアルテアにすぐさま捕獲されてしまった。
向き合う体勢で持ち上げられたネアは、慌てて解放を要求する。
「解放を要求します。ご主人様を捕らえてもいいのは、乗り物を発注した時だけなのです…………」
「いいか、今後ひと月、…」
「むむ!」
ネアは酔っ払っていながらも、言葉というものに魔術が宿るのをよく理解している才女であった。
アルテアがその一言を口にするのを何とか阻止せんと策略を巡らせ、このくらいの悪戯が許される臨時家族にしてしまおうと結論を出したのだ。
幸いにも持ち上げられていたので、アルテアの顔は目の前にある。
えいっと口付けを落とせば、やはりどうしても感じてしまう恥じらいに邪魔をされ、少しずれて唇の端になってしまったが、アルテアは目をまん丸にして固まったので成功だろう。
「……………ネアが浮気した」
「うむ!これで臨時家族相当ですので、うさ耳くらいの事は受け入れるのですよ?特別に、本日は弟とします!」
「ネア、…………そうだな。アルテアから離れようか」
「む。ウィリアムさんです。お庭に出るお手伝いをしてくれるのですか?」
「いや、罠を仕掛けるのはやめたんだろう?」
「ギードさんは捕まえませんが、如何なる時も華麗に獲物を狩れる女王でありたいですね」
ネアは、にっこりと微笑んだウィリアムの手でアルテアから毟り取られ、ディノの腕の中に返却された。
なぜか伴侶がめそめそしているので、ネアは少しだけ首を傾げて大事な魔物を撫でてみる。
「ディノ、しょんぼりなのです?」
「アルテアなんて…………」
「もしかして、ディノも家族相当の祝福が欲しいのですか?ふふ、もう私の最愛の伴侶なのに、困った魔物ですねぇ」
ネアは祝福一つで荒ぶるのであれば、こちらはシロップの瓶にも戦いを挑まねばなるまいと苦笑しつつ、大事な伴侶にも家族相当の口付けを落としてやった。
しかし、最愛のという下りでぼぼんと赤くなった魔物は、口付けに気付けていないくらいにはわはわしている。
「……………最愛、なのかい?」
「はい!ディノは、一番愛しいという意味での、最愛の伴侶なのですよ。これ迄にも沢山言いませんでしたか?」
「……………聞いてない」
「あらあら。それでは私は、これ迄は恥じらっていてあまり言えなかったのですね。ディノは、最愛の伴侶です。私を幸せにしてくれて、こうしてぎゅっとしてくれているのでもう寂しくはありません。私を、二度とどこにもやらないで下さいね」
「……………虐待する」
「……………むぅ。約束してくれないのですか?」
少しだけ困惑してそう問い返せば、口付けをしたばかりの距離でこちらを見たディノは、はっとしたように魔物らしい美貌の澄明な瞳を揺らした。
「君をどこにも行かせないし、もう二度と一人にしないよ。……………ネア……………ずるい」
「なぬ。私を抱えたまま死んでしまいましたが、約束はして貰えたので良しとしましょう」
ネアは、器用にネアを揺らさないようにしながら、伴侶を抱いたまま蹲ってしまった乗り物を降り、一体何を飲ませたのだとアルテアを問い詰めているウィリアムをちらりと見ながら、庭に向かった。
たいへん遺憾な事に、ネアの足首には現在、布紐が括り付けられている。
庭に続く硝子戸を開けはしたものの森に出かける事までは出来ないので、ネアは、以前にアレクシスに貰った投擲式の罠を腕輪の金庫から取り出し、えいっと森に向けて投げた。
この武器は紐に括り付けてあり、か弱い乙女でも遠くまで投げられるよう投擲力増強魔術をかけてあるので、遠方の獲物も狩れるのだ。
道具そのものはアレクシスの友人の手作りで、罠に挟んで使う餌はアレクシスのお手製である。
「ネア、今度は何をしているんだ?」
「むむ。今は投擲式の武器を投げたところなのです。すぐに獲物がかかりますからね」
「その紐の先か。…………よし、それは少し置いておいて、酔い覚ましの薬を飲んだ方がいい。……………アルテア曰く、二杯目を飲んだことで剥離の魔術が強く効き過ぎている可能性もあるらしい。その、…………言動が…………心に忠実になり過ぎるかもしれないんだ」
そう言いながらウィリアムは、ネアが握り締めていた罠に括り付けた紐を手に取ると、どこからか取り出した重石のようなものので固定してくれる。
これならば、獲物に逃げられる心配はなさそうだ。
「まぁ、…………ウィリアムさんは、ありのままの私はお嫌いですか?」
「…………っ、見上げてそれを言うのは反則だろう。…………いや、俺がネアを嫌う事はないよ。ただ、危機管理の抑制が外れると、危険な物を色々と持っていて危ないからな」
一瞬だけ目元を染めて天井を仰いだウィリアムだが、すぐに優しく微笑んでそう諭してくれた。
ネアはとても冷静であったので、そう言ってくれれば、武器の管理上の危険があるのだと納得する。
だが、今のネアがとても素直な心でいるのなら、酔い覚ましの薬を飲んでしまう前に、やっておかねばならない事があった。
「ですが、その前にウィリアムさんをぎゅっとしますね」
「……………ネア?」
「今日もまた、とても疲れたご様子でこちらに来られましたので、大事にするのです」
「それは、………嬉しいな。実は、俺だけ仲間外れかと少し落ち込んでいたんだ」
「……………むむ、家族相当の祝福もいります?」
「ああ。貰っておいた方が安心する」
ウィリアムがそう微笑むので、ネアは少しだけ、何だか祝福よりも背筋がざわざわするぞと思いつつも、これは土地の文化であると懸命に恥じらいを捨て、ぎゅっと抱き締めたウィリアムにも家族相当の祝福を授けておいた。
体を屈めてくれているので祝福し易いのだが、やはり、今までで一番ぎこちなくなってしまう。
「……………むぐ」
「もう一度貰っておいてもいいが、さすがにそれは望み過ぎか。ネア、シルハーンを見ていてくれるか?俺は、アルテアをもう一度正気に戻してから、薬を貰って来る」
「アルテアさんは、なぜ頭を抱えて座り込んでいるのでしょう?二日酔い仲間かもしれません」
「……………そうだな。さして変わらないか」
「アルテアさんにも、お薬を飲ませます?今ならスプーンで一万倍固定ですよ!」
「うーん。………それは、ネアが酔い覚ましを飲んでからにしようか」
「はい!」
ここでウィリアムは、なぜかとても満足げに部屋の奥に戻ってゆき、ネアは扉を閉めようとしたところで、罠に繋がった紐がびぃんと張った事に気付いた。
ネア自身も繋がれているので複雑な気持ちだが、紐仲間としてこの反応を放置する訳にはいかない。
(……………少しだけなら)
そう考えた人間はまず、狡猾にも任された伴侶が目を覚さないように、もう一度眠らせておくことにした。
しゃっとディノの方に行き、蹲っている魔物の顔を両手で持ち上げると、えいっと祝福を重ね掛けし、床に沈めておく。
そこからもう一度窓辺に戻り、紐を手繰り寄せると、案の定、何だか見た事のない高く売れそうな獲物がずるずると引き摺られて現れるではないか。
ネアはそれを見てにんまりすると、きしゃーと牙を剥いた獲物は、すぐさま念入りに踏み滅ぼしておいた。
他にも武器は沢山あるが、この手法が一番綺麗に滅ぼせるので、アクス商会に高く売れるのだ。
(……………でも、そろそろジルクさんのところでもいいかしら。ついでににゃんこにして、沢山撫でてしまえるし)
欲望に忠実になっている人間がそんな事を考えていると、がたんと椅子が動く音がして、なぜかアルテアがこちらに走って来る。
おやっと眉を持ち上げ首を傾げていると、素早く窓辺から抱き上げられて撤去されてしまった。
物凄い形相だが、こちらとて獲物を金庫に仕舞う前に拘束されるのは堪らないのだ。
「ぐるる!」
「馬鹿かお前は!!今度は何をしたんだ、何を!!」
「むぅ。良い狩人は、如何なる時も獲物を手に入れるのですよ!!」
「……………いいか、白いものは狩るなと、どれだけ言えば気が済むんだ!!」
「むぐぅ…………」
「ネアが、……………危ない事をしたのかい?」
「まぁ、重ねて殺しておいたのに、もう生き返ってくれたのです?」
「虐待……………」
「ディノ、見て下さい!立派な獲物を狩りました!!」
ネアが、竜なのかにょろにょろなのか分からない、白くて素敵な獲物を示せば、伴侶の魔物は目を瞠って震えている。
きっと伴侶の素晴らしさに感動しているに違いなく、ネアはふんすと胸を張った。
「………シルハーン、大丈夫ですか?」
「……………あの木が産み落とした獣かな」
「そんなものを狩った事も勿論事案ですが、………うーん、これがすぐ近くの森の中にいたんですよね?」
「……………ネア、この罠は、投げただけなのだよね?」
「はい!なお、餌はアレクシスさん特製の、高位の獣さん程無視出来ない魔性の香りの餌なのだそうです!!」
「……………くそ、それだな」
「……………呼び寄せてしまったのかな」
「まぁ、この階位なら転移も出来ますしね……………」
呆然とする魔物達を見ていると、ネアはますます誇らしくなり、むふんと微笑みを深めた。
沢山褒め称えよな気分なのだが、なぜかアルテアに頬を摘まれる。
「ぐるる……………」
「その獲物については、審議が終わるまで手を出すな。………ウィリアム」
「ああ。一応、シルハーンと俺とで魔術隔離しておいた」
「ネア、酔い覚ましを飲もうか。もう、危ない事をしてはいけないよ?」
「むぅ。ディノは悲しいのです?祝福…………」
「虐待しようとする…………」
「解せぬ」
そしてネアはここで、会食堂の中に銀狐がいない事に気付いた。
慌てて周囲を見回し、へにゃりと眉を下げる。
冬毛疑惑のもふもふだが、大切な家族なのだ。
「ディノ、…………狐さんがいません」
「おや、部屋を出たのかな…………。ああ、そんな顔をしなくても、どこかに迷い込んだ訳ではないと思うよ」
「………ぎゅむ。拐われてしまったりもしません?」
「…………この状況を見て、避難したんですかね」
「あの狐なら、お前が、おかしなものを俺の頭に載せた段階で、部屋を走ってでていったぞ」
「なぬ。言われてみればそんな姿を見たような気がしますが、となると私は、狐さんを怖がらせてしまったのですね。……………ぎゅ」
「ノ…………彼には、後で謝りに行こう。さぁ、ネア」
「ふぁい。酔い覚ましを飲みます」
かたんという音が聞こえた。
酔い覚ましの薬を手に持ち、ネアは首を傾げる。
するとそこには、けばけばの銀狐を抱えたエーダリアが立っていて、かなり慎重な面持ちでこちらを覗いているではないか。
どうやら会食堂を出た銀狐は、エーダリアに助けを求めに行ったようだ。
「……………もしやと思うが、酒だな?」
「まぁ、エーダリア様です!どうやら、ご迷惑をかけてしまったようなので、…………先日森で発見した、不思議な硝子ペンを差し上げますね。なおこれは、決して口止め料ではありません」
「っ?!そ、それは、黎明の署名ペンではないのか?!」
ネアは薬を飲むよりも先に、恐らく、執務を中断して駆けつけてくれたに違いない領主を買収する事にした。
アクス商会に売りつけるつもりであった綺麗な橙色の硝子ペンを献上すれば、エーダリアは鳶色の瞳にオリーブ色の色味を強め、目をきらきらさせるではないか。
しめしめとほくそ笑んだネアは、手に持った薬瓶をそっと机の上に置き、思わず銀狐を床に下ろして弱々しく手をこちらに伸ばしてしまったエーダリアの手に、ぎゅっとそのペンを握らせておいた。
いっそうにけばけばになった銀狐が、ムギーと声を上げて駆け回っているが、危険のない品物かどうかは、ディノにきちんと確認して貰っている。
誰かが取り戻しに来ないように、魔術で繋ぎも絶って貰った清く正しい没収品だ。
「…………驚いたな。黎明の精霊が、時間の座に纏わる契約を交わす為に使うペンを、……………拾ったのか」
「シルハーン、…………あれは、術式の付与は確認済みなんだろうな?」
「危険はないものだよ。先週、森の見回りの仕事の時にネアが拾ったのだけれど、周囲に持ち主もいなかったから、精霊の障りがないように魔術排除をかけて繋がりを切ってある」
「……………持ち主が変わるのなら、後で、ノアベルトにも対処させた方がいいですね」
「そうだね。エーダリアが所有しても問題がないよう、ノアベルトに魔術構築して貰おうかな」
そんなやり取りを背後に、ネアは、エーダリアが引き続き目をきらきらさせてペンを見ている姿に、唇の端を持ち上げた。
とても喜んでくれているので、何だか嬉しい気持ちで胸がほかほかする。
これは純粋な喜びで、お酒の効果ではない筈だ。
そう考えて頷いていたネアは、ゆらりと会食堂の入り口に現れた人影に、ぴっと竦み上がった。
そちらを見た銀狐も、尻尾をぴーんと伸ばしてけばけばになっている。
その反応で異変を察したものか、エーダリアがそろりと振り返った。
「ヒルド……………」
「やれやれ、あなたは。駆け出してゆく前に、私に声をかけるべきでしょう。幸いにも、廊下で姿を見かけましたから、追いかける事が出来ましたが…………」
「す、すまない。………銀狐が、あまりにも取り乱して走ってきたので、何があったのかと慌ててしまったのだ。見たところ、さしたる問題はないように見えるので、大丈夫だろう」
そう伝えたエーダリアに、ヒルドは無言で頷いた。
ゆっくりと部屋の中を見回し、ムギャムギャ狐語な銀狐にも何やら訴えられている。
「……………ネア様、ご体調に問題はありませんか?」
「ふぁい!お騒がせして申し訳ありません。二杯目からは、めいと……名湯?…………めいていの祝福が付与される、素敵な檸檬風のお酒をいただいてしまったのでふ」
的確に騒動の中心を発見したヒルドに、ネアは淑女感を満載にしてそう説明した。
これはあくまでも事故であり、好んで騒ぎを引き起こした訳ではない。
ヒルドの声はとても優しかったが、ネアがテーブルの上に置いたままの酔い覚ましの薬を一瞥し、にっこりと微笑むと、ネアは、堪らずにびゃいっと背筋を伸ばした。
「では、酔い覚ましの薬を飲むお手伝いをいたしましょう。…………ディノ様、庭の側に何か問題がありますでしょうか?」
「ネアが獲物を狩ってしまったんだ。魔術隔離してあるから、私とウィリアムで対処するよ」
「承知しました。お手数をおかけしますが、宜しくお願いします。さぁ、ネア様?」
「……………ふぁぐ。苦いといけないので、狐さんを抱っこしていてもいいですか?」
「ええ。勿論」
「……………むぐ?」
ネアが、虐めたつもりではなかったので、仲直りしたい銀狐を抱っこすると、なぜか椅子に腰掛けたヒルドの膝に抱え上げられてしまい、ディノが届けてくれた酔い覚ましの薬はヒルドが受け取るようだ。
しっかりと腰に手を回されての拘束椅子だが、ヒルドに我が儘を言う訳にもいかずに、渋々そのままの体勢に甘んじる。
いつの間にか、窓の向こうは夕刻の滲むような青さを帯びている。
薄っすらとかかる夜の色に、ネアが狩ったばかりの獲物は、ぼうっと青白く光っていた。
酔い覚ましの薬は、きゅぽんと蓋を開けてくいっと飲み干してしまい、けれども、何故か急にさっぱりとした酸味があるおつまみを食べたいお口になってしまったネアは、爪先をぱたぱたさせた。
まだ解放される様子はなく、ヒルドは、魔物達と視線で会話をしているようだ。
仕方なくぶるぶると震えている銀狐を撫でておけば、涙目のもふもふ義兄に尻尾でパスパスと叩かれてしまう。
うさ耳カチューシャはとても怖かったらしく、じっとりとした目でこちらを見るので、ネアは、首の後ろのいいところも掻いてやった。
(……………何だろう。やはり、酸っぱくてさっぱりとしたおつまみが食べたいな……………)
昼食の後にホットケーキを食べているし、空腹という訳ではないのだ。
ただ、その味を無性に口が欲しているという感じだろうか。
「……………ぎゅむ」
「気分が優れなかったり、体調に僅かでも変化があれば仰って下さいね」
「…………むぅ。酸っぱ塩っぱいおつまみが食べたいという事も、体調の変化による影響かもしれないのでしょうか?」
「おや、であれば、作り置きの酢漬け野菜などを手配させましょうか。魔術薬は、思わぬ副作用を齎す事がありますからね」
「はい!」
「ヒルド……………」
結果としてネアが完全に酔いから醒めたのは、ヒルドの膝の上に座り、膝の上には銀狐が設置され、隣の席には心配そうなディノが座るという体勢で、尚且つ、美味しいおつまみセロリをぽりぽり食べているところでだった。
何が起きたのだろうと首を傾げていると、暗い目をしたアルテアにおでこをばしりとやられたので、素敵なドレッシングに漬けたおつまみセロリを、分けてあげる必要はなさそうだ。
ディノにおつまみセロリを食べさせてやると、魔物は虐待と呟きそっと蹲った。
なにやらたいそう弱っているので、覚えていないどこかでも大事にしてしまったのかもしれない。
エーダリアが手にしているペンを見る限り、何か重大な口封じの可能性を感じその一手を打ったのは間違いないので、記憶が曖昧になっている間に何があったのかは、このまま思い出さなくてもいいのかもしれない。
その夜、ディノはいそいそと記念日を設定していた。
目元を染めて、ご主人様が過激な虐待をしてくれた日だと教えてくれたが、その表現ではたいへん危険な誤解を呼ぶので、あまり人に言わないように注意しておいた方がいいような気がする。
窓の外の夜空には薄っすらと幻想的な虹がかかり、エーダリアや騎士達は、魔術書や武具などをこの夜の祝福に触れさせると大忙しなのだそうだ。
後日、グレアムとギードから立派な菓子折りが届いた。
二人の喜びを綴った手紙も同封されており、ネアは、その日の自分が、ディノと一緒に作ったシロップを二人にもお裾分けした事を知った。
シロップを届けてくれたのはウィリアムで、渡した時にグレアムは涙ぐんでしまっていたのだとか。
ギードはそのシロップのお陰で、夜の森がくっきりと見えるようになり、黒艶もふもふとしての暮らしも向上してしまったのだそうだ。
届いた手紙を一緒に読んでいると、ディノがあまりにも嬉しそうに唇の端を持ち上げていたので、ネアはその日をシロップ記念日と命名する事にした。
ネアの手帳のカレンダーの部分には、綺麗な赤いシロップの入った瓶の絵を描いてある。
ただし、ジンデンの葉を使ったお酒は、決して定められた容量を超えて飲んではならない。
繁忙期につき、明日5/1の更新はとてもとても短くなります。
こちらで、二千から三千文字くらいのミニサイズなお話を更新させていただきますね。




