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白い封筒と細長いペン



仕損じたと思う事は少なくない。


その結果、命を危険に晒すような失態も何度か経験がある。

だが、久し振りに触れたその鋭さに、胸の奥がざわめくような不快感に僅かに唇を噛んだ。



(……………精霊の系譜の術式で、国内のものだな。ヒルドを呼ぶべきか、ノアベルトを呼ぶべきか……………)



周囲を見回せばそこは深い夜の森で、僅かに青白く色を載せて滲む霧は、ウィームの思わず触れたくなるような清廉で美しい霧とは違いどこか禍々しい。


足元の地面もじっとりと湿っており、眉を顰めると、袖の内側に隠してある細い夜結晶の腕輪から、ノアベルトに貰った外套を取り出した。


ここがあわいなら、足場は重要な魔術との接着面だ。

靴を履き替えるのはあまりにも無防備だが、せめて上着くらいは。


そう思い贈り物の外套を着て守護と擬態を纏うと、不思議とここにはいない筈の仲間達に守られているような不思議な温かさに包まれるのだ。



「……………ノアベルト」



その名前を選んだのは、やはりこの得体の知れなさは高位の魔物でなければと考えたからだ。

けれど、いつもであればすぐに応えのある頼もしい魔物の気配はないまま、ひたひたと水位が上がってくるように霧が濃くなってくる。

足元にじっとりと纏わり付くような湿度に、心の中で不穏な予感がまた嵩を上げた。


(……………出来る限りの事をして、ここから脱せねばだな)


そう思い見上げたのは、べったりと暗い夜空だ。

だが先日の気象性の悪夢とは違い、その暗さはただ色がないばかりで、どこか陰鬱な翳りが夜の光を濁らせている。



爪先で掻き分けた落ち葉の下には、見慣れない夜色の苔が生えていた。

採取をしたいという欲がちらりと疼いたが、一人きりで無防備な体勢になる訳にもいくまい。

今度は近くに生えている大きな木の外皮に触れ、魔術的な領域や系譜を図ろうとした。


(もしここに、ヒルドやノアベルトがいれば…………)


そうしたら自分は、安心して木々を調べたり、森の中での採取に明け暮れるだろう。

或いはここが、指輪の中の避暑地のような自分の履歴に属する場所であれば。


僅かな落胆を払って久し振りに肌に触れる不穏な気配を噛み締め、決して気を緩めまいと自分に言い聞かせた。


自分を害する者達が少なくはない事は理解している。

今回の事は、そのような者達の企みかもしれない。

少なくとも、どこかからひたひたと水嵩を上げるような悪意の気配をずっと感じていた。



(…………届いていた封筒を開けるのと同時に、この場所に立っていた。以前にネアが開いてしまった、精霊の呪いのようなものだろうか………)



届けられたのは一通の白い封筒であった。

少しざらりとした手触りの上質な厚手のもので、魔術で術式の添付や呪いの封入などがないかどうかを調べて届けられた物だったのだが、それでも今回のように見落としはある。


調べるのはあくまでも人間であり、届けられる物に高位の人外者の叡智を備えていないとは言い切れないし、エーダリア自身も調べたのだが、何の危険も感じられなかった。



(封筒そのものには魔術添付はなかったように思う。恐らく、問題は中身だったのだろう。…………そして、私を隔離する事が目的なのだろうか?助けが来る事を考えると、あまり動きたくはないのだが…………)



そう考えかけ、ぴたりと動きを止めた。

呼びかけに返事がなくても、あまりにも自然に自分が救助を待っている事に気付き、何だか気恥ずかしくなってしまう。



(でも、…………そうだな。私にはもう、このようなときに名前を呼ぶ者達が出来たのだ)



そしてそんな者達は、例え呼ぶ声が届かなくても、きっと自分の不在に気付いてくれる。

そう考え、唇の端を持ち上げた。

であるのなら、彼らに恥じぬように、今の自分が出来る事をしておこう。



周囲をもう一度見回し、手持ちの魔術薬から調合を開始したのは、妖精除けの炎だ。

薬を作ってしまうと、ぼうっと音がして青白く燃え上がる魔術の火を手のひらから金庫の中に入れておいたカンテラに移し、持ち手の鎖の部分を腕にかけた。


がらんと、カンテラの鎖の揺れる音がすると、妖精達の好まない香りが辺りに漂い始める。

とは言えこれは、魔術の約定により、守護を与える者や良き妖精を退ける事はない。



(……………あれは、)



ここで、ついつい大きな木の根元の青白く光るキノコを見つめてしまい、慌てて首を横に振ってから、ランタンを掲げて薄暗い木立の向こうを覗いてみたが、やはり大きな生き物の姿はないように見える。

小鳥などの姿もなく、さわさわと木々の葉を揺らす僅かな風が出てきたくらい。



(…………隔離しておいて接触がないのも妙だが、影絵やあわいのようなものなのかもしれない)



となると今度はまた違う対処法が必要になる。

小さく頷いてから、エーダリアは澄んだ菫色の魔術鉱石を取り出した。


セージとラベンダーの束と一緒に小皿に載せると、こちらも備えてあった森と星空の酒を注ぎ、短い災い除けの詠唱を唱え始める。

すると、じっとりと湿っていた森の地面が見る間に渇き、細やかな黄色い花の咲く下草に変化するではないか。


森の景色のあまりの変化に、驚いて目を瞬く。

結局何だったのかは分からないままだが、あの苔むした地面は、魔術で排除するべきよくないものであったらしい。




「綺麗な綺麗な王子様」



ふいに耳元で聞こえたその声に、エーダリアは声を上げそうになってから、慌てて手のひらで口を押えた。

ひんやりとした吐息が耳朶に触れ、柔らかな少女の声音に似つかわしくない、ずしりと重く巨大な生き物の気配を背中越しに感じる。


何か異形の者が、それも、最初から暗い夜の森でエーダリアの足元が翳る程に大きな怪物のようなものがいつの間にか背後に立っていて、エーダリアに話しかけてきたようだ。



「銀色の髪の王子様。可愛い可愛い、哀れな子」



(その問いかけに答えてはならない。…………魔術の試練になるかもしれないし、場合によっては認識したと思われただけで災いが降りかかる)


短く切れ切れになった呼吸を整え、手に持った小皿を慎重に足元に置いた。

災い除けの儀式を不愉快に思って出てきたのだろうかと考えていると、背後のものが愉快そうに笑い出す。



「誰も助けてくれないのに、迎えが来るのを待っているの?」

「…………っ、」

「カワイソウな男の子。哀れで愚かな王子様。ここは、迷いと軽蔑の育まれる、夜の底の森。いらなくなった哀れな子供にしか辿り着けないところ」




(そうだ。…………このようなものは、こう囁くものだった…………)



昔から変わらない悪意の形に、小さく溜め息を吐く。

その言葉に今のエーダリアが傷付くことはなかったが、遠い日の自分はそうもいかなかった。

かけられた呪いから何とか逃げ出した後で、じくじくと痛む胸を押さえた日がどれだけあった事だろう。


それとも、こんなことを考えてしまうこと自体、既にこの生き物の影響を受けているのだろうか。



「父親にも母親にも、兄弟にも疎まれ、みんなが君を殺そうとしている。知っている?君のすぐ隣にいる誰かも、本当は君を殺す為にそこで笑っているんだよ?」



ぎしぎし、かさかさ。

木の床の上や、落ち葉の上を歩くような得体のしれないものの悍ましい足音が響き、同時に、ひゅーひゅーと隙間風のような呼吸の音が聞こえてきた。



(この音が呼吸音であれば、やはりかなり大きいな。…………以前にヒルドから、夜の森に現れるアイアタルの話を聞いたことがある…………)



アイアタルは、蛇の姿か年老いた大きな狼の姿で現れ、少女の声を持つ疫病の系譜の精霊だ。

荒野に吹く風の吐息を持ち、それは、疫病で苦しむ者達の喘鳴でもあるという。

蛇を慈しむ者には災いをなさないというが、残念ながらそれを演出出来るような道具はなかった。

金庫の中にネアから貰ったカワセミがあるが、あれを取り出したら逆効果な気がする。



(………竜の鉤爪を持ち、森で出会った者に問いかけをすると言われていて、その気質上、雪食い鳥や雨降らしの仲間だという者達もいると聞くが、…………ここまで大きいとは…………)



密かに背中越しに感じる生き物の魔術の系譜を調べたところ、やはり疫病の系譜であるようだ。

とは言え、この系譜は名前のない者達が多く、悪変などで常に新種が派生する領域でもある。

誰も知らない生き物だという可能性もあったが、ここはひとまず、アイアタルだという前提の下に対策を練ってみよう。



「これあげる」



冷静に冷静にと自分に言い聞かせていたその時、そう言われて足元に投げ落とされたものを見たエーダリアは、息が止まりそうになった。



「…………っ、まさか!」



思わず声を上げてしまい、はっと片手で口元を覆ったが遅かったようだ。

猛烈な吐き気にぐらりと視界が揺れ、小さな子供がはしゃぐような、場違いな明るい笑い声が響いた。


傾ぎそうになる体を必死に支え、それでも、足元に投げ捨てられたものから目が逸らせない。



それは、ひしゃげて千切れた美しい妖精の羽であった。



すっかり光を失い、命を失った生き物の瞳のように濁ってはいるが、元の色はきっと、美しい青緑色だったのだろう。

あまりにも見慣れた色彩を思わせるその残骸に、これは罠だと分かっていても、堪らずに胸が悪くなる。



(…………ヒルドのものである筈がない。ヒルドなものか。…………ヒルドは、絶対に無事でいてくれる筈だ…………)



必死に自分に言い聞かせ呼吸を整えようとするのだが、それでも目の奥が熱くなった。

震える指先を握り込み、金庫の中に収めてある、ネアから預けられた剣を意識する。

まだ振り返ってその姿を見ていないのだが、あの剣であればこの怪物を追い払えるかもしれない。


もしこれがアイアタルだとすれば、豊穣や収穫の祝福と、清廉な風の魔術に弱いと聞いている。

だが、自分を覗き込むように立っている生き物に気付かれず、どうやって武器を取り出せばいいのだろう。


素早く距離を取って対処するにしても、せめてこの吐き気が収まらないと無理だろう。

既に疫病の障りを受けてしまっているのだろうかと考え、背筋を冷たい汗が伝った。



「あはは、可哀想。カワイソウで、とっても素敵!」


笑いながら跳ね回る気配もあるのに、なぜか、ずしりと大きなものに覗き込まれる感じはなくならない。

よもや二体いるのではないだろうかと考え、また慄く。



「お前は、たっぷりたっぷり苦しめて殺していいって、お前の父親が言ったの」

「…………っ、」



ここでまた動揺してしまったのは、その可能性がないとは言い切れないからだ。


さすがに今となってそれはないとは思うものの、父王にとっての自分は、心を与えて庇護する対象ではない。


我が子というよりは、ウィームを国に繋ぐ為に義務として作った子供であり、扱い易い駒の一つ。

必要になれば、使い潰すつもりで動かすだろうし、不要になれば、どんな残忍な手法であっても、最善の廃棄を行う。



勿論、そんな事は承知の上だ。



だから、今更そんな言葉如きで傷付きはしないエーダリアは、しかし、地面に落ちている妖精の羽を見てしまうととても冷静ではいられなかった。



(王が一手を打つのであれば、真っ先に排除するのは、兄上との繋ぎになりうるヒルドだろう…………)



もし、誰かに命じてヒルドを傷付けたのなら。


そんな筈はないと考えるだけの思考の明瞭さは残っているし、吐き気を堪えながらでもまだ体は動く。

だが、心のどこかでそう考えている自分がいて、エーダリアはそんな自分にぞっとした。



(…………いや、惑わされるな。この場合は、風の系譜の魔術の中でも、…………こちらだな)



苦しみに体を屈めるふりをして、一つの魔術を編み込んだ。


背後のものに気付かれないように慎重に慎重に、そして、扱う魔術に間違いや綻びがないようにと必死に幾つもの術式を構築する。


一つは排除の魔術を織り上げるもの。

一つは治療と緩和の為に体に取り込むもの。

もう一つは、退路の確保として、背後の獣がそれを塞がないように動きを制御するもの。

そして最後に、出会った生き物を傷付ける事で、この空間がどう変化するのかを観測するもの。



(これだけあれば…………)



そう考えて安堵しかけ、エーダリアはぎくりとした。


そろりと視線を巡らせれば、さっきまであんなに静かだった森には、見たこともないような生き物達がひしめき合っており、その全ての瞳が暗い期待を抱いてこちらを見ていた。



(…………背後のものに気を取られ過ぎていた。………ここは、魔術の庭の餌場か………!!)



その中を訪れたような事はさすがにないが、そのような術具があるとガレンで聞いた事がある。


辻毒に近い仕組みではあるが、ガルテンと呼ばれる魔術の庭を併設空間に作り、そこに招き入れた人ならざる者達を飢えさせておき、標的を餌として迷い込ませるものだ。


そうして育てた箱庭では、外では収穫出来ないような実りがあるというし、他国では、使い魔を敢えてその箱の中で育てる者達も少なくはないと聞く。


庭造りの魔術は、王族や高位貴族にしか扱えない、貴賤を問う魔術である。

となればここを作ったのは、かなり厄介な政敵である可能性も高い。



つうっと、額に浮かんだ汗が滴り落ちそうになって、慌てて袖口で拭った。




「えいっ!!」




その時の事だ。

ひゅんと風を切った黄色いボールが木立の向こうに投げ込まれ、続け様に、凄まじい絶叫が幾つも重なって響き渡った。



はっとして体を捻ろうとしたところで、伸ばされた誰かの腕に抱え込まれる。



「ノアベ……………ディノ」

「大丈夫だったかい?」

「…………あ、……ああ。来てくれて助かった」

「この子が見付けたんだよ。君に薬を提出に行った際に、君の姿が見えなくて、落ちていた封筒から森の匂いがすると」

「そうだったのか。…………ネア?!」



まだ吐き気は残っていたし、こうしてディノが伴侶以外の人間に触れたのも驚きだ。

驚き過ぎてまだ呼吸が整わないくらいだが、ここで自分が倒れてしまったりして足手纏いになる訳にはいかない。


まずはと深呼吸し、構築しておいた魔術の中から治療に向いたものを取り込んだ。

しかし、ネアにも礼を言わなければと振り返ったエーダリアは、とんでもないものを見る事になる。



「……………くしゃくしゃの黒っぽい狼さんを倒しました。こんなにけばけばの少し汚れた狼さんなので、金庫に入れるのが躊躇われます………」

「た、倒したのか…………」

「こちらに下りた際に振り向かれましたので、そこはもうきりんさんで一撃ですね。…………むう。枯れ木と枯れた蔓と、崩れた石垣に狼さんが混じったような不思議な獲物です」

「ネア、手で触れてはいけないよ」

「はい!ディノから触ってはならないと言われていたので、この通り触れないようにしています。金庫にも入れたくないので、このまま打ち捨ててゆきましょう」

「…………持ち帰りすらしないのだな」

「ちょっぴり汚い…………いえ、嵩張りますからね」



相変わらず規格外のこの部下は、エーダリアを脅かしていた怪異を、いとも簡単に滅ぼしてしまったようだ。


唖然としないでもなかったが、ネアはいつもこのようなものだ。



(そうか。………私も、預けられていたきりんの術符を使えば良かったのか………)



少しだけ呆然としてから我に返る。



「ネア、気付いてくれて助かった。それと、その生き物を倒してくれたのだな」

「あら、エーダリア様はもう家族のようなものなので、こんな事をされれば当然なのです。そして、さっきまではあんなに獲物が沢山いた森の奥が、空っぽになっています………ぎゅ」

「あのボールを投げたからなのでは…………」

「儚いですねぇ…………」

「ご主人様…………」



(……………家族、か)



ヒルドは助けに来てくれるだろう。

そして、ノアベルトやネアも。

だが、ディノの腕に掴まれ引き寄せられた時にふと、このリーエンベルクの中に住う者達がきちんと結ばれているような、不思議で柔らかな安堵を覚えた。


心の中で少しだけ、この魔物がこんな風に自分を助け出してくれるとは思っていなかったので、庇われた際に感じた驚きが、じわじわと小さな喜びに変化していった。



「ところで、………ここはどこなのだろう」

「手紙の中に、怨嗟のインクを使った見取り図が描かれていたようだ。あわいを模した併設空間の餌箱の一つだね」

「餌箱………やはり、そのようなものだったのか」



見取り図や地図や図面など、土地や空間を示すものを特殊なインクで描き、作り上げる併設空間がある。

となれば今回は、封筒を開いた事でそちら側への招待を受けたと見做され、引き摺り込まれたのだろう。


隣では、足元に落ちていた妖精の羽を見たネアがふんと鼻を鳴らし、それをどこかに蹴り転がしている。



「ネア………?」

「ヒルドさんのものに似せた、とても悪趣味な嫌がらせです。あんなものがエーダリア様の前にあると、とてもむしゃくしゃします!」

「ネア、落ち着いて。もう帰れるからね」

「おのれ、滅ぼせる獲物は残っていないのですか?!この怒りを鎮めるにはもう、細長いペン生物以外の高く売れそうな獲物を狩るしかありません!!」

「ネアが浮気する…………」

「まぁ、鷲掴みにしたら滅びただけで、浮気ではありませんよ?」

「竜なんて………」

「竜…………?」



ネアが手にしている硝子のペンのようなものは、ディノ曰く、竜の一種であるらしい。

初めて見る個体であったのでじっと見ていると、ネアは、淡く微笑んでそのペンを渡してくれた。



「………ネア?」

「既に事切れていて安全ですので、特別ですよ?きっと、私以上にむしゃくしゃしているであろうエーダリア様なので、これは差し上げますね。私はやはり、この汚い絨毯のような生き物こそを…………」

「ネア、触らないようにしようか。持ち帰りたいのなら、私が運んであげるから」

「むぅ。……これは売れるでしょうか?」

「売れるのではないかな。この精霊からは、疫病の薬が作れるそうだから」

「なぬ!………それなら、アクス商会に売り捌き、代金の代わりに、出来たお薬を分けて貰いましょうか?」

「浮気…………?」

「解せぬ。線引きが行方不明です………」



悲しげに抗議しているディノを宥めながら、ネアがこちらを見た。

首を傾げられ、何でもないのだと言いながら貰った竜を観察したい欲求を押し殺してひとまず金庫に仕舞うと、今度はなぜかにんまりと微笑んだネアに瞳を瞠る。



「…………何かあっただろうか」

「ふふ、エーダリア様がこんな時にその外套を着てくれて嬉しいですし、選んだ擬態がちょっぴりヒルドさんやノアに似ているのも何だか素敵ですね」

「っ、………い、いや、つい思い描いたのがその二人だったのだ。………見て分かるものなのか?」

「本人は気付かないくらいだとすれば、その擬態の良さが楽しめるのは、私とディノくらいなのかもしれませんね。…………てい!」

「また何か狩るなんて………」

「ディノ。見て下さい、綺麗な白い…………箱さんです」

「……………箱なのかい?」

「むぅ、…………箱です。先程、にゃーと鳴いたような気がしたのですが」



不安そうにこちらを見た二人に、こんな生き物は知らないと首を振れば、取り敢えずリーエンベルクに帰ろうと言う事になった。



この空間は残しておき、ダリルやノアベルトに再利用出来るかどうかを相談するのだそうだ。





「……………ご無事でしたか」

「ああ。……………揃っているな」

「エーダリア様?」



執務室に戻ると、そこにはヒルドとノアベルトがいて、その姿を見るだけでほっとしてしまう。

ついついヒルドの羽が揃っている事を確認すると訝しまれたので、奇妙な生き物に見せられたものについて話す羽目になった。



「羽が奪われたくらいでは、私は倒れませんよ?」

「分かってはいるのだ。…………だが、ついな」

「やれやれ。まずは、ご無事であった事が何よりですが、疫病の系譜の魔術に触れたのであれば、念の為に薬湯を用意いたしましょう」

「今回はさ、シルの相性が良かったから任せたけど、本当は僕が行きたかったんだよね。次は僕が行くからきちんと呼ぶように」

「そ、そうなのか。だが、次はない方が有難いのだが………」

「…………ありゃ。目を逸らしたって事は、もしかして僕の事呼んだ?」

「…………ああ。何か魔術干渉があったのかもしれないな。………ノアベルト?」



声が届かなかった事で悲しませてしまうだろうかと思って言えずにいたのだが、どうやらノアベルトは、呼ばれたと言うことが嬉しかったようだ。

ヒルドに自慢げに報告しているので、ほっとして息を吐く。



届けられた封筒と中に入っていた見取り図は既にノアベルトが魔術封印しており、声が届かなかった理由などを含め、その手の魔術に詳しいダリルと共に調査してゆくそうだ。



送り主がこちらに知らされる事はなかったが、ヒルドの様子を見ていると恐らく突き止めてはいるのだろう。

念の為に、ノアベルトにヒルドが危険な事をしないようにと見ていて貰うようにした。

なお、ネアが最後に狩った生き物の正体は誰にも分からず、アクス商会に高値で引き取られていったそうだ。




「まぁ、…………エーダリア様はくしゃくしゃなのです?」

「…………お前に譲って貰った竜だがな、………新種かもしれないからと、ダリルに奪われた」

「むむ、取られてしまったのです?」

「全ての図鑑との照合を終えるまでは、戻さないそうだ。今夜にも、鱗だと思われる部位を調べてみたかったのだが………」

「では、そんなエーダリア様に、あの時のくしゃぼろ狼さんから作られたお薬を差し上げますね」



ことんと机の上に置かれた薬瓶は、とろりと蕩ける闇色のアクス商会特製の薬瓶だ。

驚いて顔を上げると、こちらを見たネアは微笑んで頷く。



「エーダリア様が管理してくれれば、リーエンベルクのどこで患者さんが出ても使えますからね」

「…………いいのか?」

「勿論です。あの日の事件は、エーダリア様のものですから。そのような場合の獲物は、きちんと取り分を請求して下さいね。なお私は、四角いあやつを売り払ったお金で、今度ザハの季節限定のお食事に行くのですよ!」




(……………あれは、久し振りの不手際だった)



惑わせる為の嘘だと分かっていても、その言動に心を揺さぶられ、情けなく動揺してしまった。

そのせいで添付されたらしい疫病の魔術洗浄の為に、ネアがよく沼の味だと言っている薬湯も飲まされたし、ダリルからは事前確認が足りないと散々叱られた。



でも、ネアが事もなげにそう言ってしまえば、あの日の悪意に潜まされた棘や毒が、もうこの心を傷付けるような事はないのだと、あらためて確信を持って言えるような気がする。



窓から差し込むのは、花影も共に落とした、柔らかな春の木漏れ日。



膝の上では、ボール遊びに疲れた銀狐が横倒しになって眠っていて、やれやれと溜め息を吐きながら、ヒルドが、銀狐が執務室中に転がしたボールを片付けていた。


そっと銀狐の背中を撫でると、また今年も、換毛期を誤魔化そうとしているらしいふかふかとした手触りに、少しだけ、安らかさで満たされ過ぎた胸の奥が苦しくなる。




仕損じて命を脅かされるのは今も昔も変わらないのだとしても、ここにはもう、エーダリアの家族がいる。

なのだから、どんな場所に迷い込んでも、きっと迎えは来るのだろう。









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