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砂塵の薔薇と執着の薔薇




吹き荒れる砂塵の中で、大きな神殿は灰色にけぶっていた。

貴人が滞在する時にだけ下される真紅の垂れ幕が風にはためき、大きな陶器の花瓶に生けられているのは真紅の薔薇だ。


よりにもよって聖域で、愛情と同時に欲望をも司るこの色の薔薇かと思わないでもなかったが、そのあたりはカルウィではさして珍しい事でもない。

こちらの土地での信仰は、仄暗い欲望と表裏一体なのであった。


欲望がなければ力がなく、他者の死や破滅無くして成功はあり得ない。



(もっとも、そのくらいの気概がなければ、この砂嵐の中で神殿に足を運ぼうとはしないだろうな………)



そう考えて、目の前の人間に視線を戻せば、こちらを見た緑色の瞳がふつりと微笑みの形に細められる。

胸に手を当てて一礼するその動作の中で、ざりざりと砂の落ちた床石を踏んでこちらに歩いてくる爪先が見えた。



「………ねぇ。お前はどうしてその暑苦しい聖衣を脱がないのかしら?」

「どうしてとおっしゃいましても、王族の方の手前で他のどのような装いがありましょう。私はあくまでも、教会から派遣された神父に過ぎません」

「ふうん。面白みのない男ね。………でも、顔は綺麗だわ。それに頭もいい。お前、もう少し私の物になりなさいな」

「……………お戯れを」



微かに困惑を滲ませた声でそう呟けば、王女の背後に控えた従者達がどっと笑った。



(……………頭のいい女だ)



父親は愚鈍だし母親は愚かとしか言いようがないが、まだ若い王女は、担ぎ出されただけの無能な小娘ではない。

自分の足元の脆弱さを憂い、権力を盾に我儘三昧の愚かな小娘のふりをしながら、狡猾に手駒を集めている。


愚かさと老獪さの線引きは酷く精緻で、時折混ぜる御し易さなようなものまでがどれ程に計算し尽くされているのかを思えば、この女の狡猾さは疑いようもない。



時折、人間の中にはこのような者が現れる。

愚かさや愚鈍さの一挙手一投足に気を遣い全てを覆い隠したつもりだが、その完全さに人外者達は人間という生き物の振る舞いを超えた見慣れたものを見るのだ。

つまりのところ、種族的な領域を踏み越えた聡明さこそが仇となり、人外者めいた言動にどれだけ仮面をかけてもその本質が知れるというものである。



(資質は違うが、ヴェルクレアの王もそのようなものだな…………)



だがあれは、趣味人であることを利用し、完璧な譜面に混ざり込む手の施し用のない雑音のお陰で、低階位から中階位の者達の目は上手く逸らしている。

あの国の王であるからまだ良かったものの、当代の王達の中ではカルウィの王などより余程扱い難い。

この世界中に幾らでもいる人間の王達の中でも、群を抜いた変わり種と言えよう。


だが、まだまだ他にも優秀な王や女王はいる。


そして目の前のマニファレアの王女は、この、黄金が無造作に転がるような国に生まれさえしなければ、一国の主人として歴史に名を残したかもしれない人間であった。



(久し振りに愉快な拾い物をした)



そう思い、砂漠に燃える篝火のような真紅の髪をした王女が、従者達にあれこれを指示を出すのを見ていた。



花瓶を置く位置や、用意する飲み物に焚き染める香木の煙の流れる方向。

そのどれもが思いつきの我が儘のようでいて、実際には砂鎮めの儀式としての要素をよく押さえてある。

遊興に任せて嵐の日の砂漠の神殿に出かけたのではなく、この人間が、砂の系譜の精霊を土産に持ち帰ろうとしているのは間違いない。



「トロン、そろそろ砂の本陣が参ります。神父遊びも結構ですが、こちらのお戯れは程々にしておきませんと」

「ふふ、ジャサハは意地悪ね。私は、神聖な土地を蹂躙する砂嵐をその場で見て見たいの。だって、怖いものが出てきたらあなたが守ってくれるのでしょう?」

「おや、それはずるい。トロン、あなたをお守りするのはこのわたくしですのに」

「まぁ、ジャスハも私を守ってくれるの?」

「ええ、勿論。その代わりに、今晩はわたくしにその夜をいただけますか?」

「どうしようかしら。少しだけ、………ドレントにも興味があるのだけれど、…………あら、そんな風に驚いた顔をしないで。この国では、王族の寵愛を受けるのは手っ取り早い出世の道なのよ?信仰を修める為にこの国に学びを得に来たのなら、私のお気に入りになっておいて損はないわ」



わざとらしく息を呑んでみせれば、振り返って琥珀色の瞳を愉快そうに細める女は、確かに美しかった。

砂漠のシーの血を引くこの王女は、取り替え子としても有名なカルウィ秘蔵の王族の一人。

カルウィの王女達は、王位継承権を得る事は出来ないが、その代わりにこちらには、王となる男達の正妃の地位を争う戦がある。


仕損じれば一族郎党処刑台送りの危うい階段は、しかし、カルウィの有力な王家筋に生まれた者には避けようのない試練でもあった。



(例え愚鈍でも、王座や王妃の座に興味がなくとも、その頭数だけでも上等な駒にはなる…………)



適度な人数ではなく、これ程に王族達の数が多いからこそ、カルウィ王家の継承争いはいつもボードゲームの様相を帯びた。

どれだけ役立たずな駒にも、陣営を固める為の頭数としての役割があり、流される血にすら魔術的な意味があるのだ。



「私は、そのような戯れには向かない男です。あなたの秘密を守るには後ろ盾なく軽い体ですし、信仰以外に望ましいものもありません。………あなたは魅力的な方で、恐らくとても恐ろしい方なのでしょう。ですが、私がご同伴させていただけるのは、あくまでも信仰の庭迄であります事をご容赦下さい」

「…………ほらね、そういうところが生意気で、そして大好きよ。私はとても気紛れで残忍だけれど、頭のいいお前なら、私への媚び方も分かるでしょう?」

「私とて男ですから、あなたに魅せられる心はどこかにあります。されど、それでは私の信念には背いてしまうでしょう。黄金の王女よ、どうかお見逃しいただけませんか?」



恭しく頭を下げてそう嘆願すれば、従者達が黄金と呼ぶ女は、愉快そうに声を上げて笑った。



「お前は本当に愉快だわ。狡猾で口の上手い男だけれど、鹿角の聖女の教え以外に全く興味を持たないのだもの。カルウィに布教に出されるだけはあるわね。………でもこちらでは、正教会の力は決して強くないのよ?それなのに、それだけの才を持ちながらこんな野蛮な土地に一人でお使いに出されて、お前は腹を立てないの?」

「評価していただけて嬉しい限りですが、私の願いと私の才覚はまた別のものです。信仰を広めることは、謂わば私の趣味にございますから」

「あら、お金も権力もそれなりに好きでしょう?」

「それは勿論、少々は嗜ませていただきますよ。そのようなものは、信仰の庭を広げるのに、あればあるだけ役に立ちます」

「ではやはり、お前は私と組むべきだわ」



そう断言され、僅かに首を傾げた。

ここは素直に真意を図りかねるという仕草をしてみせると、琥珀色の瞳の王女はどこか野生の獣のような微笑みを浮かべた。



「なぜだろうと、不思議でならないのね?」

「そう思うべきでしょう。多少の自惚れはあれど、私はあなたにとって旨みのない獲物です。あなたの目的をどこに据えても、私を取り立てる理由にはなりますまい」

「お前が優秀で愉快な男だというだけで、飼ってみる価値はあるのではないかしら?………ああ、そろそろ頃合いね、……………ジャサハ、ジャスハ、連れて来た二区の文官達を全員始末して頂戴」



その号令に、美しい王女の取り巻きとして砂嵐の日の砂漠に連れ出されていた視察団の文官達は、ぽかんとしたまま立ち尽くしていた。

水色の文官の装束のせいか、やけに顔色が悪く見える。

一言も発せず逃げ出す気配もない彼等には、王女の指示が理解出来なかったのだろう。


砂漠の商業地の管理方法と、治水工事の技術を学びたいのだと、隣の王族の領地から派遣された者達だ。

その訪問は、監視でも搾取でもなく、せいぜいが友好的な知識の交換といった表向きであったが、噂とは違い決して無能ではない王女にとって、自身の価値となり得る情報の流出は避けたいものだったに違いない。


彼女の嗜好を理解した者が人選を任されたのか、文官達は人間の中では見目麗しい男達だったが、その思惑に乗ってみせていた王女が、送り込まれた男達を掴んで寝台に引きずり込みながら情報や知識を吐き出させていたものの、流石にもう利用価値もなくなったのだろう。


残るのは、儀式の贄としての最後の役回りくらいのものである。



逃げ惑う男達を、捕まえては引き裂いてゆく双子の妖精を眺めながら、今回の遠出は二重の意味での仕掛けなのだなと考える。



(目障りな視察団は片付けてしまい、精霊狩りの贄にしつつ、それをこちらへの牽制にも使うつもりだろう。敢えて、脅迫にも近しい野蛮な振る舞いを覗かせて未熟さを感じさせておくその匙加減といい、思っていた以上に優秀なようだ…………)



では、どう使うべきか。



このような人間の場合は、近くに並び立ち自分の手で操作を続ける事は却って不利益になりかねない。

相手が狡猾で優秀なだけ、こちらの割かれる領域も大きくなるのだ。

腰を据え、時間をかけて駒を育てるのであればいざ知らず、今は長期拘束となる仕事で暇潰しをするつもりはない。


以前であれば暫く傍に留まってみたかもしれないが、これを一つというものは既にあるし、手をかけてこちらの領域の大部分を渡してやる相手はもう、あの人間の一人で充分過ぎる程だ。



(であれば、この仮面については使い捨てだな。適度に情報を落とし、切り捨てさせて退出とするか)



見た目と違うものはこの世界に幾らでもある。

想像と違い失望するものも、有象無象にあるだろう。

今回はこの神父が、目の前の王女にとってのそういうものになると言う迄の話。

それは、決して珍しい事ではない。



あちらに選ばせて適度に踏み込んでおけば、人間というものは失望も大きくなる。

がっかりしていると口先では滑らせながらも、どれだけ深層まで取り込んだ物であったとしても、ただ不愉快だと思うだけで容易く自分の腕ごと切り捨てようとするのは、あの人間くらいのものだ。



だから、やはり違うのだ。

もうここ迄来ると、何がどうとは区別がつかないこともある。

だが、やはりあの人間に代わるものはどこにもなく、それ故に退屈であるのも否めない。


そう思い殺戮の様を見ていると、こちらに視線を戻した王女が、艶やかに微笑んでみせた。



「全部殺してしまわれたか。…………信仰の庭では許し難い残虐さですが、まぁ、所詮は異教徒ですからね」

「それならば、私もお前にとって異教徒だと言う事になるわね。不敬だとは思わなかったの?」

「あなたが腹を立てるには、あまりにも稚拙な表現でしょう。質のいいトロンは、道端の小石とは同じ価値ではありません」

「信仰と平等を口ずさみながら、王族と文官の価値はきっちりと分けておくのね」

「それはもう、別の物ですし、私は前述の通り、少々の金と権力は嗜ませていただいておりますから」



そう告げると、王女は声を上げて笑った。

目障りな客人達は全て殺してしまった代理妖精達を呼び寄せ、切り刻んだ獲物の血と肉で、砂嵐の精霊を呼び寄せるようにと命令を重ねる。



(この、カルウィで多用される贄と対価を使った魔術の形は、グレアムが近年になってこの土地に根付かせたものだ)



全く抜け目のない魔物だと思う。

目的の為なら手段を選ばず、犠牲の魔物は、自分の司るものと最も相性が良いであろうカルウィに陣取り、気紛れで残忍な統括の魔物としてこの国で渦巻く魔術を実に上手く利用している。


カルウィの文化を生かして神殿を作らせたのは、神という形のものへの信仰を残した旧世界の魔術の気配を纏う事で、自身の魔術領域を人間達に誤認させる意味もあるのだろう。


また、魔物としての欲求がその対価にこそあるのだと思わせておけば、この土地の人間達にとっては価値観に見合う偉大な神となり、そしてこの上なく使い勝手の良い信仰にもなる。

そうしてあの男は、カルウィに跨る広域を見事なくらいに平定していた。


ここは奇妙な国だ。

特定の人外者の事を神として祀り上げながらも、それが魔物であり、精霊である事をよく理解している。

けれども自分達にとっては都合のいい神であるからと、彼等を神として祀り上げる身勝手さは、カルウィというものの体質をよく現しているのだろう。


そんな土地の中で、土地の民達から神として祀られる事を厭わず、相応しい対価があれば願い事を叶えられるという人外者の存在は、この上なく都合のいいものだ。



餌の匂いに集まった精霊達は術式にかかると、風を唸らせていた砂嵐が掻き消えた。

ばたばたと残った風に揺れる真紅の布に、祝福で守られた儀式用の薔薇が赤い花びらを散らす。

砂塵に引き千切られるように飛んでゆく赤い色を目で追い、成る程と感心させられる良く練られた錬成で調伏の儀式を行う後姿を見守った。


細い腕と薄い肩。

女らしい豊満な肢体に、黄金に弾ける陽光のような潤沢な魔術と、聡明な頭脳に狡猾な心。

これ迄にない玩具に僅かながらの高揚感を覚えるが、だがしかし、胸の中を掻き回すような不可思議な執着は動かないのだった。



(……………あいつのせいで、こちらの楽しみは確実に減ったな)



そう考えずにはいられない。


振り回して噛み砕き、選択の上質さが瓦解した際に得られる、垂れ流される怨嗟に指先を浸す愉快さは随分と希薄になった。

とは言え、基準に満たなかった物の後始末で暇を潰すよりは、基準を満たし続ける物に手をかける方が余程いい。


時折、その手を振り払い対岸から眺めてみたい欲にも駆られるが、そんな欲求如きに手にした恩寵を磨耗するのも不愉快だ。

どれだけ慎重に対岸に立とうとも、あの人間はなぜかいつも、これはないだろうという場所ばかりを踏み抜き、諸共粉々にするような事故ばかりを巻き起こす。

となるともう、対岸ではなくその隣で、厄介な騒ぎを引き起こさないように手を掴んでいた方がましというもの。


(それに、その方が気分がいいからな…………)


対岸に立つ為には、一度、あれから手を離す必要がある。

その時間の不愉快さを引き換えにしてまで、あの人間を舞台に乗せたいような脚本などありはしない。

いや、かつてはあったのだろうが、刻々とそのようなものは色褪せていった。




どこか遠くで水音が聞こえる。

噎せ返るような薔薇の香りと、ほんの少しの香油の香り。

砂塵が風から剥離され、ゆっくりと世界が回り落ちれば、周囲は静かになった。

あの砂漠の神殿から離れた、王女の別邸に移る頃にはもう、風の音も聞こえなくなる。


寝台から下りて花びらの敷き詰められた床を踏み、月の光の明るい砂漠に開いた窓の前に立つ。

窓と言ってもこの屋敷は外壁は設けず、守護結界で覆い薄布を垂らしただけの無防備な造りだ。

並び立つ円柱の意匠は精緻で美しい彫刻だが、王族の住む屋敷にしては堅牢さに欠ける。

だがこれも、トロンと呼ばれる王女の嗜好で、月の光に照らされた砂漠がよく見るからと周囲の反対を押し切ってこのような部屋を作らせたらしい。


(……………いい造りだ)


魔術を還元し、張り巡らせ、その全てを防壁に置き換えている。

見えるようで見えないのは、外壁に幻惑の魔術を敷いているからだ。

開放的な造りの屋敷は全てを曝け出しているようで、王女の望むものしか見させない、謂わば情報戦の最上格である。


個人の生活などよりも、生き残り勝ち抜ける事こそを意識していなければ、こんな暮らしは出来ないだろう。

あの鳩羽色の瞳をした人間であれば、この屋敷を見た途端に顔を顰めて背を向けそうだ。


手に取った聖衣を羽織っていると、背後で小さく笑うような吐息が漏れる。

振り返れば、こちらを見た琥珀色の瞳の女は、寝台に寝そべり体を隠す様子もなく笑い転げていた。



「……………何か問題でも?」

「……………ふふっ、こんな夜なのに、もうその服を着てしまうの?まだまだ楽しめるでしょうに」

「かもしれませんが、まだ夕べの祈りが残っておりますので」

「融通が利かない男ね。でも、悪くなかったわ。それが終わったらこちらに戻ってきて」

「あなたの気が変わらなければそういたしましょう」

「それと、…………出かける前に、もう一度だけこちらに来て」


鋭い牙と爪を隠し持った獣が甘えるような声音に、意識して踏んでいた術式の上からゆっくりと退いた。

踏み抜いてみせたのは魔物除けの守護術紋の一種で、床石にモザイクとして隠す事で、踏み絵のような効果を上げる。


だから、殊更にゆっくりとそちらに戻れば、月光を映して黄金の様に揺らいだ瞳には、称賛に値するだけの獰猛さがくっきりと浮かんでいた。


鋭く、風を切る音がする。

欠片の躊躇いもなく振り下ろされた刃は、幾重にも手首に巻いた魔術金庫に仕込んでいたものだろう。

金庫だと悟られぬように擬態はさせていたが、それだけは外さずにいたので目星はついていた。

がきんと響いた鈍い音は、それを排他結界で受け止める音。


「……………っ、やはり人間ではないのね」

「さて、どうでしょうか。お気に召していただいたと思っていましたが、ご不満があったらしい」

「私は、正体を隠して近付く男は我慢ならないの。それにしても、流星で磨いた剣を凌ぐだなんて、お前は階位もないような下層の魔物ではないわね?」

「その問いかけにお答えするべきか否か、少しばかり迷いますね」

「相変わらずよく回る舌だこと!」


ふっと呼吸が変わり、裸足で立ち上がった王女の足元に術式陣が浮かび上がる。

組み上げられる魔術の彩りを見るに、カルウィの王族の中でも屈指の魔術師と言っても差し支えない技量だろう。


だが、如何せん余白がない。

だからこそこの女は、その力量を正しく推し量っている同朋達からも手を伸ばされないのだろう。

王妃という役割の本来の意味を、最後の一線で測り違えている哀れな女だ。

そうして本人が知らない内に切り捨てられているので、駒として動かすには都合がいい。


杖は出さず、敢えて手元で錬成した排他結界で剣を凌いだ。

何重にも重ねた結界を粉々にする剣戟は、鍛え抜かれた技量の鋭さにその重さを増している。

完璧であるからこそ露呈し、完全であるからこそ倦厭される。

何とも滑稽な事ではあるが、だからこそ、ある程度階位の高い王族の妃に相応しい。


(この女が王妃になれば、カルウィは対外的には盤石になるが、内政は荒れるだろう。国王の正妃に据えるには棘が多過ぎるが、第二席あたりの正妃に残しておけば色々と都合がいい)


そう考えながら、この仮面を捨て去る頃合いを考えた。

証跡を残す危険はどのような場合であれ好まないので、この場に捨ててゆく訳にはいかないが、ある程度の成果を上げたと思わせるだけの攻撃は受けておく必要がある。


その為に、術式や毒を宿した武器を受け止める部位を数か所作ってあるし、退路も既に確保済みだ。

だが、そう思っていたところで、不測の事態が起きた。



「お前は不思議ね。……………どう見ても中階位の魔物なのに、その身に切実な守護も宿している。その違和感こそが気になるわ。まずはそれを砕いてしまいましょう」


殺せると感じさせるだけの芝居は打っておいたので、余裕を感じさせたのはこちらの意図によるもの。

だが、その隙を押し通してこの身を切り捨てるよりも、目の前の女は小さな魔術の動きこそに目を留めたらしかった。



(……………装飾の守護、……………っ、リンデルか!)



擬態の下だからと、リンデルを着けたままであった事を、この瞬間程に呪った事はなかっただろう。

些細な術式への気付きを促す為に敢えて残しておいたものだったが、そこを突かれるとは思いもしなかったのだ。


目の前の女が、宝石や装飾品の魔術具を好み、その扱いに長けていることは承知の上である。

だが、リンデルのような日用の護符に目を留めるとは考えていなかった。


それを砕き、引き剥がす為に錬成された魔術を片手で引き剥がし、靴裏で術式を幾つか織り上げ、容赦なく王女の足を蹴り砕いた。

苦痛の声を上げて振り下ろされた剣を叩き割り、床に仰向けに倒れた腹部を踏みつける。


酷い物音がしたであろうし、予め控えさせてはいたのだろう。

あの妖精達を呼び寄せずに済むようにと、適当に斬られて終わりにするつもりであった。



(……………くそ、それがこのざまか)



頬を伝うのは、背後からの妖精の魔術を弾いた際に受けるしかなかった、流星の剣での一閃で受けた傷から流れる血だ。


砕いた剣を振るわれたお陰で傷口は削られたようになり、左目は完全に潰されていた。

魔術で重さを加重させ、投擲に近い形で剣を振るったこの女の判断は、やはり冷静で巧みである。

負傷しながら、僅かに残された時間で唯一の正解を探し出して実行に移せる人間は、そうはないだろう。



「……………ったく、やれやれだな」

「…………っ、どうして……………。その剣には、伯爵位の魔物ですら体を焼くような、砂火炎の魔術も仕込んであるのに……………」


初めて、王女が怯えたような目をしてこちらを見た。

けれども、この女を怯えさせても仕方ないのだ。

当たり障りのない退場こそを望んだのだが、特定の条件設定を設けた武器というのは、このような時にこちらの素性が知れるので厄介なのだ。


(……………魔物除けの陣のある部屋を選び、魔物に特化した武器を取り出したあたり、俺が魔物であるというところまで確証を持っていたんだろう)


今のところは満点であるのだが、やはり、不思議と心は動かなかった。

流れ落ちる血を片手で拭い、唇の端を持ち上げる。



「その程度だからだ。それ以外にどんな理由がある?」

「……………っ、」

「トロン!」


声を上げた妖精のどちらかがこちらに駆け寄ろうとしたので、適当に払いのけて部屋の隅に転がしておく。

駒として使うつもりである事には変わらないので、代理妖精も含め、殺しはするまい。

もう一人の妖精はいないようだが、こちらへの対処は一人で充分だと思っていたのだろう。



「充分に用は成したからな。もう少し当たり障りなく退場してやるつもりだったが、……………一つだけ忠告しておいてやろう。執着の在り処を削るのはいい判断だが、それは優位性が絶対に揺らがないと保証される場合に限ってだ。目測を誤れば、こうなるぞ?」



例え駒として気に入ってはいても、これは所詮ただの駒でしかなく、リンデルを砕こうとしたことは不愉快以外の何物でもない。


爪先に力を入れて悲鳴を上げさせ、どこかからばたばたと駆け付けてくる靴音に肩を竦める。

襲撃を警戒して、屋敷内での転移を封じていた事が裏目に出たようだ。

もう一人代理妖精が増えたくらいでさしたる支障はないが、この場に留まる理由もない。

足の下で、どうやら失神したらしい女を蹴りどかし、敷かれた魔術の規則を踏み壊して転移を踏む。

残してゆく駒にはいささか不用心な事だが、この程度で失われるようであればそれまでだ。




「くそ、……………妙なところで足を掬われたな」


幾つかの経由地を踏み、かけていた仮面は小さな山間の集落の近くの森に捨ててきた。

壊れた物を管理すると障りが出易いので、適時破棄するという事も、仮面の管理では重要になる。

また、その処分に向いた土地というものもあるのだ。



屋敷に戻り、傷を負った箇所を調べれば、案の定こちらの内側にまで術式の毒が及んでいた。

用意しておいた部位ではなかったので、ある程度の影響は予測はしていたが、こうして仮面の内側にまで侵食されると苛立ちもする。


(……………妖精の魔術か。一度その毒に認識された神父の擬態を表面に戻しておいて、傷と毒をそちらに移し替えるか)


幾つかの魔術洗浄について考え、本来の体の上に先程の神父の擬態を重ね、添わせた信仰の魔術の気配に毒を集めることにした。

不格好ではあるが最も無駄がなく、擬態さえ固定させておけばそれ以上の手間もかからない。

あくまでも毒を移す包装のようなものなので、姿形はそのままで、装いだけを擬態させて暫定の受け皿とする。


少し様子を見て魔術の移動を感じたところで、やれやれと息を吐いた。


手を翳せば、そこには傷一つないリンデルが鈍く光る。

護符を守る為に傷を負っていては本末転倒だが、あの気紛れな人間が二個目を渡すかどうかも分からない。

であればこれは、失う訳にはいかないものなのだ。



「……………まぁ、こんなこともあるだろうさ」



開いたカードには、暫くは呼ばないようにと書いておき、添付されている魔術を確認する為の術陣を踏んだ。



淡く色付き花開くのは、菫色がかった白灰色の薔薇。

ゆっくりと花開くその色に淡い微笑みを浮かべ、指先で摘み上げる。

左目がまだ見えないのが癪であったが、何事にも優先順位はあるのだ。


明日になったらカードに記したメッセージを取り下げようと、長椅子に体を埋め目を閉じた。

どうせあの人間は、また少し目を離した隙に事件を起こしているに違いない。












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[一言] アルテアさんがリンデルを気に入りすぎ案件 ノアには渡すときに万一の場合のケアをしていたのに、道具として使いこなしてくれるという信用のもと手間をはぶいたアルテアさんが見事に事故ってますね こん…
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