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災いの雨と美味しい葡萄酢鶏 1




がらがらぴしゃんと、雷の落ちる音が響いた。

まだ朝と言ってもいい時間なのに窓の外はどんよりと暗く、空は重たい灰色の雲に覆われている。


リーエンベルクの中は、ひんやりとしそうな奇妙な暗さに包まれていて、その中を丸く切り取るシャンデリアの灯りは聖域のような清らかな光に思えた。


そんな感想も、あながち間違いではないのだ。

何しろ今日これから降るであろう大雨は、気象性の悪夢と災いの組み合わせという、たいへんに厄介な物であった。



「昼過ぎには災いがやって来る事になる。心して備えてくれ」

「……………ごくり」

「今回の鎮めの品は、葡萄酢で煮込んだ鶏肉なのだ」

「ほ、骨つきのものをことこと煮込んで、美味しくいただくのだと聞きました!一緒にピーマンも煮込むのですよね?」

「…………ネア、念の為に言っておくが、それは災いに捧げる鎮めの品で、我々が食べられる訳ではないのだからな?」

「……………何という災いなのだ。おのれ、滅ぼしてくれる」



という事で、ネアはとても腹を立てていた。


通り雨の災いがガーウィンを経てウィームを通ると判明したのは、昨日の夕方の事だ。

朝食の前からリーエンベルクの中が忙しないと思っていたが、その災いの鎮めの品を作っていたらしい。

今日のウィームでは、領を挙げて、鎮めの品を作っているのだそうだ。



「むぐ。そんなに沢山の鶏肉のお酢煮込みを作る必要があるのですか?」

「今回は、災い本体を鎮める為の品物ではなく、自分の家を守る為の鎮めの品となるからな」


本日の仕事などの説明を兼ねて災いについて説明してくれたエーダリアは、珍しい漆黒の装いだ。

ゆったりとしたフードのついた魔術師のローブは、魔術の叡智を象った美しい刺繍に縁取りされている。

儀式の時にだけ着る美しくも実用的なものだが、あくまでも外出着ではないローブなのだそうだ。


そんなローブはエーダリアにとてもよく似合っていたが、今のネアには、それを楽しむ心の余裕すらない。

ここで確かめておかなければいけない、とても大切な問題があるのだ。


「むぐぐ、…………わ、私の鶏さんは」

「本日作られる物の全ては、鎮めの品となる。いいか、決して食べてはならないからな」

「むぐ、ぐるる…………」



怒りのあまりに足踏みしてしまうネアには、そんな鎮めの品を作る事は出来ないらしい。

少しばかり魔術可動域が上品な淑女の手では、鎮めの品物とはならない、ただの美味しい鶏肉のお酢煮込みしか作れないのだとか。


それはそれでもういい気がするが、沢山の鶏肉のお酢煮込みを作られなければならない本日のウィームで、不足しがちなその材料を無駄に使うなど言語道断である。


したがってネアは、美味しい匂いのするリーエンベルクで、徐々に近付いてくる災いの雨を睨み付ける事しか出来なかった。



がらがらどしん。


今度は、近くに落ちたのだろうという音に、ネアは雷の系譜の生き物について考えてみようとした。

さあっと音を立てて降り始めた雨は、まだ気象性の悪夢や災いの気配を感じさせない穏やかなもので、雨に打たれる庭の花々が、どこか詩的な様子ですらある。


しかし、空の向こうの異様な暗さを見れば、只ならぬものがゆっくりと迫ってきている事は、ネアの目にも一目瞭然であった。



ごうんと、どこか遠くで風がうねった。

ウィーム中央はまだ強風域には入っていないようだが、それでも時折、不穏な靴跡のように一際強い風が吹く。


リーエンベルクでは既に、朝から家事妖精達や騎士達が手分けをして屋外の風で吹き飛びそうなものは片してしまい、中央市場やリノアールも、正午からは臨時休業に入るのだそうだ。


とは言え、その時間まで営業しているのは、鶏肉のお酢煮込みに必要な材料を扱うごく一部の商店のみで、今回は気象性の悪夢と併せての到来という事で、街のあらゆる施設や商店が店仕舞いを始めている。


土地の魔術の潤沢なウィームでは、悪夢の一欠片が入り込んだだけでどれだけの大惨事になりかねないのか、そして、災いの類については、店を開けておく方が損失を出しかねないのだと、よく理解している領民達が多い。


新しい魔術に出会えるかもしれないと、目を輝かせて家を飛び出してゆく魔術師達以外は、きちんと備えて危険を避けてくれる良い領民達ばかりだ。



その他の施設でも本日は休業になるところが殆どなのだが、唯一の例外は封印庫だった。

こんな日だからこそ、正面出口は封鎖した上で、転移訪問や魔術通信の問い合わせ窓口として機能する封印庫は、遮蔽の失敗をどう乗り切るかや、風で吹き飛んできたおかしなものの封印の仕方を教えてくれるのだとか。



「………エーダリア様達が鎮めの品を作っている仮設の厨房の近くを通ると、美味しい匂いがしていまふ………」

「可哀想に。君の食べたい物が、どうにかして手に入れられれば良いのだけれど………」

「むぐ、ぐるるる。お酢煮込みであれば、私とて美味しく作れてしまうのですよ!しかし、あの災いめが抜けるまでは材料を無駄使い出来ません!きちんと災いを鎮めておかないと、雨漏りしてしまうのだそうです…………」



ここにいる人間はとても我が家を愛しているので、雨漏りというものもたいへんに許し難い。

それを退ける為と聞けば、食欲をそそる美味しい匂いを耐え凌ぎ、何とか鎮めの儀式を完成させなければいけない。


あまりの悲しさに足踏みしたネアは、おろおろした魔物の手でお口にギモーブを押し込んで貰ったものの、口の中は既に、鶏肉のさっぱりお酢煮込みのピーマン入りしか受け付けないくらいの情勢に傾いていた。



(となると、…………早々にあの災いが去れば、鶏肉のお酢煮込みが余ったりするのでは…………)



はっと息を飲み、己のあまりにも素晴らしい作戦に両手で口元を押さえる。

ネアは、あまりにも賢過ぎる発見に、これはもうやってみるしかないと目を輝かせた。



「ディノ!あの災いめを、くしゃりとやる事は出来ませんか?具体的には、鶏肉がお昼にいただけるくらいに残るように………む?」


拳を握って力説したのだが、ネアは、どこか困ったような優しい目をした魔物にひょいと持ち上げられてしまった。

宥めるように背中を撫でてくれたディノにこてんと首を傾げ、空の上から雨雲にきりんボールを投げ込む作戦を立てていたネアは、伴侶の表情を窺う。



「………ネア、これからやって来るものは、災いの一つなんだ。在るべくして通り抜けるものだから、エーダリア達も、それを壊してしまうばかりではないんだよ」

「………ぎゅ」

「魔術の理がある以上、それを崩してしまうのはあまり好ましくない。手順を踏んで鎮めてから、自然に壊れるところまで進ませるのがいいだろう」

「で、では、……鶏肉のお酢煮込みは…………」

「この災いが通り過ぎる迄、ウィームでは難しいだろうね。その代わり、他の土地では材料も手に入るだろう。そちらで食べる事は出来ると思うよ」

「………む、むぐ。エーダリア様やみなさんが、頑張って戦っている時に、一人で美味しい思いをするべくリーエンベルクを離れる訳にはいきません。おのれ、災いの通り雨め!!」

「では、アルテアに作って貰うかい?」

「…………ぐ、ぐぬぅ。アルテアさんは、昨日も美味しい香草パン粉焼きを作ってくれました。今日はどうかゆっくりしていて欲しいのです」



ネアが気高く悲しく訴えれば、ディノは、持ち上げているネアと頬を合わせ、心を添わせてくれた。



「うん。では、悲しいけれど、暫くの間は我慢するのだね?」

「………ふぁい。しかしながら、とてもむしゃくしゃするので、あの災いめを呪いながら、何か酸味が美味しいものをいただこうと思います………」

「そうだね。…………おや、ノアベルト?」



尊い決意をしたネアを、ディノがぎゅっと抱き締めてくれたその時、こつこつとノックの音が響き、義兄な魔物が顔を出した。

その青紫色の瞳にはいつもの朗らかさはなく、とても暗く、そして絶望に満ちている。



「………ノア?」



あまりにも不穏なその表情に、ネアは震える声でその名前を呼んだ。

するとノアは、悲しげに溜め息を吐きながら、よろよろとこちらにやって来るではないか。


慌てて伸ばしたネアの手を取り、自分の頬に当てると、公爵位の塩を司る魔物は、押し殺したような小さな呻き声を上げた。



「……………ごめん、僕はとても無力だ」

「どうしたんだい?鎮めの儀式に、問題があったのかな?」

「………鍋への魔術添付や、術式を焼いた火の管理は出来るんだけど、……………料理が出来ない」

「え…………」



困り果てたように言葉を失ったディノに振り返られて、ネアは眉を寄せた。

確かにこの塩の魔物は、調味料の系譜なのにお料理はあまり得意ではないようだが、とは言え以前の割れ嵐の時のコロッケとは料理としての作り方があまりにも違う。


今回の鎮めの料理は、殆ど煮込むだけの、簡単なものの筈なのだ。



「なぬ。殆ど煮込むだけなのでは………」

「うん。だから僕達も、すっかり油断していたんだよね。でもね、魔術の儀式に見合うだけの状態に整う物が少な過ぎて、このままじゃ間に合わないんだ」

「わ、私のお家が雨漏りしてしまうのです?」

「ごめんよ、ネア…………」

「アルテアさんを呼びます!!!」



とても冷酷な人間にとって、使い魔の休日よりも我が家の屋根事情の方が大切である。

慌ててアルテアのカードを開いて呼び出そうとしたのだが、ネアは、開いたカードを見つめてわなわなと震える事になった。



「……………ぎゅむわ」

「え、アルテアがどうかしたの?どれどれ………」

「アルテアがいないのかい?」

「取り込み中なので後にしろと書いてあります………」

「わーお。女の子と何かしてるか、いつもの仕込み中かな………」

「使い魔さんが不在となると、お料理が出来る方は…………」

「アルテアが使えないとか、想定外過ぎるんだけど………」

「ウィリアムにも尋ねてみるかい?」

「え、ウィリアムって料理なんか出来るの?」

「ウィリアムさんのパスタは、とても美味しいのですよ?」



かくしてネア達は、とてもお忙しいのかもしれないウィリアムに、恐る恐る連絡を取ってみた。

しかし残念ながら、ウィリアムは鳥籠の中にでもいるのか、応答がないままである。



「これはもう、お知り合いのどなたかに助けを求めましょうか?きっと、きちんと報酬をお支払いすれば、料理人の方を貸して下さる方もいるでしょうし」

「それはちょっと難しいんだよね。その家に縁のある者が作る必要があるから、リーエンベルクに縁のない者や、どこかの城や屋敷付きの連中だと魔術的に除外される。例えば、リーエンベルクの直属じゃなくてもいいけれど、ネアと契約のあるアルテアや、守護を切り分けているウィリアムみたいに、ある程度の魔術的な縁が必要になるんだ」

「何という嫌な条件設定なのだ……………」



リーエンベルクには騎士達もいるが、彼等は騎士棟や、ウィームの各地にある騎士拠点などにも配置しなければならない。


また、グラストのように自身の屋敷の主人である者は、そちらを優先させるしかないのも手痛い内情であった。


圧倒的に料理人が足らないのだ。



「…………よし、雨漏りをどうにかする方向で切り替えよう!」

「わ、私のお家が…………。もう二度と、自分の住まいで雨漏りする事はないと思っていたのに…………」

「ネア、私が…………その、手伝えばいいのではないかい?」

「ディノが……………」

「ひどい……………」



ここでネアは思わず、無言で首を横に振ってしまい、頑張って立候補してみた魔物はへしゃげてしまった。

とは言え他に手立てもないのでと、ノアが一度、特設厨房に連れて行ってくれたが、厨房の入り口で待っていたネアにすぐさま返却されてきた。



「ご主人様…………」

「むぐぐ、魔術的なお料理となると、私にも指導が難しくなりますので、この短時間でディノを鍛え上げるのは難しそうです。お鍋の祝福係もいけなかったのでしょうか?」

「そちらは、ノアベルトで足りているそうだよ。儀式に使える料理を作れるのが、エーダリアとヒルドしかいないので、やはり手は足りないようだ」

「ウィームであれば、助けになってくれる方々がいるかもしれませんが、こちらに生活の基盤がある方だと、寧ろ自分の家でこの煮込みを作っている可能性が高そうですものね…………」



今回は、それぞれの家の屋根を守る為に、家ごとに鶏肉のお酢煮込みを作る必要がある。

だからこそディノも、自分の部屋をウィームに持つグレアムの名前は挙げなかったのだ。



「……………ふと思ったのですが、ちょうど不在にしていた方のお家は、雨漏りしてしまうのでしょうか?」

「どうなのだろうね。………恐らく、魔術の紐付きがあるのであれば、無人の施設や家は災いから外れるだろう。土地そのものではなく家に障るものと言う事は、そもそもが生き物を脅かす為のものだからね」

「それを聞いて、少しだけほっとしました。とは言え、こちらの問題はまだ解決しませんね……………」



ネアはここで、アクテーで共に過ごしたグラフィーツを思い浮かべたが、ネアのピアノの先生がお料理上手かどうかの判断は付かなかった。

それに、ピアノのレッスンに於いては先生と生徒という関係を築いているが、それ以外の事で気楽に呼び出せるような相手ではない。



(それに、よく考えたら、リーエンベルクに来て貰う事になるから、警備上や政治的な問題の上でも支障のない人がいいのだわ……………)



魔術的な契約と言えば、アイザックやジルクに料理人を手配して貰い、雇用契約を結ぶ事も考えたが、外部者をリーエンベルクに入れる事で生まれる懸念もある。

そちらの二組の商会が相手になると、抜け目のない商会が内側に入り込む事を警戒するダリルが、決して首を縦に振らないだろう。



(リーエンベルクに縁のある…………人、)



途方に暮れて伴侶の三つ編みをぎゅうと握り締めていたネアはふと、とある魔物の姿を思い浮かべた。



「ディノ、……………オフェトリウスさんは、どうでしょう?あの方は元ウィーム領主さんですし、今回の雨は、ヴェルリアの方では降っていないのですよね?あの方であれば、ダリルさんも承知してくれそうです!もし、騎士さんとしてのお仕事に余裕があればですが…………」 

「オフェトリウスなんて…………」

「しかし、雨漏りをしてしまったら、ディノの巣も、びしゃびしゃになってしまうかもしれませんよ?」

「…………ご主人様」



残虐な人間に脅された魔物は、とても渋々ではあるが、オフェトリウスと話をしてくれた。


今は、必死に鶏肉のお酢煮込みを増やしているエーダリア達の手を煩わせる訳にはいかないので、ネアを厨房前でお留守番にして、直接声をかけに行ってくれたのだ。

勿論、エーダリアにはその場で確認を取り、ダリルにも連絡の上での事だ。


そもそも、オフェトリウスに料理の才がなければ流れてしまう話だが、ネアは、ウィリアムの料理の腕が騎士として暮らしていた頃に磨かれたものである事を聞いている。

であれば、同じように騎士として生活しているオフェトリウスにも、その素養はあるのではないだろうか。



そして、その予感は幸いにも的中した。




「頼ってくれて嬉しいんだが、料理の腕を買われたのは少しばかり複雑だな」



リーエンベルクを訪れ、そう微笑んだのは、ディノが連れてきてくれた剣の魔物である。


柔らかな金糸の髪に青緑色の瞳の美しい男性で、貴族めいた柔らかな微笑みがよく似合う。

今日は休日だったそうで、黒を基調とした少しだけ寛いだ服装をしており、それはつまり、お料理向きの服装だと思っても差し支えがないだろう。



「オフェトリウスなんて………」

「むむ、来て下さったという事は、オフェトリウスさんは、お料理上手なのですか?」

「特別に得意だと言われた事はないが、普通に自炊はするからな。さて、時間が惜しいんだろう?」

「は!そうでした!!こちらなのです」



きちんとお客様は転移の間から連れてきてくれたディノと一緒に、ネアは、背後の戦場にオフェトリウスを案内する。


そこには、もはや光の入らなくなった瞳で黙々と鶏肉のお酢煮込みを作るエーダリアとヒルドがいて、項垂れて、ちょっぴり涙ぐみながらお鍋に祝福を授けているノアがいる。


あんまりな特設会場の様子にオフェトリウスは少しぎくりとしたようだが、戦慣れした騎士らしく、すぐににっこり笑うと袖を捲り上げた。


オフェトリウスの登場に気付いたエーダリアが顔を上げ、ネアは暗闇の中で一筋の光を見出したかのような目をしたエーダリアに、唇の端を持ち上げた。




「エーダリア様、王都の騎士としてではなくここからは魔物としての助力ですが、お手伝いさせていただきます」


魔物としての質を出したからとて、オフェトリウスは急に態度を変えるような事はしないようだ。


ネアは、そう言えば毛布のセールの日も、この魔物がエーダリアのことをきちんと敬称付けで呼んでいた事を思い出す。

そのあたりはやはり、剣というものの資質なのかもしれない。


だが、金色の髪に高位の人外者らしい鮮やかな青緑色の瞳をしたオフェトリウスが、魔物である事には変わらない。

エーダリアは一度手を止め、お酢の匂いの漂う厨房の中で優雅にお辞儀をした。



「すまない、助力に感謝する。…………その場合は、あなたの魔物としての名前を呼ぶべきだろうか」

「正式なやり方とするのなら、まぁ、そうですね。ですが、魔術的な問題であれこれ事前誓約が必要になりますので、今は…………ファリスとお呼び下さい。暫定的な措置ですがその方が手っ取り早い。それで、後どれだけ必要なんですか?」

「……………鍋で言うと、残り七十六だ」

「…………ん?…………ええと、リーエンベルク上空への到達までの予測は?」

「もう半刻もない。これでも、リーエンベルクの料理人達が既にかなりの量を作ってくれてはいるのだが………」

「半刻もないのか………」



そう呟いたオフェトリウスは一度だけ天井を仰いだが、すぐに気を取り直してくれたようだ。

ゆっくりと頷くと、作業をする者がおらずに空いていた調理台に向かう。



「ノアベルト、こちらにも鍋を回してくれ。そうだな、取り敢えず十個でいい」

「…………うん。鍋の祝福と術式の添付だけは任せてよ。あと、ピーマンも切れるようになったかな」

「はは、それは良かった………」

「それと、シルはお酢の瓶を開けられるからね」



そう言われ、扉のところにいたディノがこくりと頷くと、オフェトリウスはどこか途方に暮れたような目をしたが、もう色々と飲み込むしかないと判断したものか、そうですねと微笑んだ。



「そのような作業であれば、私も…」

「ネア様は、どうぞ外でお待ち下さい。この中にも様々な魔術を敷いておりますので、踏み込むと危険ですから」


やっと自分にも出来る事があったと意気込んだネアは、こちらを見て微笑んだヒルドにそう言われてしまい、あえなく撃沈する。


仮設厨房では、いよいよ料理を始めたオフェトリウスが、手早く煮込みの準備を整えてゆく。

同時にあれこれと下拵えしてゆく様は、本人の弁よりもかなりのお料理上手だと見てもいいだろう。


下拵えした鶏肉に紐で束ねた香草の小さなブーケが入れられ、ディノが瓶を開けたお酢が投入されたお鍋は火にかけられるとくつくつと音を立てる。


ぷわんと漂ういい香りに、一人だけ戦力外追放されたネアは、お腹が鳴ってしまわないように必死に耐えた。


どうやら、見ていると煮込みに必要な時間を魔術で短縮しているようなのだが、料理に慣れていないエーダリア達は、その過程で失敗してしまうようだ。

時間短縮を図れるのはとても便利な事なのだが、慣れない者にとっては、通常の工程を踏んで調理出来ないという事こそが最大の難所になるのだろう。



(でも、情勢が変わってきたような気がする…………!!)



オフェトリウスが一人加わった事で、鎮めの儀式に必要な煮込みの生産数はぐっと上がったようだ。


そんな流れの変化を見ていると、最初からアルテアなどがいればとうに終わっていたのだろう。

おまけに今回は、火加減を失敗して儀式の品に満たない煮込みが幾つも出来てしまった事で、だいぶ時間を無駄にしてしまったのも痛かったようだ。



(うん。…………これなら、大丈夫そうだわ)



窓の外はいつの間にか真っ暗になり、ネアは、全てのお酢の瓶を開け終えて戻ってきたディノを羽織りものにしながら、ざあっと窓に強く打ち付けるようになった雨の音を聞きながら、完成の瞬間を待った。


料理の揃えが間に合わないと判断されたのであれば、部屋の雨漏り対策をしにゆきたいのだが、こうして頑張る家族と、応援に駆けつけてくれた元領主の戦いを見届けるという責任はネアにもある。



なので、きりりと背筋を伸ばし、ぐぅと鳴ってしまいそうなお腹を押さえて厨房を見守り続けていると、やがて、敵兵を薙ぎ払う勢いで鶏肉のお酢煮込みを作っていたオフェトリウスの口元に、ふっと艶やかな微笑みが浮かんだ。




「間に合いそうだ。そちらで基準に満たないものがあるといけないので、念の為にもう何個か作っておこう」

「……そ、そうか!良かった………」

「エーダリア様、最後の最後で鍋の管理を怠りませんよう」

「そうだな………!ここで、一つの鍋も落とす訳にはいかないのだった」



交わされる会話は少しおかしいが、ともあれ、無事に鎮めの品は間に合いそうだ。


ほっと胸を撫で下ろしたネアは、こちらを見たディノに微笑みかけ、急いで王都までオフェトリウスを呼びに行ってくれた伴侶を沢山撫でてやる。



しかし、ここから更に、儀式用に鍋を並べ、災いへの鎮めの儀式を行う必要がある。

以前のリーエンベルクでは、それが間に合わずに一晩隙間風に悩まされた風の障りがあったのだそうだ。



がらがらぴしゃん。



また大きな落雷の音が響いた。

ネアはふと、窓の向こうで何かが動いたような気がしたが、振り返ってみるとそこには、風に激しく揺れる庭木の影が落ちるばかりであった。















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