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春の小道と遠い面影





細やかな小花が咲いている春の道を、ゆっくりと歩いてゆく。



柔らかな下草は青みがかった涼やかな緑色で、咲いている花々は水色や藤色のものばかり。

泉の系譜の守護の強いこの土地では、やはり色がその系譜のものに偏るのだろうか。



伝承にも残る、青い青い泉がその小道の奥にはあった。



そこでは、きらきらと光る水色の綺麗な泉結晶が採れるのだが、結晶石を切り出してもいいのは、近くの村に住む泉の番人達や、森に暮らしている泉の妖精達だと相場が決まっている。

土地の恩恵は土地のものが管理するのが古い魔術の習わしで、隠された祝福や豊穣は、大抵の場合は土地の者達にしか見付けられないようになっているのだ。



とはいえ、時折高位の者達が訪れ、なんと美しい泉だろうと感嘆してしまい、泉結晶を切り出してゆくのは咎められていない。

階位ある者からの祝福は、泉をいっそうに美しく育てるだろう。



例えばそこに、一人の高位の人外者が訪れたとする。

その姿を見上げて美しい眼差しに蕩かされた森の生き物達が、彼を通したのは当然のことだ。

きっとこんな美しい魔物に愛されれば、あの泉はより澄明な輝きを宿してゆくだろうと、森の住人達は考えたようだった。



色とりどりの花々を咲かせた森の小道をゆっくりと歩いてゆく男は、こんな森の中には似つかわしくない、漆黒の夜会服姿だ。


その姿を見た者達は、高位の者が訪れているのでと仲間たちに伝令を出し、粗相がないように木の上の小さなお城や、うろの中にある暖かなねぐらに避難してゆく。


しかし、ぴょこんと顔を出したハナミズキの精霊だけは、森を歩く男の美しさに、うっとりと頬を染めた。

その無垢さと愚かさにやれやれと思いつつ、ハナミズキの精霊が一人の魔物に森の宝への道のりを明かすのを半ば呆れて見守る。



「やあ、お嬢さん。この先の泉には、静謐の響きを宿した泉結晶があると聞いたのだけれど、知っているかい?」



案の定、男が振り返り、悪戯っぽくけれども穏やかな微笑みを向ければ、ハナミズキの精霊は喜んでその泉結晶の在り処を教えている。


その男が高位の魔物なのだろうと当たりをつけ、自分より階位の高い者の問いかけに背かぬようにしたのかもしれない。

だが、柔らかな青い瞳は森の中に落ちる夜の光のようで鮮やかで、口元に湛えた微笑みはどこまでも優しく思えたのだろう。

ほんの僅かな欲を滲ませた眼差しを揺らし、ハナミズキの精霊はその男にそっと手を伸ばした。



(…………まぁ、あれはそういう質だからな)



勘違いだとは言うまい。

あの魔物は、いつだって口付けた乙女たちを心から美しいと思っているし、心を寄せた女性にその身を捧げる覚悟すらある。


だが、色狂いの魔物にも自制心があり、己の熱病のような想いが長くは続かない事を理解しているので、指輪を贈るような愚行だけはしでかさずにいるようだ。


とは言え、出会ったばかりの精霊を親しげに抱き寄せてあれこれ聞いている様は、軽薄以外の何物でもない。

資質なのでとやかく言う事もないが、正直なところこれを見せられてどうしろと言うのか。



「相変わらず、手が早いな。…………これは見ている必要はあるのか?」

「疑問に思うくらいなら、ないんだろうさ。………くそ、何でこんなものを見せられなきゃいけないんだ!」



溜め息を吐いて、じゃりりと口の中で砂糖を噛み締める。


この砂糖は、オクネイルの聖女のもので、砂糖にする前に考えていたよりはいささか香りが劣るようだ。

魔物さえ欺くその振る舞いによって、あの聖女は自身の価値を高めて見せていたに違いない。


魔術にこそ重きを置く魔物の目からすれば、その技量もまた評価に値するものなのかもしれないが、食べる側からしてみれば外れもいいところだ。

せっかくの精神安定の砂糖も思うような効果を出さず、小さく溜め息を吐き、取り出したクロスで銀のスプーンを丁寧に拭う。


森の木漏れ日を映したスプーンがきらりと光ると、その煌めきに目を細めた。


このスプーンは、本来のものを三分割して使っているものだ。


替えのきかないたった一つを失わぬように打った手で、三分割したスプーンをそれぞれ作り直し、屋敷に居る時だけは、本来の形にも戻せるようにしてあった。

今日もまた手の中にある銀のスプーンに、ふと、見たくもないものを見せられて荒んでいた心が緩んだ。


隣の男に気付かれないように淡く微笑み、スプーンに小さく口付けを落とすと、留め金を付けて通した鎖を首からかけ直す。

どうやら、愛用のスプーンを愛でるだけで充分だったようだ。



「………すまないな、グラフィーツ。俺が出ていくと悪化する予感しかない。このような事は魔物にしか扱えないし、ニエークをぶつけると大惨事になりかねない。今回は君の魔術を借りるしかないようだ」

「だろうな…………」

「だが、あの結晶は、人間には強過ぎるものだ。念の為に憂いは払っておいた方がいいだろう」

「まぁ、ちょうど一仕事終えたばかりだ。でなければ、会の活動とは言え、収穫の方を優先する。あんたとも、好き好んで一緒にいたいとは思わん。そもそも静謐の系譜であれば、終焉のところの死の精霊を使う事も出来たんじゃないのか?」

「彼だと、あの泉を枯らしてしまうかもしれない。ここは、ヴェルクレアからもあまり離れていない国だし、ネアは、こういう場所が好きそうだろう。いつか、シルハーンとこの泉を見たいと思った時の為に、残しておいてやらないとな」



至極当然のようにそう言ったグレアムに、グラフィーツは小さく溜め息を吐いた。


この魔物に指名されたときには、またトマトの呪いかと思って顔を顰めてしまったが、ネアが共鳴の魔物に目をつけられたらしいと聞けば話は別だろう。



ほんの少し迷いはしたのだ。


最初、グレアムはネアに目をつけた魔物がいると切り出したのだが、グラフィーツは、どういう訳かあの子供にすっかり籠絡されてしまったアルテアのように過保護に彼女を守りたい訳ではない。

誰かに壊されるのは御免だが、あの子供はやはりグラフィーツの歌乞いではなく、そもそもが自分の領域の少し外側のものなのだ。


今回は自身の力で解決させてもいいのではと思い断りかけたところで、ネアに目をつけたのがギルフォーンだと知った。




ギルフォーンは、ネアに自分の魔術が思うように響かない事が我慢ならないらしい。

その不快感から彼女に手を出そうとしているようなので、男としての興味というよりも、恐らくは、思い通りにいかないという状態を是正したいばかりなのだろう。

となると、いつもの様子で食指を動かされているだけであれば放っておけても、伸ばした手に苛立ちや不快感を乗せたものはいささか危うい。


ましてや、音に刻んだその魔術を向けるとなると、様々な調律が崩れる懸念もある。




(……………祝福と災いの天秤は、とても繊細なものだ)



その点において、あの万象の伴侶の人間は、実に複雑で危うい音楽の魔術の顛末を抱えている。

音楽を犠牲にし、その対価で織り上げた祝福の形をした呪いこそが、あの命を守り通したと言っても過言ではない。


だからこそ、ギルフォーンの魔術如きでは少しも響かないのだろう。



(それはそうだ。思うようには響かないだろう。響かないように呪われ、音楽の祝福を退けたからこそ生き延びられた魂なのだから………)




ずっと昔に、グラフィーツが魂をくれてやった一人の人間が触れた、音楽の形をした災いがあった。



それは、その人間の一族に長く障り、祝福と引き換えに大きな対価を必要とする、この世界のものですらない、得体のしれない災いだ。


グラフィーツがこれまでに見たどんなものとも違い、魔物でもなく魔物でもあり、精霊でもなく精霊でもあり、また、竜の気配もあるが竜とは似ても似つかない奇妙なもの。

妖精の気配ばかりは希薄であったが、そんな災いを退ける為に探し出された祝福の形をした呪いは、妖精の小道に似たどこか不自然な道を通り抜けて向かった森の奥で授かったと言うのも、奇妙な符号だろうか。



何者でもあり、何者でもない。

そのような者に祝福され災いを齎され、そして同じように、何かであり何でもない者の祝福の形をした呪いでそれを打ち消した。



(まるでそれは、……………かつて彼女を生かした魔術の結びのように…………)




目を閉じると、いつだってあの歌劇場で歌う彼女の姿が見える。

はらはらと舞い落ちる白い薔薇の花びらと、魔術の雪の中でこちらを見ていた青い瞳。



ネアという少女は、そんなグラフィーツの歌乞いとどこまでも同じ軌跡を辿った。

どうしてだか、グラフィーツの愛したたった一つと、喪っても手放すつもりはないその唯一の、他の誰にも為し得ない似姿であり続ける。


ネアは、グラフィーツの歌乞いと同じ災いを背負い、違う手段とは言え同じ形で退け、それ故に多くを失った人間の子供だ。

見知らぬ場所に迷い込み、そこで出会った魔物の手を取り、歌乞いになったのも同じ。



(だからこそ、ネアは彼女にとても近い。………だが、幸いにも同じものではない)



けれども、同じようなものを見せるから。


グラフィーツが喪った唯一の者と、同じような輪郭を描くからこそ、そのほんの少しの恩寵の欠片を得る為に、グラフィーツは、あの人間の子供を守護するのだろう。



選んだものは、元々は一つきりだったのだ。

その要素がなければ、とうに手を離している。




(歌は下手だし、ピアノも壊滅的だが…………)



それでも、いやだからこそ、雑音に紛れるようにして生まれる懐かしい音の一欠片が、あの、遠く愛おしいあの日を思い起こさせた。


寧ろ、ネアがグラフィーツの歌乞いに酷似していたなら、いっそうんざりして手放せたのだろう。

だが、そのほんの僅かな相似性の分量がいけない。

ネアが彼女ではないからこそ、彼女の記憶を反芻する事の出来る上等な酒のような存在は、グラフィーツに今もたった一人の歌乞いの恩寵を授け続け、それ故に僅かながらの執着と愛おしさが生まれるのだろう。



それは、時として、子供を得られない魔物達が系譜の生き物を我が子として育てるような感覚に近いのかもしれない。

そこまで踏み込むつもりはないが、あの子供が、グラフィーツと今は亡きその唯一を繋ぐ役割を果たしているのは否定しようもない。



(…………本当は、こんなものはいらないんだがな)



古い古い呪いが破られ、グラフィーツの愛した者達はその檻から解放された。

もう二度と戻らないと知っていながら取り戻そうと足掻く程に愚かではなかったのだから、正直なところ、過去を辿らせる物などもう欲しくはなかった。



それでも。



『せんせい?』



その向こうに、こちらを見上げて微笑んだ一人の人間の眼差しを思い出し、彼女が歌う為に弾いてやったピアノに触れた時の指先の温度が恋しくなる。

あの歌乞いに全てをくれてやると決めた時から、その先がどれだけ理不尽な道のりであったとしても、グラフィーツの魂は彼女のものなのだ。



(だから、俺はあの子供を守護するのだろう)



その向こう側に見えるたった一人の歌乞いが、全てを差し出せと手を伸ばす限りに。




ああ、だからこそ音楽はいけない。

あの子供を慈しむ者達であれば構わないが、それを損なう音楽などを、あの子供に触れさせて堪るものか。



「ギルフォーンはいらないのではないか?」

「グラフィーツ…………?」

「前にも話したが、彼女は、俺の歌乞いの記憶を辿る響きを宿した楽譜のようなものだ。音の界隈で触れられるのは、癪に触って仕方ない」

「…………前から思っていたが、君は彼女に対しての反応が、随分と振れ幅が大きいな」

「何のことだ……………?」

「いや、自覚がないなら別に構わない。…………アルテアのようなものだろう。俺達魔物は、それぞれに、司るものの資質の相反する側面を持つものだからな」

「言っておくが、砂糖を食う時のことであれば、あれは、人間達がよくやる食前の祈りのようなものだぞ」

「食前の祈り……………」



このグレアムにだけには、ネアへの執着の一端を話してあった。


勿論、グラフィーツの執着は、グラフィーツだけのものだが、あのトマトの一件以降、それ以前よりも多くの事を共有しておき、もしもの場合はより多くの共有を得られるようにしたのだ。


ネアの近くに蹲っていたクライメルの呪いが解けた今、あの呪いに縁のあったグラフィーツも、以前よりも彼女に近付けるようになった。

近付いた事で得られる小さな恩恵を余さず得ようとするのなら、それ以前よりも関わる事が多くなるのも必定かもしれない。


であればやはり、情報は多い方がいいだろう。

当たり前のように隣に立つこの魔物があの会を取り仕切るのであれば、尚更にそうだろう。



視線の先では、監視されているとも知らずに、泉結晶を切り出そうとしているギルフォーンがいた。


かけられた守護の何かが、自分の魔術を弾いたのだと考えたようだ。

この泉の泉結晶を使った水薬で、ネアの周囲に記された音の魔術を黙らせるつもりだろう。


だが、ネアの履歴が彼女に与えた祝福と災いの要素はもう、不可侵の深部に沈んでしまっている。

それをこの先変化させられるとすれば、彼女の練り直しを行ったシルハーンくらいのものなのだが、ギルフォーンは勿論そんな事は知らないのだ。



(だとしても、その危険を冒す訳にもいかないからな……………)



手にした魔術を撫で上げ、ギルフォーンが触れた泉結晶から必要な魔術の要素を削り落とした。

そうして奪われた祝福や災いは、続けて術式を敷いたグレアムが覆い隠してしまうので共鳴が知る事はないが、またしても望むような変化が得られない事に眉を顰め、他の策を練る事もあるだろう。


彼が共鳴である限りその手法は音楽に触れるに違いなく、それは引き続きの不愉快さをグラフィーツに齎す。



ギルフォーンが持ち帰る泉結晶は調整したが、とは言えやはり、この魔物を少し壊しておくべきかどうかを思案した。


その時の事だ。




「ありゃ、おかしなところで会うね」

「……………ノアベルト、か」



隣のグレアムがはっと息を飲む中、泉の前に立った共鳴の背後に現れたのは塩の魔物であった。


微笑んではいるがその眼差しに柔らかさはなく、どこまでも薄く鋭い温度を見る限り、自分の領域に踏み込んだ同族への嫌悪を隠すつもりはないようだ。

ウィームの外で見る塩の魔物は、どこまでも冷徹で酷薄な微笑みを纏っていた。



「春告げに僕の妹が出たばかりだからさ、こういうものを使う奴がいないかなって警戒していたんだけど、まさかギルフォーンは、僕の妹に手を出したりはしないよね?」

「…………妹?」

「うん。アルテアが同伴していた筈なんだ。君も会わなかったかい?」

「…………っ、」



この出会いが偶然などではなく、自分を狙い定めてのものであると気付いたギルフォーンがさっと表情を強張らせる。


手に持っている泉結晶は隠しようもないが、どのような返答をするべきかを思案しているのが見て取れた。



「ギルフォーン、もしかして左足の下に、僕を出し抜く為の魔術を構築しているのかい?」

「………はは、まさか」

「だよね。君は確かに器用な魔物だけれど、こうして正面から僕とぶつかったら、ひとたまりもないよ?それとも、心臓を無くした筈の僕であればと、少しだけ遊んでみるかい?」

「冗談じゃない。心臓が抜き取られた場所に、君がどれだけの物を詰め込んだのかは、私だって知っている。………いや、私だからこそ気付けるものがあるという事かもしれないが…………」

「では、僕の妹には手を出さないと誓えるかい?僕じゃなくて、シルハーンに誓ってもいいし、そうだね、…………僕と同じ事をしに来たウィリアムに泣いて詫びてもいいね」

「……………終焉?!」



その来訪については、ノアベルトが話している時から気付いていた。

健やかな春の森にはあまりにも異質な気配に、グレアムは額に手を当てて小さく呻いている。

幸いにもウィリアムはまだ、終焉の魔術をこの森に落としてはいないが、それは、ギルフォーンの返答次第なのだ。




「久し振りだな、ギルフォーン」

「…………分かった。誓約でも何でもするよ。私とて、この状況で先に進むのは割りに合わない。そもそも、君達が思うような執着でもないからね」

「ありゃ、ウィリアムはわざわざ擬態して来たんだ」

「土地の魔術を壊すのも偲びないからな。…………俺としては、どんな執着であれ彼女の周囲で不穏な動きをした以上は、代替わりの時期と見做してもいいと思うんだが、あまり大事にしても後始末が面倒かもしれないな」

「私の話を聞いていたかい?そのような執着ではないし、ここに君達が来た以上、私の魔術が響かなかったのも納得だ。理由さえ判明すれば、あの人間にはさしたる興味も残らないよ」


疲れたような声でそう言いながら、ギルフォーンはぴたりと動きを止めた。

ひどくゆっくりと顔を上げ、ノアベルトの方を見る。



「……………シルハーンの名前が出なかったかな?」

「そりゃあね。あの子は僕の妹で、シルの指輪持ちだから。因みにこれは、シルが、君が適切な判断を出来るかもしれないから明かしてもいいよと言ってくれたからこそ、こうして言える事だけれど」

「………承知した。王には、決してあなたの伴侶を損なうような真似はしないと伝えておいてくれ。既にご不興を買ったところについては、今後もし、共鳴の魔術にあの人間が損なわれる事があれば、私が、全面的にその解術に当たらせていただくと」



胸に手を当てて一礼したのは、この場にはいない万象に恭順の姿勢を示す為だろう。

ノアベルトは兎も角、終焉の魔物がシルハーン派だというのは有名な話だ。

ここで丁寧に対処しておかなければ後がないという事くらいは、ギルフォーンにも理解出来るだろう。

今回は、数いる魔物達の中でも、比較的万象に従順な魔物が相手だった事が良かったようだ。



(もういいな………)



ノアベルトが几帳面に魔術誓約を書面で残しているのを確認し、やれやれと手を振った。

目が合ったグレアムが頷くのを見て、この場から立ち去るべく転移の魔術を踏む。



ウィリアムがちらりとこちらを見たようだが、ノアベルトなどは最初から気付いていただろう。

事情はグレアムが説明する筈なので、長居するつもりはない。




薄闇を踏んで降り立ったのは、新しく畑にしたばかりの、とある香木の産地の中規模の町。

精霊の被害に悩まされているこの町には、その興りより聖女の存在が欠かせない。


この土地の聖女は、教会の信仰のように歌乞いではなく、害を為す精霊を殺す術を持つ一族にこそ与えられる称号のようなもの。



(さて、今度の砂糖は、上手く仕上がるかどうかだな……………)



そんな事を考え、当たり障りのない人間に擬態して町の書店に入った。

中規模だが、金回りがいいからかアクスの支店もある、なかなかに栄えた町である。

次の聖女は、この書店で働く人間なのだ。



新しい畑での仕込みを終えたなら、今日はもう、屋敷に帰ってピアノでも弾いて過ごそう。

さして美味くもなかった砂糖を食べてしまい、すっかり疲れ果てていた。




こんな日は、あの歌劇場で彼女が歌った曲をピアノで弾くのがいい。



薔薇結晶の義手にこぼれる音楽の祝福を宿せば、その魔術の煌めきは、あの日に降った雪のように輝く。

そうするとそこにもまた、永劫に忘れる事のない、たった一人の面影が映るのだった。









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