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舞踏会の夜といけないお酒




それは、春告げの舞踏会の後に開催される、人ならざる者達の舞踏会の夜だった。



けぶるような月の光は青白く、リーエンベルクの中庭の花々に花明かりを宿している。

その輝きに、ネアは、春告げの舞踏会で見た花明かりのシャンデリアを思い出した。

ほんの少しだけ、口内が夜兎の香草パン粉焼きな心持ちになってしまい、むぐむぐと口を動かしはしたが、残念ながら今は真夜中なのだ。



抱き込んだクッションに頬を寄せ、隣で本を読んでいるヒルドの横顔をこっそり見上げる。

視線を窓の向こうに戻せば、リーエンベルクの庭の向こうに繋がる禁足地の森の向こうで、獣のようなものが駆けてゆく姿がぼんやり見えた。


夜渡り鹿か、それとも、ネアがまだ見た事もないような不思議な生き物だろうか。


もしかしたらそれは、おとぎ話の中の魔法のようなものを有する生き物かもしれないし、ネアが心を躍らせるような未知の美しい生き物かもしれないのだと考えられる事こそが、ネアがこの世界に来て得られた大きなギフトなのだろう。



(それに、こうして当たり前のように誰かと一緒に居られることも…………)



ぱちぱちと、香炉の中の火が燃える。

立ち昇る香木の煙は白い道筋のようになって、舞踏会に出向いている魔物達の帰り道になるのだそうだ。



「眠たくはありませんか?最後まで付き合われずとも、お部屋に戻られるのであればお送りしますが」

「…………むにゅ。この穏やかな雰囲気に、ついついのんびりうっとりしてしまいました。眠たくはないのですが、ゆったりしてしまいますね」


そう答えると、ヒルドは優しく微笑む。

ここはリーエンベルクの外客棟で、春の舞踏会に出かけて行った魔物達を迎え入れる扉として、エーダリアが初めて扱う特別な魔術を構築している。


勿論、土地の管理者としてこの帰り道を承認するだけで充分なので、こんな風にずっと見張っている必要はないものなのだが、エーダリアは見ていたいのだ。


香炉の中で燃える火や、その周囲に花を咲かせるようにして描き上げた魔術陣。

更には、入り口を開く為に使った詩篇や、贄として使われた果実が結晶化した様や、唱えられた詠唱が空気の中に揺蕩い、きらきらと星屑のように揺れる天井を。



目を凝らせば、煙の中には壮麗な階段が見える。

雪白の香炉の舞踏会もそうだが、魔術の儀式に使われる煙は、道や扉になるのだそうだ。

ネアには魔術の姿がはっきりとは見えないので、こうして不思議な穏やかさの中で過ごす時間や、いつもなら眠ってしまっている時間の夜の森や庭園を眺めていた。



既にテーブルの上に置かれたカップは空っぽになっているが、お代わりの紅茶を注いで貰うのはやめておいた。

今はただ、誰も喋らなくてもただ共に過ごせる時間の静けさに、贅沢に溺れていたい。



やがて、こつこつと扉を叩く音がした。


時計の針は既に真夜中を通り過ぎており、ネアは、ヒルドと同じ長椅子の座面に、ヒルドに寄りかかるようにして伸びていた。

多少お行儀が悪くても、夜更かしをしながら夜を眺める姿勢にもお作法がある。

手触りの良い厚手のショールに包まり、ちょっぴり怠惰な姿勢でいるのがいいのだった。



「戻って来たようだな。………扉が開く魔術には、このような魔術の光が煌めくものなのか。み、見てくれ!この魔術式は、左回りに動くらしい」

「…………エーダリア様、どうか帰路の承認を」

「っ、そうだったな。………我は是。我はこの土地の番人なりて、その夜と祝福の兆しを受け入れよう」



勿論、エーダリアの詠唱もしっかり堪能しておき、何と贅沢な夜なのだろうかと至福の溜め息を吐く。


やがて、硬い石段を踏む靴音が重なり、複数名の男達の会話が、遠いさざめきのように聞こえて来る。

ネアは、体を起こしてお行儀良く座り直し、こちらにおわす人間は、とても淑女的な感じで皆様のお帰りをお待ちしておりましたという微笑みを浮かべた。



ふぁさりと、ケープが揺れた。

上等な布を振り捌く衣擦れの音と、しゃりんと控えめに響いたのは、装飾品の宝石の揺れる音だろうか。



「ネア、…………待っていてくれたのかい?」

「ディノ!お帰りなさい。…………むむ、綺麗なお花ですね」

「君にも見せてあげようと思って、貰って来たんだ。春の夜にだけ咲く、紫陽花なのだそうだ」

「ふぁ、………何で綺麗なのでしょう!夜の光を放つような不思議なお花ですね…………」

「あまり長くは保たないだろう。夜が明ければ消えてしまうのだけれどね」

「まぁ、それなのに持って来てくれたのですね」

「うん。君が起きていたら、見せてあげられるからね」

「あれ、僕の妹がまだ起きてるぞ………」

「ネア、寝ていなくていいのか?」

「…………おい。何だその格好は」



ぞろぞろと香炉の煙の階段から下りてきたのは、これぞという美貌を揃えた高位の魔物達だ。


ディノは、淡くラベンダー色がかった白の一色に、真珠や乳白色に虹色を宿した祝福石などをあしらった装いで、ノアは、漆黒の盛装姿にシャツとクラヴァットを白にしたとてもすっきりとした装いだ。

ウィリアムは、どこかに軍服の要素を持たせた白い盛装姿で、アルテアは、はっとする程に艶やかな深い紫色で統一している。

この色がまた巧みで、黒に近しい色相ながらも、光を受けると赤みがかった紫色が滲むので、深い紫色なのだと分かるのだ。



「…………むむ、皆さんが揃うと、とても華やかですねぇ」

「ネアが、…………可愛い」

「ありゃ、もしかして少し飲んでた?」

「ふむ。美味しいシュタルトの湖水メゾンの、甘めの白葡萄酒などを小粋にいただいておりました」

「ああ、だから少し頬が上気しているんだな。……寝酒を飲むとそうなるのか…………」

「ウィリアムさん?」

「…………はは、夜会帰りには、少し刺激が強いな」



ネアは、もしや舞踏会で沢山お酒を飲まされてしまい、お酒の気配があるものを見ると胸がむかむかしてしまったりするのかなと眉を下げたが、そういう事でもないらしい。

微笑んだウィリアムからは、可愛いなと頭を撫でて貰う。


 

「まぁ、僕ら全員、今は刺激が強いかな。今回は、妖精が主催だったからね。ほら、それで夜の舞踏会となると、妖精の粉がさ…………」

「おや、となりますと、誘惑を司る系譜の者達がおりましたか」

「まぁ、あの手の舞踏会には、華やかさを持たせる為にその種の妖精達も呼ばれるから、いるよね。でもってウィリアムは、いつも囲まれるんだよね」

「そういえば、向こうに残るとばかり思っていたが、良かったのか?」



ノアとアルテアのどちらからもそんな事を言われてしまった終焉の魔物は、白金色の瞳を細めて微笑むと、腕を組んで首を傾げた。



「俺は、あの種の誘惑には興味はないので。残念ながら、アルテアのように手際良く捌く技量もありませんし、ノアベルトのように端から後日の約束を取り付ける甲斐性もないからな」

「ありゃ、一人だけ清廉潔白って顔してるけど、そもそも、僕たちはウィリアム程に囲まれないからね?」

「そうか?挨拶の延長上で囲まれるだけの俺とは違って、二人の周囲にいた女性達はなかなか真剣な面持ちに見えたけれどな」

「まぁ!という事は、今夜の出会いから素敵な恋が芽生えたり………むぐ?!」

「ったく、おかしな勘繰りをするなと言わなかったか?」



ここで、手袋を外したアルテアに鼻を摘まれてしまい、ネアは怒り狂ってじたばたした。

慌てたディノが、頭を撫でてくれたが、お友達計画にわくわくした心を傷付けられたネアは低く唸り声を上げる。




「それにしても、久し振りにこの舞踏会に出たなぁ………」

「あんまり楽しくなかった…………」

「まぁ、ディノは楽しくなかったのですか?」

「ネアがいない………」



お土産を手に帰って来た時の凄艶さをぽいっとやってしまい、いつの間にか羽織りものになっている魔物を撫でてやりながら、ネアは体を捻る。

お土産の美しい花は、中央のテーブルに置かれてきらきらと光っている。


今夜の舞踏会もまた儀式的な要素の強いものであるらしく、春の夜の中で、芽吹いた魔術を紡いだり選定したりするものなのだとか。


ディノとウィリアムが同時に出る事は稀なのだそうだが、今年は新しい魔術の揃えを確認する必要があったのだそうだ。

ネアも簡単に説明して貰ったのだが、選定の状況から、漂流物という魔術的な障りの漂着の予兆を探る必要があったらしい。



「まぁ、目的はそれなりに果たせたんだけどね、ああいう同伴者が必要じゃない舞踏会なりの煩わしさってあるからさ」

「出かけられる前から少し気になっていたのですが、舞踏会と銘打つからには、ダンスに主軸を置いた催しだったのでは?」


そう尋ねたのはヒルドだ。

どうやらこのままこの部屋で寛ぐらしい魔物達に、紅茶の準備をしつつ、道を閉じた香炉をじっくり観察しているエーダリアを窘めている。



「うん。儀式としての舞踏会だから、参加者同士でのダンスはあるよ。シルは、それが嫌だったんじゃないかな」

「もしかして、踊り難い方がいらっしゃったのですか?」

「ネアじゃない………」

「それは、………行く前から分かっていたのでは………」



すっかりへなりとした魔物にめそめそされ、困惑したネアは眉を寄せる。

儀式的な舞踏会のようだし、こちらの魔物はそれなりのお年でもあるので、一晩くらいは頑張っていただきたいところだ。


しかし、ご主人様のその対応にしょぼくれた魔物は、頭をぐりぐりと擦り付けて、すっかり甘えたになってしまう。

ぎゅっと抱き締められた事で、襟元がずれて肩が出てしまい、ネアは慌てて部屋着の襟口を引っ張り直した。


この部屋着はシシィからの贈り物なのだが、時折こうして肩が落ちてしまう。

肌触りが魅惑のとろふわでデザインが可愛く、尚且つ保温魔術で首回りが寒かったりもしないので重用しているが、このような場合は少し気恥ずかしい。



「…………ったく」

「なぬ。どこからか、初めましてのガウンが出てきました。ここに、ストールもあるのですよ?」

「アルテアなんて………」

「ありゃ、過保護だなぁ」

「ネア、肌寒いなら俺のケープを貸そうか?」

「こう見えて、シシィさんの部屋着は、適温の魔術がかかっているので、寒くはないのです。この襟ぐりは、デザイン上必要な開きなのだとか」

「ほお、あいつの仕業か………」

「なぜ、悪事のような言い方なのだ………」



抗議の為にびょいんと弾み、ネアは、魔物を羽織ったままの運動にぜいぜいした。

ほんの少しお酒も入り、ちょっぴり体が鈍っていたようだ。



向かいでは、長椅子に腰を下ろしながら、アルテアが整えてあった前髪を崩している。

本日は前髪を全て上げてしまい、オールバックにしていたようだ。

ウィリアムも同じように前髪を上げていたので、何となく輪郭を変えた揃えの盛装姿のようで、その二人が並ぶと見応えがある。


そんなウィリアムは詰襟だった襟元を寛げ、ノアはあっという間に上着を脱いで椅子に伸びてしまった。

ネアは、ディノがケープを脱ぐ手伝いをしてやり、出がけに結んだリボンが綺麗なままになっているのを誇らしげに示した魔物をまた撫でてやった。



「…………む」



ここで、ネアはふと、ウィリアムの方から漂う甘い香りに気付いて振り返った。


体を寄せてくんくんすれば、甘酸っぱい苺のようないい匂いがするではないか。

あまりにも美味しそうな匂いなのでぐっと顔を近付けてしまうと、なぜかウィリアムは慌てたように体を逸らせる。



「ネア………?」

「ウィリアムさんから、美味しい果物のようないい匂いがします!………これは、苺でしょうか?」

「……苺?いや、果物の類は食べていない筈だが」

「…………ネア様、少し離れていただいても宜しいでしょうか?それは恐らく、妖精の粉の効用ですね」

「わーお。仕込まれてるぞ」

「おい、妙なものを持ち込むな」



ネアは、いい匂いのする粉々を付けられたのかなと思うぐらいであったが、ヒルドの指摘を受けたウィリアムは、はっとするくらいに冷たい目で、そうかと呟いている。


ネアと目が合うと表情を緩め、手を伸ばしてふわりと頭を撫でてくれたが、白金色の瞳には僅かな苛立ちのようなものが残っていた。



「すまない、ネア。俺の不注意だった。念の為に魔術添付の除去をしておこうな」

「むぐ。この美味しい匂いをぽいしてしまうのです?」

「ああ。良くないものだといけないだろう?」

「ネア様、まずは、顔をお拭きいたしましょう。あなたに、他の妖精の印付けなどがあっては困りますからね」

「ヒルド…………」

「まずは、私が魔術で余分な要素を排除してしまおう。ただ、私達には気づかなかった要素のようだ。ヒルド、その後でもう一度調べて貰えるかい?」

「ええ。勿論ですとも」



ネアとしては、小瓶か何かにこの粉を移しておき、いい匂いを残しておくのも吝かではなかったが、ヒルドの微笑みを見てその提案をするのはやめておいた。


ディノの片手がしゅわんと魔術を払えば、後はもう、ヒルドによる妖精の粉の残滓の確認のみだ。

ウィリアムも含めて、全ての魔術洗浄があっさり終わってしまったが、ネアは、少しだけどんな妖精の仕業だったのかを考えた。



(……………ウィリアムさんに、覚えていて欲しかったのかな………)



大勢のご婦人に囲まれていたようなので、その中での事であれば、思いを込めた密やかなメッセージだった可能性もある。

少しだけ切ないような気がしたのは、美味しい苺を沢山届けてくれる可憐な妖精かもしれないからではない。

そして多分、ウィリアムに、ちょっぴりすりすりしたくなるのも、先程の苺の香りとは関係のない衝動だろう。



「ネア………?もしかして、影響が出てしまったかな?少し目元も赤いようだし、そろそろ部屋に戻ろうか」

「む、……むぅ。なぜか一瞬、ウィリアムさんを指先でごしごししたら、またあのいい匂いがするかなと考えてしまいましたが、気のせいでふ」

「おや、妖精の魔術は払っておりますが、………おかしいですね」

「うーん、これってさ、寧ろお酒じゃない?」

「…………おい。節度を持った量で留めたんだろうな?」

「む、むぐ!何種かを飲み合わせましたが、沢山飲んではいませんよ!ほんの少しだけ、先程の苺の香りが気に入ってしまっただけなのです」

「やれやれだな。これで我慢しろ」

「苺ギモーブです!」



ネアはここで、魔法のように取り出された苺ギモーブをお口に入れて貰い、美味しい甘酸っぱさを噛み締めると、終焉の魔物をごしごししたい欲求はぴたりと収まった。



「ところで、苺の妖精なんかいたっけ?」

「いや、俺も今それを考えていたんだが、苺はいなかった筈だな。残照と夜明かり、月光に糸かがり、雪風に春眩み、後は百合の系譜とフリージアと木蓮か………」

「わーお、…………妖精だけでかなりのものだぞ」

「もう一度言うが、俺の系譜は何かと厄介だからな。系譜の災いがないようにと、わざわざ挨拶に来る事くらいは珍しくない」

「むぎゅ。未来のお友達予定な、苺さんがいません………」

「残照の妖精は、文献によると少し変わった羽の形だと言うが………」

「エーダリア様?」

「すまない…………」



ウィリアムが挙げたのは妖精だけだが、更には魔物や精霊は勿論のこと、竜達もいたのだそうだ。

義兄から、アルテアは箱持ちの魔物に言い寄られていたと聞いたネアは、それはどんな四角い魔物だろうかと首を傾げる。



「ネア、ヒルドの妖精の粉はどのような香りがするんだい?」

「ディノ?………雪菓子とシュプリのような、瑞々しくて甘い果実のような、けれども爽やかで上品で素敵な香りがするのですよ。………じゅるり」

「であれば、その妖精の系譜とは関係なく、君にだけ感じられる香りというものがあるのかもしれない。もし、先程嗅いだような香りを感じたら、誰かに言うようにしておくれ」

「はい。では、ウィリアムさんにいい匂いを付けてしまった妖精さんを見付けたら、すぐに報告しますね」

「くそ………確かに、こちらでは判別が付かないものだな。いいか、くれぐれも、勝手に近付くんじゃないぞ」

「お母さんです…………」

「やめろ…………」



あまり幾つもの約束を取り付けられてしまうと、いつかウィリアムの恋人候補な妖精と会える可能性が減ってしまうと考えた人間は、狡猾に思考を巡らせ、魔物達を黙らせる事にした。


首飾りの金庫から、手に入れたばかりのお酒の瓶を取り出せば、アルテアがはっと息を飲む。



「おい、これをどこで手に入れた?!」

「イチイの魔物さんが、ディノ経由で送ってくれたのですよ。まだ試作品の、甘酸っぱい蒸留酒なのだそうです。こうして全員が集まっている隙に、開けてしまいますね」



アルテアがとても食いついて来たので、きっと美味しいお酒なのだろう。

それならば尚更、全員が揃っている内に開けてしまった方がいい。

ネアは脳内で素早く分量を計算し、グラストとゼノーシュの味見分も残しておけるなと、にやりと笑った。



柔らかく、頬に触れる手がある。

目を瞬き顔を上げると、優しい水紺色の瞳がこちらを見ていた。



「まだ眠たくはないのかい?」

「………むぐぐ、すっかりお口の中が、甘酸っぱいものを楽しみたい気分になってしまいました。この量ですと、全員で一杯ずつくらいですし、エーダリア様とヒルドさんも明日はお休みですから、如何でしょう?」


そう尋ねたのは、先程の妖精の粉事件で少しだけ不愉快そうな気配を纏ったウィリアムやヒルドへの緩衝でもあるのだが、ずる賢い人間はそんな事は明かさないのだった。


しかし、こちらを優しい目で見たディノは、そんなネアの企みも見透かしているように微笑む。



「うん。では、そうしようか」

「ま、待て。その封をしてある封印紙は、千切らないように開けてくれ」

「ありゃ、回収する気満々だぞ………」 

「エーダリア様………」

「まだ起きているつもりなら、おまえは、いい加減に何か羽織れ」

「むぅ………」

「アルテアは意地悪だな。ネアが寒くなければ、そのままで可愛いのにな」

「わーお。腹黒いぞ…………」




イチイの酒を開けると、小さなグラスが出され、ネアは少しだけ慌てた。

洗い物の出来ない人間は、この時間からお酒をいただくと、グラスを洗う作業が発生してしまう事を失念していたのだ。

そんなネアの後悔に気付いたのか、ヒルドがくすりと笑って慰めてくれる。



「騎士棟で飲み会をしている騎士達がおりますので、明日の朝にはそちらの物も出てきますから、洗う手間はさして変わりませんよ」

「騎士さん達は、自分で食器を洗ってしまったりしません?」

「ええ。騎士の一人の妹が伴侶を得たようで、その祝いですから、こちらから酒類や食事などを出しております。絵付けに守護のある食器やグラスもありますので、洗い物は明朝に洗い場の妖精達がする事になっておりますから」

「………ふぁ。ほっとしました。気分で洗い物を増やしてしまった罪悪感でいっぱいになり、これはもう使い魔さんに頼むしかないかなと思っていたのです」

「おい…………」



きゅぽんと、イチイの酒の瓶が開けられると、ぷわりといい匂いが立ち昇った。

魔術が見えるネア以外の者達は、きらきらと光る祝福魔術の煌めきを目にしたようで、珍しくディノも褒めている。



「とても良いものを貰ったね」

「むぐぐ、私もきらきらが見えるようになりたいです」

「ご主人様…………」

「なぜ、そんなに悲しそうになってしまうのでしょう………。い、いつかはこの可動域とて上げて見せますよ!」

「やめておけ。万象の伴侶になっても、それくらいしか伸びないんだ。考えるだけ無駄だろ」

「ぐるる…………」



それぞれのグラスに、僅かに赤紫色がかった透明なお酒が注がれると、ほんの少しだけ特別な夜の語らいが始まった。




ネアは、唇を付けてみたこのお酒のあまりの美味しさにくいっと飲み干してしまい、思いの外強かったお酒にへべれけになってしまったが、大事な伴侶の魔物の三つ編みを編み直してあげたり、使い魔の尻尾の付け根をこしこししたり、ウィリアムを沢山撫でて寝かしつけようとしたくらいで済んだようだ。



今回はエーダリアも少しだけ酔っ払ってしまったようで、ヒルドやノアが席を立とうとすると無言で引き留めるというかなり珍しい光景を見損ねたネアは、翌朝とても悲しい思いで項垂れたのであった。



残りのお酒はゼノーシュ達に渡され、お酒がなくなった後の空き瓶はエーダリアが回収していったそうだ。

イチイの魔物の錬成なので、とても大切にするらしい。



その夜はずっときらきらと光っていたディノのお土産の花は、朝になって目を覚ますと消えてしまっていた。

それでも、目を閉じるとその美しい煌めきが思い出せるのだから、素敵なお土産を持って来てくれた伴侶の三つ編みは、今日も丁寧に編んでやるしかない。










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