花積もりとバターケーキ
「これは何でしょう?」
「…………私に聞かないでくれ」
「むぅ。エーダリア様であれば、ウィームの不思議生物をご存じだと思ったのですが」
「…………そもそもこれは、ウィームの生き物なのか?」
さわりと揺れる風は優しく、ふっくらとした花々の香りが心を解くような日の事だ。
ネア達は、リーエンベルク内にある小さな菜園を見に来ていた。
そこに育った小さな人参に、エーダリア待望の祝福結晶が育ったらしく、いそいそと向かうエーダリアにお供し、ネアも初めて見る人参の祝福結晶を見に来ていたのである。
初めて拝見する人参の祝福結晶は、可愛らしい人参色で、ネアは少しはしゃいでしまった。
ころんとした角の丸い三角形の結晶で、なんだか少しだけ人参に似ている。
どんな祝福があるかといえば、この祝福結晶を埋めた畑で人参を育てると、結晶石を埋める際に願った要素を叶えた美味しい人参が育つのだそうだ。
今回は四個の結晶が手に入ったので、甘い人参や味の濃い人参など、少しずつ味を変えた美味しい人参が、近く収穫出来る見込みである。
そして、お目当ての人参の祝福結晶を手に入れてほくほくしながら帰ろうとしたところで、ネアたちは、この謎のけばけば生物に出会ったのであった。
(……………これは、何だろう)
畑の土の上には、けばけばしたトウモロコシのような謎生物が鎮座している。
全体的には茶色で、トウモロコシを毛だらけにしたとしか言いようのない姿をしたものだ。
おまけに、しゃーっと唸り声を上げてこちらを威嚇しているそのけばけばは、どうやらネア達の行く手を塞ごうとしているらしい。
飛び跳ねているのか、ごろごろしているのかは分からないが、兎に角、通行の邪魔をしてくる。
困惑して顔を見合わせていると、無視されているように感じるのかまた荒ぶってしまうので、ネア達は、先程からほとほと困り果てていた。
この生き物が現れてからは、まださしたる時間は経っていない。
とは言え、明らかに帰路を塞いでいるこの生き物はどうにかするしかなく、ネアは蠢くけばけばを凝視して小さく首を傾げた。
「仕方がありませんねぇ。踏み滅ぼしておきましょう」
「…………やめないか。障りなどがあるかもしれないのだぞ」
「とは言え、このままでは我々は帰れなくなってしまいます。そろそろ、おやつの時間ですし、今日のおやつは美味しいバターケーキなのでそれを逃すことは出来ません」
「ひとまずは転移でこの場を離れ、ヒルドやノアベルトの判断を仰ごう。私であれば、お前を転移で運べるのだったな?」
「はい。ディノが、エーダリア様でも問題ないようにしてくれました。と言うことは、こやつはこのまま置き去りにしてしまうのですね?」
「ああ。…………っ、」
「まぁ、置き去りにされるのは嫌なのです?」
会話の内容は理解しているのか、置き去りという言葉を聞いてしまったけばけばトウモロコシは、いっそうに唸り声を高くした。
しゃーっという威嚇音に加えて、きゅるきゅるという謎の音も立てており、ネアは、ますますこの生き物が何なのか分からなくなる。
確認までに、二人がそっと後退してみると、その生き物は素早く距離を詰めてきた。
絶対に逃がさないという強い意志を感じ、二人はまた顔を見合わせてしまう。
「踏みます?」
「…………何かに封印出来るといいのだが、…………少し待ってくれ」
「その言葉を聞いて、けばけばトウモロコシがいっそうに荒ぶり出しました」
「…………立った」
「む。立ちましたね。と言う事は、今までは横倒しで荒ぶっていたのです?」
「…………恐らくはそうなのだろうな」
「なぞめいています。と言うか、この生き物ですと、ディノ達を呼んでも弱ってしまいそうですね…………」
「そうだな…………」
春の気配が近づいてきているリーエンベルクの庭には、様々な花が咲いていた。
ヒヤシンスのような花は甘い香りを漂わせており、その周囲には八重咲きのチューリップも咲いている。
この菜園のある区画には、球根を育てる為の花畑も作られていて、リーエンベルクの固有種も少なくはなかった。
そんな中の何かなのだろうかと考えたが、エーダリア曰く、この菜園にはトウモロコシ的なものすらないらしい。
僅かに沼地の魔術の気配もあり、ウィーム領主の見立てでは、そもそも、近隣に生息しているものなのかどうかも怪しいそうだ。
和やかな午後は、麗しく柔らかい。
人参の祝福結晶を手に入れた後、花々の咲き乱れる美しいリーエンベルクの庭を歩いていい気分で帰るつもりであったネアは、徐々にむしゃくしゃしてきてしまう。
「……………むぐ?!」
「蹴ろうとしただろう。待たないか!」
「おやつの時間を遅らせるなど、許すまじなのです。しかも、可愛らしいもふもふですらなく、ざらっとしたけばけばではないですか」
「……………お前の言葉を聞いて、余計に腹を立て始めたようだが」
「むぐぐ、何という面倒な生き物なのだ」
「……………ノアベルト?」
ここで、頼もしい魔物なのかお散歩中のもふもふなのかが悩ましいところである、尻尾を振り回してご機嫌な銀狐が現れてしまい、事態はいっそうに混迷を極めることになる。
ネア達に気付いた銀狐は、ぴしりと尻尾を持ち上げてご機嫌歩きになると、しゅばっとこちらに走ってくるではないか。
だが、その動線上に問題のけばけばトウモロコシがあり、どう考えてもこのままでは二者の遭遇は避けられそうになかった。
「ノアベルト!ま、待ってくれ!!ここに、正体の分からない物がいるのだ。……………っ、ま、待て!!どうして走る速度を上げたのだ?!」
「……………まぁ、もう衝突は避けられませんね。蹴りどかしておきますか?」
「っ、それで、ボールと勘違いをしたらどうするのだ……………」
すぐに、その瞬間はやって来た。
大喜びでこちらに走ってきた銀狐は、ネア達の前で荒ぶるけばけばトウモロコシに気付く事なく、茶色いけばけばをぎゅむっと踏んづけてしまったのだ。
その途端、きゅわーという謎の奇声が上がり、銀狐もけばけばになる。
ネア達はあんまりにも聞き慣れない奇声に目を丸くし、びゃいんと飛び跳ねて転がったけばけばトウモロコシを目で追いかけた。
弾けるように飛び跳ねて転がってゆくけばけばトウモロコシは、そのまま苺の畑に突入してしまい、驚いて飛び出してきた苺の妖精達に追い出されている。
おかしなものを踏みつけてしまい涙目になった銀狐は、すかさずエーダリアが抱き上げてやり、ネアは、銀狐は、どうしてその目線の高さでけばけばトウモロコシに気付かなかったのだろうかと遠い目になった。
「ネア?!」
「まぁ、ディノ!来てくれたのですか?」
おまけにそこに、騒ぎを聞きつけた魔物がやって来てしまった。
たいへん困惑している伴侶を持ち上げるまでは良かったのだが、苺畑のそばできゅわーと暴れているけばけばトウモロコシを見ると、水紺色の瞳を瞠って震え始めるではないか。
「………おのれ。いっそうに混沌としてきました」 「ご主人様……………」
「ヒルドを呼んだ方が良さそうだな」
「それか、そろそろ踏みます」
「……………どこか、遠くに捨ててしまうかい?」
「念の為の確認なのですが、祝福を齎すようなものではありません?」
「…………うん。祝福ではないかな」
「どんな系譜のものなのか、分かったりしますか?」
「……………土と水、……………沼かな。少しだけ植物の気配もあるよ」
「やはり沼です。これはもう、どこか、沼地でもいいので水辺が欲しいというお国に差し上げましょう」
「それと、少しだけ人参の気配もあるようだよ」
「なぬ。……………人参?もしや、人参を食べていたのでしょうか?」
「こちらを見ないでくれ。私にはさっぱり分からない」
最早誰にもどうにも出来ないのでと、ヒルドが呼ばれる事になった。
今や、リーエンベルクの菜園は、晴れた気持ちのいい日の午後とは思えない程に騒然としていた。
きゅわーと鳴き叫ぶ謎のけばけばトウモロコシに、その生き物を追い払おうとする、各畑を住処にする妖精達。
更には、騒ぎを聞きつけた森の生き物達が木々の上に集まり、怖々とその様子を見ている。
そんな妖精や精霊達が不安げに囁きを交わし合い、遠くからは、リーエンベルクに現れる首なし馬の亡霊達もこちらを見ているようだ。
「……………やれやれ、何の騒ぎですか?」
「……………すまないな。私にはもう、どうしようもなかったのだ。お前も知らない生き物であれば、ディノに頼んで、どこか他所の国に移しておこうと思うのだが………」
エーダリアからの魔術通信で呼ばれたヒルドがやって来て、ネアは少しだけ安堵した。
魔物達が怯えてしまう事態の際には、やはり、ヒルド程に頼もしい人物はいない。
だが、そんなヒルドの隣にスープ専門店の店主である、アレクシスの姿を認めると、これはもう大丈夫だなという不思議な確信を得るに至った。
「アレクシスさんです!」
「ネア、ディノ、元気だったか?……………ディノが震えているようだが?」
「あちらで大騒ぎの、けばけばが苦手なようです。アレクシスさんは、あちらの生き物をご存知ですか?」
「私も見た事がない生き物ですね。アレクシスも知らないようであれば、駆除という事になるのかもしれません」
エーダリアに示されて、けばけばトウモロコシを見ていたヒルドがそう付け加え、僅かに開いた羽を閉じ直している。
取り敢えず、妖精ではないのは確実らしい。
「花積もりだろう。出汁にはならないが、焼いて畑に撒くと、土壌が豊かになる。沼地などに花木の花びらが沢山落ちた際に生まれる精霊の一種だ」
「……………花びら感が皆無でした」
「花積もりか……………、初めて耳にした」
「私もです。精霊でしたか……………」
「ご主人様……………」
やっと正体が判明して少しだけ興味津々なネア達に対し、魔物達は早くどこかにやってしまいたいようだ。
ネアは、この鳴き叫ぶ生き物を焼いて畑に撒くというのも凄まじい展開だなと、僅かに慄きながらアレクシスの言葉に頷く。
幸いにも、リーエンベルク勢の困惑を感じ取ってくれたものか、スープ用の野菜を育てる畑に使えるからと、アレクシスが引き取ってくれる事になった。
簡単に拾い上げられ、アレクシスに掴まれた途端にぴたりと沈黙したけばけばを見送り、ネアは、美味しいスープの為の尊い犠牲であると心の中で冥福を祈っておく。
「アレクシスさんは、こちらにご用だったのです?」
「ああ。以前にヒルドと約束をした香草を貰いに来ていたんだ。ネア、最近は不調などはないか?」
「むむ、……………先日、少し変わった夢を見て、使い魔さんの守護を増やして貰い、ヒルドさんからは美味しい苺ジュースを貰いました」
「ヒルドなんて……………」
「夢、か。であれば、トマトクリームのスープと聞いて、飲みたいと思うか?」
「じゅるり……………」
「よし、それなら、夢から繋がる災いの置き換えが出来るスープを、置いてゆこう。親しい守護との置き換えは出来ないが、もしそこから災いが為された場合は、助けとなる者達が訪れるようになる」
「まぁ!そんな素敵なスープがあるのですね」
「犠牲の魔術と、収穫の祝福の組み合わせだな。タジクーシャの宝石の果実も少し使うものなんだ」
「じゅるり…………」
幸せな美味しさの予感に震えたネアに、地面に下して貰った銀狐は、花積もりを踏んでしまった現場に歩いてゆくと、アレクシスによって収穫された花積もりが、小さな木箱のようなものに収納されるのをけばけばのまま見上げている。
いなくなってくれるのは幸いだが、その後の運命を思えば複雑な心中であるのだろう。
「…………あ、」
そこに、ひらりとどこからか花びらが舞い落ちてきた。
庭木の花だろうかと見上げれば、この騒ぎで集まってしまった小さな生き物達が、リーエンベルクの庭の木の上で、酒盛りを始めてしまったようだ。
すっかりうきうきしている妖精栗鼠や、精霊鼠などは、ちびこい酒瓶を持ってわいわい弾みながら、きらきらした細やかな祝福の光を落としている。
その様子を見た他の生き物達も、事件解決を祝ってか、野次馬騒ぎの打ち上げなのか、あちこちで酒宴を始めるようだ。
「騒ぎになってしまったからな、怯えていないようで良かった。ヒルド、蓄えてある葡萄酒を何本か、彼等に出してやってくれ。苺畑の妖精達には、砂糖菓子も出してやるといい」
「ええ。では、そういたしましょう」
気前のいいウィーム領主がそう言えば、集まった生き物達からは大喜びの声が聞こえてくる。
誰がどこで演奏しているものか、優美なバイオリンの響きが風に乗って届き、更には、苺畑の妖精達は輪になって踊り始めていた。
しゃりしゃりんと、祝福の光を宿した優しい風が吹いた。
ネアのお気に入りの菫色のドレスの裾を揺らし、ディノの真珠色の三つ編みに結ばれたミントグリーンのリボンを揺らしている。
ネアはここでふと、木の上でお酒を飲んで踊っている一羽の青い鳥を、アレクシスがスープの魔術師目線でじっと見ていることに気付いた。
(まさか、スープの材料に…………)
そう考えるととてもぞくりとしたが、賢い人間はそのような悲劇には触れずにいるべく、今はご機嫌でお酒を飲んでいる鳥の運命については考えないようにした。
「さて、本日のお茶の時間は、バターケーキですよ」
「はい!その為になら、あのけばけばトウモロコシを踏み滅ぼすのも辞さない覚悟でしたが、無事に解決してほっとしました。この世界には、まだまだ不思議な生き物が沢山いるのですねぇ」
「…………あんな生き物なんて」
「そしてディノは、すっかり怯えてしまったので、おやつの時間には、切り分けたバターケーキの交換をしましょうね」
「ご主人様!」
淡い藤色の花影を落とす木の下では、ヒルドとアレクシスが、畑の運用についてお喋りしている。
そこに混ざりたいエーダリアだが、足元の銀狐が、どこからか捕まえてきたらしいふわくしゃを咥えて見せているので、そちらはそちらでまた、大騒ぎのようだ。
「ディノ。いつものリボンの専門店で、花曇りという素敵なリボンが出たようなのです。お話を聞いたところ、私もとても欲しいものでしたので、明日は一緒に買いに行きませんか?」
「うん。好きなだけ買ってあげるよ」
「あら、今日のお仕事で、少し珍しい薬を作ってくれた魔物のご褒美にしようと思ったのですが、いいのです?」
「……………ご褒美にする」
「では、そうしましょうね」
ちょっぴり騒がしくなった人参の祝福結晶の収穫を終えてリーエンベルクの中に戻ると、ちょうど、焼きたてのバターケーキがほかほかと湯気を立てていた。
是非にご一緒にどうぞとアレクシスも誘われていたのだが、スープの魔術師は、手に入れた花積もりを畑に与えるのだと素敵な笑顔で言い、バターケーキをお土産に包んで貰って帰っていった。
「……………良い畑の養分になるといいですね」
「……………ご主人様」
「そ、そうだな………」
「あの精霊は、畑を荒らすもののようですから、駆除対象で良いでしょう。水辺で朽ちてゆく者達の怨念から派生するからこそ、調伏すれば畑を豊かにするものと転じるそうです。また現れた場合に備え、ウィーム内でも共有しておきますが、ガレンにもご連絡されては?」
「ああ。今日中には、あちらにも連絡を入れておこう」
「そう言えば、今回は、エーダリア様がお持ち帰りしたいような生き物ではなかったのですか?」
「いや、ガレンで回収するべきかは迷ったのだ。だが、先日は私が飲むスープを依頼したりと、アレクシスには世話になっている。収穫する事で彼の助けと出来るのであれば、渡しておいた方がいいのだろうと思ってな」
先日、祝福の豊かなウィームの冬が明けるにあたり、エーダリアは、土地の魔術の恩恵をより得られるような、領主としての効能が得られるスープを注文したのだそうだ。
とは言え、スープ屋のおかみさんからの打診でそのようなものがあると知っての注文だったのだが、たまたまアレクシスがこちらに帰ってきていたので、彼が作る事になったらしい。
「私も、今夜には、トマトスープを飲んでしまいますね」
「うん。良いものを貰ったね」
「はい!くんくんしてみたところ、香辛料がしっかりめに効いていて、とても美味しそうなスープのようです!」
窓の外の庭では、まだ宴が続いているようだ。
リーエンベルクから振舞われた葡萄酒は、小さな生き物達に均等に振舞われ、皆、思いがけない大騒ぎの大喜びである。
(ひと事件あったけれど、ああして楽しんでしまうものなのだわ…………)
野次馬騒ぎからの大宴会の様子に、ネアは何だかくすりと笑ってしまった。
ではこちらの人間はどうかと言えば、腰肉に厳しい使い魔のいない間に、ふた切れ目のバターケーキをお皿に載せてとても幸せな気持ちである。
はらはらと、また花びらが降る。
リーエンベルクの庭に降る花びらは、木の根本に集まった妖精達を喜ばせているので、花積もりのような精霊は派生しないのだろう。
フォークに刺したバターケーキをぱくりと頬張り、ネアは、耳の奥に残ったきゅわーという大音量の鳴き声はいつになったら忘れられるだろうかと、密かに考えたのであった。
引き続き、執筆時間が取り難くなっており、
明日4/10の更新は、こちらにて〜3000文字程度の短めのお話となります。




