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トマトスープとチーズビスケット





家にいるべき日がある。


こちらの世界に来てから、お出かけや狩りの楽しさに目覚めたネアではあるが、そんな強欲な人間ですら静かに過ごすべき日というものはあるのだ。


本来なら森を駆け回り、ばしんと叩くと落ちてしまう儚い生き物達を一網打尽にするつもりであったネアは、大事な魔物と一緒にリーエンベルクにいる。



そんな日のお昼時、しゃらりと森の影が落ちるテーブルには、はらはらと舞い落ちる雪が薄っすらと被っていた。


今日は朝から雪が降っていて、少し葉先が見えてきた庭の木々にもまた白いヴェールがかかっている。

雪の中で咲いている三色菫の可憐さに、水色の薔薇はなんとも艶やかだ。



空を見上げると、うっとりするような灰色の美しい雪雲があり、ネアは上等な毛皮のような複雑な色合いに見惚れてしまう。



テーブルの上に置かれた籠の中で、ほこほこと湯気を立てているのは焼きたてのチーズビスケットだ。


ふっくらと焼いた角の丸い長方形のもので、さっくり割って食べる際には、バターをのせて蕩かしたり、甘塩っぱいを楽しむ為に夜溜草のシロップをかけたりもする。


ネアが子供の頃、クッキーの家族ではなくスコーンの家族であるこのビスケットのレシピは、父の知り合いから家に訪れた素敵なお客様であった。


ちょっとした焼き物といえば、パンケーキやフレンチトーストにしてしまうが、時々このビスケットも焼きたくなる。

そこに最近は、使い魔印のおかずサレなども加わり、美味しい知識は無敵といっても差し支えがない。



「はい。焼き立てですよ。今日のチーズビスケットは、季節外れにはなりますが、この夏茜のスープといただきましょう」

「……………ずるい」

「ふふ、少しさっぱりめのお昼ご飯となりますが、今日はこんな感じの気分なのですよね?」

「うん。…………このビスケットは、………」

「ディノの、新しいお気に入りの一つなのです?」

「うん。…………このチーズは美味しいね」



なぜか少しばかり恥じらってしまった魔物は、黄色いチーズが中でほんの少しだけとろりと崩れるチーズビスケットを知ってから、もじもじと強請ってくるようになった。


生地そのものはバターと牛乳の甘めの風味で、チーズの塩気との組み合わせが素朴な美味しさである。

そしてやはり、一番美味しいのは焼きたてなのだ。



「……………美味しい」

「ふふ。この、焼き立てのビスケットを割った時の湯気が、私は大好きなんです。丁寧に美味しいものを作って、ゆったりといただけるのはとても幸せな事ですから」

「……………浮気、ではないのかな」

「あら、ディノもチーズビスケットが好きでいてくれるので、そんなディノと美味しくいただけるのが幸せだという事なのですよ?」



そう告げられた魔物はこくりと頷き、そして目元を染めたまま、ぱくりとチーズビスケットを口に入れた。

焼き立てのビスケットを手で割って食べていても、この魔物はとても優雅に見える。


けれども、水紺色の瞳をきらきらさせて幸せそうに頬を緩めている姿は、例えようもなく無垢に見えた。



「明日は、シシィさんがドレスの採寸に来てくれるので、あまり食べ過ぎないようにしなければなのですが、…………むぐ!焼き立てには敵いません!」

「ネア、………君はどんなドレスを着ていても可愛いし、好きなだけ食べて構わないのだからね?」

「ふふ。そんな優しい伴侶がいるのですから、食べてしまうしかありませんね」

「ネアは可愛い…………」



ネア達が過ごしているのは、部屋に面した庭に設置した食事用のテーブルだ。


この雪の日に外に出ていると思うなかれ。

今日の雪は、祝福のたっぷり含まれた粉雪なので、こうして雪の気配に触れると体にも良いらしい。


結界の傘をかけて雪が積もらないようにはしているものの、庭に出ての昼食となったのだ。

ネア達だけではなく恐らくは執務室のエーダリア達も、リーエンベルクのあちこちで、皆がこの雪に触れているのだろう。



「こんな風にお庭にテーブルを出して、雪の中なのに外でお昼がいただけるなんて、伴侶がディノだからの幸せでふ!」

「気に入ったのなら、幾らでもやってあげるよ?」

「ふふ、ではまたお願いしてしまうかもしれません。何だか不思議で、そしてとても素敵ですね」

「このような雪はあまり多くは降らないものだけれど、また外で食事をしたい日があれば、いつでもテーブルを出せるからね」




ネア達の頭上に降る雪は、とても我が儘な祝福を纏う祝福と災厄の雪だと言われていた。


そう聞くとグラフィーツの系譜のものかなと思ってしまうが、実際には終焉と犠牲の魔術を帯びた希少なものであるらしい。




祝祭の雪だと言う者達がいる。


実際にこの雪は儚く美しく、小さな小さな白い花びらが降るように風に舞う粉雪は、どちらかと言えばダイヤモンドダストにも似た煌めきを帯びた。


その雪の美しさを讃え、きちんと視認して愛でた者達には祝福を与える優しい雪である。



粛清の雪だと言う者達がいる。


確かにこの雪は無差別に災いを齎す。

ひっそりと齎される災いは、静かな夜の湖にも似た美しさでひたひたと忍び寄り、せっかく降らせた美しい雪を見る為に窓に歩み寄らない無礼な者達の命を刈り取る。


相応しい敬意を払い正しく接しなければ、高位魔術因果の顛末として、処罰を下す恐ろしい雪なのだ。




「…………この雪は、祝福と災いの二種類がある訳ではなく、どちらの側面も持つものなのですね」

「意志があるかのように言い伝えられているものだが、実際には蝕と同じような高位の魔術要素が崩れる事で現れる魔術異変だ」

「今回は、早くにアルテアさんから注意喚起があった事で、こうして準備をして今日を迎える事が出来ましたが、そうではない時は判断が難しいのが曲者です」

「今回のものは、アルビクロムの郊外で行われた小規模の戦乱の余波で、そこにアルテアが立ち合っていたのが幸いだったね。随分と古い魔術が一つ失われたと聞いている」




先日、アルテアから、アルビクロムには近付くなと言われた日があった。


その日に行われたのは、異国の王子の私怨によるアルビクロム侵攻で、けれども、アルビクロム領だけで対処出来ると判断された事により、ヴェルクレア中央は関与していない。


アルビクロム議会と軍部でその鎮圧にあたり、最後には、異国の王子が解き放った魔術の災いがひと暴れしての決着となったそうだ。


そして、そこで暴れ壊された古い魔術が、今日のこの雪を降らせているらしい。




(……………きれい)



はらはらと降り積もる雪は美しく、ネアにはただの素敵な雪景色に映る。

しかしどこかでは、この雪が誰かの命を奪っているのだ。



その犠牲が失われたものを埋めるのか、それともただの荒ぶる魔術の障りなのかは誰にも分からないままだが、全てのものに理由がなくてもいいだろう。

ネアはただ、大事な魔物と美味しいお昼をいただき、こうして灰色の空から舞い落ちる粉雪を見上げるばかりであった。



「割れ嵐や、直近の気象性の悪夢が訪れた時もそうでしたし、そのように、引き起こされた出来事から現れる天候異変も多いのかもしれませんね」

「…………布はもういいかな」

「むむぅ。そう言えばあの日の風も、今回のことの前兆だったのです」



ヴェルクレアには訪れないものも多いが、世界にはまだまだ様々な魔術異変による災いや祝福がある。


中でもネアが気にかけているのは、空からリズモに似たもふもふとした生き物がたくさん降ってくるもので、その国に残虐な王が即位すると現れる現象なのだとか。


血の雨ならまだしも、なぜにもふもふふわふわとした丸い生き物が降り注ぐのかは謎に包まれていて、是非に一度見てみたい。


また、絶対に遭遇したくない黒インクの雨という惨事もあるのだそうだ。

これは、濡れてしまうと洗い流すのが一苦労なので、どうか遠い異国のおかしな天候異変のままであって欲しいところだ。




「……………悲しくはないかい?」



ふと、ディノからそんな事を尋ねられた。

ネアはおやっと目を瞠り、そう言えば今日は、狩りに出かける予定だったのだと思い至る。


だが、この雪が降るらしいと判明したことで、万が一があるといけないので、家で過ごしていてくれないかと、エーダリアから要請があったのだ。

今思えば、天候としての扱い方を承知していても、魔術異変である以上はと、警戒してくれたのだろう。



優しい伴侶は、なぜか予定の中止が相次いでいるネアを案じているらしい。 



くすりと微笑み、ネアは、チーズビスケットのかけらをお口に放り込む。

ちょうどチーズが素敵な具合に入っている部分に当たり、美味しいものを噛みしめられる幸せに胸がほかほかした。



「………ふぁぐ。こんな日は、のんびりとお家で過ごし、こうして美味しい料理で特別な日にしてしまえばいいのです。とても特別で幸せなので、少しも悲しくありませんよ?」

「………うん。君が悲しくなくて良かった」

「ふふ。でも、ここにディノが一緒にいてくれなければ寂しかったので、ディノがいてくれてこその幸せなのかもしれません」

「…………凄く可愛い」

「そして、これは秘密なのですが、私はやはり、ウィームは冬の景色が好きなのだと思います。こうして雪が降っているのを見ると、何て綺麗なのだろうと嬉しくなってしまうので、今日はやはり特別に素敵な日ですね」



ネアが、そんな告白をした時の事だった。


ふっと空の上に何かの気配が現れたと思った瞬間、ネアは、いつの間にか立ち上がったディノの腕の中にいた。



ずしん、ぐしゃっと音がして、空を見上げていたネアはそのまま視線を地面に落とす。




「……………ディノ、お空から魔物さんが降ってきました」

「……………祝福のつもりかな」

「確かに、美味しいパイなどを届けてくれる魔物さんですので、祝福という要素がないとは言えませんが、……………ほわ」



どすん、ばたん。



二個目の落下物は、着地だけは見事にこなしたものの、足元が雪だったことは想定していなかったのか、最後の最後でつるんと滑って倒れてしまった。

とても残念なように思えるものの、空の高みから落とされて着地出来るのは、高位の魔物ならではだろう。



「……………くそ、その足をどけろ!」

「………っ、まさか雪とはな。…………シルハーン、ネアは無事ですか?」

「うん。こちらに君達の落下の影響はないよ。どうやら、この雪がネアに祝福を与えようとしたらしい」




空から落ちてきたのは、終焉の魔物と選択の魔物であった。



ネアは、お風呂上がりだったのかバスローブ姿な魔物と、着替えの途中だったのか、ちょっとはだけた魔物の姿を確認し、もう一度空を見上げる。


魔物の第二席と三席である彼等ですら、こうして本人の許可なく呼び落とされてしまうのだと知り慄いたのだ。



(……………魔物が降ってくるのも、天候異変に含めていいのかな……………)




「……………祝福、なのです?」

「君がこの雪を喜んだことで、君にとって必要なものを授ける祝福としたのだろう。ウィリアムもアルテアも、君に守護を与え契約に当たるものを得ている。その結果、本来なら階位的には不可能なものを、君と彼等だからこそ可能としてしまったようだ」

「ふふ、何てとびきりの贈り物なのでしょう!確かに、このお二人であれば私は喜んでしまうしかありません。…………ただ、普通の方でやったら、とんでもない悲劇になりそうですので、是非に相手によって高度を調整して欲しいですね」

「…………うん」



ネアは心の中で、例えばこの祝福が与えてくれたのが、美味しいお菓子や晩餐だったとしても、空の高みから地面に投げ落とされて大惨事だと考えたが、せっかくの恩恵に対してあまり文句を言いたくなかったので口にせずにいた。


とは言え、空の上から投げ出された魔物達は文句の一つも言いたいだろう。


立ち上がってやれやれと苦笑したウィリアムも、無言で体を起こしてとても暗い目をしたアルテアも、あまり幸せそうには見えない。


ネアは、骨折などしていないだろうかと、さっと傷薬を出したが、二人はそっと首を横に振った。



「……………その、焼き立てのチーズビスケットがあるので、ご一緒しませんか?このまま帰ると、無理矢理呼び出されただけな感じで、むしゃくしゃするでしょうし…………」



であれば、こちらはどうだろう。

ネアが、そうおずおずと声をかけてみたところ、淡く微笑んだウィリアムが、じゃあ一つ貰おうかなと呟いている。



「……………くそ、今回の一件は、最後まで面倒ばかりだな………」

「そう言えば、アルテアさんの関わった一件で引き起こされた現象でしたので、…………自損事故?」

「やめろ」

「はは、アルテアはよく事故りますね」

「言っておくが、今回の事は俺も想定外だ。あの愚昧な王子が、ラノラの箱を持っているとは思わないだろ」

「今回の事は、どちらかと言えば人間側が引き起こしたあなたにとっても不本意な戦乱ですから、俺もとやかく言いませんよ。ただ、死者が何人か足りないので、そちらは返して欲しいところですね」

「土産にした連中は、元より魔術の対価として魂の引き渡しの約定を交わしてある。どちらにしても返せる状態にないが?」

「やれやれ………」



お馴染みのやり取りをしつつ、空から降ってきた魔物達も、昼食の席に加わる。

アルテアは、さすがにバスローブ姿でいる訳にはいかないからか、魔術で服を変えていた。



どこからか、魔術の叡智で椅子が現れ、ネアも、部屋から新しいカップを二つ持って来た。

ウィリアムとアルテアのそれぞれが出した椅子は、意匠の違う装飾が、二人の違いを示しているようで目に楽しい。


急に賑やかになった食卓は、落ちてきた二人の魔物がネア達に当たらないようにしてくれたディノの結界の傘の下で、またのんびりとした時間を育む。




「……………悪くないな」

「むぅ。渾身のチーズビスケットですよ?」

「うーん、アルテアはその程度なんですね。俺はかなり好きだな。ネアは料理上手なんだろう」

「ふふ。呼ばれてしまったウィリアムさんが喜んでくれるようなものを、せめてお出し出来て良かったです。このチーズビスケットは、ディノの新しい好物なんですよ」


そう紹介されてしまい、ディノはこくりと頷いた。

チーズビスケットはまだまだ沢山あるので、ウィリアムやアルテアに食べられても気にならないようだ。



「ただ、二人だけのつもりでしたので、これしか用意していませんでした。………足りますか?」

「…………ったく、一品足してやる」

「野菜グラタン様!!」



アルテアがどこからか取り出したのは、オーブンから取り出したばかりのような野菜グラタンだ。


簡単な昼食にするつもりであったので、チーズビスケットと夏茜のスープしか並んでいない食卓であった。

そこに増えたお料理に、ネアはぱっと笑顔になる。



本来ならリーエンベルクでいつもの昼食になる予定であった本日だが、エーダリアが、せっかくの祝福の雪だからと、料理人達や家事妖精達に半日休暇を出したのだ。


勿論、ネア達にも事前に了承を取った上での事で、では、昼食は各自でという事になった。


だが、大切なリーエンベルクの主人の食事を案じた料理人は、美味しいサンドイッチを用意していってくれたようだ。

ただ、朝食の後の限られた時間で工夫してくれての事だったのであまり数を作る余裕がなく、エーダリア達の昼食を賄うのが精々という量であった。


かくしてネア達は、こちらは大丈夫なのでと、恐縮する料理人を半日休暇に送り出し、チーズビスケットの製作に入ったのである。



(せっかくだからと、ディノの食べたい物を聞いて、この組み合わせになったけれど、アルテアさんのグラタンも増えると、何だか一気に豪華な気持ちに!)



温野菜の上にホワイトソースをかけてチーズたっぷりで焼いたグラタンは、グラタンをソースにして野菜を食べる温かいサラダのようなもの。

ネアは、はふはふしながらチーズ部分と合わせて人参をいただき、また美味しい幸せにむにゅりと頬を緩める。



「…………む、エーダリア様から通信です」



ここで、ピンブローチ型の魔術通信端末に連絡が入り、執務室で仕事をしているエーダリアから少し慌てたような声がかかった。



“ネア、魔術異変があったようだが、問題はないのだな?”

「まぁ、エーダリア様のところにまで伝わってしまったのですね!実は、今日の雪が祝福をくれたようでして、ウィリアムさんとアルテアさんが、空から落ちてきたのです」

“……………空から”

「はい。うっかり報告をしそびれてしまい、ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません」

“いえ、ネイが起きていればこちらでも分かった事でしょうから、ネア様がお気にかける必要はありませんよ。却ってお手間をかけてしまいましたね”

「ノアは、寝てしまっているのです?」



ネアの義兄は、昨晩は久し振りのデートで朝帰りだったようだ。


確かに朝食の席にはいなかったなと思いつつ、きっとエーダリアの執務室ですやすや寝ているに違いない、すっかりこのリーエンベルクがお家な魔物について考えたネアは、温かい気持ちになって微笑んだ。



(……………確かに今日は、久し振りに遠方での狩りの予定だったから、とても楽しみにしていたのだけど…………)



それでも、大切なものがこうして穏やかである事に勝るものなど、ありはしないだろう。



何でもない日の、幸せな時間の作り方は簡単だ。



大切な人達がそこにいて、そして声が聞けたりしたらもう、後は美味しいご飯を作ってのんびりするばかりである。


ほこほこと湯気を立てる素朴だが美味しいご馳走や、大好きな味の一品を味わっていただきながらゆったりすれば、その贅沢さは何にも変えがたい安らかさを齎す。




「はぐ!」



あつあつとろりのグラタンを口に入れ、それがなくなってしまうと今度は、さらりと飲めるようでしっかり濃厚な味わいの夏茜のスープを飲む。


たっぷりのトマトと胡瓜やパプリカ。

少しの大蒜の風味と良質なオリーブオイルの組み合わせが素敵な傑作となるこのスープは、パンだけではなくて、勿論チーズビスケットにもよく合う。



雪景色を楽しみながらの昼食にしては、温かいものが丁寧に淹れた紅茶くらいしかないかなと思っていたが、グラタンも加われば死角なしではないか。




「ウィリアムさんは、お休みの日だったのですか?」

「ああ。アルビクロムでの一件の事後処理も、漸く終わったからな。今日はテントで寝るだけの日だったが、思いがけない理由で美味しい昼食にありつけた」

「ふふ。であれば、沢山食べていって下さいね。このビスケットは、何となく心が職人な気持ちで作り始めてしまった結果、何人前かなというくらいに焼いてしまいましたから」

「それなら、遠慮なく」



小さく笑ったウィリアムが、チーズビスケットを食べている隣で、先程まではバスローブ姿だったアルテアが小さな手帳のようなものを開いている。


初めて見るもので、どこかで見た事のある紋章が記されているので、どこかの森で使っているものかもしれない。



「……………やはり、共鳴か」

「もしかして、ラノラの箱の事ですか?」

「規模といい質といい、明らかに魔物の手入れが入っているだろうと思ってはいたが、共鳴の手駒だったようだな。……………あいつの場合、仕掛けたら仕掛けっ放しだ。駒に執着しなかったことを幸いとするしかないな………」



ネアは、それはどんなご新規さんだろうかと首を傾げたが、穏やかに微笑んだウィリアムから、生きている限りは会わなくていいと言い含められ、こくりと頷いた。



「……………共鳴は、要らないかな」

「まぁ、ディノも苦手な方なのですか?」

「…………あまり得意ではないね」


ぽそりと呟いた魔物は、ネアの問いかけに頷き、魔物らしい酷薄な眼差しになる。

どうやらまた、見付け次第にとりあえず滅ぼしておいても構わない魔物がいるようだ。



「節操なしの色狂いだ。近付くなよ」

「…………以前の、よく分からず沢山の恋人さんを持っていた頃のノアと、どちらが厄介ですか?」

「……………おっと、意外に辛辣だな。………ノアベルトと違い、彼はそれを資質とする。赤羽の妖精に近い魔物だと思えばいい。音の系譜の者で、何かと揺らす事を生き甲斐にしていると言えば、少し伝わるか?」

「それは、………例えば頑強な国の守りであったり、深い絆で結ばれた家族だったりします?」

「まさにその通りだ。俺はよく、その証跡を踏む事になる。正直に言えば、……………煩わしい」



ネアは、これは剣でばりんとやってしまう時の微笑みだぞと震え上がり、そつなく話題を変えることにした。



異国の話ではなく、同じ国内にあるアルビクロムでの事なのだから、気にならないとは言わないが、興味本位の欲求で、その人物に魔術を紐付かせてしまう事故は避けたい。


とは言え、もし遭遇する事があるのなら、その時は容赦なくきりんボールを投げつければいいだろう。




はらはらと、雪が降る。

その清廉な白さに心を和ませ、灰色の空を見上げた。



(……………もう家族がいるから、どんな時だって寂しくはないわ)



ずっと昔。

誰もいない家で一人で蹲っていた人間は、こんなにも贅沢になって、ほくほくと美味しいチーズビスケットを齧るのだった。



















仕事が繁忙期に入ってしまい…、明日3/30の更新は、お休みになります。


TwitterでSSを上げさせていただきますので、もし宜しければご覧下さい。

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