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139. 薔薇の城で忘れます(本編)





ローゼンガルテンで薔薇のビーズを入手したネア達が向かったのは、シュプリを飲みながら花火を見る予定のザハだ。


真紅の絨毯の敷かれた入り口では、お仕着せの胸元に薔薇の花を飾ったホテルマン達が優雅なお辞儀をしてくれる。

恭しく扉を開けて貰い入り口を抜けると、そこには、本当は犠牲の魔物な給仕服のいつものおじさま給仕が立っていた。



「ようこそ、いらっしゃいました。街は如何でしたか?今年は厄介な竜がいたそうですので、お怪我などがなければ宜しいのですが」

「まぁ、既にこちらまでお話が届いているのですか?」

「ええ。常連のお客様の一人から、是非に引き取り先として立候補する予定だと伺いまして」

「おや、ではそちらの方向で話が進むのかもしれないね」

「ふむ。ちびころにされて、歯磨きをして貰ったり、悪い事をしたら物置に閉じ込められたり、子守唄で寝かしつけられてしまえば良いでしょう。困った竜さんに相応しい報いです」

「ご主人様…………」



物置に閉じ込められるお仕置きは少し怖かった魔物にへばりつかれながら、ネアは心の強さを試されつつも優雅な淑女の微笑みを保った。


伴侶を物置に閉じ込めて一人ぼっちにする習慣はないのだと宥めてやりつつ、ザハの二階にあるラウンジに案内される。


こちらを見て少し微笑みを深めたおじさま給仕は、ネア達のそんなやり取りも優しい目で見守ってくれているようだ。



「今年は、白薔薇のシュプリのご用意がございます。僅かに青みがかった薔薇でしたが、なかなかの出物かと。小さな薔薇ジャムのパイと、チーズカヌレがございますが如何いたしましょうか?」

「わ、わたしは、…………ぐぬぅ」

「ネア、どちらも貰うようにするかい?」

「し、しかしこれから楽しみにしていた、晩餐もありますから」

「では、それぞれを半分にしてお持ちしましょう。一口ずつになってしまいますが、お二人で分け合うのも宜しいかと」

「まぁ!………ディノ、半分こでもいいですか?」

「勿論だよ。そのようにして貰ってもいいかい?」



さすがのザハらしい心遣いで、シュプリと一緒に楽しむものも決まり、ネア達はいつもの席に通された。


引いて貰った椅子は少し重めのものなので、こうして座らせて貰う際に椅子の押し込み方が甘いと、後で後悔する羽目になる。


その点、このおじさま給仕の手による椅子の戻し方は、いつも完璧だった。


ふかふかとしたクッションの貼られた椅子に座り、ネアは背後の吹き抜けのホールを振り返る。


高い天井が開放感を与えてくれるが、そんな空間を艶やかに彩る中央の丸テーブルの上に置かれた花瓶の薔薇は、心が解けるような美しさであった。


今年の花瓶は、古い神殿の円柱を思わせるデザインの水色のもので、陶器に見えるがよく見ると結晶石で出来ているようだ。

ふんだんに生けられた薔薇は、淡いラベンダー色の上品な形の品種である。


こぼれるように垂れ下がる生け方が薔薇を瑞々しく引き立て、花瓶の中の花と言うよりは一つの風景のような力強さもあった。



会話を邪魔しない音楽は優雅で、けれどもそこに囁きのような客達の会話が重なる。

それは不思議と嫌なものではなく、心地よいカーテンのようにこの空間を覆っていた。




「ディノ、そろそろ花火ですね」

「……………ネア、…………手が」

「むむ、ついつい、ディノの手の上に手のひらを重ねてしまいました。重かったですか?」

「…………可愛い」

「ふむ。嫌がっていないようなので、良しとしましょう」

「凄く甘えてくる………」



テーブルの上には、一輪の薔薇が飾られていた。

それがリーエンベルクの薔薇だと気付けば、ネアは、その小さなメッセージにかけられた優しさを思い、いっそうに胸が温かくなるのだ。



「お待たせいたしました。そろそろ花火が始まるようですね。花火の間は少し明かりを落としますので、お席を立たれる際は私をお呼び下さい」

「はい。………ほわ、………今年のシュプリは、グラスの中に白い薔薇の花びらが舞い散るようです!」

「このシュプリは、白薔薇の夢を見ているのだそうですよ。ご覧通り、立ち昇る泡が薔薇の花弁のように見えるばかりですが、祝福結晶を入れておきますと、微かに薔薇の香りも楽しめるようになります」


微笑んだおじさま給仕が示したのは、グラスの中に入れられた祝福結晶だ。

丁寧にカットされたダイヤモンドのようなその結晶は食用に作られたもので、高価な菓子類にも時折入っている。

だが、ネアが一番好きなのは、この薔薇の祝祭のシュプリグラスの中に入れる目でも楽しめる味わい方だった。



ころんと、グラスの中でシュプリの泡に揺れるのは、宝石のような祝福結晶で。

グラスを持ち上げて眺めていると、しゅわりと溶けて泡になってゆくのだが、その様がまた美しい。



「……………綺麗ですね。しゅわしゅわと泡が弾けて、イブメリアの歌劇場の花びらの降るフィナーレを思い出してしまいます」

「愛情に纏わる祝福を取り込んで、丁寧に作られたもののようだね。難しい魔術をかけられたものではないけれど、このシュプリが持つ祝福はどれも質がいい」

「シュプリの魔物さんは、まだネビアさんに恋をしているのでしょうか?」

「そのようだよ。最近もアルテアが話していたからね」

「ふふ。では、白薔薇のような美しいものを夢見ているシュプリなのですから、質の良い祝福がたっぷりなのは当然なのかもしれませんね」



それは例え、恋が解けない間の短い時間だけなのだとしても。

誰かを思う心の弾むような楽しさを、このシュプリは宿し続けるのだろうか。


そんな事を考えながら華奢なグラスの中のシュプリを一口飲み、ネアはきりりと冷やされた美味しいお酒が、喉の奥に消える瞬間にふわりと立ち昇る薔薇の香りにうっとりとした。


白葡萄のような涼やかさのある香りなので、きっと食事と合わせても邪魔にならないのだろう。



「……………むぐ」


そしてここでまずはチーズカヌレなどをいただけば、ネアは、上品なチーズの風味とカヌレの食感の組み合わせの素晴らしさに、目を瞠ってしまった。


テーブルの下の爪先をぱたぱたさせてしまわねばならないくらい、シュプリとの相性も素晴らしい。



「なぜ、このカヌレの詰め合わせがお土産で売っていないのでしょう………」

「気に入ってしまったのなら、頼んでみるかい?」

「むぐぐ、…………きっと注文数を推測した上で数を用意している筈なので、帰りがけにお土産があれば買ったのにという感想を残して帰るくらいにしますね。…………は!」



そんな折にふっと視界を染めたのは、しゅわしゅわとした妖精の花火の煌めきだ。

いよいよ、薔薇の祝祭の花火の時間が始まったのである。



どぉんと打ち上げられる音は、ここ迄は届かなかった。



けれども、夜空に次々と打ち上げられる花火の光に、雪と薔薇のウィームの街並みがくっきりと浮かび上がる。


テーブルの上の一輪挿しに生けられたリーエンベルクの薔薇の花びらにも、そんな美しい花火の煌めきが光の色を載せていた。




「綺麗ですね…………」

「うん。………これからもずっと、君とこの花火を………見てゆこうかな」

「ふふ。どう締め括るかで、少し迷いましたね?」

「ご主人様……………」

「これからもずっと、一緒にこの花火を見ましょうね。けれどももし、薔薇の祝祭をのんびり楽しめないような年があったとしても、ディノとはずっと一緒にいようと思います」



ただ思いのままにずっとという言葉を選んでしまい、ネアは、巧妙に少しだけ保険になる文句を付け足した。


永続的な言葉の持つ曖昧さを知るしたたかな人間とは違い、ディノが、もし約束が果たされなかった場合にその事を悔やんでしまったらいけないと思ったのだ。



「………ずっと、」

「ええ。これでも、とても勇気を出して未来の事に触れてみたので、ディノがこの先も長く一緒に過ごす内に私に飽きたりしたら、怒り狂って暴れるのは間違いありません」

「どうして私が、君に飽きたりするのだろう。………ネア、これからもずっと側に居てくれるかい?」



それは多分、花火が次々と夜空に花開いて、お目当の薔薇のビーズを手に入れられた夜だからこそ、ディノが願えた事なのかもしれない。



(……………普段のディノであれば、そのような言葉を口に出すのは、今でも少し怖がるもの………)



そしてネアも、とても怖いのだ。

知らない道筋だから、どうやって歩いてゆき、どうやって繋げばいいのか、分からない事だらけである。



ローゼンガルテンで見た見慣れない冷ややかな美貌のディノは、ネアの知らない万象の魔物だ。

心を動かし沢山の大切なものに触れたディノが、あの頃のディノに戻る事はないと知っている一方で、その頃の何も選べず選ばなかったディノもまた、彼の一部には違いない。



どれだけ自分に近しい人でも思い通りになど出来ないのと同じように、どれだけネアに寄り添ってくれていても、ここにいるのが魔物である事はこれから先もずっと変わらないだろう。


だからこそ、自分の伴侶が魔物で良かったと考えるネアは、そんな種族の違いに伴う不安定さから目を逸らしてはいけなかった。



「ええ。勿論です。現実的な問題で少し離れてみたりする日もあるでしょうが、ずっと一緒に暮らしてゆきましょうね」

「…………離れる必要は、ないかな」

「なぬ。乙女には、明かすわけにはいかない、秘密のあれこれもあるのです。日常生活の中で必要とされる別離については、必要不可欠なものとして受け入れて下さいね」

「虐待………」

「解せぬ」



ネアは、倫理上別行動が許されて当然なものを許容して貰う代りに、魔物の爪先を踏んでやるという対価を支払ったところで、なぜこんな流れになったのだろうと呆然とした。



「可愛い………」

「なぜ、ご褒美を差し上げる流れになったのでしょう?ここは、私がディノに厳しく言い含めるだけで良かったのではありませんか?」

「おや、薔薇の祝祭なのに甘えてくれないのかい?」

「ぐ、ぐぬぅ!」



窓の向こうでは、大きな大輪の花火が夜空に開き、しゃらりとした細やかな金色の光の粒を降らせていた。

魔術の光のように空を流れる光に、ネアは目を輝かせて祝祭の夜を見つめる。



美しい夜だ。


どんな事があっても、どのような日々の間であっても、やはりこの世界の祝祭は例えようもなく美しい。


花びらの敷き詰められた外の通りには妖精の恋人達がいて、花火の光に照らされた屋根の上には、お座りして空を見上げている竜のシルエットが見えた。


いつの間にか、お皿の上のカヌレもパイもなくなってしまっており、ネアの膝の上には薔薇色がかったリボンの結ばれた三つ編みが載せられている。



気付けば花火は終わっていて、ザハのラウンジの中には、少しだけ切ない、胸の奥の柔らかな部分に触れるようなピアノの旋律が流れていた。




「さて、そろそろ出ようか」

「………はい。夢中で花火を見ていたら、あっという間に終わってしまいました。今年も、ザハでシュプリを飲めてとても嬉しかったです。ディノ、連れてきてくれて有難うございました」



ネアが微笑んでお礼を言えば、こちらを見て微笑みを深めたディノは、はっとする程に男性らしかった。


ぞくりとするような美しさは磨き抜かれた宝石のナイフのような鋭さで、人間より遥かに長きを生きる者の老獪さと仄暗さが美貌をいっそうに艶やかにする。



(だから、時にはこんな風に…………)



男性らしい充足感を浮かべた眼差しにその魔物らしさが宿るのであれば、時にはこうして、魔物としての伴侶の側面を分け与えて欲しい。


贅沢にもそんな望みと満足を覚えつつ、ネアは犠牲の魔物な給仕に椅子を引いて貰って立ち上がると、ディノの手を取った。



ザハを出てから暫く街を歩き、ネアは今年の薔薇の祝祭のポストカードを買った。


綺麗で絵のように飾れそうなくらいであるので、トトラにも送ってあげようと思いつつ、既に小規模なポストカード美術館を開けそうな程の所有数は考えないようにする。


こちらの世界には写真がないので、こうして揃えたポストカードをアルバムに入れておき、時折思い出を辿るのが楽しいのだ。


なお、写真がないのにアルバムが普及しているのは、ポストカードも含めた絵のカードや、術符を収集する趣味が広く好まれているからだろう。




祝祭で賑わう街を歩いた後は、いよいよディノのお城での晩餐の時間だ。

淡い薄闇を踏んで連れてきて貰った伴侶のお城には、ネアが目を瞠るような光景が広がっていた。




「ほわ………」




白を貴色とするこの世界において、万象の城の白は、他の魔物たちのそれに及ばぬものだろう。

だが、ここに来ると、白というものには思っていた以上の色味があるのだと思い知らされる。



その影に宿る色彩は、氷河の断面のような氷色の青、白灰色の影に落ちる青灰色に、淡い菫色や水色など。


けれどもそれらを内包しても尚、やはりこの城はどこまでも白いのだった。



「……………ディノのお城の中にも、薔薇の花びらが敷き詰められています!」

「うん。君は、花びらを踏み育てる魔術が好きなのだろう?」

「………ふぁい。なんて素敵なのでしょう。若干、花びらを踏みつける悪い奴だという感じもしますが、こんなに素敵なのですから満喫してしまうよりありません!」



床一面に、美しい真珠色の花びらが敷き詰められている。


更には、城内のそこかしこに、薔薇が飾られていた。

白磁の花瓶や湖水水晶の花瓶に生けられているその薔薇は、全てがディノがくれる真珠色の薔薇だ。


くるりと周囲を見まわせば、開かれた窓から吹き込んでくる夜風にもその薔薇の花びらが舞い散っている。

窓の向こうは、晴れた夜空で庭園の薔薇の花明りでぼうっと明るくなり、けれどもそんな夜の色もまた、この城の窓辺に水彩画のように滲んでいる。



「ディノが昨年の薔薇の祝祭でくれたお庭も、ここに繋げてくれたのですね?」

「うん。君はあの庭を気に入ってくれているからね。ネア、今年の薔薇を受け取ってくれるかい?」



淡く微笑んでそう問いかけられ、ネアはこくりと頷いた。


今年の薔薇はどのようなものなのだろうかと胸がどきどきし、光を孕むようなディノの水紺色の瞳を見上げて背筋を伸ばす。



ふわりと揺れたのは、周囲に咲き乱れ、飾られ、敷き詰められた薔薇の花だろうか。

そう考えて目を瞬いたネアは、ディノの手に、息を飲んでしまいそうな程に美しい、白いヴェールがかけられている事に気が付いた。




「…………もしかして、その素敵なヴェールをくれるのですか?」



もしやと思い、けれども期待のあまりに少しだけぜいぜいしてしまい、ネアは胸の中の荒ぶる感情を逃すために小さく弾む。


感嘆するよりも僅かな恐れすら抱いてしまいそうな程の素晴らしいレースのヴェールは、たっぷりとした長さがあって、僅かに動かしただけでふわりと風を孕む程に薄い。


宝石から紡がれた糸を使ったかのように、しっとりとした質感ながら糸そのものが城内に落ちる白薔薇の花明りを孕み、けれども微かな程に淡く淡く光る。



例えばそれは、艶々とした硬質な煌めきではないのだ。


艶消しの宝石のように、さらりとした手触りの中に光を閉じ込め、内側から柔らかく光るよう。

そしてそんな美しさに、ネアはまた胸が苦しくなった。



「このようなものは、薔薇の祝祭にこそ贈るものなのだそうだ。君とリノアールに出かけた時に、幾つかの専門店がヴェールを売り出していたから、エーダリアに教えて貰ったんだ。ウィームでは、薔薇の祝祭に花嫁のヴェールを贈るようだよ。君はまだ、儀式としてのものを執り行えるだけの魔術の蓄えがなくて出来ていないけれど、…………人間は、伴侶を得られたらすぐに執り行うべきものなのだろう?」

「…………ふぎゅ。………む、胸が満腹………胸が、いっぱいです!結婚式は、これからいつでも出来るのでと気長に楽しみにしているのですが、…………そのヴェールがあまりにも綺麗で………そんな素敵なものを貰える事に胸がいっぱいになりました」




ネアは、堪らずに言葉を詰まらせながら、贈り物のヴェールを受け取り、手の中にふわりと預けられたものの美しさに驚嘆した。


これはもう、伝説の秘宝とかでもいいのではという美しさは、編み上げられたレースの精緻な模様取りの巧みさにまで及ぶ。


どうやらこのヴェールには、遠目で見れば綺麗なレースだが、よく見ると模様はあんまりという問題はそもそもあり得ないらしい。




(花嫁のヴェールは、幸せな人達だけのものだった…………)




どんなに綺麗でもネアには持てなかったものが、今は、考えうる限り最高のヴェールになって、この手の中にある。



自分は手にする事が出来ないと思っていた、幸せな人にだけ与えられたご褒美を貰えたような喜びは、どんなに頑張ってもその扉を開けずに諦めてしまったネアの心をくしゃくしゃにした。



「頭にかけてあげようか。花嫁は、そうするものなのだろう?」

「…………かけて貰ってもいいですか?」

「うん」



ネアがあまりにも喜んでいるからか、ディノも嬉しそうに目元を染めて微笑んでいる。

けれどもその眼差しにもまだ、満腹になったけだもののような魔物らしい充足感が滲み、それがまた美しかった。



(あ、……………)



柔らかなものが頭にかけられ、ネアは耳元に触れるその感触と、僅かに陰った視界に初めての世界を見た。


花嫁のヴェールの中から見る伴侶は、初めてだ。

繊細なレースに縁取られて微笑んでこちらを見ているディノに手を伸ばし、そっと抱き締められる。



「…………このようなもので良かったかい?いつもの薔薇の花束も用意してあるけれど、………君が欲しいものがあれば、他にも用意するよ」

「ふぁぐ。…………このヴェールだけでもう心がはち切れそうなのに、花束もいただけるのですか?それ以上となると、私が幸せで爆発してしまうので花束までで充分なのです」

「爆発…………」

「…………大事にしますね。………とても大事にします。………こんなに素敵なヴェールも、こんなに美しくて優しいものをくれた伴侶も、一生大事にします………」

「ネア…………」



頭にかけただけのヴェールは、どれだけ軽くても随分な長さがあるので、動くとずり下がってしまう。

けれども、そんなヴェールをかけて大事な魔物の腕の中にいる幸せを噛み締めていたネアは、嬉しくて堪らなかった。



(このヴェールは、ディノのくれた指輪と同じようなもの)



手に入れられた幸運の証であり、幸せになれたのだという印でもある。

だからこそ他のどんな品物とも違い、胸がぎゅっと締め付けられたようになるのだろう。



見上げたネアに微笑みを深め、あえかな口付けが落とされる。


甘く柔らかな温度に目を閉じ、ネアは、何よりもの贈り物であった伴侶にぎゅっとしがみついた。



「私からの薔薇も、渡していいですか?」

「うん。今年も花束かな………」

「ふふ、ちょっと不安そうにしなくても、ディノには必ず花束ですからね。そして今年は、素敵な品物を見付けてしまったのでおまけもあるのです!」

「このリボンの事かい?」

「ふふ。それだけではないのですよ?」



ネアが用意した花束は、ローズピンクがかったラベンダー色の薔薇をたっぷり集め、そこに水色がかった白い薔薇と、淡い白灰色の上品な薔薇を合わせたものだ。


小粋な雰囲気もある薔薇を主役にしたので、たっぷりとした花束にして、甘やかな雰囲気もしっかりと出るように工夫している。



花束を渡されたディノは、魔物らしい気配を辛うじて維持してはいたものの、じわっと涙目になってしまいながら大事そうに花束を抱えていて、ネアは、そんな光景にまた胸がいっぱいになってしまった。



「そしてこれが、おまけの贈り物なのです」

「……………枕かい?」



続けてネアが金庫の中から引っ張り出したのは、贈り物用の少しぺらりとしたリボンをかけられたふかふかの枕だ。


不思議そうに目を瞠った魔物に、薔薇の祝祭限定の愛情の祝福がかけられた安眠枕があったのだと説明する。



「この枕で眠ると、とても大事にされているような幸福感を得られるのだそうです」

「…………ずるい」



花束に加えて枕までを贈られてしまい、魔物は少しだけ傾いてしまったようだ。

贈り物を手に固まってしまっているが、床に敷き詰められた花びらの間から鉱石の花がきらきらと咲いているので、とても喜んでくれているのは間違いないと、ネアは厳かに頷いた。



(…………綺麗)



ディノが贈り物を受け止めている間に、ネアは、ヴェールの端を見付けて指でそっとつまみ、その美しさにまたふにゃりと心を蕩けさせる。


このヴェールの糸は、ネアが貰った薔薇の庭に咲く、ディノの色を宿した白薔薇から紡いだものなのだそうだ。


城内に敷き詰められた花びらと同じものをシシィに預け、糸からの製作を任せたのがこのヴェールである。



(その依頼もあったからこそ、シシィさんは今日の為のドレスも作ってくれていたのだわ………)



やがてお向かいでは、ディノがやっと真っ直ぐ立てるようになったらしい。

贈り物の薔薇と枕は、どこかに仕舞わずに見えるように飾るようだが、若干祭壇めいていたので、ネアは密かにやめ給えと思ってしまった。



(でも、私も今夜は、このヴェールを金庫には仕舞えないのだろう………)



飾っておいて、ずっと見ていたい。

それが、とっておきの贈り物の危険な魅力である。

そして、そのようなものを手に出来た者の、喜びの形なのだろう。




「少し踊ろうか。それとも、先に食事にするかい?」

「踊りたいです。この贈り物を貰った後の心のままに踊ったら、また一つ大切な思い出が増えてしまいますね」




二人が立っているのは、万象の城の王座の間のようなところなのだろうか。


吹き抜けの天井は見上げてもというくらいに高く、そこから吊るされたシャンデリアは、雪明りかダイヤモンドダストの煌めきに似ているが、そのどちらをも知るネアの目には、更に美しいものにも思えた。


真珠色の花びらの敷き詰められた床石は、上品な白灰色がかった祝福石で、これもまた万象の影から作り出されたものであるらしい。



ネアは、大事なヴェールが踊っている間に落ちてしまわないように、ここは頭にかぶるのではなくショールのように肩にかけて貰い、伸ばされたディノの手を取る。



音楽はどうするのかなと眉を寄せれば、ふっと微笑みを深くした魔物が用意してあるよと教えてくれた。

一拍置いてどこからか流れてきたのは、ネアのお気に入りのワルツの一曲だ。



二人は、微笑みを交わして踊り始めた。



「今夜は、その首飾りをかけてくれたのだね」

「ええ。素敵な祝祭の夜にディノと過ごすのは、特別な日にあたりますから。………そんな日につけられる真珠の首飾りも、ディノから貰った宝物です」

「…………私の宝物は、…………リボンかな」

「まぁ、指輪はいいのですか?」

「指輪は、………もう少し………」

「もう少し?」

「私の体に近しいものだからね。宝物というのは、取り外したりするものの事なのだろう?」

「むむ。また難しい線引きが現れました…………」



誰もいない二人きりの城で、ネア達は、心ゆくまでたっぷりと踊った。


くたくたになるまで踊り、夜の庭園を歩きながらお喋りをし、ちょっとにゃむむという空気になったところで、ネアはとても大切なものを忘れていた事に気付き飛び上がる。


ちょうど伴侶を持ち上げようとしていたディノは、驚いたように目を瞬いた。



「ば、晩餐をいただいていません!!!」

「ご主人様…………」

「さてはすっかり忘れていましたね?!わ、私も、ディノとのダンスやお散歩が楽し過ぎて、すっかり失念していたのです。今、お腹がぐーっとなったところで初めて、晩餐を忘れている事に気付きました!」



大慌てで伴侶の手をぐいぐい引っ張り、ネアは、晩餐の準備をして貰った。


お料理などは魔術の叡智のあれこれで準備済みなので、テーブルを用意してから簡単に始められるものなのだが、現れた前菜の素晴らしさを知ってしまったネアは、この尊い晩餐を取り零すかもしれなかったのだとすっかり慄いてしまう。



「ディノのくれたこのヴェールは、あまりにも素敵で夢中になってしまい、うっかり晩餐すら忘れてしまうという恐ろしい贈り物でした。………むぐ。………これからは、このヴェールに触れるのは、食事を終えてからにしなければなりません」

「金庫の中にしまわなくていいのかい?」

「まだずっと見ていたいので、こうして保護魔術をかけて貰って飾っておきますね。見て下さい!ヴェールを透かして見える薔薇の庭園が、なんて綺麗なのでしょう。この組み合わせはずっと見ていられますね。…………は!今度は、ローストビーフ様を食べていた途中なのをうっかり忘れるところでした…………」

「可愛い………」



その後もネアは、ショール専用のラックをわざわざリーエンベルクの衣装部屋から取り寄せて貰い飾ったヴェールを、ちらちらと鑑賞してはほうっと満足の溜め息を吐いてしまい、いつもよりも食事を終えるのに時間がかかってしまった。



その夜はあまりにも美しくて名残惜しく、二人はその後ももう一度ダンスを踊り、ネアは、お城にある王様の寝室からも薔薇の庭園が見えるようにして貰う。



しかし、美しい情景と素敵な贈り物で心をいっぱいにしてすやすや眠ろうとしたところ妨害が入ったので、ネアはほんの少しだけ暴れてしまった。


そちらのお作法も含めたものは、伴侶なのだし吝かではない事なのだが、今後は、ご主人様がいい塩梅に眠りの国の入り口に立つ前に申告して貰うようにしなければならないようだ。


人間は、愛情すら脅かす眠気という偉大なものの前には、とても無力なのである。



















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