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136. 薔薇の灯りに癒されます(本編)




王都での義務を果たしたエーダリア達が、よれよれながら会食堂に戻って来た。

ウィームでの短い儀式への参加を済ませ、王都へも、薔薇の祝祭の挨拶に出かけていたのだ。



どのような履歴であれ、エーダリアもヒルドも伴侶を持たない美麗な男性である。

すっかりもみちくちゃにされ、その瞳はどこか険しい。


擬態していたお陰で難を逃れたが、かつて、別れの際に刺してこようとした精霊を見かけてしまったノアも、震えながら帰って来たようだ。


そんな戦場戻りの戦士達が集う会食堂に伴侶を残し、ネアは、ウィリアムと一緒に一つの影絵を訪れていた。




ざざんと風が吹き渡る。



緩やかな草原には色とりどりの花が咲き乱れ、雲の影が落ちていた。


穏やかで美しいのにどこか寂寥を滲ませるその景色に、ネアは、ランシーンで感じたひたむきさのようなものを思う。


転移でここに連れて来てくれた終焉の魔物のケープの内側から顔を出し、そっと眼差しを伺えば、どこか郷愁にも似た痛みのようなものが過らなかっただろうか。


けれども、ネアの視線に気付くとこちらを見たウィリアムはもう穏やかに微笑んでいて、少しも悲しくはなさそうだった。



「ここは、どのような影絵なのですか?」

「ずっと昔に、ここは双子の魔術師が管理していた訪れの薬園だったんだ」

「訪れの薬園……………」

「ああ。稀少な薬などを求めるものが迷い込むことのある、資格を有する者だけが道を得るあわいのようなものだな。……………だが、策謀で道を開かれ、その魔術師達は大国に召し上げられた。この地を離れることは出来ないと訴えたようだが、それを聞き入れる者はいなかった」

「その魔術師さん達は、ウィリアムさんのお知り合いだったのですか?」

「俺が戦場で拾って、この土地に逃がした子供だ。最初は兄がいたんだが、病気で死んでしまったな。……………双子を召し上げた王も、俺の友人……………いや、知り合いだった」



ではそこで、どんな悲劇が起きたのだろう。



それはきっと、この優しい終焉の魔物の心に傷跡を残すようなものではなかったのだろうか。

悲しくなったネアは、むんずとウィリアムの手を掴んだばかりか、更にぎゅっと握ってしまい、終焉の魔物は白金色の瞳を揺らしてこちらを見る。



空に近い場所なのか、風にケープをはためかせる影が、くっきりと落ちていた。




「……………もう、遠い昔の話だ。すまないな。薔薇の祝祭なのに、ネアにそんな顔をさせてしまった」

「私はとても強欲な人間ですので、そんなお話も聞けて良かったです。でなければ、ここでえいっとウィリアムさんの手を握れませんでした。ウィリアムさんは、……………ここが美しいから私を連れて来てくれたのでしょう?」



そう問いかけると、ウィリアムは少しだけ苦笑したようだ。


苦くひび割れた微笑みにはわぁっと声を上げたいような寄る辺なさがあって、ネアは、どうしていいのか分からずに瞳を揺らしているディノの姿を重ねてしまう。


何て不器用で、何て無防備なのだろう。

この魔物達には、不得手なことがどれだけあるというのだろうか。



(そしてそのせいで、どれだけ悲しく寂しい思いをしたのだろう…………)



「……………ああ。だが、俺が美しさを知っている場所は、必然的に俺が深く関わった場所であることが多い。そうなると、このような履歴が残っている事も多いんだろう。………… すまない、もう少し一般的な場所にすれば良かったな」

「まぁ、私はここが良かったと、強欲に宣言したら、ウィリアムさんを困らせてしまいますか?」

「ネア…………」

「何て綺麗な場所なんでしょう!咲いているのが、野の花という感じで、その可憐さにうっとりしてしまいますね」



どこか困惑したように名前を呼んだ魔物に、ネアは、そう微笑んでみせた。


ウィリアムのどこか途方に暮れたような微笑みが深くなり、やがて、柔らかく穏やかなネアの見慣れたものに変わってゆく。



「……………ネアに、この景色を見せたかった。気を遣わせてしまったな。だが、陽が落ちて虹がかかるといっそうに美しくなるから、期待していてくれ」

「まぁ、陽が落ちると虹がかかるのですか?」

「蝕のように思えるだろうが、そうではないから、安心していいということも先に伝えないとだな。この山には夜の魔物の一人が住んでいて、春のある時期は夜の訪れが早いんだ。その魔物が目を覚ますと、昼が翳り落ち、あっという間に夜になる。……………ああ、始まったぞ」

「ほわ……………」



それは確かに一瞬の変化であった。


しゃっとカーテンを引くようにして、するすると昼が翳ってゆく。

麗らかな春の午後といった様子だった草原は、あっという間に美しい紫紺色の夜に包まれてしまった。



(ここは、山の上なのだろうか……………)




草原に見えるので標高が高いとは思っていなかったが、言われて見ると確かに雲の影が近い。

先程迄は陽光が落としていたその影は、今は満月にくっきりと浮かび上がる。

大きな満月には淡い雲の影がかかり、そんな陰影の美しさに、ネアはほふうと溜め息を吐いた。



「……………あ、」




そして、虹が描かれ始めた。



そんな表現をするしかない、不思議な現象が起こったのだ。


満月と雲の影に魔術陣が浮かび上がるように、大きな円形の虹が月の暈のように現れる。

一重、二重と描かれた虹の外周に、ネアは目を輝かせて空を見上げた。



「ネア、足元も見てみるといい。夜の虹の祝福で、花々が光を宿すんだ」

「……………まぁ!」



そっと耳元にそう囁いてくれたウィリアムに、ネアは視線を慌てて足元に落とした。


するとどうだろう。

今度は、草原の中に咲いていた花々が、夜空の虹を見上げるようにしてきらきらと祝福の光のようなものを宿すではないか。


花蜜の燃える炎や、花そのものが光を孕むという輝きではなく、星屑のようなしゅわしゅわとした煌めきを花の中心に持っているような光景に、ネアはその場で小さく足踏みしてしまう。


あまりの美しさに心が言葉を組み立てられなくなってしまい、ただ、ウィリアムの手をぎゅっと握ったままそんな夜を見つめていた。



「……………さて、条件は整ったな。ネア、今年の薔薇を受け取ってくれるか?」

「ふぁ、ふぁい!もう、ここに連れてきて貰った事だけで胸がいっぱいですが、まだ貰えてしまうのです?」

「はは、喜んでくれて嬉しいが、こちらが本命なんだ。もう少しだけ頑張ってくれ」

「こんなに素敵な気持ちで心がいっぱいになってしまうのですから、薔薇の祝祭はやはり素晴らしい日に違いありません!」



そう宣言したネアに、ウィリアムが微笑みを深くする。



このような場所に白い軍服姿の魔物がいる光景はどこか凄艶でもあったが、なぜだか、ぴったりと収まるような不思議な相性の良さもあった。


周囲に建物などは見当たらないが、かつては人が住んでいたのなら、家などがあったのだろうか。



「今年は、……………少し思い入れのある薔薇の輪郭を貰ったものなんだ。形を整えるのに苦労して、花びらの端が歪んでしまったが、そこは見逃してくれ」

「……………こ、これは……………」



差し出されたものに、ネアは目を瞠った。



ウィリアムが手にしているのは、一本の薔薇で、けれども灯りなのだ。

鉱石とすべすべした木が合わさったような質感のもので、色合いは白灰色に近い。


一輪の薔薇の様にも見えるのだが、ウィリアムの手のひらの上にふわりと浮かんでいて、この平原に咲く花々のようにきらきらしゅわりとした光を宿している。



「薔薇のランプだ。この草原の花々は、結晶化してランプにすることも出来たのを思い出して、今年は薔薇の形で作ってみた。……………この薔薇は、以前に俺の魔術から祝福だけのものを作れるだろうかと考え、育てた薔薇の形になる。結局望むようなものは作れなかったが、こうしてランプの模りに使わせて貰った」

「……………薔薇の、ランプ」



ネアは、あまりにも繊細で美しいランプにそろりと手を伸ばし、ウィリアムに、手のひらの上に移して貰った。



怖々と受け取れば、手のひらの上で、薔薇のランプはぷかりと浮かんだ。



ネアの肘下くらいの長さの茎から伸びた葉先までに宿った淡い光と、薔薇の花の中に煌めく星屑のような光の組み合わせに、その輝きが虹の光を帯びた夜に揺れる。


ランプと言うにはあまりにも不思議な美しさをじっくりと眺めてから、ネアは慌てて深く息を吸った。



「気に入ってくれたみたいだな」

「……………あまりにも綺麗で、じっと見てしまいます。そして、この薔薇のランプを見ていると、何だか心がほわりと緩むような、優しい気持ちになるのです」

「緩む、……………か」



ネアの言葉をそう反芻し、ウィリアムが唇の端を持ち上げている。

こちらに向けた優しい微笑みとはまた別に、どこか魔物らしい満足気な気配を纏う姿に、ネアは手のひらのランプを翳してみた。



「むぅ。ランプなのですが、ランプというよりは宝物の薔薇と言う感じがしてしまいますね」

「俺の魔術や祝福に触れて、安らかな反応を得たという言葉を貰ったのは初めてだ。……………ネアがシルハーンの伴侶でいてくれたお陰で、この薔薇を贈ることが出来たのは、俺の幸運だな」

「最初に、育てた方の薔薇はもうなくなってしまったのですか?この形の薔薇を拝見するのは初めてなのですが、花の形がすらりとしているので、普通に咲いていても素晴らしく綺麗な薔薇だったに違いありません」

「いつか咲いている薔薇の方も見せられたらいいんだが、残念ながら、終焉の予兆そのものを宿す薔薇になってしまったことで、残っている場所からは移せないんだ。あの庭園には、王という肩書のある者しか入れなからな」



そう言われたネアは、狩りの女王では駄目なのだろうかと考えてしょんぼりしたが、恐らくそのような薔薇がある土地なのだから、厳密な魔術的制約があるのだろう。



でもその代わりに、手のひらの上には素晴らしい薔薇のランプがぷかりと浮かんでいる。



(薔薇を貰える薔薇の祝祭と、贈り物を貰えるイブメリアが同時に来たみたい…………!)



そんな事を考えて嬉しくなってしまい、むふんと微笑みを深めた。



「ウィリアムさん、この素敵なランプの設置の仕方を教えて貰ってもいいですか?」

「ああ。手のひらの上に乗せると浮かぶんだ。移動させる時には茎を持って構わない。置いた場所で夜にだけ光り、朝陽が差し込むと光が消えて蕾になる筈だ。夜に触れさせずにおくと光らなくなるが、また夜に戻せば光るようになるからな」

「まぁ。こんなにきらきらなのに、夜だけを材料に光ってくれるのですね……………」



特別な手入れもいらないと知り、ネアは小さく弾んでしまう。


この影絵に移植しておいた薔薇を、この薔薇の輪郭に書き換えたのだそうだが、影絵の中で薔薇が育つまでの期間をかけてくれた贈り物だと知り、ネアはランプを浮かべた手をふるふるさせてしまった。

 


「そんなウィリアムさんに、私からの薔薇も贈らせて下さい!…………むむ、この薔薇はとても大切なので、一度しまいますね」

「今年も用意してくれたんだな」

「ふふ、勿論です!今年の薔薇は、皆さんにぴたりと嵌る組み合わせが見付けられなかったので、それぞれに品種の組み合わせが違うのですよ」



ウィリアムに用意したのは、アルテアと同じ主薔薇と、こちらはウィリアムにだけの、上品なローズピンクの薔薇だ。

組み合わせ的には、一番甘やかな色彩となる。



そんな薔薇を受け取り、ウィリアムはほろりと微笑んでくれた。



「有難う、ネア。毎年思うんだが、今年もこれ以上ない薔薇の祝祭になった」

「ウィリアムさんへの薔薇は、敢えて甘めの色の組み合わせにしたのです。お仕事を終えた後で、まるで違う雰囲気のものが目を休ませてくれますようにと、こっそり願いをかけているのですよ」

「それなら、間違いなくそうなるだろう。この薔薇を見れば、戦場でのことは忘れてしまうだろうな」

「ふふ、そうなれば大成功です!」




いんいんと、けれども音もなき夜の光が落ちる。

満月には虹の光輪が二重にかかり、夜空は、まるで聖書の挿絵のような美しさであった。



「少し歩こうか」

「はい!先程から、水晶の小道のようなものがあるのが、ずっと気になっていたのです」

「これは、水と月光の道なんだ。……………月明かりの下だけで結晶化して、こうして道になるらしい。どちらかの系譜の者が作ったんだろうな」

「……………むむ!」



ウィリアムと手を繋ぎ、踏んだ歩道はちりんと控えめにベルを鳴らしたような音を立てた。


ぎくりとしたネアが、戦闘靴がまずかったのだろうかと振り返ると、ウィリアムから、こうして歩くと音のする歩道なのだと教えてくれる。


歩き方によっては音が聞こえない程微かな時もあるが、鳴らしてしまって問題がないものだと知れば、ちりんちりんと音を立てて歩くのも、何だか楽しくなってしまう。


はたはたと夜風にたなびく終焉の魔物の白いケープは、そこだけが切り取られたように鮮やかだ。

視界の端で揺れるケープの中で、ネアは、草原と夜の虹の中で夜の光に指先まで染まってしまいそうな気がした。



深呼吸をすると、芳しい夜の香りが胸を満たしてくれる。


影絵の中だけに残る場所だとしたら、こうして残されたのも納得の美しさであった。




「ウィリアムさん、私をここに連れてきてくれて、有難うございました。素敵な薔薇のランプも大事にしますね」

「そろそろ、星雲が下りてくるぞ?触ってみるか?」

「せ、せいうん!!」



ウィリアムが立ち止まったのでそろそろ帰るのかなとお礼を言えば、悪戯っぽく微笑んだ終焉の魔物は、まだ見るべきものが残っているのだと教えてくれる。


見あげれば確かに、きらきらと輝く星雲めいたものが、小さな雲のように風に流されて下りてくるではないか。


慌ててぴょんと弾んだネアは、ウィリアムにひょいと持ち上げて貰って夜空に手を伸ばした。



(あ、…………!)




星雲に触れた指先が、まずは、ぱちぱちとした感覚を伝えてきた。




「…………初めて星雲に触りました!!」



ウィリアムに持ち上げて貰ったことで触れられた星雲は、しゅわしゅわぱちんとした炭酸水のような肌触りで、ネアはひんやりとした星の手触りに、指先でそっと小さな星を掻き混ぜた。

指を動かすと星雲の光り方が変わり、ちかりと強く光る星もある。


やがて風に流されて星雲はいなくなってしまったが、ネアは、星の手触りの残る指先を見つめ、もう一度むふんと頬を緩めた。


ウィリアムと顔を見合わせ、また微笑みを深める。



「まだ少しだけ、指先が銀色に染まっているな」

「ふふ。私が星雲に触れたという証なのです。これは、すぐに消えてしまうのですか?」

「ああ。ここを出る頃にはもう残っていないだろう」



ネアが、大事な星色の指先を見てむぐぐっと眉を寄せていると、小さく笑ったウィリアムから、頬に柔らかな口付けが落とされた。


その穏やかな眼差しに胸を温め、ネアは、昨年の薔薇の祝祭でこの魔物をちびころにしてしまおうという野望を抱いたことを思い出し、にんまりとほくそ笑む。


結果はたいへいん素晴らしいものであったので、またいつかちびころな魔物を見るのも乙なものではないか。



ちりんちりんと、水と月の歩道が音を立てる。

不思議な不思議な夜の虹の下を歩き、二人は花咲く草原の中を抜けて降り立った場所に戻った。



最後にもう一度だけ夜空の虹の輪を見上げてから、ネアはリーエンベルクに連れ帰って貰う。



ふわりと魔術の風の中を踏み込み戻ってきたのは、窓からは清廉な雪の白い光が満ちる、午後のリーエンベルクだ。


お天気としては薄曇りであるが、先程よりは雲が少なくなり、外は少し明るくなっただろうか。

とは言え夜空の色が深い方が花火が綺麗に見えるので、もう少し晴れてくれるといいなと贅沢な人間は考えてしまうのだった。




「ディノ、見て下さい。ウィリアムさんからは、薔薇のランプを貰ってしまいました」

「おや、ウィリアムからのものも今年は品物なのだね」

「元々はお花の薔薇だったものを、加工したものなのです。そして、夜空に虹のかかる、素敵な草原に連れて行って貰い、初めて星雲に触りました!」

「初めて…………」

「そんな初めての喜びを共有するべく、ディノを椅子にしてこのランプの説明をしますね」

「…………ずるい」



初めての体験を一つ増やしてきたご主人様に、ディノは、荒ぶりかけたところをさっと椅子にされてしまった。


魔物が少し傾いてしまった事を確かめ、残忍な伴侶はにやりと笑うと、いそいそと薔薇のランプを金庫の中から取り出す。


金庫から取り出した瞬間は先程と変わらない光を宿していたランプは、光を瞬かせると、夜ではなくなったようだぞと暗くなる。



「夜にしか光らないものなので、昼間はこうして灯りを消しておいてくれるのですね。一瞬ですが、光っているところを見せられて良かったです」

「昼間は消えているものなのだね」

「……………おい。その夜花灯をどこから入手してきた?!職人はもう残っていない筈だぞ………」

「よるかとう………?むぅ、なぜか使い魔さんがぐいぐい来ますが、この素敵なランプであれば、ウィリアムさんの手作りなのですよ?」

「………は?」



そんなネアの返答に、アルテアはゆっくりとウィリアムの方を見たようだ。


おやっと眉を持ち上げた終焉の魔物は、手作りですよとさらりと認めてみせ、選択の魔物を絶句させている。



そんな言葉に反応したのは、少しばかりくたくた感を出しつつ、こちらを見ていた塩の魔物だ。



「ありゃ、…………え、手作り?それって、限られた職人にしか作れなかったやつだよね?」

「夜花灯………。もしや、月影と薬湯の魔術書に記載のある、夜になると星の光を宿す、鉱石の花の道具のことだろうか………」

「これは懐かしいものを見ました。私の古い友人の家族も、海の向こうから来た妖精に贈られた物だという、そのランプを持っておりました。希少なものだと聞いていましたので、こうして再び目にする事が出来るとは思っておりませんでした」



ちょうど会食堂では、エーダリア達が昼食を終えたところであった。


興味津々なエーダリアに、ヒルドは少しだけ懐かしそうな目をしている。

ネアはそれぞれの反応を見回し、ふむふむと頷きつつも、ディノの手のひらの上にもランプをぷかりと浮かべてやった。




「薔薇の夜花灯は存在しなかった筈だ。薬師の庭に咲く花でしか、作れない道具だったからな…………」

「ええ。薬師の庭で育てた薔薇で作ったんですが、………随分と食いつきますね」

「………という事は、影絵だな」

「言っておきますが、その影絵は、俺の個人的な持ち物です。個人的に花を育てるくらいなら構いませんが、商用で使うつもりなら断らせて貰いますよ」

「……………お前の言い値で支払ってやる」

「うーん、あくまでも、個人的に楽しむ範疇であれば、例の花園で触れた土地を荒らす行為を、百年程控えることと引き換えでいいかな………」



穏やかな声でそう提案したウィリアムに、アルテアは、どこか鋭さを感じさせる魔物らしい暗い目になった。

瞳は欠片も微笑んでいないのに、口元には艶やかな微笑みを浮かべている。



「ほお、大きく出たな。………せいぜい、七十年だな」

「譲れるとしても、九十年迄ですね。アルテア、約定の抜け道を探されても厄介なので、ここは無理をせずやめておきましょうか」

「…………お前の交渉事は、契約そのものを破算にするやり口だったな。九十年だ。その間は、あの土地の地下に埋まった遺跡を掘り出すのは待ってやる」

「おっと、あれ目当てでしたか。思いがけず、いいカードを引いたな…………」



(……………今回は、ウィリアムさんの勝ちかしら)



そんな事を考えながら成り行きを見守っていたネアは、何となく、ウィリアムがカードバトルで林檎ばかりを持っていた事を思い出してしまう。


もしかすると、そんな因果のどこかにも、終焉というものの在り方が現れるのかもしれない。




「ご主人様…………」

「まぁ。手の上のランプを、どうしたら良いのか分からなくなりましたね?」



ここでネアは、ご主人様が目を離している隙に、手のひらの上のランプをどうしたらいいのか分からずおろおろしていた魔物を慌てて救出した。



この薔薇のランプは、部屋の中でどこに飾るかを考えてみるつもりだ。

窓辺などの、薔薇の煌めきがよく映えそうなところでもいいが、薔薇の部屋に、リノアールで売っている夜の額縁を買ってきてその中に飾ってもいい。



ネアとしては、アルテアから貰った教会の中に飾ったら素敵だなと思うのだが、そんな事をしたら祭壇としての役割を持つ教会という舞台で、何かとんでもないものが生まれてしまいそうな気がする。


終焉の魔物の作った薔薇のランプと、選択の魔物の作った教会は、謂わば、混ぜるな危険という関係に思えてならないので、興味本位に事件を起こさないようにしよう。




「そう言えばさ、オフェトリウスから僕の妹への薔薇を預かってきたんだけど、受け取りたいかい?」



よほど疲れてしまったのか、へなりとしながら紅茶を飲んでいたノアがそんな事を言ったのは、終焉と選択の魔物の契約交渉が無事に終わってからの事であった。


ぱっと顔を上げたネアは、とは言えどうしたものかなと首を傾げ、伴侶な魔物を見上げてみる。



「…………欲しいかい?」

「むぅ。礼儀として、私ではなくても誰かが受け取るべきだとは思いますし、ご挨拶の薔薇であれば、薔薇には罪はないものとしてお花は大事にはしてあげて欲しいとは思うのです」

「オフェトリウスからの花だ。………人間にとっては、喜ばしいものではないのかな」

「寧ろ、薔薇はとても嬉しいですが、オフェトリウスさんからのものであることが事態をややこしくしています。もはや、ノア宛の薔薇ということにしてしまい、リーエンベルクのどこかに飾ればみんなで楽しめるのではありませんか?」

「ありゃ。お兄ちゃんを犠牲にするのはやめようか…………」

「ノアベルトが…………」




なぜかその提案には魔物達が弱ってしまい、オフェトリウスからの薔薇は、リーエンベルクの会食堂前の廊下の一角に飾られる事になった。



凛々しい佇まいの大輪の白薔薇は、どこか剣の魔物自身を思わせる涼やかな華やかさと気品があり、ネアは、自分では頼まないであろうその薔薇を密かに気に入っていたが、誰にも言わずにいた。




エーダリアは可憐な薔薇が好きであるし、ネアはころんとした薔薇が好きだ。

何となくだが、ディノも含めたここにいる魔物達も、かつては兎も角としても今はもうこのような薔薇は選ばないだろう。



たった一輪の薔薇から勝手に読み解くネアなりの見解であるが、ここでは誰も選ばないものを選び取る人物だからこそ、いつかウィームにとって必要な人材になるのかもしれない。


そう思うと、一本の剣の頼もしさを伝えるものとして、その薔薇の美しさは際立つのであった。











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