砂漠の薔薇と小さな魔物
砂漠の中には幾つかの庭園がある。
それは、カルウィの果樹園だったり、サナアークの陽炎庭園であったり。
そしてここにある、ノウンの薔薇園もそうだ。
周囲は見渡す限りどこまでも砂漠なのだが、最も暗い冬の新月の夜にだけ現れる薔薇園がある。
とは言えここは、選ばれた者しか入れない王の庭園で、どのような階位であれ、王という名を拝していなければ入場は叶わない。
爵位を持たない王も入れないという厳密さに加えて、その王という肩書を安易に作り足されないよう、所定数の者の認識に於いて王とされるという条件もかけられているのだから、なかなかにしっかりとした管理の下にある場所なのだ。
それだけ稀少な薔薇が咲いているからだと言われればそうでもあるのだが、この薔薇園は、土地そのものの魔術の稀少性もかなり高い。
失われたものを咲かせるという特殊な魔術の結びと祝福において、良からぬものを誰かが芽吹かせないようにと、幾つもの約定を結ばねば入れないという秘された花園でもある。
そんな薔薇園の美しい門は白瑪瑙で出来ていた。
繊細な彫刻は薔薇のアーチを模してあり、そこに揺らめくのは深く鮮やかな砂漠の夜の光だ。
闇にもその色があるように、砂漠の夜はどれだけ闇に沈んでいても色鮮やかだ。
そんな色を映している門を見上げたまま、あまりの美しさに砂の柱になって崩れ落ちた王の逸話もある。
それは砂漠を往く者達や、この薔薇園に入れる者達の間の愉快な噂話のようだが、実際にここで砂になった王を死者の国に迎えたウィリアムは、それが実話であることを知る数少ない証人でもあった。
(ここに来るのは久し振りだな…………)
きしきしと音を立てる砂を踏み、どこか遠くでさらさらと柔らかく響く水音を聞きながらウィリアムが門を潜ると、それまでは門の向こうの薄っすらとした影だけだった薔薇園が、雪の中に佇む景色に変化した。
(そうか。……………今はウィームなんだな)
そんな事を感慨深く思い、小さく唇の端を持ち上げる。
この薔薇園には気候や季節がなく、足を踏み入れた者が最も関わり深い土地のものが反映されるのだそうだ。
これまでのウィリアムであれば、直前まで過ごしていた戦場の景色がおざなりに反映されていたのだが、もしかするとこれからはずっと、ウィームの気候や空気を映し続けるのかもしれない。
そう考えると、少しだけいい気分であった。
つい先程まで焼け爛れた大地を踏んでいた足で、今度は純白の雪を踏み歩く。
耳の奥で響いていた慟哭や怒号の代わりに、月のない夜の静けさは水音や風に揺れる薔薇の茂みのさざめきを届けてくれた。
垂れ下がるように茂った蔓薔薇の覆いを抜けると、澄んだ水色の湖水水晶で作られた噴水が現れる。
砂漠の中に出現する庭園や果樹園などにはなぜか、必ずこうして噴水があるのだが、そこにはこの土地に根付いた豊かな水への潜在的な欲求があるのかもしれない。
(戦場の光景を映していた時にも思ったが、どのような景色の中であっても、ここの薔薇は健やかに咲くのだな………)
今更ながらに雪景色の中に咲き誇る薔薇園の美しさに感心しながら歩いていると、崩れかけた古い礼拝堂が現れる。
この薔薇園がどのような履歴のものなのかを誰も知らないように、これもまた、どの時代のどのような文化圏のものなのかが曖昧な建造物だ。
今の薔薇園がウィリアムにとって最も近しい国の気候を反映しているように、この礼拝堂もまた、ウィリアムの記憶の中で編纂された幻のようなものである。
様々な時代や国で見た似たような建物の記憶が混ざり合っているからか、どこか異国風という印象のものであった。
ただ一つ言えるのは、この薔薇園に出現する建物の全ては、なぜかいつも廃墟であるらしい。
他の魔物達の話を聞いてもそうなのだから、そこにも何某かの法則性はあるのだろう。
何も、終焉の景色を映した事で廃墟が現れた訳ではなく、スリフェアなどのように非ざるべきものという魔術的な象徴として、崩壊や終焉を示すものが現れるのかもしれない。
(だが、…………)
そう言えば前に一度だけ、とある魔物が崩れていない屋敷を見たと話していたのを思い出し、ウィリアムは立ち止まった。
その魔物は、ここで噴水の向こうに立ち込めた霧の中に、美しい邸宅を見たという。
その窓辺に見えた女性の影がどれだけ美しかったのかを興奮したように話していた。
そして、そんな話を仲間達にしていた夜を最後に、彼は、忽然と姿を消しそのまま行方不明になっている。
(であればそれは、凶兆なのかもしれないな……………)
それとも、触れたら戻れないどこかの向こう側なのだろうか。
この世界は、そこかしこにそのような落とし穴や、行先の知られていない扉や橋がある。
遠い昔に失われた世界の記憶の歪みかもしれないし、ここではないどこかに繋がる場所なのかもしれない。
(…………例えば、ネアが暮らしていたという、遠い世界のように)
万象にしか触れられないものだとしても、ネアがここに呼び落とされたのなら、そこは確かにどこかに在るのだ。
ふとした折に繋がったり、世界のひび割れの向こう側に姿を見せる事はあるかもしれない。
そんな事を考えながら、軍靴で雪を踏み目当ての薔薇を探していると、自分以外の他の誰かが庭園に入る気配を感じた。
ざあっと風が吹き抜けるように薔薇園の景色が揺れ、けれども清廉な雪景色はそのままだったので、眉を顰めて少しだけ立ち止まる。
僅かに振り返りはしたが、訪れた際に他の誰かの訪問があるという事も珍しくはない。
様々な条件下に於いて、薔薇園の門が現れない日もあるのだし、おまけに薔薇の祝祭が近いのだからそういう事もあるだろう。
(だが、風景が混ざり合わないという事は、随分と階位が低いのか、……………それとも或いは)
ウィリアムと同じ景色に近しい者なのか。
少しだけそれは誰だろうかと考えたが、苦笑して首を振った。
例え厄介な顔見知りだったとしても、ここではさしたる問題にはならないだろう。
この薔薇園は、土地を荒らす行為も禁じられているが、訪問者同士の争いも禁忌とされる。
魔術の理の上で禁忌とされている行為にあたるので、その禁を冒す者はいない。
通常の土地であっても理に触れるのは厄介な行為だが、それが、このように成り立ちや維持に謎の多い場所であれば尚更だ。
場合によってはその対価は、ここではないどこかのものである可能性すらないとは言えない。
どのような事情があれ、触れる事の方が大きな損失に繋がるのだった。
はらりと落ちた雪片に、どこか胸に凝るようなざらついた吐息を吐き出す。
薔薇の為に日陰を作る大きな木や、崩れかけた礼拝堂に積もっている雪は、薔薇の葉や花の上には全く触れていない。
歩き抜ける石畳の道に積もった雪も、どのような管理がなされているのか綺麗に左右に積み上げられていて、歩き易く整備されていた。
時折吹き抜ける風に、水の匂いがするのは何故だろう。
相変わらずに水音を響かせる噴水からのものかもしれないが、そこばかりはウィームで馴染んだ雪の香りではないのだなと考え、小さく微笑んだ。
大きく茂った薔薇に削られて細くなっている道を抜けると、淡いピンク色の花をつけた薔薇の茂みがあった。
白に滲んだような可憐な色は、はっとする程に初々しく鋭くもある。
先程とは違う水音が響いているので、また別の噴水がその向こうにもあるようだ。
「……………ああ。………静かだ」
生い茂る薔薇の枝葉に馨しい香りと水の匂いが立ち込め、胸の底の乾いた部分までもが潤うようなふくよかな気持ちになる。
失われたものを補填するという意味合いのある土地だからこそ、このように心が安らぐのだろうか。
うっかり、姿を消した魔物のようにこの薔薇園に囚われないようにしなければと思いつつも、ウィリアムは、少しの間目を閉じ、薔薇の茂みの中に無言で立っていた。
深く息を吸い、また吐き出す。
終焉らしからぬ休息だが、用事のついでにこのくらいの息抜きは許されるだろう。
目を閉じても目蓋の奥で燃えていた小さな城の影も、だいぶ薄れてきたようだ。
その時、ふと誰かの気配を感じた。
おやっと思い目を開けば、噴水を挟んだ小道の向こうを通り抜けようとした一人の魔物が、ゆっくりと振り返って憮然とした面持ちでこちらを見たところであった。
「……………まさかとは思うが、薔薇の回収じゃないだろうな」
「あなたもここにいるとは思いませんでした。…………風景がさして変わらなかったのは、そういう訳でしたか」
黒一色の装いのアルテアは、珍しくその上からケープを羽織っている。
こうして盛装めいたケープを羽織ると、高位の魔物らしい気配が際立ち目を引くので、本日の予定は選択の魔物としてのものばかりなのだろう。
とは言え、このような装いの時には却って人間の領域で騒ぎを起こさない事が多いので、今夜の段階で何かの騒ぎを引き起こされることはなさそうだ。
「お前がここにいるとなると、嫌な予感しかしないな」
「そうでもないかもしれませんよ。俺の場合は、参考にする薔薇の模りなので、実際にここにあるものを使う訳ではないですから」
「残念だが、俺もここで育ったものを使う予定ではないんだがな」
互いに似たような利用目的だと分かると、二人は思わず無言で顔を見合わせてしまった。
この薔薇園の薔薇を持ち帰る場合は、同じ株から花を摘めるのは一日に一人限りである。
その場合は使う薔薇が重なることはないのだが、参考にするだけとなると話が変わってくる。
薔薇の祝祭に、アルテアと同じ薔薇を贈ることになるのはさすがに避けたい。
「おっと、そうなると何かが重なる可能性もありますね。俺は、少し細長い先の開いた薔薇を探しているんですが………」
「氷の系譜のものか。であれば、右手の奥だ。同じ薔薇になることはなさそうだな」
「それを聞いて一安心しました。あなたと同じものになると、さすがにどうにもなりませんからね」
「まったくだ。……………よりにもよって、同じ日だとはな」
「うーん。条件を満たす日で、それぞれの足元が静かな日をと思うと、お互いに今日しかなかったのでは?」
「ほお、その割には、戦場帰りにしか見えないが」
「一段落付いたばかりですよ。それに、鳥籠は最悪どうにかなりますからね。ネア達に何かあった方がまずい」
「お前は最近、隠しもしなくなってきたな…………」
「はは、最近というか、随分前からこんな感じですけれどね」
小さく笑い、まったくそうなのだと考える。
鳥籠そのものを蔑ろにする事はないが、もしもの時に、この終焉の領分よりも優先したいものがあるという事を、ウィリアムはとても気に入っていた。
(それに、ネアと出会ってからアルテアが引き起こす問題も少なくなったからな。…………いずれ、その分の揺り戻しは来るだろう。それでも、ネアと連携していれば、どのあたりでその時期が来るかが分かるのが幸いだな………)
「……………何だ」
「いえ、あなたがこういう場所を使うのは珍しいなと考えていただだけですよ。それと、珍しくカルウィで見かけましたが、あの辺りは少し危うい。大きな災厄を引き起こさないようにして下さい」
「花油の七区は、さしたる問題もなかった筈だが?」
「月闇の竜の災いの子と呼ばれる者が、あの区画を治める王族についたようですよ。恐らくは竜の宝でしょう。加えて、土地に元々住んでいる精霊とあまり関係が良くないようですね」
「……………くそ、よりにもよって、あの王子に付いたのか」
「正確には、王子の従者のようですけれどね」
カルウィの花油の七区については、昨日の内に系譜の者達にも通達を出したばかりだ。
カルウィの上位六席の王子達の領地に近しく、おまけに災いの子と呼ばれる竜が守護を与えた人間が住んでいるともなれば、些細な事件や事故から竜の宝が失われるような事が起きないよう、こちらでも気を配る必要がある。
月闇の災いが狂乱すれば、国そのものが傾きかねない。
だが、カルウィという土地は、終焉の系譜が呼ばれる事は少なくなく、回避出来ない仕事となれば土地の危うさを知った上で対処せねばならないのだ。
(そう長くは続かないだろうが…………)
現王や周辺の王族達がその危うさに気付かない筈もないので、年内には様々な調整を終えるだろう。
王子本人がどうなるかは分からないが、従者とその竜はカルウィから切り離され、恐らくは月闇の竜達の生活領域へ移住する事になるのではないだろうか。
カルウィの王族達の継承争いは眉を顰めたくなる程に壮絶なものではあるが、その誰もが国を傾けるような危険を歓迎はしない。
やがては自分が治めるかもしれない豊かな国なのだからと、そのような時には不思議と団結するのがあの国の王族達なのだった。
「………七区については、その問題が解決してからだな」
「やれやれ、やはり仕掛けていましたか。場合によっては、先に手を打つしかないと思っていたが………」
「お前のそれは、先に七区諸共全てを崩壊させる手法だろうが」
「場合によっては、その方が早く解決しますからね」
肩を竦めてそう呟けば、アルテアはどこか疲れたように溜め息を吐いた。
手首を返してどこからか杖を取り出すと、今度はもう振り返らずに反対側へと抜けて歩き去る。
そうしてまた、薔薇園には静けさが戻った。
雪の白さの中で鮮やかな色を落とすように、淡い色の薔薇さえもが光を帯びて浮かび上がる。
ここは新月の夜の底なのに、雪明かりの青白い光はどこか清廉で、けれども薔薇の茂みの影に落ちる影はひどく暗い。
闇に紛れたアルテアを目で追うことはせずに、ウィリアムは、先程示された方向に向かう為に幾つかの薔薇の影を抜けた。
軍帽に花びらが落ち、甘い薔薇の香りが漂う。
その中をくぐり、見事な真紅の薔薇のトンネルをゆっくりと歩いてゆく。
花影と、薔薇の枝葉の隙間から差し込む暗く艶やかな雪と夜の光。
今は少し遠くなった水音に足を止め、冷たい風が頬を撫でるままにする。
(……………思っていたよりも、疲れていたのかもしれないな)
そんな事は考えもしなかったが、先程のアルテアの言葉を思い出し、僅かに唇の端を持ち上げる。
確かに、先程まで籠もっていた鳥籠は三日三晩続いたものであったし、決して豪奢ではないもののその代わりに温かな笑い声に満ちていた小さな城は、乾いた薪のようによく燃えた。
関わる事はなかったものの、好ましく思っていた人々の暮らしが、隣国の蹂躙で粉々に崩れ落ちてゆく。
それは珍しい事でもなく、あれが最後でもない。
瓦礫を踏みつけて忘れ去ってゆき、やがては過去となる人々の営みのいつもの一頁。
「……………ああ、ここか」
迷路のような薔薇の茂みを抜け、ようやく辿り着いた先に咲いていたのは、シュプリグラスのような輪郭を描く特別な薔薇であった。
それは終焉の宿り木とも言われる一輪の白薔薇で、あるはずのない、終焉からの救済を齎す唯一の祝福の花とも呼ばれている。
「勿論、…………そんなものがある筈はないんだがな」
小さくそう呟き、苦く微笑む。
どれだけ願っても、勿論そんなものはありはしなかった。
かつて、自分の望むたった一つくらいには穏やかな祝福を授けられはしないかとこの薔薇を育てた愚かな魔物は、結局そのような奇跡は宿さなかった美しいばかりの薔薇が残されたことに絶望し、その全てを壊して一つの城を捨てた。
もうどこにもない筈の、苦い過去と願いの形が、ここに残されている。
だからこそ、この薔薇を模ったものを、ネアに贈りたかった。
ウィリアム一人の手では得られなかったが、かつてかけたあの願いは、ネアがシルハーンの伴侶であるからこそ叶えられている。
この手に損なわれず、それどころか、この手で守る事も出来る。
こちらを見て微笑みかけてくれる、思うままに守り慈しめるものが、今はそこにあるのだと。
自身から切り出した魔術で薔薇の形を模り、その薔薇を壊した日のことを思い出した。
思い出してももう、胸は痛まない。
リーエンベルクに行けば、その願いは叶うからだ。
「……………さて」
手早く用事を終えると、帰りは辿った道を戻るので往路よりも随分と早く薔薇園を抜けられた。
今夜はテントでゆっくり眠り、ネアに渡す薔薇の最後の形成は、明日の夜でもいいだろう。
リーエンベルクにとも思ったが、晩餐も終わったくらいの頃合いだ。
余程の事がない限りは、約束もなく押しかける時間ではない。
「…………あれ、帰ったんじゃなかったんですか?」
薔薇園の門を抜けたところに立っていたアルテアを見付け、眉を持ち上げた。
まるでこちらが用事を終えるのを待っていたような様子だが、何かあったのだろうかと考える。
「リーエンベルクに寄るぞ。あいつが、時間があれば泊まっていかないかと連絡を寄越したからな」
「ネアがですか?」
「お前のカードにも、連絡が来ている筈だ」
「ちょっと待って下さい。…………ああ、来ていますね」
「この書き方は、あまり言いたくないような問題を起こした時だな。さしたる危険はないが、本人は納得していないような事だろう」
うんざりしたように言いながらも、アルテアはどこか愉快そうにしている。
そうして齎される思わぬ選択を、自身が損なわれる場合も含め、彼はいつだって歓迎しているように見えた。
(それはきっと、アルテアも願ったからなのだろう)
彼の場合は願いというよりは落胆だろうが、それでも、彼なりの線引きの内側に、何か一つ執着をかけるに値する選択が残ればと、そう期待してきたアルテアを最後まで楽しませたものは、結局、殆どなかったのではないだろうか。
だからこそ彼は、ネアに己をくれてやったのだ。
相応しい選択に見合う対価として、アルテアがそれは自分しかないのだと結論付けたのであれば、それは多分もう魔物の願いである。
「やっと、私の勝利の瞬間がやってきました!!!」
しかし、そんなアルテアと共に訪れたリーエンベルクで待っていたのは、復讐心に燃えるネアの手による、かつての行いへの報復であった。
あまりにも自然に勧められた飲み物を思い呆然としていると、機嫌を良くしたネアに、ひょいと抱き上げられた。
「うむ。私の復讐計画に気付いて泣いて謝ったノアの協力により、とても良い桃ジュースが出来ましたね。今後、商品化しても良いくらいだと思います」
「…………ネア、使うのは今夜だけの約束だろう?」
「むぅ。ちびころにしたかったのに、逃げてしまった魔物がいます」
「ご主人様…………」
「なぜか、リーエンベルクの家族は皆が事前に危険を察してしまい誰も罠にかかりませんでしたが、ウィリアムさんとアルテアさんには、無事に報復出来ました!」
「わーお。この魔術構築に手を貸したのは僕だけどさ、アルテアでも小さくなるんだなぁ」
「ふざけるな!さっさとこれを戻せ!!」
「まぁ、この呪いの効果は一晩なのですよ?今夜は、一緒の寝台で寝ましょうね」
「ネアが……………浮気?………する…………」
「これは復讐なので、浮気ではありません!」
「復讐、なのだね?」
「はい。そして、ディノと私でお二人を囲めばいいのです。ディノは、お父さん役ですね」
「お父さん…………なのかい?」
ネアの腕の中で、小さくなった自分の体にまだ呆然としていると、なぜかそのままどこかへ運ばれそうになる。
「ネア……………?」
「ウィリアムさんも、今夜はもう、お仕事がないと確認済ですので、一緒に寝ましょうね。むふぅ。ちびころなウィリアムさんは、ちょっと大事にしてあげたくなる無防備さです」
「いや待ってくれ。これはさすがに、…………」
「なお、アルテアさんはここから更にちびふわ符で、赤ちゃんちびふわにしてみるという手も……………」
「いいか、やめろ。絶対にだ」
「ふふ。ちびころ姿で威嚇しても、可愛いだけなのです」
「ありゃ。…………これ、森に帰らないか心配だなぁ」
「ふふ、皆さんが私にした仕打ちを忘れたとは言わせません。あの辱めを受けた私が、どうして報復しないと思ったのでしょう!本来のままのものでは、色々と支障が出ると分かりましたので、そのような危険についてはきちんと考慮し、問題のある効果は丁寧に取り除いた、美味しい人形飾りの桃のジュースだったでしょう?」
そう胸を張って誇らしげに微笑んだネアに、そう言えばと、小さくなってしまったネアをさんざん抱き上げた記憶が蘇る。
かといって、こうして同じ目に遭わされたから、もう二度とあのネアを見たくないかと言えばそうは思わず、またの機会があれば抱き上げたりはするだろう。
(だが、……………っ、さすがにこれは気恥ずかしいな)
高位の魔物の多くは、擬態でもしない限りは、子供の姿になったことはない筈だ。
元々その質を持たない限り、派生した時から成熟した姿のままである。
だからこそ、こうして小さな子供の姿にされてしまうと、どのように振舞えばいいのか分からずに困惑するばかりだった。
「今夜は、ちびころなウィリアムさんとアルテアさんを抱っこして寝ますね」
「ネア、二人を同時に持ち上げるのは無理ではないかな」
「むむぅ。では、暴れるアルテアさんをお願いしてもいいですか?」
「アルテアを……………」
「おい、近付くなよ。……………お前は、ちびふわ符を取り出すのをやめろ!」
「これを貼り付けられてしまうか、大人しく従うかの二択ですよ?」
「……………くそ、来週もパイはなしだからな!」
「では、タルトを注文しますね。ささ。一緒にお休みしましょうね」
苦笑して見守っているノアベルトからは、実際には一晩もの効果はなく、せいぜい長くても二刻程だと聞かされていた。
それを知らずにはしゃいでいるネアを見ていると、まぁ、構わないかという気持ちになる。
それに、砂漠のテントで一人で過ごす筈だった夜と、こうしてネア達と共に過ごす夜を比べてみるのも悪くはない。
リーエンベルクでは、小さな獣の姿で過ごした事もあるのだが、なぜか絶対に落ち着かないと思っていたあの時も、不思議なくらいにぐっすりと眠れてしまったのを思い出したのだ。
それは、奇妙な夜だった。
ノアベルトから聞かされていたのだろう。
桃ジュースの効果があまり長くは続かないと知っていたらしいシルハーンから、元に戻ったら客間が用意されているのでそちらでゆっくり休めるよと言われていたので、二刻程の間は子供の姿でネアと一緒に眠り、元の姿に戻ると、使い慣れたリーエンベルクの客間に移動した。
子供姿で眠ったのはほんの僅かな時間だったが、不思議なくらいにぐっすりと眠ったらしい。
アルテアも同じだったのか、どこか呆然としているが、体に残った疲労感は面白いくらいに抜け落ちていた。
「不思議ですね。子供は元気なものだと思っていましたが、疲れが抜けるのも早いらしい」
「俺は二度とご免だからな。気に入ったのなら、今後はお前が引き受けろ」
「はは、残念ながら俺は、どちらかと言えば抱き締められるよりも、抱き締める側がいいですかね。人形飾りの桃を、近い内に手に入れておこうかな」
「……………やめろ。あいつがどれだけ執念深いのか、思い知らされたばかりだろうが」
「ノアベルトも、さすがに二回はやらないでしょう」
なお、今回の一件は、シルハーンにとっては伴侶の報復として認識されたようで、寝台に入れても問題はなかったようだ。
元の姿に戻るとひどくほっとされたので、それどころか心配されていたらしい。
朝食を食べたら、城に戻って薔薇の祝祭の準備をしようか。
あの日の薔薇を贈れる相手が得られた事を、この胸の中に灯す一つの成就にして過ごす夜も、きっと満ち足りた思いで過ごすのだろう。
明日3/4の更新は、お休みとなります。
TwitterでSSを書かせていただきますので、もし宜しければご覧下さい。




