12. 薔薇は時々秘密を明かします(本編)
ノアからの薔薇を持ってリーエンベルクの会食堂に戻ってきたネアは、お行儀よく焼き立てスコーンの籠が置かれたテーブルについていたディノに迎えられた。
足下に置かれ、ふんわりと布がかけられた籠が見えるので、無事に家事妖精からネアの薔薇を受け取ってくれたようだ。
テーブルの上のスコーンは、大きな籠に入って食べたいだけお皿に取れるようになっている。
ほかほかと湯気を立てており、ゼノーシュが、クロテッドクリームをたっぷり乗せた欠片をぱくりと食べていた。
取り皿の上のスコーン屑の様子と、手元のジャムの小鉢の減り具合からすると、既に何個目かのスコーンであるらしい。
(味を変える為に、クロテッドクリームに移動したのかな?)
ネアと目が合うと、ディノがびゃっと立ち上がった。
寂しかったのかなと考え微笑みかけると、嬉しそうに瞳を煌めかせる。
「ただいまです、ディノ。変わりはありませんか?」
「お帰り、ネア。…………その、ゼノーシュが少し…………」
「む?ゼノに何かがあったのですか?!」
どこか困ったような目をしたディノに、ネアは慌ててテーブルの方に駆け寄る。
すると、同じテーブルについていたエーダリアが、ぎくりとするような遠い目で力なく微笑んだ。
これはもう、何か事件が起きてしまったという表情以外の何ものでもない。
「…………グラストが襲撃に遭ったのだ。それが、襲ってきたのは魔物でな…………」
「グ、グラストさんにお怪我は………?!」
とは言えその当人が、ゼノーシュの隣に座って苦笑しているのだが、既に傷を癒した後なのかもしれない。
エーダリアの言葉に重ねるようにして我慢出来ずにそう尋ねたネアに対し、なぜか落ち着いた様子で紅茶を飲んでいたヒルドがくすりと微笑んだ。
「ネア殿、私はこの通り怪我一つありませんので、ご安心下さい。お騒がせしまして申し訳ない」
「……………お怪我がなさそうで一安心ですが、…………既に治療済みということではないのですよね?」
「ええ、勿論。それに、襲撃といっても、その魔物は足元で吠えながら跳ねていただけでしたから」
「……………ちびこいやつが犯人だと判明しました」
「ネア様、ひとまずは座られてはどうでしょう。楽しみにされていた、スコーンもありますからね」
「ヒルドさん…………」
やはりとても落ち着いた様子のヒルドからそう言われ、ネアはお言葉に甘えさせて貰う事にした。
一緒に戻ってきたノアは、やはり自身の領域で不在時に問題が起きると不愉快なのか、少しだけ魔物らしい眼差しでゼノーシュと視線を交わしている。
この雰囲気を見ると、困った魔物が現われたくらいで、あまり大きな事件ではなかったのかもしれない。
エーダリアの複雑そうな顔は、どうやらゼノーシュの様子にあるらしい。
「…………ゼノは、それでスコーンが止まらないのですね?」
「……………グラストは、僕のなのに」
「ゼノーシュ、俺は何ともなかったんだ。それに、あの店の…」
「僕、もうあのお店ではスフレなんて食べない!」
隣の席のグラストに宥められ、檸檬色の瞳をうるりとさせたゼノーシュの指先が震える。
ネアはすっかり胸が痛くなってしまい、事情を聞くべくヒルドの方に視線を戻した。
こちらを見たヒルドが、頷き、すぐに何があったのか話し始めてくれた。
「実は今朝早く、ネア様にも仕事で訪れていただいた、カッサーノの実家のスフレ専門店におります、スフレという魔物が、店員の女性に薔薇を捧げて告白したようでして……………」
「…………となると、足元でわふわふしてた、ちび犬的なあやつが…………」
「うん、あの時の魔物だったよ」
ディノもその場に立ち会ってくれたものか、悲しげな目をしてこくりと頷く。
どうやら、ディノが悲しい目をしているのは、そんな魔物のスフレの様子を見てのことらしい。
「告白された女性は、自分はグラストを狙っているので、その想いは受け取れないと断ったようです。その結果、件の魔物は外門のところで若い騎士達と話をしていたグラストを襲ったようですね…………」
「まぁ、……………八つ当たりではないですか………」
「わーお、そんな感じかぁ…………」
薔薇の祝祭には、美しく艶やかな一面とは全く正反対の、恐ろしくて悲しい側面がある。
この愛情を司る美しい祝祭の日にこそと意気込み、手間暇をかけて素晴らしい薔薇を用意して、何とか恋を実らせようとする者達の中には、恋に破れて惨憺たる思いを噛み締めなければならない者達もいるのだ。
そしてそんな失意の者達は、スフレの魔物のように恋敵を襲ったり、自暴自棄になって危険な森に入り込んだり、通りすがりのご婦人に通り魔的な告白をしてきたりもする。
特に通り魔告白は、もう本人も何を望んでいたのか分らなくなってしまい、いきなり求婚をした上に断らせないように試行錯誤するなどの悪質なものも多く、善良な領民や、良き隣人であった人外者達までが恋の通り魔に変貌する。
領主としてエーダリアも頭を痛めている問題なのだが、こんな風に身内が狙われてしまったことで、あらためて何とも言えない気持ちになってしまったのだろう。
「…………何というか、カッサーノさんがとても慄いたに違いありません」
「ああ。グラストは笑っていたが、カッサーノは落ち込んでいたようだ。一応は彼の父と妹が親しく………親しく?…………している魔物だからな…………」
「なお、その魔物はグラストが抱き上げて保護しまして、ゼノーシュが、二度とグラストやリーエンベルクの者達に害を為さないように誓約を取り付けたそうです。カッサーノによると、スフレ専門店に連れ帰って事情を説明したところ、告白された女性から、三日の間、激辛香辛料油を水の代わりに与えられる懲罰を受けることが決定したそうですよ」
「……………ほわ、激辛香辛料油を。………何というか、あのお店でそんなお仕置きを用意したとなると、問題のお嬢さんが誰なのか分かるような気がするのと、ゼノが思ったよりも冷静で驚きました…………」
ネアのその言葉に、こちらも悲しげな顔をしたゼノーシュが、くすんと鼻を鳴らす。
幼気な雰囲気があまりにも全開過ぎて、ネアは胸を押さえて倒れそうになった。
ゼノーシュが可愛すぎるので、震える手でほかほかスコーンを掴むしかない。
さっくり半分に割ってから、片方を自分の取り皿に置いておき、もう片方にはお気に入りの夜の溜め息の薔薇のジャムをたっぷり乗せる。
ジャムは各自の席のところにジャムの小鉢が置かれていて、自分の小鉢のものがなくなれば、テーブルの中央にある大瓶から好きなだけ取れる仕組みになっていた。
「……………僕ね、グラストと約束したんだ。騎士達の家族や、ウィームの商工会議所に登録している魔物や人間は、グラストがいいよって言わない限り壊さないの。でも、グラストが危なかったり、ダリルやエーダリア、ヒルドがいいよって言ったらやってもいいんだけど、今回は駄目だった…………」
「……………とてもお労しいゼノですが、さりげなくスフレ専門店のお嬢さんも滅ぼす対象にされています…………」
「カッサーノの姉でも駄目だよ。グラストは渡さないんだ…………」
「ゼ、ゼノ、お顔が!」
「…………スコーン……………」
暗い声でそう呟いた契約の魔物にネアはおろおろしてしまったが、リーエンベルクの筆頭騎士は、可愛い息子を愛でるような柔らかな眼差しを見せた。
荒んだ目をした魔物に困ってはいるが、ゼノーシュはきちんとグラストとの約束を守っている。
そんなところも含め、可愛くて仕方がないのだろう。
「ゼノーシュ、………彼女にはその種の好意は持っていないから、安心してくれ」
「…………ほんとう?」
「ああ。ゼノーシュには嘘は吐かないよ。それに、俺はもう再婚は考えていないから、そんなに心配しなくていいからな?」
「…………もし、やっぱり伴侶が欲しいって気持ちに変わりそうだったら、僕に教えてくれる?」
「再婚したくなったらか?」
「……………うん。絶対嫌だから、僕とご飯を食べに行ったり、遊びに行った方が楽しいって証明するんだ……………」
「はは、じゃあ約束しよう。それで、ゼノーシュは少し元気になってくれるか?」
「……………うん。でも、今日は気を付けてね…………」
ネアは、何だろうこの可愛い魔物はと胸を熱くしてゼノーシュとグラストのやり取りを見守っていたが、スフレの魔物のせいで、与り知らない所でこんな風にふられてしまったリッタータが、今回の事件の一番の被害者かもしれない。
(となると、激辛香辛料油は妥当な判断かもしれない…………)
毛玉ちび犬的な魔物であっても、乙女の恋心を傷付けたとあれば、その処分は致し方あるまい。
「ディノも、そんな事件の様子を見に行ってくれたのですね…………」
「あの魔物は、跳ねているだけだったけれどね…………」
「…………やれやれ、一安心だ。僕の領域でどんな魔物が悪さをしたのかなと思ったけれど、あの魔物は派生したてだからグラストを傷付ける力なんてないし、しっかり報いを受けそうだからね」
「スフレ食べたさに生まれた魔物さんが、激辛香辛料油しか飲めないとなると、なかなか悲しいお仕置きですね…………。むぐ」
ネアは素敵なスコーンをぱくりと齧り、その美味しさに頬を緩めた。
隣で、そんな伴侶が可愛いと呟いてもじもじしている魔物には、先程のノアとの時間で確認済みの、それぞれのジャムの味の説明をしてやる。
ディノはこくりと頷き、ネアのお気に入りのジャムから食べるようだ。
「そしてこれが、ノアから貰った薔薇なのです!とても素敵だとは思いませんか?ディノと一緒に見本を見ていた日にいいなと思った薔薇が、全部入っているんですよ」
「…………ノアベルトに…」
「ノアは兄妹なので、こんなに素敵な薔薇を貰っても浮気にはなりませんからね。けれども、来年はあの桃でちびころにしてやるのだ……………」
「ありゃ、狙われているみたいだぞ…………」
「小さくしてしまうのかい?」
「はい。そして、そんなちびノアを、よしよししたり、着ぐるみ的な可愛い洋服を着せたり、階段の段差が上がれない様子を影から楽しく見守ったりするのです」
「うわ、やめて!思ってたよりも具体的に計画してるんだけど……………」
「ノアベルトの小さな姿か…………。見てみたいような気もするな………」
「エーダリア?!」
慌てた塩の魔物に揺さぶられ、エーダリアははっとしたようだ。
目元を染めてすまないと謝っていたが、あの様子だと来年は仲間に引き入れられそうだ。
こほんと咳払いして、小さな塩の魔物が見たいと思ってしまったことを誤魔化そうとしたものか、エーダリアが今年の祝祭の薔薇を取り出す。
「これは、私からだ。今年は、昨年の約束通りノアベルトが用意してくれたのが、………昨年よりも階位の高い特別な薔薇なので、心してくれ」
「…………まぁ。覚悟が必要になるような薔薇なのですか?」
「…………ああ。特にお前はそうだな」
「…………む?」
例年通り、雪解け水の結晶を薄く削いだセロファンのようなもので包まれ、今年は美しい藍紫色のリボンで飾られたエーダリアの薔薇は、満月の夜に眺める雪のリーエンベルクを思わせる、気高くて繊細な美しさのある白薔薇だった。
内側から青紫色の光が滲むような白薔薇であることが、ノアらしい自己主張で微笑ましくはなるが、特別に気を付けるような要素は見当たらない気がする。
(私が特に気を付けなければいけないようなところは、…………あるだろうか?)
こてんと首を傾げたネアに、なぜかとても心配そうな顔をしたエーダリアが、これは特等の塩から魔術で咲かせた塩の薔薇なのだと教えてくれた。
咲いているものを見られることすらとても珍しいもので、植物としての白薔薇でありながら、特等中の特等の塩薔薇として食べてしまうことも出来るのだとか。
しかしその場合は、塩の魔物との魔術の繋ぎがあることが必須となり、食べる事が出来るのはノアのお気に入りの者達だけなのだ。
その繋がりがない者は、齧ろうとしても柔らかな筈の花びらを噛み締めることも出来ないらしい。
「………………特別なお塩。じゅるり……」
「やはりお前は、薔薇ではなく塩として認識しているではないか…………」
「は?!…………い、いえ、これは綺麗な白薔薇です!…………た、たべものではありませんので、やいたおにくにふりかけたりはしないのです……………」
「わーお、そんなに震えるくらいなら、僕の妹には、食用でもあげようか?」
「お兄様!」
「ありゃ、それなんか擽ったい呼び方だな……………」
「ネアが、ノアベルトの薔薇に浮気する…………」
「あら、私は美味しいものは伴侶にも楽しんで欲しい主義なので、ディノも一緒に食べましょうね?」
「……………ノアベルトの魔術を、かい?」
「……………わーお…………」
なぜか顔を見合わせて固まった魔物達は、エーダリアが二人にも薔薇を配ると、また違う慄きで固まった。
エーダリアはさすがの元王子らしい心配りを見せ、今年はノアが薔薇を提供してくれたからと、ノアの為の薔薇だけは、エーダリアが自身の魔術を使って自室の鉢で育てた薄水色の雪薔薇を使っていた。
ノアにはその薔薇の咲いたものと蕾を、そしてヒルドとグラストには、ノアの薔薇と自分が育てた薔薇の蕾を贈っており、ネアは、そんな光景をたいへん微笑ましく見守った。
ヒルドが自慢の愛弟子の成長を喜ぶような微笑みを浮かべる隣で、ノアは、刺激が強過ぎたのか、目を瞠ったまま無垢な表情で固まってしまう。
ここで、契約した魔物が喜ぶのは自分の育てたものだと思えたエーダリアも、これまでの日々で色々なことを学んだのだろうし、それを貰えるくらいに家族になったノアも、そんなものを自分が貰えるようになったのだと実感して、とても嬉しいだろう。
ヒルドやグラストの嬉しそうな様子は、やはりどこか大人組らしい、見守る優しさだ。
「くしゅん」
不意に鼻がむずむずしてしまい、ネアはくしゃみを一つした。
こちらを見たディノが、はっとしたような目をするので、風邪かなと心配されてしまったのかなと思い、安心させてあげようとしたところで、ネアは、自分の口が勝手に動くという奇妙な体験をすることになる。
(え……………?)
「…………むが?!……むぐ、もごご、………エーダリア様、ノアは自分が魔物らしい調整をするとエーダリア様に嫌われてしまわないかと、とても心配しているんですよ。ずっと側にいて欲しいみたいなので、大切にしてあげて下さいね。ヒルドさんも、どうか兄を宜しくお願いいたします。……………むぐ?!…………ぷは!」
言い終えると口が自由になり、ネアは目を瞬く。
その様子を目を丸くして見ていた一同の中で、ノアがぱたりと机に突っ伏した。
「おや、薔薇の秘密だね」
「薔薇の、……………秘密?」
「うん。薔薇の魔術が重なると、人と人を結びつけるような秘密の暴露が、強制的に行われる魔術が生まれることがある。祝福の一つだと言われているが、…………ノアベルトは大丈夫かな?」
「ふむ。そのようなものだったのですね、いきなり口がもごもごしたので驚きました!」
「……………僕はここにはいない」
「まぁ。ノアが………………」
なお、突然そんなことを言われてしまったエーダリアは、鳶色の目を瞠った後、ヒルドと顔を見合わせてから小さく微笑んだ。
鳶色の瞳は元々光をよく集めるが、何だか嬉しそうに輝いている気がする。
「ノアベルト、私はお前と契約したのだ。それはお前の魔物としての部分を知った上で、それでも共にと思ってのことだからな。お前を嫌うことなどないから安心してくれ。……………それよりも寧ろ、私の不甲斐ないところを見られてしまい、お前を失望させないといいのだが…………」
「………………ヒルド、エーダリアが僕を泣かせようとする…………」
「おや、私もあなたと友人になったばかりの時はさておき、今はもう、最後まできちんとお付き合いするつもりはありますよ?そもそも、我々の周囲にはダリルがいるというのに、今更魔物らしい振る舞いくらいであなたに何かを思うものですか」
「そうだな。もう、ダリルですっかり慣れてしまっているからな…………」
「………………ネア、どうしよう、二人が僕を泣かせようとするんだけど…………」
エーダリアとヒルドは、塩の魔物ともあろう者が、そんなことで悩んでしまったのかと優しい目をしているが、ノアにはその眼差しは過剰攻撃だったようだ。
すっかり優しさに打ちのめされてしまった魔物は、瞳を潤ませてぽそぽそと訴えてくる。
「あらあら、こういう時は有難うと言って、いっそうに仲良くしてしまうのがいいんですよ?」
「…………思い出したけど、僕の妹も加害者だった」
「相変わらず、あなたは時々妙なところで繊細になりますね。…………ネイ?」
「……………もう今日はデートどころじゃなくなった…………。どうすればいいんだろう…………」
「やれやれ…………」
すっかり胸がいっぱいになってしまった塩の魔物は、このあたりは容赦のないヒルドから、薔薇を貰ってまたくしゃくしゃになってしまう。
ヒルドから貰うのも初めてではないし、今日はエーダリアからも既に貰っているのに、ちっとも慣れないのか、薔薇を持ったままぎこちなくお礼を言っている。
「ディノ様、今年もどうぞ宜しくお願いいたします」
「……………うん。あり、がとう」
今年も、ヒルドの薔薇は艶やかな深紅のものだった。
決して軽薄にはならない深みのある赤い薔薇は特別なもので、ヒルドが紅薔薇のシーと友人だからこそ、入手出来る特別な薔薇なのだとか。
こうして赤い薔薇を持っているヒルドは、身に持つ色彩と相まって、深い森と赤い薔薇の対比のようで何とも麗しい。
ネアが思う一番美しい妖精なので、こんな姿を見られることにまた幸せな気持ちになり、さっそくネアは、一年に一度のこの祝祭の醍醐味の一つをこっそり堪能することにする。
しかし、思いが強すぎたものか、じっと見ていると、こちらの視線に気付いたヒルドがおやっと眉を持ち上げた。
「ネア様………?」
「…………………むふぅ。ヒルドさんと赤い薔薇の組み合わせが、今年も見られました!毎年思うのですが、艶やかで凛とした色の組み合わせが素敵で、ついつい見惚れてしまいます」
ネアはそう言いながらも、魔物が荒ぶらないように爪先を踏んでやった。
先回りでご褒美を与えられたディノは、浮気かどうか心配になる間もなく、ずるいと呟いてへなへなになってしまう。
「おや、そう言っていただけると光栄ですね。赤い薔薇は愛情を司る色ですので、今後、この色の薔薇を見て私を思い出していただけるのなら、これからもネア様には赤い薔薇を贈るのが宜しいかもしれません」
「……………わーお、ヒルドは今年も抜け目ないなぁ……………」
「ディノも、ヒルドさんから、こんなに素敵な薔薇をいただけて良かったですね」
「うん…………」
ネアのその言葉に、ディノは貰った赤い薔薇と白い薔薇をじっと見ている。
口元をもぞもぞさせているので、ネアはそんな魔物をちょんとつついた。
「さてはディノも、すっかり弱ってしまいましたね?」
「……………どうして、毎回このような気持ちになるのだろう……………」
「それは、ディノもこの家族の輪が大好きだからですよ。自分の好きな人から大事にされると、とても素敵な気分になりますから。そして、こうして側に居る私も、私の大切な伴侶や兄が幸せそうで、見ていて幸せになってしまえる恐ろしい循環なのでした」
「君がそう思うならいいのかな…………」
万象を司るくせにこんなにも無垢でもある魔物は、次に差し出されたグラストからの薔薇で、またしてもくしゃくしゃ度を増した。
そろりと出した手で薔薇を受け取り、水紺の瞳をきらきらさせると、ネアに報告するように慌てて振り返るのだから、もっと大事にされてしまえばいいのにと意地悪な人間は考えてしまうのだ。
そんな魔物の様子を穏やかな目で見守るリーエンベルクの騎士は、初めてディノと対面した時の畏怖の眼差しはすっかりと拭い去られ、不思議と年長者らしい鷹揚さでこの魔物を受け止めてくれることも多くなった。
「ネア殿も受け取っていただけますか?」
「まぁ!今年の薔薇もとっても素敵で、グラストさんらしいお色ですね。有難うございます」
今年のグラストの薔薇は、昨年貰った薔薇の色味を逆転させ、黄色だった品種を水色に、水色だった薔薇を黄色にして、対になるような組み合わせにしてあった。
小さなカップ咲きの花がぽひゅんぽひゅんと咲いている可憐な水色の薔薇は、グラストの好きな品種で屋敷でも育てているらしい。
今年は黄色い薔薇を凛とした上品なものにしたせいで、いっそうに、凛々しい騎士のグラストと、愛くるしい契約の魔物のゼノーシュという雰囲気になっている。
「あのね。今年も僕が、選ぶのに協力したんだよ」
「ふふ、さすがゼノです。この薔薇を見ていると、ぱっとグラストさんとゼノが思い浮かびますし、いい香りがしてとても素敵な薔薇で、貰った方はみんなにこにこしてしまいますね」
「うん。僕とグラストの薔薇だよ。……………ずっと一緒なんだ」
スフレ事件が尾を引いているものか、眉を下げてそう付け加えたゼノーシュに、ネアは、不整脈にならないよう、胸を押さえなければならなかった。
あまりにも危険な愛くるしさなので、グラストも思わず頭を撫でざるをえないのだろう。
くしゃりと大きな手で頭を撫でられ、小さくても公爵である見聞の魔物は嬉しそうに頬を染める。
「そう言えば、今年もドリーからの薔薇を騎士棟の方で預かっている。量があるので騎士達に先に選ばせた後、こちらにも届く筈だ。この部屋に届けて貰うように手配しているので、見かけたらお前のものとディノのものを受け取ってくれ」
「はい、そうさせていただきますね。エーダリア様、今年のドリーさんの薔薇はどんな薔薇なのでしょう。もうご覧になりましたか?」
「ああ。王都で会えば、兄上にも礼を言わねばならないのでな。今年は、昨年のものよりもピンクがかった淡いオレンジ色だな。ある意味ドリーらしいのかもしれないが、火竜という印象とはまた違う、可憐な印象の薔薇ではないだろうか」
「ふふ。優しいドリーさんらしい、素敵な薔薇が想像出来ました!見るのを楽しみにしていますね」
以前は、薔薇の祝祭にはリーエンベルクを訪れてくれていた火竜のドリーは、昨年から、兄の翼を継いだエルトがウィームで暮らしているので、エーダリアの提案の下、そちらへの訪問を優先するようになった。
ドリーは、王都で第一王子の契約の竜をしているので、ウィームに滞在出来る時間に限りがあるのだ。
(ドリーさんに会えないのは残念だけれど、こんな風に薔薇を持って来てくれるのは嬉しいな………)
ドリーがリーエンベルクに持ち込む薔薇は、第一王子派からウィームへの密やかな挨拶でもある。
ヴェンツェル王子から公にウィームに薔薇を贈るとなると、こちらの関わりを不特定多数の者達に探られる危険があるが、贈り主が人外者であるドリーなら話は別だ。
だからこそドリーは、何かと制限の多い身の上の契約の子供に代わり、こうしてリーエンベルクにもたくさんの薔薇を贈ってくれるのだろう。
(さて、………………)
他の者達の薔薇の受け渡しが終わったことを確認し、ネアは、さっと自分の薔薇を入れた籠を持ち上げた。
選んだ薔薇は家事妖精が部屋まで届けてくれるのだが、こうしていつも、持ち運びしやすいように籠に入れてくれる。
「では、私から皆さんへの薔薇です。今年はディノの伴侶になりましたので、今迄の年とは雰囲気を変えて、新婚さんらしい甘やかな雰囲気の薔薇を選んでみました」
いよいよネアの番だ。
ディノに会食堂まで持って来て貰った籠の中から、ネアは、今年の薔薇をエーダリアと、ヒルド、そしてグラストに手渡す。
ふわりとほころぶような白ピンク色の薔薇は、見ているだけで可憐さに心が柔らかくなるような色合いで、やはりこうして見ても美しい。
淡い色同士で合わせようと選んだ、白いヴェールをかけたような水色の薔薇の蕾は、冬の朝のリーエンベルクに相応しい透明感があって、これもまた思わず指先で触れてみたくなるような美しさだ。
(自画自賛だけれど、この薔薇にして良かった!)
我ながら大満足でその薔薇を渡したネアに、香りを確かめるように顔を寄せたヒルドが、瑠璃色の瞳を細める。
「女性らしい、繊細で美しい色遣いですね。幸福の温もりが伝わってくるようで、見ていて良い気分になります。ネア様、有難うございます」
「喜んでいただけて良かったです!いつもは、私らしいという意味でも自分の好きな色をどうしても選んでしまっていたので、あえて今年は、いつもにはない色合いの薔薇を意識して選んでみました」
「そう言えば、このような色合いの薔薇をお前から貰うのは初めてだな。女性らしい色でもあるのだが、なぜかリーエンベルクを思わせる…………」
「ネア殿有難うございます。ゼノーシュと一緒に楽しませていただきますね」
「……………ありゃ、僕の薔薇は?」
ここで、自分だけ貰えなかったノアが悲しくそう呟き、おずおずとネアに歩み寄った。
この瞬間を待っていた狡猾な人間は、にんまりと微笑む。
「ノアには、こちらの特別な薔薇です!今年からは兄妹なので、ノアのものも花束に出来るようになったのですよ。ちび花束ですが、家族仕様なので喜んでくれると嬉しいです」
「……………………え」
ネアが、きっとこんな風に喜んでくれるに違いないとわくわくし、あえて焦らしてから差し出してみたノア用の薔薇は、エーダリア達に配ったものと同じ種類の薔薇を、ディノへのものとは少し差をつけ、それでも小さな花束にしたものだ。
白ピンクの薔薇を三本、水色のものを二本入れ、計五本にしたものを白みがかった青紫色のリボンで花束にしており、見る者が見ればノアに贈る為のものだと伝わるに違いない。
全く想定していなかったところで小さな花束を貰ってしまったノアは、とても弱ってしまい、ネアは、動くことすらおぼつかなくなった兄の手を掴んで、差し出した花束を持たせてやらなければいけなかった。
「……………残念ながら、ノアは死んでしまいましたね。そして今年は特別に、ディノにもこちらの薔薇を用意してあります。ディノ、今年だけの特別な薔薇をどうぞ」
「……………ずるい、かわいい……………」
「この薔薇を見る度、ディノと伴侶になった年に配ったものだと、思い出して貰えると嬉しいです」
「……………ネアが特別にしてくる…………」
「……………ふむ。残念ながら、こちらの魔物も弱ってしまったようです」
かくして、ディノもノアもすっかり弱ってしまい、ネアはその隙に出掛けてくることにした。
もう少ししたらエーダリアとヒルドは王都に行かなければならないので、ヒルドから薔薇を貰う時間は、このすぐ後に設定してあるのだ。
王都でも見目麗しい二人に薔薇を贈る女性は多いようで、あまり王都にはいい記憶のない二人も、それなりにもみくちゃにされてしまうそうだ。
出掛けてゆく時の眼差しの厳しさは死地に赴く兵士のようなのだから、それがどれだけの大騒ぎなのかは想像に難くない。
(エーダリア様とヒルドさんにとっては大変な一日でもあるから、その前に、こんな風にみんなで薔薇を交換出来るのはいいことのような気がする……………)
目が合うと深く艶やかに微笑んだ妖精の美しさに、ネアは、大事な魔物達からだけでなく、一番綺麗だと思っている妖精からも美しい薔薇を貰える己の人生の豊かさに充足感を覚えた。
これだけ幸せな気分だと、やはり、お気に入りのジャムは取り置きをお願いしなければならないようだ。
明日、3月6日の通常更新はお休みさせていただきます。
(執筆の時間を取れれば、薔薇の祝祭の短いお話を上げますね)
どうぞ宜しくお願いいたします。




