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128. 誕生日はピクニックです(本編)




そよそよと風が揺れる。


そこは、美しい雪景色の中に円形に広がった小花の敷物の上で、一本のミモザの木が満開の花を咲かせていた。



「不思議ですねぇ。丸く、この部分にだけ春が来たようです!お花がたくさんで、なんて美しいのでしょう!」

「わーお。本当だ。………ラベンダーも咲いているんだね」

「ミモザの木の下ですよね。見た瞬間、ノアのお誕生日らしいなと思ってしまいました」

「…………ここは、冬の広間なのだね」



ディノも不思議そうに見回している広間の中は、確かに冬の広間なのだ。


大きなシャンデリアの光が煌めく広間は、いつものように冴え冴えとした美しい雪景色になっているのだが、その一画に、さぁここでピクニックをし給えという感じに春が広がっている。



「このミモザの木の影にだけ、可憐な春の草花が咲き乱れていて、…………むむぅ。踏んでしまうのが可哀想なのですが、大丈夫なのでしょうか?」

「ええ。確かめてみたのですが、上に立ってもこの草花は損なわれないようになっているようですね。恐らく、風景そのものを調度品として集めたものの一つなのでしょう」

「…………ふぁ」



ヒルドにそう教えて貰い、ネアはすっかり感動してしまった。



(こんなに素敵なものが、調度品だなんて………!)



本日の、塩の魔物の誕生日会は、身内だけで集まりこの小さな春の上で行われるのだった。

満開のミモザの下には、美しい花影が落ちる。

家族だけの誕生日会にはぴったりの優しい雰囲気で、ネアはすっかりご機嫌になってしまう。



隣に立った義兄を見上げると、既に涙目でふるふるしているので、今日はたいへん感動し易い状態にあるらしい。





「……………ネア、僕はさ、幸せものだよね?」

「ふふ、勿論ですよ。そして私の大切な弟なので、もっと大事にしますね」

「わーお。もう一度やり直そうとしているぞ………」

「どちらにしても、大事な家族なのです」

「……………うん」



ここで早速泣いてしまった本日の主賓に、ネアはウィーム領主な契約者から責めるような目を向けられてしまった。



「なぜ私が犯人のように見るのだ………」

「乾杯まで待てなかったのか…………」

「解せぬ」



本日の参加者は、エーダリアとヒルド、ネアとディノだ。



ノア曰く、ウィリアムとアルテアも準親族枠でいいのかもしれないらしいが、本当のお祝いはこの家族だけでやるのが良いらしい。


そんなところにもまた、この魔物がどれだけ家族という密な輪に憧れていたのかが浮き彫りになり、ネアは一人ぼっちだった頃のノアを思って胸がくしゃりとなる。


特に海の乙女たちは、生きていたらパンの魔物符を貼り付けて海の藻屑にしてくれようぞという思いである。

ネアの大切な弟を虐めた者達は、一人残らずその刑でもいいだろう。



ふんすと胸を張ったネアに首を傾げ、ディノが大きな魔術仕掛けの銀の籠を取り出してくれた。

そっと触れると澄んだ音がして、かしゃんかしゃんと広がった籠が姿を変えたのは、美しい手打ちの彫り模様がある銀細工の料理台車だ。


この銀は、星空から落ちた煌めきが湖の中で結晶化したものであるらしい。

加工し易く、清廉さを保てる銀資材として、食卓周りの道具に使われることが多いそうだ。



「さて、始めましょうか。あなたも、泣き止むように」

「……………うん。乾杯をして今日を楽しまなきゃだからね」

「狐さんは、既に午前中は騎士棟でボール祭りをやったのですよね?疲れていませんか?」

「寧ろ、ボール三昧で元気いっぱいだよね。やっぱりさ、アメリアはボール投げが上手なんだ。森の獣が好きだから、これまでの研究が凄いんだよね」



きらきらと光る青紫色の瞳で遠くを見たノアは、幸せそうに目元を染めてうっとりしている。

しかし残念ながら、塩の魔物が想いを馳せているのは、ボールを投げて貰って追いかける遊びなので、隣にいたディノがぴっとなってしまった。



ネアは、伴侶がとても悲しい目をしているので、慌てて誕生日会の開始に邁進する。




「本日の乾杯のお酒は、エーダリア様が素敵なものを用意してくれたのですよ」

「ああ。シュタルトの視察があったからな。その際に、湖水メゾンから預かってきたものなのだ」

「……………わーお」



エーダリアが取り出したボトルを見て、ノアは目を瞠ると僅かに体を揺らしたようだ。

こつんとディノにぶつかってしまい、途方に暮れたように顔を見合わせている。



エーダリアの手の中にあるシュプリのラベルには、ご機嫌顔の銀狐が、尻尾をぴんと持ち上げてとことこと歩いている絵が描かれている。

背景はウィームの冬の森とリーエンベルクで、ラベルにはラベンダーと薔薇の額縁があった。



「ノア、とっても素敵だと思いませんか?」

「……………え、…………これどうしたの?」

「昨年のイブメリアに、その祝福を仕込んだものなのだそうだ。若いシュプリなので少しだけエシュカルに似た風味であるらしい。お前の誕生日にと、ヒルドと共に昨年から頼んでいたものが、今回の祝いに間に合ってくれた」

「………泣きそう」

「やれやれ、もう少し堪えて下さい。乾杯をするのでしょう?」

「……………うん。そうだね。………そうだ。乾杯しなきゃだよね」



またしても泣いてしまったノアに淡く苦笑しながら、ヒルドが湖水メゾンのシュプリを開けてくれる。

きゅぽんと小気味のいい音がすると、ふわりと香ったのは優しい冬の夜と葡萄畑の香りだ。


果実の良い香りに、ネアは思わずくんくんしてしまう。


細長いシュプリグラスに注がれた液体は淡い金色で、それはよく晴れた日の陽光というよりは、美しい夜の月の光のような柔らかさであった。



ネア達の頭上で、さわさわとミモザの花が揺れる。

どこからともなく木漏れ日が差し込む、円形の不思議な絨毯のような花々の上で、お祝い用の無銘のシュプリを満たしたグラスが渡され乾杯の準備が整った。




「では、………」

「ノアベルト。誕生日おめでとう。これからも、…………私達の家族でいてくれ」



この日の為に練習したのだろう。

しかしそれでも気恥ずかしかったのか、エーダリアは目元を染めてしまい、最後の言葉の途中でもじもじと視線を彷徨わせ、何とか持ち直したのか穏やかな声で締めくくった。


そんな破壊力の高いお祝いの言葉を差し出されてしまい、呆然と目を丸くして固まっているノアに対し、ヒルドは友人がシュプリグラスを落とさないかしっかりと手元を見ている。



「……………エーダリアが、泣かせようとするんだけど」

「あら、家族としてのエーダリア様のお祝いでは、嬉しくありませんでした?」

「凄く嬉しい…………」

「ノアベルト…………」



意地悪な義妹にもまた泣かされてしまったノアに背中に隠れられてしまい、ディノは、おろおろとそんなノアを振り返っていた。



「ふむ。ノアは喜んでくれたようなので、このまま乾杯しましょうか。…………むむ、なぜエーダリア様まで弱っているのだ」

「………っ、す、少しだけ待ってくれ」

「ほら、僕の大事な女の子は、時々残虐過ぎるんだ…………」

「解せぬ」




用意された料理は、ノアの大好物ばかりだった。

衣やソースを変えたシュニッツェルは勿論のこと、鴨肉や棘牛のパテや、ヒルドがどこからか釣ってきた水棲棘牛のビステッカなど、食べ易く美味しそうなものが沢山並んでいる。


本人のリクエストで、ネアのフリーコも焼かれており、前菜の彩りはこの春の花の絨毯に相応しい楽しさで、小海老のカクテルには食べられる花が散らされ、下にはサフラン色の魚介の濃厚なスープのムースが敷かれている。


手の込んだ料理の隣には、リーエンベルク自家製のベーコンを厚切りで焼き上げ、こちらも自家製のマヨネーズソースとスノーの熟成葡萄酢を添えた、サラダと一緒に食べる見栄えより味重視な家庭料理があったりもした。


新鮮なタコのあつあつパン粉揚げの下には、薄く切った鮮やかな赤玉葱の酢漬けが、水っぽくならないように固く絞って敷かれており、ライムのような香りと胡椒のような風味をつけてくれるデイジーに似た可憐な白い花が散らされている。 


見た目の華やかさは勿論だが、白い花なのでかなり珍しいものなのだろう。


甘いトマトと、とろとろの新鮮なアルバンのチーズをオーブンで焼き、かりかりに焼いた薄切り燻製ハムを乗せたお皿からは、堪らない香りと共にほわほわと湯気が上がっている。


ムスカリの球根を入れたグラタンに、おやっと思ってしまうくらいにシンプルな、コンビーフとマスタードソースの一口サンドイッチ。


このサンドイッチは最近のノアのお気に入りで、エーダリア達との執務中のお昼や、夜食にいただくものなのだとか。



(……………素敵だな。ノアの大好きなものやノアの日常にある美味しい料理が沢山あって、とても豪華で華やかなのに、どれを食べてもノアが嬉しいお料理ばかり!)




「うん。…………少し生き返った」

「よし…………。乾杯しよう」

「やれやれ、やっとですか…………」

「トマトとチーズのお料理が私を呼んでいるのです…………」

「ありゃ、お待ちかねなんだね」

「ご主人様…………」

「では、…………」



五人でグラスを持ち上げると、そこにはもうお祝いの言葉が重なるばかりだった。

口々におめでとうと言われてしまったノアはすっかりくしゃくしゃになってしまい、とても傾きながらシュプリを飲むと、全員で春の絨毯の上に現れた木のテーブルに着く。


胡桃色の優しい風合いのテーブルは、この素敵なピクニック気分にぴったりだった。

揃いの木の椅子には手作りのようなクッションが敷かれており、座り心地もいい。



「…………まぁ!エシュカル気分を想像して飲みましたが、果実の風味が強くてとても美味しいです」

「うん。君の好きな味になっているね」

「はい!ノアもそうですし、エーダリア様も好きだと思いますよ」

「うん。…………こりゃ美味しいや。あまり強くはないけれど、今日の料理にも合いそうでいいね」

「ネアが虐待する…………」

「はいはい。ディノも大好きな味で、仲良しなのです?」

「……………うん」



こんな時は自分の味の嗜好を優先してくれてもいいのだが、ネアの伴侶は仲間外れが嫌だったようだ。

仲間に入れて貰うと誇らしげにこくりと頷いているが、ディノの好みはもう少し辛口でもいいのではないだろうか。



(エーダリア様も辛口のものが好きだけれど、シュプリに関しては果実っぽさが残るものも好きだから………)



そう考えると、ネアとノア、そしてエーダリアの食事の嗜好は本当によく似ている。


だからこそこのような日には、それぞれの好きな食べ物を集めてもどれを食べても美味しいという恩恵があり、ネアはお目当てのトマトとチーズのオーブン焼きをぱくりと口に入れてじたばたした。



「………この、上に乗ったハムの、生ハムのような味の濃さと燻製のいい香りが、トマトとチーズにぴったりです!トマトは甘酸っぱいトマトなのですね」

「ありゃ、それは僕も好きそうだぞ………」

「むぐ。ノアも食べてみて下さい」



銀の料理用の台車からテーブルに移したお皿で、木のテーブルの上は、たくさんの花が咲いたような賑やかさになる。


さくさくのシュニッツェルは衣に工夫があり、ネアは、香草チーズ風味の一口シュニッツェルをソースをかけずに食べる美味しさに打ち震えた。



ノアはビステッカとフリーコをシュプリでいただき、すっかりご機嫌だよねと頬を上気させている。

ディノはベーコンソテーが気に入ったようで、たくさんのサラダと一緒に食べていた。




「今年はさ、騎士達からハンモックボールを貰ったんだよね」

「ノアベルトが………」

「ディノ、狐さん用だと思いますよ?」

「そうなのかい…………?」

「ありゃ。さすがに僕も、この姿でハンモックボールでは遊ばないよ」

「どうでしょうかね。そうならないように、気を付けて下さい」

「………え、気付いてないだけで危なかったりする?!」



ハンモックボールとは、正方形の大きな吊りハンモックの上に、魔術で弾むボールが何個か設置されている、獣用の設置型遊具だ。


ぴんとハンモックを張って魔術のふかふかモードにすると、とてとてと歩けるが足元の跳ね返りで体を軽く感じられる足場になり、少しハンモックを緩ませてトランポリン状にする事も出来る。


雨続きの日などにもたっぷり一人遊びが可能なものであるのと同時に、併設魔術で広げると、騎士の一人くらいは一緒に遊べる大きさになる。


びょんと弾みながらボールを追いかけるトランポリンモードにしておけば、騎士達も銀狐と一緒にちょっとした運動が楽しめるのだ。


使い魔やペットの獣の運動不足解消にも好まれているが、主人や飼い主の日常の軽い運動、または外傷や筋力不足に悩む者のリハビリ鍛錬も同時に可能とする、人気商品なのだとか。


銀狐のお気に入りは、空中歩行モードになるトランポリンの上位設定で、軽やかに歩くだけでふんわりぽよんと体が弾むので、空中待機時間にぱたぱたと足を動かす空中歩行気分が楽しめるらしい。


着地してはびょいんと弾み、空中歩行をしてまた着地するが、同時に跳ね上がるボールは決してハンモックの上から落ちないようになっているので、空中で捕まえたり、転がるところを追いかけたりと、その遊び方は無限大なのだそうだ。




「……………我々からの贈り物なのだが、ここで渡してもいいだろうか?ネアが、今回の贈り物は、早めに渡しておくべきだと言うのだ」

「………え、」

「うむ。私の真珠の首飾りのようなものですから、装着しながら楽しむという選択肢も用意するべきだと思いました。なお、今日は家族のお誕生日会なので、そんな真珠の首飾りをこうして着用しております」

「ネアが可愛い…………」




エーダリアの質問に、ノアは、少しの間言葉を失っていた。



勿論、今回の誕生日に何が貰えるのかを、ノアは知っている筈だ。

だが、ケーキの頃合いかなと考えていた贈り物の授与が開始早々に突然訪れた事で、心の準備が出来ておらずに固まってしまったらしい。



「…………今、欲しいや」

「では、そうしよう。ヒルド、頼む」

「ええ。…………こちらを」



どこからともなく取り出されたのは、ふっくらとした艶が美しい細い青紫色のリボンがかけられた小箱だ。

厚手の包装紙は優美な壁紙のような薔薇とホーリートの連続模様で、そんな包み紙の華やかさが贈り物の形としてこの上ない美しさを示してくれる。



ネアは、リボンをかけられた美しい包装紙に包まれたものの姿から得られる幸福感に微笑みを深め、一緒に受け取りにゆけなかったノアのリンデルが、どのようなものなのか心を弾ませた。



(どんな風に仕上がったのかしら…………)



ノアは締め切りまでに二度、模様の変更をかけ、最終的には最もシンプルで、だからこそ大切だというものをモチーフに選んでいる。



そんな贈り物が、やっと完成したのだった。




「ノアベルト、誕生日おめでとう。これは、ここにいる全員からだ。家族への…………贈り物だ」

「…………うん。………ありゃ、目が」

「ふふ、ノアがまた泣いてしまいました」

「…………泣くよね、こんなの」



受け取った小箱を手に持ったまま、ノアはほろほろと涙を零し、贈り物の小箱を渡されると、大切そうにそっと指先で包み込む。


それだけで胸がいっぱいになってしまったらしく、暫くの間はふにゃふにゃもぞもぞしていたが、箱を開けようと思ったのか、きりりと表情を引き締め直した。


しかし、リボンを解いて包装紙を剥がしている段階でも指先が震えてしまい、わくわくにっこり微笑みたいのか、泣いてしまいたいのか、どちらの表情も出来ずに顔が強張っている。


かさりと紙を広げる音がして、中から出てきた天鵞絨の小箱ははっとする程に美しい青紫色のものだ。

そこでノアはまたぴっとなってしまい、激しく震えながら天鵞絨の小箱を開けた。



ぱかりと開いた小箱の中には、鈍く美しく煌く指貫が収められており、彫刻細工はリーエンベルクのシルエットとなっている。

ふわっと霧に霞むような儚いデザインが、華美過ぎる装飾を好まないノアにぴったりであった。


ノアは最初、始まりの場所だというラベンダー畑を思わせるラベンダーを選んだのだが、その後で現在の宝物であるボールにし、最終的にはリーエンベルクとなった。


これは、今の塩の魔物の宝物が全て収まっているのがリーエンベルクだからなのだそうだ。

そんな事を聞いたエーダリアが流れ弾で感動してしまい、ふるふるしてしまうという事件もあったが、こうして無事に納品され、やっとノアの手に届いた。



「……………僕の宝物だ」

「ふふ、このリンデルが、ノアを守ってくれますように」

「え、…………シル、ネアがまた泣かせようとする」

「嵌めてみるのかい?」

「ありゃ。……………うん。そうだよね。これを嵌めて誕生日会をやるんだった」



きらきらぴかりと光る指貫には、ノアの宝箱が繊細な彫刻で示されており、このリンデルの素材は、青みがかった銀水晶のような半透明の祝福石だ。


震える指でそのリンデルを取り上げ、ミモザの木からの木漏れ日に翳して目を細めれば、宝石のような青紫色の瞳にきらりと銀色の煌めきが揺れる。


ゆっくりと自分の指に嵌めてその手をネア達の方に向けてくれたノアは、どこか誇らしげであった。



「良かった。やはりその色が似合うな。ヒルドが、お前のリンデルの素材は少し透明感がある素材がいいのではないかと言ったので、それにしたのだ」

「……………うん。僕は、他にどんなものがあってもこれが一番だし、………………え、ずるい」



ここで、もう一度リンデルをしっかり見たくなったものか、くるりと手を返してから、一度外したリンデルの内側を見ていた塩の魔物が、ぱたりとテーブルに突っ伏してしまう。


作戦が成功したネア達は顔を見合わせ微笑み、リンデルの内側にも素敵な彫刻を施してくれた、ウィームの職人の高い技術に感謝した。




「ノアベルト…………」



おろおろしたディノがノアの背中に手を当てているが、もはや塩の魔物は感動のあまりにしくしく泣いてしまっているようだ。


ネアは、グラスをひっくり返さないように周りのお皿と共に位置を直してやり、ヒルドはこの隙にと、誕生日ケーキの準備もしてくれている。


リンデルの内側への、ラベンダーとボールの隠し彫りを提案してくれた職人は、銀狐の会の会員なのだそうだ。



(そんな事を知らされたら、ノアはもっと喜んでくれるのだろうか)



たっぷり泣いたノアが顔を上げる頃には、高位の魔物の感激に触れ過ぎた木のテーブルは、ちょっぴり結晶化してしまっていた。



「これが、………僕にももう、家族がいる印なんだね」

「ああ。だが、もし壊れたり無くしてしまっても、ここに私達がいるのだから、また作ればいいものだ。その時は遠慮なく頼んでくれ」

「え、絶対に無くさない………」

「あなたには狐でいる時間もあるのですから、分からないでしょう?大事にしていただけるのは喜ばしい事ですが、過分な依存はしませんように。あなたには、そうして心の均衡を崩す傾向もありますからね」

「うむ。最初に提案したように、今日はちょっと装飾品はいいかなという日には、常に着けている必要もないのですからね。我々は、大事な家族に、そんな宝物を持っていて欲しかっただけなのです」



そう重ねられ、ノアは涙目のままこくりと頷いた。



「騎士達にも、家族から貰ったリンデルを交戦中に壊してしまい、二代目のものを作った者は少なくない。守護を与える品物だからこそ、それは、特別なたった一度きりの贈り物ではないのだ。手入れをする時や、もう一つ欲しくなった時にも、相談してくれると嬉しい」



この説明を付け加える事は、ヒルドの提案であった。



リンデルは、壊れる事も珍しくはない品物であるだけに、事前に説明しておかないと、失った時に酷い落ち込み方をしかねないと指摘してくれたのだ。


そのような道具の扱い方や強度を知っているであろうアルテアには必要のない説明だが、ノアにはしっかりと伝えておくべきだと言われてこの機会を持ったが、やっておいて正解だったのだろう。



二個目を強請るのも可能だと知ったノアは、初めてパンの魔物が路地裏に住んでいると知った子供のような目をしている。



「……………そっか。これは道具で、僕がこれからずっと貰える贈り物の形でもあるんだね」

「はい!なので、もし良くない事に巻き込まれたら、リンデルの守護も惜しみなく使って下さいね。もし、そのリンデルがノアを守る事があれば、私達にとってはとても幸せな事なのですから」

「うん。…………はぁ、………涙がこんなに出たの、久し振りなんだけど。からからだよ………」



おぼつかない手つきでグラスを手に取り、ノアは残っていたシュプリをぐいっと飲み干してしまった。

お気に入りのパテを一口食べ、幸せそうに口元をもぞもぞさせ、またリンデルを見ている。



「では、次のシュプリを開けるか」

「わーお、こりゃまた珍しいやつがあるね」

「アルテアさんのお宅から盗んできました!」

「え、…………。略奪したんだ………」

「ご主人様………」

「狐の寝床という銘柄のシュプリなのですよ?ノアのお誕生日会に持ち込むしかありません。なお、使い魔さんはとても荒ぶりましたが、支払いとして、狩りたての王様カワセミを置いてきましたので、それで納得してくれたようです」

「そりゃ、王様カワセミなんて滅多に出回らないからだね…………」




狐の寝床という名前のシュプリは、ガゼッタの北方にある、小さな町で作られているものなのだそうだ。

そこは、森に囲まれた地下水の豊かな土地で、椎の木の魔物が治め、ススキの精霊と竜胆の妖精が多く住んでいるのだとか。


長方形のラベルではなく、丸まって眠っている狐型のラベルが瓶に貼られていて、何とも可愛らしい。



「………うわ、さっきのシュプリとは全く違う味わいだね。これもいいなぁ………」

「ああ、しっかりとした辛口なのだな。飲み終えた後に秋の森の香りが僅かに残るので、味のしっかりとした料理に合うような気がする」

「おや、これは良い味ですね。チーズやパテに合いそうだ」



シュプリに加えられた祝福を見ると、秋の日の夜に飲むとまた印象が変わるだろうという事で、ヒルドは、リーエンベルクでも今年の秋に向けて仕入れてみようかと呟いている。



ごくごくとシュプリを飲み、たくさんの料理が行き交い、ネアは、そっとお皿の上に置かれた鴨と無花果のパテのお礼に、違う味の杏の蒸留酒の香り付けをした棘牛のパテを伴侶のお皿に授けた。


続いて開けられたのは無色透明な蒸留酒で、こちらはとても強いお酒なので、ネアは、すっかりご贔屓になっている湖水メゾンの白葡萄酒に切り替え、エーダリアもそちらにするようだ。



足元は春の花の絨毯に囲まれて、顔を上げてその向こうを眺めれば、静謐な白い雪景色が佇んでいる。

雪を映したシャンデリアの淡い光や、ミモザの花の間からこぼれる木漏れ日のそれぞれの光に合わせてリンデルが煌めき、その度にノアは幸せそうに微笑んだ。



「むぐ!たっぷりのんびりお食事を終えたら、ケーキもありますからね」

「わーお。その前に脱がないようにしなきゃだ。………このパテさ、凄く美味しいんだけどレシピを変えたのかな」

「牛コンソメのスープも、ヒルドさんの釣ってきてくれた水棲棘牛を使ったことで、堪らない美味しさで、………むふぅ、敢えて具のないスープにしてくれた事で、お料理の合間に飲むとほっこりするのです」

「美味しいね………」

「ふふ、ディノもお気に入りになりましたね」




目元を染めて嬉しそうに微笑んでいる伴侶を撫でてやり、ネアは、次に控えた誕生日の仕掛けを思いにんまりとした。



次なる攻撃は、何と、エーダリア達も含め家族全員が作成に参加した誕生日ケーキである。

そんな美味しい贈り物が出される瞬間を待ちつつ、ネアは、美味しい料理を頬張ったのだった。







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