スープと食材
淡い光が揺れ、舞い落ちるのは魔術の過分な残滓だ。
その青白い光に照らされる戦場の中で、口元を覆っていたマスクを外し、ふはっと息を吐いた。
凍えるような外気に呼気が白く上がり、空を旋回する夜風竜達の姿を見上げ目を細める。
ここは戦場だった。
よりにもよって手をかけている畑の一つを戦場にされた苛立ちもあったが、この近隣の森は魔術の基盤が厚く豊かな場所なので、戦場にされることも珍しくはない。
とは言え、このまま戦場にされ続け森が荒れるのも不愉快なので、この戦乱の要になった王宮はひとまず落としてきたところだ。
どう見ても解放軍の方に軍配の上がる革命であったが、あのまま行けば半年くらいは戦況が悪化し続けただろう。
その半年で失われる森の恵みを思えば、この程度の畑の手入れもやむを得ない。
戦争くらい鎮められなければ、良いスープすら作れないのだ。
「……………くそ、お前は何なんだ」
「何なんだと言われても、ただのスープ屋だが。お前も毎回しぶといな」
「……………人間でしかない筈なのに、……………その白は……………」
ここで、意識が失われてしまったものか、足元に倒れていた魔物は喋らなくなった。
階位落ちされたり死なれても困るのだが、作業の間は大人しくしていてくれると有難い。
やれやれと肩を竦め、採取用の小瓶を取り出して、その魔術の影を掬い取る。
この魔物が育てる災いの影には、その反面とも言うべき潤沢な祝福の煌めきが宿るのであった。
(とは言え元々、祝福の反転で派生した魔物だからな……………)
白虹とはそういうものだ。
白樫も同じ成り立ちの魔物であるが、あちらは枝を削ぐと階位落ちしてしまうので、どこかで白樫本人が切り捨てた証跡などからその魔術を拾うようにしている。
だが、そちらに関しては主にスープを煮込む為の燃料としての活用であるので、代用品があるというのも幸いであった。
白虹の城がある森を見渡し、必要なものを採り終えた魔物はそのまま木の影に転がしておくことにする。
この森に暮らす竜はもう狩り終えているし、森の奥深くに株のある夜虹の香草も必要なだけ収穫済みだ。
相変わらず森の外では戦乱が続いているようだが、先程よりは偵察に出る竜騎士達の姿が少なくなっているのは間違いない。
このまま夜明け前までには収束するかもしれないと考え、今夜はこの森で野営する事にした。
ちらりと横に転がっている白虹の魔物を一瞥し、目を覚ませばもう少し白虹の影を剥がせるかもしれないと考える。
であれば、どこかに片してしまわずに、このまま転がしておけばいいだろう。
キチチと、どこかで夜食い鳥が鳴いた。
千年も生きた夜食い鳥の卵は、滋養のつくスープになるので、こちらも夜明けまでには回収しておこう。
残念ながら鳥そのものは筋張っていて食べられたものではなく、いいスープがらにもならないときている。
だが、夜食い鳥がいるということは、森のどこかに高位の精霊の住処もあるのは間違いない。
そちらの精霊も、スープになるかどうか調べておくのも悪くないだろう。
(この森の魔術の系譜であれば、体を温めるようなスープ、或いは毒抜きのスープにいいかもしれないな……………)
そんな事を考えながら組み上げるのは、夜結晶と森の祝福石の簡易炉だ。
煉瓦上に切り出したそれらの石を重ね上げ、先日グリムドールから切り出してきた角で火を熾す。
そこに投げ込むのは夜楓の若い枝で、夜の魔術から貰ってきた種火を入れた炉には柔らかな紫紺の炎が揺れる。
次に魔術構築したのは、簡易厨房のようなアレクシスの固有魔術領域だ。
拠点を構えてそこに都度繋ぐのも悪くはなかったが、最近は、こうして厨房そのものを魔術に書き換えて持ち歩くようにしている。
やはり土地の食材は、その風土の中で料理してこそだと気付いたからなのだが、これがまた、周囲の風景などを楽しみながらの料理という新しい楽しみを知る切っ掛けになった。
蛇口を捻れば流れるのは、ウィームの澄んだ水だ。
指先が凍えるようなその水で食材を洗い、収穫したばかりの木の実や野菜をざるに上げる。
下拵えはまだこれからなのだが、水に晒しておいた方がいいものはそのままにし、水気を切っておいた方がいいものは柔らかな布に包んで水を拭った。
次は肉類だ。
まずは、先程通り掛けに見付けて狩っておいた、森闇の棘牛を捌いてしまい、その次に程よく白ののった精霊羊を捌く。
狩った場所で血抜き魔術をかけておいた為に処理は楽なもので、血も捨てずに食材として利用する。
ただしこの場合、高位の生き物達の血は人間には毒気が強いので、アレクシス自身の食事にしたり、食材用として育てている棘牛や森竜に簡単に調理して与えたりもしていた。
本日一番の食材は、この森で狩った虹影の竜の角や鱗だ。
上等な氷河の酒に漬け込めば、竜蜜になるのだが、仕込みはやはり夜がいい。
美しい青色の結晶石のような角を綺麗に洗い、経年で汚れや傷のある表面の部分だけを丁寧に削いで下拵えを済ませると、用意しておいた瓶に何種類かの宝石花と一緒に入れ、そこに樽買いしている氷河の酒を注いでおく。
酒に触れた途端、しゅわりと瓶の中に淡い光が灯った。
星屑のようなその煌めきは、魔術同士が反応して蜜化が始まった証でもある。
香りを確かめ、余分な魔術要素が添付されていないかを確認すると、唇の端を持ち上げて微笑んだ。
(妖精の粉、エーデリアの百年に一度だけ咲く、白と金色の花。白ののった水棲棘牛の骨に、白虹の祝福を一振り)
沸かしたお湯にまずはスープの味を決めるものを入れ、香草のブーケを布袋に入れて放り込む。
白虹と相性がいいのは夜の座の精霊の魔術だが、それについては真夜中の座のものを入手したばかりだった。
やがて、ことことと煮詰まって鍋の中からいい匂いが漂い始めると、丁寧にあくを掬って捨て、一度、炉から外して粗熱を取る。
具材は棘牛の肉を使うことは決めていたが、さて、味付けはどうしようかなと少しだけ考え、エーデリアの香りに合う食材を幾つか記憶の棚から引っ張り出した。
(チーズクリームのスープも悪くないが、クリームスープにマスタードの辛みと酸味を入れても悪くない。花の香りが残るとなれば、少しは酸味のあるスープの方がいいかもしれないな…………)
くつくつと、スープの煮える音が柔らかく響く。
森の外では相変わらず戦乱が続いているようだったが、無心でスープ作りを続けている内に、夜が更けていった。
途中で目を覚ました白虹の魔物がそっと逃げ出そうとしていたので、もう一度捕まえてみたものの、素材を取れる程に回復していないようなので、溜め息を吐いて森に放した。
もう一度手を洗わなければならなくなったので、無駄な時間を割いてしまったようだ。
二刻程かけて入手したばかりの素材の仕込みをしてしまい、夜空を見上げる。
雲間から星の煌めきが覗き始めているので、明日は晴れるのだろう。
晴れであれば、明日は海の素材を集めをしてもいいかもしれない。
そんな事を考えながら作ったスープを飲み、思ったよりも良い味になったことに静かな微笑みを深める。
時々、一人で旅をしていて寂しくないのかと尋ねる者もいるが、世界にはこれだけ様々な素材があり、その数だけ新しいスープを作れるとなると、やることは無限にあるといってもいい。
集めた素材にはすぐに処理をしなければならないものも多く、アレクシスの旅は忙しいのだ。
とてもではないが、誰かと共に旅をし、共に過ごす時間や会話の時間を持ったりする余裕はないのだった。
食事と味見を済ませると、作ったスープに保管魔術をかけ、鍋ごと保管庫にしまった。
時間規則に介入したあわいの保管庫に、今日の一皿を保管するのは、スープに最も似合う皿選びなどもあるので戻ってからになる。
その時の趣味を反映し過ぎないように無地の白い皿しか使わないようにしているが、形状や質感などの拘りがあるのだ。
(夜風は少し、夜露、戦場からの終焉の気配と、凶兆の夜虹が少し…………)
レシピノートに記録をつけ、気候や周辺環境なども書き込んでおく。
こうして増えてゆく記録に関しては、アクス商会から度々買い取りの交渉を持ちかけられているが、スープは飲む者の事も考えて作るものだ。
不特定多数の者に卸すスープとして、レシピを売り渡すつもりはなかった。
片手を振って魔術展開を解除し、寝袋を取り出した。
簡易的な宿泊用の空間なども立ち上げられるのだが、森の中で過ごす時には出来るだけ、森の匂いを堪能するようにしている。
就寝間際や目覚めの瞬間など、人間の嗜好はどうにも欲深い。
そんな香りの変化や湿度などを感じ、必要とする材料が変化することもある。
夜明け前に一度目を覚まし、木の影のあわいから忍び寄り、首を掻き切ろうとした夜あわいの妖精がいたので、捕まえて羽だけを捥いでおいた。
妖精はその感情の変化で妖精の粉を落とすが、完全に捥いでしまった羽については、特殊な魔術加工をして妖精の粉を収穫することが出来る。
なお、この技術については、拡散されると妖精の乱獲に繋がり、今後のスープ作りに影響を及ぼしかねないので誰にも話したことはない。
羽を取られて泣き叫んでいる妖精本体は適当なあわいに放り込んでしまい、六枚の羽は丁寧に保管用の袋の中に入れておいた。
これもまた、良いスープになるだろう。
その後は特に問題なく、ゆっくりと眠った。
夜が明ける頃には森の外も静かになっており、この国の革命も一区切りついたようだ。
近くにある泉に顔を洗いにゆき、身なりを整えて朝食にする。
朝食では、この隣国で狩った精霊の祝福と、洞窟の奥にある地底湖で釣ってきた銀火山の鱒のスープを飲んだがやはり味がいい。
この出来であれば、ウィームに戻ってからネアにも振舞えるだろう。
(このスープの祝福効果は、水辺の災いを避ける。付与期間はふた月程だが、あるに越したことはないだろう)
可愛い娘の事を思うといい気分になり、今日の材料集めについて思いを馳せる。
「さて」
森を出て海辺に出るまでに、幾つかの獲物を狩った。
意図せず出会ったもの達ばかりだが、戦乱の土地で何をしようとしたものか、本来はこの周辺にはいないような精霊達が集まっていたのだ。
「…………相変わらず、人間とは何だろうと考えさせられる男だな」
「悪いが、お喋りに付き合っている余裕はない。この食材は足が早いんだ」
「死者の行列の横で、食材の下拵えをする人間はお前くらいだぞ」
「であれば、偶々だろう。良い食材があれば、誰だってこうする」
「…………するまいよ。出来るのはお前くらいだ」
呆れたような呟きを落としたのは死の精霊で、はたはたと風に揺れる黒い長衣は、聖職者の装いであった。
死を司るものが悪戯に聖者の服装を纏うことにさしたる疑念はないが、こうして下拵えの作業中に話しかけてくるのは煩わしい。
眉を顰め、手に持った包丁をくるりと回せば、ナインという名前であるらしい男は淡く苦笑した。
この精霊との邂逅は初めてではなく、最初に出会った時には、アレクシスはこの精霊の顔見知りの精霊を腑分けしていた。
振り下ろされた大鎌を包丁でいなし、食材の腐敗を早める死の精霊は早々に追い払ってしまったものだ。
こうして今も厨房には近付けさせてはいないが、この頃は興味深げに近くに留まるようになった。
片方の眉を持ち上げ、ちらりとそちら側を見る。
このような場所では擬態をすることもなく、風に揺れるアレクシスの髪は白い。
同色の爪と、肉を断てば血も白だ。
そんな容姿のせいでこの精霊の周囲にいた他の死の精霊達はすぐに逃げ出してしまったのだが、ナインは今も一人でこちらを見ていた。
銀色の髪に、鮮やかな紫の瞳。
髪色は白銀に近く、こちらを見る眼差しは愉快な玩具を見付けたような興味に輝いている。
これでスープを好む生き物であればまだしも、彼が好むのは味付けに失敗したスープや、切り方のまずい野菜の入ったものであるらしい。
となれば残念ながら、アレクシスとは折り合わないのだった。
「この近くにいた、林檎の木の精霊達はどうしたんだ?」
「鍋の中だ」
「…………そうか。だからこの周囲だけ、終焉の系譜がやけに色濃い訳だ。植物種の中でも、魅了の魔術に長けた乙女達だった筈なんだがな…………」
「ああ。あれ程に、スープの材料に向いた精霊もいないからな。捕まえ易く、仕込みも簡単だ」
「………会話が噛み合っていない気もするが、まぁ、お前はそうなるだろう」
刻んでいた野菜をスープの中に入れてしまい、火加減を調整して煮込みに入る。
手を洗い、かけてあるタオルで拭きながら、こちらを観察している精霊の方を振り返った。
「ところで、最近、俺の娘に興味を持っていると聞いたが」
「……………娘?」
「ネアの事だ。娘夫婦におかしな手出しはしないようにな。終焉の魔物の魔術残滓ならともかく、死の精霊はスープにすらならん」
「………ま、待て。あれは、お前の娘なのか?!」
「そうする事にした」
「言葉がおかしいだろう。そうする事にした………?」
ナインは酷く困惑していたようだが、スープの仕込みも終え、言うべき事は言ってしまったので、アレクシスは魔術展開を閉じるとその戦場を後にした。
(偶然ではあったが、間に合って良かった)
どうやらこの戦場には、林檎の木の精霊達が目をかける人間がいたらしい。
林檎の系譜は豊穣や誘惑を司る者でもあるが、同時に破滅や争いなどをも示唆する魔術の属性を持つ。
大方、気に入った男に戦で手柄を立てさせようとしていたのだろうが、今回の戦場に於いては、そちら側の方が不利であった。
無垢で軽薄な林檎の乙女達が騒乱に巻き込まれて蹂躙や略奪の憂き目に遭うのは明らかで、であれば枯れてしまう前にスープにして然るべきと言えよう。
どんな生き物も、食べられるものは無駄にせずにスープにするのがいい。
ふと、思い出してカードを開いた。
ウィームを出てからは半月程だが、そろそろ連絡が来ている頃合いではないだろうか。
なぜだかアレクシスは、スープの注文に関しては勘のようなものが働くのだ。
“ネアが、久し振りに羊のチーズのスープが飲みたいようだ。魔術の新しい定着が必要な要素があるのだろう。店に行けば、普通に飲めるものかい?”
案の定、ディノからの連絡が半刻程前に来ており、そんな質問がカードに揺れていた。
(そのスープであれば、…………)
勿論、他の店では作れるものではないが、自分と妹の店では簡単に作れるものだ。
用意させておこうと返事を書こうとして、自分が、そろそろスープを飲む者の反応を見たいと感じている事に気付いた。
娘ほどに、その反応が豊かな者はいない。
貪欲にスープの魔術を取り込み、どれだけスープに手をかけても損なわれず、意図した効果を適切に受け取ってくれるのは、あの子だけだ。
「………ふむ」
少しだけ考え、海辺の採取は手短に済ませてしまい、一度、材料などを置きに帰りがてら、ネアの為にスープを作りに戻ろうと考えた。
ウィームには、ハツ爺やジッタを含め他にもアレクシスのお気に入りの常連達がいる。
彼等には、今回作ったばかりのスープを飲ませてやろう。
“夕刻に、集めた材料を置きにウィームに戻る予定がある。今夜から明日の昼食までに店に来れば飲めるようにしておこう”
“……………では、今夜の、夜食時間の営業で店に行くそうだ。とても喜んでいるよ”
返事はすぐに来た。
それを読みながら淡く微笑み、けれどもと、少しだけ考える。
(あのスープをそこまですぐに飲みたいという事は、身に得た祝福や加護のどれかに、土地との親和性を削られている可能性もあるのか。その調和を図る為の、一口スープも用意しておいた方がいいだろうな)
体が欲するものを飲む時、ネアがどれだけ幸せそうにスープを飲むことか。
それを知っているだけに、アレクシスは微笑みを深めずにはいられなかった。
ジッタの飲み方も好ましいが、ネアは兎に角可愛い。
我が子の喜ぶ様子を望まない親などいないし、あれだけ高位の魔物でありながら、毎回瞳を揺らして美味しそうにスープを飲むディノの飲み方も気に入っていた。
(ディノの場合は、…………美味しい食事を摂るという喜び自体を、あまり知らなかったのだろうな)
ごく稀に、そういうお客に出会う事がある。
ジッタの養い子もそうであるし、ウィームに来たばかりの頃のエーダリアもそうであった。
他にも何人か、そのようにしてアレクシス達の店に通うようになった顧客がいる。
そして、スープを望みスープを愛する者達に、アレクシスはいつも最上のスープを提供してきた。
それが、スープの専門店の店主としての、失い得ない自負なのだ。
海沿いの町に出ると、まずは加工品などの食材を仕入れた。
久し振りに会う干物屋と少し話をしたが、最近は良い海竜が狩れないとぼやいている。
近々、ネイアから新しい武器を買うそうで、狩りの精度を上げると話していた。
約束していた保存用のスープで支払いをすませれば、漁から戻って朝食を済ませたばかりだというのに、すぐに一食分を温めている。
「ああ、やはりアレクシスのスープは染みるなぁ。この味だ、この味。こいつを飲まなきゃ、俺の新年は始まらんのだよ。…………この、野菜は何だ?食感がいい。美味いな…………」
「雪深い土地だけに咲く、雪飲み草の根を乾燥させてから水で戻したものだ。風土病の予防に効果がある」
「そいつはいい!何よりも、こうも美味いなら、幾らでも食べられそうだ」
「このスープに、この量が適量だろう。何事も、過分に取ると最良の旨味が逃げるからな」
「はは、違いない。ところで、今日も海の精霊王の畑を荒らすつもりなら、海竜の王族に注意しておけよ。最近、妙に交流があるようだからな」
「海竜か………。俺の娘とも交流がある者がいるらしい。娘の知り合いを狩らないようにしておかないとだな…………」
「おお、ネイアが話していた娘か!娘自慢なら、うちの娘夫婦も負けないぞ!」
古い友人と少しばかり娘の話をし、向かったのは海の精霊王の所有する畑の一つ。
私有地ではあるものの、元々この手の高位のものの畑や花園は、設けられた試練を超えた者には下賜されるという、魔術的な条件がある。
代わりに、その試練を克服出来なかった者は、魔術の誓約に於いて、魂まで取られてしまうというものだ。
(とは言え、この畑はもう勝手知ったるというところだが……………)
設けられている試練は昨年に足を運んだ時より五個程増えていたが、さしたる問題はなかった。
まずは、海の果樹園で果実の収穫をしていると、従僕の妖精に抱えられ、セレスティーアが駆けつけて来るのが見える。
「まぁ、またお前ですの!」
「試練は克服している」
「半刻もかからないだなんて、どういうことなの。いつも、自分の畑のように来るのはやめて頂戴!!」
「はは、もふもふだな」
娘も気に入っているようだが、アレクシスもこの海の精霊王の手触りは気に入っていた。
わしわしと撫でるとセレスティーアは怒っていたが、とは言えこの精霊は、理を違えない者に対しては害を為さないものだ。
また試練を増やすと息巻いていたが、女王らしい静かな眼差しで、現在の王権に関わる海竜を減らすのは推奨しないと忠告をし、どこか悄然とした様子で去っていった。
深い深い海の底で、水面に煌めく陽光の模様を見上げる。
周囲には果樹園が広がり、麦畑迄あるのだから不思議と言えば不思議な光景であった。
とは言え、地底湖の中にも葡萄園があるし、不思議な生き物達が守る雪山の中の酒の泉、忘れ去られた図書館の中に広がる農園や、精霊や妖精達の国の中にも市場がある。
この世界には、まだ見ぬスープを作る為の材料が、幾らでも眠っているに違いない。
(であれば俺は、もう少し魔術階位を上げたいところだな……………)
まだ幾つか、スープを作るのに足りない魔術階位がある。
調理工程をより滑らかなものにするにあたり、夏までには上げておかなければならないだろう。
階位上げには、高位の魔物かあわいの獣でも狩るかなと考え、娘の交友関係の問題もあるので、あわいの獣にしておこうと頷く。
娘が作った友人がいつの間にかスープになっていたりしたら、さすがに厄介な事になる。
やっと可愛い娘を得たばかりなのだ。
その娘に嫌われるような危険は冒せない。
「……………ふぁぐ!…………この、しゃりりっとした美味しいものは何ですか?」
「海の精霊王の畑で育った、野菜林檎だ。甘みが少ないが、祝福蜜がたっぷり含まれていて、体に熱を持たせるような、質の悪い祝福を流す効果がある。形ばかりは見栄えがよく、質が悪いものがあれば魔術洗浄になるからな」
「ブラウンシチューのような、美味しいお味でふ。………この素敵な酸味はトマトではなく、林檎さんなのですか?」
「ああ。真夜中の座で育まれたポロネギで、甘さを加えている」
「このネギさんが、とろとろほんわりしていて、なんて美味しいのでしょう!でも、薄味過ぎずに濃厚な美味しさもあるのです…………」
ゴルク山羊のチーズのスープを飲んでしまったネアは、アレクシスが用意した体調管理用の一口スープを飲み、体全体で喜びを表現していた。
小さく爪先をパタパタさせ、椅子の上で弾んだり満面の笑みになったりする。
与えたものをしっかり理解し、その上で全身で喜びを表現する娘を眺めるのは、材料集めに奔走した時間の後のこの上ない贅沢であった。
その隣では、ディノも出されたスープを目を輝かせて飲んでいる。
(……………贅沢な一日だ)
頬杖を突いてそんな二人を眺め、アレクシスは微笑んだ。
明日は水竜を少し入手する必要があるが、英気を養えたので、そんな材料集めにも精が出るだろう。
しかし、やはり娘は可愛いと妹に告白すれば、いつの間にか本当の娘のようにしていてとても怖いと渋面で言われてしまったのだった。
300話記念のアンケートで投票いただいた、アレクシスの材料調達のお話となります。
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体調が思わしくなく、明日2/19の更新はお休みとさせていただきます。
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