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126. やはりしでかしました(本編)




傘祭りの日の楽しみといえば、この議事堂での昼食会になる。



建物の中にあるウィームの最も美しい森の一つと呼ばれるこの議事堂は、ふくよかな琥珀色の床石の上に森の天蓋があるような素晴らしい造りなのだ。


大きな魔術を扱う者達は、幼い頃から森や湖などに寄り添い魔術を扱う心を緩める術を学ぶという事を生かし、議論などで昂る心を鎮める為にこのような造りになっていると言うが、ここまでの建築となればそれだけではない。


鎮めた心を豊かにするような美しさで会議中の冷静さを保てるどころか、個人的な問題で心を磨耗していた者達は、ここでの仕事を済ませるとその傷が癒されていたりもする程だ。



「………それも分かるような気がします。ここに来ると、素敵な森の影と光の色に、ゆっくり深呼吸したくなりますから」

「一つの付与魔術の形でもあるね。我々はこの議事堂の側に属する者だけれど、外からの来訪者に対しては、良きものを与えておく事でその対価を無意識に支払わせるという効果もあるのだろう」

「ふむ。確かに素晴らしいものを与えてくれた場所や人に対して、ついつい好意的になってしまうという事はありますものね」

「そうなるようだね。だからこそ、ものの形には相応しい美醜があると言われている」



視覚的なギフトとして機能するからこそ、美しいものは力を持つのだろう。

ネアはそこに、愛くるしい系の生き物ともふもふ、いい匂いのしそうな美味しいものも加わると心から信じている。



きらきらしゃわりと落ちた光の影を手のひらに映し、ネアはそんな当たり前の事について考えた。


それは、魔術などがなかった筈のネアの生まれた世界ですら、大きな力を振るい弱者には与えられなかった恩恵である。


景勝地に屋敷を構えるのも、美しいドレスやきらきら光る硝子細工も、その全ては力あるものにしか得られない特別なもの。

それを得る為の資金というものは、健康や才能という力がなければ稼げない仕組みであった。



(でもこの世界では、私の価値観に於いては特別だと思うようなものが、あちこちにあるのだわ………)



勿論、それを得る為にも資格が必要になる。


きらきら光る森結晶や団栗の形をした祝福石を拾おうとしても、可動域が低い人間にはそれは叶わない。

とは言え近年は、ムグリスの祝福を得られれば少し数値を上げられる事が判明した。


ネアは、そちら側の事情についても少しだけ思いを巡らせかけたが、自分さえ幸せなら構わない強欲さを発揮し、今はいいかなと思考ごとすぐにぺいっとやってしまった。



(今の私は、こうして、美しいものを美しいままに受け取る事が出来る。それだけで充分なのだわ)




その贅沢さを与えてくれた伴侶の三つ編みを握り締め、ネアは、目元を染めたディノに微笑みかける。

魔物はなぜご主人様がご機嫌で微笑みかけてくれるのか分からずに困惑していたが、嬉しそうに口元をむずむずさせていた。



ネアの得た幸福は、こうして大切な家族にだけ反映出来ればそれでいいものなので、自分の手に負えない物事まで憂うのはやめておくに限る。



「むふぅ。議事堂の中にいると、とても贅沢な気持ちになりますね。やはり住居としての役割りも備えているリーエンベルクとは違い、ここは壮麗さもお役目の内の建物ですので、これだけ広い吹き抜けの空間が作れたのでしょうか………」

「国としての威光を示す場所でもあったのは確かだろう。…………弾んでしまうのかい?」

「ローストビーフ様の匂いがしました!」

「かわいい…………」



ドーム状の屋根には、円形の空間の外周に立ち並ぶ柱から、枝葉を伸ばしたような美しい森の天蓋の装飾がある。


その上にあるステンドグラスは森の記憶などを結晶化させたものを薄く切り出し、本物の木漏れ日に勝る程の複雑で美しい光を作り出していた。


ネアが訪れるのは傘祭りの日ばかりであったが、曇りの日や雨の日には、また違う趣きの光が落ち、その美しさも格別なものであるらしい。



(いいな、雨の日の議事堂も見てみたい……………)



ネアの心は強欲なのでそう願ってしまうが、ここは遊興で開放出来るような施設ではない。

美しさもまた剣の鋭さとして、政治を動かし領地の繁栄とする為の大切な舞台なのだ。


遊びに来たいなどという我が儘を押し通す事は勿論しないが、いつか、雨の日に議事堂を訪問出来るような機会があれば、必ずその機会を利用しようと狡猾な人間は企んでいる。



(それに、年に一度はここで昼食をいただけるのだもの。今日は、その時間をたっぷり楽しもう)




こつこつと、琥珀色の床石を踏み、ガーウィンの天上湖で作られた円卓に向かう。


騎士達の休憩所や昼食会場は、議事堂の主要な部屋であるこの部屋の外周の廊下に設けられており、そちらには賓客として招かれた領内外の貴族達も集まる。

今日ばかりは、こんなに美しい会議室の外側でこそ、社交と政治の駆け引きも行われているのだった。



なお、グラストもそちらで昼食となるので、ゼノーシュにとっての傘祭りの日は、一日中気の抜けない戦いの日になるのだろう。


傘祭り会場よりは無差別感はないものの、ここには、グラストとの縁を、より現実的に望める貴族のご婦人方がいる。




「失礼いたします」



そんな時の事だった。

凛とした涼やかな声が響き、靴音を立てて会議室の中に入ってきた人物がいる。


おやっと振り返ったネアは、すらりと伸びた背筋と歩みに合わせて揺れる青いケープを羽織った青年と、そんな青年を慌てて追いかけてきたリーエンベルクの騎士に目を瞠った。



「ま、待ちなさい!!伝言があれば、こちらで伺うと言っただろう!」

「彼はもう、この建物の中にいる。直接エーダリア様にお話しした方が良いでしょう」

「こらっ!」

「やれやれ、僕はもう、あなたの近所の小さな男の子ではないんですよ。……………お騒がせしまして申し訳ありません。ご不快にさせます事を承知の上で、こうしてご報告に参りました」



このような時、ヒルドの動きは素早かった。


エーダリアをノアに預けると、その前に立ち、剣に手をかけている。

ネアは伴侶に持ち上げられてしまい、魔物達はどこか酷薄で冷ややかな眼差しを不躾な侵入者に向けたようだ。



「それを承知の上であれば、正式な形を取るべきでしたね。我々は、リーエンベルクの騎士達を無能だとは思っておりません。報告の類は、彼等を通しても充分でしょう」

「かもしれません。ですが、皆様は少々……………取り込んでおられまして。口の軽いご婦人方の輪に分け入り、この話をするのは無理がありました」



きっぱりとそう言い切った青年は、魔術学院の学生のようだ。


透明感のある不思議な質感の黒髪には僅かな癖があり、瞳の色はふくよかな青緑色である。

身長がかなり高く、竜種の血族だろうかと考えてしまうような体格だが、ネアはなぜだか違うような気がした。



こちらを見据えた眼差しには、きっちりと引き絞られた覚悟のようなものがあった。



だからだろうか。

一人の魔物が、そこに目を止める。



「じゃあさ、こうしようか。君の報告するべきだと考えていることを、ここで話をしてみてよ。君が押し入った経緯は兎も角、その話に確かな緊急性があれば、その情報の有用性を懲罰から差し引きしよう」



そんな提案をしたのは、ノアだ。

青年の言い分を真に受ける形になるからか、ヒルドは賛成しかねるという表情であったが、ノアと顔を見合わせると諦めたような溜め息を吐いて頷く。



(……………もしかして、ノアは敢えてあの青年をこの部屋に入れたのだろうか)



不思議なくらいに落ち着いているノアの姿に、ネアはそんな事を考えた。

中にはエーダリアもいるのに、この会議室の扉が簡単に開いてしまった事に、そもそも違和感を覚えたのだ。


ヒルドが視線を戻せば、青年は深々とお辞儀をした。

儀礼的な優美さと凛々しさがあり、けれども卑屈には見えない所作は魔術師というよりも騎士向きに思え、ネアは、場合によってはこの青年はお買い上げではなかろうかと考えてしまう。


このような場面での判断の材料を持たないネアにも、もし、ノアが敢えて引き入れてやったくらいには信用しているのであれば、この人物はなかなかの逸材なのではないだろうかと察せてしまえたのだ。



(もしかすると、この青年から感じる彼の人となりこそが、ノアに話を聞いてみようという判断をさせたのかもしれないけれど、外で起きている何かを既にノアが把握している可能性もあるのかな…………)



「端的にお話しさせていただきますと、同級生の一人であるニニアードという者が、己の虚栄心の為に騒ぎを起こそうとしております。彼に出来る事くらいであれば、僕が隣から手を伸ばして叩き潰すのも容易いでしょう。ですが、彼がその為の道具を取り寄せたのは、ガーウィンのアリステル派の教会の司祭達でして、そこに懸念を覚えております」

「……………おや。それはそれは」

「噂に聞くガーウィン伯の子息だな……」



エーダリアの言葉に、ネアは、あやつかと半眼になった。


案の定と言えば簡単な言葉であるが、幾ら問題を起こすことを懸念されていた人物でも、本当に騒ぎを起こされては堪らない。



「僕の見立てでは、彼が取り寄せたものはさしたる道具ではないように思えます。けれども、所詮僕は学生の身分に過ぎません。騎士のお一方に話をして上に上げていただくより、こうしてエーダリア様やヒルド様、…………そして、高位の魔物様にお伝えして、判断していただく方が良いと考えました」



青年の硬質で低めの声は、とても聞き取り易い。


ネアはふむふむと頷いたが、ノアは魔物らしい嘲るような乾いた微笑みを浮かべた。


騎士服でそれをすると、不思議なくらいに悪辣とした仄暗さを感じるのもまた、何だか予期せぬ秘めやかなものを見たようで、ネアは密かにどきどきしてしまう。



銀糸の髪に青紫の瞳の騎士に擬態した塩の魔物は、はっとする程に美しく見えた。



「うーん、思ったより根拠がないね。寧ろそれだけの材料しか持たずにここに押し入ったのなら、僕は君こそが虚栄心に突き動かされていると思うかもよ」

「………かもしれません。自分ではこの懸念は無視してはならないと思いましたが、その考えが僕の独りよがりな確信ではないとは言えないでしょう。その場合は、こうして領主様方の足元を騒がせました事を、心よりお詫びし責任を取らせていただきます」

「…………っ、だから俺に任せてくれと言ったんだ!」



そう声を荒げたのは、リーエンベルクの騎士だ。

今は階位を持たない騎士だが、託宣に近い特殊な固有魔術を持つらしく、やがては席次を得る一人だろうと言われている有能な人物である。


先程のやり取りからすると、直接の親族ではないようだが、近所のお兄さんのような立場だったのだろうか。




「…………君には、それを放置してはならないというような予感があったのかな?」



そう尋ねたのは、ディノだ。

ネアは、その静かな声に僅かに目を瞠り、黒髪の青年はこちらを見てゆっくりと頷いた。


なぜその瞳に微かな絶望が揺れたのだろうと考え、ネアは青年の返答を待つ。



「……………はい。最大の警戒を以ってあたらねば、厄介な事になると、なぜか強く思うのです」

「それなら、そうした方がいいかもしれないね。ノアベルト、この青年は災いの天秤を持つようだ」

「……………ありゃ」




(災いの、天秤……………?)




ネアがこてんと首を傾げると、それに気付いたディノがふわりと微笑んだ。


同時にヒルドも激しい反応を示し、慌てたようにエーダリアから何かの許可を取っている。

しっかりと頷いたエーダリアの表情は厳しく、ネアはへにゃりと眉を下げた。



「……………その方の懸念は、当たりそうなのですね?」

「間違いなくね。災いの天秤は、物事がどのような側に傾くのかを知覚する、災いを知る感覚の持ち主だ。ただし、発覚の段階では不成立に近しく、今回のように明確な理由がない主張としかならない事が多いので、迫害され易くあまり残らない血筋だよ」

「まぁ、遺伝する能力なのですね?」

「うん。その一族の末子にのみ伝わる固有魔術のようなものだ。残念ながら祝福ではなく、呪いが伝わってのものだからあまり表の世には出てこないのだけれどね………」



そう教えてくれたディノは、なぜか、そっとネアの頭を撫でてくれた。

どこか気遣わし気にされてネアは目を瞬いたが、彼が身に宿すものが呪いだと知って、ネアが怖がらないかどうかを気にかけてくれたのだろう。



「まったく。それを先に言わないからこそ、僕の判断に偏りが出たんだけど?」

「も、申し訳ありません。………すぐにお伝えしようとしたのですが、…………禁忌とされてきたものですので、言葉にするのに躊躇いが出てしまいまして」

「もしかして、災いの天秤の事は誰にも言うなと言われて育ったのかい?ってことは、君はきっとウィームの出身者じゃないんだろう」

「………生家はヴェルリアです。実の肉親とは縁を切りました。今は、ウィームに暮らす養父に引き取られてこちらに暮らしていますが…………」



青年が自分の履歴について語る間に、ヒルドは、彼が持ち込んだ案件についての手立てを整えたようだ。


青年がウィームで暮らすようになった経緯については、ロジという名前だったらしいリーエンベルクの騎士が重ねて説明してくれる。



「彼は、パン職人のジッタの養い子です。ヴェルリア貴族が捨てた子供を、たまたま仕入れで王都に出ていたジッタが引き取ったようでして。……………災いの天秤持ちだとは、知りませんでした」



(……………あ、) 



ネアはこのような場所でそこまでの事情を明かす必要があるのだろうかとひやりとしてしまったが、すぐにそれは必要な事だと理解した。


危うい固有魔術を持つ青年がヴェルリアの血統だと判明した以上、その土地との縁が薄い事を補足しなければ、いらない疑惑をかけられかねない。




「…………そう知っても、あなたも僕を忌避はしないのですね」



ぽつりと響いたのは、青年の声だ。

どこか途方に暮れたように知り合いである騎士を振り返った青年に、柔らかな水灰色の髪の騎士は呆れたような顔をしている。



「だからジッタは、俺にシルタの指導を任せたのか。いいか、俺も災いの天秤持ちだ。発現の回数はあまり高くないけれどな」

「…………え、」

「ウィーム領では、俺以外にも災いの天秤持ちの一族がいる。これは、元々は託宣の精霊の血に障る呪いで、ウィームの水はその鎮静化に効果があるらしく、その呪い持ちが集まり易いからなんだが………」



呆然としたように立ち尽くしていた青年に、水灰色の髪の騎士はやれやれと笑ってみせた。

しかし、すぐに騎士らしい表情に戻ると、自分の方を見たエーダリアに騎士の礼をしてみせる。



「ロジ、彼に協力して事態の対処にあたってくれるか?」

「御意。ですが、信仰の系譜の術具などが対象物の場合、俺一人では抑えきれないかもしれません」

「ああ。ゼベルを同行させ……」

「僕が行くよ。シル、ここを少し任せていいかい?」

「構わないよ。ガーウィンのものだからかな」

「他領のものだし、信仰の庭のものって、仕込んだ本人達にも思いもよらないような効果があるかもしれないからね。……………あれ、どうしたんだい?」



どうやらその問題の対処には、ノアも向かってくれるようだ。


ほっとしかけたネアは、なぜか、おずおずと手を上げたロジという名前であったらしい騎士に、おやっと視線を向けた。



「……………その、大事にはならないと思いますよ。この場に、ネア様がいらっしゃるので」

「……………え、もしかして厄除け的な?!」

「なぬ。なぜこちらを見るのだ」

「俺の目に映った災いの類は全て、近くにネア様がいると、ネア様が引き寄せて木っ端微塵に…解決してしまわれるんです。なので、恐らく………」



あんまりな意見を述べられ、ネアはふるふると首を横に振った。


確かにネアがリーエンベルクに来てから、騎士達の負担がかなり減ったとは聞いているが、それはディノ達がリーエンベルクに暮らすようになったから回避されるものが増えたという事に他ならない。


ご期待に添えるような役割は果たせませんと言おうとしたその時、こつこつとノックの音が響いた。

同時に魔術通信にも連絡が入ったものか、片方の耳を押さえたヒルドが、僅かに瞳を揺らす。



「……………エーダリア様。グラストからの一報です。ニニアードという青年が、こちらでの休憩中に奇妙な傘を見付けたという報告を上げているそうです」

「そうか。学院の実習生達も、この議事堂内で交代で休憩を取っていたのだったな………」



エーダリアとヒルドの視線が、なぜかこちらを見たようだ。


ネアは、たまたま同じ屋根の下にいただけで、まだ自分は何もしておりませんと伴侶な魔物の乗り物の上でもう一度ふるふると首を横に振ってみたが、なぜか全員がこちらを見ている気がする。




「ありゃ。因果が収束し始めたぞ………」

「むぅ。厄介なものを木っ端微塵にするのは吝かではありませんが、因果は関係ないのでは………」

「ネア、私から離れないようにしておいで。災いの天秤と言われるのは、それだけの災いを成すものを彼等が見付け出すからなんだ。近くにあるのであれば、私とノアベルトで対処してしまうから、触れないようにするんだよ」

「ビーズの腕輪を使います?」

「え……………」



ビーズの腕輪には、傘祭りの間にそれをつけた者を守る役割がある。

ネアとしては当然の提案をしただけなのだが、なぜか部屋の中はしんとなった。



「………そうか。ネア様のビーズの腕輪なら、銘のある武器も壊すくらいだ。……エーダリア様、ヒルド様、俺が出向きましょう」

「………いえ、であればそのままグラストに対処を任せましょう。それで構いませんね?」

「ああ。そちらにはゼノーシュもいる。その術具の効果などが残らないかも含め、彼等に任せよう」

「わーお、一瞬で解決したぞ。念の為に聞くけれど、今年のリボンにも…………」

「はい。グラストさんのビーズの腕輪にも、隠しきりんさんがいますよ」



ネアが勿論であると頷けば、エーダリア達は妙に重々しい眼差しを交わすと、事態は収束したようだと呟いている。


シルタという青年は困惑しているが、くすりと笑ったロジにがしりと肩を組まれてしまい、すぐにわかるさと背中を叩かれている。



「ロジ、彼の処分が決まるまで、休憩も含めてとなりますが、その青年の身柄を預けても?」

「俺が責任を持って彼を預かりましょう」

「任せましたよ。傘祭りの傘達には、羽目を外し過ぎるものも多い。動揺を残して実習にあたり、不手際があっては困りますからね。しっかりと休憩も取らせるように」



思わぬ形で事態が解決してしまう流れになり、シルタという青年はおろおろしている間に、ロジに連れられて退出させられてしまう。


ネアは、ヒルドの言葉に、シルタという青年に、引き続き沿道警備の実習をさせるという指示も付け加えられていたことに、少しだけほっとした。




再びこの大会議室の中が静かになると、ヒルドはふうっと大きな溜め息を吐く。

そして、ノアに向き合った。



「この部屋には独自の遮蔽結界があった筈です。彼を通したのは、あなたですか?」

「ありゃ、ばれた?」

「……………そのような事をするのであれば、事前に私に一言があって然るべきでしょう」



(…………ノアもいるのに、どうしてここまで来られてしまったのかと不思議だったのだけれど、やはりわざと通していたのだわ)



ヒルドに叱られている義兄を見ながら、ネアは、ディノの三つ編みをくいくいっと引っ張って床に下ろして貰った。


ディノは暫くどこか遠くを見るような目をしていたが、ややあって一つ頷くと、問題は解決したようだねと呟く。




「ノアベルトは、問題が起きると分かっていたのか?」



無事に昼食が始まり、ほかほかのシュニッツェルやローストビーフが運ばれてきてから、ノアにそう尋ねたのはエーダリアだ。


どこまでが偶然でどこからが必然なのかについては、ネアも気になるところだったので、素敵な一口を噛み締めながらそちらを見る。



にっこり笑った塩の魔物の前に置かれているのは、密かな好物のシュニッツェルだ。

森の木漏れ日の光の煌めく会議室の中には、再び穏やかな空気が戻りつつあった。



「何もかも思い通りって訳じゃないよ。妙なものをここに持ち込んだ誰かがいるなって事が分かっていたのと、あの学生と騎士のやり取りが敷いてあった魔術で拾えたくらいかな。災いの天秤ってことも、シルみたいにすぐには気付かなかったくらいだしね」

「あの魔術は、発現時に周囲の魔術基盤に僅かなさざ波を立てるものなんだ。彼が入ってきたときに、足元の魔術が揺らいだんだ」



ディノが気付いていたのは、シルタという青年がその呪いを背負っている事くらいだったと言う。

持ち込まれた術具については、展開されていない状態だったので感知出来ていなかったらしい。



「ただ、事前に見付けられなかったくらいのものであれば、ここでは、その術具を使う事は出来なかったと思うけれどね」

「まぁ、そうなのですか?」

「うん。私やノアベルトが排除するまでもなく、元々この建物に敷かれた魔術に触れただろう。この建物そのものにも強固な排他魔術がかけられているんだよ」



ディノのその言葉にはエーダリアも頷いており、議事堂には、特殊な守護魔術がかけられているらしい。

この場所に集められるのは、組織の長達ばかりだ。

もし襲撃や侵食を可能としてしまうと、大変な事になる。


標的にされ易い施設には、相応の備えがあるのも当然だった。



「ですが、災いの天秤というものに反応があったということは、その備えを超えてしまう反応を示すものが持ち込まれたのでしょうか?」

「うーん、そっちじゃないと思うよ。あの呪いはさ、結果的に災いをなすものを見付けるんだ。だからこそ、本来は国や組織で重用されてもいい能力なんだけど、評価されない。それどころか、さしたる事ではないのに大騒ぎしたとして寧ろ懲罰の対象になり易いくらいなんだよね。迫害を招く為に与えられた、災いを見つけ出す目の呪いだって言えばいいのかな?」




(ああそうか。だからあの青年は、自分がそのような処遇に陥ることも覚悟の上でここに来たのだ)



知り合いであるらしいリーエンベルクの騎士も頼らず、不敬とされても仕方のないくらいに強引な訪問には、彼等の背負う呪いの履歴があるのだろう。



シルタの生家の一族が彼を見捨てたのは、その父親である人物も同じ力を持ち、その呪いに辛酸を舐めさせられたからであるらしい。

一族の末子だけが引き継いでゆく呪いであるので、その父親はシルタに呪いを引き継がせ、自分はそこから逃れられている。


後はもう、その子供をどこかにやってしまえば、呪いとはおさらばという事なのだった。



「恐らく、彼の父親は我が子を殺す事までは出来なかったのだろう。他国では国を惑わせる呪いを吐く子供として、殺してしまう事が圧倒的に多いのだ。その呪いを知る親ですら我が子を殺すのは、……………災いの天秤というものの、発現の危うさが所以するのだろうが、痛ましい事だな………」



災いの天秤に載る事象は、災いが訪れる事を誰かに忠告するにあたり、その力の持ち主を苦しめる災いでなければならない。


災いが起こる事を告げなければ、感じた不安の通りに災厄が結ばれてしまう。

しかし、災いについて忠告をすれば、それが原因で窮地に立たされかねなくなるようなもの。



だからこそそれは、持ち主を苛み破滅させる呪いたりえるのだった。




「むぐ。……………ローストビーフは最高です!………むぐ。……………つまり、ウィームではその方達の扱いは、真っ当なものなのですね?」

「ずるい。可愛い…………」

「ああ。そうあろうと心掛けている。結論から言えば、彼等が見つけ出す災いは、本来なら起こり得ないと、我々が見落としてしまうようなものだ。正しく呪いの形を知れば、それを見付け出せる人材をみすみす逃す手もないだろう」

「そうなると、先程の方も、いずれはリーエンベルクの騎士さんになるのでしょうか?」

「ロジには感知出来なかった災いを見付け出したのだから、こちらとしてはそうしてくれると有り難いのだが、………魔術構築と飲食用の祝福の専攻だと聞いているので、養父のパン屋を継ぐのかもしれないな」




ネアは、そんな青年の養父であるパン屋のご主人が、パン業界のアレクシスのような御仁であると聞いて、遠い目になった。


サムフェルの入場資格も持っていると知れば、ウィームの一般領民はどうなっているのだという気持ちになるのは致し方あるまい。



「……………僕もさ、あのパン屋には敬意を払ってるよ」

「何があったのだ………」

「ノアベルトが…………」

「ディノ様については、恐れる事はないかと思いますよ。ジッタードは、ディノ様を慈しむ会の会員のようですから」

「まぁ、ディノにも会があるのですね?」

「……………会」



初耳だったらしい魔物はとても震えていたが、そのパン屋の店主は、ウィームでの暮らしを無垢に楽しむ高位の魔物を見かけて微笑ましく思い、季節の祝祭の記念品や食べ物を楽しむ魔物を愛でる会のようなものを立ち上げたのだそうだ。



「むぅ。まさかの会長さんでしたね。そう言えば、四角ケーキの屋台のご主人も、ディノにケーキをおまけしてくれましたので、そのようなものなのかもしれません。ディノは、パン屋さんの事を覚えておき、もし街で困る事があったらその方にご相談してもいいかもしれません」

「……………そうなのかい?」

「ええ。ディノには色々な事が出来ますが、その方達の方が長けている事もきっとあるでしょう。ふふ、ディノに、また心強い味方が増えてしまいましたね」



そんなパン屋のご主人は、加えてエーダリアの会の会員でもあるようだ。


エーダリアは、それは何の組織だろうと無防備に瞠った目を瞬いていたが、ネアは、そんなウィーム領主の表情を見ながら件のパン屋さんの嗜好が読めた気がするぞと内心ほくそ笑んでおいた。




「むぐ!」

「……………可愛い」

「ローストビーフ様は正義でふ。リーエンベルクのローストビーフとは味が違うので、こうして違う種類のものを食べられる機会もまた、美味しくて幸せな時間なのです」




こうして、傘祭りに仕掛けられていた小さな事件の一つは、未然に防がれたようだ。



ガーウィン伯の息子は、おかしな傘が落ちていたという名目で、予め仕入れておいた術具を持ち込み、発見の手柄を得ようとしていたらしい。


本人はそこに仕掛けられた術式を発動させるつもりはなく、物としては、傘に見立てた暗器のようなものだったそうだ。

ビーズの腕輪を押し当てられ、じゅわっと溶けて消えてしまった術具を見て、呆然としていたと報告された。



ディノの見立て通り、その術具自体はさして問題のあるものではなく、ウィームでは子供騙しの玩具程度にしかならないようなものであった。



「だからこそ、ウィームに持ち込む際には問題にならなかったのだろう。今回は、担当教授が、術具の入手経路から一件の思惑に気付いた事にして、懲罰を与えるようだ。沿道警備はリーエンベルクからの依頼でもある。この祝祭にそのようなものを持ち込んだ事については、こちらからも魔術契約に則った魔術賠償を請求する事になるだろう」



祝祭に起きた不愉快な事件と一概に結論付けられないのは、今回の事件でリーエンベルクに二つの利点があったからである。



エーダリアからそう聞き、ネアは少しだけほっとした。



魔術師としての才能はある人物のようなので、彼が卒業後に要職などに就き、問題を起こせばより厄介な事になった筈だ。

学生の内に枷をかけられたのは、ある意味幸いだったのかもしれない。


ニニアードにその術具を手配してやったガーウィンの司祭達は、愚かな青年を利用してウィームの領主や祝祭に傷を付ける為の経路を探り、狡猾にこちらの反応を見守っていたのではないかというのがウィーム側の読みだ。


今回はあくまでも経路確認でしかなく、発覚せずに済めば、次回以降に何らかの騒ぎを起こそうとしていたのかもしれない。


けれども、その場で災いをなすものではないからこそ、シルタの目がそれを見付ける事が出来た。

そしてリーエンベルクでは、シルタという、もう一人の災いの天秤持ちの存在を確認出来たのだった。



呪いを正しく利用するというのはこのような事なのだと教えてくれたノアの言葉に頷きながら、ネアはふと、かつて災厄の訪れをネアに告げていた、あの黒い車の幻影について少しだけ考える。



しかしそんな思いも、ローストビーフがお代わり出来ると知ると、儚く消えてしまったのであった。













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