帰り道とパンケーキ
こつこつと石畳に踵が鳴る。
ゼノーシュは、隣を歩くグラストを見上げてくすんと鼻を鳴らす。
「ゼノーシュ?」
「……………ごめんなさい。僕、意地悪?」
小さな声で尋ねると、グラストは目を瞠った後で優しく微笑んだ。
仕事の帰り道なので、ふわりと翻るケープには冬仕様の毛皮の縫取りがあり、腰には愛用の剣を下げている。
先程まで、大きな障りの熊を退治したグラストは、その土地を治めていた貴族の女性から、屋敷で労いたいと言われていた。
疲れているようなので、屋敷で休んでゆけばいいと言うのだ。
障りの熊は命の核である魔術式が常に移動しており、ゼノーシュが核を特定するまで、グラストはその熊と一人で対峙しなければならなかった。
なので、グラストは確かに疲弊していたと思う。
『騎士さまはお疲れでしょう。美味しい紅茶を淹れますわ』
しっとりとそう微笑み、グラストの腕に触れたのは、長い金髪がくるくるしており、青い瞳をしたまだ若い女性だ。
ゼノーシュは特に何とも思わないが、人間の中では美しいと言われる女性なのだろう。
胸がむかむかしたゼノーシュは、さっとその腕を取り返して、おやつのパンケーキを食べるので、グラストはすぐに帰るのだと宣言する。
どうしても、その女性に近付けたくなかったのだ。
『まぁ。可愛い君は、少しだけ意地悪なのね?騎士さまを休ませて差し上げなさいな』
そう言われたゼノーシュは愕然とした。
意地悪だと思われてしまったら、グラストはゼノーシュに失望してしまうのではないだろうか。
そう考えると悲しくなり、こうして無事に帰れるとなっても、歩きながらしょんぼりしてしまう。
おまけにグラストは、帰り際になぜだか、ゼノーシュを置いてその女性の屋敷に一人で入って行ってしまったのだ。
何やら妙に慌てた様子でその女性と話していたので、二人は密かに仲良くしているのかもしれない。
その瞬間のことを思い出すと、心がくしゃりと押し潰されてしまいそうになって、またきゅっと手を握り込む。
「意地悪なのは、俺の方かもしれないな…………」
けれどもなぜか、グラストはそんなことを言って、ゼノーシュをひょいっと抱き上げて片手の上に乗せてくれた。
慌ててその肩に掴まると、グラストが近くなってついつい嬉しくなってしまう。
びっくりして目を丸くしていると、こちらを見てにっこりと微笑んだグラストは、内緒話をするみたいにして唇を寄せて声をひそめる。
「………実は、あのご婦人の夫君は、有名な飴菓子の職人なんだ。ご婦人は討伐の謝礼ということにして、以前から注文していた特別な飴菓子の詰め合わせを渡してくれようとしていたんだが、俺がゼノーシュに秘密にしていたのを知らなくて、ゼノーシュが飴を注文しておきながら気を変えたのだと思ったらしい。……………すまない」
「………………それって、……僕には秘密だったの?」
「ああ。騎士の祝祭の為に、打ち合わせや練習が多くて寂しい思いをさせたからな。終わってから渡そうと思っていて、ついつい隠してしまった。……………さっきも、その場で言えば良かったのに、言い出せずに悲しい思いをさせた。……………ゼノーシュ、許してくれるか?」
「そのお菓子、僕にくれる為に内緒で用意しようとしてくれていたんだね?」
「はは、俺はそういうのが苦手でな。逆に不自然になってしまった」
そう苦笑したグラストに、ゼノーシュはふるふると首を振った。
抱き上げてくれているその肩に体を寄せて、こうして大事にしてくれるグラストの温度を感じると、幸せでいっぱいでにっこり笑顔になる。
「ごめんなさい、グラスト。僕は魔物なのに、グラストが僕のために頑張ってくれていたことに気付かなかったんだね。グラストのことを意地悪だなんて思わないよ!僕、グラストのこと大好きだもん!」
そう言うと、グラストはほっとしたように微笑んだ。
「そうか。じゃあ、そんな優しいゼノーシュには、リーエンベルクに急いで帰って、早くパンケーキを食べさせてやらないとな」
「うん!グラストも一緒だよ!」
幸せな気持ちで唇の端を持ち上げた。
公爵の魔物が歌乞いと契約するなんてと、呆れた顔をする魔物達もたくさんいる。
けれどゼノーシュは、そんな魔物達はとても可哀想なのだと、怒ったりはしない。
こんなに大好きなものがないだなんて、きっと毎日退屈なのだろう。
(だから、僕は歌乞いの魔物になって良かった!グラストの側にずっといるんだ!)
だけど、騎士棟に帰ったら飴菓子について話をした方がいいかもしれない。
特別なお菓子なら、一刻も早く食べたいと思うのは仕方のないことなのだ。
そう考えて頷くと、グラストが小さく微笑む気配がした。