124. 傘選びで飛び去ります(本編)
ネア達はその日、ウィームにある封印庫へ傘祭りの傘を選びに来ていた。
白大理石の壮麗な建物は、神殿のような円柱と半円形のドームが雪のウィームによく映え、そこにはいつもの三人の魔術師の姿がある。
円柱の奥には、エーダリアが何度見ても素晴らしいとうっとりしてしまう魔術刻印の扉があり、馬車を降りたところからもぼうっと青白く輝いて見えた。
ディノの伴侶になる迄は見えなかったその輝きは、ほんの少しでもネアの可動域が上がったと言う証拠に他ならない。
なのでネアは、この魔術刻印が大好きだった。
今年は厄介な傘の入庫はなく、最も懸念される傘が、せいぜい呪いの布怪人を使ったものというくらいであった。
傘の材料が呪いの布怪人だという段階でネアにはもうちょっとよく分からないのだが、一枚布としてお店などに隠れており、獲物を捕まえると巻きついて振り回して殺してしまう恐ろしい生き物であったらしい。
(それはもう、だいぶ宜しくないのでは………)
何と邪悪な生き物なのだと慄くネアに対し、エーダリアは真顔で、国などを傾けるものではないと教えてくれたのだが、どうしてその言葉を不思議そうに伝えられたのかがネアには理解出来なかった。
「そんな布怪人さんは、どうして傘にされたのでしょう?」
「十人目の犠牲者の息子が、その怪人を討伐したのだが、死後も辱めを与えると言って傘にしてしまった」
「まぁ、報復の為だったのですね」
「豪雨の日や、雷の日、クッキー祭りなどで愛用していたそうだ。そんな傘の持ち主が老衰で亡くなってな。その傘が封印庫に収められることになった」
「クッキー祭りで使うのは、立派な報復になると思います…………」
あれだけ激しいクッキーの襲来を防いだのであれば、傘の強度はかなりのものなのだろう。
さすが元怪人と言うべきなのだが、ネアは、その傘に貼られた布は、どちらが顔でどちらが手足というような裏表があるのかが気になって堪らなかった。
(顔が内側だったら怖いけれど、復讐の為に傘にしたのなら外向きだろうか………。でもそうなると、畳んだ傘を持っている時に触れそうで嫌だな………)
「もう一つ、履歴のある傘がございます。とは言えそちらは、風の虐殺王の傘持ちの傘という程度ですので、さしたる問題はないでしょう」
そう告げてにっこり笑った封印庫の魔術師は、いつものぴょこんとした美しい飾り羽のついたベレー帽をかぶった三人のご老人の一人だ。
三人とも小柄だが、昨年はアルテアも足を滑らせて落ちた難所をひょいひょいと渡ってしまった猛者達なので、その実力は計り知れない。
銀鼠色のローブの下から覗く長衣の真紅は、艶やかさよりも洒落者めいた印象を与え、これだけの規模の封印庫を収める魔術師でありながら、どこか親しみやすい雰囲気もある。
しかしそんな魔術師は今、虐殺王と言わなかっただろうか。
「…………エーダリア様、虐殺王さんは、さして問題のない範疇の方なのですか?」
「わーお。それって、精霊殺しのジョーディ王のことなんじゃ………」
「ああ。ウィームの古い王の一人だったらしい。その傘持ちの傘は、代々その一族が保管していてくれたのだが、どれだけ手をかけて保存していても傘は空に帰るものだ。そろそろ傘の寿命がきたようだと、こうして封印庫に届けられる運びとなった」
「ディノ、その王様を知っています?」
「…………確か、南風の精霊王を、一人で討伐した人間の王ではないかな。その際に、精霊の騎士団を壊滅させたので、風の虐殺王と呼ばれたようだよ」
「………普通めの傘とは何なのだ」
ぎりぎりと眉を寄せたネアは厳しい眼差しになったが、為政者の日用品として、敢えて大きな力を宿さずに魔術を生まないように整えられた道具は、この封印庫では一般的な傘として扱われるのだそうだ。
傘としての来歴がどれだけ華やかでも、普通の道具とそうではないものはまた別の問題である。
虐殺王の傘持ちが代々受け継いできた傘には、相応しいだけの祝福が宿るものの、それに比べると、近年に作られた高位の竜骨を使った傘などの方が厄介なのだった。
「となると、今年の怪人の傘はシルか僕かな。調べて問題がなければ、エーダリアがその傘持ちの傘がいいよね?」
「いや、私は目当ての傘があってな。リーエンベルクにあった、祝祭用の飾り傘が壊れてここに納められている。どうせなら、あの傘を最後まで見てやりたい」
きっぱりとそう言ったエーダリアに、封印庫の三人の魔術師達は顔を見合わせ、にっこりと微笑みを深めている。
おやっと目を瞠ったノアも微笑み、ヒルドはこちらを振り返りはしなかったが、どこか満足げであった。
(こういうところなのだ…………)
このウィームの領主は、こんな言動ですぐに信奉者を増やしてしまういけない人気者なのである。
現に、公爵位の塩の魔物はすっかり誇らしげになってしまい、自分の契約者はこうなのだぞと言わんばかりに軽やかに廊下を歩いているではないか。
封印庫の魔術師達も、きっとこの領主がお気に入りなのだろうなぁと考えながら、ネアは、怪人の傘はあまり得意ではなさそうな魔物の三つ編みを引っ張って歩いていた。
「ディノ、一度その傘を見てみて、あまり得意ではないようだったらノアに任せましょうね」
「ノアベルトは大丈夫かな…………」
「むぅ。その場合は私が引き取りますが、暴れん坊だった場合は、まずは躾からでしょうか」
「ご主人様………」
「わーお。また下僕にしようとしているぞ…………」
「まぁ。下僕ではなく、獣さんの躾のようなものですよ。とは言え怪人さんは、………どのような区分なのでしょうか?」
こてんと首を傾げてそう尋ねたネアに、魔物達はどこか困惑したように視線を彷徨わせている。
代わりに答えてくれたのは封印庫の魔術師の一人で、ぴょいと指を立てて、悪戯っぽく微笑んだ。
「今回の怪人は、馬寄りですな」
「……………布が、馬………」
「純粋な馬と言うよりは、若干、燕寄りですがな」
「………心が迷路に入りました。もう、布怪人で全てを包み込みますね」
「馬で、…………燕なのだね………」
その時のネアの心はもう大混乱であったので、穏やかな微笑みで伴侶の魔物に頷きかけてやる。
ディノはとても怯えていたが、でも布だものねと呟いて何とか自分を誤魔化したようだ。
ネアも、所詮布に過ぎまいと考え、膨らみ過ぎてしまうイメージを何とか抑え込む。
「………む」
「持ち上げるかい?」
「これから傘を選ぶという時ですので、乗り物には乗りません」
「……………ひどい」
「なぜなのだ」
今年の傘選びは、エーダリアが空けられる時間の関係で、グラストとゼノーシュが最初に済ませている。
可憐なピンク色の婦人傘がグラストを気に入ってしまい、見聞の魔物との死闘があったそうだが、グラストはその隙に竜骨の綺麗な青い傘と出会ってしまい、ゼノーシュと婦人傘は共に打ち拉がれたのだとか。
しかし、ゼノーシュは、婦人傘を選ばれるくらいなら、もう竜骨の傘でいいと覚悟を決め、グラストは今年の傘を決めた。
そんな見聞の魔物が選んだのは、有名な菓子店でお客様の貸し傘だったもので、天災で主人を亡くした菓子店が潰れた後は、菓子箱を持つ人間を見ると襲いかかって差しかかる通り魔としてザルツを震撼させた事があるらしい。
あちこちを巡った後に封印庫に迎え入れられ、とうとう運命の散歩相手を見付けた貸し傘は、甘いクッキーの匂いのする少年姿の魔物に大喜びなのだとか。
お菓子を愛する小さな人間が大好きな傘だったので、ゼノーシュを見ているとかつての幸福を思い出させて貰えるのだろう。
(再び得られる幸せは、思いがけない形で訪れる事もあるのだ…………)
そんな事を考えて柔らかな気持ちになっていたネアは、ちょうど傘達を収納した部屋の扉を開ける瞬間だった事を失念していたのだろう。
何しろ、昨年は試練がありなかなか収納庫に辿り着けなかったのだが、何の障害もない今年は、当然だがあっという間に到着してしまい、やってきた感が薄かったのである。
そして、悲劇は起きた。
「みゃふ?!」
扉を開けた瞬間、ネアは鮮やかな橙色のものに飛びかかられた。
張りのあるぱつぱつとした布にばしんと弾き飛ばされ、あまりの衝撃にネアは吹き飛んでしまう。
慌てたように名前を呼んだディノの声が遠ざかり、ネアは、ばいんばいんと弾む視界に、漸く己が紳士用の傘の上に乗せられて弾まされている事を知った。
「ぎゃむ?!お、下ろし、………むぐ、下ろすのだ!!…………ぎゃ!」
「わーお。大歓迎だぞ」
「ネア、すぐに下ろしてあげるから、もう少しだけ我慢しておくれ」
「ヒルド、まさかあの傘は、…………」
「布怪人でしょうね。柄の辺りを少し切り落とせば、大人しくなるかもしれませんね」
「ヒルド……………」
おろおろする伴侶と傘を真っ二つにしかねない家族にネアは慌てて逃げようとしたのだが、また傘にばいんと弾み上げられてしまい、どうしようもなかった。
それどころかその傘は、ディノが近付こうとした瞬間にびゃっと飛び上がり、ネアを引っ掛けたまま、物凄い速さで封印庫の廊下を飛び去るではないか。
不安定な傘の上に乗せられ、ただでさえ、石突きの部分が体に刺さりそうで震え上がっていたネアは、突然の絶叫マシーンへの変貌にきゅっとなってしまった。
「ぎゃふ?!ろ、廊下の壁が!!!」
止まられて投げ出されても地獄であるし、このまま、ネアを乗せて壁に激突されてもぺったんこになってしまう。
しかし、何と悲しい最期なのだろうと全てを諦めたその時、がくんと傘が止まった。
「……………ふにゅ」
そろりと目を開けると、そこにいたのは封印庫の魔術師の一人だ。
柄の部分をわしりと掴み、ふぉっふぉっふぉと笑って素早く傘を捕獲してくれている。
とは言えもう、散々傘に弄ばれてしまったネアの心はくしゃくしゃであった。
「ネア!」
駆け寄ったディノに傘の上から下ろして貰い、震える手で伴侶にぎゅっと掴まる。
傘に乗って空を飛ぶという言葉だけならたいそう物語的だが、今回のような経験を得ると二度と憧れまいと思わざるを得ない。
さりさりと髪を撫でられ、ネアはくすんと鼻を鳴らした。
「……………ぎゅむぅ。あの傘めは、絶対に許しません。…………むぐ?!」
「……………ありゃ。ネアから引き離されて大暴れだなぁ。こりゃ熱烈だぞ………。もしかして、あの傘と知り合いかい?」
「ネアが傘に浮気する………?」
「見ず知らずの布さんですし、傘と恋を育む事は出来ません」
「………わーお。その言葉を聞いた途端に、動かなくなったぞ」
封印庫の魔術師に捕縛されたのは、布怪人が再利用されたという橙色のお洒落な傘であった。
しんとしてしまった傘の唯ならぬ雰囲気に怯えた魔物達は近付こうとしないので、ヒルドが封印庫の魔術師達に尋ねてくれたところ、生前の布怪人は、冬の系譜の生き物や、灰色や水灰色の髪の人間を好んで襲っていた事が分かった。
幸いにも、討伐された事で人間を襲う嗜好はなくなったものの、ネアが青灰色の髪であったことで喜びが爆発してしまったらしい。
恋のようなものだと教えてくれた封印庫の魔術師に、ヒルドは小さく嘆息している。
「やれやれ。これはもう、ネア様は避けられた方が宜しいでしょうね……………」
「むぐ。そんな傘には近付きません………」
「ええと、そんな雰囲気でさえあれば、男でも女でも、獣でも構わないってさ。レインカルも好きで堪らないらしいよ」
「……………レインカル?………お、おのれ!!」
「ネア、危ないから暴れてはいけないよ?」
「私はレインカルではありません!素敵に上品な、大人の淑女ですよね?」
「ネアは、……………可愛い」
「レインカル感は皆無だと、ここに主張します!」
「ネアは、可愛いでいいかな」
「またそれしか言わなくなった!」
可憐な伴侶としてはレインカルではないという証言こそが欲しかったのだが、幸いにも件の傘はもう、恋心をへし折られてしまい、ぴくりともしなくなっていた。
そうして、最初から一悶着があったものの、無事に部屋の中に入れば、今年は婦人傘が多めのようだ。
フリルやリボン、宝石飾りに見事な細工の持ち柄。
色とりどりのタッセルに、結晶石の華奢な鎖まで。
壁面に備え付けられた傘を収納する木の棚や、硝子戸のある特別な傘の収納庫。
円筒形の空間には天窓から光が落ち、相変わらず圧巻の傘の量である。
天窓からの光の筋の向こうには、色とりどりの傘達が並び、どこか息を潜めてこちらを伺うような気配がある。
あれだけ荒ぶる傘がいるのに不思議なのだが、ここにはいつも、どこか廟のような静謐が満ちていた。
「まぁ、どの傘もとても綺麗ですね………」
「…………ありゃ。何だかぞくぞくしてきた…………」
「おや、ご婦人の集まりに恐怖を感じるのであれば、余程後ろめたい事があるのでは?」
「エーダリア、友情を深めたばかりの筈のヒルドが、僕を虐めるんだけど…………」
「やれやれ、今朝も呪いの手紙を送りつけられたのは、誰なのでしょうね?」
「ありゃ………」
「呪いの手紙を送られたのだな………」
部屋の中に入り、後ろでぱたんと扉が閉まる。
さて、傘選びを始めようかなというところで、突然封印庫の魔術師達がエーダリアの前に出た。
(……………っ?!)
ぎくりとしたネアの見守る先で、ぎゅんと音がした。
そこからは、ほんの一瞬のことだった。
どこからともなく現れた黒い傘が、エーダリアを貫くような角度で飛び込んできたが、ノアにぽいっと排除されている。
天窓の方から飛び込んで来た勢いはぞっとするような速さで、ネアは目視では追い切れなかったくらいだ。
「…………ノアベルト、助かった」
「うん。君の結界でも対処出来たけれど、念の為にね」
「…………やれやれ。時折このような傘がおりますね」
「むむ、そんな傘さんの前に立ち塞がる婦人傘さん達が………」
「…………ああ、そこにいたのか」
襲撃した傘を取り囲んだのは、棚からばらばらと落ちてきた婦人傘達だ。
勿論そんな彼女達は、エーダリアを守りつつエーダリアに自分の存在を見せつける事も忘れない。
ドレスの裾を揺らして見せるご婦人達のように、ばさばさと鳴らされる傘の音にネアが茫然としていると、ほっとしたように声を上げたエーダリアが、一本の水色の傘を手に取った。
(……………あ、リーエンベルクの)
そこにあったのは、ネアも見たことのあるリーエンベルクに揃えのある祝祭用の傘の一本だ。
エーダリアに見付けて貰えた傘は、とても嬉しそうにへなりと体を曲げている。
恥じらいながらも喜びを示すそんな傘に、エーダリアは、早々にこの傘にすると封印庫の魔術師達に伝えていた。
うぉんと、音が鳴るような不穏な騒めきが響いたのはそんな時だ。
それは、襲撃をしかけた黒い傘ではなく、見目麗しいウィーム領主に選んで貰えなかった婦人傘達の騒めきで、エーダリアの手の中の水色の傘はびゃっと飛び上がっている。
「……………まぁ、ご婦人な傘さん達が荒ぶり始めました」
「ご主人様…………」
「怖いのなら、後ろに隠れていてもいいですからね」
「うん………」
すっかり怯えてしまった魔物を羽織りものにして、婦人傘に取り囲まれてわいわいやられてしまったエーダリア達を遠い目で見つめ、ネアは、さて今年はどんな傘にしようかなと周囲を見回した。
「……………む」
そんな中、じっとこちらを見ていたのはあの黒い傘だ。
よく見れば、黒真珠のような色合いの傘であり、布地の部分の繊細な黒い地模様が美しい。
紳士物に違いないのだが、凛々しい雰囲気の女性が使っても似合うだろう。
(乱暴者のようだし、躾がてらあの傘にしようかな…………)
そんな事を考えたネアが、黒い傘に近付こうとした時の事だった。
ばぁんと、突然、近くにあった硝子戸が力任せに押し開けられ、その扉が黒い傘を吹き飛ばしてしまう。
中から出てきたのは、優美な灰紫色の大きな傘で、とてとてとこちらに向かってくるとネアの前で優雅にお辞儀をしてくれた。
細身の傘だが、しなやかで強靭な輪郭は高位の魔物のような佇まいだ。
傘に張られた布の部分には模様や装飾はなく、持ち手はくすんだ青灰色の夜鉱石で作られている。
一切の無駄な装飾はないものの、ひやりとするような凄艶な美貌を持つ傘ではないか。
「まぁ!なんて美しい傘なのでしょう。この傘さんにします!!」
「……………浮気」
「ディノ、見て下さい!こんな素敵な傘さんを見たのは初めてです。………ふぁ、こんな傘を持っていた方は、きっと自慢だったでしょうねぇ」
「……………ネア、それが傘持ちの傘だ」
エーダリアの言葉に、ネアはゆっくりとそちらを見た。
婦人傘達の反乱は、ノアが、一番綺麗な傘は誰かなと問いかけた途端に収束したようで、今は塩の魔物に選んでもらうべくの婦人傘コンテストが始まっている。
「……………まぁ、この傘さんが」
「ああ。………っ、あちらの傘もまだ諦めてはいないのか………」
ぎくりとしたようなエーダリアの視線を辿れば、封印庫の魔術師の手にある布怪人の傘が、じたばたしている。
僅かに体を捻ってそんな傘を見た虐殺王の傘は、誠に嘆かわしいというように体を振り、とてとてと前に進み出て、こてんとネアの手の中に倒れ込んできた。
その途端、布怪人の橙色の傘は荒れ狂ったが、ネアとしては、獲物として気に入られていてもちっとも嬉しくない。
手の中の夜鉱石の持ち手をそっと撫で、素晴らしく美しい傘に心を緩めた。
「うむ。あんな暴れ者の布怪人めはぽいです!私は、この、綺麗な傘さんが気に入りました」
「わーお。あの傘、また動かなくなったぞ…………」
「そんな傘なんて…………」
「ディノは、どの傘にしますか?」
「そんな傘なんて……………」
その後、ヒルドは荒ぶる婦人傘達に壁際に押しやられてむしゃくしゃしていたらしい、綺麗な瑠璃色の婦人傘を選び、ノアは厳選なる審査の結果、可憐で美しい薔薇色の傘を選んだ。
ディノが選んだのは、ネアの傘に吹き飛ばされてしまった黒真珠色の傘で、暗器ではないものの、持ち主がこの傘で妖精を殺した事があると明らかになった。
「そのような要素のあるものは、こちらで持った方がいいだろう」
「…………ほわ、扉でばしんとやられてからぴくりとも動きませんが、お空に帰れますか?」
「…………飛べるのかな」
布怪人な傘は、その後に傘を選びに来たゼベルに選んで貰えたようだ。
夜狼な奥さんが、綺麗な橙色を気に入ってしまい、灰色感も少しある夜狼な奥さんを、布怪人も気に入ったからであるらしい。
布怪人傘が多少暴れても、エアリエルがいれば問題ないそうで、そちらの観点からもゼベルは適役であるのだとか。
なお、残された婦人傘達は、リーエンベルクの騎士達の訪問の際にも荒れ狂ったそうで、何人かの騎士達は無理やり手の中に飛び込んできた婦人傘を選ぶしかなかったという。
「だからね、僕は最後じゃなくて最初にしたんだよ。傘を選びに行く日は、みんなよりも早くか遅くかのどっちも選べたから、グラストに絶対に最初だよって話したの」
翌日の朝食の席で、愛くるしいクッキーモンスターは酷く険しい表情でそう告白した。
今年は婦人傘が多いことと、問題になるような手のかかる傘がいない事で、このような事態が起こると見越していたのだとか。
「ふむ。怖い傘さんがいないと、婦人傘さん達が荒ぶってしまうのですね………」
「ネアが傘に浮気した…………」
「ディノ?大事な伴侶と、傘祭りの傘さんは違いますよ?」
「あんな傘なんて…………」
「仕方がありませんねぇ。今日は、伴侶をどれだけ大事にしているかを示す為にも、フレンチトーストを作ってあげましょうか?」
「歌は、…………つくのかな?」
「勿論、フレンチトーストの歌も歌いますからね」
「ご主人様!」
邪悪な人間の甘言に惑わされ、目元を染めた魔物は、水紺色の瞳をきらきらさせた。
そんな朝食の席で、儚い眼差しで遠くを見ていたノアは、一番控えめに思えた薔薇色の傘が、たいそう面倒臭いと悲しげに呟いている。
「…………何かさ、傘祭りで持つだけなのに、伴侶気取りなんだよね」
「やれやれ、見る目のなさが証明されましたね。私は、あの傘はやめておいた方がいいと、事前に忠告しましたよ?」
「………うん。さすがに、傘に刺されたりはしないと思うけれど、当日はなんとかご機嫌を取って、空に返さないとだなぁ…………」
「そ、そのような状態なのだな…………」
落ち込む義兄を慰める元婚約者を見ながら、ネアは、青空に色とりどりの傘が舞い上がる光景を思い浮かべ、ふるりと心を震わせた。
また飛び去る傘に拐われては堪らないので、布怪人な傘は、しっかりエアリエル達に見張っていて貰おう。
明日2/11の更新はお休みとなります。
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