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くしゃみとゼリー




「くしゅむ!」


夜明け前に、ネアはくしゃみをして目を覚ました。

夢の中でリンジンと戦っていたせいで、すっかり毛布を剥いでしまっていたのだ。



全ての毛布を隣で眠っているディノの上に蹴り飛ばしてしまい、何もかかっていない自分の体に気付くと、ネアはぞっとした。


それどころか淑女らしからぬ戦いの激しさから、寝間着が捲れてお腹が出ている。

まさかと思いかけ、慌てて首を振ったがそれは懸念では済んでくれなかった。



「……………ほわ、くしゅ!」

「ネア?!」



二度目のくしゃみで、隣で眠っていた魔物が蒼白になって飛び起きた。

ぎくりとしたネアに、ディノは涙目になって震えている。



「………すぐに薬を用意しよう。ネア、治るから安心していいんだよ」

「か、風邪でふ!前にもやった、くしゃみが止まらないあやつで、うっかり自損事故で体を冷やしたことでなったに違いありません」

「……………でも、念の為に疫病の検査をしようか」

「ふぁい。こんな時にお腹を出して寝てしまい、ディノを心配させるような事になるだなんて……………。ごめんなさい、夢の中で大乱闘でしたので、すっかり毛布を跳ね飛ばしてしまったようです」

「大乱闘だったのかい?」

「うむ。リンジンめが出て来たのです。私の大事なムグリスディノに触ろうとしたので、ぎったんぎったんにして、最後は夢の中のグラフィーツさんに投げ渡したのですよ」

「グラフィーツなんて……………」




魔物は少しだけ荒ぶったが、ネアがどんな邪悪な技をリンジンにかけたのかを聞かされると、ぴゃっとなって震え上がってしまった。

ネアは思いつく限りの暴行を働き、グラフィーツに渡した時にはもう、リンジンは粉々だったのだ。



すっと伸ばされた指先が、頬に触れる。

その温度にほろりと心が緩み、ネアは幸せな気持ちになった。



「……………ごめん。君が隣で怖い夢を見ていたのに、起こしてあげられなかったね」

「今まで、リンジンめが出てくる夢は怖いものばかりでした。…………でも、今回のザッカムのあわいで、グラフィーツさんがあっさり滅ぼしてしまったので、夢の中の私はあやつめに簡単に勝てるようになったのかもしれません。今回の夢は、怖くなかったのですよ?」


ネアがそう言えば、ディノは水紺色の瞳をぱちりと見開き、淡い微笑みを深めた。


「……………うん。良かった。君にとって、あの魔術師が出てくる夢は、一番怖いものだったからね」

「ふぁい。……………くしゅむ!」

「すぐに薬を作るよ。…………でも、ノアベルトかアルテアにも調べて貰おう。私一人では、見落としがあるといけないからね」

「ふぁい。くしゅ!……………なお、仲間外れにならないように、ウィリアムさんにもお声がけした方が良さそうです。私に何かがあったらと泊まって下さっているのでしょう?」

「うん。では、ウィリアムも呼ぼうか。薬などで手に負えない疫病に罹った場合は、彼がローンを呼んでくれるから」

「しかし、これは風邪なのでふ。……………くしゅん!」



あまり大袈裟に心配をかけるのも嫌だったが、ネアは大人しく診察を受けることにした。


魔物達を安心させなければならないし、もう少しすると鼻をぐしぐしやるようになるだろう。

可憐なる乙女は、断固として鼻をかむ姿を大勢の人達に見られたくないので、その前に診察を終えてしまいたかったのだ。





「……………すぐに調べるぞ」



ネアが、体が冷えてくしゃみが出るようになったと聞いた伴侶な魔物に毛布でぐるぐる巻きにされていると、真っ先に部屋にやって来たのはアルテアであった。


高位の魔物であるので息を切らしてなどはいないものの、夜闇の中で鮮やかな赤紫色の瞳に浮かんだ切迫感を見れば、相当に急いで来てくれたのだろうなと伝わってくる。


その直後にはノアが、最後には急いで服を着たのかなというウィリアムが駆けつけ、俄かにネア達の部屋は賑やかになった。



「ありゃ、まずはこの毛布を剥ごうか」

「また冷えてしまわないかい………?」

「ディノ、既にお部屋をほこほこにして貰っているので、大丈夫ですよ?」

「うん。シルのこの室温設定で大丈夫だと思うよ。どこか痛いところが出てきていたりもしないね?」

「はい。ですので、ディノは安心して下さいね」

「うん」

「……………くしゅむ!」



ゆったりとした微笑みで伴侶を安心させようとしたネアであったが、ここでまたくしゃみをしてしまい、魔物達の表情が一斉に強張る。


間の悪いくしゃみにネアは渋面になったが、こうなってしまうともう挽回は難しそうだ。




「ぐるる…………」



かくしてネアは、温かくしてぐっすり寝たい夜明け前の時間に、魔物達から手厚い検診を受ける羽目になってしまった。



検診はネアの考えていたものの五倍くらいの時間を要し、リンジンをずたぼろにしてすっきりした夢見の爽やかさが、もう一度ゆっくり眠りたいのに眠れない苛立ちに変わってゆく。


小さく唸り続けながら、目や喉、おまけに湿疹などがないか肌の確認までされてしまい、それでもネアは、むずむずする鼻を鳴らしながら必死に耐えた。



「この症状は、以前にウィリアムさんにも教えていただいた、……………いんへ………むぐぅ。いんへ的なあやつです!」

「インヘルであったとしても、油断は出来ないだろう。前にも話したが、この病で命を落とす子供もいるんだ。前回の時もかなり体調を崩していたからな。だがまずは、他の疾患の可能性がないかしっかり調べような」

「むぎゅぐう……………」




(あの時は、薬を飲んで安静にしていて良かったのに…………)



以前は鷹揚であったウィリアムも緊張を解かないのは、やはりザッカムから戻ったばかりだからなのだろうか。

そう考えていたネアは初めてインヘルになった時にエーダリアから聞いた、くしゃみは魂を削るというこの世界の謎の運用を思い出し、何となくじわりと熱を上げてきた頭を押さえながら首を傾げた。


ちりちりとした微かな頭痛のようなものを感じ始めてはいるが、やはりどう考えても風邪の初期症状である。



これはもう、疫病の薬ではなく滋養のつく食べ物とあたたかな寝台、そして美味しい葡萄ゼリーを用意して欲しいところだ。



「くしゅむ!………むぅ、ディノは泣かなくてもいいのですよ?」

「ネアが減ってる…………」

「以前から謎だったのですが、こちらの世界では、くしゃみで魂が削れてしまうのです?くしゅん!」

「そうだね、病の系譜のくしゃみを促すものは、そうして呼気を奪うんだ。実際に魂が削れてしまう訳ではないけれど、全ての呼気を奪われてしまうと、人間は死んでしまうからね」

「……………たいへん紛らわしい疾患があるようです」

「風の系譜の疫病でも、そのようなものがある。風の系譜の障りで体を冷やし、くしゃみの度に体内の呼気を氷に変えてゆくものだ。…………発熱の兆候があるな。であれば、そちらの心配はないだろう」

「アルテア、その病はネアは罹らないと思うよ。氷の祝福を持っているからね」



ディノがそう言えば、アルテアはふうっと溜め息を吐いた。

早く言え的な雰囲気を醸し出されたが、ネアは最初からインヘル推しである。



からからと回る謎の水晶の歯車に息を吹きかけさせられ、試薬のようなものを浸した紙片を肌に触れさせられる。

その紙片にはアルテアが何かをさらさらと書き込んであり、ネアは、アルテアが取り出した綺麗な青い羽根ペンに目が釘付けになった。



(きれい……………)



普通の羽のようにも見えるが、羽先が結晶化していて、動かすときらきらと細やかな金色の光を零す。

あまりにも凝視していたからか、薬屋という特殊な竜の尾羽であると教えて貰った。



「きらきらしゅわしゅわしますね。…………くしゅ!………そろそろ、ティッシュが入用になって来ました。鼻をかむ際には、一人で壁と向き合って行いたいです」

「やはりインヘルかもしれないな。熱が出てきたんだろう………」



一通りの疫病診察は無事にクリア出来たようで、声音に安堵を滲ませながらそう呟いたのはウィリアムだ。

そして、そんなウィリアムが額にそっと手を乗せてくれると、ネアはその素敵な体温に目を瞠った。


振り返ってじっと見上げた人間に、ウィリアムは僅かに目を瞠って首を傾げる。



「ん?どうした?」

「ウィリアムさんの手の温度が素敵なので、そのままおでこに常駐していて貰いたいでふ。くしゅむ!」

「はは、そう言う事なら幾らでも」

「ネア、私が押さえていてあげるよ?」

「くしゅ!………ディノの体温は、ウィリアムさんよりも少し温かいので……………」

「ウィリアムなんて…………」



ネアがウィリアムの体温を喜んでしまったせいで、ディノは少しだけ荒ぶったが、ここでアルテアがおでこを冷やす素敵な魔術布を取り出してぺたりと張り付けてくれたので、ネアの心は容易くそちらに転がってしまった。


ひんやり気持ちのいい布は、おでこがじんじんするような無理な冷たさはなく、ふんわりと張り付けられているだけなのに熱を吸ってくれるような感じがある。


大抵の場合、このような魔術具はネアの可動域では上手く作用しないので今まで使う事はなかったのだが、これは、アルテアがネア用に作ってくれたものなのだとか。


素敵な布を手に入れてすっかりご機嫌になったネアは、くしゃみが悪化する前に自分を寝かしつけてしまおうと、いそいそと寝台に戻ろうとしたところで使い魔に捕獲されてしまった。




「くしゅむ!わ、………くしゅん!………私を解放して下さい。こういうものは、悪化する前に寝てしまうに限るのです」

「その前に薬湯だ。少し待て」


ネアは、その言葉に目をしぱしぱさせ、おやおかしいぞと首を傾げた。


記憶の中に、藻色をした水が入ったグラスの映像がある。

たいへん遺憾な思いでそんな藻水をいただいたのはついさっきのことなので、どう考えても一晩に二杯というのはおかしいと言わざるを得ない。



「藻水はいただいたので、今夜はもう営業終了でふ」

「ネア、薬はきちんと飲まないと駄目だ。アルテア、任せていいですか?」

「ああ。すぐに出来上がるものだから、寝かさないようにしておけよ」

「ディノ、緑の液体はもう、許容量いっぱいなのです……………くしゅ!」

「ネア、インヘルを治療する為にも、薬は飲まなければいけないよ。もう少しだけ我慢しておくれ」

「………むぎゅ」



沼の味のものが作成されると知り、あまりの悲しみにはぁはぁしたネアは、また少し熱が上がってしまったようだ。


なぜに疲れ切って帰ってきているような体力を失っている時に、毛布を剥いでお腹を出してしまったのだろうと、愚かな己の行いを後悔したが、もう遅い。


ネアの寝室に勝手に併設空間を作り付け、厨房のようなところで薬湯作りを始めてしまったアルテアの姿を見ながら、へにゃりと眉を下げる。



「沼の味のお口のまま、眠るのは無理でふ!葡萄ぜり………」

「ったく。何か用意してやる」

「使い魔様!」




お鍋でことことと何かを煮込みながら、アルテアはネアの儚い願いを聞き届けてくれた。


喜びに弾もうとしてくしゃりと倒れそうになったネアを、ディノが素早く抱き上げ寝台に連れていってくれる。


どんなゼリーがいただけるのか、厨房に突入するつもりであったネアは弱弱しく抵抗したが、ふかふかの寝台に座らせられると、ここより素敵な場所はないと動けなくなってしまった。



「このまま、ぱたりと横倒しに……………」

「ネア?」



隙あらば寝てしまおうとする患者に、終焉の魔物は怖い先生モードに入ってしまった。

微笑んでいるが、正面に立ってこちらを見下ろしたウィリアムの目は、少しも笑っていない。


ネアは悲し気な表情を作って懐柔しようとしたものの、くしゃみをしてぜいぜいしてしまうと、いっそうに状況は不利になったようだ。

左右を固めた魔物達は、絶対に薬湯という頑なな気配をいっそうに強めてしまう。



(でも体調が悪い時に、背もたれもない状態で座っているのはなかなか辛いのに……………!!)



魅惑の寝台にはもう到着しているのだ。

後はもう、自然に体を倒すだけで素敵な眠りに誘われる筈だった。



「……………む」

「体を起こしているのが辛いなら、俺に寄りかかっていいぞ」


病人の腹筋と背筋の限界を察してくれたのか、ぼすんと、隣にウィリアムが座ってくれた。

ネアは有難く寄りかからせて貰い、ひんやりとした体温の低いウィリアムの体の素敵な壁感に感謝する。



「ネアが浮気する………」

「ディノは、お薬を飲んで葡萄ゼリー的なものをいただいた後……くしゅん!…お隣に居て欲しいです」

「顔は、見てはいけないのだよね?」

「ふぁい。今はまだそこまで深刻ではありませんが、鼻をかむようになった……………くしゅむ!………ふぁぐ…………淑女の顔を見るのは倫理的にならないものなのです」


ディノにそう言い含めていると、ウィリアムがくすりと微笑む気配があった。


こちらの魔物は、人間の中で暮らしていたこともあるので、体調不良時の女性のお作法を理解しているのだろう。



「出来たぞ。冷やしても効能は落ちないが、そのまま飲むか?」

「むぐ…………温かい沼の飲み物か、冷たい沼の飲み物……………くしゅ!、冷やしまふ」

「……………おい、その襟元は何だ」



ややあって、薬湯を持って来たアルテアは、ネアの首元を見るなり眉を顰めた。

ネアはくすんと鼻を鳴らしつつ、首周りに髪の毛を巻き付けた病人仕様について説明する。



「熱でほこほこしていますが、きっと首元を冷やすといけませんので、髪の毛などを巻いてみました」

「他に幾らでもあるだろうが…………」



呆れたような冷ややかな目をしながらも、アルテアはふわりとマフラーのようなものを取り出してくれる。


薬湯の入ったカップを一度ウィリアムに預けると、ネアが首周りに巻き付けた髪の毛を解放し、しっとり柔らかなカシミヤのような肌触りのマフラーを綺麗に巻いてくれた使い魔に、ネアは目を丸くした。



「………くしゅ。………ふにゅ。汗をかくかもしれないので、上等なマフラーは………」

「作業用のココトコ羊の織物だ。タオルと同じような使い方が出来る」

「ここと羊さん…………」

「ココトコだな。汗が不快な場合はこれで拭って構わない。洗濯したけりゃ家事妖精に任せろ」

「まぁ、そんな風に使えるのですね………」



ネアは、貸してくれるのではなく貰える事になったココトコ羊の織物との初めての出会いを果たし、素晴らしい肌触りに目をきらきらさせた。

イブメリアの日の朝の空のような柔らかな灰色は、うっとりとしてしまいそうなくらいに上品な色合いで、アルテアが首周りに巻いていたら小粋な感じになるのだろう。


それでいて、発熱でほこほこする体に不快感を与えない通気性もあり、汗などの吸水もなかなかに良さそうだ。


インヘルが悪化しないように首周りを冷やさない措置も万全になり、ネアは、ウィリアムがそっと差し出したカップの中を見下ろした。



「なんという緑感でしょう……………」



綺麗な水色の陶器のカップの中には、どろりとした深緑色のものが、なみなみと注がれていた。


これまでの時よりは症状が軽いからか、僅かに葉っぱを磨り潰したような質感なども拝見出来てしまい、ネアは受け取ったカップを静かに覗き込む。


冷やしてあるのでそこまで香らないと思ったのだが、やはり、沼の香りは隠しようもないようだ。

もう一度抗議しようかと顔を上げたネアは、捲り上げていた袖を直しているアルテアの姿に、渋々言葉を飲み込んだ。



(こんな時間に、薬湯を作ってくれたのだもの……………)




「……………ぎゅ。お口直しは…………」

「葡萄ゼリーがいいんだろ。用意してある」

「葡萄ぜり!」




薬湯を煎じながら作った気配はないので、事前に用意してあったものなのだろう。

ネアは、病気の時には何倍も美味しく感じる、冷たく冷やした葡萄ゼリーの味わいを必死に思い浮かべ、えいやっと薬湯に口を付けた。



(初めてではないのだから…………!!)



そう考えて一気に流し込んだ薬湯だが、ネアは、あまりのまずさに髪の毛がびりびりと逆立ちそうになった。


爪先をぱたぱたさせて必死に苦しみを逃そうとするが、圧倒的な沼感に思考が丸ごと沼になるという感想だけに飲み込まれてゆく。


どれだけ覚悟を決めても、苦しみを対価として搾取してゆく薬湯の味が損なわれる事はない。

慣れさせずにいつでも新鮮な沼味を与えてくるのが、魔術的な対価というものなのであった。



「……………ぷは!………っえっく」

「よーし。よく頑張ったね」

「……………ぎゅわ、沼………」

「ええと、後は葡萄ゼリーかな?」



じわっと涙目になったまま全てを飲み干すと、ネアはぜいぜいと息をした。

空になったカップはウィリアムが受け取ってくれ、面倒見のいい使い魔が、布ナプキンのようなもので口元を拭ってくれる。


そして空っぽになった手の中に現れたのは、薄い硝子カップに入った宝石のような葡萄ゼリーで、ひんやりと冷たいその持ち心地に、ささくれだった心が癒されるようではないか。



「葡萄ぜり…………!!」

「それがいいんだろ?」

「ふぁい。この、ゼリーさが最も強いゼリーがいいのです……………」



硝子のカップの中で艶々と輝くゼリーは、贅沢に果汁だけを使ってあるもので、中に果物が沢山入っている御馳走ゼリーではなく、体調が悪い時につるんといただけるひたすらにゼリーに特化したものである。


喉が痛くても息が苦しくても、つるんといただけてしまうので、こんな体調でも何個でも食べられそうな美味しさなのだ。



ゼリーの上には、綺麗に皮を剥き、種も取ってある大粒の葡萄も乗っているが、こちらはあくまでも添え物で、大事なのはゼリーそのものだ。

病人用のゼリーは、シンプルでいいのだった。




「……………はぐ!」



渡されたスプーンでゼリーを口の中に入れれば、ひんやりと冷たいゼリーの香りが、口の中に残った沼の記憶を少しずつ洗い流していってくれる。


瑞々しく爽やかな甘さで、しゃぐしゃぐぷるんと口の中を満たしてゆく。



(……………幸せ)



ネアはあまりの奇跡に、またちょっぴり涙ぐみながらそんなゼリーをいただき、器にゼリーの欠片を残すという愚行は冒すまいと、意地汚く全てのゼリーを器からこそげ取り全てをお腹に収めた。




「ご馳走様でした。アルテアさん、これからもずっと使い魔さんでいて下さいね」

「……………やれやれだな」

「そして今度森に帰る時には、葡萄ゼリーの備蓄も忘れずに残していって下さい」

「その設定はいつまで続くんだ………」



呆れたような顔をした選択の魔物にぼさりと頭の上に手を置かれながら、狡猾な人間は、人として最低限の礼儀を果たしたので、もういいだろうと考える。


襟元も素敵に温められ、口の中は沼から葡萄ゼリーへと持ち直した。

後はもう、ふかふかの寝台に体を預け、心ゆくまでぐっすり眠るべきではないだろうか。




「ディノ、伴侶からのお願いがあるのですが、聞いてくれますか?」

「言ってご覧、私に出来る事かな?」



向けられた微笑みははっとする程に優しかったが、ここで何でも叶えてあげるよと言わないのが、魔物らしい返答なのかもしれない。



「私が力尽きたら、寝台の横のテーブルに、ティッシュの箱を、そして寝台の下の、寝転がりながらぽいと捨てるのに適した位置に、ゴミ箱を設置して貰えますか?」

「その二つを揃えればいいのかい?」

「はい。私はもう、寝台の国に帰らなければいけませむ。……くしゅ!……………うむ。寝ます!」



ぱたんと横倒しになったネアは、記憶より寝台が硬いことに気付き、目を閉じたまま顔を顰めた。

シーツに皺が寄ってしまったのかもしれないと、頭でぐりぐりやると、誰かの手にそっと頭を撫でられる。




「ずるい、ウィリアムを枕にするなんて………」

「わーお。気付かずにそのまま寝たぞ。………ネア、間違ってウィリアムを枕にしているから、一度起きようか」

「ぐぅ。……………むぐ?……………ぐるるる!!」

「おい、暴れさせるな!薬湯を飲ませたばかりなんだぞ!」

「ありゃ、しがみついて離れなくなった………」

「ウィリアムなんて…………」

「シルハーン、その、この状況は俺が意図しての事ではないので…………」




ここから、ネアは多分ぐっすりと眠ったのだろう。

次に目を覚ました時には、ディノの腕の中にいて、寝台でふかふかの枕に頭を載せていた。

喉がいがいがしたので、へばりついている魔物を引き剥がして体を起こすと、寝台の横に置いた椅子に座っていた誰かが、水差しからグラスに水を注いでくれる。



「……………少し落ち着いてきたようだな。朝食は後で作ってやる。今日は、もう少し寝ていろ」

「………アルテアさんがいまふ」

「少し汗を拭くか?」

「むぐ。…………確かに少しだけべたべたするような……」

「ったく………」


ネアはここで、面倒見のいい魔物に、ほかほか濡れタオルで顔や首筋などを拭いて貰い、あまりの心地よさにまたしてもぱたりと寝台に倒れた。


髪を撫でる誰かの手の温度を感じ、すりりっと体を寄せたような気がする。



ネアが寝ている間に夜が明け、ウィームでは、また一つの疫病の痕跡が見付かったのだそうだ。

幸いにも、ゼノーシュが領内で見付けたそれが最後で、罹患者が何人か出たが死者は出なかったらしい。


ヒルドも立ち合い、ノアが手助けをした上で調伏舞いの儀式による土地の浄化が行われたそうだが、インヘルで寝込んでいたネアが起きる昼前には全てが解決していた。




「傘祭りが近いだろう?大勢の人達が集まる前に、決着が付いて良かったな」

「………なぜ、ウィリアムさんがお隣に寝ているのでしょう?」

「ネアは、俺の体温が気に入ったみたいだな。朝に起きた後、もう一度寝台に戻る道中から、掴んで離さなくなったんだ。お陰で、俺もぐっすり眠れたよ」

「ち、痴女ではありません…………」

「はは、そんな事は思わないよ」



ウィリアムを解放したネアは、アルテアが作ってくれるリゾットが出来るまでの間にもう一眠りしようと、あわいに迎えに来てくれた事でくたくたになっていたのか、隣ですやすや眠っているディノの腕の中にもぞもぞと戻る。




「……………ネア、」

「熱が下がってきたからか、今度はディノにくっつきたくなりました。…………ぐぅ」

「ずるい…………」




遅い朝食の後にまた薬湯が現れてネアは暴れたが、お見舞いに来てくれていたヒルドに叱られてしまい、渋々飲んだ。



二度めの沼の顕現なので、当然の権利として葡萄ゼリーは二個所望しようと思う。








      





明日2/5の更新は、お休みとなります。

TwitterにてSSを上げさせていただきますので、もし宜しければそちらをご覧下さい。

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