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不機嫌なお客と飾り針




ウィーム中央には古くからある職人街があり、幾つもの名店が軒を並べている。


そこには、様々な名品が売られており、ネアの愛用品も沢山あった。

例えば、銀狐の換毛期用のブラシもそうであるし、ネアがディノと愛用しているブラシもそうだ。

人魚のナイフを鋏にしてくれたのもこの中の工房だと思えば、やはりウィームに暮らす職人達の技量はかなり高いのである。



ネアは現在、胸元ですやすや眠っている伴侶と、擬態してお買い物に付き合ってくれている魔物と共に、そんな職人街の工房の一つに閉じ込められていた。


外からの救助を待っているだけなので、すぐに解放される見込みだが、最近は何だかこのような事が多いぞと眉を寄せる。




「外のボラボラ達は、騎士団が到着後に扉の前からどかして貰えますから、もう少々お待ち下さい」



魔術通信を終えてそう言ったのは、この店の主人だ。

素晴らしい縫針を作る職人の男性で、夜の盛り場でちょっぴり悪い遊びを教えてくれそうな容貌からは想像が出来ないくらいに、ちくちくと軽やかに縫いものや刺繍が出来る素晴らしい針を作ってくれる。


祝福を受けた布用のものや、竜革用の針、妖精の糸を使うのに長けていたり、刺繍に祝福結晶を縫い込んでもぱきんと割れてしまわないものなど、この工房の縫針の種類は多岐に渡る。


総合的な仕様のものもあり、それぞれの針を見ているだけでもう、店の主人の心配りの繊細さが窺えるのであった。




「どれだけの時間をここにいればいいんですの?私は、この後はザハで昼食を摂る予定なのです。入店の際にもお伝えしましたけれど、私は統括の魔物の愛し子なのですよ?あなた方の不手際で、不愉快にさせるという事の意味を考えていらして?」



可憐な声音でそう告げたのは、うっとりとするような素晴らしい金糸の髪の少女であった。


少女とは言え整った面立ちは大人びているし、女性らしい肢体は子供と言うには成熟し過ぎた感もある。

どこか高質な、子供から大人に向かう時期特有の声音だけが、この少女を少女たらしめていた。



然し乍ら、黙って佇んでいればこの上なく眼福であろうこの少女が、たいそう我が儘なのだ。



ネアはその少女が店主に文句を言い始めた時から遠い目になってしまったし、店内に残された他のお客も怪訝そうな目でそちらを見ている。


幸い、絶賛絡まれ中の店主は、爛れた大人の色気を感じさせる外見に相応しい経験値があるらしく、薄く微笑んでその我が儘を流していた。


とは言え、目の奥が笑わなくなってきたのでそろそろ限界だろう。




「ザハには、連絡をして事情を説明するといいでしょう。騎士団の到着は、今回のことの元凶でもある、近くにある公園のボラボラの野営地をどうにかしてからになります。この季節のボラボラの動きは誰にも読めませんから、どれ程かかるかと言われると、目安として一刻程だろうかとしか言えませんね」

「あなたのせいで、こんな狭苦しい場所に閉じ込められてしまっているのですよ?お嬢様に対してそのような物言いは、不敬としか言いようがありません」



よく怒らずに対応しているなと思ったところで、お付きの侍女が今度は声を荒げている。


見るに見かねたものか、細長い造りの店内の奥にあるテーブルに着いていたご年配の女性が、ウィーム領では人外者の顕現によるこのような問題は珍しくないので、ここで、店主が用意してくれたお茶を一緒に飲みませんかと声をかけたものの、その一団は軽蔑したようにご婦人を一瞥しただけであった。


優しく声をかけてくれたご婦人に対し、あんまりな眼差しに、ネアはむしゃくしゃしたが、それは店主もだったらしい。



「うーん、やれやれだな。他のお客さんに当たらないで貰えますかね」

「……………何ですって?」

「周囲をご覧下さいと言ったんですよ。ボラボラが押しかけてきて家に閉じ込められるくらい、この土地では珍しい事じゃない。これくらいの事で騒ぐ者は子供でもいません。王都ではどうなのか知りませんが、荒天に文句を付けるようなものですよ」



そろそろ嫌になってしまったのか、それとも常連らしいご婦人への仕打ちに腹を立てているのか、とうとう対応が雑になった店主に、お嬢様と呼ばれた少女は柳眉を吊り上げる。



ふぁさりと揺れたのは黒色の竜の毛皮のコートの下の、たっぷりと上等な生地を使った薔薇色のドレスで、もしこれがザハに向かう為の装いであれば、余程楽しみにしていたのかなという服装でもあった。



(だから、せっかくの観光で、楽しみにしていた予定がずれ込んでしまうのはお気の毒なのだけれど……………)




そもそも、店主がボラボラの接近に気付き、この辺りは前の道が細いからと早めの退店を促したにもかかわらず、戸口でどちらに逃げればいいのか分からないと大騒ぎして閉じ込められる原因を作ったのは彼等なのだ。



寧ろ、先頭がつかえていたせいで店から出られなくなった他のお客達の方が、巻き込まれた被害者と言えなくもない。




「あなた、私の家名をご存知ないようですけれど…………」

「お嬢さん、家名なんぞ関係ないのだとまだ分からないんですか?子供でも出来るような避難も出来なかったのはあなた方ですし、こちらの言い分は正当なものですよ。寧ろ、稚拙な騒ぎを起こすとヴェルリアの権威とやらに泥を塗るのはそちらではないんですかね?」

「あの、……………」




ここでうっかりネアが問題の少女に話しかけてしまったのは、彼女が後ろの商品棚に近付き過ぎていたからだ。


その商品棚には綺麗なお花の彫刻の入った飾り針が入っているので、ひっくり返したりしないか気になって仕方なかったのである。



しかし、おずおずと話しかけたネアに振り返った少女は、まるで汚らわしいものでも見るかのような眼差しをこちらに向けた。



「何ですの?私が許してもいないのに、話しかけないでいただけるかしら。………汚れた雪のような、醜い髪色ですこと」

「後ろの商品棚にコートが引っかかりそうですので、もう少し前に出られた方がいいでしょう。折角の綺麗なコートですから」



思ったより手厳しく対応されてしまったが、ネアは、ここで大人になるのは自分の方であると考えた。


しかし、こう言っておけばいいだろうと心にもないお世辞まで混ぜ込んだのだが、普段からそのような戦場を経験している訳でもないので、まだまだ見込みが甘かったようだ。


なお、少女の発言に隣の同行者が纏う気配は鋭くなったものの、いつものような反応はない。

ネアの隣の魔物は、現在の環境に苛まれ、心の可動域が本来の一割くらいに低下している。




「平民の分際で、お嬢様に指図をしないで」



侍女にそう詰め寄られ、ネアは、こちらの一団が貴族至上主義であることを今更ながらに思い出した。

本日のネアは街歩き用の服装なので勿論ドレスではないし、敢えて階位を高めるような装飾品をひそませていたりもしない。


とは言え、同伴者の身なりを見れば、彼等はもう少し警戒をしてもいいのではないだろうか。



「……………まったく。ウィーム領の平民達の厚顔無恥ぶりには吐き気がするわ。この土地がどれだけ人外者の加護が篤かろうと、それが平民にまで及ぶ筈がないのに。私は、統括の魔物の愛し子なのよ?」

「……………念の為に伺いますが、それはヴェルクレアの統括の魔物様ですか?」



そう尋ねたのはネアではなく、店主であった。



「当たり前でしょう。それと、誤解しているようだから言いますけれど、あの方はヴェルリアに籍を置いているの。ウィーム領までもが、勝手にあの方の庇護下にあるような言い方はしないで頂戴。あなたは良くても、この土地に暮らす他の者達まで彼の恨みを買いかねないでしょうに」



ふんと顎を逸らしてそう告げた少女に、店の店主は困惑したようにネアの同伴者を振り返る。

擬態はしているものの、どうやらそこにいるのが統括の魔物だと気付いているらしいので、なかなか侮れない人物だ。



(……………もしかすると、魔術師さんなのかもしれない)


ネアがそう思ったのは、店主の服装にあった。


白い厚手の生地のシャツを袖口まで捲り、黒いジレは使い込んだ感じはするものの清潔で、妖精の仕立て屋に頼んだに違いない優美な刺繍がある。

細身の黒いパンツに膝下までのブーツを履いているのだが、艶々とした黒い革の手入れされた様子が素晴らしいブーツの装飾が、魔術師によく見るものばかりなのだ。


片方の手には竜革の手袋をしているのだが、こちらの手袋もまた、何やら魔術の仕掛けを多用しているのは一目で見て取れる。

使っている糸が指先のあたりだけ色を変えている事などから、工房での制作作業の為のものなのだろう。


ゆったりした曲線を描く銀色の髪は、魔術可動域が多いと言われる髪色であるし、蒸留酒のような黄褐色の瞳の色も鮮やかで、人外者にも好まれそうな色合いであった。



そんな店主は今、黒髪の男性に擬態したアルテアと何やら視線で会話をしてるようだ。


ネアは、出来ればこの王都からのお客様がこれ以上統括の魔物問題に触れずにいてくれるといいなという儚い願いをかけていた。




「……………っ、」



そしてその時の事だった。



案の定、少女は体を近付け過ぎていた商品棚に背中をぶつけてしまい、商品棚にあった籠の中の針を床にぶちまけてしまう。



「大丈夫ですか、お嬢様?!」



慌てて駆け寄ろうとした侍女と従者が、素早く手を伸ばした店主に襟首を掴まれたのは、そのまま進めば、彼等は何の躊躇いもなく床に落ちた針を踏んだに違いないからだ。



ネアも慌てて屈むと、床に落ちたお気に入りの商品を拾い始める。



その際に確かに、動揺するヴェルリア貴族の少女には、動かないようにと申しつけてしまったかもしれない。




「黙りなさい。お前に指図される言われはないわ!この娘を処分して」




低く響いたその声に、はっとした時の事だった。


がきんという硬質な音がして、アルテアが少女の同伴者の一人であった騎士の一人の手を捻り上げたのと、ネアが、金髪の少女に左側のこめかみあたりをばしりと叩かれたのはほぼ同時だった。


耳元で鳴ったわしゃんという硬質な音に、目をぱちぱちさせ、ネアはどうやら扇で叩かれたようだぞと考える。


とは言え、じんじんと痛んだが、切れたり痣になったりする程の衝撃は感じない。

寧ろ、あまりの痛みに顔を顰めてしまったのは、少女に踏まれた指先だ。


直後、すぐ近くにあった少女の体がぶんとどこかに引き剥がされてしまったので、踏まれた指先の上から足をどかして貰えたことも幸いであった。


ネアは指先で守った飾り針が無事だった事に安堵したが、その奥に無残に割れた針を見て、ふぐぐっと悲しい息を吐く。



「……………まぁ、この針は踏まれてしまっています」

「だ、大丈夫ですか?!」



店の奥に避難していたお客の一人が、慌ててこちらに来てくれたので、ネアは、一瞬は痛かったが特に支障はないのだと微笑んでみせた。

その代わり、先程の少女がネアを叩く為に一歩踏み出し、無残に踏み壊されてしまった針の悲しい姿を指し示してみせる。



「まぁ、何て酷い。こちらのお店の針は、一つ一つ丁寧に祝福が籠められているのに」

「ええ。なので、叩かれて踏まれて驚いてしまいましたが、この折れた針の方が悲しいのです」

「私は子供の頃からこの店の針を愛用しているの。先代のご店主のものも大好きだったけれど、今の針はもっと好き。……………これは許せないわね」




低い声でそう呟いたご婦人に、ネアは、また物知らずな領外からのお客達がやってしまったかと内心溜め息を吐いた。


実はウィーム領民たちにとって、他領の者達が多少横柄に振舞うことや、物知らずな発言で荒ぶることはさして珍しい事ではない。


えてしてそのような者達は滞在中にどこかで痛い目に遭うし、理解していなければいけないことを知らずに訪れた者達がそうならずに済むほどに、ウィームという土地は安全な場所でもない。


何しろ、そこかしこに人外者がいるのだ。



彼等は愛する土地を軽視する者達は許さないし、そうして羽目を外す者達の多くは、なぜだかより周囲の怒りを買うようなものにけちをつける。


それは、ウィームの人外者を侮る言葉であったり、領主であるエーダリアを軽視する言葉であったりして、耳にしてしまった者達が決して許さない一線であることが殆どであった。


加えて人外者達も戦慄の実力を隠し持つウィーム領民達も荒ぶるので、そろそろ他領からの観光客には、不用意な発言の危険性を周知した方がいいのではないだろうか。



(つまり、そんな事は珍しくはないのに、どうして王都やガーウィンの人達は情報共有をしないのだろう。高を括っていてしっぺ返しにあったことが、恥ずかしくて誰にも言えないのかしら……………)



今回の王都からの一団は、このご婦人の大事な思い出の品物を無残に壊したことで、買わなくてもいい怒りを買ってしまったのだった。

ネアの目から見ても、この女性はなかなか高位の魔術師だ。

胸元に付けた校章から、ウィームの魔術学院の生徒だと見て取れる。



しかし、それ以前の問題として、店主を怒らせているし、おまけに本人の目の前で統括の魔物の愛し子だと宣言しておきながらどうやらそうではない様子である。


これはもう、どうなってしまうのだろうと慄かずにはいられない状況であった。




「すみません、お客様達から少し離れた場所でやるべきでしたね。……………打たれた場所を見せていただいても?」


次に駆け付けてくれたのは店主で、掴み止めていた侍女と侍従もアルテアに預けてしまったのか、慌ててこちらに来てくれる。

ちょうどネア達は、床に落とされた針を拾い終えたところで、踏み壊されてしまった針は四本もあった。



「いえ、ご店主のせいではありません。あちらの方は、このお店の中いっぱいにお付きの方たちを連れてきてしまったので、皆、店内で身動きが取れなくなってしまっていましたものね。そうでなければ私も距離を置いたので、こうして余計なご心配をかける羽目にもならなかったのですが……………」

「そうですよ。あなたが再三、入り口付近のこの方たちを奥に通すようにと伝えても、王都の連中はちっともどかなかったじゃありませんか」

「だとしても、大事な常連さんに手を上げるのを止められませんでした。…………まったく、何で思い出したように時々、こうした連中が現れるんでしょうね」



ネアと一緒に針拾いをしてくれたご婦人にもお礼を言って針を受け取った店主は、疲れたように溜め息を吐くと、一瞬だけ真剣な目で、ネアのこめかみのあたりを確認したようだ。


あまりにも真剣な眼差しに双方被害者なのにとネアは申し訳なくなってしまい、頑丈なので大丈夫ですよと首を振ったが、どこからかよく冷えた当て布を取り出した店主からは、少し冷やすようにと言われてしまう。



「しかし、あまり大仰にすると同行者が荒ぶってしまいますので……………」

「もう充分にそうなっているので、差異はないでしょう。目が霞んだり、頭痛がしたりはしませんか?」

「はい。幸いにも、髪の毛がかぶっていたので大事にはならずに済んだようです」


実はそれよりも踏まれた指先が痛かったのだが、ネアは、やはりここでも大事にするのは控えた。

王都からの失礼な一団はどうなっても構わないが、人間と魔物の感覚はやはり違う。



ネアには気にならない範囲でも、この店の店主が責任を問われるようなことになったら嫌だと思ったのだ。




「……………手を見せてみろ」



しかし、一緒にいた魔物はそんな部分もしっかりと見ていたらしい。


ぎくりとして顔を上げたネアに、黒髪に水色の瞳の男性に擬態していても、表情は変わらないアルテアが静かにこちらを見ている。

これは言い逃れが出来る雰囲気ではなさそうだぞと判断し、ネアはそろりと踏まれた方の手を差し出してみた。


わざわざ手袋を取ったアルテアが、差し出したネアの手を見分しようとし、ぴくりと眉を持ち上げる。

無言でこちらを見た水色の瞳に慄き、ネアは慌てて自分の指先を見つめた。



「……………少し赤くなっていますが、折れたりはしていない筈なのです」

「ほお、擦り傷と爪の破損はどうだ?」

「……………まぁ。爪が割れているのは気付きませんでした」



言われて見れば確かに、踏まれた指の爪には白い線が入っている。


これは実は割れているのだが気付き難い状態で、後から欠けたりするとても嫌なやつだぞと、ネアも眉を顰めてしまう。

気付かずに指先を使っていたりして深く割ってしまうこともあるので、そうなる前に気付いて貰えて良かったのだ。



「……………俺がもう少し早く、まとめて排除するべきだったな」

「むぅ。私も、声をかければあのように苛立たせるだけだと分かっていても、大好きなお店の商品がどうにかなりそうで、我慢出来なかったのです。絡むなと言われたのに失敗してしまいました…………」



ぽすんと頭の上に手が載せられ、預けた指先はいつの間にか綺麗に治癒されていた。


ネアとしては、店の外にボラボラがひしめき合っているので、アルテアの反応が鈍めだったのは致し方ないと思うのだが、それでもどこか思い詰めたような鋭い気配がある。



「それに、まさかの剣を抜こうとした騎士さんを止めてくれていましたから」

「だとしてもだ。………あいつ等ももういないからな。転移で帰るぞ」

「……………もういない?」



不穏な言葉に慌てて店内を見回すと、確かに、先程まで店内いっぱいに陣取っていたヴェルリアの一団の姿がない。

ネア達が転移で店を出られずにいたのは、ヴェルリアの者達に、あれは誰なのだろうという不用意な疑念を与えないようにしていたからだ。

ウィームならいざしらず、軽やかな転移は決して万人のものではない。



(あの人達は、アルテアさんが、どうにかしてしまったのだろうか……………)



これはもしやと思い慌ててアルテアの方を見れば、今は金庫のようなものの中に放り込んであると説明された。




「……………どうしてしまうのですか?」

「さてな。ウィームには泥が付かないようにするから気にしなくていい」

「ふむ。であれば、気に掛ける必要はありませんね。こんなに綺麗な針を踏む愚か者です」

「であれば、そちらでも相応しい報いを受けますよ。この店の飾り針は呪物ですので、あのような扱いをすれば術式汚染を受けます。逆に、指先を犠牲にしてその一本を守ってくれたあなたには、飾り針の祝福や守護が宿されたことでしょう」

「……………まぁ。そうなのですね」



あの少女が踏み壊したのは、飾り針というお守りとして売られている呪物の一つになる。

主に旅行に行く家族や一人立ちした子供、お嫁に行く娘に贈る品物で、出先で酷い目に遭わないように、持ち主を傷付ける者から守ってくれる古くからある魔術具だ。


そんな守りの道具を大事にせずに踏みつけてしまったのだから、勿論術式の跳ね返りはかなりのものなのだとか。




「あの場では、私も手を出していましたが、誤って私が犯人の一人として認識されてしまう事はないのですか?」

「ええ。その辺りは、針たちも賢いので大丈夫ですよ。持ち主に悪意のある噂を流した者を刺しに行くくらいですからね」

「……………ほわ。刺しにゆくのですね」

「……………キュ?」

「まぁ、ディノが目を覚ましてくれました!ごめんなさい、不注意で意識不明にしてしまいました」

「キュ!」



ここで、不注意なご主人様のせいで昏倒していたムグリスな伴侶が目を覚ました。


市場でいただいたクリームスープが口元についてしまったムグリスディノを拭こうとしたネアが、うっかりムグリスの習性を忘れてしまい、冬だからとほかほか濡れタオルを使ってしまったのだ。




目が覚めた小さな伴侶は、ここはどこだろうと周囲を見回し、窓にべったりと張り付いて店内にいる系譜の王様を崇めているボラボラの姿にびゃっとなっている。


三つ編みをへなへなにして震えている伴侶をそっと撫でてやり、ネア達は、店主が場所を空けてくれた作業机で、みんなでお茶をしながらボラボラの駆除を待つことにした。



店主はここに残されたお客達に、お詫びとして飾り針を持たせてくれようとしたのだが、お店にいるのはこの店の品物をご贔屓にするお客ばかりだったので却下されてしまった。


その代わり、美しい草花の彫り物がある飾り針の、普段は受け付けていないオーダーをさせて貰えることになり、店の中が大いに活気付く。



「相性の悪いものもあるのでお受け出来ない場合もありますが、商品にある花の中から、二種類の組み合わせで注文して下さい」

「あらあら、では私は鈴蘭とローズマリーにしようかしら」

「あなた、どうしますか?……………では、団栗と秋菊でお願いします」

「私は、チューリップとマーガレットにするわ。何て嬉しいのかしら。我が家の花壇にある花の組み合わせなのよ。これはもう、春に一人暮らしを始める妹への贈り物にするわ」

「……………むむぅ。では私は、冬聖とライラックにします」

「俺は、ニワトコとセージだな」



店内には、ネア達の他に、最初の老婦人と針を一緒に拾ってくれた女性、そして羽は隠しているものの妖精なのだろうなぁというご夫婦がいた。

アルテアもしっかり注文し、妖精のご夫婦は夫婦で一本でいいそうだ。



「キュ」

「ディノ、この針が出来たらディノへの贈り物にするので、受け取ってくれますか?」

「キュ?!」



ここで、寝ている間に伴侶が虐められたと知って涙目で震えていたところ、ご主人様から思わぬ攻撃を受けたムグリスな伴侶がこてんとなってしまい、ネアは儚過ぎる伴侶を膝の上に安置し、暫しのティータイムを楽しんだ。


話しぶりからすると、どうやらアルテアは、この店には何度か足を運んでいるようだ。

店主とも顔見知りのようなので、それで擬態してても正体がばれていたらしい。



あの一団が予約をしていたというザハには、老婦人が連絡を入れてくれ、そちらも事なきを得たようだ。

大事なザハで、料理を無駄にするような不利益を生じさせてもいけませんからねと微笑んだ老婦人は、古くからのザハの常連であるのだとか。



やがて、店主の予測通り、一刻程で店の前に集まっていたボラボラは排除された。


捕縛には精霊使いの街の騎士が知り合いの精霊を連れてやって来てくれ、精霊達は美味しい鍋の素材が手に入ったとご機嫌で帰ってゆく。



統括の魔物に捕獲されてしまった者達の処遇は、ダリルにも共有され、王都に話が戻されたようだ。



たまたまその場にいた統括の魔物の同行者に暴行を働いた罪が問われると、家人も含めその身柄を預かりたいという者は誰もおらず、そのままアルテアに引き渡しとなったらしい。



王都の人々は、そうして姿を消す羽目になった伯爵令嬢とそのお付きの者達の噂に、統括の魔物の連れに手を出すなんてと眉を顰め、彼女達が捕縛されたのがウィームであることは問題にならなかった。


問題の伯爵家には他にも子供がいるので後継者などの問題は生じないものの、良識ある人々は、統括の魔物の障りを受けた一族を避け始めたようなので、社交上では少し厳しい時間が続くかもしれない。




アルテアがいたからこそ出来た措置だよねと、ダリルが上機嫌に呟いていたと、後日エーダリアが教えてくれた。







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― 新着の感想 ―
[気になる点] 何でそのお嬢様は、愛し子だと思ってるのかを知りたいです。本人たちのその後の顛末も。 [一言] いつも楽しみにしています!更新ありがとうございます。
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