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巻き草と花柄




「巻き草の亡霊を知っているだろうか」




霧の中でその問いかけを聞いたら、決して振り返ってはいけない。


それが、霧の出る視界の悪い日であれば尚更だ。

振り返らずに背後の人物を見極めようとしても、霧が邪魔をして足元の影は見えない。

そして恐らく、振り返ってもその姿は見えないだろう。



では、どうやってその問いかけを躱すのかと言えば、薬草の巻き煙草の煙がいいと言われている。

或いは、からからと音の鳴る祝福鉱石の鈴なども効果的だ。



もしあなたがそのどちらも持っていなかったなら、そこから生きて帰れるかどうかは運次第になるだろう。




(だから、振り返る訳にはいかないのだ…………… )



幸いにもネアは、巻き草の亡霊について教えて貰ったばかりであった。


巻き草の亡霊について触れた歌劇の台詞があり、一緒にいた伴侶の魔物にそれはどんなものなのだろうかと尋ねてみたところ、ディノは巻き草の亡霊を知らなかった。

謎が解けないままリーエンベルクに帰った二人に、巻き草の亡霊がどのようなものなのかを教えてくれたのはノアである。



巻き草は、秋の農作業の際に車輪に轢かれてくるんと巻いた枯れ草の事なのだそうだ。


とは言え普通の巻き草は亡霊にはならずにその植物本来の資質に沿うのだが、雪を掘っていて巻き草を見付けた際には適切な対応を取らないと、その巻き草を亡霊にしてしまう。


即ち、一言、お疲れ様でしたと労うのだ。



そのようなものなのかとネアは驚いたし、その一言を貰えずに亡霊となった巻き草は、自分を労わなかった者を亡霊の国に連れ去ってしまい、その後も獲物を求めるようになると聞いて更に驚いた。


有り体に言えば、ネアには巻き草の亡霊の気持ちは分からないし想像も出来ない。


雪の下でもずっとくるんとなったまま元の形状に戻れない事で荒ぶるのかなとは思うが、何も知らなければ、そんな巻き草にお疲れ様でしたと告げる発想もなかっただろう。



とは言え、背後にいるのは既に亡霊になった巻き草である。




(だから、対処法がさっぱり分からない!!)




要するに、ネアには巻き草の亡霊の対処法がさっぱり浮かばないのであった。


よりにもよって、ディノと離れていた時にこんなものに目を付けられてしまった事が無念でならないし、そもそもここは、厳密にはリーエンベルクの敷地内である。


なぜ、西門を開けて門前の花壇の横に出た場所に、こんな物騒な生き物が潜んでいるのだろう。


おまけに、踏み滅ぼそうにもこれは形を持たない亡霊で、となれば、激辛香辛料油も効かないに違いない。

更に言えば、悪しき方に傾いた亡霊となるときりんも通じない可能性もあるのではないだろうか。

亡霊の国がどこにあるのかは誰も知らず、死者の国ではないのは確かであるようなので、あわいのようなところなのではないだろうか。



さてどうしたものかと困り果てていると、不意に後方にもぞりと動く気配があった。




「そうだ、この女でいい。身なりもいいし苦労知らずの子供だろう。俺はもううんざりだ。こいつにしてくれ!」




(……………っ?!)



まくしたてるような声音は、年老いた男のものであった。


いきなり増えた誰かにぎょっとしてしまったし、その声の出現に振り返りたいところだが、振り返れば巻き草の亡霊がいるのは間違いないので、ここでうっかり振り返ってしまう危険は冒せない。



人外者の理不尽さそのままに、ネアがもしここで振り返ってしまえば、たったそれだけの事で巻き草の亡霊に魂を取られてしまうのだ。




(とは言え、背中を向け続けるのも不用心だわ。……………どうすれば…………)




そう考えていた時のことだった。

凍えるような冷気が肩口に触れそうになり、ネアは、びくりと肩を揺らしてしまう。


触れられる訳にはいかないと咄嗟に一歩前に踏み込んで避難すれば、繋いでいた手をぐいっと引っ張られ、そのまま頼もしい魔物の腕の中にすっぽり収められた。




「…………ここ迄だな。排除するぞ」




その直後、ざざんという鈍い音が響き、ぎゃあっと二つの悲鳴が上がる。

あの老人らしき声と、もう一つは最初の問いかけを成した巻き草の亡霊のものだろう。


そちらは、人間の悲鳴にも似ていたが、獣の声にも風に軋む枝葉の音にも聞こえる不思議な響きであった。




「……………どちらも草束になったか。やれやれ、俺にもさっぱり分からないな」

「ウィリアムさん………」



悲しく名前を呼んだネアに、しっかりと腕の中に収めてくれたウィリアムがこちらを見る。

もう大丈夫そうだと振り返ってみると、そこには束ねた麦束を振り回した後のような有様で、大ぶりな、乾いた草束が二つ落ちていた。


巻き草の亡霊の方はさもありなんという感じだが、後から聞こえた声の主も、草束になってしまったようだ。



(人間のような気配をしていても、人間ではないものばかりだったのだろうか……………)




なんて事はないものが転がり残るばかりなのだが、そんな無造作さがとても悍しく思えたネアは、しっかりと頼もしい魔物にへばりつき、ケープの中でその温度に安堵の息を吐く。


やがて、かしゃんという剣を鞘に戻す音がすると、ネアの頭にふわりと優しい手が載せられた。



「これで終わったみたいだな。それに、また別の巻き草の亡霊が現れるという訳でもなさそうだ」

「……………むぐ」

「俺が魔術解析を不得手にしているせいで、怖い思いをさせたな。…………エーダリア、やはり足りないか?」

「エーダリア様、解析出来ました?」

「……………すまない。折角お前が時間を稼いでくれたのだが、まだ完全にこの場所を特定出来たとは言い難い。魔術地番の四割というところだろうか………」



ウィリアムの後ろから申し訳なさそうにそう呟いたエーダリアに、ネアは、少しでも成果が得られたのならと静かに頷いた。




(ここはどこだろう……………?)



あたりは霧が立ち込めていて、すぐ近くのものすらよく見えない。

先程の巻き草の亡霊がウィリアムやエーダリアに気付かずにいてくれたのも、この濃い霧のせいだろう。



ネア達は今日、リーエンベルクの門の前で偶然顔を合わせたばかりだ。


西門の扉にも祝福魔術を宿した新年飾りをかけようとしたエーダリアと、そんな飾り付けがいち早く見たくて付いてきた人間、そして、リーエンベルクを訪ねようとしてネア達を発見したウィリアムである。


ウィリアムが合流した事で安心し、ディノはノアと話そうとして一歩下がった。

ヒルドも近くにいたのだが、アメリアと西門の周りの木々の剪定の時期について話す為に、その瞬間だけ何歩か離れていた。



そうして、三人でリーエンベルクの西門前に立っていたところ、如何にも不自然ではないかという濃霧に包まれてしまったのだが、その段階でもう、見知らぬ場所に招かれてしまっていたらしい。



(あんな自然に連れ去られてしまうものなのだ………)



独特の霧の香りからエーダリアがすぐに巻き草の亡霊の仕業だと気付いたものの、伝承では、巻き草の亡霊を追い払えないと連れ去られるという筈だったのだ。

その為、一緒にいたウィリアムやエーダリアが、慌てて対処方法を探っていたところでネアが声をかけられてしまった。



霧の中に入った瞬間から三人はしっかりと手を繋ぎ、誰かが巻き草の亡霊に話しかけられたら、そこから自由な者が魔術の繋がりや系譜を探るという作戦を立てた。

最も役に立たないネアが声をかけられたのは、ある意味幸いである。



「いえ、解析力皆無の私が、声をかけられるまでは上々だったのです。それなのに、触れられそうになって思わず動いてしまいました……………」

「いや、俺もあそこまでが限界だ。得体の知れないものを、ネアに触れさせる訳にはいかないからな」

「ふぁい。ウィリアムさんが、やっつけてくれてほっとしたのです……………」




相変わらず、周囲は濃霧に包まれている。


だが、先程迄の手を繋いだウィリアムも見えない程の異様な深さはなくなり、こうして三人でいれば互いの姿を確認する事は出来た。



ウィリアムが見た巻き草の亡霊ともう一人の人物も、この濃い霧の中にぼんやり浮かぶシルエットのようなものだったのだとか。




「恐らくここは、あわいの中でも季節の法則に縛られた場所なのだろう。冬の系譜であることは間違いないのだが、…………それ以外の事が探れなかった」

「であれば、俺は有利な筈なんだ。……………一定に敷かれた気配からすると、終焉の土壌でもあるようだしな。欠落と保管を併せ持つという事は、スリフェアのような法則性のある場所かもしれない」

「確かに、保管庫の魔術であれば、亡霊という名前の響きも不思議ではないのだな……………」

「……………恐らくだが、そのような形で、人為的に閉じている空間なんだろう。だが、その方がこちらとしては都合がいい。どこでもないどこかではなく、特定の魔術的な住所がある筈だ」



こてんと首を傾げたネアが不思議で難解な魔術の仕組みを解説して貰うと、あわいの中でも、どこでもないどこかという一番に厄介な肩書を持つものには、保管庫形のものなどは含まれないらしい。

どこでもないどこかに見えても、必ずある程度の魔術上の地番があり、それさえ掴めば外部からの介入が可能なのだ。



「どこでもないどこかの最たるものとして、紐づく情報を何も持たないのが、あわいの列車のようなものなんだ。俺達が体験したかつての物語のあわいなども、物語の結末まではその中に含まれる。地番のない場所に迎えを呼ぶのはなかなか厄介だからな」

「地番の解析は少しだけ出来ている。後はこの結果をノアベルトに知らせ、私達が消えた場所から証跡を辿って貰うことにしよう。……………しかし、巻き草の亡霊は、私が教えられていたものとはだいぶ違うものだったようだ。他の例も確認しなければならないが、特異な感じはしないものだったので、そもそもの認識が間違っているのかもしれない……」



顎先に手を当て、エーダリアは考え込む様子を見せる。


魔術師の塔の長として、珍しくはないものの対処方が間違っていたとなれば、かなり悩ましい事なのは間違いない。

幾つか近年の事例を集め、早急に対策を取らなければと気鬱そうに呟いていた。



「あの問いかけを成される前に違う場所に呼び込まれてしまうということは、巻き草さんを退けるものを持っている方は、その段階でぽいっと元の場所に戻されるのでしょうか」

「ああ。恐らくはそれが正しい認識なのだろう。戻ったら、ガレンの資料に追記しなければならないな。逃げ切ればいいだけだと思い抵抗すると、永遠にこの中を彷徨う羽目になりかねない」

「……………むぐ。結果としては、我々が現在そうなりかけています」

「ネア、大丈夫だ。この程度のものであれば、ノアベルトなら一刻もかからないと思うぞ」



そう頭を撫でてくれたウィリアムに、ネアはふにゅりと眉を下げる。


とは言え、三人がいるのは深い霧の中だ。

そう思い周囲を見回したネアは、霧の向こうに見知らぬ街が現れ始めていることに気付き、ぎくりとした。



「ウィリアムさん、街が……………」

「ああ。それでも、ここは保管庫のようなものの中なんだ。あの教会の尖塔と、こちら側の椎の木の上を見ると、微かに天井画が見えるだろう?」

「……………ほわ。た、確かに、屋内で見上げるような、天井画が薄っすらと見えます!」

「街の景色を移築し、それも保管しているのだな。まだ霧が濃くてどこの国のものかは判別しかねるが、建築様式としてはウィームにも近い。だが、……………あの特徴的な窓の装飾をどこかで見たことがあったような気がしたのだが…………」

「ロクマリアの地方都市だな。窓の装飾に覚えがあるのは、魔術書などで見たんだろう。霧の系譜の魔物除けの魔術だ」



やがて風で霧が揺らいだその隙間から、ネアにも窓の装飾が見えた。


瀟洒な住宅の窓辺には、優美な鉄格子のような独特な外扉が付いている。

特徴的なのはその意匠で、細やかな装飾の草花柄が絡み合うようになっていて、レース模様のような美しさがあった。




「あの扉の部分で、霧の魔物さんを追い払えるのですか?」

「正確には霧の系譜の、霧隠しの魔物をだな。ここに立ち込めている霧のように、魔術の障りや悪変で生まれる霧を司る魔物の一種で、下位のものではあるが人間にとっては厄介な相手になる。近年は、魔術の凝りの大きかったロクマリア域を離れ、少し南下した土地に巣を構えたそうだ。カルウィの方が気質には合うんだろうが、太陽と砂の系譜の強い場所では、生き永らえられないからな」



霧隠しの魔物は、美しい漆黒の大鷲の姿をしているのだそうだ。



深い霧の砦を辺りに張り巡らせ、霧に惑わせた獲物をその中で狩る。

怒りで不安定になっている人や、失意の中にある人、更には病気がちな人までを狙うと聞けば、どれだけ人間にとって厄介な相手なのかも明らかだろう。


ネアからしてみれば、落ち込んだり怒ったりする事くらい自由にさせていただきたいし、病気でぐったりしている時に厄介なお客が来るなど、許し難い蛮行である。


そんな魔物への対策を取っていた街がここにあることに、少しだけ不安になってウィリアムを見上げてしまった。



「その魔物さんは、ここにはいないのですか?」

「ああ。あくまでも景色を切り取っただけのもののようだ。巻き草の亡霊がどのようにして自我を持つのかは知らないが、巣作りに向いた素材として、この街の情景を切り取ってきたんだろう」

「むぅ、巣なのですね……………」



そう言いながらも、ウィリアムは腕の中に収めていたネアをひょいと抱き上げてしまう。

首に手を回してしっかり掴まっているように言われるとまだ怖い事が起きるのかなとはらはらするが、いざとなった場合はエーダリアも抱えなければなので、ネアだけは最初から持っておくという措置なのだとか。



「すまない、ウィリアム。私がここにいることで、行動の妨げになってしまっているな」

「いや、今回はここまで有利な系譜にもかかわらず、あの場所から切り離されるのを防げなかった俺の失態だ。自分で出来る事もあるだろうが、異変があった場合はまずは俺から離れないでいてくれ」

「ああ。己の技量を過信せず、あなたの指示に従うようにしよう」



もう片方の手も塞いでしまう事は出来ないのでと、エーダリアは先程からウィリアムのケープに掴まっている。

終焉のケープと言えば、それもまた終焉に根差した魔術の形であるので、滅多に切れてしまったりする事はないらしい。



はらりと、ウィリアムの前髪がどこからともなく吹く風に揺れる。


目が合うと白金色の瞳を瞠って優しく微笑んでくれるが、たっぷり水分を含んだ霧の中にいるので、いつもより髪の質感が重たく感じるような気がした。

自分もなのかなと思い摘まみ上げてみると、ネアの髪の毛も確かにしっとりと湿っているような気がする。



「むぐ。雨ではないので意識出来ていませんでしたが、この湿気は問題ないのでしょうか?」

「私もそれを案じたのだが、髪や布には湿ったような感触があるものの、霧そのものに魔術の気配がないのだ。触れることの出来る幻のようなものなのかもしれないな……………」

「おのれ、何と厄介な霧なのだ。どうせ幻であれば、じっとりべっしゃりしないようにしてくれればいいのにと思わざるを得ません」

「問題ないのでそのままにしておいたが、確かに体が冷えそうだな。こちらに影響を及ぼさないように、排除しておこう」

「むむ!ふわっとなりました!!」



どうやらウィリアムは、霧の影響を受けないようにすることも可能であったらしく、じわじわと体に水を染み込ませてゆくような霧の重さがなくなり、ネアはほっと息を吐く。


奥で同じように安堵の息を吐いたエーダリアも、何も悪影響はないと理解していてもほっとしたのだろう。


ウィームの霧は大好きだが、やはりこの場所に立ち込める霧には、陰惨な物語の中の悪意のような、例えようもない暗さと閉塞感がある。




(……………あ、)




そんな事を考えていた時のことだった。


視界の端に何かがゆらりと揺れ、はっとそちらを見たネアはぴっと体を竦ませる。

霧の中から現れたのは不思議な物体で、見間違いではなければ、花柄の木の板を何となく人型に切り抜いたもののように見える。



「……………むぎゅる」

「うーん、さすがにあれは、何なのか全く分からないな。エーダリアは知っているか?」

「……………いや、私も知らないもののようだ。魔術道具でもなさそうだ……………っ、」




ここでエーダリアがぴゃっとなってしまったのは、花柄の木の板が、突然キーキーと鳴き声を上げたからだ。


鳥の鳴き声に聞こえないでもないが、どこか金属音にも似た不思議な鳴き声は、先程、ウィリアムが排除してくれた巻き草の亡霊のものによく似ているような気がする。

どことなく不安を煽るような、奇妙な険しさの声であった。



しかし、不安が募ったのはそこまでであった。



キーキー鳴きながらこちらに向かって来ていた花柄の木の板は、途中で石畳に躓いてしまったのか、ばたーんと音を立てて倒れると、そのまま起き上がれなくなってしまったのだ。


石畳の上でじたばたもがいている木の板が、裏面も綺麗な花柄になっているのが何だか切ない光景だが、近付かないのであればもういいかなと、ネアは放っておくことにした。




「あれは……………」

「エーダリア様、あやつはもう滅びたも同然です。注視しておき、後は放っておきましょう。止めを刺そうとして触れるのも躊躇ってしまいますしね………」

「あ、ああ……………」

「俺が排除しておいてもいいんだが、呪いを誘発する事が目的の生き物の可能性もあるからな。良く分からない以上は放置しておこう」



ひとまず花柄の木の板の脅威は去ったものの、この空間の中には他にもおかしなものがいるのだろうか。


そう考えたネアが周囲を見回していると、同じ考えに至ったのか、ウィリアムやエーダリアも霧の向こうを探るように見ている。


やがて、ゴーンゴーンと遠い鐘の音が聞こえてきた。



耳慣れない響きではなく、馴染みのある葬送の鐘であるそれは、この空間のどこかで弔いが行われていることを示しているのか、或いはそれすらも幻の残響のようなものなのか。



「……………以前にギードさんと彷徨った、嘘の精さんに迷わされた場所を思い出しました。異質で、どこかぞわっとするような空間ですね。一人でここに放り込まれていたら、泣いていたかもしれません」

「このような場所に迷い込むのであれば、過去の被害者などが彷徨っているかもしれないとも考えたが、先程ウィリアムが排除したものを見る限り、変質してしまうのかもしれないな…………」

「……………もしかして、巻き草の亡霊さんに攫われると、あの花柄の木の板にされてしまったりします?」



ふと、そんな嫌な可能性に気付いてしまったネアに、男たちは酷く遠い目をする。


このような場合の反応はいつも決まっていて、残忍に殺されてしまうというような顛末を思うよりも、良く分からないものに変えられてしまうという顛末の方が心を抉るらしい。



「持って帰ってみるか?」

「……………可能であればそうしたいところだが、あの木の板がどのようなものなのか分からない以上、持って帰って障りを齎す可能性の方が高ければ、手を出さずにいた方がいいだろう。このような案件に於いては、被害を拡大させる事こそを避けるのが約定となっているのだ」

「私の大事な魔物や、研究に関わるであろうエーダリア様達に何かがあったら困るので、あやつはぽいです!」



暫く周囲を窺っていたが、他にはこちらに近付いてくるものの気配がないことから、ウィリアムは魔術で素朴な木の長椅子を作ってくれた。

ネアはウィリアムの膝に乗せられる形で三人で座り、お迎えの塩の魔物を待つのだ。


時間としては半刻程あったので手持ち無沙汰になってしまい、ネアは途中からウィリアムの前髪に手を伸ばして、こっそり違う髪型を開発し始めた。



「……………ネア?」

「むむ、気付かれてしまいました」

「前髪が気になるのか?」

「せっかくしっとりしているので、今ならいつもとは違う雰囲気のウィリアムさんを発見出来るのかなと、ついついいじってしまいました」



邪悪な人間に勝手に前髪をいじられてしまい、ウィリアムは少しだけ目元を染めている。


その隣のエーダリアがとても静かなのは、一生懸命メモを取っているからだ。

こちらはこちらで、この待機時間の内に出来る限りの記録を残そうとする魔術師魂に火が付いてしまったらしい。




「むぅ。ウィリアムさんはちび結びにする毛足はないのですね」

「ネア、頼むから前髪は結ばないでくれ。いいな?」

「はい。ウィリアムさんはやはり、変化を付ける際には前髪を全部持ち上げてしまうのが、恰好良くて素敵なようです。前髪をこの位置で分けると、雰囲気が少しだけほんわりしますが、優しい雰囲気だがその実はたいそう腹黒いという感じに見えなくもありません」

「はは、それは困るな。前髪を上げると、排他的な印象がすると言われる事もあるんだが、ネアは相変わらず怖がらないな……………」

「あら、私はこのウィリアムさんも、きりりとした感じがとても好きですよ?」



そう言えば、なぜかウィリアムは瞳に微かな安堵を滲ませた。


確かに、前髪を上げると、高位の人外者らしい鋭利さは際立つだろう。

だがネアは、寧ろそんな雰囲気も好きなので大歓迎なのだ。

ずっとこっちでもいいかなと思いつつそうは言わないのは、普段のウィリアムも大好きであるという配慮からであった。




ざざんと、空気が揺れた。



はっとして顔を上げると、そこには漆黒のコートを大きく揺らしたノアがいて、ネア達の姿を認めるとほっとしたように息を吐く。



「良かった、みんな無事だね」

「すまないな、ノアベルト。俺には、この場所の解析はさっぱり出来なかった」

「うん。僕もかなり時間がかかったから、そうなるよね。………亡霊って呼ばれるだけあって、立ち上げられた空間にも規則性が皆無なんだ。シルにも手伝って貰ったのに、これだけかかるって相当だよね…………。よいしょ、エーダリアは僕が持とうかな」

「……………ノアベルト?!そ、その、自分で立てるので、抱える必要はないのではないか?」

「良く分からない所を蹴って地上に戻る訳だから、帰り道ではぐれないようにしよう。ウィリアムも僕のどこかに掴まっていてくれるかい?」

「ああ。ネア、落ちないようにな」

「ふぁい。ここで、謎の花柄と一緒に暮らす羽目にはなりたくありません……………」

「……………え、今気付いたけど、あれ何?」



石畳の上で蠢いている花柄の木の板には、ここまでの道を見付けてくれたノアも呆然としたようだ。


途方に暮れたような悲しい目をした塩の魔物に、ネアは、あの木の板が巻き草の亡霊の被害者かもしれないのだと話してみる。

聞くまでもなく返答は分かっていたが、持ち帰れるかどうかを尋ねたエーダリアに、ノアはきっぱりと首を横に振った。



「僕でさえ、どんな系譜のどのような資質かすら分からないくらいだ。やめておこうか。シルなら分かったんだろうけど、シルには向こう側で帰り道の端を支えていて貰わないとだからね」



ふわりと、濃い霧をかき混ぜるような風が吹く。



石畳の上でがたがたと揺れている花柄の木の板は、こうして帰り道が確保されてから見れば、どこか哀れにも思えた。

ネアは、ノアにお願いしてここを出る直前で木の板を起こして貰うようにし、持ち上げてくれているウィリアムにしっかりと掴まる。



厳密には転移とは違うそうだが、転移のように淡い薄闇を踏み、帰り道だと思わしき影のようなものを踏むウィリアムの軍靴を見ていた。



背後で聞こえた木の板の鳴き声が、どこか悲し気にも聞こえたが、ネアは振り返らなかった。


高位の魔物にも良く分からないものを持ち帰る危険など、大事なものが増えた今だからこそ冒せる筈もない。




「ネア!」



戻った先は、落とされた西門前の場所だった。

三つ編みをへなへなにして待っていてくれたディノに手渡され、ネアは大事な伴侶にぎゅっとしがみつく。



「お帰り、ネア。怖かっただろう?」

「ウィリアムさんとエーダリア様が一緒なので、本来であれば怖くなかった筈なのですが、良く分からないものがいるという事で少しだけ怖い思いもしてしまいました。不思議な鳴き声を上げる、花柄の木の板がいたのですよ」

「……………ご主人様」

「まぁ、さては苦手な感じなのですね?」



戻って来たご主人様にそんな話を聞かされてしまい、伴侶な魔物はすっかり怯えてしまったようだ。


エーダリアとネアは、ノアによる魔術汚染の洗浄などの処置をしっかりと受け、念の為に侵食魔術に長けた妖精としてのダリル、更には、たまたまご近所にいた霧の精霊王であるエイミンハーヌにも体を診て貰い、漸く問題なしと判明する。




「これから、巻き草の亡霊には気を付けるようにしますね」

「巻き草の亡霊なんて……………」



ディノ曰く、そちら側の領域に問答無用で落とされてしまったからには、巻き草の亡霊の持つ魔術には魔術の理が絡んでいるに違いないという事だった。

だが、記録されていた情報とも違うようだというのであればもう、どのような理を持つ生き物なのかも判断が付かないそうだ。



あの花柄の木の板は、幸いにも犠牲者ではなかったようだ。



花板という祝祭用の大きな花柄のまな板を使う文化がロクマリアの一部の土地にあり、祝祭で使うので使用後の花板はきちんと焚き上げないと、あのように動き出してしまうのだとか。




その後、霧が珍しくはない土地で仕事をする者達には、巻き草の亡霊除けの道具の所持を推奨するお触れが出されたそうだ。



ネアも、小さなものでもいいのでと鉱石の鈴を腕輪の金庫に入れておくようにしている。











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