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蝋燭の輪と聖堂の魔物



ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎に小さな吐息が落ちる。

それは、誰が漏らした溜め息であるものか、けれども確かに蝋燭の炎を揺らした。


その部屋は決して狭くはなかったのだが、蝋燭の炎の光の届く範囲に留まりたいというのが人間の本能なのだろう。

五人程の人々は、決して仲も良くないのになぜか体を寄せて蝋燭を囲んでいた。



轟音を立てて雷が落ちる。

どこかでばりばりと木が裂ける音が響き、体を竦ませる男がいる。

幸い二人の女性は気丈にしており、惨めに泣き出したりしないことに感謝した。



(もっとも、その内の一人は怯える気配もないが…………)



窓の外は激しい雨で、ざあっと地面を叩く音が響き続け、窓を洗うような水が流れてゆく。


ここは奇妙なところであるので、きっと時計を見ても無駄だろう。

大人しく座っているのは、ここに揃った人間達の中に、この惨状を手がけたものがいるかもしれないからなのだが、今のところ動く気配はない。



塗り潰されたような黒い夜だ。


月や星の明かりはなく、時折空から落ちる稲光だけが夜を青白く照らし出す。

その度に聖堂の中が明るくなり、この中はこんなにも明るかったものかと不思議な驚嘆を覚えるのだろう。

彼等は目を瞬いて周囲を見回しては、あまり暗がりの向こうに何が潜んでいるのかを知りたくはないことを思い出したかのように、慌ててまた首を竦めて蝋燭の炎に視線を戻すのだ。



ゴーンと、誰もいない筈の聖堂の向こうで鐘の音が響いた。

先程体を竦ませた男が、震える指先を隠すように自分の手を握り込む。

その恐怖に引き摺られるようにして、隣に座っていた青年も身じろぎして爪先を自分の側に引き寄せた。



「それで、誰の命を差し出すの?」



そんな問いかけをしたのは、やはり一番気丈に見える一人の女であった。


長い黒髪を一本に縛り、淡い砂色の瞳には凛とした軸のようなものがはっきりと見て取れる。

その表情は涼やかであったが、とは言えこの女も決して清廉な人間ではない。

夫の裏切りに腹を立て、その財産の全てを我が物とするべく、夫と夫の親族たち、そして我が子さえをも手にかけた罪人の一人だ。

だからこそ肝が据わっているのかもしれないが、自分の思い通りにならないものであれば早々に片をつけてしまいたいのだろう。



「そんなことを、僕達で決められるのかい?聖堂の魔物が自分の獲物を選ぶだけの話ではないのかな?」



そう答えた青年は、微かな緊張を示した自分を恥じたものか、縮こまらせた足を先程の位置に戻している。


如何にも裕福な貴族という身なりをしており、けれども高慢な仕草は見られない。

ゆったりと微笑み分け隔てなく誰にでも手を差し伸べるような、柔和な表情が印象的とも言えるだろう。

しかしながらこちらも、聖人という通り名を裏切る悪辣さで、屋敷の中では使用人達を魔術の材料にしており、その犠牲者は十年の間にゆうに百人を超えたと言われている。



「そもそも、聖堂の魔物などというものが、実際にここに存在するのか?前に殺された五人だって、何か別の方法で殺されたのかもしれないじゃないか。誰か、聖堂の魔物について知っている者はいないのか?」


怯えを含んだ声で、だからこそどこか威圧的にそう声を張ったのは、騎士らしい体格をした壮年の男だ。


銀色の甲冑はこの暗闇の中でも光を集め、今は蝋燭の炎を映してオレンジ色の光を広げており、時には雷を映して時折青白く光る。

この中では一番体格に恵まれているのだが、その心は一番脆弱であるらしい。

何か来歴があるかもしれない立派な戦斧も、あるだけ無駄になりそうなつまらない人間であった。



「…………では、最初の方々が何者に殺されてしまったのかは、どなたにも分らないのですか?…………正直なところ、あの日記はいささか信憑性が薄いような気がします」



最後にそう話したのは、夜紺色の髪の少女だ。


光をよく集める瞳は灰色がかった水色だが、この暗闇と蝋燭の火の色の中では琥珀色に見える時もある。

行儀よく膝を抱えて燭台を囲んでいるものの、あまりこのような場所は得意ではないのだろう。

ここから離れて窓際の方にある長椅子にでも横になろうかという内心が窺え、手持ちの菓子を食べられないことが不愉快なのか、時折鋭い目をして窓の外を見ている。



「あら、じゃあ、あの惨状をどう説明するの?殺されていた魔術師は、近隣の町でも有名な高階位の魔術師よ。一人で森竜の祟りものを調伏させただけの腕を持つ方が、あのように無残に殺されたのですもの。高位の魔物が絡んでいると見て間違いはないのではなくて?」



黒髪の女が言うように、この聖堂には、ここにいる者達が集まった時に、他に誰かいないだろうかと内部を探索し発見された、凄惨な事件の起きた部屋がある。


そこには五人の魔術師達が無残に殺されており、その中の一人は、黒髪の女もよく知る高名な魔術師であったようだ。


残されていた日記帳の開いていたページに、聖堂の魔物が人々を食い殺したと書かれていたが、確かにあの日記帳は新品だった。

使い込まれていた日記帳にその記載があるならともかく、まっさらな日記帳の適当なページに書かれた言葉など、撹乱である可能性も高い。


ましてやそこには、聖堂の魔物が最初に欲しがったのは一人の獲物であったことと、そしてそれを拒絶し仲間達で団結したが為に全員が食い殺される羽目になったことまでが説明されていた。



(となると、この領域における、“魔術的な規則性”の説明の可能性もあるのか…………)



だが、そうなるとこの少女は、残された遺品が仕掛けられたものかもしれないという思考を持てるくらいには、平穏ならざる経験を積んでいるようだ。



(加えて、あの女と別室で殺されていた魔術師は生きた時代が違う。…………それぞれに見えているものにも齟齬が生じている可能性までもあるのか………)



「だったらさ、口を噤んでいる方が利口なんじゃないのかな。あの手合いにとって、僕達なんか塵芥のようなものだろう。ここでつまらない人間達が、誰を選ぶのかの議論をしていることの方が、聖堂の魔物の不興を買いそうだ。……………やれやれ、聖堂の中じゃなければ、僕も少し魔術を使えるのだけれどね」

「ふうん、清純そうな目をしてみせて、随分と後ろ向きなこと。それとも、あの扉の向こうの魔物に、自分が差し出されてしまうかもしれないから、この議論を潰したいのかしらね?」



聖堂の魔物は、聖遺物を納めた宝物庫に住んでいると言われていた。

確かに血の跡はその部屋に続いていたし、部屋の扉の隙間から漏れる饐えた匂いからすると、そこが何者かの寝ぐらになっているのは間違いない。



「この中で誰か一人を差し出すなら、議論は生じるにせよ、最終的には僕は選ばれないと思うよ。僕の扱うのは医療系の魔術だ。扉の向こうに何が控えているか分らない以上、生き残りたい者達にとっては残しておきたい力だろう」

「……………ふざけるなよ。であれば、俺はロッタルの騎士をしている。この森から生還する為の備えという意味では、俺が一番だろう!」

「……………それはまぁ、どうかしらね。あなた、さっきから震えっ放しじゃない」

「だ、黙れ!」



そこで、黒髪の女がこちらを見るのが分った。

光るような瞳を細めて静かに窺われ、うんざりとして片手を振る。



「俺もそれなりには使うが、ここで親しくもない連中に手の内を明かして何の意味がある?こいつの言う通り、聖堂の魔物というものが存在しなかった場合、先にこの中にいたお前達二人の内の一人が犯人の可能性もあるんじゃないのか?」

「あら、酷いことを言うのね」

「参ったなぁ。そう考えてしまうのか。………でも、僕はそうではないと示せるのは僕自身の言葉でしかないし、そもそも彼女と僕と、どちらが先に聖堂に居たのかすら分らない有様だ」



その言葉に、少女が首を傾げる。



「どちらが先に来たのかが分らないということは、入り口は他にもあるのですか?」

「うん、君達が入って来た正面扉だけではなく、この奥にある聖堂の裏口からも入れるよ。…………ただ、僕は、悪変した森狼に追われてここに逃げ込んだから、場合によってはお勧めしないかな。連中が待ち構えている可能性もある…………」

「…………俺は正面から入って来たが、やはり森の中で悪変した森狼に追われた。彼奴らは聖域には入れないが、夜明けまでは待った方が無難だろう。あの種の悪変は陽の光に弱い」



そう呟き、またぶるりと体を震わせた騎士に、黒髪の女は呆れた目をする。

このような時に向けられる蔑みの眼差しは、受け止める側からすればナイフのような鋭さに違いない。



「この豪雨なのよ?夜が明けたところで、陽射しの魔術の恩恵を受けられる程に晴れる保証はないと思うわ。その場合は、さしたる効果は得られないと思うけれど」

「襲ってくる狼達を、視認出来るかどうかが違ってくるだろう!あんたは、口先ばっかりで物事をまっとうに考えられないのか?」

「………………ふうん。そう言うあなたこそ、夜の暗闇にそんなに怯えているから、狼を退けるだけの勇気がないんじゃない?ロッタルの騎士なら、悪変した獣ぐらい戦ったことがあるでしょ」

「あ、あるさ。だが、ここは見知らぬ土地だ。そもそも、なぜこんな森の中に……………いや、そもそもここは、どこなんだ?」



自分の言葉の中で何かに気付いてしまったものか、ふっと漂白されるように、騎士の顔色が変わった。



呆然としながらも絶望している人間というものの見本になりそうな、いっそ感嘆する程の豊かな表情に、これはこれで、芸術の系譜の生き物達からすれば秀逸なモデルになるのではないかと考える。

思い通りの表情から外れないというのも、なかなか難しいものだ。



「…………何を言っているのよ?」

「俺がおかしいのか?そもそも、ここはどこの聖堂だ。俺は、何のためにあの森を走っていたんだ…………?」

「…………っ、やめてちょうだい。気持ちの悪いことを言い出さないで!ここは、カルウィの十八区でしょう。私はこの区の礼拝堂に用があって………」



ここで黒髪の女も、異変に気付いたものか絶句した。

貴族の青年もまた、二人の仲間の言葉に眉を寄せる。



「ここがカルウィだって?そんな訳ないだろう。あの国にこんな気候の土地があるものか。ここは、ロクマリアのイオディンの町の外れにある、教区特化地区だ。あの森狼達も……………どうしたんだい?」

「何を言っているの?ロクマリアなんて国、もうないでしょう?」

「………………待ってくれ、君こそ何を言っているんだ?」

「いやいやいや、おかしいだろう!ここがロクマリアなら、俺はどうやって自分でも知らない内に幾つもの国を越えたんだ?そもそもロクマリアは先月から内戦に入ったからと、隣国からの渡航は禁じられているんだぞ?」

「………………内戦だって?僕の国がかい?君達、いったいどうしたっていうんだ…………」



困惑したような言葉を切り上げ、青年は先程からひっそりと黙り込んでいる少女に視線を移した。



振り返る仕草で、無駄にフリルを寄せたクラヴァットが衣擦れの音を立てる。

それはこの暗闇で、どこか不吉にも響くのだろうか。



「……………君はどうして取り乱さないんだろう?こんな状況下で、恐らく君は一番幼い旅人だ。先程の言葉といい、身なりのいい子供が一人でこんな森に居て、泣きもしないのはいささか妙じゃないか?」



そう尋ねられると、静かな聖堂の中にどこか乾いた溜め息が落ちる。

ゆっくりと持ち上げられた視線は酷く透明で、その眼差しに見つめられた青年が微かにたじろぐ。


ああそうか、やはりこのような眼差しは失わないのだなと、その様子を愉快に思いながら傍観していた。




「………動揺しないのは、ここがおかしなところだと最初から気付いていたからです。皆さんの服装を見ても、私がここにやって来た経緯を考えても、ここは到底普通の所ではありません。最初からここが異常だと気付いているのですから、皆さんより用心深くもなりますし、若干の諦観に近しいものすら覚えても仕方ありません…………」

「……………服装?…………っ、お前何でコートなんか着てるんだ?今は夏だぞ?!」

「………私がいたのは、冬の季節の国だったんですよ」

「いやいや、夏だったぞ?!」

「待ってくれ、今は晩秋だ。これから冬だというのに、どうしてそんな薄着なんだ?」

「どういうことなの?私は昨晩、春節祭を終えたばかりなのよ…………?」



また一つ、小さく息を吐く音が響き、蝋燭の火がゆらゆらと揺れる。

思えば不思議なことに、この蝋燭の炎が揺れるのは、特定の人物が溜め息を吐いたり、喋ったりするときだけなのだ。



「…………あなたでしょう?あなたが何かをしたのね?」


そんな声に視線を向けると、黒髪の女が立ち上がってこちらを見ていた。

唇を噛んで、その手を腰帯の中に隠し持っているであろう武器に添えつつ、こちらを睨みつけじりりと一歩下がる。



「…………ほお?なぜ俺だと思う?」

「確かにこの子も怪しいけれど、あなた程ではないわ。…………それに可動域の低いこの子が、瞑想部屋の魔術師達を襲えるとは思わない。…………でも、あなたは今、笑っていたでしょ?」

「悪いが、俺は何もしていない。寧ろ、妙なものに迷い込まれて辟易としているところだ」

「…………その言い方だと、まるでここは君の領域のように聞こえるね」

「遠からずというところだな。都合のいい澱みだからと、買い上げるかどうか内見に来たところでこのざまだ。管理人は余程手間をかけずに保管していたと見える」

「管理人って…………。ちょっと待ってよ!じゃあ、あなたは、ここが何なのかを知ってるの?!」



先程の冷静さはどこへやら。

黒髪の女が声を張り上げたので、肩を竦める気分にもなれずゆっくりと立ち上がった。

立ち上がる様子をじっと見ている隣の少女をちらりと見、視線で黙らせておいてから片手を振るう。



「……………むぐ」

「悪いな。この女が落ち着くまでは、盾用に確保させて貰う」



片手で素早く小脇に抱え上げると、この小芝居に付き合おうとしたものか、ネアはじたばたしてみせた。



「…………大人しくしていろ」

「腹部はやめて下さい。そこを圧迫されると、空腹感が募ってしまい、その悲しさのあまり、周囲の生きとし生ける者達を滅ぼしたくなります」

「……………お前も大概余裕だな」




思わず呆れてしまうような言葉に、一瞬、張り詰めた空気が緩んだ。

けれども、青年は魔術の補強に使う短い魔術錫杖を手にしているし、騎士の男は隣に置いていた戦斧を構えている。

黒髪の女が構えたのは、小さな銀色のナイフだった。



「どうだろうか。君が聖堂の魔物であるなら、その子で我慢してくれないかな。幸いにも僕達は仲間でも何でもない。その子を手に引き下がってくれるなら、決して抵抗しないと誓おう」

「そういう事にしておくのも悪くはないがな………」



この輪から外れて煩わしさを手放すだけで済むのなら、勿論それでもいいのだろう。



だがここには、この領域にだけ敷かれた特殊な魔術の理があり、その手順に沿って行動しないと出て行けない迷路のようなところなのだ。


時間迄には帰らなければならない事情があるので、そろそろ片を付けた方が良さそうだ。



「………それじゃまるで、あなたは自分は潔白だと主張しているみたいね」

「この件に於いては、俺は只の訪問者に過ぎん。と言うよりも、その魔術の質といい、記録に残るロクマリアの聖人の失踪事件から推測すれば、どう考えても犯人はお前だろ」



そう告げられた青年の顔が、はっと強張る。



「……………っ、投げるぞ」

「投げ?!」



直後、思ってもいなかった因果と成就の関係の魔術が足元に組み上がり、抱えていたネアから慌てて手を離した。

こちらから離すために乱暴に放り投げられたネアは、とは言え、受け止める為の魔術を展開しておいたのでふわりと床に降り立つ。




ガシャンと、硬い物が噛み合う音が響いた。

続け様に、濡れたような音も。



「……………成る程、特定の術式でこの場を構築しておいたな…………」



耳障りな音の後に立ち上がった魔術が、獣用の捕獲罠めいた成就を形作る。

肉を断ち骨にめり込むその力は、こうして捕獲籠のような土地を構築するに至っただけの、人々の情念が編み上げてしまったものなのだろうか。

一介の人間としてはなかなかのものだ。



片足を捕らえたその魔術に顔を顰め、流れた血が靴を汚さないように術式を組んだ。

血が奪われないようにする為の術式は元々構築済みなので、ここから先にこの領域の主人が予定しているであろう流れには持ち込めまい。




(血を奪い、この領域に隷属させる特殊魔術だな…………)




「…………困ったなぁ。今迄の人達はみんな、その魔術で足を食われると泣き叫んだんだけど………」

「悪いがこの程度ではな」

「もしかして君は、まっとうな人間ではないのかな?妖精の混ざり物や、悍ましい竜の血が流れる人間だと、痛覚が我々とは異なることもあるそうだから。…………では、まずは手でも捥いでおくか」



がたんと音がした。

余程自分に自信があるものか、青年はそちらを振り返る。



「……………っ、あ、あなただったの?」


後ずさり、置かれていた机をひっくり返したのは先程の黒髪の女だったが、あの騎士は既により遠くまで逃げていた。


「うん。僕自身も忘れていたのだけれど、彼が、ここは僕の領域だと気付いてくれたら、僕にもそのことが思い出せるようになった。………元々ね、そんな風にこの土地を作ってあるんだ。ほら、僕はこれでも聖人だからさ、異端審問の奴らに僕のしたことが見付かるといけないからね」

「………………瞑想部屋の魔術師達は、お前が殺したのか…………?」



壁際にいる騎士からそう尋ねられ、青年は柔らかく微笑んだ。



「はは、あれはここでの最初の事件なんだ。聖人としてここに迎え入れられた僕に疑念を抱いた魔術師達がいてね、ある嵐の日の夜にここで今のように燭台を囲んで旅人を交えて話をした後、大切な話がしたいとあの部屋に呼び出されたから全員食い殺してやった。…………僕はさ、女の子にしか興味がないんだけどな」



そう言い、ネアに視線を向ける。

何とも言えない表情でこちらを見ていたネアは、その視線に気付き、ひやりとするような眼差しを向けた。



「…………そうして、手に入れた方々に、あなたは何をしたのでしょう?」

「はは、君みたいな他人に興味のなさそうな子でも気になるかい?」

「勿論、私が知りもしないような方々に何が起きたところで、それは私には与り知らぬ問題です。でも、あなたがそうして私のものを傷付け、私に興味を向けるのであれば、知っておかなければなりませんから」

「……………君の、もの?…………ああ、彼は君の知り合いだったのか。それなら尚更都合がいい。僕はね、妖精の血を引いていて侵食魔術が得意でね。魂というものはどれだけ澱むのかという魔術の研究をしている。侵食魔術で全身を満たした女の子達にね、その魂が歪み切るまで色々なことをさせて影響を見るのさ。…………うん。知り合いがいるなら好都合だ。君に彼の前で色々なことをして貰おう。彼を生きながら食うということも楽しそうじゃないか」



淡々とそう告げられ、ネアは瞳を眇める。

その眼差しの不穏さに微かに魅せられ、けれどもここでまた騒ぎを起こされては敵わないという疲弊も感じた。




「やめておけ」

「おや、今の君に何が出来るだろう。それは、思っていたよりも外せないだろう?何しろ成就という因果の上位魔術を敷いてあるからね。……ほら、聖人ともなると、ここに納められていた様々な聖遺物を自由に扱う権限が得られるんだ」



朗らかな言葉と柔和な微笑み。

その毒気に当てられたものか、黒髪の女も騎士のいる壁沿いに下がり、蝋燭の炎が照らし出さない暗がりで、必死に逃げ出す機会を図っている。


だが、彼らは大事なことを忘れているようだ。



この聖堂の全てが魔術領域である以上、ここから気付かれずに逃げ出す術など存在しないのだ。

ましてやここには、聖堂の魔物と呼ばれたのが誰なのかを知った順に獲物を捕らえる因果の魔術が働いている。

最初の犠牲者がいなくなれば、次にその事実を理解した者が自動的に捕らわれる仕組みだ。



(だが、確かにこの魔術は厄介だな…………。因果だけならまだしも、妖精の魔術……………こいつの血には、闇の妖精の血が混ざっている。侵食にこれだけ長けた妖精もいないだろう……………)



かつて、ロクマリアの名のある聖堂で、ロクマリアで聖人に選ばれた一人の伯爵が姿を消した。


その伯爵は近く国王の訪問を受ける予定であり、その準備の為に派遣された王宮付きの魔術師達が聖堂を訪れた三日後、聖堂はもぬけの殻になったと言われている。


残された夥しい血の跡から、聖人を狙った精霊や魔物達が、彼と、たまたまその場にいた魔術師達を襲ったのだと言い伝えられており、彼等の遺体はどこからも発見されなかった。



(だが、事実も何も、聖人の称号を得てから、以前にも増していっそうに自身の研究とやらに没頭していたこの男が、魔術師達と殺し合い、元より用意していた自身の併設空間に逃げ込んだだけに過ぎない…………)



人間達の多くはついぞ知らぬままであったが、この男がその日までに殺した同胞の数は少なくとも百人はおり、彼等の魂の成れの果てを使い、いざという時の為の避難壕代わりの空間を作っておいたようだ。


そのような意味では稀代の魔術師でもあったのだが、その後もこの影絵の向こう側から獲物を探して彷徨う内に、この特殊な土地そのものの主人として己の魂を作り変えてしまった。



今はただ、この領域を守りここに巣食う者として、あの嵐の日の夜を永遠に再現し続けているのだろう。



最初の夜とはいささか勝手が違うが、森狼に追われて聖堂に辿り着いた旅人を含め、五人の者達が蝋燭の火を囲んで夜を過ごす。

その中の一人が、聖人の秘密に気付いてしまい虐殺が始まる。


歴史に記されていないのは、最初の夜に森狼に追われて聖堂を訪ねたのが、行商人のふりをした欲望の魔物であり、暇を持て余した彼が、魔術師達が聖人の秘密に気付くように誘導したということだ。

惨劇の前にアイザックは姿を消し、五人の魔術師達と、恐らくはこの聖堂に勤めていた者達だけが犠牲になった。



愉快だからと、閉ざされた避難壕を永遠の夜を繰り返す影絵に固定したのもアイザックだ。


すっかり飽きてしまい、この度内部を掃除して売りに出すということだったが、誰よりも早くその情報を入手したからか、はたまた同じ魔物であれば構わないだろうと考えたのか、まだその手をかけていない物件を内見させられたに違いない。




「悪趣味さもまたあなたのものですが、その矛先を私の持ち物に向けるのであれば、私にはあなたをとても酷い目に遭わせるだけの権利があるのでしょう」

「ふぅん。君はこういうことが恐ろしくないのか。であれば、君自身がこういう人間なのか、この様なところを歩いてきたことがあるのかな。でも僕はそういう獲物も沢山狩ってきたんだよ?」

「あら、それを言うのなら、私も狩りは得意ですよ?………身勝手さは人間のらしさとも言えますし、それをあなたがどう扱おうと自由です。私はそれはお好きにどうぞと言えるくらいには冷たい人間ですが、自分の持ち物に手を出されるのだけは我慢ならないのです」

「へぇ。身勝手だなぁ。………それに、そんな鮮烈さを舌に乗せるには、君は凡庸で見栄えがしない。これが、成る程これは特別な人間だなと思わせる飛び抜けて美しい子が言うなら効果があったかもしれないけれど、………魔術階位といい、君では役足らずだ」




この様な時にふと思う。

それはかつて、シルハーンの愛妾だったこともある一人の魔物も口にした言葉だ。


ちりりと焦げ付くような不快感と、意表を突かれるような困惑に、彼等は何を言っているのだろうと考える。



けれども同時に理解もしており、この人間は、同族の中では凡庸と評される外見をしており、特定の系譜の者達の間では全く魅力的ではないとされるのだ。



でも、とてもそうは見えなかった。




「それは、私があなたを滅ぼすのに必要なことでしょうか?あなたを許さないのは、私の問題であり、私の我が儘です。この体の包装紙がどうであれ、それは我慢していただきたいと言うしかありませんね」



そう微笑み、首飾りの金庫から何かを取り出すネアを見ていた。

本当なら既にかけられた魔術は解析済みで取り外せるのだが、もう少しだけ彼女の様子を見ていたいと考えてしまう。



シルハーンやノアベルト、ウィリアム達がそのどこを気に入っているのかは知らないが、アルテアはこんな部分を気に入っている。



だが、ネアが取り出そうとしたものに目を止め、小さく息を飲んだ。




「おい、それはやめろ」

「すぐに助けてあげますから、大人しくしていて下さいね。動くと出血が多くなってしまい……………む、取れています」

「もう問題ない。………ったく、お前は少しも待てないな」

「…………痛くないですか?歩けます?」



こちらを見て瞠目している領域の主人は放っておき、不穏な小箱を取り出したネアの手を掴んで、その武器はしまわせた。

またいつものように唸るかと思ったのだが、こちらを心配そうに見上げた鳩羽色の眼差しに、どこかぎくりとする。




「……………何の問題もない。それより、さっさと帰るぞ。魔術を返した以上、こいつを排除するのは造作もないが、ここはそれなりに使えそうだからな」

「…………こんな嫌な奴がいる不動産を、お買い上げしてしまうのですか?せめて、こやつの足をさっきのもので、ばちんとやり返しましょう!」

「言っただろう。使えるからそのままにしておけ。…………やめろ、おかしなものを取り出すな!」

「むぐるる。私の使い魔さんを傷付けたのですから、せめてきりんボールの刑に…」

「帰ったら、パイでも食わせてやる。それでいいだろ」

「……………お肉系のほかほかパイはありますか?私はまだ昼食を食べていません」

「ああ、作ってやる」



そう言えばネアが漸く納得したので、抱き上げて退出の転移を組んだ。


領域の主人の魔術を破らないと組めなかったものだが、想定通りあの拘束を解いただけでいいらしく、問題なく組み上げられた。



「ディノが帰って来たら、アルテアさんとの不動産の内見は事故でしたと告げ口します」

「この程度のことは珍しくない。それと、パイはいいのか?」

「…………普段から危ないことをしているのなら、もうアルテアさんはちびふわにして飼っていた方がいいのかもしれませんね」

「やめろ…………」




ネアを連れ帰り、待っていたアイザックにこの領域は買い上げる旨を伝えた。



「そして、この斧は売れますか?」

「おや、懐かしいものをお持ちになられましたね。戦火の中に失われたと思っておりましたが、地竜の王が人間に授けた伝承に残る武器の一つですよ」

「………妙に重いと思ったら、そんなものを持ってきたのか」

「寧ろ、なぜにアルテアさんが気付かなかったのか謎です……………」

「では、こちらも他の品物と一緒に査定いたしましょう。これは、なかなかの引き取り額になりそうですよ」

「はい!」

「………お前は、こいつが一緒の時に内見させれば、何かしらの収穫を持ち帰ると思っていたのか」

「いえ、まさか。王の伴侶である方をそのように使ったりはいたしませんよ」

「どうだかな」




アクスを出ると、早くパイを食べたいと急かされ、ひとまずはリーエンベルクに戻り、そこからあの厨房に繋げて作ることにした。


シルハーンが伴侶の薔薇を用意する為に不在にしているこの日、ネアがアクス商会に獲物を売りに行くのに同行するだけだった筈が、思っていたよりも時間がかかったようだ。



(途中でシルハーンが帰ってくるだろうな…………)




そう思うと、シルハーンにも食べさせる羽目になりそうだったが、なかなかに愉快な時間を過ごせたのでいいとしよう。




買い上げた聖堂も、いい暇潰しに使えそうだ。








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