123. 星祭りで落とされます(本編)
見上げた先で夜は馥郁たる艶やかさで、けれども今夜ばかりは清廉な軽薄さで星々が騒めいている。
紫紺の夜の光を煮詰めたようなとろりとした夜空には、きらきらちかちかと星の喝采が満ちていた。
その日、ウィームでは遅れに遅れた星祭りの夜となった。
勿論、今夜こそ夜空は綺麗に晴れており、星の光を映した雪景色はぼっと青く輝くよう。
ネアはお気に入りの乗馬服でリーエンベルクの中庭に立ち、腰に手を当てて空を仰ぐと、ふっと甘く微笑んだ。
ここから始まるのは、勝利の道行きである。
今年こそ、星祭りの祝福はこの偉大なる人間の前に首を垂れるだろう。
「………ご主人様」
暗く鋭い目で空を見上げている人間に魔物はすっかり怯えてしまっているが、待たされた期間も鍛錬を怠れなかったネアは、すっかり世界を呪うくらいの筋肉疲労を抱えていた。
だがそれは、ネアに限っての事ではないだろう。
星祭りの日にしか売られない祝祭の飲み物を求めて午後に街に出た時にも、これから戦争が始まるのかなという眼光の人々があちこちにいた。
中には、星屑としか呟けなくなってしまったご婦人もおり、かけたい願いがある人々にとってのこの待ち時間がどれだけ過酷なものだったのかを示している。
人間は強欲なのだ。
清々しいほど明快に、それは願いを叶えてくれる。
「いいですか、ディノ。ザハの王様のガレットを食べる為に、私は何としても星屑を乱獲しますね」
「沢山集めるのだね」
「落下数が少ないようであれば、空に向かってきりんさんボールを打ち上げる事も視野に入れております」
「ご主人様…………」
「事前購入者予測一覧によると、私は現在、五十七位なのですよ!!ぐるるる!!」
「ネア、きっと……………ガレット?……………パイは食べられるよ。ほら、落ち着こうか」
「むぐ?!お口に、美味しいおやつゼリーが!」
ネアは、美味しい苺のおやつゼリーをもぎゅもぎゅすると、幸せに膨らんだ胸をそっと押さえた。
噛み締めると果汁の味わいが豊かで、けれどもざらりとまぶされたお砂糖の甘さがお菓子らしさを増してくれるおやつゼリーは、幾つ食べても心の躍る素敵な一口ゼリーである。
なお、ザハの王様ガレットとは、ウィームの星祭りの後に販売される伝統菓子だ。
ネアの前の世界でいうところの、公現祭のお菓子、ガレット・デ・ロワのようなもので、ディノがガレットなのかパイなのかで迷ってしまうのも致し方ない、分かりやすく言えばパイ生地の中にアーモンドクリームを入れたパイケーキのようなものである。
パイケーキの上には紙で作った王冠が載せられており、中には可愛らしい陶器人形が入っているのがこのお菓子だ。
皆でカットして食べる時に、自分のケーキにその人形が入っていたら王様、つまり当たりということになるところも、ガレット・デ・ロワと同じようなものと言っていいだろう。
とは言え、王様になった人が周囲の人の食事代を奢ってやったりする必要はなく、こちらの王様ガレットは、王様に選ばれた人には幸運が訪れるばかりの心穏やかなケーキだ。
限定数が五十台と少なく素早く売り切れてしまうので、ネアは、昨年までこのお菓子を知らずに過ごしていたのだが、今年の陶器人形が銀狐であるという情報により、とうとうそのケーキの存在を知るに至った。
(知ってしまったからには、絶対に欲しいのだ……………)
強欲な人間は勿論そうなってしまい、ネアはその日が来るのをずっと楽しみにしている。
この王様ガレットには購入の際の厳しい掟もあって、販売店が発売開始を宣言したところから家を出て、しっかり並んで買うのがお作法なのだ。
本来、平等に誰もが買えるようにという取り決めだったその作法は今、情報収集能力と個人の身体能力の高さを競う為の条件付けのようになってしまっている。
店の前で販売開始の合図を待つ係や、その一報を家で待機している家族や仲間に伝える係、合図と共に家から飛び出す実購入者係という各班の連携も重要になり、ケーキを買いたいだけなのにチームとしての能力の高さを求められる恐ろしい風習であった。
ゼノーシュですら滅多に買えないと聞けば、どれだけ過酷な戦いになるのかは想像が付くだろう。
リーエンベルクの騎士を動員しても、この日の為に一年間鍛錬を積んできたチームを負かすのは難しいのだそうだ。
(そんな王様ガレットを、星祭りの力を借りて買おうとするだなんて、私は何と賢いのだろう!)
自画自賛の人間は、ふっと仄暗い微笑みを浮かべ、己の狡猾さを少しだけ怖く思いながら夜空を見上げる。
そこにやって来たのはエーダリア達で、銀髪のウィーム領主はなぜか、後ろめたげにネアの方を見るではないか。
どうしたのかなと、こてんと首を傾げたネアにかけられたのは、とても無情な言葉であった。
「すまないな、ネア。今年もリーエンベルクに待機していて貰うことになるが………」
「なぜなのでしょう!わたしはだれもほろぼしません!!」
「わーお。去年の悲劇を忘れているぞ………」
「ノア………?」
「ネア、お前は去年、派生したばかりの星祭りの魔物を殺してしまっただろう?」
「なんのことです?」
ネアは無垢な瞳でふるふると首を振ったが、なぜかエーダリアは困惑したような目でこちらを見ると、ノアやヒルドとこそこそと話し合っている。
不当な扱いであると足踏みしたネアだが、その振動に驚いた妖精が近くの花壇から飛び出して逃げてゆくと、エーダリア達はなぜか無言でこちらを見るのだ。
よりにもよってここで、無害ではない証明をしてしまった不運な人間は、悲しみのあまりに眉をへにゃりと下げる。
「……………むぐ。………ぎゅう!!!」
「ネア、今年も沢山の星屑を拾ってあげるよ?」
「………ふぁい。私の伴侶はとても頼もしいのですよね?」
「ネアが虐待する………」
ここで、今夜は沢山慰めてくれなければならない魔物が本番の前にへなへなになってしまい、ネアはぎりぎりと眉を寄せた。
ノア曰く、星祭りは新婚さんの破局の切っ掛けとなりやすい祝祭であり、自分はそうはなるまいと怯えていたディノにはいささか刺激の強い言葉だったらしい。
「……………なんと儚いのだ。もう少し頑張って下さい」
「ネア………?……今夜は頑張って星屑を集めるから、ずっと傍に居てくれるかい?」
「今度は涙目になってしまいました。なぜに情緒不安定なのだ」
「ありゃ、シルも今夜は大変だなぁ」
星祭りの日は、ウィームに数ある祝祭の中でも、恋人達や夫婦の破局を招き易い日だ。
空から落ちてくる流れ星を拾い、願い事を叶えて貰うというおとぎ話のような楽しげな祝祭なのにどうしてなのだろうかと思うだろう。
そこには、星祭りで得られる星屑がその祝福の領域で為し得ない事以外であれば、だいたいの事を叶えてくれるという世知辛い理由があった。
それは例えば、丹精込めて育てている花壇の花が綺麗に咲く事や、漬け込んである果実酒がとびきり美味しくなる事。
ドレスを買おうと思っているので、思い描いているような素敵なものが見つかりますように。
先日捻挫した足首が、早く良くなりますように。
中には、ウィームでも幾つか合法的に販売されているくじ系のものの勝率を上げたいという願いや、好きな人に振り向いて欲しいというような願いもある。
どこまでを叶えて貰えるのかは未知数だが、日常に紐付く願い事が多い分、ウィーム領民達はこの夜に一年分のささやかな願い事を叶え尽くすべく、死力を尽くすのだ。
となれば勿論、星屑を殆ど拾えないような伴侶や恋人と組んだ者達は、その年の願い事の幾つかを諦めざるを得なくなる。
花壇の花が虫食いにやられてしまったり、そんなに美味しくない果実酒が出来たりする事が一度くらいなら我慢出来るだろうが、皆は叶えているのに、自分だけはその人と共にいる限りずっと続くのだと思うようなことがあれば、我慢出来なくなる人もいるだろう。
人間の願い事は我が儘なのだ。
(多くの人達の小さな願い事を沢山叶えてくれる祝祭だからこそ、星祭りでの不手際は縁の切れ目になってしまうのだわ………)
この時期になると、街のあちこちでそんな会話がなされているので、ディノが不安になるのも致し方ないのだろう。
ネアからすれば、この魔物は毎年沢山の星屑を集めてくれるだけでなく、その全てを献上してくれる事も辞さない優しい伴侶なのだが、残念ながらいつもネアの願い事が叶わないので、星屑は常に不足している感じにもなってしまう。
「ネア様、今年は、ゼベルとエドモンがリーエンベルクの警備を統括します。何かございましたら、彼等にご連絡下さい。勿論、私も魔術通信は常に可能な状態にしておきますので、どうぞご安心下さい」
「はい。ゼベルさんとエドモンさんがいれば、すっかり安心ですね。………ただ、その、こちらにもご配慮いただくようであれば、我々もミサの方に参加していましょうか?」
エーダリア達は、これから街に向かう。
大聖堂では星のミサが行われ、最初の流れ星が落ちてくるまでは、皆で星の唱歌を歌うのが星祭りだ。
これ迄は見送ってきたミサへの参加だが、そろそろご一緒させていただくのも吝かではない。
ネアは、自分とて人々の中であの歌を歌えるのだとじたばたしたが、結局参加の許可は下りなかった。
「……………ぎゅむ」
「その代わり、今年は僕の妹の大好きな毛皮の生き物を呼んでおいたからね」
すっかりしょんぼりしてしまったネアに、ノアベルトがそう言って押し出してくれたのは、雨の日の庭園のような青灰色のスリーピース姿のアルテアではないか。
おまけに、そんな魔物はとても嫌そうな雰囲気を全開にし、顔を顰めている。
「…………おのれ、もふもふしていません」
「これから擬態して、あの雪豹になるらしいよ。お兄ちゃんが、頑張って捕まえておいたんだ」
「おい、やめろ。押し出すな」
「……………それなのにアルテアさんは、まだ白けものにならないのです?」
「なるか。どうせまた事故るんだろうが。昨年の星祭りで、派生した直後の魔物を滅ぼしたと聞いているぞ」
「きおくにございません」
「ネアは、動く布袋を見て、星祭りの祟りものだと思っていたのだよね」
「………は?」
「……………あれが、………星祭りの魔物さん?」
確かに、そんな生き物であれば覚えていた。
突然目の前に見覚えのない布袋が現れてもぞもぞごわごわするので、ネアは、てっきり星祭りに星屑を一つも拾えなかった人の怨念が凝ったものに違いないと考えてしまい、星の唱歌を歌ってあげたのだ。
その途端にぱさりと動かなくなり、さらさらと灰になったので、綺麗に浄化出来たと喜んでいたのだが。
(……………あれが、)
ここで、狡猾な人間はぷいっとそっぽを向いた。
野生の生き物達の生存競争は過酷なものである。
その魔物は、生き延びる為の力が足りなかったという事に他ならない。
かくして人間は、儚い身の上でもこの世界で健やかに生きてゆく為に時には黙秘を選択するのだった。
「……………きおくにございません」
「ほお、直前の発言は何だ?」
「ディノ、アルテアさんが意地悪なのですよ」
「後で叱っておいてあげるよ」
「やめろ」
白けものの素を置いたことでほっとしたのか、ノアは、エーダリア達と一緒にミサに参加するべく転移で出かけて行った。
「……………くすん」
「可哀想に。連れて行ってあげられなくてごめんね、ネア。……………屋根の上に行くかい?」
「……………ふぁい。きらきらの街を眺めて、勝利の王様ガレットの味を想像してみますね」
「おい、恩寵の祝祭と言われる日に、お前はさっきから食べ物の話しかしていないからな?」
「…………む?」
この星祭りは、流星の光を映した沢山の蝋燭に火を灯すので、リーエンベルクから見るウィームの街は星雲のようにきらきらと光る。
街中の至る所に蝋燭を置いてしまうのだが、星屑拾いに夢中になってしまった人々が火傷などをしないよう、蝋燭の芯の周りには透過性の高い結界を巡らせてあり、異国からの観光客はそれだけでもう感動してしまうのだとか。
この蝋燭作りには割れてしまった星屑も使われており、昨年の暮れに祝祭用の蝋燭職人達から、リーエンベルクは沢山の星屑の欠片を提供してくれて助かると感謝が寄せられた。
しかしそれは、ネアの願い事が叶わなかったという悲しみの記憶でもある事を、忘れてはならない。
「今年は、必ず願いを叶えてみせます!!」
「王様のパイを食べるのだね?」
「はい。そして今年こそ、女の子のお友達を作ってみせますね」
「……………それはいいかな」
「とうとう、はっきりと否定されるようになりました……………」
「そうだな、お前はやめておけ。どうせろくでもない事になる」
「ぐるるる!!!」
今年の年初めの祝祭は、雲の魔物による豪雨被害の日を経て少しばかり後ろ倒しにされていた。
街の方から伝わってくる賑わいからは、待ち焦がれた瞬間に昂る人々の思いも伝わってきていて、ネアは、まだ開始の予兆のない美しい夜空を見上げる。
屋根の上には雪も積もっているが、そこに足を取られて転んでしまうような事はないらしい。
雪の魔術を上手に結び、ネアの優しい伴侶は、屋根の上で転ばないような魔術を敷いてくれているのだ。
きりりとして空を見上げる魔物は、星屑も集められない役立たずめと、ご主人様に捨てられてしまうのが怖いようだ。
(そんな事はしないのにな…………)
ネアは、開始のその前にとくすりと笑い、大事な魔物の頭をそっと撫でてやった。
「……………ずるい」
「ディノ、星屑があまり集まらなくても、私はディノが大好きなままですからね」
「……………ずるい。可愛い」
「言語能力が著しく下がっているようですが、これは真理なので、揺るぎない事を覚えておいて下さいね」
「……………ったく。やれやれだな」
「屋根の上に椅子とテーブルを出している魔物さんがいます。寛ぎ過ぎですが、この後は、上から星屑が沢山落ちてくるのですよ?」
「排他結界がある。人の心配よりも、自分の頭の面倒を見ておけよ。わざわざ傘を作ってやったりはしないぞ」
「大事な星屑は一つ残らず拾い尽くしますので、傘で弾き飛ばすつもりはありません!」
やがて、夜空に淡い水色のオーロラがかかった。
ざあっと張り巡らせられ、夜空にゆらゆらと揺れる魔術の煌めきの美しさに、ネアは今年もまた夜空を見上げて胸をいっぱいにする。
頬を撫でる冷たい夜風と、雪の香り。
そして、この祝祭の夜にはいつもしゅわしゅわと弾けるソーダ水のような甘くて懐かしい香りがした。
屋根の上から見渡すウィームの街は、この日ばかりは星空のような輝きに包まれる。
蝋燭の炎が宿した流星の輝きを燃やし、映した流星ごとに色味を僅かに変えた炎が複雑に光を重ねてゆく様は、なんとも幻想的な光景であった。
(あ、始まった……………)
街の方から、星の唱歌が聞こえてきた。
まずは最初の歌声がどこか遠くで響き始めると、賑やかな中心地や、穴場を探した人々が陣取ったリーエンベルク前の並木道、そして、リーエンベルクの敷地内からは騎士達も。
優雅だがどこか物悲しい旋律は心を揺さぶるような美しさで、どこからともなく聞こえてきたバイオリンの音色も重なり、歌劇の最終幕のように音の幅を膨らませてゆく。
この星祭りのお作法は国によって違うそうだが、ウィームに古くから暮らしている人外者達の一部もこの星の唱歌を歌うので、禁足地の森からも囁くような歌声が聞こえてきた。
(あくまでも星の唱歌は人間達のものなのだけれど、妖精さん達が楽しくなってしまって、みんなが歌っているこの歌を歌うようになるのだとか…………)
蝋燭の炎が揺れる街が歌声で満たされると、リーエンベルクの屋根の上に立ったネアには、街全体が歌っているような気がした。
繊細で美しい旋律に体を委ね、うっとりと祝祭の魔術に聞き惚れる。
ここであまり心を緩めてしまう訳にはいかないのだが、それでも今ばかりは音楽の中に体を埋めていたい。
音楽に包まれるその贅沢さに満たされれば、ネアは口元をむずむずさせた。
「……………なんて素敵なのでしょう。この歌声だけでうっとりしてしまいますね」
「ネアが可愛い………」
「む、これから戦になりますので、三つ編みはご遠慮下さい」
「ご主人様…………」
その時、はたはたという布が風にたなびく音がした。
ぎくりとしたネアは、星祭りの魔物が昨年の報復に来たのかもしれないと慌てて振り返り、屋根の上に立った白い軍服姿の魔物に目を丸くする。
振り返ったネアと目が合うと微笑んだウィリアムは、どこかにまだ凄惨な死者の王としての気配を引き摺っており、戦場からそのまま来てくれたのだとよく分かった。
「まぁ、ウィリアムさんです」
「ノアベルトの奴、お前にも声をかけたのか………」
「ああ、アルテアも来ていたんですね。シルハーン、無事にこちらの仕事が片付きましたので、念のために星が落ちきる迄はこちらにいます」
「うん。来てくれて有難う、ウィリアム」
「…………待って下さい。ノアはもふもふの成分としてアルテアさんを呼んでくれた筈なので、となると、ウィリアムさんは竜さんになってくれるのでしょうか?」
「ネア?……………いや、この祝祭で新しい派生があるかもしれず、その特性によっては危ういかもしれないと言われて来たんだが違うのか?」
白金色の瞳を瞠って首を傾げたウィリアムに、ネアもこてんと首を傾げた。
慌ててディノを振り仰げば、水紺色の瞳を揺らしてどこか困ったような優しい微笑みを浮かべる。
「昨年は滅ぼしてしまえたけれど、再派生がある場合は、その欠点を補って派生してくることがあるからね。もしまた君が壊してしまうと、良くない影響を受ける可能性がある。ノアベルトはそれを警戒したのだろう」
「……………心配してくれているのはとても嬉しいのですが、なぜ滅ぼす前提なのでしょう」
ネアは、か弱い乙女がそこまで残忍な振る舞いはしないのだとふるふると首を横に振ったが、それも、最初の流れ星がひゅんと夜空を横切る迄であった。
わぁっと街の方から聞こえた歓声に、しゅわしゅわとした銀色の尾を引き星が落ちていったのは、美術館通りの方だ。
「ディノ、いよいよですよ!」
「うん。沢山拾うのだよね」
期待のあまりにぶるりと震えたネアに、ウィリアムは軍帽を取りながら夜空を見上げている。
翻った白いケープが清廉な鮮やかさで、それに対比するように、屋根の上に作業机を出して新聞のようなものを読んでいるアルテアの姿は夜闇に溶け込むように暗い。
「……………星祭りか。ウィームはせめて、戦乱にならないのが幸いだな」
「まぁ、他所の土地では戦乱になってしまうこともあるのですか?」
「カルウィの方ではその危険が高まる。王族が奴隷達を使って星屑を集めるんだが、王族同士での奴隷の奪い合いや土地の確保の為の小競り合いも起きるからな」
「まぁ。なぜ自分の手で拾った星屑を他人様にあげなければいけないのでしょう。許されざる暴挙です。……………むむ!」
空の星々がいっせいに動いた。
滲むような弾けるような煌めきを揺らして空が鳴る。
そうとしか表現の出来ない星の流れる美しい音に、ネアは、じっとりと汗ばむ手をわきわきさせる。
(まだ、こちらには落ちてきていないみたい……………)
夜空の星が大きく瞬きさっと流れ落ちるのだが、既に街の方には、幾つかの流星が落ちてゆくのが見えた。
まだかまだかと足踏みしていると、ようやくリーエンベルクの頭上に流星の影が落ちる。
光の尾を引いて落ちて来た星屑は、近付いてくるとしゅわしゅわと光る星屑本体が視認出来るようになるので、ここからは目を離してはいけない。
ネアは、己は狩りの女王であると心に言い聞かせて冷静さを保ちつつ、斜め掛けにした星屑用の布鞄の位置を再確認し、ぽこんと屋根の上に落ちて来た最初の星屑に飛び付いた。
「拾いました!」
「良かったね、ネア」
「ふぁ、最初の一つは、大きな星屑で中の色も綺麗で上々な滑り出しです!!」
星祭りの日に空から落ちてくる星屑は、水晶の欠片のようなものの中で空にあった時の輝きの残照が揺れている。
仄かに温かく、手のひらの上で綺麗な水色と黄色の星の光が淡く煌めく様は、唇の端が持ち上がるような美しさだ。
ネアは、すぐに星屑拾いの狂乱に飲み込まれてしまう脆弱な心の持ち主だが、最初の一つばかりは夜空からの素敵な贈り物を大事にしよう。
手のひらの上の温度に心を緩ませ、大事に握り締めると布鞄に入れた。
空からは、次々と星が落ちてくる。
リーエンベルクの屋根の上にもそこかしこに星屑が転がり、ネアは素早くあちこちを駆けまわって獰猛に星屑を集めた。
図らずも同席することになってしまったウィリアムも星屑集めを手伝ってくれるが、よく見ると、大ぶりな動きで踏み壊しているものもあるので、ネアは小さく唸る。
奥ではディノがきゃっとなっているが、こちらは、張り切って勢い良く落ちて来たものか、地上に到達する前に燃え尽きて黒く煤けた星屑に触れてしまったらしい。
星祭りの夜には沢山の星が流れ落ちてくるので、品質管理が杜撰になってくる後半では、粗悪な黒焦げ星屑も混ざってくるようになる。
黒焦げの星屑は熱いので、触れる際には注意が必要なのだ。
「むふぅ。今年も沢山拾えました!」
「ネア、こちらにも集めておいたよ」
「まぁ、ディノも沢山集めてくれたのですね。さすが私の伴侶です!」
「ご主人様!」
ネアはこのような時は伴侶として喜んで欲しかったが、大事な魔物が真珠色の髪の毛や水紺の瞳をきらきらさせて嬉しそうにしているので、指摘せずにおくことにした。
今年のネアの収穫は、布鞄の半分くらいだろうか。
元々かなりの容量のあるものなのでそれでいいのだが、後半は、ウィリアムが星を踏んでしまうことが気になってしまい、少々注意力が散漫になってしまった。
だが、そんなウィリアムも沢山の星屑を拾ってくれたので、ネアは、そちらも少しはいただけるのだろうかと目をきらきらさせてしまう。
「思っていたより、難しいものなんだな。空中で受け止めようとすると砕ける」
「まぁ、ウィリアムさんは空中で受け止められるのですね……………」
「壊していたの間違いだろ」
「あれ、アルテアは何もしていなかったんですよね?」
「俺はあくまでも立ち合いだ。星屑なんぞに興味はない」
「……………星屑さん、今年もアルテアさんなちびふわを沢山愛でられますように!」
ここで、つんと澄ましてみせた使い魔にネアがそんな願いをかけてしまうと、手の中の星屑はぺかりと光って願い事の成就を示してくれた。
ふっと冷ややかな微笑みを浮かべたネアに、アルテアが暗い目でこちらを見る。
「……………ほお、いい度胸だな」
「今年も、白けものを沢山ふにゃんとさせられますように」
「……………叶ってしまうのだね」
「うーん。一応はアルテアも高位の魔物の筈なんですが、この星屑で叶うんですね……………」
ネアは、立ち上がった使い魔に捕獲される迄の間に、パイやタルトの要望やお宅訪問の願い事も叶えてしまい、ウィリアムの背中に隠れてぐるると威嚇する。
ウィリアムはネアを上手に守ってくれたので、幸いにも手持ちの星屑は奪われずに済んだようだ。
「そしてここから、いよいよの大本命の願い事です」
「パイが買えるようにするのだね?」
「はい!ここで星屑の力を借り、見事に王様のパイを入手してみせますね!!」
今年の星祭りは、その為に星屑を集めたと言っても過言ではない。
ネアは集めた星屑の中でも質の良さそうな大きな欠片を握り締め、祈るように手を組み合わせると待ちに待った願い事をかける。
「ザハの王様ガレットが買えますように!」
しかし、それまでは順調に願い事を叶えてくれていた星屑は、よりにもよってここで反乱を起こした。
ぱきんと音を立てて粉々になってしまった星屑に、ネアは状況を飲み込めずに立ち尽くす。
ぱらぱらと手のひらから落ちた星屑の残骸に、ふにゅりと悲しく眉を下げ、見守ってくれていた伴侶の魔物を見上げた。
「……………た、多分、不良品な星屑さんだったのでしょう。もう一度お願いしてみますね」
「……………うん」
「なにも、狐さんのくじ引きカードが当たるようにというお願いではないのです。ただ、行列必至のパイケーキを買えるようにという、善良で可憐な願い事ではないですか」
しかし、その後もネアの集めた星屑は砕け続けた。
むきになって同じ願いをかけ続けたものの、残りの星屑の数を見てぎくりとして手を止め、なぜだかしんと静まり返ったリーエンベルクの屋根の上を見回したのは、街の方から聞こえてくる楽し気な声も落ち着いた頃であった。
「……………ことしのほしくずめは、ふりょうひんばかりです」
「ネア、可哀想に。そのパイではなくても、他のパイでもいいのではないかい?」
「他にも王様のパイがあるのです?」
「うん。他にも良いものがあると思うよ」
ネアが、悲しみでいっぱいの心で伴侶の水紺色の瞳を見上げると、ディノは、はっとする程綺麗に優しく微笑んで頷いてくれる。
(もしかして、他のお店での販売情報を押さえておいてくれたのだろうか……………)
しかし、ネアが欲しいのは銀狐の陶器人形が入っている王様のパイなのだ。
地団太を踏んでそう主張したかったのだが、こちらを見てどこか得意げにしているディノの様子を見ると、そんな我が儘を言ってはいけない気がした。
「……………星屑さん、他のものでもいいので、素敵な王様ガレットが食べたいです」
そろりと新しい願いをかけてみれば、今度の星屑はぺかりと光った。
手の中からしゅわりと消えた星屑に、ネアはぱっと顔を輝かせる。
「ディノ!叶いました!!」
「うん。良かったね。王様のパイは食べられるみたいだよ」
「お目当てのパイは食べられないかもしれませんが、そちらについても運命は変えられると信じているので、私は諦めませんからね!!」
「君の会でも手配が難しかったみたいだから、あのパイを買うのは大変なようだね」
「……………かい」
「うん。事前予測に君の名前がなかったので、代わりに入手出来ないか考えてくれたようだよ」
「……………かいはありません。仮に、王様のパイを与えてくれるのであれば、その瞬間だけは公認にするのも吝かではありませんが、やはりないままなのです……………」
「ご主人様……………」
「ったく。やれやれだな」
「……………むぎゅう。狐さんの陶器人形の入ったパイなのに……………」
しょんぼりと肩を落としたネアに、ウィリアムが自分が拾った星屑も提供してくれようとしたが、これはもう数の問題ではないと考えたネアは、ここで清濁併せ吞むことの出来る素敵な大人へと転身し、微笑んで首を横に振った。
王様のパイは、狩りの女王としての実力で捥ぎ取ればいいのだ。
星屑には、もっと別の願い事を叶えて貰おう。
「ディノは、どんなお願いをかけるのですか?」
「ネアが可愛い……………?」
「それは願い事ではなくなってしまうので、もう少し違うものにしましょうか?」
「ネアが、沢山動くようにかな」
「……………そう聞いてしまうと、夏至祭の悪夢が蘇りますので、もう少し範囲を狭めたお願いにしましょうね」
そう指摘したネアに、ディノはこくりと頷くと願い事を定めたようだ。
「これからもずっと、ネアが傍にいるように」
するとその星屑は、明るくぺかりと光ってからしゅわりと大気に解ける。
魔物の美しい指先から星の光がふわりとこぼれ落ちる様子はえもいわれぬ光景で、ネアは幸せな思いでそんな伴侶の姿を見守った。
「ウィリアムさんは、どんなお願いをするのですか?」
「ネア、こっちのものも使っていいんだぞ?」
「むぅ。であれば、ウィリアムさんが拾ってくれた星屑で、叶えたい願いが一つあるのです。…………星屑さん、ウィリアムさんが今年も沢山リーエンベルクに遊びに来てくれますように!」
星屑は明るく光って願い事の成就を示してくれた。
誇らしさにふんすと胸を張ったネアに、こちらを見た終焉の魔物は酷く無防備な目を見せる。
「……………いい願い事だな。それなら俺は、ネアがまた砂漠のテントに遊びに来てくれるように願おう」
「まぁ、それはもう絶対に叶えて貰わなければいけません。あのテントは大好きなのです!」
そこからは、小さく普遍的な願いが幾つも叶えられた。
とは言え、ディノが泳げるようになりますようにという願いは叶わなかったし、アルテアが事故らないようにという願い事、こっそり願った、ウィリアムが仕事で悲しい思いをしませんようにという願いも叶わなかった。
(であれば最後には、何を望むべきなのだろう)
そう考えて首を捻っていたネアは、割れてしまった星屑の山の中から無傷のものを発見したらしいアルテアが、無残に星屑を割ってしまっている事に気付いて目を瞠った。
「……………アルテアさんの願い事が、粉々になりました」
「言っておくが、お前が事故らないようにと願ってやったんだからな?」
「…………そんな筈はありませんよ。そのような願い事であれば、簡単に叶って然るべきなのですから」
「ほお、そう思うのなら、自分でもやってみろ」
赤紫色の瞳を眇めたアルテアにそう言われ、ネアは、きっとこの使い魔は星祭りの作法を知らなかったのだなと考えながら、残しておいた一つの星屑を手に取った。
「星屑さん、今年は事故に巻き込まれませんように」
しかしその直後、ぱきんという悲しい音が響き、ネアの手の中の星屑は粉々になってしまうではないか。
呆然と立ち尽くしているネアに、ディノやウィリアムも同じ願いをかけてくれたが、残念ながらその願いが叶う事はなかった。
「私は事故りません!現に、今夜は何も滅ぼしていないではありませんか。ミサにだって、普通に参加出来た筈なのですよ?」
「参ったな。まさか、十五個全部砕けるとはな……………」
「ネア、少し守護を深めておこうか。ノアベルトが帰ってきたら、相談してみるよ」
「やれやれだな……………」
「わ、私は事故りません!!きっと使った星屑が小さ過ぎたのがいけないのです!!」
時として人間は、薄々真実に気付いていてもそれを認める訳にはいかない時もある。
だがそれは、悲しい予感に打ちのめされた人間の叫びであり、決して夜空の上の者達へのクレームではなかった。
しかし、その直後、ネアは慌てたように駆け寄って来たディノにさっと持ち上げられ、目を丸くした。
ずどおおおんと鈍い音を立てて、もはや攻撃かなという規模の巨大な星が、ネア達の頭上から落ちて来たのだ。
「アルテア!」
「……………くそっ、何なんだこれは!」
ネアはあまりの脅威に目を見開いて震えるばかりだったが、魔物達は素早く連携したらしい。
ディノがネアを守り、アルテアが何かの魔術を展開し、ウィリアムが力技で受け止めるまでの一連の連携は、何とも鮮やかなものであった。
屋根を傷付けないようにずしんと下ろされた星屑は、もはや隕石かなという巨大さではないか。
ネアは、危険時の際の避難用の乗り物になってくれた魔物の三つ編みを引っ張り、こちらを見て安心させるように微笑みかけてくれたディノにそろりと体を寄せる。
「…………間違って、流れ星ではないものを落としてしまったのでしょうか?」
「星祭りの祝福は添えられているようだから、君の為に大きな星を落としてくれたのかな…………」
「なぬ……………」
「うーん。星の系譜のどこかに、こちらの言動を注視しているものがいたのかもしれませんね…………」
「確かにこれであれば、事故をなくすのも容易いでしょうが、こんなに大きなものはいりません……………。…………むぐ?」
悲しく呟いたネアは、つかつかと歩み寄ってきたアルテアに頬っぺたを摘ままれてしまったが、その不埒な腕はすぐにウィリアムが引き剥がしてくれた。
「いいか、星の運行は予言や予兆にも繋がる。念の為に星祭りの記録も取らせているが、こんな星が落とされた記録は今までに皆無だからな?」
「ふむ。長年の経験故に心の隙が生じ、お空の方が、雑な感じになって来たということなのかもしれませんね」
「どう考えても、お前が絡んだからだろうが」
「解せぬ」
なお、リーエンベルクに帰ってきたエーダリア達は、見たこともない巨大な星屑の落下に愕然としていたが、これだけの大きさであればと危機回避の願い事で使われることになった。
最も懸念するべきは短かい間隔で起きる大規模な蝕だということで、代表してエーダリアが星屑に触れ、今年はウィームでの蝕が起こらないようにという願いをかけた。
「今年だけで良かったのですか?」
「叶わないことを願ってしまうと、これだけ立派な星屑を無駄にしてしまうからな。願い事はどれも、叶う領域の見極めが大事なのだ」
しゅわしゅわと煌めき大気に溶けてゆく大きな星屑の光に、リーエンベルクの屋根は綺麗な銀色に染まった。
リーエンベルク前の並木道で、まだ誰にも拾われていない星屑を探していた領民達からは歓声が上がり、鮮やかな星の光にリーエンベルクの屋根は三日ほど星の色に染まったままであった。
願い事が叶ったことで今年は蝕が来ないという発表を受け、ウィームの領民達は、今年もまた素晴らしい星祭りの締め括りを見せた領主を讃えたという。
その影に、魔物の第二席と三席による素晴らしい星の受け止め作戦があったことを知るのは、ネア達とリーエンベルクの騎士達だけであった。




