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エシュカルとテラス席の小さな戦争




大晦日になった。

ウィームの街は朝から雪模様で、お昼前に一度だけ雪が止み、綺麗な青空が雪雲の隙間から見えるという素敵な天気であった。



さくさくと雪を踏みネア達が向かうのは、勿論、今年も美味しくいただく予定のエシュカルの取り扱い店である。



エシュカルは、大晦日に飲まれる発酵途中の葡萄酒の新酒で、発酵途中という状態故に流通には向かない。

飲みたければ、取り扱いのある店を訪ねるしかないので、この日のウィームにはエシュカル目当ての観光客がたくさんやって来るのだった。


雪見をしながらエシュカルを飲むのが、古くからのウィームの大晦日の風習なのだそうだ。

ネアは、最初の年からエシュカルが気に入ってしまい、魔術で暖かさを保たれたお店のテラス席で雪景色のウィームを眺めながら新酒をいただく時間を、とても楽しみにしていた。



「ありましたよ!」

「ネア、転ばないようにね」



エシュカルを取り扱っている証である、しゃわりとした金色のリボンで束ねた柊が吊るされている老舗カフェを見付けると、ついつい早足になってしまう。

瑞々しい新酒の美味しさを想像して、お口の中が早くも待機状態にあるのだ。


今年のエシュカルは普通の出来であるらしいが、それでもきっと美味しいに違いない。

高鳴る胸を押さえて、ネアは人々で賑わう街の中を歩く。




(あ、……………)



そんなお店への道中で、新年のお祝いの色となる綺麗な青紫色のリボンが飾られた花飾りを見付けた。



よく見れば、既にウィームの街のそこかしこに、その色がさり気なく忍ばされている。


僅かに柔らかな色合いにすることによって透明感のある色になった青紫色のリボンは、ウィームの街にとても似合うだけでなく、ネアの大切な義兄の瞳の色を思わせる特別な色だ。


香辛料と調理酢のお店の扉にもその色のリボンを使ったドアベルが下げられているのを見付け、唇の端を持ち上げたネアは、ご機嫌で伴侶な魔物の三つ編みを引っ張りながらいつものお店に入った。



大晦日のエシュカルは、三種類あるエシュカルの中から、販売店が気に入ったものを選んで取り扱う仕組みだ。


そろそろ違うメゾンのものも飲んでみたかったが、エシュカルは、飲みやすくてとても美味しいのに、あまり量を飲めない程に強いお酒でもある。

上限を決めた二杯に魂をかけることにしたネアは、今年もいつものお店にするより他になかった。



あたたかな魔術ストーブの近くの席に案内され、まずは、お目当てのエシュカルを注文する。


近くの席の観光客が嬉しそうにハンカチに包んでいるエシュカル用の小さな青いグラスは、自由に持ち帰れるので旅行者に人気の記念品となる。

ネアの伴侶は収集癖のある魔物なので、今年のエシュカルのグラスも持ち帰ることになるだろう。


そんな事を考えていたネアは、新年を祝う文字と束ねた柊のブーケの絵が彫られた青いグラスに、丸まって眠る狐の絵を見つけてしまい、目を丸くした。



「ディノ。ここに狐さんが………!!」

「ノアベルトが………」

「なんて可愛いのでしょう!これはもう、是非に持って帰らなければなりませんね」

「……………うん。ここにもいるのだね」

「ふふ、すっかり狐さんとして愛されているのだとしても……………むぐ」



今年はヨシュア達には会えないのかなと周囲をきょろきょろしていると、なぜか、どこからともなく現れたアルテアが、ネアの隣の席にすとんと座ってしまう。


突然の訪れに、危うく銀狐の秘密を聞かれるところであったネアが動揺を押し隠して困惑の目でそちらを見ていると、ディノの隣の席にも、やはりどこからともなく現れたウィリアムが腰を下ろす。


この街角のお店のテラス席は、急激に魔物の上から三席目までの集会場になってしまったようだ。


黒髪に灰茶色のコートにスリーピースのアルテアと、淡い金髪に黒いウールのトレンチコートのウィリアム。

二人とも擬態してはいるものの、どちらにせよ人目を引く美貌なのでとても目立つのだから、ネアは遠い目になるしかない。



「ウィリアム、アルテア…………?」

「すみません、シルハーン。終焉の予兆が出ましたので、念の為に。細かい魔術の調整が必要になるかもしれないので、アルテアにも声をかけました」

「こいつに急に呼び出されたからな。頼まれていたものは、林檎のパイだけにしておくぞ。無花果のケーキは今度にしろ」

「ぎゃ!!私の年始のおやつ計画が……!!」



どうやら、厄介な予兆が出たらしいのだが、ネアが、ウィームの大晦日はどうなってしまうのだろうと悲観をするような事はなかった。



実は、終焉の予兆と聞いた瞬間から、その犯人の目星が付いていたのだ。



「ウィリアムさん、アルテアさん、あちらをご覧下さい。あちらの現場で、近い内に誰かが死んでしまうような気がします」

「……………あれなのかな」

「恐らく、あの二人でしょうね。やれやれ、よりにもよって魔物と、植物の系譜の精霊か………」



重たい溜め息を吐いたウィリアムの視線の先には、先程から、周囲のお客達の心の体感気温すらも氷点下の世界に道連れにしている、たいそう険悪な雰囲気の夫婦がいる。


黒髪の美しい女性と、赤混じりの茶色の枯れ葉色の髪のこちらも美しい男性の二人連れで、聞こえてくる会話からすると、この二人は夫婦なのだろう。



「痴話喧嘩かよ。俺は帰るぞ」

「うーん、終焉の予兆が出るほどとなると、片方は崩壊するんじゃないですかね………」

「…………ったく。お前は、事故の引きの良さを少しどうにかしろ」

「なぜに私が責められるのでしょう。イブメリア前後の街では、決して珍しくない光景ではありませんか」



ディノは早くも怯えているが、ネアは、ドライトマトとオリーブのマリネをおつまみに、乳白色の熟成途中であるお酒をこくりと飲んだ。


この時期は幸福そうな人達も多いのだが、時節柄、荒ぶる者達もまた多いのである。



「ぷは。やはりエシュカルは、喉が、しゅん!としますね。よりジュースっぽくなってしまっているので男性には物足りないかもしれませんが、私は、今年のものもとても美味しく感じます」

「しゅん………」

「お前の危機感のなさは何なんだ………」

「む。おつまみは、分けて差し上げませんよ………?」

「何でだよ」



味わいはジュースのようなエシュカルだが、こちらの世界のお酒は、作りたての方が酒精の祝福が強いことが多々ある。

このエシュカルも、味に惑わされてしまうと危険なので、ネアは大きなグラスでごくごくと飲みたいお酒を、我慢してちびちびと飲んだ。



終焉の予兆とやらはさて置きと、強欲にエシュカルを楽しむ人間の二つ隣のテーブルでは、今まさに、夫婦の話し合いの深度が、危険水域に達しようとしている。



「………ふぅん。私が作ったケーキも食べずに、あの女の家に贈り物を届けに行っていたのね?」

「何度も言わせるな。彼女は百年来の親友だし、夜には帰っただろう。何が問題なんだ」

「イブメリアの日に、あなたがどこに出かけてしまい、晩餐をどうするつもりなのか、ミサには行けるのかどうかすらも分からずに、私が悲しんだ事が問題なの。………ねぇ、私はもう、あなたの自分の都合だけで完結する思考にはうんざりだわ。…………離婚しましょ」



かしゃんとお皿の落ちる音がした。

魔物だという男性が立ち上がり、わなわなと震えている。


ただし、激昂するというよりはとても泣いているので、離婚と言われたのが余程のショックだったようだ。



精霊と違い、魔物の伴侶は生涯に一人きりなのである。




「君にとって、僕はそんなものなのか…………?」

「……………まぁ。まぁ、まぁ!!!それは、私の言い分ではなくて?!職場から帰るのか帰らないのか連絡一つ寄こさずに、新婚なのに、親友だとかいう女の家に飲みに行くあなたのせいで無駄にした食事は、七十二食!!七十二食なのよ?!」



ずばんと激しい音がして、黒髪の奥様が、伴侶の顔面に取り皿を叩きつけている。


よく見れば、店内の女性達の何人かは深く頷いて同意を示しているが、怒り狂った精霊の女性の周りには、ばちばちと雷光を小さな円形にしたようなものが飛び交っているではないか。


これは危ないぞと、お隣のテーブルの男性達はグラスに残っていたエシュカルを飲み干してしまい、そそくさと逃げ出して行った。


話し合いは決裂したようだし、聞こえてきた話の内容のみで判断をすると、ネアもまた、奥様に完全同意である。



性別を超えた友情もきっとあるのだろうが、愛する人を傷付けるような付き合い方であれば、変える必要がある。


共に暮らしてゆくのなら、それぞれの価値観の擦り合わせは必定であるし、大切な人を悲しませるやり口で自分の欲しいものだけをどちらもと願うのは、ただの子供染みた我が儘ではないか。



「ふむ。荒ぶるのは奥様の方ですね。崩壊というよりは、大暴れです」

「……………おい、その隣は何なんだよ」

「あのご夫婦の会話に触発され、同じような問題について語ろうとした恋人さん達が、あまりの意見の噛み合わなさに、こちらも荒ぶり出したのでしょうか」

「………そうだな。彼等を全員、この店から放り出せばいいのか…………?」

「離婚はしない………」

「まぁ、しょんぼりしなくても、ディノはそんな風に私を不安にしないので、離婚はしませんよ?ただし、お部屋の引き出しに、私が捻り潰してぽいした菓子箱を集めるのは容認出来ません」

「君が、あんなに荒々しく潰したものなのに、捨ててしまうのかい?」

「捨てる為に捻り潰したのであって、ディノを喜ばせる為に加工したのではないのです!あれは、帰ったらゴミ箱にぽいして下さいね?」

「ご主人様…………」



叱られた万象の魔物はめそめそしただけだったが、奥の二組は収拾が付かなかった。



怒り狂い、夫をずたぼろにして立ち去ろうとする妻と、生涯の伴侶に逃げられる訳にはいかず、決死の覚悟で交戦する夫とという戦争に、いい具合にエシュカルで酔っ払ったご老人達が、それいけもっとやれと無責任な声援を飛ばしている。



アルテアは、うんざりしたように途中から自分の分のエシュカルを注文して飲み始めてしまったが、ウィリアムは無言で立ち上がると、荒れ狂う二組の男女を容赦なく沈黙させてしまった。



「……………ほわ。殺してしまいました」

「意識を奪っただけじゃないかな。でも、剣は使うのだね………」




鞘に収めたままの剣で四人を殴り倒してきたウィリアムも、席に戻るとエシュカルを注文し、店内には暫くぶりの穏やかな時間が戻ってきた。



「ネア、もう心配ないからな」

「はい、ウィリアムさんのお陰で、お店の楽団の音楽も聞こえるようになりましたね。………目が覚めた頃には酔いも醒めて、あの方達が冷静に話し合えるといいのですが………」

「………おい、お前が今食べているものは何だ?答えてみろ」

「私の使い魔さんが頼んだ、美味しいつぶ貝の大蒜バター味でふ。使い魔さんのものは私のもの。当然の摂理ですね」

「何でだよ」

「ネア、俺も何か頼むから、一緒に食べられるものにするか?」

「まぁ、いいのですか?」

「ウィリアムなんて………」



お土産用のエシュカルを箱で買うのでと、おつまみ代を節約していたネアは、歓喜の中で魔物達のおつまみを強奪した。




なお、その後で入店し、ネア達の席からは少し離れたテーブルに着いた三人組は、二人の女性に挟まれた青年が、イブメリアにデートしたどちらの女性が本命なのかを、諜報員の尋問並みの厳しさで問われている。


はっきりとしない言動で女性達を怒らせた青年は、早々にテーブルに拳で沈められてしまったし、どちらが青年を持って帰るかで睨み合ったご婦人達も、そろそろ殺し合いを始める頃合いだろう。



ネアは、空っぽになったお皿を悲しく眺め、このあたりで店を出た方が良さそうだなと考えた。

自分のものとディノのものの二人分のグラスを、丁寧に拭いてナプキンで包んだ。


「さて、後はもう大晦日のご馳走をいただくばかりですね」

「食いっぱなしだな。その様子だと、腰はもうないんじゃないのか?」

「むぐるるる!!!私の腰の括れは、ちゃんと息をしています!」

「ほお、どこがだ」

「いいでしょう。では、好きに掴んで確認してみて下さい。なお、謝罪の品は、無花果のケーキで手を打ちましょう」

「まだ食うのかよ」

「ネア、アルテアに沢山掴ませるのはやめようか………」




結局、伴侶な魔物が荒ぶったので、アルテアの触診を受けることはなかった。

ネアは、気付かれないように少しだけお腹をへこませつつ、つんと澄ましてお店を出る。



とは言え、リーエンベルクまでの帰り道は少しだけ遠回りで歩くのもいいかもしれない。

ウィリアムによると、終焉の予兆は無事になくなったのだそうだ。










本日は二回更新となります。

二つ目のお話は、20時までに上げさせていただきますね。

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