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祝祭と花雪




朝からの大雪に、ネアは小さく足踏みをしていた。

ぱたぱたと窓辺を彷徨い、窓の外の中庭をじっと覗き込む。



昨晩の内に、庭に咲く淡い水色の薔薇は結晶化したようだ。

花びらの端がしゃりりと光り、雪景色の中に佇む様は言葉に出来ない程で、ネアはその煌めきに幸せな溜め息を吐いた。



古く豊かな深い森。


その奥できらきらと羽を光らせる妖精達に、森のその奥をずしんずしんと歩いてゆく巨大な羊のような生き物。


窓辺には、サムフェルで買った小枝やディノから貰った飾り木の置物がある。

いささか季節感は無力化されているが、それはとてもとても、幸せな光景だった。


ネアが受け取り、積み重ねた大切な宝物が、柔らかな雪灯りを受けて色とりどりの影を伸ばしている。

窓辺から見上げたウィームの空は、胸をざわめかせるような神秘的な灰色なのだ。




「ディノ、この雪で、街にお出かけ出来るでしょうか?」

「うん。その代わり、街中までは転移で行こうか」

「やはり、リーエンベルク前の並木道を歩こうとしたら埋まってしまいますよね………」

「歩きたいのなら、私が抱えてゆくよ?」

「いえ。何となく、二人でぶらぶらしたかっただけですから、ザハでお祝いケーキをするだけでいいのです」

「……………うん。君が私の伴侶になった日だからね」



そう呟いた魔物は、目元を染めて初々しい乙女のように恥じらう、凄艶な美貌の男性だ。


冷ややかな程の美貌には仄暗い魔物らしさも過分にあるのだが、水紺色の瞳をきらきらさせつつもじもじすると、例えようもなく無垢な生き物に見える。


艶々の真珠色の三つ編みには、ネアがこの魔物に初めて買い与えたミントグリーンのリボンが綺麗に結ばれていた。




(特別な日だから…………)




それは、大切なものを殆ど失くしてしまったネアハーレイが、ディノの歌乞いのネアになって、更にディノの伴侶のネアになった日だ。



どれだけ一緒にいて心を繋げていてもやはり、とても寂しかった二人にとって、家族という言葉の承認は特別なものだった。


沢山の試行錯誤と手助けと、二人で積み上げた心のその先で漸く手に入れた幸せな我が家の証である。





「ディノ、これからの一年も宜しくお願いしますね」



しかし、ネアが少しばかりあらたまった気持ちになってそう伝えると、なぜかディノは真っ青になってしまった。


突然ぱさぱさになった髪の毛は内側から光を孕むような色がくすみ、水紺色の瞳はうるうるしている。



「……………ディノ?」

「一年ごと、なのかい?」

「………ええ、この日の訪れは一年ごとなのだと思いますが、もっと早く来て欲しいのですか?」

「……………一年しか続かないのだね」

「は!ディノがへなへなになった理由が判明しました!!ディノ、伴侶の約束は一年更新ではありませんからね?」

「……………違うのかい?」



すっかりそう思ってしまっていたのか、涙目になっていたディノはそろりと顔を上げた。

あまりにも怯えているので、慌てて抱き締めてやると、余程怖い思いをしてしまったものか、ぐりぐりと頭を擦り付けてくる。


そのまま好きなようにさせておけばディノの髪の毛はくしゃくしゃになっていたが、宝石を紡いだような輝きは戻ってきたようだ。

密かに胸を撫で下ろし、ネアは甘えたな魔物をしっかりと抱き寄せた。



(人間とは違うのだから……………)



些細な事でもこうして擦れ違ってしまう。

ディノの場合はすぐに表情に出るのだが、恐らく、こうして表情に出してくれるのは安心して甘えてくれているからなのだろう。


本当に心を閉ざしてしまったり、隠そうとすれば、ネアに微塵も気付かせずにこの魔物はいなくなってしまうだろう。



だからこれからもずっと、大切に大切に、たくさんの話をしてゆこう。




「まったくもう!そのような場合は、きちんと不安を口に出して下さいね。私が気付かなければ、ディノは、もっと長い時間を怖い気持ちのままでいなければいけなかったのですよ?」

「…………ご主人様」

「既に少しだけ怖い思いをしてしまったので、ご褒美を一つ差し上げましょう。何がいいですか?」

「頭突きかな………」

「なぬ。ここでも打撃系なのですね………」



こつんと額を合わせると、魔物は頬を染めてもじもじし、きゅっと抱き締めてきた。

三つ編みはくしゃくしゃだが震える程に美しい生き物は、何とも幸せそうに微笑む。



ネアの大切な魔物だ。

これは撫でて大事にするしかないとわしわし撫でていたら、なぜか視界がくるりと反転し、ネアは目をぱちくりさせた。



とさりと柔らかな音がして、なぜか背中に長椅子の座面の感触がある。

仰向けに倒されたのだと理解するより早く、覆い被さるようにこちらを見下ろした魔物によって、ネアの視界がくらりと翳った。




「困ったご主人様だね」

「……………にゃむ」



調子に乗った人間が顎先に口づけを落としたのがいけなかったかもしれないが、それは大切であるという意思表示の一環なので、こちらの世界へのお誘いではない。


ネアは緊急脱出が必要だとじたばたしたが、なぜか長椅子からずり落ちる事はおろか、上にずり上がる事すら出来ないではないか。


拳で撃破すれば突破出来るかもしれないが、それは不審者への対応策で伴侶への振る舞いではない。

頬が熱くなるのを感じながら、ネアはあわあわと視線を彷徨わせた。



「雪が落ち着くまで、二人でゆっくりと過ごそうか」

「……………広間でダンスでも踊ります?」

「おや、ではこの後で一緒に行くかい?」

「……………後で。……………にゃむ」




ネアは、線引きを見極められない己の未熟さを嘆きつつ、とは言え見上げた先の優雅なけだもののような伴侶の姿に、お祝いは先延ばしにしたとは言え、本日は結婚記念日ではないかと脱出を諦めた。


覚悟を決めれば後はもう魔物をぎゅっと抱き締めるばかりなので、えいっと捕まえてみる。



「……………ご主人様」

「なぜ弱ったのだ。解せぬ」



しかし、いきなり伴侶に捕獲された魔物は弱ってしまい、とても恥じらうので家族相当の祝福を与えてみると簡単に死んでしまった。


仕方なく、ネアは義兄な魔物にこの雪は午後には落ち着くかを教えて貰いに行ったが、なぜか焦ったノアに持ち上げられてすぐさま部屋に戻された。



「むが!なぜに送り返されたのだ!!」

「いいかい、今日だけはシルを捨ててきたら駄目だからね?!僕の妹が残酷過ぎるんだけど!!」

「むぅ。しかし今は亡くなっておりますので、物言わぬ屍なのですよ?」

「ほら、泣いてるよ!」

「……………む。息を吹き返しています」

「ネアが逃げた………」

「ごめんなさい、ディノ。暫く意識が戻らないかなと思ったので、ノアに午後からのお天気を聞きに行ってしまいました」



部屋に戻ると真珠色の髪の伴侶はめそめそ泣いていたが、へなへなの三つ編みに口づけを落としてやると水紺色の瞳をきらきらさせた。



「………可愛い」

「ディノ、そろそろ雪は小降りになるそうですので、お茶に行けそうですよ。………お城にはその後で行きましょうね」

「ずるい………」

「わーお。まさかの挽回だぞ」

「ディノのお城は大好きなので、一緒にお城を散歩しましょうね」

「ご主人様…………」

「ありゃ、こりゃ駄目だ」




雪深いウィームらしく、けれども見惚れてしまう程に美しい菫色がかった雪は、ノアの予想通りに少しだけ小降りになってきたようだ。


とは言え降ったばかりの雪がたっぷり降り積もったところなので、やはり街までは転移で向かうことになった。



魔術の薄闇を踏み二人が下りたのは、ザハの向かいの歩道である。


要人の宿泊も珍しくないザハの入り口には、事前許可のない転移を避ける為の魔術が刻まれていて、魔術の道ならいざ知らず、いきなりの転移での訪問は失礼にあたる。


ディノの階位では許されることだが、リーエンベルクの歌乞いとしてあまり無理強いはしたくない。




「寒くないかい?」

「ええ。こうして、向かいの歩道に転移して貰って良かったです。雪の中のザハは、やはり素敵ですね」



入り口の両脇にあった飾り木はなくなってしまったが、大晦日の怪物除けの祝福石が、オーナメントのようにきらきらと飾り付けられていた。


この世界においての怪物と呼ばれるもの達は、その生態に謎が多い事から怪物の総称で括られている事も多い、奇妙な生き物達だ。


怪物除けの祝福石は、近年になってあまり効果がないと判明した古い風習だが、今でもこの時期の装飾として人々に根付いているのか、街中ではよく見かけるものだった。


ザハの今年の祝福石は、可愛らしい小鳥の形に細工されたものらしい。

祝福石を吊るすリボンが、ラベンダー色なのも可愛いではないか。




(たくさん雪が降ったばかりだからあまり人の往来がないかと思ったけれど、寧ろ街の中は賑やかだわ………)



わぁっと声がして振り返ると、完全に雪に埋まってしまった歩道の花壇を、花の妖精達がせっせと掘り出している。


何も知らずに見ると花壇の花達の緊急事態かなと思ってしまいかねないが、この季節に花を咲かせる植物達は、冬の系譜のもの達ばかりだ。


なので勿論枯れてしまったりはしないのだが、祝福の気配の強い雪に埋もれてしまうと、結晶化してしまったりするのが問題であるらしい。

暗い目で必死に花を掘り出している妖精の呟きによると、今は大切な時期なので、傷つきやすい婚約者よりも階位を上げるのはまずいと、慌てて掘り出しにかかったようだった。



ひらりと、誰かのコートの裾が翻る。

傘を開くばすっという張りのある音と、街路樹の枝にどこからか盗んできたオレンジを抱えて着地したムグリスの姿。



ネアはふと、去年にもこうしてディノと街を歩いた事を思い出し、まだディノとの距離感を上手に取れずに疲弊してしまい、一人になりたくてザハを訪れた日のことも思い出した。




「ネアが虐待した…………」


隣ですっかりくしゃりな魔物は、どこか悲しげにそう呟いている。

結婚記念日に部屋に一人で置いて行かれた事が、とても悲しかったようだ。


「あらあら困りましたねぇ。お祝いは移動させてもせっかくの結婚記念日でもあるので、ザハで美味しいケーキを食べるでしょう?」

「………食事ではなくていいのかい?」

「それは、お祝いの日でもいいかなと思うのです。今月は沢山の素敵な日がありましたから、強欲な私は綺麗に分割してしっかりと楽しみたいのです」

「大切な日、だからなのだね」

「ええ。今日は、ディノと伴侶になれた日なのですよ。大切で大切な日なので、ちょっぴりご馳走続きの中でなあなあにしてしまうのではなく、きちんと準備の出来る日に、あらためてお祝いしましょうね?」



ふんすと胸を張り、ネアは、じっとこちらを見ている魔物に微笑みかけてやった。


するとディノは、もじもじしながらとても断り難い両手の恋文方式で三つ編みを差し出してきたので、ネアはなぜここでと空の高みのどなたかに問いかけながらも、敬虔なる信徒の気分で三つ編みを受け取った。



さくさくと雪を踏み、二人は真紅のお仕着せが艶やかなザハのドアマンに扉を開けて貰い、ネア達だけではなく、ウィーム中央に暮らす領民達にとっても、特別な日にはここというザハのカフェに入った。




「いらっしゃいませ。コートをお預かりいたしましょう。雪は少し落ち着いたようですが、お足元は大丈夫でしたか?」



靴についていた雪は、魔術仕掛けの玄関マットでしゅわりと消えてしまい、開いた扉の向こうからは紅茶のいい香りがした。


もはや、ネア達が来ると専任担当者となってしまうおじさま給仕は、いつものにこやかな微笑みで出迎えてくれる。


こうしてお客様の足元事情を気にしてくれるのは、これだけの雪となると、雪払いの魔術の上から靴の中に雪が入ってしまうこともあるからだ。


ザハでは、そのような場合は靴を預かり乾かしてくれるサービスもある。

このサービスを受けると靴の中がほかほかになると評判も良く、さして濡れていなくても頼んでしまうお客もいるくらいだ。



「はい。頼もしい伴侶が一緒でしたので、爪先が雪に沈んでしまう事はありませんでした。随分と積もっていたからか、角のところの雪溜まりで、パンの魔物さんが何………匹…体…?か、固まってもがもがしていたのですよ」

「おや。そこまでとなりますと、リーエンベルクでは、除雪の為に林檎の報酬を弾む必要がありそうですね」

「ふふ、通常の手配だと間に合わないと、リーエンベルクの騎士さん達も、慌てて林檎の追加手配をしていたようです。その代わり、大雪の時には林檎が二個も支給されるので、普段は除雪をしない方々も集まるのだとか」



テーブルに案内されると、ネア達の席には、天鵞絨のようなしっとりとした花びらの灰紫色の薔薇が飾られていた。


水色のテーブルクロスの上には小さな白いカードが立ててあり、おやっと覗き込むと、お二人の特別な日にというメッセージが流麗な文字で書かれている。



(準備をしてくれていたのだわ………)



古くからあるシャンデリアの灯りと、上品な煌めきのようなカトラリーに、カップとソーサーの触れ合う音。

花瓶の花が落とす影に、真っ白なナプキン。

恭しくメニューが差し出され、それぞれに受け取る。


給仕達のこつこつという控えめな靴音は、優雅な音楽の中に刻まれるリズムだ。



ネアは、メニューの中にある記念日のケーキを迷わず頼み、そんなネアを見てディノも慌てて同じものを頼んでいる。



「まぁ、ディノのお気に入りの紅茶のシフォンケーキもあるのに、それでいいのですか?」

「君と同じがいいかな…………」

「ふふ、ではお揃いですね」

「可愛い………。ずるい」




窓の向こうには、雪の降るウィームの街がある。

通りの方で誰かが空を見上げて声を上げているようなので、雪竜でも飛んでいるのだろうか。

微笑ましくそちらを見ていたら、紅茶を持ってきたおじさま給仕が、思いがけない情報を教えてくれた。



「雪雲の隙間から覗いた空に、虹がかかっているようですよ」

「…………まぁ」



ネアにじっと見られて、ディノは不思議そうに首を傾げていたが、砂糖を入れるかどうかを尋ねられるとふるふる首を振った。

注意して観察すれば、初めてのお祝いの日に、静かにわくわくしている様子が窺える。



「ふふ、以前は、私が尋ねると全て頷いてしまって、ディノはずっとミルクティーを飲んでいましたよね?」

「ネアが動くから可愛かった………」

「ぞわりとしました…………」

「ご主人様………」

「でも今は、お揃いにしたいものはお揃いにしながらも、ディノの好き嫌いも教えてくれるのでとても嬉しいんですよ」

「そうすると、君が喜んでくれるだろう?」



ディノの紅茶を淹れ終え、おじさま給仕はネアの紅茶を淹れながら満足げに微笑んだようだ。

給仕中なので伏せ目がちにカップを見つめているが、ディノとのそんなやり取りは、犠牲の魔物にとって喜ばしいものだったのだろう。



「ええ。ディノの好きなものや選ぶものを、これからももっと沢山知りたいです。星浴びの劇場も、ディノが私が行きたがっていたことを思い出して提案してくれて、そのお陰で幸せな誕生日になりましたから」

「君には、沢山のものを見せてあげたいんだ」

「ふふ、そのお陰で私は、あんなに素敵な劇場に出会えたのですね。私をあの劇場に連れて行ってくれたディノと、あの時間を貸切にしてくれた皆さんに感謝しなければです」



ここで、なぜか周囲のお客の何人かがテーブルにぱたりと倒れ伏してしまっているが、ネアは、伴侶な魔物が大切な話をしているので見なかったことにした。

本日のケーキが、みんなが身悶えるような美味しいものだったのだろうか。



「………これからも、私にして欲しいことを教えてくれるかい?行きたいところや、欲しいものも。君が、…………」



何かを言いかけて魔物は目元を染めておろおろしてしまい、立ち去りかけていたおじさま給仕が、ぐっと拳を握っている。

縋るようにそちらを見上げかけ、しかし、ディノは頑張って自分だけできりりとした。




「君が、………幸せだととても嬉しい。君がとても大切なんだ」

「……………ディノ」

「ネア、これからもずっと側にいてくれるかい?」

「はい。勿論です。私も、大好きなディノが幸せでいてくれるととても幸せで、これからもディノと一緒に色々な事がしたいです」

「……………大胆過ぎる」

「むぅ、なぜそうなったのだ。………ディノ、結婚記念日はゆっくりと開催出来る日にずらすとしても、毎年この日には本当の記念日としてのお祝いを二人でしましょうね。これからもずっとずっと、私の最愛の伴侶でいて下さい。……………む、死んでいる」



最後の一言でディノは死んでしまい、そんな展開を予期していたものか、その直前にさっと手を伸ばしたおじさま給仕が紅茶のカップをどかしてくれた。


テーブルの上の薔薇はふつふつと蕾を増やして更に沢山の花を咲かせ、見事に花開いた薔薇の二輪は、結晶化して宝石のように煌めいている。



「せっかくなので、この結晶化した薔薇は、お持ち帰りいただけるようにしましょう」

「まぁ、いいのですか?では、そうさせて貰いますね。……もし良ければ、一輪お持ちになりませんか?ディノは、あなたの事が大好きなのですよ」

「……………っ、……ええ、ではお言葉に甘えて」



ネアの提案に、おじさま給仕の灰色の瞳がふるりと震えたような気がした。



(他にも、沢山の人達がいてくれたけれど、………)



グレアムが喪い、そうして喪い得ないと思って戻ってきてくれた理由を思えば、この魔物にとってのディノはどれだけ大切なものなのだろう。



そうして大切に慈しんでくれる手は、やはり他の誰かとは少し違う切実さで、だからこそネアは、この魔物にもずっと幸せでいて欲しいと思う。


年内の勤務は今日が最終日であるらしく、だからなのか、店内にはミカとワイアート、そしてベージかなというお客の席もある。


柱の向こうにターバンが見えた気がしたので、もしかしたらヨシュアとイーザもいるのかもしれない。

こちらも何だかんだとグレアムとの接点があるようで、着々と仲を深めていっているのだろう。




「……………ディノ、テーブルがお花畑になってしまいますよ?」

「ネアが虐待した……………」

「起き上がって、一緒に美味しい紅茶を飲みましょう?…………ほわ、………ケーキが!!」




そこにやって来たのは、何とも美しい小さなホールケーキだ。

ネアの歓声にびくりとし、慌ててディノも体を起こしている。



そのケーキは、真ん中でカットすると丁度二人で食べられるような大きさで、白いクリームにはうっとりとしてしまうような美しいデコレーションがあった。



(綺麗…………)



滑らかに塗られたクリームの上には、果実などで色付けされたらしい菫の花や鳩羽とリボンのモチーフ、更には指輪を模したチョコレートの飾りまであるではないか。


左右対称に作られたケーキは、真ん中で切り分けると、二人のものがきちんと同じになるような作りだ。

上品で美しいデコレーションは、どれもがきちんと美味しそうなのだから、さすがのザハである。



「ディノ、見て下さい。ディノの方にはディノの指輪で、私の方には私の指輪になっています!」

「……………うん」

「何て素敵なケーキなのでしょう!こんな素敵なものを、ご用意して下さったのですか?」

「ええ。お二人の記念日は、我々にとっても大切な日ですからね」

「………ふぁ。あらためてのお祝いでは、ザハにもお料理を一つお願いしようとご依頼していたのですが、その前にこんな素敵なケーキを作っていただいてしまいました!……ディノ?」

「……………切るなんて」

「あらあら、このケーキが大事になり過ぎてしまいましたね?」

「ご主人様……………」



すっかり記念日のケーキの守護者になってしまった魔物に、ザハの有能な給仕は、それはそれは素晴らしい贈り物を用意してくれていた。



「では、代わりにこちらをお持ち下さい。今日の日の記念にどうぞ」

「………これは、ケーキの絵かい?」

「ええ。このケーキを考えた者が、どのようなケーキにするかを決める際に描いたものです。またこのような機会があれば、同じようなものをお渡しいたします」

「まぁ、記念品にもなってしまうのですね。良かったですね、ディノ。これでケーキを食べてしまってもこのケーキの絵がずっと残りますよ?」

「うん………。持ち帰れるのだね」



おじさま給仕から、今日のお祝いケーキの絵を貰って瞳をきらきらさせているディノが嬉しそうに口元をもぞもぞさせている内に、ケーキはさっと半分にされてしまった。


目が合うと小さく微笑んでくれたので、ディノがこうなる事はわかった上で、予め対策を立てていてくれたのだろう。



美しいカップの中を満たすのは、こっくりとした赤茶色の香り高い紅茶だ。


所謂紅茶色のものなのだが、カップを口に運ぶ角度によってはその水面がきらきらしゃわりと光る。

祝祭と花雪の紅茶だと聞いているが、飲んでみると様々な果実の香りやシュプリのような香りがあり、何とも華やかだ。


どれもが魅力的で素敵で、シュプリの泡のようにきらきらしている紅茶の味わいは、何だかこの世界に似ているような気がした。



ふるふるしているディノに見守られながらケーキを一口頬張れば、こちらも、堪らない美味しさにむふんと頬が緩んでしまう。


中はザハの伝統的なチョコレートケーキになっていて、杏のジャムの甘酸っぱさが堪らなく美味しい。


いつもならチョコレートケーキに添えられるクリームを今回はデコレーションとして表面に塗り、尚且つ、その上のリボンや羽の部分に味の違うクリームが載っているのだから、美味しくない訳もない。


指輪の部分のチョコレートを齧れば、何とこの大きさなのに内側に苺のコンフィチュールが入っていた。

どこまでも手が込んでいるのだ。



「……………ぷは。すっかり大満足なのです。今年は私からのディノへの有難うのお茶会にしますので、来年はディノにお願いしてもいいですか?またザハで、美味しいケーキを食べましょうね」

「今年は、君なのかい?」

「はい。最初に私を見付けてくれたのはディノなので、そのお礼を込めて」

「……………うん。君を見付けられて良かった」



テーブルの向かいで、光が揺らめくような水紺色の瞳でこちらを見て微笑む美しい魔物がいる。


その一言に滲んだのは、男性らしい満足感と、ようやく安らかな住処を見付けた安堵と喜びと。




「この後は、街を歩いてみます?………むむ、また雪が激しくなって来たので、ディノのお城歩きにした方がいいのかもしれません。ディノはどんな日にしたいですか?」

「そうだね。…………私の城に行こうか。君が飾ったフィンベリアを見たり、あの中を歩いたりしよう。時間の流れは幾らでも緩められるから、二人でゆっくり出来るね」

「……………にゃむ」




ネアは、この質問は墓穴を掘った事が否めないぞという思いでふるふるしたが、魔物は老獪な魔物らしさで微笑むばかりだった。



テーブルの上には、祝祭と花雪の紅茶がほかほかと湯気を立てている。

いつの間にか誰かが、ポットから注ぎ足してくれたらしい。



そのいい香りを胸いっぱいに吸い込み、ネアは、テーブルの下で伸ばされた爪先を、こっそり踏んでやったのだった。













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