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120. 誕生日に危険はつきものです(本編)




朝食の前に現れた黒ちびけばけばな靴虫事件も解決し、ネア達は無事に朝食を迎えた。

若干、ちびふわになってしまった魔物と、髪の毛がくしゃくしゃでごめんなさいと呟いている魔物がいるが、とても素敵な誕生日の朝である。




「わぁ、ネアのドレス凄く可愛い」

「ふふ、ゼノに褒めて貰えました。ディノが用意してくれた、お気に入りのドレスを着てみた甲斐があります」

「ディノは凄いんだね。ネア、屈んで!」

「はい。………ふふ、ゼノからお祝いを貰いました!」



たたたと走ってきたゼノーシュに頬を差し出し、ネアは、頬に軽やかな口づけをして貰った。

こちらを見て微笑んだ見聞の魔物の檸檬色の瞳に、ネアはふにゃりと頬が緩んでしまう。

誕生日とは、かくも素敵なものなのだ。




「わーお。またゼノーシュに先を越されたぞ。ネア、凄く綺麗だよ。僕のお嫁さんに…」

「ネイ?」

「ごめんなさい………」



叱られてくしゅんとなったノアの向かいの席には、椅子には座れないのでテーブルの上に設置されたちびふわがいる。


これでもちびふわな魔物は食いしん坊なので、朝食に加わるつもり満々なのだが、出来れば時々、第三席の魔物であることを思い出して欲しい。



「忙しない朝になって、すまなかったな。あの靴虫は、森に放してきたそうだ」

「まぁ、森で悪さはしないのでしょうか?」

「原因を解決した上で森に放つと、森の妖精に転属すると言われているものなのだ。ウィームでは昔からそのようにされている」

「ふふ、そうして森の妖精さんになったほうが、あの黒ちびけばけばも幸せかもしれませんね。………そして、この朝食です!!」



椅子の上のネアが小さく弾んでしまうのは、一度食べてからすっかりお気に入りになった、リーエンベルク特製のキノコとチーズのくつくつリゾットが目の前のお皿に盛られているからだ。


たっぷりキノコとしっかりめチーズのリゾットは、綺麗な赤い林檎のような色の流星鉱石のお鍋から、その場でサーブされる。


くつくつとチーズが音を立ててとろける上に、香りのいい香草を千切って散らせば完成だ。

味を変える時には、熟成させた葡萄酢を垂らしたり、氷檸檬の皮を乾燥させたものを削りかける。


そこに添えられたのは暖かなトマトのスープと、とっておきの月光燻製の生ハムを乗せたサラダ。

鶏肉の一口コンフィのマスタードソース添えに、デザートのオレンジのタルトである。


リゾットが主役のご馳走というよりは、少し贅沢な家族の食卓な朝食だが、ネアはお気に入りの料理が並んでいる光景に感激するばかりであった。



「…………このスープにしたのだね」

「はい!このリゾットが登場した際に、あまりの美味しさにお誕生日の朝には是非このリゾットを食べたいですと言ってしまったところ、料理人さんはしっかりと覚えていてくれたのですよ。どうせならと、合わせるスープも好きなものをと聞いて下さったので、リゾットとお味のかぶらない、トマトのスープにしました」



実はこのスープは、夏茜のスープの温かいものに、香辛料風味の生クリームを回しかけたスープという感じである。


さっぱりした酸味と奥深い旨味がやみつきになるお味で、最近のディノのお気に入りのスープの一つだ。

こんがり焼いたデニッシュパンとこのスープだけでも満足出来るのだが、今朝は敢えてリゾットと合わせていただくことになった。


嬉しそうにしているディノをちらりと見て微笑んだネアは、隣で、リゾットをはふはふと食べているちびふわな使い魔の方を見て遠い目になる。


今日は誕生日だが、ちびふわをお風呂に入れる必要がありそうだ。



こちらを見て微笑んだのは、やはりこのリゾットが大好きなグラストだ。

特に、冬の日の朝にたっぷり食べるのがいいそうで、グラストの場合は搾りたてオリーブオイルを少しかけて胡椒を挽いて食べるのだとか。



「その首飾りは、ディノ殿からでしょうか」

「はい。昨晩貰ったばかりなのですが、すっかり気に入ってしまい、我慢出来ずにさっそく付けてしまいました」

「ネア殿の持つ色彩や雰囲気に、とてもよくお似合いです」



そうして褒めてくれるグラストの微笑みは、やはり父親のような丸さがあった。

見聞の魔物がきらきらとした瞳で見上げてしまうのも納得の木漏れ日のようなあたたかさに、ネアは少しだけ照れてしまう。



「グラストさんにもそう言って貰えるのですから、ますます大切な宝物になってしまいますね」

「うん。ネアに凄くよく似合うよね。だから、ウィリアムには見せなくていいんじゃないかなぁ」

「あら、強欲な私は、勿論皆さんに自慢するのですよ?」

「わーお。そのドレスと首飾りだとさ、ずっとどこかに隠しておきたくなるんだよね………」

「なぜ、監禁の話になったのでしょう………」



義兄からの謎の言葉に眉を寄せつつ、ネアは、あたたかなトマトのスープを美味しくいただいた。

酸味だけで薄っぺらいスープではなく、堪らない美味しさのスープは、じんわりと体に染み込むようだ。


本日のパンは初めましてのもので、細長いパンをくるりと捻ったプレッツェルのようなローズマリー風味のパンだったのだが、このパンとの相性もとてもいい。


新作のパンは、これだけで食べる場合には、たっぷりバターか、オリーブオイルに塩胡椒がお勧めなのだとか。



(リゾットがあるから、パンは軽めで、だからこそ新しいものなのが嬉しいな…………)



ソーセージやハムにも合いそうだぞと凛々しく頷き、ネアは、あっという間になくなってしまった朝食に目を瞬くと、気を取り直してオレンジのタルトに取りかかった。


じたばたしているちびふわは、ここでお預けとなるのだが、むがーっと荒れ狂っていたところ、温度のない艶やかな微笑みを浮かべたヒルドに窓際の椅子に隔離されてしまう。


目を丸くしてけばけばになっているちびふわは、自分が選択の魔物であることを思い出してくれたのだろうか。



「本日は、この後どこかに行かれるのですか?」

「はい!今年は、ウィームに昔からある星浴び劇場に連れて行って貰うのです。ずっと行ってみたかったのですが、周囲に経験者がいなくて躊躇っていたんです。なんと、グレアムさんとミカさん、グラフィーツさんが常連さんだとお聞きしまして!」

「ありゃ、グラフィーツって必要?」

「ふふ、グラフィーツさんはなんと、可動域の低い人間の楽しみ方をご存知なのだとか。……………多分、あの方の歌乞いさんは、少し低めの可動域だったのかもしれませんね」



グレアムは、職場の同僚から、厄介なお客が来てむしゃくしゃした時に心を鎮める為にいいのだと教えて貰い、それ以降、時々一人で出かけてゆくらしい。

ミカは、かつて側仕えだった真夜中の座の精霊が監修している劇場なので、時折会いに行くのだそうだ。




「では、そろそろだな」



ウィーム領主がどこか生き生きとした眼差しでそう告げたのは、ネアがオレンジタルトをぺろりと食べてしまい、窓辺の椅子の上でじっとりとした目をしているちびふわを回収しなければと思った時の事だった。



ぎくりとしたネアは、慌てて起死回生の一言を探す脳内の旅に出る。



何しろここにいる人間は、あまりにも真珠の首飾りがつけたくてならず、朝食からこのドレスを着てしまった前のめりぶりなのだ。


さすがに、部屋を出る前にもう一度鏡を見てサッシュはお祝いの席になってからにしようと渋々外したが、舞踏会にも行けるドレスで振り回されるのは、やはり淑女としてはなしだろう。

説得はそちらからと決めてこくりと頷いたネアは、おやっと目を瞠った。



「……………む?」

「持ち上げるぞ」

「ぎゅ?!」



まさか送迎からの振り回し作業だとは思わず、逃げ損ねたネアは青ざめる。


ひょいっと椅子の上から持ち上げられ、追い詰められたネアは、窓際の椅子の上でけばけばになっているちびふわの方を見た。



「………くっ!運命を共にする筈だったのに、あのお口周りがリゾットな生き物を肩には乗せられません!!」

「……………フキュフ」



かくして哀れな乙女は、新しい魔術の構築と展開に大はしゃぎのウィーム領主にひょいと持ち上げられ、じたばたする爪先も床から離れた。



「エーダリア様、いつもは羽のように軽い私なのですが、たっぷりリゾットをいただいたばかりですので、きっと振り回しに適した軽さではないと………みぎゃ?!」

「いや、魔術の補助もあるからな。少しも重さは感じていないぞ?」

「お、おのれ!おまけに、少し失礼な返しですね!!」



気付けばネアの周囲には、見たこともない銀色の星屑のような魔術式が揺れていた。


ふわふわひらひらと温度のない水の中を漂っているような不思議な感覚だ。

術式はエーダリアの呟きから文字になり、ひたひたとネア達の周囲を満たしてゆく。



「よし、準備が整った」

「ま、待ち給え!この準備の手厚さには、嫌な予感しかしません!お誕生日のお祝いに、どれだけ高度な魔術を使うつも……ぎゃ!!」



今年の振り回し事件は、ぎゅんという音では足りなかった。


ネアの耳に届いたのは、決して生身の人間が体験してはならない、くおんという、音速的なあの音である。




(……………あ、)



あまりの早い回転に混ざり合う景色が、溶けたバターのように一つの色になる。

その中を先程の魔術式がきらきらと光りながら飛び交い、細やかな銀色の光をこぼすのだから、まるで星空のようではないか。



「……………成功だな。誕生日おめでとう、ネア」

「……………ふが」



王子として育てられた人間の経験というよりも、エーダリア個人の持つ特性でもあるのだろう。

はっとするほどに優雅な仕草で体を屈め、同じ屋根の下で暮らす家族の温度を湛えた柔らかな口づけを頬に落としてくれる。


こちらを見た鳶色の瞳には、瑠璃色とオリーブグリーン、そして銀色の虹彩模様が鮮やかだ。

しかし、そんなエーダリアの姿におおっと思うだけの力は、音速の宇宙を見てしまったネアには残されていなかった。




「わーお。…………僕もさ、理論構築を手伝ったよ。でもさ、……………え、今の何?」

「ネアが、……見えなくなった」

「……………ぎゅわ。お星様とお空が見えました……」



エーダリアはそっと床に下ろしてくれたが、ネアはすっかりよろよろしてしまい、迎えに来てくれたディノの腕の中に震えながらぽすんと収まる。


ゼノーシュはお代わりのオレンジのタルトを食べながら、僕には見えたよと微笑んでいるが、万象の魔物の目に追えなかったとなれば世界を揺るがす大魔術と言えるのではないだろうか。


窓際のちびふわは、尻尾の先までけばけばだ。




「では、次は私が」

「……………ぎゅ?!」

「ネアが取られた………」

「ありゃ、連れていかれたぞ………」



ネアは、是非にここから半日ほどは安静にさせていただきたかったのだが、優しく微笑んだ美しいシーに手を差し伸べられると、暴れて逃げ出す事も出来ずに大人しく身を預けてしまう。


ふるふるしながら、森と湖のシーに連れられて向かうのは中庭に続く扉だ。

となるとやはり、今年も空中戦なのだろう。



かちゃりと音を立てて、硝子戸が開けられた。

外は雪が降っているのだが、扉を開けても屋外の冷気がこちらに吹き込んでくる事はない。

リーエンベルクの窓は、全てに高度な魔術仕掛けがあり、外のものを内側に入れないようになっている。


だからこそ、先程の靴虫は内側で派生したものであると結論付けられたのだ。




「おや、落としたりはしませんよ?」

「は、はい」



これは、お誕生日のお祝いなのだ。

そう考えれば怯える訳にもいかず、ネアはかちこちに強張った体で、ヒルドに持ち上げられる。

そしてやはり、今年も飛翔は一瞬だった。


ひゅっと息を飲む間もなく、ばさりとヒルドの美しい羽が広がり、ネアはその美しさにはっとする。

ぐっと体を支えてくれた手の感触を腰に感じ、スカートの裾がふわりと広がり、その色が眼下の雪に映える様子を呆然としたまま見下ろす。




そこはもう、リーエンベルクの屋根よりも高い空の上だ。


はらはらと降る雪はスノードームの中のような穏やかさで、雪空の輝きに僅かに翳ったヒルドの表情はどきりとするくらいに美しい。



「……………にゃ、にゃげます?」



おずおずとそう尋ねたネアに、ヒルドは瑠璃色の瞳を瞠り、ふっと微笑みを深くした。



「では、今年は手を離さないようにいたしましょう」

「はい!ヒルドさん、もう絶対に、私から手を離さないで下さいね?ぎゅっとしていて下さい」

「…………っ、……ええ、勿論」



なぜかヒルドの羽にざあっと光が走り、ネアは、昨年は良かれと思って投げてくれたのにそれを否定したので不愉快にさせてしまったかなと不安になったが、そろりと瞳を覗き込めば怒ってはいないようだ。



(……………ふぁ、)



そうして始まった今年の振り回しは、まるで、空の上のステップのようだった。



靴底を支える見えない床があるかのようにくるりと回され、ネアのお気に入りのドレスのスカートが、綺麗に花開くように膨らむ。


魔術で維持される飛翔なので、どうしても落ちないようにしっかりヒルドに掴まっているネアだったが、回した腕に自分の体重がずしりとかかることはない。


こちらを見て微笑むヒルドは美しく優雅で、聞こえない筈のワルツの旋律さえ、どこからか聞こえるような気がした。


さらさらと揺れて広がる孔雀色の髪と、楽しそうに瞳を細めたヒルドの微笑み。

羽の付け根の淡い菫色に、はらはらと落ちる雪の影。



いつもは怖くてぎゅっとなるばかりのネアだが、今年の振り回しはダンスのようではないか。

くるくると回ってからぴたりと止まると、その反動でまた、スカートがさあっと大きく揺れ広がった。


腰に回してくれていた手で、するりと背筋から撫で上げるようにして背中を反らされ、ぴったりと二人の体が合わされる。

自然に見上げる形になったネアの顔をその手で支え、ふつりと落とされた口づけには胸を打つような柔らかな愛情があった。




(………ああ、私達は家族になったのだわ………)



ヒルドがあまりにも美しい妖精なので多少の恥じらいは感じてしまうが、いつの間にか、こんな風に口づけを落とされても、その一瞬に感じる、身の置き所のないようなどきどきは薄らいでいた。



ああこれは家族の温度なのだとすとんと胸に落ちたのは、きらきらと輝く宝石のような安堵と喜びの雫。



これからもずっと、ネアの胸の中の深い場所で輝き続けるものだ。




「誕生日おめでとうございます、ネア様」

「今年の振り回しは、ワルツのようでとっても素敵でしたね。こんな風に、お空でくるりとなったのは初めてです!」

「…………かもしれませんね。妖精は、最愛の家族と空でダンスを踊るものですから。狩りの作法の一端でもある求愛のダンスとは、また違う趣きのものになります」

「ふふ、ではこの振り回しが気に入ってしまった私は、また踊っていただかないといけませんね。それに、ヒルドさんは大事な家族ですものね」

「ええ。………これからもずっと、毎年この空にお連れしますよ。あなたは、私にとっての唯一の庇護を与えた女性ですから」



それならば、唯一の庇護を与えた男性は、エーダリアなのだろうか。



ネアは是非、次のエーダリアの誕生日では、その二人の振り回しも見てみたいなと考えた。

しかし、最初の想像では兄弟や師弟の空中ダンスのような麗しさだったものが、途中で、共に危険な振り回しを好むのだと思い出してしまった結果、想像の中の二人はとんでもないことになってしまった。


その結果ネアは、降下の為に羽の角度を変えたヒルドに会食堂に戻してもらいつつ、慌ててぶんぶんと首を振ってしまい訝しませることになってしまう。




「ネアが拐われた………」

「ディノ、今年のヒルドさんの振り回しは、とっても素敵だったんですよ。周りにはらはらと降る雪が、私達に触れる前にしゅわりと光って消えるのです」

「ありゃ、思っていたよりご機嫌で帰ってきたなぁ。………ネア、後はお兄ちゃんだよね」

「……………むぐ。怖いやつをやったら、怒り狂いますよ?」

「嫌だなぁ。僕が大切な妹にそんなことをするもんか。ほらほら、威嚇してないでこっちにおいで」

「むぐむぅ………」



この朝の最後に、ネアを持ち上げてくれたのはノアだった。



女性を腕の中に収める事に慣れた男性らしい巧みさでそっと抱き上げられ、ネアは、ぐっと近くなった青紫色の瞳の美しさにほうっとなる。

けれども、髪の毛はくしゃくしゃなので、あとで結び直してあげなければならないようだ。



しっかりと抱き上げられ、ノアの唇には、胸が苦しくなるような切実さと満足げな微笑みが浮かぶ。



子供をあやす父親のような優しさでくるりくるりと軽やかに振り回され、愛おしくて堪らないとでも言わんばかりの幸せそうな顔をする。


それはまるで、幸せで堪らない人が我慢出来ずに大切なものを抱き上げてくるくる回るような無垢さで、ネアは、この風習の始まりはこんな瞬間だったのだとやっと理解した。


断じて、音速の世界を知る為ではない。




「僕の世界一大切な女の子が、生まれてきてくれた日に。ネア、これからもずっと大切にするよ」



優しい口づけが落ち、ネアはついつい唸りかけて口元をもぞもぞさせ、にっこり笑っててこちらを見ている義兄の頭を伸び上がって撫でてやった。



「そんな義兄はずっと大切にしなければなりませんから、後でくしゃくしゃの髪の毛を直してあげますね」

「わーお。求婚されちゃう?」

「むぬぅ。なぜ大はしゃぎなのだ………」

「ノアベルトなんて………」



窓辺の椅子の上では、けばけばになっているちびふわが、なぜかちびこい足でだしだしと椅子を踏みつけて荒れ狂っている。


ネアはそんなちびふわを掴んでミッとさせると、とても険しい表情で、厳かに宣言した。



「なお、リゾットまみれのちびふわは、これから簡易お風呂です。人間はとても冷酷なので、星の劇場に行くまでの時間にさっと洗いますね」

「……………フキュフ」

「ネア、誕生日なんだからそんなのお兄ちゃんがやっておいてあげるよ。任せて」

「………じ、自分の髪の毛の一本縛りもおぼつかないノアが………?」

「フキュフー!!」



ちびふわも、塩の魔物だけには洗われてなるものかと思ったのだろう。

ちびこい前足でひしっとネアの指にしがみつき、フーッと威嚇して懸命に抗っている。



「うん、任せておいてよ。ほら僕も、色々と下準備しておかないとだから、アルテアの面倒を見たいからね」

「まぁ。………さては駆け引きなのですね?」

「そういうこと!」

「では、致し方ありません。ちびふわ、ノアはもっとちびふわと仲良くなりたいそうなので、甘えてあげて下さい」

「フキュフ?!」



ぺりっと引き剝がされ、呆然とするあまりにかちんこちんに固まったちびふわは、まるで市場に売られてゆく哀れな子牛のように、ノアの手に引き渡されていった。


あまりにも残酷な仕打ちにディノが震えていたが、ここは、銀狐の真実を明かした時の為にも、お互いの弱みを見せ合っておくべきである。




贈り物の披露は、夜のお祝いの時になるらしい。

早く披露したいのかなというエーダリアの得意げな眼差しや、今年の贈り物は凄いよと教えてくれたゼノーシュの言葉に、ネアの足取りは弾むようだ。



会食堂でノアの髪の毛を直してやると、まずは一度部屋に帰り、星浴びの劇場に行く為の服装に着替える。

完全なる二度手間だが、真珠の首飾りを最良の額縁で初披露したかったネアは、とても満足していた。



「ディノ、髪の毛に星屑が引っかかってしまうといけないので、フードがある上着か帽子があった方が良いようです。どちらにしますか?」

「……………フードかな」

「ではそうしましょう。そう言えば、ディノは帽子は苦手なのですか?」

「アルテアのものという感じがするからね」

「あらあら、ディノも被ってみたいのなら、遠慮しなくていいのでしょうに」



まさかそんな事で遠慮していたとは思わなかったが、この魔物は、アルテアの印象の強い帽子の装いは、不得手な自分がどう参戦していいのか分からない苦手の領域として認識していたらしい。


これは良い事を聞いたぞとほくそ笑む邪悪な人間は、いつかシシィに頼んで、お揃いの帽子の装いでも誂えて貰おうと企み始めた。


帽子職人はまた別にいるが、シシィの服飾的な嗜好をネアはとても気に入っているし、なんと言っても帽子プロなアルテアの担当もしている仕立て妖精である。

コーディネートの助言などもしてくれると聞いているので、是非にお任せしたい。



外出用にネアが選んだのは、綺麗な水色の毛織りのドレスだった。


織り上げる際にラベンダー色に染めた毛と霧竜の白い毛も混ぜ上げているからか、何とも言えない美しい色彩がお気に入りのもので、首元の一連の真珠がとても映える。


スカートの裾にはたっぷりとしたレースがついているので、誕生日の装いとして地味な感じにもならないだろう。

そこに、昨年の誕生日で貰ったケープを特別な裾上げの留め具を使ってスカート丈と合わせて羽織れば、誕生日の外出の装いの完成だ。




「では、行こうか」

「はい。宜しくお願いします」



今日はあれこれと忙しいので、街まではディノが転移で連れて行ってくれることになった。

振り回しの儀式などもあるのでと朝食後からの時間を少し多めに見積もっておいたが、やはりという時間になっていたのだ。




ふわりと持ち上げて貰い薄闇を踏めば、そこはもうウィームの街である。


はらはらと降る粉雪が降り、イブメリアの飾り付けはなくなってしまっても物語のように美しい街並みは、大晦日の怪物除けのカーテンを売っていたり、エシュカルの予約が始まっていたりする。



(いつもより街の風景を白く感じてしまうのは、あちこちにあった飾り木の色がなくなってしまって、雪の白さが際立つからなのかな………)




怪物にご注意という文字の入った可愛いグラスを売っている緑の屋根の出店の前を通り、ネア達が向かうのは、路地裏にひっそりと佇む古い劇場だ。


地下に降りてゆく階段と入り口の扉の雰囲気は、前の世界の古い映画館のようにも見えるが、小さな小鳥の姿の星の精霊の門番がいるのが如何にもこちらの世界らしい。


綺麗な橙色の胸毛が自慢の小鳥達は、近衛兵のような帽子を被ってきりりと胸を張っている。


ネア達がチケット売り場で前売り券を見せてからそちらに向かえば、ちびこい門番達は擬態している万象の魔物の姿にぴしりと固まっていた。



「ほらほらお前達、しっかりご挨拶を。大切なお客様なのだからね」

「ピ!」

「ピィ……」

「ピピ!!」



心配だったのか、チケット売り場から顔を出した青年に注意され、固まっていた小鳥達は我に返ったようだ。



慌ててぱたぱたと飛んで門を開けてくれると、真っ赤な絨毯の敷かれた夜結晶の階段が現れた。



「ピー!」

「ふふ、鳥さんに扉を開けて貰いました。…………まぁ、この階段を下りてゆくのだと思うとわくわくしますね」

「ネア、転ばないようにね」

「ええ、ここで転んだら台無しなので、ディノの手をしっかりと握っています」

「ネアが虐待する………」



こつこつと階段を下りながら、ネアは、先程の小鳥達の囀りで思い出した、今年はお祝いに駆けつけられないと連絡をくれた可愛い雛玉のことを思った。



ほこりは現在、魔物腰痛になっていて、今日もまだ安静にしていなければならないのだそうだ。


魔物腰痛は、体内で受けた魔術的な障りや魔術を含む食事の消化不良で起こるもので、人間で言うところの食あたりのようなものである。

魔物は腰に、精霊は膝に、妖精と竜は羽の付け根が痛むものらしい。


今回のほこりの場合は、イブメリアに信奉者から貰った焼き精霊王でお腹を壊しての腰痛であった。


ゼノーシュ曰く、とてもしょんぼりしていたが、魔術的な体調不良なのでじっくり治さねばならず、また、その状態で出歩くと食べられた精霊王の呪いが落ちても困るのでと、また日にちをあらためることになった。


ネアとしては、精霊王の祟りが腰痛で済むのも凄いし、どんな精霊王を焼いて食べてしまったのかがとても気になるのだが、このようなところでも、知ると言うことは知られる事なので詳細は教えて貰えなかった。


ただ、焼いた精霊王は、あっさりとした上質な脂と赤みのバランスが良く、こりこりして美味しかったらしい。




階段を下りきったところには円形のホールがあり、ドーム型の天井には夜空を模した天井画が描かれていた。



ふくよかな瑠璃紺色のカーテンと、星屑を模した可愛らしいシャンデリア。

壁は落ち着いた青色で、そこかしこに夜空を思わせるモチーフがちりばめられている。


シャンデリアの真下にある丸テーブルは夜樫の重厚なもので、白磁に藍色の絵付けのある大きな花瓶には、こぼれんばかりにくすんだローズピンクの薔薇が生けられていた。



そこで待っていてくれたのは、白灰色の髪を揺らしこちらを振り返ったグレアムで、隣にはラベンダー色がかった水色の髪のミカがいる。


奥の席でじゃりじゃりとお砂糖を食べているのがグラフィーツなのは間違いないが、他のお客の姿はないようだった。



「ネア、誕生日おめでとう」

「有難うございます、グレアムさん。………ところで、もしかして私は、開演時間を間違えてしまったのでしょうか?他のお客様の姿がないようなのですが、………」

「いや、この時間は貸切にして貰ったんだ。ネアの場合は、可動域に合わせて公演の魔術深度を変えた方がいい。せっかくだから、気兼ねなく楽しんで貰いたいからな」

「……………まぁ、ディノも知っていたのですか?」

「うん。グレアムから提案があったんだ。チケットは私が買っているけれど、他の席を買って貸切にしてくれたのは、グレアム達なんだよ」



この本日の初回公演の時間を全て買い上げてくれたのは、グレアムやミカ、ここにはいないギードやベージ、ワイアートにリドワーン達など数多くの顔見知りの人外者達だった。


ネアには詳しい理由までは分からないが、星の系譜の魔術の関係で、会場の貸切というものが出来なかったらしい。

その為にわざわざ、座席を埋めるように皆でチケットを買い占めてくれたのだ。



「で、でも、それなら皆さんもご一緒して下されば良かったのに、気を遣っていただいてしまいましたね………」

「それは心配ない。この劇場のチケットの支配人は、ミカの事が大好きらしくてな。ミカの紹介だったお陰で、かなり自由な振替えを提案してくれたんだ」



星浴びの劇場では、使わなかったチケットは当日キャンセルでも少しお金を足せば利用日の振替えが出来るので、支配人は今回、その仕組みを全員に適応してくれた。


通常よりは割り増しになってしまうが、今日来れなかった者達はまた別の日に席を予約すればいいので、後日この劇場に足を運ぶと言う。



一年の切り替わりの時期であるこの日は、各地で様々な土地で行事や祝祭がある。


イブメリアの祝福が潤沢な間にと慶事を執り行う者達も多く、ギードやベージ、ワイアートはそれぞれの仲間や一族の結婚式があり、リドワーンは海の系譜の祝祭があるのだそうだ。



しかし、客席は四十もあるのでその人数では一人一枚では到底足りないだろう。

であれば、特定の誰かが沢山チケットを買ってくれたのは間違いない。


もしかすると、この劇場の常連であるグレアムが、これからの分を振替えありきでまとめて買ってくれたのかなと、ネアは感謝の気持ちでいっぱいになった。


思いがけない贈り物にすっかり感激したまま、ネアはぴょこんとお辞儀をし、集まってくれた人達にお礼を言う。



おかしな言い方だが、こうした親しい隣人という存在を得たのも、こちらの世界に来てからである。

そんな人達がお祝いを助けてくれたことが、とても嬉しかったのだ。




「ミカさん。支配人の方にも、くれぐれも宜しくお伝え下さい。振替えだらけで、経営に響いてしまったりしないといいのですが…………」

「それは気にしなくていい。開演すれば分かるが、この劇場は元々、わざと満員にしないようにしているんだ。集まった観客の数を見て振替えを希望する者も多い」

「まぁ、そうなのですか?………ますますどんなものなのか、開演が楽しみになってしまいました」



ネア達は少しだけお喋りを楽しみ、開演までの時間が近くなったところで、座席に向かった。



「おっと。ネア、席に着く前にまずは準備をしておかないといけないものがある。この舞台は、やはり歩けることが醍醐味だからな。グラフィーツ、頼んでいいか?」

「これに履き替えておけ。魔術に沈むと厄介だからな」

「……………履き替えるのです?」




グレアムに呼ばれ、グラフィーツが持って来てくれたのはふかふかの毛皮で裏打ちされた青いブーツのようなものだ。



(ブーツ………?)



渡されたブーツを手に、ネアはこてんと首を傾げる。



目の前に立った砂糖の魔物は、どこか懐かしい鈴蘭の香りがして、以前に見た美しい指輪を今日もしているようだ。

奇抜な装いと、首からかけた銀のスプーンさえなければ、仄暗く優美な美貌はネアの好きな傾向にあるのだが、やはり癖が強過ぎる。



極彩色の装飾に目がちかちかしそうになりながら、靴を履き替えると、キンコンと開演の合図の鐘の音が響いた。




(いよいよ、星浴びの舞台が始まる………!!)




上映時間は半刻にも満たないものの、体感時間は二時間にもなるという。

どちらかと言えば心をくしゃりとさせた大人達こそが、癒しを求めて通う劇場だ。



その美しさの中で深呼吸をすると、例えようもない至福であるらしいので、ネアは深呼吸の準備も整えておいた。



どきどきする胸を押さえて、客席への扉を抜ければ、素晴らしい夜と星のショーが待っていてくれた。










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