119. 誕生日に自慢します(本編)
その日、待ちに待ったネアの誕生日がやって来た。
以前に暮らしていた世界では、クリスマス前だった誕生日である。
こちらの世界ではイブメリアの方が先にあるのだが、こうして誕生日が来ると、何となく前の癖でまだ祝祭の季節が続いているような感じがしてしまう。
通り過ぎてしまったイブメリアを早くも惜しんでいる人間は、そんな少しばかりの混同も強欲に噛み締めている。
日付が変わった真夜中に、ネアはまず、隣にいた伴侶にお祝いをして貰った。
「誕生日おめでとう、ネア」
「有難うございます、ディノ。こんな風にディノに真っ先にお祝いして貰える私は、世界で一番の幸せものですね」
「………幸せ、かい?」
「はい。勿論ですよ。なお、そろそろ眠れるともっと幸せです」
「……………ご主人様」
先程までの、ネアが途方に暮れてしまいそうなくらいの男性らしい色香は抜け落ち、ディノはしょんぼりとこちらを見ている。
なのでネアは、毛布を片手で押さえたまま手を伸ばして、大事な伴侶をきゅっと抱き締めた。
そうすると嬉しそうに微笑んだ魔物は、目元を染めるともそもそと体を起こして何かを取り出してくれる。
これは贈り物かなと思ったネアももそもそ体を起こし、こちらを見て優しく微笑んだ魔物に小さな小箱を手渡される。
「君に、これを」
「まぁ!お祝いの言葉だけで嬉しいのに、もう贈り物も渡してくれるのですか?」
「うん。もう君の誕生日だからね」
「この箱だけでも、とても綺麗な色で滑らかな手触りで、何て素敵なのでしょう。開けてみますね!」
(指輪だろうか…………)
ディノからのネアへの誕生日の贈り物は、ネアが特定のものをお強請りするまでは、指輪か首飾りだと決まっていた。
とは言えネアは、ディノは、今年も首飾りよりも品物の持つ意味の強い指輪を選ぶのだろうと思っていた。
魔物たちが、形状の似ている指貫でもあんなにはしゃいでしまうように、こちらの世界での指輪の階位はかなり高い。
特に魔物にとっての指輪というものは、伴侶相当の相手がいなければ贈る事の出来ない特別な品物なので、指輪を贈れるという事自体が、ディノにとっては特別な事であるようだ。
(指貫について話をしていた時も、頑なに嫌がってしまったくらいだから………)
最近流行りの指貫について、ネアはディノにも欲しいかどうかを尋ねてみた事がある。
しかしこの魔物は、ネアから貰った指輪をきゅっと押さえて怯えてしまい、指輪の方がいいので指貫は絶対にいらないと言うのだ。
それとこれは別という判断が出来ないくらい、指輪への思い入れは強い。
では、例えば贈るのが指輪となればいいのかなと聞いてみると喜んで頷くのだから、人間の感覚では測れない特別な思い入れがあるのだろう。
つまりのところ、ディノから贈られる指輪は、ネアにとっても特別な思い入れのある品物だが、ディノにとっても特別に大切な贈り物なのだ。
するりと指の根元を撫でたネアは、今年はどんな指輪なのかなとそわそわし、ふかふかの天鵞絨の小箱を受け取った。
これまでの誕生日に貰った指輪は、指に押し込むと伴侶としての魔物の指輪が見えなくなるので、装飾品をあまりつけたくないネアにも優しい仕掛けの贈り物である。
伴侶の指輪の付け替えパーツのように楽しんでおり、先日の雪白の香炉の舞踏会でも、指先を華やかにする為に花冠のものを使わせて貰った。
(ディノの贈ってくれた指輪はいつも素敵だから、今年の指輪も、きっと大のお気に入りになるんだろうな………)
そう思いながら貰ったケースを手のひらに置き、視線を持ち上げてディノの方を見る。
油断していたのか、いきなり見上げられた魔物は少し弱ってしまったが、それでもネアが贈り物を見る瞬間を楽しみにしているようだ。
かこっと音を立てて、いかにも宝飾品が入っていますという感じの紺色の天鵞絨のケースを開けたネアは、中に入っていたものを見て目を丸くした。
(あ、……………)
「………首飾りです。……………真珠の」
「うん。君が、…………前の世界で家族が持っていた真珠の首飾りの話をしてくれただろう?そのようなものが、また欲しいかなと思ったんだ」
こちらの世界の真珠の首飾りのケースは、指輪のような正方形の小さなケースに、縦に吊るす形で収められているらしい。
あまりにも魔術仕掛けな小箱にそれだけでもわくわくしてしまうが、こちらの真珠は海のものだけではないので、それぞれの系譜に合わせてこうして魔術に浸しておくのだとか。
箱を持ち上げて裏から見てみても、ネアの人差し指の第二関節くらいの高さしかない箱だ。
それなのに、蓋を開けると、一連とは言え鎖骨くらいまでの長さの真珠の首飾りが吊るせるくらいの深さがあるのだから驚きではないか。
「……………綺麗ですね。真珠なのに、じっと見ているとどこかゆらゆらと内側が光るような透明感もあって、………様々な色味の真珠がありますが、私の好きな色合いの真珠ばかりが連なっています」
「私の作る真珠だから、どうしても黄系統の色を強くするのは難しいんだ。これで良かったかな?」
「はい!菫色がかった灰色やラベンダー色、水色や青みの緑などの艶がある真珠が、私は特別に好きなのです。…………ここに、ほんの少しだけの淡い薔薇色の艶もあって、それがまた女性らしくて素敵ですねぇ……………」
満足の息を吐き、ネアは取り出した真珠の首飾りをしげしげと眺めた。
真珠なのであまり触るのはよくないのかなと思ったのだが、堪らずにそっと指で撫でてしまう。
そのひんやりとしていながらも温もりを感じる肌触りに、ネアの胸の奥がとくんと音を立てる。
(……………あの真珠の首飾りを思い出してしまう。……………凄く嬉しいな……………)
母親は、ネアが生まれた日に父に買ってもらった真珠の首飾りをとても大切にしていた。
糸が緩んでしまい直しに出している姿も何だか特別な宝物のようで、よくせがんで見せて貰っていた。
瑠璃色の天鵞絨の箱の中で真珠が上品に光り、ネアは、そんな宝物の清廉な白い輝きを今でもよく覚えている。
「……………ぎゅむ」
「ネア、……………泣いてしまうのかい?」
「………母の宝物の真珠の首飾りを見て、私はいつも、父が母のことをとても大切にしているのだと幸せな気持ちになったんです。……………あの大切な真珠の首飾りは、両親が亡くなった時に燃えてしまいましたが、…………ふぇぐ。………残された真珠の首飾りの箱は、ずっと私の宝物でした」
目の奥が熱くなり、めそめそしながらそう語れば、ネアはふわりと抱き締められた。
その温かくて優しい伴侶の腕の中で、今度はネアの為に用意された真珠の首飾りを持ち上げると、言葉に出来ないような愛おしさに胸が潰れそうになる。
「…………私にとって、このような真珠の首飾りは、愛する人にとても大切にされているという象徴のようなものでもあるので、嬉しくて胸がいっぱいになってしまいました。ディノ、この贈り物を選んでくれて有難うございます…………」
ぽろりと落ちてしまった涙を手のひらで受け止めてくれると、ディノは嬉しそうに微笑んでくれる。
愛おしげな眼差しは澄明な水紺色が光るようで、はらりと揺れた真珠色の長い髪は宝石のよう。
(あの首飾りを思い出す度に、私のたった一人の魔物が、真珠色の魔物であることが誇らしく思えていたけれど………)
それだけでも充分に幸せなのに、こうして今、思い出の中の宝物のような真珠の首飾りまでが手元に届いた。
「君が喜んでくれて良かった。これはたった一つがいいみたいだから、一度しか贈れないだろう?だからこそ、今年にこそ贈る事にしたんだ。君が、私の伴侶になった年の贈り物だからね」
「……………ぎゅむ。大事に大事にするので、傷が入らないように守護をかけてくれます?」
「もうかけてあるよ。勿論、首飾りとして、金庫にもなっているからね」
「ふぁい………」
「いつも使うものではなく、特別な時の首飾りなのだよね?」
「はい!とっておきのものなので、今日のお誕生日会では絶対に使います。……ふぁ、どきどきしてきました」
「可愛い………」
大切にしまっておきたいのにいつまでも見ていたくて、ネアは相反する心にはぁはぁしてしまう。
身に付けて鏡で見てみたいのだが、最初に着けるのはやはり、明日のお誕生日用のドレスを着るまで待つべきだと思う。
ネアにとっての真珠の首飾りは、そういうものなのだ。
「それから、持ち上げるのだよね」
「むぐ?!こ、この装いだと毛布が剥がれてしまいますので、明日の朝の開催を希望します!」
「今夜でなくてもいいのかい?」
現在の状態を考えて慌ててそう言えば、ディノは、少しだけ困ったような顔をした。
そんなお祝いの風習も楽しみにしてくれていたのかなと考え、ネアはこてんと首を傾げる。
「………でも、口づけだけは今夜にしてくれますか?」
「……………ずるい」
「そして、この真珠の首飾りを、明日はディノに着けて欲しいです」
「…………ネアが可愛い……………ずるい」
「ディノ、………お祝いの口づけをしてくれないのですか?」
微笑んで頬を差し出すと、魔物は目元を染めておろおろした後に、そろりと体を寄せた。
ここで恥じらうのであれば、さっきまでの男性的な振る舞いは何だったのだと思わないでもないが、やはり、魔物と人間とでは感覚が違うのだろう。
優しい口づけが、頬に触れる。
きゃっとなって倒れた魔物の隣で、ネアは、口づけを落とされた頬を片手で押さえ、毛布の中でぬくぬくと過ごす朝のような幸福感に身震いする。
(……………幸せ)
「ディノ、私はとても幸せです。ディノと出会えて、ディノが私を伴侶にしてくれたからこそ、私はずっと私を大好きなままでぬくぬくと暮らしてゆけるのです」
「……………うん。ずっと側にいてくれるかい?」
「はい。勿論です!ここにいるのは、ディノが大好きな人間なので、手放してはいけませんよ?」
「……………可愛い」
生き返ったばかりの魔物は、今度こそ胸を押さえてぱたりと倒れてしまったが、そのお陰でネアは、幸せな気持ちのまま、新しい宝物を寝台の横のテーブルに飾ってすやすやと眠る事が出来た。
夢の中で、その箱を開けるのは母親ではなかった。
あの箱はしっとりとした灰色の箱だったが、ネアの小箱はディノの瞳の色を宿した真夜中のような濃紺色だ。
懐かしい家で朝を迎え、大切な小箱をぱかりと開けるとネアの為の真珠の首飾りがそこにある。
その美しさに微笑んだネアが振り返ると、あの日の後ろ姿を最後に見失ってしまっていた、笑顔の両親がいた。
その後ろからぴょこんと顔を出したのは、可愛いユーリで、祖父と祖母も奥に立っているような気がした。
「ディノから貰ったのです。ディノを伴侶にしてくれるこの指輪に代わる宝物はありませんが、この真珠の首飾りは私にとって特別な宝物になりました」
そう説明したネアに、誰かが背後からきゅっと抱き締めてくれた。
胸元に投げ込まれた三つ編みを持ってやり、ネアは両親達に綺麗な真珠の首飾りが見えるように箱を傾ける。
「この箱の中に、ディノの吐息から紡いだ祝福から湧き出した、綺麗な魔術の湖があるんですよ!この真珠は、ディノが自分の魔術から作ってくれたものなので、そこに浸しておくことで常にぴかぴかなのです」
話しながら、おや、こちらで馴染んだような口調のままだなと思ったが、今はディノの腕の中にいるのでこのままでもいいのだろう。
そんな風に宝物を自慢するネアに、両親やユーリや、もっと奥の方にいた父方の祖父や叔父も、微笑んで頷いてくれたような気がした。
多分。
それはもう、夢でしかないのだろうけれど。
「……………ふぁ、」
目が醒めると、ネアは昨晩の素敵な夢を覚えていて、隣で眠っている魔物を揺り起した。
薄っすらと目を開けた魔物は、こちらを見上げて蕩けるような優しい微笑みを浮かべる。
「おはよう、ネア。誕生日の朝だね」
「はい。ディノから貰った真珠の首飾りを、向こうの世界の家族に自慢する夢を見たんです。ディノがくれた素敵な贈り物のお陰ですね」
「……………良かったね、ネア。………ずっと、……………」
「ふふ、私の居場所はもう、生涯ディノの隣なので安心して下さいね」
「………ネアが虐待する」
「解せぬ」
前の居場所について触れたからか、少しだけ不安になってしまった魔物を慰めると、なぜかディノは弱ってしまった。
もじもじする魔物と一緒に顔を洗いにゆき、自分の髪をささっと梳かしていると、そっとブラシを取り上げられた。
「…………やってくれるのですか?」
「うん。私の誕生日には、君がやってくれたからね」
ディノの手つきは優しく慎重で、さりさりと、優しく髪を梳かしてくれる。
ネアは大事にされて大満足してしまい、そんなご機嫌の人間に丁寧に三つ編みにして貰った魔物はすっかりへなへなだ。
「ディノ、どのリボンがいいですか?」
「君が最初に買ってくれたものかな」
「あら、私のお誕生日なのに、ディノの特別なリボンでいいのですか?」
「君の特別な日だからね」
「ふふ、では、ミントグリーンとラベンダーとどちらの色にしましょうか?」
「……………ラベンダー色にしようかな」
ネアはこの時、魔物がちらりと窓際を見たことに気付いた。
そこには、ネアにとっても特別なものである菫の花束を模した置物があり、どうやらそれを色選びの参考にしたらしい。
「ディノ、持ち上げてくれます?」
「……………ネアが大胆過ぎる」
「むむぅ。アンダードレス姿ですが、ドレスを着た後より持ち上げやすいですよ?」
「………うん」
ちょうど、アンダードレスの内に髪の毛を結ってしまおうと思ったところだった。
見た目はワンピースのようなものだし、かさばらない方がいいだろうと気付きそう言ったのだが、ディノはたいそう恥じらいながらネアを持ち上げてくれた。
窓の向こうには、静かな雪が降っている。
雪を積もらせたライラックの枝と、その向こうに見える小さな薔薇の茂み。
今年の薔薇は思いがけずまだ結晶化しているものが少ないのだが、イブメリアが落とした祝福が潤沢なので、そろそろ結晶化したものが現れ始めるだろう。
ぺかりと光ったのは妖精だろうか。
吸い込めば胸の奥の深い場所までが静まり返りそうな雪景色の静謐さは、子供のように慈しまれる誕生日の儀式に、どこか荘厳な冷静さと輝きを与える。
雪を降らせる雲に殆どの陽光は遮られている筈なのに、ざらりとした雪面に朝の雪灯りが煌めけば、窓の向こうには不思議な暗さと明るさがあった。
祝祭のリースはもう、この部屋にない。
それでも、寝室にはディノから貰った今年のイブメリアの贈り物が飾られていて、あの日に着たドレスをもう一度着ることが出来るのは、ネアにとってはふくふくと心が満たされるような喜びだった。
「むふぅ………」
「そのドレスを、とても気に入ってくれたのだね」
「はい。お気に入りのドレスがあって、それをまた着られることはとても幸せな事なのですよ」
「うん。けれども、欲しいものがあれば幾らでも作ってあげるからね」
「ふふ、私は万事凝り性なので、ついついお気に入りのものを手放したくなくなってしまうのですが、素晴らしい場所へ向かう為の礼儀として、舞踏会などへは新しいドレスを仕立てるべきだと知っているのです。また来年の雪白の舞踏会のドレスは、ディノにお願いしますね」
「ご主人様!」
持ち上げてくるりと回してくれたディノに、体がふわっとなったネアは笑い声を上げた。
最近は何かとぎゅいんと回す者や、種族性もあるので決して苦言などは呈せないが、空中で投げたりする者もいるので、こうして楽しく過ごせるディノの振り回しはとても素敵だ。
くるりと回したネアをそっと床に戻すと、ディノは体を屈めて口づけを落とした。
唇に感じた吐息の温度に、ネアは伸び上がってこつんと額を合わせる。
「頭突き………」
「まぁ、これからもお誕生日なので、弱ってしまわないで下さいね?」
「ネアが可愛いことばかりする………」
「ふふ、素敵なお誕生日のお祝いを有り難うのご褒美です!」
「もっと回すかい?」
「………ディノの良いところを、どうかそのまま伸ばして下さいね」
鏡の前でハーフアップのように髪を少しだけ上げたのは、首回りをすっきりさせるためだ。
本当は少し巻きたいところだが、ネアの可動域では残念ながら髪を巻く事は出来ない。
こちらの世界で髪を巻く為に使う道具は、魔術を通して使うものなのだ。
家事妖精に準備をして貰うのも手間なので、ネアは、編み込みを少し作ってボリュームを出した。
「ディノ、これでどうですか?」
「………ネアが可愛い」
「なぜカーテンの陰に入ってしまったのでしょう?これから大切な一日なので、そこから出てきて下さいね」
「動いてる………」
「それは標準仕様ですが、さては、髪をまとめる仕草が珍しいからですね?」
「可愛い…………」
「これくらいで弱ってしまうだなんて、何て儚い生き物なのだ……」
アンダードレスの上からドレスを着て、ネアは女性らしい満足感を覚えて唇の端を持ち上げる。
くるりと回ってみせると魔物がきゃっとなってくれるし、体の周りでお花が咲くような満ち足りた気持ちになった。
「……………ディノ、あの真珠の首飾りを着けてくれますか?」
「うん。貸してごらん」
大切な首飾りを小箱から取り出し、ディノの手に預ける。
美しい首飾りを受け取るディノの眼差しはとても男性的で、ネアは少しだけにゃむとなってしまったが、そんな特別な伴侶は、手を回して優しく首飾りをつけてくれた。
わくわくしながら留め金を合わせるのを待っていたネアは、首回りに触れるひんやりした感触におやっと眉を持ち上げる。
(そう言えば、元々の首飾りはどうしたのかしら………?)
本来なら首飾りのあるべき位置に真珠が触れている。
指先で触れてみても、そこには真珠の首飾りしかない。
これまでの様々な落下事故などを受け、ネアは、部屋で寛ぐ時以外はあまり首飾りを外さなくなった。
いざという時、首飾りがあるのとないのとで状況はかなり変わるだろう。
そこかしこに魔術が敷かれているこの世界では、例えリーエンベルクの中であっても、緩めるべきところと備えるべきところを考えなければならない。
魔術効果で触れている感覚を消したり見えなくすることが出来るので負担はないのだが、そのせいでうっかり外すのを失念していたのだ。
「ディノ、元々の首飾りを外すのを忘れていたのですが……………」
「付け替えの魔術をかけてあるから、こちらのものを身に付けると、していない事になるんだ。今回のように、元のものを外さずに上から付けて構わないよ」
「していない事に………?」
「うん。世界の認識に紐付く魔術が入れ替わるんだ。君がつけている首飾りはこちら、という風にね」
「むむむ、何だかとても凄い事のような気がしますので、やはり私のディノは凄いのですね!」
「ずるい………」
ネアには専門的な説明はよく分からなかったが、真珠の首飾りをつければ、元々の首飾りはないことになり、外せばあることに戻る。
更には、首飾りの金庫は自動的に繋げられており、真珠の首飾りもその金庫の扉として機能するそうだ。
「ディノ、しゃっと行って鏡を見てきますね!」
「ネアが逃げた………」
「ふぁ!見て下さい、この綺麗な真珠の首飾りを。私にぴったりの長さと粒の大きさのこの素敵なものが、これからは私の宝物の一つなのですよ?これはもう、ディノにも差し上げられないのです!」
魔物にとって、ご主人様が自分にも譲れないものは、特別なものとして認識される。
贈り物をどれだけネアが喜んでいるのかをあらためて知ってしまい、ディノは嬉しそうに口元をむずむずさせていた。
「爪先を踏むかい?」
「なぜそうなったのかが、とても謎めいています」
「君は、爪先を踏むのが好きだからね」
「解せぬ」
然し乍ら、嬉しそうにもじもじしながら爪先を差し出す魔物をしょんぼりさせる訳にもいかず、ネアは複雑な思いで伴侶の爪先を踏んでやった。
幸いにも、まだ、腰紐以外の専門的な運用として自分を縛って欲しいというような要求はない。
そちらにはまだ対応出来るかどうか自信がないので、今の内に技術向上に励むべきなのかもしれない。
とは言え、にゃわなるものの研鑽を積もうとすると、努力に比例して心が死ぬシステムなので、なかなか勇気が出ないのも確かだった。
最後に美しいサッシュをそっとかければ、真珠の首飾りとサッシュが、鏡の中の灰色の瞳の人間を、まるで王族かのような高貴さに整えてくれていた。
どちらかと言えばネアは、子供の頃からお姫様願望のようなものがある方ではないのだが、女性として上等に見えるというのはやはり嬉しいものだ。
体を捻って首飾りを色々な角度から眺めると、嬉しさのあまりに小さく足踏みしてしまう。
「……………む?」
その時の事だった。
こつこつというノックの音が、どこからか聞こえてくるではないか。
「…………お客様でしょうか?」
「誰かと約束していたかい?」
「いいえ。………でも、お誕生日なのでお届け物ですとか、ノアがお祝いを一足先に言いに来てくれたのかもしれません」
「……………ノアベルトなのかな」
よく分からないが悪いものではなさそうだと言うことで、ディノと一緒にその音がした方に向かう。
きっとノアだろうと思って扉を開けたネアは、開いた扉の向こうに誰もいない事にこてんと首を傾げる。
部屋の前はしんと静まり返り、廊下には人影もない。
確かにノックの音は聞こえたのに。
「誰もいませんね」
「うん。誰か来ていたのかな」
「フキュフ!」
「……………む。開いた扉の向こうから、ちびふわの声がします。もしや、開ける扉に押されて壁の端に片付けられてしまったのでは…………」
「誰かが、ちびふわに、………なってしまったのかい?」
「私のお誕生日の日に………」
ちびこい手足を挟まないようにそっと扉を戻してみると、どこか恨みがましい目をしたちびちびふわふわした生き物が、扉に押し動かされてしまったお尻座りの姿勢のまま、壁際にちょこんと座っていた。
赤紫色の瞳なので、選択の魔物である事は間違いない。
「フキュフ!」
「まぁ、ご立腹かもしれませんが、こちらはお客様がこんなに小さいとは思わないので、扉が動いたらすぐに避難して下さいね?」
「フキュフ!!」
「……………そして、何かを持っているようです。……………ディノ、ちびふわがお友達を連れて来てくれました。………は!もしや、恋人さん?!」
「フキュフー?!」
ちびふわの前には、ちびこい前足でたしっと押さえられた黒くてけばけばしたものがある。
子熊のような丸い耳があり、まん丸の目でじーっとこちらを見ているその黒いけばけばは、ネアの小指くらいの不思議な生き物だ。
ちびふわに踏みつけられてはいるが、とても大人しい。
「……………獲物じゃないかな?」
「なぬ。獲物なのです?」
「フキュフ!」
「そしてなぜ、アルテアさんはちびふわに……………」
「フキュフ……………」
その問いかけにさっと顔を背けたので、知らない内に前日から泊まっていたアルテアが、リーエンベルクのどこかで悪さをしていたのは間違いないだろう。
ネアは困ったふわふわであると静かな目で見下ろすと、頑なに目を逸らしているふわふわの首回りを掻いてやって、小さな白もふをミッと驚かせた。
「ディノ、この黒ちびけばけばは何やつでしょう?」
「……………竜かな」
「竜さんなのです?も、もしや、ちび竜?!」
「靴虫の系譜の竜だね。建物の中で、履物に悪さをする生き物だ。リーエンベルクにはいないと思っていたけれど、どこから入ったのかな」
「ちびふわ、もしかして、お外から持ってきてしまったのですか?」
「フキュフ…………」
「否定しているようなので、リーエンベルクの中にいたみたいですね」
「フキュフ!」
「ちび竜………虫…………ちび竜?」
ネアはこれだけ小さな竜であれば、お菓子の空き箱で飼えるかなと考えたが、まだその野望を魔物たちに知られてはならない。
ひとまず、許可されていない生き物がリーエンベルクの中にいたのだから、結界などに問題が起きているのかもしれない。
ネア達はすぐに、部屋の魔術通信板からヒルドに一報を入れた。
すると、慌てた様子ですぐに向かうと言われたので、やはり不法侵入で決まりのようだ。
不審者捕縛の手柄を上げたちびふわはきりりとしているが、そもそも、なぜ使い魔がご主人様の誕生日にちびふわになってしまったかの真相究明も待たれるところである。
ヒルドは、すぐに部屋の前まで来てくれた。
はらりと揺れた長い髪の様子からすると、走ってきたのかもしれない。
「ネア様、お待たせしました」
「ヒルドさん!まぁ、エーダリア様も」
「連絡をくれて助かった。小さな黒い竜姿の靴虫は、近くに穢れた履物があるという報せになるのだ。放っておくと、その靴虫が巨大な竜になり、人間や小さな妖精達を襲うようになる。この段階で捕縛出来て良かった………」
「……………なぬ。思ったより獰猛です」
ヒルドを見た途端、ちび黒けばけばはぴっとなってしまい、慌てて逃げようとして、ちびふわに両前脚でぎゅっと押さえ込まれていた。
ちびふわのなんとも愛くるしい仕草にネアは胸が苦しくなったが、ここはまず、靴虫の引き渡しをしてしまう必要がありそうだ。
きりりとしたちびふわ騎士からヒルドに引き渡され、竜姿の靴虫はこてんと気を失ってしまった。
美しい妖精の手のひらで伸びている姿は、竜というよりは太めの毛虫のようにしか見えない。
(……………毛虫っぽい)
「ネア?」
「…………むぐぐ。こんなに小さいのですから、隙あらば菓子箱で飼おうと思っていましたが、こうして見ると、毛皮毛虫のようであまり好きではありませんでした。ぽいです」
「ご主人様…………」
「ネア、靴虫の竜は成長すると被害を出すので、今後また見付けても飼わないでくれ…………」
「むむぅ、惜しい素材でしたがそのような点においても失格です。コヤツには金輪際興味は持ちません」
身勝手で残虐な理論を展開した人間に、ヒルドはにっこり微笑むと、こちらは外に捨てておきますと話してくれた。
「外部から入り込むことはまず不可能ですから、最初は、内部に派生の原因となるようなものがあるかどうかを調べましょう」
聞けば、リーエンベルク内の靴はきちんと管理されており、この靴虫が派生するような状態のものは本来ある筈もないのだと言う。
しかし、穢れた履物がなければこの靴虫は現れないので、どこかにその条件を満たす履物があるのかもしれない。
「ふむ。何となくですが、どの部屋か分かったような気がします」
「ええ、恐らく彼の部屋でしょう。我々で調べてみますので、ネア様は……………アルテア様をお願いしても宜しいでしょうか」
「はい。ちびふわはひとまずお部屋に入れますね」
「それと、…………」
ふっと微笑んだヒルドが歩み寄り、伸ばした指先でネアの頬に触れる。
「誕生日おめでとうございます、ネア様。祝いごとはまた後ほど。そのドレスも真珠の首飾りも、とてもよくお似合いですよ」
「まぁ!有難うございます。この真珠の首飾りはディノからの贈り物で、自慢の宝物なのです!」
早速自慢してしまったネアに、ヒルドは良いものを貰いましたねと頷いてくれる。
誇らしい気持ちで頷いたネアは、続いた言葉にぴしりと固まった。
「いつもの祝福は、朝食の後であらためて」
「そうだったな、まずはそれを伝えるべきだった。ネア、誕生日おめでとう。今年も、早く回せるように魔術の調整をしてある」
「……………ぎゅ」
銀狐である塩の魔物の部屋の調査に向かう二人の背中を見送ってから部屋に入ると、ネアは、今年も上空で投げられるかもしれないと、かたかたと震えた。
「ヒルドさんは、お空で私をにゃげげ…………にゃげるのです。一人で挑戦する勇気がないので、今年はちびふわを連れてゆきますね」
「フキュフ?!」
「使い魔たるもの、ご主人様のお供をして下さいね」
「フキュフー!!」
「アルテアなんて……………」
窓から美しい雪の日の空を見上げて、ネアは真珠の首飾りに触れた。
今日は、誕生日なのだ。
一人ぼっちではなく、素敵な贈り物にも触れられるようになった優しいその日は、この世界に来て四回目となる。




