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118. イブメリアの儀式を執り行います(本編)



イブメリアの夜のミサが始まった。



過分に祝福を含んだ雪は光るようで、そんな雪を積もらせた教会の周りは、夜のこの時間であるのに明るい。

聖人達やウィームの人外者達を表現した美しいステンドグラスは、そんな雪明りを透かして色鮮やかに浮かび上がっていた。



深い深い夜の闇の美しさにその彩りも加わり、イブメリアの大聖堂は幻想的な影の中にある。

古く大きな森結晶の燭台に立てられた蝋燭の火が、ゆらゆらと大きな柱ごとに設けられた小さな祭壇を照らしていた。



溶けた蝋燭の香りと、火の匂い。

香炉から立ち昇る儀式用の香木の香りに、瑞々しい飾り木やリースの葉からこぼれる森の香り。


大聖堂の中に並ぶ飾り木は、白百合のオーナメントに淡い水色のリボンだけをかけた聖域の赴きだ。

壁際の高い位置にある祭壇には妖精が佇み、天窓の薔薇窓にも青い羽根の妖精が腰かけている。

来賓席にはひときわ背が高く竜の角のあるお客がいたり、ぼうっと揺れるのは聖人の亡霊だろうか。



リーエンベルクに属するダリルやヒルド、雪竜の王と祝い子のようなウィームの代表的な人外者達や、信仰の魔物や送り火の魔物などのイブメリアを司る人外者達。

彼等は夜の聖堂の薄闇の中でいっそうにその美貌を際立たせ、集まった人々に感嘆の溜め息を吐かせた。


白に近い紫色の髪で豪奢な金糸の刺繍のある白いケープを纏ったジゼルの隣で、黒髪のワイアートは黒に金糸刺繍の盛装姿だ。


同じような漆黒の盛装姿で統一したダリルやヒルドにこそ近しい存在にも思えてしまうが、竜と妖精の美貌はやはり違う。

どれだけ繊細な美貌でも竜種には一定の強靭さが窺え、どれだけ老獪であっても妖精はやはり儚く見える。


この祝祭の薄闇に紛れた魔物達は、禍々しく近寄り難いような凄艶な美貌こそをけぶらせた。


いつもはもしゃもしゃの黒髪を綺麗に掻き上げ、祝祭の王冠をかぶったグレイシアも、今夜は堂々とした佇まいで、篝火のような赤い瞳が暗がりでくっきりと浮かび上がる。



(あ、……………)



ネアは、壇上に上がった聖職者の姿を見ておやっと眉を持ち上げた。


最後に全員集合的な儀式となるイブメリアの夜のミサでは、高位の人外者達に囲まれてしまう教会側の司祭がいつも何だか可哀そうな感じになるのだが、今年は、新しく着任したばかりの司教がその役目を担うようだ。


ネアはお気に入りの司祭の声を聞けないと分かり少しだけむしゃくしゃしたが、そんな思いも、ウィーム各地からこの夜の為に集まった少年たちによる聖歌が始まるまでであった。



祭壇の両脇には、瑞々しい緑の葉を繁らせた立派な飾り木がある。

円環状に蝋燭を乗せるだけの簡素な灯り取りのシャンデリアは、円環部分を木の枝で装飾しリースの様にしていて、それも何だか素敵なのだ。



そんな枝々に宿るのは、細やかな魔術の祝福の煌めき。


伸びやかに広がる聖歌隊の少年達のボーイソプラノの透明な歌声に、教会関係者達の重みのある歌声が重なる。


こうしてゆっくりと刻み、重ねてゆけば、あっという間にネアの大好きなイブメリアは終わってしまうのだろう。

少しだけ寂しい気持ちになりながらも、ネアは祝祭の儀式の荘厳さに身を浸した。



(まるで、この大聖堂の高い天井の向こうから、音楽が降ってくるよう)



うっとりと目を閉じても、ステンドグラスの色とりどりの光が瞼の裏側で万華鏡のように煌めき、ネアは、色鮮やかな影の暗さに酔いしれて唇の端を持ち上げた。



そんな伴侶のご機嫌な様子に、隣に座った魔物がこちらを見たようだ。


ネアの膝の上には青灰色に擬態された三つ編みが乗せられており、ネアも今日ばかりは、もしもの落下事故などがないように三つ編みを握って座っている。



懸念していた王都からのお客は、ネア達の並びの祭壇側に座っていて、ヴェルリア派だという侯爵の息子は、ふてぶてしい貴族らしい容貌の青年を思い描いていたところ、黒髪に赤混じりの琥珀色の瞳の美丈夫だった。


もう少し若い青年で想像していたネアは、父親でもいいくらいの年齢の男性が現れてびっくりしてしまったが、エーダリアよりも少し年上だと聞けば納得だった。


フェルフィーズなども同じ世代なのだが、こちらはただでさえ若く見える花の魔術の使い手なので、父親と息子くらいの印象の差が出てしまう。


侯爵令息は、男性的な面立ちは整っているものの鷹のような眼差しの鋭さが記憶に残るので、貴族というよりは武人寄りの印象が強い男性だった。



オフェトリウスとは、儀式の始まる前には親しげに短く話し込む姿が見受けられたので、元々親しいのかも知れない。

その左隣のネア達側に座っている柔らかな栗色の髪に紫の瞳の男性が、擬態をした砂糖の魔物なのだろう。

こちらについては、ただゆったりとミサを楽しんでいるだけに見える。



(でも、高慢そうな振る舞いも見られないし、ウィームをじっくり見定めているのだとしても、軽率に害を為さない人選なのは間違いないのかも…………?)





聖歌が終わると、いよいよ祝祭の幕引きに向けて詠唱が始まった。



言葉に魔術の宿るこの世界では、聖職者によるお説法のようなものは極力控えられており、同一の信仰を掲げる教会関係者だけで行うミサや、土着の教会などの親しい者の内のミサでなければ、予め台本があるお決まりの説法以外の対話が行われる事は殆どない。


余分な言葉を重ねることで詠唱で記された魔術を崩しかねないので、国内外共に、言葉を重ねる行為は倦厭される傾向にあるらしい。



まずは司教から始まり、エーダリア、そして冬の系譜を代表したジゼルが詠唱に加わる。


さらさらと砂時計の砂が落ちてゆくように大好きなイブメリアが減ってゆくみたいで、ネアは、少しだけふすんと息を吸ってしまい、膝の上の三つ編みをにぎにぎした。




(それでも、この儀式も美しいのだ………)




深い深い夜の帳のように広がり響き渡る詠唱は、重なり合い響き合い、例えようもないほどの祝祭の夜の最後の美しさを、それを見上げるしかない人間に残酷なほどに見せつけた。



祝祭に結ばれた魔術の馥郁たる香りの中で、詠唱に育まれた祝福が、祭壇のあたりできらきらとダイヤモンドダストのように煌めく。



おやっと眉を持ち上げたレイラの表情を見るに、これはあまり例のないことなのかもしれない。

その煌めきを見たヴェルリア侯爵の息子がぎょっとしたように体を揺らしたので、彼にとっても驚くべきことであったようだ。




祭壇の中央で、ふくよかな緑のローブを着たレイラがゆっくりと両手を広げる。



耳下で揃えた白緑の髪が揺れ、じゃらりと音を立てたのは、よく光る檸檬色の宝石の耳飾りだろうか。

こうして祭壇の上に立つ信仰の魔物は、人間の領域を離れ、畏怖するべき見ず知らずの生き物としての美貌であった。



「かの夜に現れし優しきもの、この夜に宿りし静かなるもの。この夜に立ち去りし美しきもの。イブメリアよ、その祝祭の名において祝福を宿し、この地に妙なる喜びを敷かんことを。立ち去る御身のその指先に、我らの信仰をもって敬愛の口付けを贈ろう」



女性のものにしては低い、穏やかで魅惑的な魔物の声が最後の詠唱を引き取り、飾り木の小枝に口づけを落とすという祝祭への別れの口付けの儀式の後に、高らかにイブメリアの終幕を宣言した。



グレイシアが神妙な面持ちで頭の上の王冠を外し、こつこつと歩み寄った祭壇の上にそっと置けば、いよいよイブメリアも最後の儀式に入る。

王冠を祭壇に戻す事で、大聖堂の尖塔に灯されていた祝祭の送り火が、ぼうっと音を立ててグレイシアの手のひらに戻ってくるのだ。



赤々と燃えるその炎を大聖堂前の飾り木に移し、初心者にはいささか刺激の強い送り火の儀式を終えれば、イブメリアは幕引きであった。



水灰色の毛皮に縁取られた艶やかな紅色のケープを翻し、大聖堂の中央通路をゆっくりと歩いて来たグレイシアは、少しだけこちらを見ただろうか。

目が合ったような気がしたので、ネアはそちらに向けて頷きかけてやった。


どれだけ美しい祝祭の魔物の姿を取っていても、ポケットで寝て涎を垂らしてしまうちび狼の姿が浮かんでならないグレイシアは、ネアにとってはいつまでも可愛い舎弟のようなもの。


きりりとして通路を歩く横顔には深い影が落ち、送り火の魔物の美貌をうっとりと見つめている観光客の少女には、その魔物はちび狼の魅力も兼ね備えた素敵な魔物なのだと教えてあげたくなってしまう。




ここで、送り火の魔物が大聖堂を出てゆくと、ミサに参加していた領民達が俄かにざわめき始めた。


どこか不穏な気配すら帯びる人々の険しい表情に、侯爵令息は、不審そうに眉を顰めて周囲を見回している。


しかし、彼が落ち着いて周囲を見回していたのはそこまでで、スカートの裾をつまんだ可憐なご婦人が、今年こそは金色のお花のあるランタンを手に入れてみせると叫び走り出して行ってしまうと、呆然としたように椅子から立ち上がった。



このあたりは、観光客達も心得たものだ。


大聖堂の送り火で貰える水晶製のランタンは、事前に領外からのお客様も見込んで多く用意されているので、観光客でも、お昼までに申し込みをしておけば貰う事が出来る。


立ち見席でミサを堪能していた観光客達にも、まだ聖堂内に残っている高位の人外者達はもはやどうでも良くなってしまったのか、ランタンに走る者達がいた。



とは言えランタンの配布は、ウィーム領民へのものが最優先となる。



遠方から訪れたウィーム領民であれば、用意数に足りなくても何とかして揃えてくれるが、観光客の場合はそうはいかない。

定数を超えてしまった場合は、ひと家族一個までになってしまうのだそうだ。


然し乍ら、毎年ウィームを訪れる観光客達は、そろそろ集めるのなら一家に一個で充分だと気付き始めたようで、近年は準備数で足りるようになったのだとヒルドが話していた。



周囲の人々の狂乱ぶりに震える王都からのお客人に歩み寄った司祭の一人が、この狂乱の原因を説明しているようだ。

ネアは、ちらりとそちらを確認すると、さもそちらには興味がありませんという風に、ディノを促して席を立ってみた。



(ここで、私達がいつまでも席に座っていたら、いかにも見張りをしていますという不自然さだもの………)



ネアがウィームの歌乞いであることは、事前に聞いているのだろう。

はっとしたようにこちらを見る視線が一度だけ横顔に触れたような気がしたが、幸いにも声をかけられるようなことはなかった。



既に、周囲の席は空っぽになりつつあった。

座っていた席列から抜ける途中で、ネアは、バンルとエイミンハーヌに遭遇し、少しだけ立ち話をする。

ウィーム領主の後援会の会長も王都からのお客が気になるのか、背中を向けて立ち、その表情が侯爵令息からは見えないのを承知の上で、過激派らしい意味ありげな微笑みでネアに頷きかけてくれた。


完全に、あいつの始末は俺に任せておけの悪役の微笑みだが、一応はウィームの守護者の一人なのだ。



バンルと話をしていると、ちょうど王都からのお客の様子がよく見える位置ということもあり、ネアは、侯爵令息をこっそり観察してみることにした。



黒髪の美丈夫は、なぜ麗しいご婦人迄がこんなに荒ぶっているのだろうと呆然としたまま司祭の説明を聞いていたが、やっと納得しかけこくりと頷いたところで、今度はステンドグラスの向こう側に焼き討ちかなという巨大な炎が上がってしまい、ぎょっとしたように飛び上がっている。



しかし、苦笑したオフェトリウスに肩を叩いて宥められ、おずおずと頷いてから移動を始めた。

まだ帰るという雰囲気でもないので、送り火を見に行くのだろう。



「ディノ、音の壁があります?」

「展開してあるよ。あの人間のことかい?」

「あちらの方は、幸いにも騒ぎを起こす様子もありませんでしたし、このまま放っておいても問題なさそうです。ヒルドさんとの打ち合わせ通り、あの方が外に出るのを待ってから、我々も飾り木のところに行きましょうか」

「うん。今年もランタンを取りに行くのだよね?君が燃えないようにしよう」

「確かにあの炎の勢いは凄まじいですよね………。私の大切なディノの綺麗な髪の毛が燃えてしまわないよう、きちんと自衛して下さいね」

「可愛い、三つ編みを引っ張ってくる………」

「おお、やっぱりそれはご褒美なんだなぁ」



ローズウッドのような色合いの布地が赤い髪を何とも美しく引き立てる盛装姿のバンルは、そんな様子を見てからりと笑っていたが、丁度その時に前を通ってしまった侯爵令息は、高位にしか見えない魔物の三つ編みを引っ張る歌乞いの姿に微かに瞠目していたようだ。


首回りに毛皮をあてた騎士服のオフェトリウスが立ち止まり、こちらに向かって優雅に会釈をしてくれる。

ネアもにっこり微笑んでお辞儀をしたが、ここで敢えてお喋りなどをしなくてもいいのが歌乞いのいいところだ。



何しろ、歌乞いの魔物は狭量である。


お互いに、必要以上に近付かない方が賢明であるというパフォーマンスを取れるのだ。




(これでもう、お会いする事もないかな…………)



少しこちらを気にしていたものの、オフェトリウスやグラフィーツ扮する栗色の髪の男性に促されて外に出て行った侯爵令息とは、もうこれきりだろう。



ネアはその時、確かにそう思って安堵していた。




「………むぐ。なぜここにいるのだ」

「気に入ってしまったのかな…………」



しかし、そんな王都からの賓客は、ごんごんと燃え盛る巨大な飾り木の周りに集まったウィームのご老人達と、大盛り上がりで葡萄酒をやっつけていた。



王都からの一団と距離を置く為に、あれからも少しバンル達とお喋りをしてから外に出れば、どうも、ランタンを手にしたご婦人方の様子がおかしい。

なぜあんな大喜びなのだろうと首を傾げたネアは、今年のランタンの絵柄は薔薇だと聞いて奮い立っていた。


先に並んでくれていたのかなと思っていたヒルドには合流出来ず、伴侶な魔物を引き連れてランタンの列に並んだところだったのだ。


そしてこの、行列が進み燃え盛る飾り木が少しだけ近くなったところで、まさかの光景に出くわしてしまったのである。



(……………かなり出来上がっているような………)



ご主人様が焦げないようにときりりとしていた魔物は、警戒対象な王都からの来訪者が大はしゃぎで送り火を満喫している姿を見てしまい、とても慄いているようだ。


美丈夫なだけに眼光の鋭さで近付き難い雰囲気だった軍人めいた雰囲気の男性が、明らかにハツ爺さんかなというご老体と、残念ながら顔を飾り木色に塗ってしまったので正体不明なご老人と一緒に、燃え盛る飾り木の前で軽やかに踊っている。


ネアは目をしぱしぱしてから、念の為に片方の手の甲でごしごし擦ったが、やはり夢ではないようだ。



陽気に踊ったり、がははと笑ったり、たいそうご機嫌だと言わざるを得ない。




「ほわ………」

「ご主人様…………」



屋台で買ってしまったのか、紙コップではなく記念マグカップで飲むことを選んだらしいホットワインをぐいっと飲み干し、侯爵令息はうぉぉぉと声を上げた。

燃え盛る飾り木が、炎の中でばちんと大きな音を立てたのだ。


近くには、笑ってはいるが目には面倒くさい事になったぞという表情を浮かべているオフェトリウスと、早く帰りたいと一目で分かる、うんざりしたような顔で遠くを見ているグラフィーツがいる。



「おや、…………こうなりましたか」

「ヒルドさん!………あちらのお客様ですが、我々が抑止力になるどころか、ミサの間は大人しくしていましたし、終わった後は送り火の儀式に夢中のようです。良いことなのでしょうが、こちらは見向きもされませんでした………」

「彼は、火の守護が厚いと聞いていましたが、………これは私も予想外でした」



侯爵令息は今、燃えて落ちてきた枝を避けながら、童心に戻ったような素敵な笑顔で、わあっと声を上げている。


しかし、自分が避けた枝から逃げなかった男性を見ると、少し悔しそうに今度は負けないぜと宣言しているではないか。


もはや、すっかり送り火に夢中なようだ。



「松明の系譜の守護だから、送り火の魔術とは相性が良かったのかもしれないね」

「やれやれ、これはもう、放っておいても良いでしょう。………顔を緑に塗っている男は、エーダリア様の支援者の一人ですからね。ああ見えて、ウィームを損なう者には容赦しない御仁として有名です」

「まぁ、………お顔はもの凄く緑で、ところどころに星の絵があるようですが、とても頼もしい方なのですね」

「どうして、緑にしてしまったのかな………」

「ネア様、今年のランタンは待ち時間が長くなりそうだと聞きましたので、事前に幾つかをこちらで受け取っておきました。もし良ければ、その中からお選びいただいても構いませんよ」

「まぁ、それでお姿が見えなかったのですね」



このような時、関係者が先に品物を受け取ってしまう事をよく思わない人達もいるだろう。


しかし、限定の金色のものを横取りしてしまったり、状態のいいものを選んで取ってゆくのでなければ、予め関係者までが行列に加わらないようにした方が、待ち時間自体は短くなる。



なので、今年のランタンの花は薔薇だと聞いて荒ぶる領民達を確認したヒルドは、関係者分のランタンを、準備庫から引き取る事にしたらしい。


なので、せっかくのランタンはしっかりと自分の目で見て欲しいものを選ぶという主義でさえなければ、そちらから受け取った方が手早く済ませられる。



ネアの決断は早かった。



「では、そちらからいただく事にしますね。今年もみんなで楽しく橇遊びをしたいのですが、ランタンが足りなくなってしまったりはしません?」

「ええ、勿論。我々の数は揃えてありますよ」

「まぁ、さすがヒルドさんです!」



とは言え、ランタン待ちの行列を抜ける際には少しだけはらはらしたが、前後の人達は、美しいリーエンベルクの妖精を間近で見られた事にとても感動しており、綺麗な魔物だけではなく、噂の妖精までをこんな近くで拝見してしまったと楽しそうにわいわいしている。


図らずもそんなところでもヒルドに助けられた事になり、ネアは、魔物の三つ編みを掴んでいそいそとヒルドの後を付いていった。




「あ、ネアも来た」

「まぁ、ゼノ達もここにいたのですね!今年の送り火も、グラストさんはゼノが守ってくれたのですか?」

「うん。僕のグラストが焦げたら困るから、ランタンは僕が取ってきたんだよ。今年は休憩時間中だったから、ミサが終わる前に並べたんだ」


今年は夜勤のゼノーシュとグラストは、これからもまだ勤務時間が続くので、ネア達と橇遊びはしない。

その代わり、確保しておいたランタンを持ち、夜勤明けに同じ時間帯に見回りにあたっていた騎士達と橇で競う約束をしているのだそうだ。



ネアは、幾つか並んだランタンの中から、ふっくらとした薔薇の花が空を見上げるような角度で花びらを広げた構図で彫られたものを選び、手の中の水晶のランタンの美しさに頬を緩めた。



ちらちらと揺れる火に、繊細な手彫りの薔薇の花が柔らかく浮かび上がる。

ネアには魔術は殆ど使えないが、こうして持っていると、魔術の火を手のひらに抱いているようだ。



「可愛いです………。こうして、一つ一つ手彫りで、こんなに繊細で素敵な薔薇を彫ってあるだなんて。スープ屋さんでよくお見かけするご夫婦は、エーダリア様がこのランタンの配布を始めてからずっと、ランタンを集めているそうなのです。私達もそんな風に集めてゆけたならと思うと、わくわくしてしまいますね」



そう呟いたネアに、一つのランタンを手にとっていたヒルドが優しく微笑んでくれた。

そんなウィーム領主を大事に守り育ててくれたこの妖精は、領民達が水晶のランタンを大事に持ち帰る姿を見て、満足げに目を細めている。



「エーダリア様は、まだお仕事中なのですか?」

「バンル達やダリルとネイと共に、大聖堂の中におりますよ。新しい司教にとっては初めての祝祭儀式でしたから、領民達との橋渡しをするのも領主の仕事ですからね」

「………あの方は、元々この大聖堂におられたのですよね?人見知りさんだったのでしょうか?」

「筆頭司祭という訳でもありませんでしたから、彼の前の階位では、直接の挨拶が難しい相手もおりました。これからは、そのような相手とも対話してゆかねばなりませんからね」



ネアのお気に入りだった、詠唱の素晴らしい司祭は、司教への昇格人事を辞退したのだそうだ。

その結果、あの司教が二段飛ばしで昇格したらしい。



こちらの世界での聖職者には、定年と引退の制度がある。


ネアの生まれた世界とは違い、こちらの世界の聖職者達は、取り違いや読み違いがあると危うい繊細な魔術を扱う職人のような仕事をする者達だ。


万が一の事故などに繋がらないよう、定期的な魔術観測を行い、その残量や摩耗の推移を見極め、職を辞することは珍しくない。



(と言うことは、あの司祭さんは、もうご退職されてしまうのだわ………)



まだまだ暫くは大聖堂に勤めているが、精緻な魔術を扱う儀式詠唱などは、これからはもう、若い者達に譲ってゆくのだそうだ。

あの声を聞けないのは少し寂しいが、退職前にその詠唱を聞くことが出来て良かったと思おう。




「すまない、待たせたな」

「…………わーお。向こうで騒いでるのって、あのヴェルリアの侯爵の子供じゃない?」

「送り火の儀式が余程お気に召したようですよ。最初は演技かと思いましたが、同行した者達の様子を見る限り、本気で楽しみ始めたようですね」



そう説明したヒルドに、ノアは目を丸くしていた。

ネアは努めてそちらを見ないようにしているが、まだ大はしゃぎしているようだ。




「ノア、送り火は大丈夫でした?」

「うん。あの前にずっと立っているのは無理だけど、随分と気にならなくなったよ。エーダリアが隣にいたし、ポケットの中にボールも入れておいたしね」

「ボールなのですね………」

「…………さ、さてと、後はもう橇だよね!」

「今年は、雪崩は大丈夫かい?」

「ありゃ。シル、今年はイブメリアは大事な用事があるってみんなに言っておいたから、勿論大丈夫だよ」



用意されていた一つのランタンを手に取り、淡い魔術の転移を踏みながら悪戯っぽく微笑んだノアに、ネアとエーダリアはこそこそと顔を寄せる。



「それもそれで、大事な用事とは何なのだと、恋人さん達は荒ぶるのでは………」

「…………まだ刺されていないので、今夜は大丈夫だと思うが………」

「え、それでも駄目なの?!」




しゅわんと、雪交じりの風が吹いた。



悲しげに眉を下げたノアは、いつの間にか立派な銀色の橇に手をかけている。

ネア達が立っているのはもう、ウィームの大聖堂ではなくアルバンの山の中であった 。


ネアは、ちょっと待たれよと両手を上げてから、ディノがどこからともなく開いてくれた扉の中に駆け込み、イブメリアの儀式に参加する為のおめかしスタイルから、自慢の橇遊びスタイルへと華麗な早着替えを果たした。


この簡易更衣室のようなものは、市販の併設空間をディノが整えてくれたもので、今年は、出発が遅くなるのでリーエンベルクに着替えに戻る余裕がないと聞いていたネアが、伴侶な魔物に相談して備えておいたものだ。



(一度着替えに戻ってからだと、アルバンのお山も混んでしまうから………)



高位の転移魔術を扱える強みは、こんなところでも有利に働いている。



「……………おい、何だその服装は。コートはどうしたんだ、コートは」

「むぐ。出てきた途端にお母さんに捕まりました」

「やめろ」

「そして、…………むが?!…………ぐいぐいコートを着せてくるのをやめるのだ!自分で着られます!!」



ほこほこセーターと裏起毛の乗馬パンツに着替え、そんな装いを華麗に披露する予定だったネアは、ずぼっとコートを被せられてしまいむがもがした。


ネアとしては自前のコートがあるので、明らかに大きさの合わないアルテアのコートを着付けるのはやめて欲しい。


しかし、肩が落ちないように、襟元に大判のストールをかけ、袖もしっかり折り上げられてしまった結果、何だかもうこれで滑るしかない感じになってしまう。

形から入るタイプな人間は、橇遊び用の可愛いコーディネートを考えていたのでちょっぴりがっかりだ。



「むぐぅ…………」

「ネアが、アルテアを着てる………」

「わーお、甲斐甲斐しいなぁ。使い魔ってそんな感じだったっけ?」

「うーん、アルテアは、指貫を貰ってからかなりはしゃいでいるな」

「ありゃ。ウィリアムももう来たのかぁ」

「まぁ、ウィリアムさんです!もこもこコートの中からお送りしていますが、私が誰だか分かりますか?」



勿論、他の参加者達の分のランタンも準備してくれていたヒルドからランタンを受け取りながら、ウィリアムがくすりと笑う。



終焉の魔物としての白い軍服ではなく、漆黒の動き易そうな服装で挑んで来たからには、今年の橇遊びではかなり真剣に優勝を狙いに来ているのだろう。


はっとしたネアが振り返ると、アルテアも珍しくスポーティなコート姿だ。


コートの下は優美なスリーピースだが、しっかりとしたブーツを履いて、毛皮の縁取りのあるフード付きのコートを羽織った選択の魔物は、こちらも優勝争いに加わるつもり満々ではないか。



「……………ディノ、皆さんとの温度差を感じましたので、我々は楽しく橇遊びをしましょうね」

「…………ノアベルトはあれでいいのかな?」

「まぁ、ノアだけ贈り物のマフラーをこれ見よがしに巻いていますが、殆どいつもの服装ですね」



とは言え、魔物は本来はそれでいい筈なのだが、ウィリアムとアルテアの服装を見ていると、今回の橇遊びで優勝争いに加わるには、それ相応の準備が必要なのかもしれない。



「あはは。僕はほら、エーダリアの保護者みたいなものだからさ。これでいいんだよ」

「なぬ。エーダリア様が誰よりも気合の入った服装に!!」



エーダリアの装いはもはや、冒険者のそれである。

フード付きのしっかりとした竜革のコートに、膝までのどっしりとした靴底の厚いブーツ。

手袋とゴーグルまで。



「やれやれ、あなたはその準備をいつからしていたのです?」

「それは勿論、昨年の橇の後からこつこつとだな……………。その、…………ヒルド」



語るに落ちるとはまさにこの事で、どこか誇らしげに準備期間について語ろうとしたエーダリアは、にっこり微笑んだヒルドを見て、そろりと口を閉じた。



「では、私は麓に下りていましょう。お二人は、どうぞゆっくりどうぞ」

「はい。こちらの戦いに巻き込まれると心が滅びそうですので、我々はゆっくり最後尾から行きますね」



ディノが用意した今年の橇は、綺麗な森結晶のようなふくよかな緑色の鉱石で出来ていた。


乗り込もうとして縁に触れると、触れた場所にしゃわりと淡い銀色の光が弾ける不思議で美しい橇は、座席にあるふかふかのクッションはこっくりとした紫色で、四隅についたフリンジが可愛い。


橇の台座にランタンを吊るし、うきうきと橇に乗り込み他の参加者の橇を観察すれば、ウィリアムは見たこともない煌めきの硝子細工のような水晶製の橇で、エーダリアのものは、こちらも新調したとしか思えないきらきらと光る琥珀色の結晶石で出来た橇だ。




アルバンの山までは、街の喧騒は届かない。



けれどもウィームを最も美しく彩ると言っても過言ではないイブメリアの夜だったのだから、雪山も、深い影の向こう側や、雪溜まりの陰などに宴を開いている妖精たちや魔物たちがいた。



最初は、あまりにも高位の魔物たちが突然やって来たので、山の生き物達は怯えたように息を潜めていたが、毎年本気の橇遊びをするだけなので、そろそろ慣れてきたのかもしれない。



ウィリアムは長い足で優雅に橇の縁を跨ぎ、アルテアはしなやかに座席に腰を下ろす。

エーダリアは少しだけ神経質に座り位置を調整しつつ、すちゃっとゴーグルを下ろしている。



そちらは死闘なのだろうなと頷き、ネアは背後から抱き抱えるように座ってくれたディノが、しっかりと抱き締めてくれながらも恥じらってもじもじしているので、どれだけ恥じらってもこの手を離してはならないと言い含めなければならなかった。



そうして、魔術仕掛けのスタートの合図を控え、ネア達がぐぐっと体を屈ませた時のことだった。





「お、黄金リズモ!!!!」




しゅいんとネア達の横をすり抜けるように、麓に向けて滑空していったものに、強欲な人間はあっと声を上げた。


ちょうどその瞬間に、ばぁんとスタートの魔術仕掛けの合図が鳴り響き、全ての橇が一斉に滑り出す。



「ディノ!あの、見たこともない速さで飛んで行くリズモを追って下さい!!全力で絶対に捕まえます!!!」

「ご主人様…………」



見たことのない、けれども絶対に良い獲物に違いない黄金リズモの出現に荒れ狂うネアの腰に回した手に力を入れ、ディノは、橇を調整しながらご主人様が飛び出さないようにもするという難しい調整を余儀なくされてしまった。



木々の間の細い隙間を恐ろしい速さで滑り抜け、斜面から飛び出し、ぽーんと宙に投げ出された瞬間もあったが、今年のネアはそんな事ではくしゃくしゃにならなかった。



何しろ目の前には、ぶーんと凄まじい速度で飛んで逃げる黄金リズモがいる。

飛び抜ける速さからも、只の毛玉妖精ではない。




(逃すものか!!!)



ネアは、これまでの数々の苦難と挑戦を思い出し、ディノにしっかりと橇の座席に固定されたまま、必死に手を伸ばした。


あと少しあと少しと心の中で念じ、よく分からない橇に乗った人間に追いかけられて死にもの狂いで逃げているリズモとの距離をじわじわと詰めてゆく。




「むぐ!!」



じゃっと鈍い音を立てて、橇がぎゅいんと横向きになった。


ネアはいきなり体の向きが変わったので驚いたが、魔術的な措置がなされていたらしく、首がすっぽ抜けることは無かった。




目を瞬くと、手の中でミーミー鳴いている黄金のリズモがいる。



(……………捕まえた。………みたい)



いつの間にか、麓まで滑り降りてしまったらしい。

ゴール地点となる大きな木の下に羽を広げて立っていたヒルドは、思いがけない豪速で滑り降りてきたネア達に、少しだけ呆然としているように見えた。



「……………まぁ、一位なのです?」

「そうみたいだね。………リズモは捕まえたのかい?」

「はい!この通り、捕獲しました。むふぅ。狩りの女王から逃げられる筈もないのです!」



恐ろしい人間に鷲掴みにされただけでなく、真珠色の髪の魔物に覗き込まれたリズモは、恐怖のあまりにミーミーと泣き叫んでいたが、続けて他の橇が麓の雪原に滑り込んでくる頃にはぶるぶる震えるばかりとなり、祝福を強請った残忍な人間に一攫千金の祝福を与えてくれる。



「……………おい」

「む?…………見て下さい!一攫千金の祝福を手に入れました!!」

「はは、まさかネアとシルハーンに負けるとはな。うーん、来年こそは勝たないとか………」

「ありゃ。エーダリア、息してる?」

「…………っ、まだまだ勉強不足だな、私は」

「え、………言っておくけど、アルテアとウィリアムを負かしてるからね?!」




今年のイブメリアの橇遊びは、思わぬ事情から優勝する事になってしまったネア達に続き、エーダリアが二位、アルテアとウィリアムが同時に三位、最下位のノアとなった。



へろへろになった黄金のリズモを解放しているネアは、何とも言えない視線を感じてこてんと首を傾げる。



よく頑張った伴侶な魔物を褒めておこうと、少しだけ屈んで貰い沢山頭を撫でてやれば、撫でられ過ぎてしまった魔物はへなへなになったが、今年も誰の橇のランタンも消えずに滑り降りる事が出来た。



「これで、また来年も一緒に橇遊びが出来ますね!」

「……………っ、来年こそは!」

「来年は、お前の言う事はもう信じないからな」

「なぜむしゃくしゃしているのだ………」



なお、来年の雪辱を誓うエーダリアや、勝てると思っていたのに負かされてしまい、ちょっぴり拗ねている魔物達がいるので、ネア達は、ウィーム中央に戻ってからアルテアの行きつけの店で短い打ち上げを行う事となった。



黄金のリズモ欲しさに荒ぶってしまい、脆弱な人間の体が翌朝にとんでもない事になったのは言うまでもない。



ネアは、過度な筋肉疲労と祝杯を重ね合わせるのはとても危険な事なのだと、翌朝に嫌という程に思い知らされる羽目になったのだった。











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