117. 雪白の香炉で向かいます(本編)
朝食が終わると、ウィリアムとアルテアはそれぞれに用事があるらしく、橇遊びまで一時解散となった。
ネア達が参加するのは夜の儀式なので、イブメリアの昼の儀式があるエーダリア達とも暫く別行動だ。
(でもよく考えると、昨年一緒だったのは周囲を警戒してくれていたからでもあるのだけれど、ウィリアムさんもアルテアさんも、橇遊びが気に入ってしまったのかしら………)
グラストとゼノーシュは、今日は午後を少し回ったところまでが自由時間であるらしく、グラストの屋敷で家族の祝祭で締め括るのだそうだ。
夜は仕事をしながら、休憩時間に沢山出ている屋台などで祝祭料理をいただくそうで、見聞の魔物は、どこで休憩に入っても対応出来るように美味しい屋台を事前に幾つも調べ上げてあるらしい。
「我々のお仕事は、夜の儀式になります。少し厄介そうな方が参加されるので、抑止力として参加して欲しいというお仕事ですので、貴賓席に座ってイブメリアの儀式を楽しみましょうね」
「オフェトリウスとヴェルリアの侯爵の息子に、グラフィーツだね。この国の王は、思っていたよりも駒の配置が上手いようだ」
「ええ。ダリルさんも、人選を見て思っていたよりも王様がウィーム寄りだと驚いていました。そのお二人が同行者であれば、完全に味方と言えないのだとしても、ある程度こちらで調整がし易いですものね」
「オフェトリウスには融通が利かない部分もあるだろうけれど、グラフィーツがいれば大丈夫ではないかな」
同行する侯爵家の次男坊は、完全なるヴェルリア派である。
火の系譜の守護を持つ人物なので、焚き上げのある夜の儀式の招待となったらしい。
人間が人外者から授かる守護は、その守護が強ければ強い程に、系譜の影響を受けやすいと言われている。
大きな火の動く儀式に参加すると、系譜の親和性が高いので心を緩め易くなるという仕組みなのだ。
(勿論、そんなことは本人も承知の上だろう)
だとしても侮れないのが魔術汚染というもので、例え守護であれ、本人が考えている以上の影響を齎してしまうからこそ、意図しない影響を汚染と呼ぶのだった。
「その方のことを、ディノはご存知ですか?」
「ノアベルトが知っていたので、教えて貰ったよ。君に何かあるといけないからね、その人間の訪問が決まった際に、松明の魔物とは話をしておいた」
「むむ、ということはその方の守護は、松明の魔物さんによるものなのですね」
「松明は全ての種族にいる。魔物の守護の方が階位が高いけれど、彼が従順な魔物で良かったよ」
ディノによると、松明の系譜は様々な者達がいるそうで、妖精の松明が最も得体が知れない者達なのだそうだ。
そちらの系譜だった場合は、守護を与えた者がこちらの領域に入り込むようだが、悪さをしたらくしゃりとやってしまうぞという脅しはきかないので、ディノからしてみれば階位が高くても魔物の守護で良かったのだろう。
(そうか。ディノにとっては、その人をどうにかしてしまうことなんて簡単なのだわ……………)
普通の人間がそんな事を聞いたら、自分達のあずかり知らないところで人外者達がそのような交渉をすることを、恐ろしく思うのだろうか。
その侯爵令息は、頼りにしているであろう守護が、このウィームに仇を成した場合は失われてしまうことを知らない。
更に言えば、隣に座っている者達が、剣の魔物と砂糖の魔物であることも知らないのだろう。
窓の外を見れば、静かな雪がまるで物語のように降っていた。
花びらのような雪片が風のないウィームに真っ直ぐに舞い落ちてくる様子は、イブメリアに相応しい美しさでいつまででも見ていたくなる。
雪をかぶった薔薇の花壇には、小さな妖精達が集まってパーティーをしているようだ。
冬でも満開の花を咲かせる薄紫色のライラックに積もった雪には、きらきらと祝祭の結晶が宿っているのが部屋の中からも見えた。
イブメリアだ。
そう思えば胸がいっぱいで苦しくなるほどに幸福で、大切な時間の針がもうこれだけ進んでしまっていることが切なくもなる。
片手を持ち上げてディノに貰った付け替えの指輪を眺めれば、窓の向こうのイブメリアの雪景色にあまりにもぴったりで、ネアは微笑みを深めた。
これからはいよいよ、雪白の香炉の舞踏会に向かうのだ。
「昨年は、ぱたぱたちびふわなアルテアさんと、ちび犬なウィリアムさんが一緒でしたね」
「うん。今年は白樺はいない筈だけれど、不穏さを感じるような者がいたら教えておくれ」
「はい。そうしますね。……………そして、このドレスを見て下さい!!」
くるりと回ってみせれば、ディノは嬉しそうに微笑みを深める。
ネアは、季節の舞踏会に出られないディノが仕立ててくれる雪白の舞踏会のドレスを、毎年とても楽しみにしているのだ。
それでも、昨年のドレスに敵うものなどあるまいと密かに思っていたのだが、まさかのもう一着の一位のドレスの出現にたいそう興奮していた。
ふんわり広がるスカートは、淡い水色から淡いラベンダー色へと複雑に変わる色合いが美しく、羽のように軽い生地とたっぷりと取ったタックで僅かな動きでさぁっと広がる。
それならば寒かろうと言えばそんなことがあるはずもなく、生地そのものは透けるような薄い生地ではない、しっとりとしたぶ厚いものなのだ。
夜の虹の影と朝靄を紡いで作った生地であるらしく、この色合いのものはとても貴重であるらしい。
上半身は同じ生地ではあるものの、ラベンダー色が強い部分を使い、胸元は谷間がしっかり覗くくらいに深く開いていて、幾重にも重ねた美しい白灰色のレースで薔薇の花びらが重なるようになっていた。
伴侶の防寒対策をしっかりとしてくれる魔物らしく袖は手首の少し上までしっかりとあり、花びらのように広がる胸元のものと同じレースで縁取りされている。
特別な装飾はないが、斜め掛けのリボンのような飾り帯がそれはそれは美しい。
イブメリアの朝の庭園というテーマで作られたこのサッシュは、右肩から斜めにかけて、左腰のところで綺麗にリボン結びにしました風のデザインになっていた。
リボン結びの部分は縫い付けられているので装着の際には上からかぶるのだが、ネアとしては、こんな貧弱な人間めにかけるよりも、ウィームの美術館にでも飾って欲しいくらいのものだと思っている。
白い天鵞絨の帯地にはディノの髪色のような真珠色の艶があり、そこに、パステルカラーの淡い色彩でイブメリアの朝の雪の庭の花々や、飾り木の枝などをこれでもかと精緻に刺繍してあるのだ。
舞い落ちる雪や飾り木のオーナメント部分には結晶石があしらわれ、見ているだけでうっとりとしてしまう特別なサッシュになっている。
シシィの母親である、仕立て妖精の女王の作品だ。
「……………ディノ、このサッシュを使った装いを、またしたいです」
「新しいものを幾らでも仕立ててあげるのに、それが気に入ってしまったのかい?」
「でも、昨年の雪白の舞踏会で着たドレスも特別なお気に入りなので、どうやって配分すればいいのでしょう。……………ひとまず、このドレスは、私のお誕生日会でも絶対に着ますね」
そう宣言した伴侶に微笑んだ魔物は、ひどく満足気で、そして凄艶な程に美しかった。
そっと両腕の輪の中に閉じ込められると、柔らかな口付けが落とされる。
満足気に微笑んだ水紺の瞳の鮮やかさに、ネアはくらりと意識が傾きそうになるのをぐっと堪えた。
幸せそうに、幸せそうに、微笑む魔物。
今年はぱたぱたちびふわやちび犬がいない分、そんな眼差しをしたディノは伴侶のネアの目にも暗く眩い。
押し流されて全部持っていかれそうになってしまうが、舞踏会はこれからなのだ。
(そしてやっぱり、ディノはリボンのモチーフに拘っている模様!)
ディノが三つ編みに結んでいるのは、灰雨のリボンで、ネアのかけたサッシュとは色合いが違うのだが、不思議となぜかお揃いという感じがする。
ネアのサッシュに使われたものと同じであろう天鵞絨生地の盛装姿は、まさしく万象という美麗さで、普段のディノよりも華やかな装いなのに、目に映る印象は酷薄で冷たく見えた。
だからこそ、魔物らしい美しさが際立つのだろう。
贈り物のケープを着せかけて貰い、ネアはふぅっと揺れた甘やかな吐息になぜか頬が熱くなった。
「さて、行こうか」
「はい。……………ディノ、出かける前に少しだけ、ウィリアムさんにやって貰ったこの髪型を自慢させて下さいね。ほらここに、ディノが今日咲かせたお花が飾ってあるのですよ?」
ネアがそう告げると、魔物は、今度は水紺の瞳を嬉しそうにきらきらさせた。
そんな風に微笑む魔物も大好きな人間は、どちらの良さも満遍なく堪能したとほくそ笑む。
大きな窓を開けると、ディノが手に持った雪白の香炉から白い煙が立ち昇った。
(わ、……………!)
しゃりん、しゃらりらと心が弾むような不思議な音を立て、天上の舞踏会会場に向かう階段が現れる。
こちらを見て微笑んだ魔物にひょいと持ち上げられてしまうが、この階段ばかりは落ちたら即日終了になってしまうので持ち上げは吝かではない。
それに、ドレスで階段を登ってスカートの中が見えてしまっても大変だ。
イブメリアだけに現れる恩寵と秘密の階段に、はらはらと祝祭の煌めきを纏う雪が舞う。
空に延びる階段を見るだけでもわくわくしてしまい、ネアは窓を超えて階段に足をかけた魔物にしっかりと掴まった。
「ディノの伴侶になってから、伺うのは初めてですね」
「ネア、その言葉は危ないから、会場に着いてからにしようか」
「なぬ。もしや、弱ってしまう的な……………?」
かつこつと階段を踏む音に、こんな硬い靴音を立てる階段を、魔物はどうやって滑らずに歩くのだろうとネアは不思議に思う。
魔物の殆どは人間などが考えられないくらいに力持ちなのだろうが、力加減が分からずに人間をくしゃりとやってしまうこともなく、ぎゅうぎゅう抱き締められても髪の毛がくしゃくしゃになるくらいだ。
(不思議な不思議な、そして大事な私の魔物)
雪降る空を、片手に階段を作る煙をたなびかせる香炉を持ち、ゆっくりと登ってゆく。
時折、空の向こうを飛ぶ竜の影が見えたが、あちらからはこの階段は見えないのだそうだ。
ここから先は、イブメリアだけに開く雪白の香炉の舞踏会の領域。
信仰や願いの募る祝祭の夜にだけ、扉が開く。
愛する伴侶や恋人を持たない者は立ち入る事は出来ず、そして探すことすら叶わないと言われている。
恋人とこの階段を登ろうとしたところ、愛を無くした片割れだけがどうしても階段を登れなかったという悲しい物語もあると聞けば、最初の年にこの階段を登ったディノはどんな気持ちだったのだろうかと考えた。
どんな愛でもいいのだと聞けば、その時からネアはこの魔物を愛してはいたのだろう。
あの一人ぼっちの屋敷から連れ出してくれて、おはようと言葉を交わせる世界をネアにくれた人なのだ。
「ふぁ、見えて来ました!」
「うん。そろそろ下ろそうか」
ふわりと両手で抱き直し、ディノは階段を上がりきったところでネアをそっと下ろしてくれる。
そこでネアは、ディノがエスコートの為に差し出してくれた手を掴み、えいっと階段最上段を踏んでみせた。
「ネア?階段に腹を立てているのかい?」
「見て下さい。私はディノのことが大好きなので、こうして階段を踏めるのです!」
「……………ネアが虐待する」
「まぁ、喜んで貰おうと思って披露したのに、ディノは弱ってしまうのですか?」
「すごく可愛い……………」
雲の中にある白い壮麗な扉は、ディノが手を翳すとぎぎっと開いた。
その向こうに広がる雪雲の上にある会場は、何度見ても胸がきゅっとなるような美しい場所だ。
(ああ、……………)
息を飲み、その感動に心がざざんと揺らめいた。
ひたひたと打ち寄せるのは純粋でどこか切実な喜びで、ネアは、氷色の床石を踏んで床に落ちる藤色の影一つにさえ、何て綺麗なのだろうと心を打たれてしまう。
深い森を思わせる木々は、輪郭を透かしてどこからともなくこの会場を包んでいて、床石の下には、重たい雪雲のグラデーションと、雲間から覗くイブメリアのウィームの街並みが見えた。
雪の降るウィームの街は仄かな青白い影の中にあるようで、その雪の日特有の薄暗さに光るイブメリアの装飾が、星空の様に瞬いている。
木々は宝石のような赤い実をつけており、今年の冬告げの舞踏会で同じ木々を見たネアはもう、この木々がホーリートまでは育っていない、けれども同種のものだと知っていた。
「これだけの場所なのに、ホーリートに育つには祝福が足りないのでしょうか?」
「いや、敢えて祝福をそこまで溜め込まないようにしているのではないかな。木々が枝葉を育て過ぎると、他の花達や床石の祝福が薄くなってしまうからね」
(これ以上に………)
見上げれば木々の枝葉は天蓋になり、赤い実をぼうっと光らせている。
その天蓋は高く、確かにこれだけの立派な木々なので、これ以上に祝福を持っていかれてはまずいのだろう。
木々の根元には花々が咲き乱れ、薔薇の茂みの下には水仙が満開になり、菫の絨毯の向こうに百合やラベンダーが揺れていたりもした。
はらはらと舞い散るのは、この会場だけに降る粉雪で、会場の壁や木々に触れると、しゃりんと微かな音を立てて星屑になって消えてしまう。
雪の清廉で透明な香りには花々の芳香が重なり、そこに雪白の香の香りも合わされば、ネアの大事なもう一つの祝祭の香りが生まれる。
その香りを胸いっぱいに吸い込めば、雪白の香炉の舞踏会の始まりだ。
これもまたどこからともなく吊り下げられた大きなシャンデリアには、おとぎ話のお城のシャンデリアのようなえもいわれぬ胸を打つ光が煌めいていた。
会場を訪れた万象の魔物に、近くにいた男女が優雅に腰を折ってお辞儀をした。
他にも何人か、魔物の王に深々と腰を折る者達がいる。
その一方で、愛する人しか見ていない参加者も多く、寄り添い幸せそうに笑う恋人達や、どれだけの時間をそのように過ごしてきたのだろうと思わせる夫婦のダンスなど、雪白の舞踏会だからこその光景も多く見られた。
「今年も、街並みを見下ろす場所に食べ物や飲み物のテーブルがあるようだ。まずはそちらに向かうかい?」
優しい伴侶にそう尋ねられ、ネアは、勿論と頷こうとした。
けれどもなぜか、気付けばふるふると首を横に振っていて、不思議そうに目を瞠った魔物の手を取り、ダンスの輪の方に引っ張っていた。
「……………ネア?」
「まずは、一曲踊ってからにしませんか?………その、上手く言えないのですが、今は私の宝物をもう少し見ていたいのです。なぜだか、………この場所が経典の楽園と呼ばれている理由が、今日はとても深く胸に響いたような気がしました」
「では、踊ろうか」
自分でもよく分からないままに、少しだけあわあわと説明したネアに、真珠色の髪の魔物は優しく微笑んだ。
どうしてと尋ねることもなく、そっとネアの手を取り、ダンスの輪の中に連れて行ってくれる。
そんなディノを見上げ、ネアは喜びばかりではなく、安堵にも似た不思議な安らかさを覚えた。
大きなシャンデリアの真下の、はらはらと雪の降るところ。
そこには、胸を掻き毟るような美しいワルツが流れていた。
ターンの度に、広がるドレスの裾が大輪の花のようで、ドレスの裾や首飾り、耳飾りに宝石のタイピンなどがきらきらと眩く光る。
時には竜の角や鱗が混ざり、羽をきらきらと光らせる妖精も踊っていた。
どこか遠い日のダンスホールでは、踊ってくれる人がいなくて壁際から見ていただけの明るい場所に、ネアを連れて行ってくれる人がいる。
むずむずする心を抱えてそんな魔物を見上げれば、震えるほどに美しい水紺の澄明な瞳がこちらを見ていた。
一つの曲が終わり、ネア達が進み出る。
微かに肌を滑る好奇の眼差しと、それ以上に肌を温めるたった一人の伴侶の愛おしげな眼差し。
背中に当てられた手のひらをドレスの布地越しに感じ、ネアは胸が苦しくなった。
次のワルツが始まった。
ディノのエスコートでステップを踏み、預けた手をしっかりと握っていてくれる頼もしさに唇の端を持ち上げる。
スカートの裾は思っていたよりも綺麗に広がるし、ダンスを踊る爪先は驚く程に軽やかだ。
それでもなぜこの胸の中は、楽しさよりも切実な愛おしさに満たされるのだろう。
「………ここが模範的な幸福の在り処で、誰もが一番欲しい安らかさを備えた場所でもあるのは、結局のところ、多くの人達が愛するものを求めているからなのでしょう」
「そのような事を、考えていたのかい?」
「私が、………いえ、かつての私が最後に願ったことは、誰かに側にいて欲しいという月並みなものでした」
「…………ネア、」
最後にという言葉にふっと目を細め、ディノは少しだけ悲しげな顔をする。
なのでネアは、そんな伴侶を微笑んで見上げた。
「ハーレイの名前を持つ、ここではないどこかで暮らしていた人間の話ですよ?」
「それは、………君ではないとは言えないだろう。私は、あちら側とこちら側の君に、境界を設けたつもりはない。君はずっと君のままであるし、私は君を見付けたその時から、ずっと君を………あ、……………」
こんな時に、その一言を上手に言えなくて目元を染めた魔物が愛おしくて、ネアはターンを利用してぎゅっと体を寄せた。
老獪で恐ろしく、美しいけれど稚い、ネアのやっと見付けた特別な宝物。
愛しているという言葉すら、大切過ぎて上手く言えない困った魔物。
「ええ、それはちゃんと理解しているのです。私が私である事は変わりませんし、練り直しというとても大きな変化があったとしても、私は私のままこちらに来たのでしょう」
「そう。………でなければ、意味がなかった。手に入れるのも、守りたいのも、それは君でなければならなかったんだ」
「ディノが、そうして私を見付けて引っ張り上げてくれたからこそ、私は、叶う見込みのないぎざぎざの願い事を飲み込む必要はなくなったのです。私は私のままで、………けれども、あの願い事はやはり、古くて手のかかる屋敷に一人ぼっちで住んでいた私の、最後のものでした」
少しだけ頑固にそう言えば、ディノは上手く飲み込めないのかまだ困ったようにこちらを見ている。
「今朝、…………胸が張り裂けそうな思いでそう願った、一人ぼっちのクリスマスの朝のことを夢に見たのです。困った事に、ちくちくするセーターを着れない私のような人間でも、最後に願ったのはそんなことだったんですよ?」
「…………そうか。君は、…………そこで願うのをやめたのだね」
「ええ。あの朝に沢山泣いて、私は、たった一つだけ残った願い事すら投げ出してしまったのでしょうね」
こちらの世界に呼び落とされた頃にはもう、ネアは日々の暮らしを辛いとは思っていなかった。
欲求と願いは違う。
ネアはとても欲深かったが、ただそれだけだった。
「………今日の朝食の席で、そんな頃のことを思いながらふと、あの日の私の願い事がいつの間か全て叶っている事に気付いたのです。だから今年は、………まずは私の大切な伴侶と踊りたかったのかもしれません」
「……………うん」
「もしくは、私にはこんなに素敵な伴侶がいるのだと、あちこちに向けて自慢したいのかもしれません」
「ネア………、」
「ふふ、少し恥じらってしまいました?この曲が終わったら、飲み物を取りに行きましょうか」
「そうだね。君の気に入る食べ物があるだろうか」
「ディノ、…………」
そこで、何かとても大切な事を言わなければと思ったが、ネアは言葉を選びきれずに少しだけもだもだしてしまった。
目を瞠ってこちらを見たディノの微笑みがあまりにも優しくて、息が止まりそうになったからかもしれない。
「……………ディノ、私はディノを、ずっと大事にしますね」
「爪先を踏むかい?」
「大事にさせていただきたい」
しかし、目をきらきらさせた伴侶の為に、ネアはディノの爪先をぎゅっと踏んでやらなければいけなかった。
隣の妖精達に、なんて酷いことをという目で見られてしまい、自分本位な人間は少しだけ遠い目になる。
ふぁさりとドレスのスカートが揺れ落ち、ダンスが終わった。
何曲踊ったのかなと首を傾げたが、寄り添って踊っているのがあまりにも幸せで、当初の予定よりこちらに長く居たようだ。
少なくとも一曲ではなかったし、とても心地よい疲労感なので、まだまだ踊れてしまいそうだ。
「ネア、………私はね、あのような贈り物を望んでいいのだとは知らなかった」
「もこもこ室内履きのことですか?」
「うん。リボンや、君のくれたハンカチや毛布も」
「ふふ、どれもディノにとって大切なものですよね」
「食べ物に苦手なものがあることも初めて知ったし、…………君が一緒だと、歩道を歩いているだけでも幸せだよ」
「私達はきっと、ずっと一緒なのがいいのだと思います。これからも、特別な日にも何でもない日にも、ずっと一緒にお散歩しましょうね」
「君が、………生きて動いているだけで、嬉しい」
「少しいけない方向にかかってきましたので、飲み物を取りに行きましょう!」
ここで方向を誤ると、折角の雰囲気が霧散してしまうので、ネアは慌ててテーブルのある方へ向かった。
途中で、ふわふわの子狐が一緒のジゼルに出会ったが、子狐はネアが魔物の伴侶になったからか、もうけばけばになって威嚇をすることはなくなっていた。
尻尾をふんわりさせて幸せそうに雪竜の王に寄り添う姿を見ていると、ジゼルはもう自分のものだと安心出来るようになったのかもしれない。
(ジゼルさんも、子狐さんが自分の家族だとそう思えるようになったのかもしれない)
グラスの中で小さな星屑の揺れる、イブメリアと雪星のシュプリを貰い、ネアは、キャビアのようなものが乗った小さな一口カナッペを手に取る。
ぱくりとお口に入れれば、思っていた味とは少し違うのでむぐっと目を丸くしてしまったが、キャビアだと信じたものは甘酸っぱい熟成もののワインビネガーのような味わいで、ぱらりと薔薇塩を振った下の帆立を美味しくいただけた。
続けて、上に夜苺のソースのかかったフォアーグフの小さなタルトを頬張り、こちらは想像通りの味わいに頬を緩める。
黒胡椒が挽いてあるのだから、フォアーグフの方で間違いない。
「美味しいです!」
「うん。君がそのようなものを沢山食べられるようになって良かった」
「ディノはきっとこれが好きですよ。えいっ!」
「……………美味しい。……………ずるい」
ネアに一口コロッケのようなものをお口に入れられてしまい、魔物はもじもじする。
雪芋を使ったコロッケ風の一口料理は、中にとろとろのチーズが入っていて、僅かにアンチョビ風の塩気が効いているのが堪らない美味しさだ。
少しずつ陽が午後に傾き、夕刻に向けて雪の街は青く青く、祝祭の夜を色濃くしてゆく。
口付けを交わす妖精達に、背の高い竜の男性が伴侶の女性を抱き上げて笑わせていた。
眼下の街並みは星屑の帯のようで、けれどもここからも見える大聖堂の飾り木や、街の賑わいもはっきり見える。
ふっと淡い影が落ちて顔を上げれば、指先で頬を撫でられた。
愛おしそうな仕草にまた胸が温かくなり、ネアは、にっこりと微笑んで大事な魔物を見上げる。
しかし、腕の中に収められて口づけが落とされれば、ネアはコロッケを食べた直後でまだもぐもぐしている時にはやめていただきたいと、少しばかり渋面になってしまった。
「むぐ。……………もう少し踊りますか?」
「ウィリアムよりは踊ろうかな」
「あら、では休憩を挟みつつ、新記録に挑戦しましょうか?」
「けれど、君が疲れてしまわないところまでにしよう。君が楽しいのがいいからね」
「ふふ、ディノは優しい魔物ですねぇ」
二人は、夕刻近くまでたっぷり踊った。
美味しいシュプリを飲んだり、ちょっと気分を変えて美味しい杏のリキュールのかかったクリーム乗せのメランジェにしてみたりしながら、結果として、全部で十二曲のダンスを踊ったようだ。
ディノはすっかり喜んでしまい、雪白の舞踏会の天蓋には美しい虹がかかる。
上を覆うのは木々の枝葉とは言え、天蓋の中にかかる虹の美しさに、他のお客達もうっとりと滞在を楽しんだようだ。
微かな夕闇がウィームの街に下りるまで、二人は空の上で過ごした。
ネアは、リーエンベルクに帰ってからこっそり疲労回復の魔術をかけてもらったが、夜には橇遊びというなかなかにハードな催しが待ち受けているので致し方ない。
なお、下りて来たリーエンベルクで、中庭に雪除けの魔術書や魔術具などが外に並べられていたのは、雪白の舞踏会のある天上から、祝福でいっぱいの虹色の雪が降ったからなのだという。
エーダリアもとても喜んでくれたようだった。




