贈り物と儀式
あまり気分のいいものではなかったなと笑う男の隣で、指先だけで見えない指輪の形を確かめた。
気分が良くないどころの問題ではない。
あの従者とやらについては、この講和条約が落ち着いた段階で、国内から仕掛けられたように工作した上で想像するのも悍ましいような顛末を用意しておいてやろう。
指先で確かめたリンデルに欠けやひび割れがないことを確かめて安堵すると、今夜は望ましくない連中が闊歩しているかもしれないからと言い含め、ウィームに置いて来たあの人間を思う。
ヴェルリアの飾り木が見たいのだと駄々を捏ねていたが、恐らくこんなものは見に来ても半刻もしない内に飽きるに違いない。
窓の外で陽気に歌って踊っている飾り木を見下ろし、溜め息を一つ吐くと、身に着けて早々に活躍の機会を与えられてしまったリンデルを指の根元にもう一度押し込んだ。
「あの役職に就けるにしては頭が良く、潤沢な魔術を持つ人間だったね。我々が思ってもいないような手を打つものの、その手の鋭さが好ましいかと言えばそうではない。…………いつの間にか、あのような気質の人間には辟易とするようになった」
「評価にすら値しない。俺は、自分のものに手を出されて、そんな感慨に浸れるほど耄碌するつもりはないぞ」
「おや、かなり怒っているね。私生活で何かあったのかな?」
「…………あのような場合は、愉快か不愉快かのどちらかしかないだろう」
「そういう意味では、僕の思考はやはり、騎士としてのものに偏るんだろうな。仕えるべき主人、国としてどうだろうかと考えてしまう。だが、国盗りを愉快だと思えたのは、もう随分昔のことだ。今回の締結の場でのちょっとした事件は、僕も充分に不愉快だったよ」
「ほお、良く言えたものだな……………」
ヴェルクレア第一王子とカルウィの第一王子の間における、講和条約の締結の場において、カルウィ側の役人の一人が持ち込んだ書類に不備があった。
その男は、内々で条約締結に反対する者が何かを仕込んだのではと言っていたが、敷かれた魔術には確かめるまでもない癖があったようで、自作自演の仕掛けであったことが判明したのだ。
指先から腕一本を腐り落とす砂の魔術は、文官の一人として書面の確認に立ち会ったアルテアの、使い始めたばかりのリンデルに弾かれた。
分かっていてそのまま術式を稼働させたのは目の前の男で、文官の擬態を纏っていたアルテアは、それを防ぐ手立てがなかった。
重たく鋭い魔術反射の音に、リンデルが割れやしまいかとひやりとした程の反応を齎す術式だったのだ。
「あの男が対抗派閥と繋がっているというよりは、その一件を足場にして、別の交渉を持ちかけようとしていたんだろう」
「それには、誰かが腕一本を失うくらいのことが必要だったのは間違いなさそうだね。迷惑なことだ」
今回の講和条約は、アクテーでの武器狩り時の謝罪で結ばれたものだ。
武器狩りは戦ごとである。
だからこその、講和条約なのだった。
狡猾なバーンディアは、ガゼッタの王族と手を組み、あの場に、内密に友好国の施設見学に訪れていたヴェルクレア高官がいたのだと、ガゼッタ国王を通し水面下でカルウィに抗議したらしい。
騎士として内側からも見ているが、ガゼッタの要人たちはなかなかに狡猾で切れ者揃いである。
言葉を選び巧みになされた水面下でのやり取りの結果、カルウィの第一王子は、ヴェルクレアの第一王子との間に公にされることはない講和条約を結ぶことを余儀なくされた。
(あの場にシルハーンがいたことを上手く利用したな……………)
実際に地固めをしたのはグラフィーツなのだろうが、起こる可能性があった災厄を、ヴェルクレア側の機転で回避したということになっているのだろう。
ガゼッタとしては、カルウィ側からの襲撃であったのにヴェルクレアに一人で頭を下げるのはさすがに承服しかねるという体裁で、話を切り出したに違いない。
国力としては圧倒的にガゼッタが劣るが、今回の事は、誰もがその継承争いの苛烈さを知るカルウィの第一王子が関わった事件である。
今回ばかりはあの王子も土を付ける訳にはいかず、また、ここで関与を確定付けておけば、ガーウィンでの一件には無関係であるという証拠を暗黙の了解で作りおけるという旨味もある。
あの王子も、ヴェルクレア側がガーウィンの一件の真相に辿り着いているであろうことくらい、薄々察しているに違いない。
だからこそ、相手をヴェルクレアの第一王子とした非公式なものながらも、講和条約には応じなければならなかったのだ。
やれやれと溜め息を吐き、カルウィの人間達のお守りをしているグレアムの事を少しだけ考えた。
願いを司る魔物がカルウィでは残忍で高慢な魔物として振舞っているのは、あの国の人間達こそが、そうあることを望んでいる証に他ならない。
(……………俺だったら、あの土地はうんざりだな)
グレアムより高位の魔物の統括でもいい大国だが、得られるものよりも望まれるものが多い事を受け、今はグレアムが受け持っており、その事に不満を零す者は殆どいない。
壊してもいいならと名乗り出る者はいるかもしれないが、それでは統括としての意味がないのだ。
(それにしても、ウィームにオフェトリウスの正体を明かした途端、あいつを使ってくるようになったな……………)
そんなオフェトリウスは騎士として持ち場に帰り、今日の統括の魔物の仕事はこれまでである。
指の根元に押し戻したリンデルに、守護の意味での口づけを一つ落とした。
魔術を受け流す為のものに守護をかけるのは矛盾しているが、贈られたばかりのものを壊しでもしようものなら、どんな反応を示されるのか分かったものではない。
先程のような思いをするのは御免であった。
可視化させたリンデルは指に馴染み、まるで指輪のように自然に淡い煌めきを落としている。
文官の擬態を解き王宮を出ると、ヴェルリアで一仕事終えたばかりの部下と短い打ち合わせをしたが、その間中、向かいに座った部下に手元を凝視されてうんざりとした。
だが、可視化しておくのは自分の目に映す為である。
その視線が煩わしいからといって、他人の目を優先させるつもりはない。
風にはためく国旗と、雪の気配のない港から並ぶこの国の王宮を一瞥し、転移を踏んでヴェルリアを離れた。
「……………ふむ。戻って来ましたね?えいっ!」
「フキュフ?!」
そして、またあの擬態符を貼り付けられたのは、リーエンベルクに立ち寄ったその直後だった。
「ふふふ。使い魔さんに贈ったリンデルは、ちびふわ符については弾かないよう、予め設定されているのですよ?」
「フキュフー!!」
「先ほどのお祝いでは、王都でのお仕事があるので遠慮しましたが、まだお誕生日の最後の儀式が残っているのです」
そう微笑んだネアに抱き上げられ、直後、空中に放り投げられた浮遊感に目を瞠った。
落ちて来たところを抱き止められ、鼻先に淡い口づけが落ちる。
「アルテアさんのこれからの一年が、どうか幸せな一年でありますように」
(……………ああ、誕生日の儀式風習だったか、)
シルハーンから、ネアが王都での用事を気にしていたので、王都での条約締結後にこちらに一度戻れるかと言われていたが、どうやらこの為であったらしい。
てっきり、飾り木を見に連れてゆけと言われるのだと思っていたので、いささか驚いた。
呆れた目で見上げた先で満足そうに微笑むネアが、指先で額を撫でる。
今でもまだこの人間は、心の外側に置くものに対しての執着はひやりとする程に薄い。
だからだろうか。
その表情を、暫くただ見つめていた。
そこにある選択を、確かめるように。
「ちびふわな使い魔さんを、撫でてもいいですか?」
「……………フキュフ」
(まぁ、今夜はもう予定もない。構わないんだが、……………)
小さく息を吐き、尻尾を揺らした。
この為に起きて待っていたようだし、少しぐらい好きに撫でさせてやっても支障はない。
リンデルとして指に宿した選択を一つ、ネアは切り出したのだ。
この夜の一つくらい、くれてやるとしよう。
本日は、SSとしての更新となりました。
明日のお話は通常更新となります。
なお、本日のSS内にて「指輪」という表記がありますが、敢えてそう書かせていただきました。
アルテアの無意識の表現という形になります。




