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110. お誕生日には婚約破棄しません(本編)




その日、ネアは朝から使い魔の誕生日会の準備に忙しかった。



朝から粉雪の降るイブメリアの前日の今日、リーエンベルクには先程、送り火の魔物の失踪の一報が届けられた。


とは言えもう本日はクラヴィスなので、アルテアの誕生日会は行われるのである。


エーダリアは花火がと呟いて暫く立ち尽くしていたが、幸いにも準備を整えていたのでがくりと膝をつく程ではないようだ。

参加者がくしゃくしゃにならなくて良かったなと思いつつ、ネアは下敷きにした魔物をわすわすと揺する。




「アルテアさん、起きて下さい。お誕生日の朝ですよ!」



ネアは現在、アルテアが宿泊中の部屋を訪れていた。

すやすやと言うよりは、若干眉を寄せて魘されながら眠っている選択の魔物は、昨晩は、魔物達でお酒を酌み交わしていたらしい。


昨晩遅くに部屋に戻ってきた魔物から飲み会が行われた事は聞いていたが、こうして起きてこない主賓を起こしに来たネアは、なぜ、本日の主賓を酔い潰してしまったのだとぎりぎりと眉を寄せる。

しかし、昨晩は昨晩でとても楽しそうだったので、魔物達にもそんな夜があってもいいのだろう。


オフェトリウスや王都への対応を巡って話し合いをしていた筈だが、いつの間にか酒盛りになってしまったらしい。

すっかり仲良しな魔物達に、ネアは、ウィリアムも参加出来れば良かったのにと唇の端を持ち上げる。




(でも、そろそろ起きていただきたい…………!!)



そう思ってしまう身勝手な人間に揺さぶられ、ふっと瞬きの気配があり、綺麗な睫毛が揺れて瞳が開いた。

なぜかその瞬間、ネアは、選択の魔物の艶やかな赤紫色の瞳ではなく、深い青い瞳を見たような気がして、目を瞬く。



(……………あれ?)



しかし、瞠った瞳にふつりと理性の色を宿し、短く息を飲んだのは確かにアルテアだった。

瞳の色にもおかしなところはなく、こてんと首を傾げたネアの下で、第三席の魔物が低く呻く。



「……………っ、」

「むぐ、なぜ捕獲されたのだ。今年はお昼のお祝いなので、そろそろ準備をして下さいね?」

「…………………………跨るのはやめろ」

「まぁ、それはアルテアさんが、私を追い払おうとするので捕獲しなければならなかったからですよ。二日酔いの朝に、狩りの女王から逃げられる筈もないのです」

「……っ、……………おい!」

「むむ、使い魔さんから下りようとしているので、動かないで下さいね」

「いいか、その体勢はやめろ!」

「むぐ。なぜ叱られたのだ………」



捕縛されて起こされた事が恥ずかしかったのか、使い魔はとてもつんつんしていたが、少しだけよろめきながら起き上がり、入浴の準備をしてくれるようだ。


ネアは酔い覚ましの魔物の薬をテーブルに置き、パジャマの上を脱ぎながら訝しげにこちらを振り返ったアルテアに見つめられる。



「……………まさか、一人でこの部屋に来たんじゃないだろうな?シルハーンとノアベルトはどうした?」

「ディノは、まだ二日酔いな感じでお風呂中です。ノアは、なぜか廊下に落ちていたので、ヒルドさんが回収して起こしてくれていますよ」

「……………くそ、後半の記憶がないな……………」

「なぬ。となると、全員が昨晩の顛末を覚えていないという事になります。ディノがよれよれで戻ってきた時間は覚えていますが、そこまで遅い時間ではなかった筈なので、短い時間で大盛り上がりしてしまったのでしょうね」



ネアの言葉に、赤紫色の瞳に白い髪の美しい魔物は遠い目をしたが、やはり記憶は戻ってきていないようだ。



流石に三人全員が酔い潰れていたようだぞとなると、どんなものを飲んでしまったのだと心配になる。

先程、現場検証に付き合ってくれたゼノーシュによると、ネアが貸し出した夜の盃から、良くないものを呼び出してしまったのではないかと言うことだった。


運試しの壺とは違い、飲み物という区分の真っ当なものしか出ない筈の夜の盃だが、とても強いお酒を呼び出すことは出来るので、その類だろう。



(ゼノは、終焉と成就の魔術の気配がすると話していたけれど、そうなると、何となく語感的にも強いお酒が出てきそう……………)



高位の魔物達を軒並み酔い潰してしまうお酒なので、ネアとしては、誰かの記憶があれば是非に銘柄を知りたいところである。


そのようなお酒を知っておくと、いざという時に、敵を酔い潰すのに使えそうではないか。




「ネア、そろそろ部屋を出ようか」

「む、お迎えが来ました」

「……………ウィリアム。何だその服装は………」

「ああ、ネアがまた騎士服が見たいと言うので、少しだけ擬態していたんですよ。それにしても、アルテアが記憶を無くす程に酔うのは珍しいですね」

「……放っておけ」



扉に寄りかかるようにして声をかけてくれたのは、朝一番でリーエンベルクを訪れたウィリアムだ。

今日は昼間にアルテアの誕生日があるのでと朝からやって来たのだが、ネアが前回の騎士服の素晴らしさを熱く語ったところ、もう一度白い騎士服姿になってくれた優しい終焉の魔物である。


こうして戻ってきてくれたからには、廊下に落ちていたノアは、無事に運搬されたようだ。



「さっさと出て行け」

「まだふらふらなので、お風呂で転ばないようにするのですよ?念の為に、湯船に浸かるまでお部屋にいましょうか」

「やめろ」

「ネア、アルテアはそれだけ喋れていれば心配ないだろう。着ているものも脱ぐようだし、部屋を出ようか」


ウィリアムに回収されて部屋を出ると、浴室に向かうアルテアの後ろ姿が見えた。

上を脱いでしまっているので寒そうだが、魔物なので温度の調節などはしているのだろう。



ぱたんと扉を閉め、ネアはここまで一緒に来てくれたウィリアムを見上げる。



「………記憶がないくらいに飲んでしまっても、しっかりパジャマに着替えて眠っていたのが、ますます謎めいていますね」

「………あの靴下は、昨年の誕生日のものか………。愛用しているんだな」

「はい。今日はちびふわ靴下を隠すことなく浴室の方に向かってゆきましたが、いつもは愛用していることを隠してしまうんですよ」

「……………うーん、俺に隠す様子もないということは、それなりに酔いが残ってはいそうだな………」

「やっぱり、ここで様子を見ていましょうか?」

「いや、……………」



僅かに眉を寄せ、ウィリアムは首を傾げる。

ネアと同じように、ちびふわ靴下を隠す余裕もなかった選択の魔物の様子を案じているのかなと思ったが、周囲を見回しているので違うようだ。



「ウィリアムさん………?」

「……上手く言えないが、前にもアルテアがこんな酔い方をしたのを見た事があったような気がしたんだ。視覚的なものではなく、………覚えのある香りに何か思い出しかけたんだが………」

「むむ、その時と同じお酒を飲んでしまったのでしょうか?」

「かもしれないが、……………俺の記憶も頼りにならないな。さっぱり思い出せない」



そう苦笑したウィリアムは、昨晩はとある大きな国の政変に立ち会っていたのだそうだ。


昨年のようにバベルクレアの花火を一緒に見たかったなと言われたので、ネアは、二回目があることをこそっと伝えてある。

その時は一緒に見られるといいなと、今からわくわくしていた。



「今年のアルテアの祝いは、昼食からなんだな」

「はい。アルテアさんは、夜は予定があるようなのです。お誕生日の夜となると、きっとデートだと思うのですが、ウィリアムさんはどう思いますか?」

「かもしれないが、………ヴェルリアとカルウィの、極秘裏の講和条約の締結の場に同席するのかもしれないな。グレアムが立ち会うと話していたから安心していたが、アルテアも参加するつもりなのかもしれない」

「むむむ、甘酸っぱい素敵な夜ではなく、渋い政治の交渉の場のようです。せっかくのお誕生日なのに………」



そう唸ったネアが、かかわらないところとは言え、王都では気になる事が行われようとしているようだと考え込めば、隣のウィリアムがくすりと笑う気配があった。



「俺達は、ネアがいてくれて幸せだな」

「あら、私も皆さんがいてくれて幸せだとよく思うので、お揃いみたいです」

「はは、それはいいお揃いだな」

「……………ウィリアムさん、」



ここで、ネアは少しだけ迷い、先ほどの違和感を報告してみる事にした。



魔術に長けておらず可動域も低いネアには、分からないことや気付けない事が沢山ある筈だ。

であれば、気付くことが出来た違和感くらいはせめて、細やかに報告しておかなければなるまい。



「どうした?」

「気のせいかもしれませんが、先程、目を覚ました瞬間のアルテアさんの瞳が、青い瞳に見えたのです」

「……………アルテアの瞳が?それは、……………おかしいな」



ネアが伝えた内容を聞いて、ウィリアムは形のいい眉を寄せる。

立ち止まり、なぜかおもむろにネアの手を取り持ち上げた。



「ウィリアムさん………?」

「ネア自身に魔術汚染はないようだな。…………となると、アルテアの側か」

「もしかして、良くないことが起きている感じなのですか?」

「……………そこまでではないが、………実は、俺も少し気になる要素があったんだ。………それに、属性や資質にない色を見られるという事は、あまりいい予兆じゃない。アルテアと使い魔の契約をしているネアの目なら本来、その資質を見誤るような事はないからな」




(……………え、)



窓から差し込む冬の陽に、ネアは、わくわくと弾む思いがぽとりと足元に落ち、胸の底が冷たくなるような気がした。



寒気を覚えるような不安に胸が締め付けられ、へにゃりと眉を下げたネアに、こちらを見たウィリアムがおやっと眉を持ち上げる。


白金色の瞳は逆光になった廊下の中でも鮮やかに光を湛え、しかし、ネアが恐れるような深刻さは帯びていないようだ。

ネアの不安に気付いたのかにっこり微笑み、頭にぽすんと手を乗せてくれる。



「ネア、怖くないからな?」

「……………むぎゅ」

「恐らく外的な要因による表層的な魔術汚染だが、……………そうだな、強い酒による、酩酊に似たような魔術汚染だ。アルテア本人が気付いていないのも、異変そのものの要因も、その酩酊によるものだろう。さっきの部屋に戻ろうか」

「……………ふぁい」



かくしてネア達は、出てきたばかりのアルテアの部屋に急いで戻った。



こつこつとノックをしても応えがないので、そのまま部屋に押し入り、水音の響く部屋で二人で顔を見合わせる。



「入浴中のようです。ここは、ちょっと失礼と押し込みますか?」

「うーん、そこまで緊急性もないだろう。酩酊に近い影響だから、この入浴で飲んだ酒の影響が全て抜けていれば、そもそもの問題もなくなる」

「まぁ、ではお風呂上がりの様子によっては、解決してしまうのですね!」



(……………良かった)



思っていたよりも、大事にはならないようだ。

ほっとしたネアが少しだけ待ってみると、きゅっと蛇口を捻る音が聞こえてきて、棚か何かを開けたようなかちゃりという音が重なる。


相変わらず、アルテアは浴室の扉を完全に閉じない派のようだ。

もしかすると、有事に反応が遅れないようにという意味もあるのかもしれない。



まだカーテンを引いたままの薄暗い部屋では、テーブルの上の酔い覚ましの薬はそのままで、ウィリアムはなぜか、部屋の一画にとても興味を示したようだ。


そんなウィリアムの視線を辿れば、そこにはベッドサイドのテーブルがあった。


水を飲んだ跡のある水差しが置かれていて、グラスの中には水が入ったままになっている。

ネアの手を離さずにゆっくりとそちらに向かうと、ウィリアムは、グラスを手に取り、中の水を嗅ぐような仕草をした。



「……………やはり、グロスクラムディーの酒か。ネア、シルハーン達が悪酔いした理由が分かったぞ」

「………まさか、ディノとノアもなのですか?!」

「その二人は、魔術の回帰による酩酊の影響だけを受けたんだろう。それ以上の影響はないから心配しなくていい」

「は、はい。安心しました………」

「アルテアが飲んだと思われるグロスクラムディーの酒は、俺の領域の魔術儀式の触媒となるものなんだ。悪さをしかねないアルテアも含め、このような影響が出ることを公にしていなかったが、今回は裏目に出たな……………」



ウィリアムが手早く説明してくれた事によると、グロスクラムディーの酒は、終焉と成就の酒なのだそうだ。

無色透明の蒸留酒でとても強いが、寒い日の夜に飲むにはいいものなのだとか。


そして終焉の領域においては、滅びたばかりの魔術や祝福などを、一時的に蘇らせて身に宿す儀式にも使われる、魔術的な意味合いを持つものでもあるらしい。



「シルハーンやノアベルトは知っている筈だが、この顔触れで飲んでいて、いちいち飲んでいる酒の名前を教え合うような飲み方はしないだろう。アルテアが偶然、儀式要素を満たし、派生した魔術の影響を受け、シルハーンとノアベルトが深酔いしたんだろうな」

「……………なぜ、お誕生日の前夜に事故ってしまうのでしょう」

「うーん。因果の要素もある酒だからな。案外、アルテアこそをいい依り代として認識して、魔術的に引き合ったのかもしれないな」



ぱたんと音がして、浴室から出てきたアルテアが、無言でこちらを見る。

冷ややかに顔を顰めてはいるものの、今の状態はネアのよく知る選択の魔物にしか見えない。



「出て行けと、言わなかったか?」



低く不機嫌そうな声に、ネアの隣にいたウィリアムが一歩前に出る。

ネアと繋いでいた手を離し、代わりに背中に庇うような位置に立ってくれると、そんな終焉の魔物の行動に片方の眉を持ち上げたアルテアに、ウィリアムから、もう一度部屋に戻った理由を話してくれた。



「すみません、アルテア。諸事情で戻りました。昨晩、グロスクラムディーを飲みませんでしたか?」

「……………飲んだな」

「あの酒は、敢えて情報を制限してありますが、崩壊直後の魔術などを一時的に再現する儀式に使われていた事があるんです。あなたは、その酒を飲みながら、失われた魔術の話をしていた可能性がある。……………率直に言えば、少し汚染されているようです」



ウィリアムがそこまでを伝えると、選択の魔物はとても嫌そうな顔をしたまま、無言でこちらを見返した。

お風呂上がりでほこほこしているが、幸いにもバスローブは羽織ってくれている。


しかし、ネアとしては是非に前を閉じて欲しいのだが、部屋に誰もいないと思って浴室から出てくる男性はまぁこんなものだろう。



「……………解術は出来るんだろうな?」

「酔い覚ましで簡単に剥がせますよ。まだ、酔いは覚ましきれていないですか?」

「僅かにだが思考に曇りがある。酔い覚ましの薬を飲もうとしていたところだ」

「であれば、早めに飲んで下さい。何の魔術かは定かではありませんが、ネアには、あなたの瞳が青く見えたらしい」

「ったく。また事故りやがって」

「なぬ。なぜ私を見て言うのだ。今回は単独事故ではありませんか」

「お前の仕事の話をしていたんだ。………オフェトリウスの界隈か、野外劇場の呪いだろうな」



そう言われるとネアも複雑だが、どちらにせよ、今回の事故原因には無関係だと主張したい。

そう思い、けれども簡単に終わりそうだぞと胸を撫で下ろしていた時の事だった。



「……………アルテアさん?」


不機嫌そうなアルテアに不意に歩み寄られたネアは、ぐいっとウィリアムの後ろから引っ張り出され、抱き寄せられる。


ウィリアムの反応が遅れたのは、その行為がアルテア自身のものかどうかの判断を付けかねたからだろう。



「いいか、余分を増やすような真似はいい加減に控えろ」

「むぐるる。どちらに関しても、私はお仕事で関わっただけなのです。増やしてはいません!」

「やれやれだな。取り敢えず、婚約は暫くこのままだ」

「……………む?」

「聞いていなかったのか?お前との婚約は、破棄しないと言ったんだ」

「婚約……………」

「まさか、俺と婚約したことも忘れたんじゃないだろうな?いいか、お前は俺の婚約者のままだ。分かったな」

「む、……………むぐ。……………ウィリアムさん」

「……………汚染されたのはこっちの魔術だろうなという気がしていたが、これで、何の魔術なのか疑いようもなく確定したな。……………アルテア、失礼します」

「ウィリアム?」



突然、バスローブ姿の魔物の婚約者にされてしまい、目を瞠ってふるふるしているネアに、にっこり微笑んだ騎士服姿のウィリアムは、ネアの婚約者だと主張するアルテアを素早く捕まえて引き剥がしてくれた。


続け様に、ごすんというあまり肉体には優しくない鈍い音が響き、ウィリアムは、我に返った選択の魔物が反撃する前に、テーブルの上にあった酔い覚ましの薬を飲ませてくれたようだ。


なぜ一度無力化してから飲ませたのだろうかと、お誕生日会の主催者はとてもはらはらしたが、魔物は丈夫なのでお祝いに問題はないと信じたい。




「ネア!」

「ネア、アルテアから離れて!!」

「ぎゃ?!」



そこに駆け込んで来たのは、お風呂上がりの伴侶な魔物と、くしゃくしゃの髪の毛をまだ結んでもいない義兄の魔物だ。


ばたんと勢いよく扉を開けて飛び込んできた魔物達のあまりの剣幕にびっくりしてしまい、目を丸くして振り返ったネアに、二人は、ほっとしたような顔になる。



「……………ふぁ、驚きで心臓が止まりそうでした」

「ネア、何もなかったかい?………無事なようだね。良かった………」

「うん、無事みたいだね。ネア、アルテアは、もしかするとちょっとした魔術汚染があるかもしれないんだ。お兄ちゃんが対処するから、少し離れていようか」

「むぎゅ。お酒の影響の何とやらであれば、ウィリアムさんによる、強制酔い覚まし処置が終わったところです」



ネアがそう伝えれば、ディノとノアは、ウィリアムが制圧してしまった選択の魔物に視線を向ける。

床に引き倒されてしまっているので、向けられた視線はかなり下向きだ。



「ウィリアム、有難う」

「いえ、先に異変に気付いたのはネアの方で、俺はそれが何なのかに気付くまでに時間がかかりました」

「はぁ………。僕の妹が無事で良かったよ。ヒルドに酔い覚ましの薬を飲まされたところで、この酔い方はまさかって思い出したんだよね。古い書物とセージの匂い、やっぱりグロスクラムディーかぁ……………」



二人の魔物は、それぞれに酔いが抜けたところで昨晩の急激な酩酊に至るまでの違和感を訝しんだのだとか。


その時のことを思い返そうとしても酩酊してからの事は覚えていないが、直前までの様子のおさらいをしていたところ、独特な香りの酒と崩壊したばかりの魔術の話で原因を突き止めたらしい。




「……………っ、くそ。酔い覚ましくらい、普通に飲ませろ」

「宿した魔術は剥がれたみたいですね。ネア、終わったぞ」

「アルテアさんが元に戻りました!」

「せいぜい、浅い認識の上書きだ。その場で問い質せば、すぐに我に返る程度の事で騒ぎすぎだ………っ、おい、さっさとその剣をどけろ」

「おっと、すみません。もしもがあるといけないので、つい」



苦笑したウィリアムが、アルテアの首元に鞘に入れたまま押し付けていた剣をどかしている。

足をかけて引き倒し、鞘に入れた剣でずがんとやったのだが、アルテアが無抵抗でやられてしまったのは、やはり本調子ではなかったからなのだろう。



「ネア、アルテアが汚染されたのは、君が野外劇場で対処した呪いだね?」

「はい。起きた際に目が青く見えた以外は問題なさそうでしたのに、先程、唐突にアルテアさんから、婚約破棄はしないと言われてしまいました」

「え……………」

「わーお。そもそも、僕の妹とアルテアとの婚約なんか許さないんだけど、その呪いって、婚約破棄をしてくるやつじゃなかったっけ?」

「……………むむ、確かにそうです。とは言え、あの呪いの中にいた方も最後は婚約破棄しないと仰っていたので、それででしょうか?」



そう首を傾げたネアに、ウィリアムが首を振る。

その横では、深い溜め息を吐きながら、アルテアが珍しく魔術で着替えを済ませていた。



「ネア、話しただろう?あの呪いそのものは、その場で壊してしまってある。今回一時的に再編されたものは、回帰されたとはいえそれは魔術的なものに過ぎないから、同じ仕組みの新しいものになるんだ。本来なら、婚約を破棄してくる筈なんだが……」

「となると、なぜ……………」

「僕が思うに、アルテアの使い魔の契約の破棄は許可しないっていう思いと、婚約破棄の認識が重なったんじゃないかな」

「むむ、絶対に使い魔契約は破棄しないぞ的な…………」

「おい、その顔をやめろ」



アルテアはたいへん不服そうだったが、ネアは、シャツの襟を整えクラヴァットを巻いている使い魔に微笑みかける。



「ふふ、私も大切なちびふわでパイ職人な使い魔さんとの契約は、破棄になど出来ないのです。アルテアさん、お誕生日おめでとうございます。そして、これからも宜しくお願いしますね」



突然の事件から始まってしまったが、今日は、アルテアのお誕生日なのだ。



ネアは、ちょっぴりくしゃりな選択の魔物に最初のお祝いを伝えてしまう事にして、こちらを見ている瞳が艶やかな赤紫色であることを嬉しく思った。




「私の人生における、三回目の婚約破棄騒動でしたが、ウィリアムさんのお陰で、大事にならずに済みました」

「ありゃ。何だか複雑なんだけど……………」

「アルテアなんて…………」

「ディノ、荒ぶってはいけませんよ。そもそも、酔っ払いさん的に認識がどうにかなっている状況での言葉でしたから。……………ふと思ったのですが、先程のやり取りのままだと、私とアルテアさんは婚約継続中ということになるのです?」



そんな事に気付き、こてんと首を傾げたネアに、無言で瞠目したのは魔物達だ。


魔術は言葉で成されるものである。

大慌てで、そもそも婚約はしていない宣言が成され、ネアは突然執り行われた不思議な儀式に目を瞬いた。




「そのような魔術儀式があるのだな………」

「北方で、死者の日に戻れない死者を宿す為に執り行われ始めた儀式なんだ。だが、身に宿せるのが魔術だけだと判明し、すぐに廃れている」

「何にせよ、ネア様がご無事で良かったです」

「ふふ、その影響をご存知なウィリアムさんが、一緒にいてくれたお陰で婚約破棄もされずに済んだくらいで終わりました」

「アルテアなんて……………」



勝手に伴侶を婚約者相当にされてしまったディノはめそめそしていたが、ネアは綺麗な三つ編みに結んでやったリボンをもう一度きゅっと直してやり、宥めておいた。


ここは、本年の選択の魔物のお誕生日会場で、部屋に飾られた花々は、ふくよかな赤紫色のものばかり。

くすんだような色合いや渋めな赤紫色など、絶妙な色合わせのお陰で、上品で美しくまとまっている。



「今年も、お誕生日ケーキを作ってみました」

「……………おい。なんだあのデコレーションは」

「薔薇とちびふわですよ!せっかくの白いクリームを見ていたら、これはもうちびふわにするしかないと思い立った私の力作です!」

「はは、ネアは器用だな」

「わーお……………」


拳を握ってふんすと胸を張ったネアに、アルテアはなぜか暗い目をしている。

勿論今年も美しく華やかなケーキになるように、クリームのお花は健在だ。

しかし、何回もクリームの花を手掛けるようになって技術向上したネアは、クリームを余らせるようになってきた。


その結果、残ったクリームでもうひと手間と生まれたのが、クリームちびふわである。

お花の雰囲気を損なわないように小さめにしたので、アルテアへのカットにだけ配られる予定だ。


アルテアからは、なぜか指先でおでこを弾かれてしまったが、足元のドレスシューズできっちりと昨年のお誕生日のものを履いてきてくれるあたり、選択の魔物はお誕生日会をとても楽しみにしてくれていたようだ。


並んだ御馳走の数々は、リーエンベルクの料理人達の力作ばかりである。

やはりアルテアの会となると力が入るのか、華やかでありつつも美味しそうに見えることを最優先させた盛り付けは、お祝い料理らしいメニューばかりだ。


いつもの夜のお祝いとは違うが、粉雪の降る日の柔らかな昼の光の中で行うお祝いは、いっそうに身内のお祝いという感じがした。


今年のお祝いシュプリは、いつもエーダリアやノアがあれこれ出してくれるからと、今回は珍しくディノが持って来てくれたものだ。

ヒルドが給仕として注いでくれたのだが、グラスに注がれるシュプリとボトルを、アルテアとノアが二度見しているので珍しいものなのだろうか。



「……………このシュプリが、実在するとは思わなかったよね」

「どこから出してきた?」

「これは、ディノのお城にあったものなのですよ。誰から貰ったのかは、忘れてしまったそうです」

「ゴーモント以前に、喪われた銘柄だ。加えて限定で七本しか市場に出ていない。まだ現存しているボトルがあったのか……………」

「まぁ、たった七本だけのものだったのですね……………」


そんな恐るべき情報を聞いてしまい、エーダリア達も目を瞠っているが、ディノは状態保存をかけてあったからまだ飲めるねと、ふんわり微笑んでいる。



「では、僭越ながら今年も私が音頭を取らせていただきますね。……………アルテアさん、あらためてお誕生日おめでとうございます!」



そうして、今年も無事に、アルテアのお誕生日会が始まったのだった。






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