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元領主と毛布 1




ネアはその日、リノアールに買い物に来ていた。



前回の訪問でイブメリアのお買い物は全て終えたのかと思えば、そうではないのが人間の強欲さである。


何しろ今日はリノアールの特別セールがあるのだ。

その開催に荒ぶるのは勿論ネアだけではなく、リノアールに向かう道中からもう、鋭い目をしたお客達の姿がちらほらと見えたくらいである。


セールは戦だ。



そして今、ネアは荒れ狂う買い物客の波を前に、わなわなと拳を握り締めて立ち尽くしていた。




「ぐぬぬ。なぜに事件が多発しているのだ。この際はやむを得ません。私達だけで突撃しますよ!」

「……………キュ」



強欲な人間のセール欲に付き合わされてしまう伴侶の魔物は、現在ネアの胸元で小さく丸まっている。

これは、決して人間が怖くなってしまって隠れているのではなく、庭で野良ムグリスを撫でたご主人様に荒ぶりムグリスになったものの、ほかほかの湯たんぽの上に乗ってしまい、眠たくて仕方なくなってしまった魔物であった。



ネアは勿論、リノアールといえども一人で来るような真似はしていない。



たまたま休日の買い物でリノアールに用事があると言うゼベルとアメリアが同行してくれたので、安心して買い物に来たのだ。



(それなのに、ゼベルさんとアメリアさんは、セールの騒ぎで失神した奥様達の搬出と、セール会場を前に喧嘩になった妖精のご夫婦の説得に駆り出されてしまった……………)



かくしてネアは一人になり、それでも果敢にセール会場に挑もうとしているのである。

このフロアから出てはならないと言いつけられてはいるものの、幸いにもセール会場は目の前なのだ。

ここで戦わずしてどうするというのだろうか。



(いざ、行かん!)


きりりと背筋を伸ばし、負けて堪るものかと飛び込んだ戦場は、いい匂いのするお嬢さんや上品なドレス姿の奥様に混じり、綺麗な羽をぴかぴか光らせている妖精や、毛玉姿でどこがその部位なのか不明な首からお財布をかけている毛玉妖精なども混ざっている。


うぉぉぉんと綺麗な巻き角のある女性が雄叫びを上げ、優しい緑色の瞳に涙を溜めた妖精の青年が顔を赤くして体をねじ込んでいた。



そこに死地があった。



集まった者達は、向こうに見える戦利品の山を目指しているのだ。



「むぐ!」



ネアとて負けてはいない。


この緊急蔵出しセールで手に入れられるのは、どれもが本来は四倍から五倍のお値段になる素晴らしい冬用毛布である。

毛布は一枚でも多くあっていい大事な伴侶の為にも、ちっぽけな人間のお得感を満たす為にも、このセールばかりは負けられないのであった。



(今はまだお誕生日に貰って使っているものがあるけれど、さすがにこのお値段だもの。買って保存魔術で保管しておこう!)



優雅な微笑みを湛えながらも戦うウィーム領民達の中に飛び込み、ネアは奥を目指した。

胸元のムグリスポケットには圧迫防止魔術がかけられているので、ディノが潰れてしまうことはないが、その代わりにネアは、飛び込んだ直後から圧死しそうになっている。



(凄い……………。みんな死に物狂いだわ……………)



外周では、慄き震える男性陣の姿もあるが、奥様を伴わずに一人で参戦してずたぼろにされている男性客の姿もそこかしこにある。

こちらの世界においても、セール会場で欲しいものを奪い取る力は女性の方が長けているようだ。



誰かの前からぺっと吐き出されたのは、狼姿の精霊だろうか。

涙目でがくがくと震えているので、かなり怖い目に遭ったのだろう。


戦場はいつでも弱者には容赦のない場所で、それは大きな体を持った人外者でも例外ではない。

ネアはその様子を見ながら、あの狼精霊の後ろにいれば、他のお客から押し込まれたふりをしてふさふさの毛皮を堪能出来たのではと口惜しい思いを噛み締めた。



「むぎぎ……………ぐむぅ」



左の肩がめりめりと音を立てそうになり、呻き声を上げながらも、乗馬服という身軽さを生かして他のお客達の間を擦り抜ける。

すると、奇跡的に体を押し込める空間が空き、ネアは無事に商品棚の前に躍り出る事が出来た。



「ぎゅ?!」


しかし、歓喜の瞬間は一瞬であった。

そうすると今度は、商品棚と荒ぶるお客達に挟まれてぎゅうぎゅう押し込まれ、胴体が切断されそうになってしまう。

やはり、品物を取って離脱するまで気が抜けないようだ。



(……………毛布。ディノの新しい毛布……………)



気の弱い女性ならそもそもここまで侵攻出来ないだろうが、それでも普通の奥様なら音を上げたくなりそうな苦境に立たされても、ネアはめげなかった。


もはやここまでくれば、執念というよりは怨念なのかもしれない。


ぐぎぎと歯を食い縛り前進すると、皆が引っ張っている薔薇色の毛布の下に、畳まれて隠れている灰紺色の毛布をむんずと掴み、ぐいぐいと手繰り寄せて抱え込み誰の手にも触れさせないようにする。


まだお買い上げ前の商品なので金庫に入れることは出来ないが、誰かに端っこを掴まれないようにセーターの中にちょっぴり突っ込みかけた持ち方で、俄か巨漢になりながらよろよろと最前線を抜け、お会計に向かう。



「……………ぷは!私は、戦略的にお会計を分けることにしました。あのもみくちゃの中で、他の品物も取りにゆき、一度手に入れた商品を失うような愚かな真似はしません……………」

「……………キュ」

「幸い、まだまだ商品はあるようなので、一度お会計を済ませたこの毛布を金庫に入れておき、第二戦と洒落込むようにしますね」

「キュ」



何とか店員に毛布を渡すところまではよろよろしていたネアだったが、検品も兼ねて店員が広げてくれた毛布を見た途端ぱっと顔を輝かせた。

手に入れた毛布が思いがけず良い品物だったので、すっかりご機嫌で小さく弾んでしまう。


ネアの戦利品が広げられているのを見た初老の男性が、かっと目を見開いて戦場に飛び込んでゆく一幕もあったので、かなりいい品物を手に入れられたのは間違いない。



(このとろつやな手触りでこの大きさで、まさかのお値段!!しかも、何て綺麗な色なのかしら………)



あまりの幸運に口元をむずむずさせてしまうネアが、優しい微笑みの店員さんからリノアールのイブメリア時期限定の紙袋に入れて貰ったのは、なんとも素晴らしい毛布であった。


リノアール価格では、シーツ一枚かなという値段がお会計で提示され、ネアはとうとう我慢出来なくなり、足踏みしてしまう。


この素晴らしい出来事を誰かに伝えたいのだが、残念ながら伴侶は眠くてしかたないのだ。

胸の中で荒れ狂う昂りを逃す為には、足踏みでもするしかない。



「お買い上げ有難うございました」

「こんなに素敵な買い物が出来るとは、思ってもいませんでした。すっかり病み付きになってしまいましたので、品物が残っていればまた来てしまうかもしれません」

「ええ、このような機会は滅多にございませんから、どうぞ他の商品も見てみて下さいね」



セールに伴い会計も忙しいのは間違いないので、複数回会計の罪悪感を紛らわせるべく、ネアは一言そう言い添えておいた。

微笑んで頷いてくれた店員さんの表情からすると、やはり今回は、例のないセールなのだろう。



(毛布協会の、毛布への付与魔術基準改正法案万歳……………!!)



今回、リノアールでも前例のない毛布の売り切りセールが行われているのは、毛布協会が先日発表したばかりの、一般販売の毛布への付与魔術の基準改正における、旧商品の扱いについてというリリースのお陰であった。


ウィーム内では、一定期間ごとに販売している様々な商品の品質を見直す魔術法の改正があり、今回は、毛布業界での大幅な仕様変更が行われたのが事の発端である。


新基準では、暖炉の炎や蝋燭などの魔術の火への一定の耐火基準が設けられており、新法案施行後に販売する旧品質の毛布は、販売元での耐火魔術付与の手続きが必要になった。


勿論、とても有能な領主がいるので、その為の補助金がウィーム領から出ているのだが、高級毛布には元々付与魔術が多くかけられており、上から耐火魔術を添付するのはなかなか難しい作業なのだ。


となると販売店側では、古い毛布の中でも高価なものは大幅値下げをしてでも売り切ってしまった方が、補助金の利用法として賢いと判断したらしい。



(補助金を使って雇い入れた魔術師が耐火魔術をかけるのではなく、このセールの穴埋めをする方が損失が少なかったのだろう…………)



その結果、物によっては半額以下にすらなっているのだから、耐火魔術が添付されていなくても良かったり、そのくらいなら自分でやってしまうぜというお客からすれば、今回のセールはたいへんなお買い得という訳である。



半額どころか七割引の品物を手に入れてしまったネアは、今は誰も見向きもしていない更衣室をさっと借りて大きな紙袋を首飾りの金庫にしまい、再び身軽になってセール売り場に飛び出した。


見れば、お気に入りの毛布を手にした勝者達の姿に触発されたものか、先程よりも参戦者が増えているのが分かる。



(むむ、あれは……………!)



うっとりするような薔薇色の毛布を二枚も抱えているのは、ネアも市場でよく見かけるチーズ専門店のご店主だ。

どうやらこの御仁は可動域が八百くらいあるようなので、荒ぶるセール会場での毛布の奪取もお手の物なのだろう。



ネアが突入口を探して鋭い目で周囲を見回していると、戦いに敗れてくしゃくしゃになって戻ってくる敗戦者達も見えた。

敗戦仲間を見付けると互いに悲し気に肩を叩き合い、ちょっとお茶でもしませんかと出かけて行く姿には、新しい友情の予感がある。



(しかし、私はもう一度この戦場に挑むのだ!)



胸元のムグリスな伴侶は、もはやすっかり熟睡してしまっているようだ。

孤独な戦いを強いられる事が決まったネアは一人でふんすと胸を張り、荒ぶる奥様達の波間にとうっと身を投じた。



「むぎゃ?!」



先程よりも波は深く、そして人の重なりは重たく分厚くなっている。


ネアは、早速首がもげてなくなりそうになったが、またしても乗馬服の身軽さを生かして体を屈め、隙間を探してずりずりと体を押し進めてゆく。



「……………むぐ。……………は!こっちはなりません。茶系のものはお呼びではないのだ…………」



途中、波間から顔を上げると、うっかり茶系の毛布の棚の方に流されていることが判明した。


ネアの目標は、寒色系から薔薇色や緑色の鮮やかな色合いのものなので、こちらの棚に流されているのはまずい。

むぐぐと再び波間に沈み、途中で擦れ違った同じ戦法の女性とにやりと頷き合った。



どこか遠くで、飛べるなんて狡いわという声が聞こえてくる。


どうやら妖精達は、上から商品棚を攻めることにしたようだが、この大混雑でうっかり取れてしまうとまずい羽問題があるので、ネアとしては是非に上から挑んでいただきたい。


(どなたかの羽がくしゃくしゃになって落ちていたりしたら、悲しくて泣いてしまうもの………)



なお、ネアが最初に見かけた巻き角の女性は、綺麗な檸檬色の毛布を抱えて大満足の面持ちでお会計に向かうのが見えた。


一瞬、その毛布の冴え冴えとした美しい檸檬色に恋をしてしまったネアだったが、その色は自分の部屋では使わないではないかと、ぶんぶんと首を横に振って心を鎮める。



戦いでは、獲物をきちんと見定められないものは生き残れないのだ。




「むぎ。……………むぐぎゅう……………」



何度か爪先をくしゃりと踏まれてしまったが、ネアの戦闘靴は、しっかりとか弱い爪先を守ってくれた。

踏まれることを気にせず進めるのはいいのだが、万が一誰かを踏むと滅ぼしてしまうかもしれないので、ネアは慎重に歩を進めた。




空気が薄く、はくはくと息をする。

誰かの膝がごつんとおでこに直撃したが、興奮状態のネアは構わず進んだ。



「ぎぎぎ……………」



そうして、数々の苦難を経てようやく辿り着いたのは、青から紫色の毛布の棚だ。


お隣の棚の青緑色やセージグリーンの毛布も欲しいのだが、やはり目標の絞り込みは緩められない。

一度見定めた目標から逸れるには、最前線に近付き過ぎている。


人波に押し戻されてのけぞりそうになる体を再び前傾に整え、ネアは、最後の大波をお目当ての毛布を手に入れたご婦人の振り向きを利用してえいやっと乗り越えた。



(やった!!まだ何枚も残ってる……………!!)



やはり皆は、自分たちの目線の高さにある棚と、平台に重ねて並べられた毛布から狙うらしい。


最奥にある展示棚の部分の毛布は狙い難いのか、比較的品物が残っているようだ。

ネアは、少し高い位置の素敵な瑠璃紺の毛布に心を奪われつつも、その棚よりも下に置かれたライラック色の毛布に狙いを付ける。


残念ながら、抱え込むにはまだ遠いと判断し数歩を詰めるまでの間にその毛布は消え失せてしまったが、奥にもう一枚あったより淡いライラック色のものをぎゅむっと掴み取った。




(やった……………!!)



二枚めの毛布の確保に、ネアは心の中で喜び弾んだ。

そんな勝利に浮かれる心が、一瞬の隙を生んでしまったのかもしれない。



「……………む?」



先程は品物を手に入れても素早く人波から脱出出来たのだが、今回は脱出が上手く出来ずに、最激戦区である素敵な花柄毛布の区画へ、ぐんぐん流されていってしまうではないか。



自分が後ろ向きに流されていることに気付きぞっとしたネアは、けれども大事な戦利品を離す訳にもいかず、両手が塞がったままでいた。

恐怖に目を真ん丸にして毛布を抱き締めたまま、人波をすぽんと抜けたのは、商品棚の境目にある無商品区画だ。



まるで、嵐の中の雲間のようなその僅かな隙間で何とか離脱しようとしたが、押し流される勢いはもはや自力では軽減出来なかった。




(……………終わった)



この時ネアは、己の無残な最期を覚悟した。


強欲過ぎるあまりに戦利品を手放して身軽になる覚悟は出来ず、また人道的な観点からもこの中で綺麗な毛布が床に落ちるような真似は出来ない。



自力での離脱が不可能な以上、このまま死の海域でもみくしゃになるのは避けられそうもなかった。




「……………むぐ?!」



そんな、死の海域へと吸い込まれそうになったネアを救ったのは、一人の背の高い男性だった。


どこからともなく素早く伸ばされた腕がさっとネアを掴むと、そのまま手際よく毛布の嵩張りごと抱え上げ、人波の中から連れ出してくれる。


前屈みになった不自然な体勢のまま奔流に引き摺り込まれそうになっていたネアは、持ち上げられた段階でやっと清涼な空気を吸う事が出来、ふはっと大きく深呼吸してしまう。



(この人は……………誰だろう?)



軽々とネアを抱えた男性は、優美なキャラメル色のカシミヤトレンチめいたものを着た、身なりのいい、そして細身に見えたが意外にがっしりめな肩を持つ人物のようだ。


ネアの抱き上げの体勢だと、子供抱っこだが頭が後方を向いているので、こうして運ばれている限り恩人の顔が見えないではないか。



(……………金髪?)


全く身に覚えのない髪色なので、恐らく通りすがりの救世主なのだろう。


ネアの抱え込んだ毛布に視界を遮られないよう、この持ち方にしたのだとすれば、あの一瞬での状況判断力もなかなかのものだ。

腕の力強さからすると、街の騎士の可能性もあるかなと考えた。


まだ恐怖のあまりにばくばくしている胸を何とか落ち着かせようとしつつ、ネアは意識して呼吸を整える。




「あの、……………助けていただいて、有難うございます」

「構わないさ。僕も買い物のついでだったからね」

「……………むむ。この声の方に、つい最近お会いした事があるような気がします……………」

「もう少しで戦場を抜けるから、今暫くはこのまま我慢してくれるかい?せっかく助けた命を失いたくないからね」

「……………ふぁい」



助けていただいた事実は変わらないのだが、ネアはちょっぴり渋面になった。


死の海域に飲み込まれそうになったまさにその時に、あんまり得意ではない人に助け出されるのは物語の中だけのことで、実際には本職の人か知り合いが助けてくれるのが常ではないのだろうか。



そもそもこの人物は、王都が職場な筈である。

解せない思いでぎりぎりと眉を寄せていると、人波を抜けたところでふわりと下される。

そうしてあらためて顔を見て、ネアはやはりと眉を下げた。



どこか誠実そうに身を案じる眼差しでこちらを見ているのは、先日あまり好ましくない出会いをしたばかりのオフェトリウスだ。


擬態はしていないのか、淡い金糸の髪に青緑色の瞳をした硬質な美貌のままだが、不思議と周囲から浮かび上がることはなかった。

その馴染み方はウィリアムによく似ていて、この人も雑踏に紛れるような資質があるのだろうかと考える。


ぐるると威嚇したくなるのを堪え、ネアは、もこもこに毛布を抱えたままぴょこんとお辞儀をした。



「あらためてですが、助けて下さって有難うございます」

「僕もちょうどあの中から抜け出したところだったんだ。怪我はないかい?」

「……………ふぁい」

「はは、不本意そうだけれど仕方ないね。あの流れでは、僕も抜け出すのに苦労した」

「……………む。オフェトリウスさんも、毛布を持っています」

「これは買わなくてはだろう。今日は午前中が休みだったから、ダリルとの約束より早くウィーム入りをしていたんだ。さて、我々はまず会計かな」

「むむ。それは間違いありません」


商品を手にした者達が増えてきているので、お会計はこれからが混む時間だ。

ネアは慌てて伸び上がり、そちらの並び具合を確認する。



「左から二番目の会計だろうね。一番手際がいい」

「……………むぐ。不本意ながら同じ意見です」



どうやらこの魔物は騎士としての能力を如何なく買い物にも活用しているらしかった。

ネア達はもそもそと会計の列に並び、オフェトリウスは、リノアールで買い物をしてからどこかでお茶をする予定であったのだと教えてくれる。


既に大聖堂などの飾り木は見てきていて、本来ならもう少し時間を取って美術館を観たかったことも。



「……………ウィームがお好きなのですか?」

「うん、そうなるだろうね。今は王都に勤めているけれど、ウィーム監査官の話が出た時には志願したくらいだからね。ダリルとはその時からの付き合いだ。とは言え、あの時はダリルが狡猾に立ち回り僕の願いは却下されてしまった」

「と言うことは、ダリルさんとしてはお迎えしたくなかった方なのですね」

「はは、そう言われてしまうのは仕方ないかもね。僕はどれだけウィームが好きだとしても、騎士としての責務には忠実にあたる。こうして魔物としての時間を持つのは、休みの日だけだと決めているから」

「……………今は、魔物さんとして過ごしているのですね。もし、お仕事中だったら違う対応を取られたのですか?」



そう尋ねたネアに、オフェトリウスはくすりと笑った。


ネアより先に並んでいるのは、先に会計を終えればネアを逃さずに済むと考えているからだろう。

とは言えネアも、このフロアから動けないので元々逃げられない状況だ。



「任務中であれば、自分で君を助けはしなかっただろうね。君との関係も含めて僕が手を出すのは適切ではないと判断した。会場の店員に声をかけて、君の事を伝えたか、死にはするまいとそのまま通り過ぎたかもしれない」

「それは、私があなたを苦手としているからでしょうか?」

「そうだね。その上で君を助ければ、君は僕が自分を懐柔しようとしているかもしれないと考える可能性がある。立場上、不利益になるかもしれない印象の偏りはあまり好ましくない。不用意に接触したとダリルに責められても堪らない」

「それが、魔物さんであれば、助けてくれるという判断になるのですね」



それもまた不思議だなと首を傾げたネアに、オフェトリウスは毛布を店員に渡しながらにっこり微笑んだ。

店員の女性は美麗な男性に目元を染めてはいたものの、高位の魔物達に遭遇した時のようにくらりとはしていない。


やはりどこか、人間に紛れるような独特の魔術領域があるのだろう。



「君は、ウィリアムやアルテア、グレアム達の知り合いだからだ。彼等とは特別に親しくはしていないものの、知己ではある。それと、僕は個人的にウィームが好きだ。王の質のある者にしか仕えられないからここを選べなかっただけで、主人に相当する者がいればウィームで働いていただろう」

「……………だから、王都なのですか?」



ある程度は音の魔術を組んでいると判断し、ネアは会話を控えはしなかった。

オフェトリウスの方も、気兼ねなく話しているようなので周囲を気にする必要はないのだろう。



「ああ。ヴェルクレアに移ったのは、統一戦争の後だった。かつて仕えたウィームの惨憺たる有様に慌ててしまって、まだ国家としての騎士制度が整えられる前だったが、ヴェルリアの中にそれなりに強引に入り込んだ記憶があるよ」


ここでネアは、すれ違った老人がおやっと目を瞠り、オフェトリウスに会釈した事に気付いた。

オフェトリウスは苦笑していたものの、同じように会釈を返している。



(ご無沙汰しております……………?)



そんな挨拶に知り合いなのだろうかともう一度首をかしげていると、こちらを見たオフェトリウスが、ウィームは目のいい御仁が多いなと小さく笑う。



「僕は以前、中央からの命令でウィームで領主代行をしていた事があるんだ。まぁ、前王は僕の履歴を知った上で、ウィームを治められる程にはウィームをよく知り、けれども自分を裏切らない者にその役目を任せたかったのだろう」

「…………まぁ」



続ける言葉を失い、ネアはそう呟いた。


エーダリアよりも前にウィームを治めていた人物が何人かいたのは知っていたが、先代の領主の顛末などを聞いていたからか、それより前の領主が存命しているとは考えていなかったのだ。



(でも、この世界の人達の寿命を考えても、ウィーム領主を任される程の人であれば、今も壮健でも不思議はないのだわ…………)



おまけにこのオフェトリウスは、魔物である。



「とは言え、現王に変わる際に僕も息子に家督を譲ったという事にしてあるからね。騎士団の一部の者達と国の上層部くらいしかこの事は知らないのだけれど、今の男性はしっかりと僕の目を見て挨拶をしてくれた。当時から、ウィームでは僕が人外者だと気付いてる者達も多かったし、今もこうして見抜かれてしまうくらいだ。やはりこの土地は人外者には暮らし易い」

「秘密を見抜かれてしまうのに、過ごし易いのですか?」


その質問に、オフェトリウスは瞳を伏せるようにして深く微笑んだ。



「秘密を知り、けれどもそれを気に留めずに接して貰えるのが一番楽だよ。僕はバーンチュアが気に入らなかったから余計に、ウィームでの暮らしは心地良かった」



ネアがふと気付けば、いつの間にか二人はお会計を終えており、近くにある喫茶室に入るところだった。

なぜこの流れになったのだろうと眉を寄せたネアに、オフェトリウスは小さく苦笑する。



「壁で遮られていないところだから、君の迎えの誰かが来てもすぐに見付けてくれるだろう。ここで待っているように言われているんだろう?」

「そこまで分かってしまうものです?」

「リーエンベルクでの様子を見て、君は領内とは言え一人では行動しないのかなと思っていた。それに、時々周囲を見回しているのは、同行者が戻ってきて自分を探していないのかを確認しているからだろう」

「……………むむぐ。その通りです。そして、このフロアから出ないように言われているだけなので、お買い物もお茶も出来てしまうのでした」

「それなら、僕の休憩に付き合ってくれるかい?さすがに、この毛布を手に入れるのは骨が折れた。飾り羽のご婦人と熾烈な戦いを強いられたからね」



ネアは少しだけ考え、こくりと頷いた。

オフェトリウスがここでネアに危害を加える事はないだろうし、胸元には伴侶がいる。


ただし、自分達を見付けられずに心配をかけないように身内に連絡だけしておいてもいいだろうかと話し、一度席を立って取り出したカードからアルテアに、そしてピンブローチからリーエンベルクにも連絡を入れておいた。


オフェトリウスは気にした様子はなく、その間に真剣にケーキを選んでいたようだ。




そして、ネアと元ウィーム領主の不思議なお茶会が始まったのだった。







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