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冬夜のパレードと凍死の精霊



しゃりんと夜が鳴った。



その晩冬の雪の煌めきとふくよかな夜の艶やかさに、ネアは胸を熱くする。



不思議な夜がやって来た。

森の葬列にも似た奇妙なもの達が夜を横切り、しゃりしゃりちりんと杖の鈴を鳴らす。


森の葬列のような押し並べられた荘厳さはなく、そこに窺えるのはサムフェルのような不思議な高揚感と、雪白の舞踏会のような人外者達の冴え冴えとした美しさだ。



ネアはカーテンの隙間からそんな行列をこっそり眺め、雪の向こうにちらちらと揺れる魔術の松明に胸を震わせた。



(もし私が一人ぼっちだったら、恐ろしい生き物に見付かってしまう危険を冒してでも、部屋から飛び出してあの向こう側に行くわ…………)



そう考えたネアは、家族の屋敷で一人で暮らしていた頃の自分が、心の奥深くで育てていたらしい向こう見ずさを今更に思い知らされる。


けれど、この切望で胸を焦がしてくれるものには決まりがあって、魔物や妖精や、竜や精霊でなくては意味がない。

ここがおとぎ話の向こう側のような世界だからこそ、ネアの心はこんなにも魅せられてしまうのだ。



ふわっと、木々の間に見える生き物達との間に、雪風がけぶった。

けれどもまたすぐに、雪と冬の色彩しかない筈の向こう側が美しく煌めく。



(綺麗。…………たくさんの色々なもの達が、パレードのように森の向こうを歩いている。…………楽しそうだけれどとても静かで、けれどきらきらしていて、そら恐ろしくて……………)



ウィームの冬は、一番大切に読みたい魔法の物語のように白く青く美しくて、人ならざる者達の宝石箱のようにきらきらと光る。

そんなウィームの夜の森を、不思議なパレードはゆっくりと通り過ぎて行っていた。




「ネア、冬夜の行列をあまり見ていると、心を持ち去られてしまうから気を付けるようにね…………」



背後からそっと抱き締められ、ネアは肌に触れた温度に目を細めた。

こんな風にじんわりと染み入る体温が心地よいと気付かずに生きてきたけれど、これはなかなかに罪深い道楽かもしれない。



「心を奪われてしまうのですか?」

「……………そう言われている。あのように、季節の歪みを彷徨う者達は、魅力的で美しいことが多い。冬は美しく春は優しく、夏は艶やかで秋は悍ましいと言われているからね」

「……………秋だけ、仲間外れにされていませんか?」

「秋はそういうものでありながら、特定の人々の心をより強く惹きつけるのだそうだ。この世界には、その種の悪趣味とも言える一定の嗜好の層があると、いつだったかアルテアが話していた」

「…………他の季節のものには心を動かされなかった、玄人好みな人達を捕まえてしまうのですね…………?」



そう尋ねたネアの唇に、ディノが親指でそっと触れる。


愛おしげな仕草ではあるが、こちらを覗き込む瞳の深さは、仄暗い残忍さを秘めた生き物が人間を破滅させる為に浮かべるような微笑みにも見えた。


光を孕む水紺色の瞳は、様々なものに見えることがあって、夜空のようだったり夜明けだったり、深い湖や雨の日の空気だったり、その時のディノの気分で印象を変えるものの、結局どこにも収まらずに万象の瞳とはかくありきと締結する。


けれども今夜ばかりは、月明かりの下の雪景色のような、冬夜の色彩を強く連想させた。



はらりと落ちて揺れた真珠色の前髪は、見慣れても尚、指先で触れたくなるような美しい色をしている。


ぞっとするような艶やかさに、胸の奥がざわめいた。




「君は私のものだろう?」



こんな問いかけは珍しくはないが、とは言え全てを投げ出してはいけないこともある。

ここにいる生き物は魔物であり、やはり人間とは違う生き物なのだから。



「私の一部は伴侶のものでもありますが、基本的には私自身のものでしょうか。けれどもそんな私は、私の伴侶がとても大好きなんです」

「…………困ったご主人様だね。君は、しっかり繋いでおかないとこの指先からこぼれ落ちてしまいそうなのに」



ふうっと悩ましげな息を吐き、肩に口づけを落とした美しい生き物の姿に、ネアはそのあまりにも理不尽な美貌というものに呆れる反面、この魔物が抱えた不安がどのようなものなのか心配になった。


伸ばした手でその髪に触れると、おやっとこちらを見た魔物が、どきりとする程に優しく微笑む。



「…………ディノ、………今でも私が、ディノの手を引き剥がしてどこかへ行ってしまいそうだと思ってしまうのですか?」

「どう言えばいいのかな。…………君は決して私を見捨てないだろうし、私のことをとても、…………想ってくれているけれど、予期しないような出来事が起きて、いつも君はあっという間に攫われてしまうんだ。それに、私から逃げようとはしていない時も、森で夢中で遊んでいる内に一人で迷子になってしまう……………」



こんな風に凄艶な眼差しでけだもののように微笑んだりもするくせに、この魔物はとても簡単な一言を言えずに小さく瞳を揺らしてしまう。


そんな様子を目の前で見てしまい、ネアはまた自分の伴侶が愛おしくなった。



「…………そうですね。私は確かにディノをとても愛していますが、」

「……………ネア」

「まぁ。どうして少しだけ体が逃げてしまうのでしょう?…………確かに、ディノに向ける思いはもみくちゃになるような目眩のする愛ではなく、もっと大きくて頑丈な愛おしさかもしれません。なので普段は大好きという言葉を主戦力としていますが、私だって愛という言葉がディノのものですよと掲げてみたくなることもありますよ?」

「……………うん」

「場合によっては少し色合いが違うかなと思うこともありますが、その言葉も勿論ディノのものなので、これは貰えないのかなと寂しく思わないで下さいね」

「……………君はどうして、私が欲しいものばかりくれるのだろう…………?」



そう呟いた魔物は真珠色の髪をほどいており、意識が剥落するような美貌を持ちながらも、どこまでも無防備な目をして考え込んでしまう。



「私も不思議でなりません。………どうしてディノは、私が誰かに受け取って貰いたかったものばかり、探してくれていたのでしょう?」

「…………君もそう思うことがあるのだね」

「そうでなければ、私はディノをこんな風に伴侶にはしなかったでしょう。どれだけ大切でも、伴侶とするかどうかはまた別の問題なのだと思います。ディノが望んでくれるのならその手を取るのも吝かではないというところから、私は、ディノだけは私の伴侶でなければと思うようになりました」

「……………君はいつも、そうやって私を満たしてくれる」



喜びを滲ませて囁くようなその言葉に、ネアは何だか嬉しくなる。


大切な人を大切に出来るのは義務でもなく日常でもなく、ネアにとっての恩寵であり誇りなのだと思う。


だから唇の端を持ち上げて微笑んでいると、目の前の魔物はふっと艶やかで深い微笑みを浮かべた。

その眼差しの凄艶さにぎくりとしたネアを、そっと腕の中に閉じ込める。



「だから、決して逃さないようにしなければだね」

「………………っ」




しゃりんと森の向こうでまた、あのパレードが歩いてゆく。


聞けばあの行列は、様々な冬の系譜の者達が、晩冬の魔術の歪みの中で、その定着の為に魔術を敷き直しているらしい。

彼等は実際にそこで集まっている訳ではなく、世界各地のどこかでその魔術を編んだ者達が、行列のように重なって見えているだけなのだとか。



だから、このパレードは世界中の色々なところで目撃されていて、あの中の誰かに魅せられてその手を取ると、もうここではないどこかに連れて行かれてしまっている。

それは世界の反対側の冬かもしれないし、まだ誰も知らないあわいの底かもしれない。


特に殊更美しく魅惑的に見えるもの達は、獲物であったり伴侶であったりを探していることが多く、惹き寄せられてしまった場合は、向こうがいらないと弾き返さない限りは連れ去られてしまうと言う。



「だからディノは、私から手を離さないようにしているのですか?」

「私が君の伴侶であっても、君を他の分野で呼び寄せようとするものがいるかもしれないからね。…………それはとても不愉快だけれど、花が咲くとそこに蝶が呼ばれるようなものだ。ああして冬の魔術を編む冬の系譜の者達は、その資質を最大限に動かしているのだろう。最も魅力的に見える時だとも言われている」



(だから、あまり見ていると良くないのだろうか……………)



確かにそのパレードを眺めていると、その内に目を奪われるような不思議な酩酊感を覚え、白くけぶるような冬の系譜の独特の色味を持ちながらも彼等はとても色鮮やかに見えた。



「…………ディノの髪の毛のようです」

「私の、…………かい?」

「白いのに、沢山の色の影があって、色とりどりなのに決して派手ではなくて、やはり白いのです。繊細で儚げで、そんな覗き込まなければ知ることの出来ないような特別な色なので、ついつい目を凝らしてしまうのでしょう。………でも、あの方々が白く見えるのは、単に雪の向こう側を歩いているからなのですよね…………」

「……………彼等にも目を凝らしてしまうのかい?」

「ええ。けれどそれは所詮鑑賞に過ぎません。あの方々の行進が思わせるのはディノですし、ディノはここにいてくれるので、私はディノの側にいるばかりです」

「おや、では今夜はもう逃げないね?」

「……………む?!」



また捕まってしまったネアは、最低限の睡眠の補償について考えてじたばたしたが、魔物は、男性的で満足げなしたたかさでひっそりと笑う。


こういう時といつもとの差は何なのだろうと考えて小さく唸ったネアに、ふわりと口付を落として、まだまだ愛情に纏わる分野では未熟なネアの胸の奥を掻き毟る。



その時もまだ、窓の向こうでは不思議なパレードが続いていた。




そうして、暫くの時間の後にぱちりと目を覚ましたネアは、よれよれのまま、目も開ききらない内に起き出してゆくと、おぼつかない手つきで顔を洗った。



(寝過ごした…………。朝食…………ハムとパンとジャガイモのポタージュ………)



けれども、もしゃもしゃしながら顔を洗って髪の毛をブラシで梳かしたところで、窓の外の不思議な暗さに気付いて首を傾げる。

慌てて寝室に戻ると、体を起こした魔物が優美な仕草で手を伸ばす。



「……………ネア、まだ真夜中だよ。ゆっくりお休み」

「…………ディノ?私はもう、てっきり朝なのだとばかり………。と言うか、寝坊したくらいに思ってしまうのですが………」

「冬夜の行列が通り過ぎるまでは、夜が時間を止めるんだ。………まだ居るようだね。であれば、この夜が明けるまではまだ猶予があるだろう。私達のような傍観者達は好きに過ごせるし、引き伸ばされた時間で空腹を感じたり喉が乾くことはないらしい。安心していいよ」

「ふ、不思議なのですね…………」



ネアは目を丸くして頷き、顔は洗ってしまったもののまだのんびり出来るようだぞと、もそもそと寝台に戻ってきた。


カーテンの隙間の森の奥がまだ明るいので、なかなかに長期戦が見込まれる気がする。

ゆっくり眠れるのはいいことだが、こうなるのであれば、もっと早くに夜が伸びることを教えて貰いたかったなと少しだけ残念に思った。


「だからディノは、眠る前までのんびりだったのですね?」

「君は、冬夜の行列についての説明を、誰からも聞いていなかったのだね?昨日の昼くらいには注意報が出ていたようだから、聞いているのかなと思っていたよ」

「……………むむむ。確かに、夜の森に不思議な行列が出るので、昨晩…………いえ、この夜は外出しないようにと、エーダリア様からは注意喚起があったのですが、夜が伸びるというお話を聞いたのかどうかは、残念ながら記憶になく……………」

「伝え損ねてしまったのだろうか…………」

「ちょうど狐さんが足の間に隠れる遊びをしていたので、聞き逃してしまったのかもしれません。私の足の後ろに隠れて、ひょいっと顔を出す悪戯狐さんだったのですよ」

「ノアベルトが………………」




しゃりんというあの不思議な音は、まだ森の方から聞こえてくるようだ。



音の感じとしては、いつか聞いた巡礼者達の出現の予兆のものに似ているのだが、その音をもっと澄み渡らせてしまい、耳に心地の良い透明感を磨き出したような綺麗な音だと思う。



(良く考えれば、杖や錫杖につけた鈴の音だったら、似たような音は幾らでもあるのだろうけれど…………)



そのどれもが明確に違う音なのだと分ってしまう不思議に気付き、ネアはそんな話をディノにしてみた。


要するに、すっかり目が覚めてしまったのだ。



「それは、音に紐付く微妙な魔術の違いを聞き分けているのだろう。君の可動域であれば本来は難しいところなのだけれど、守護の一環としてそれが可能になっているのではないかな」

「そんなことを出来るようにしてくれるだなんて、守護は凄いのですね!」

「一般的に、魔物の守護はそれを司るものの気配を補填する。種族ごとにも魔術の違いがあるように、君がその鈴の音を聞き分けているのであれば、妖精の庇護を持った君は、妖精の気配や音にもヒルドの階位を反映出来ているのかな。…………あの実の影響でベージとの繋ぎを残している今は、少しだけ竜のものも得られるようになったのではないかい?」

「…………よくダナエさんがくれる守護とは違うのですか?」

「魔物や妖精はあまりその領域を変えないのだけれど、竜には二種の領域があるらしい。闇や影、霧や霞の竜達は同じ竜種でも他の竜とは少し違う。ダナエのものと、ベージのものはそれぞれに違う領域を補填するもので、そう考えると……………一般的な竜の要素を補うベージとの繋がりも有用だとは思う」



そう教えてくれたディノに、ネアは少し気になっていたことを聞いてみた。



「ディノは、……………私とベージさんの間にあるその繋がりが嫌ではないのですか?今迄はとても竜さんに敏感だったのに、なぜか今回は受け入れてくれています。………もし、あの事件の時に、私がベージさんを守りたいのだと荒ぶったことで、無理矢理飲み込んでいるものがあるのなら……………」



ネアのその言葉に目を瞠ると、ディノは優しく微笑んだ。

伸ばされた手が頬に触れ、なぜかその後でふっと窓の向こうに向けられ、また戻る。



「心配させてしまったね……………。ベージについては、今度、ガーウィンでの仕事があるだろう?あの土地は元々、竜種の守護もあるところなんだ。領域としては普通の竜のものだから、ノアベルトと、どこかの竜の庇護や守護を一時的に繋いだ方がいいだろうかと話していたんだよ」



最初に候補に挙がったのは、バーレンだったが、彼もまた厳密には今の主流の竜達とは種が違うそうだ。


竜の進化や分岐の歴史はなかなかに込み入っており、その守護が生きるような竜種となると、ネアの周囲では、リドワーンとベージ、或いはジゼルなどの雪竜達くらいになる。



「だが、ガーウィンでは幾つかの竜種に対し、その魔術を希釈するような独自の信仰魔術が展開されている。ウィームの守護を司る雪竜と、ヴェルリアの守護を司る海竜の系譜、そして火竜だね」

「…………そうなると、ベージさんはかなり有効な守護をくれる方だったのですね……………」

「うん。ベージは元々、氷竜の中では先祖返りに近い個体なんだ。分岐の最初のところにいる光竜の資質も兼ね備えているから、あのように調整力にも長けている。とは言え彼の守護は、該当する竜種のものでもあるから何かと都合がいい」



その説明に頷き、ネアは問題のガーウィンの土地についても少し考える。

元々竜の影響を受けやすい土地だと分かっているのであれば、確かに自衛もするだろう。



(…………海竜さんは種類が多いから、まとめて海竜一本で対策してしまったのかな………)


そう言えばというところだが、ヴェンツェルと契約したドリーの印象が強いものの、本来のヴェルリアとの契約の竜は海竜こそである。


火竜とは対等な相互間守護の関係を結んできた為、火竜とヴェルリア王家の誰かが契約を結ぶ必要もあるのだが、海の民でもあったヴェルリアの生活に密着している竜種という意味では、王都で馴染みが深いのは海竜こそであった。



「君が会ったことがある相手ということで、シシィの伴侶のルグリューの守護を借りるということも考えられたが、彼は既に宝を持っている竜だからね。あのような気質の者でもそれは難しいだろうとウィリアムが話していた。それに、竜としての階位はあまり高くはないしね。…………望ましくないけれど、風竜の守護は少し借りられるようだよ」

「まぁ、サラフさんでしょうか?」

「うん。彼は君に一度負けたことがあるのだろう?だから、守護を与えるのも吝かではないそうだ。…………とは言えあちらは、ハレムを作る竜種だ。あまり長く守護を残しておくのは好ましくはない」

「……………もしかして、竜さんの中にも、異性関係における一族の特徴があるのでしょうか?」



とても警戒している様子の魔物にそう聞けば、ディノは少しだけ声を低くしてその違いを教えてくれた。

怒っている様子はないので、単にとても警戒しているだけなのだろう。



「風竜は本来、その種のことには奔放なんだよ。あの辺りの土地は、妖精や精霊にもその傾向があるし、人間達もハレムを持つ者が多い。土地の気風かもしれないけれどね。総じて、春や夏の系譜の竜たちは、いささか多情だと評されることが多い。対して冬の系譜の竜達は、執着は強いけれどあまり色事に重きを置かないことが多いかな」

「まぁ………………。も、もしや、ダナエさんも…………?」

「彼は悪食だから少し違うと思うよ。けれど、そのような身でも頻繁に恋人を作っているから、やはり春の気質も大きいのかもしれないね」



(そう言われてみれば、確かにダナエさんは、すぐに食べてしまうだけで意外に恋多き竜さんなのかもしれない……………)



あまり聞かない話が聞けてしまい、ネアはふむふむと思いながら、脳内の記憶庫に聞いたことをしっかり仕舞い込んだ。


魔物達が竜のことを教えてくれるのは珍しいので、今度エーダリアにも話してあげよう。

知っていることかもしれないが、知らないことがあれば喜んでくれる筈だ。



「……………それから、ウィリアムが訪ねてくるようだ。冬夜の行列の終わりに終焉の系譜の精霊が現われるそうで、とても警戒しているようだね…………」

「心配してくれるのは嬉しいのですが、とても忙しい方なので、こんな時間に来てくれるとなると体を休められているのだろうかと不安になってしまいますね…………。ベージさんのことでも、来てくれたばかりですし…………」



本来であればもう朝なのだが、限定的にまだ真夜中にあたるので、ネア達はウィリアムを自室に招くことにした。



誰かは起きているような気もするものの、眠っている場合は起こしてしまわない方がいい。



礼儀的にということではなく、森の向こうのパレードが続いている以上、不用意に動き回って行列を見過ぎてしまうと、あちらに呼ばれてしまう危険があるからだ。




ややあって、ネアの大好きな軍帽もかぶったウィリアムが部屋を訪れた。


白金色の瞳には思わしげな表情があり、ディノに一礼してからこちらに来ると、二度寝しようとしていた結果寝間着のままのネアの前に膝を突いて屈み込み、そっと頬に手を触れさせる。



「ウィリアムさん………?」

「……………良かった。無事だな」

「思っていたよりもずっと、心配してくれていたようで驚きました。もしや、また寝ていないのではありませんか?」

「この行列が動く夜には、命を落とす者達が多いんだ。中には、並び歩く者達から叡知を得ようと軍を差し向ける国もあって、来るのが遅くなった。……………まったく、無知にも程がある」



ひやりとするような声でそう呟いたウィリアムは、あまり機嫌が宜しくないらしい。


いつもの、良く見れば冷やかな美貌でありながらもなぜか発せられる近所のお兄さん的な雰囲気が消え、魔物らしい酷薄さが際立った。


ディノも不思議に思ったのだろう。



「君がそのように苛立つのも珍しいね…………」

「……………っ、すみません。…………幾つかの邪魔が入ったので、間に合わないかと焦りました…………」

「…………そんなに危ない精霊さんなのですか?」



そこまで案じられると心配になってきたネアがそう言うと、なぜかウィリアムは、魔物らしい表情でにっこり微笑み、もう気にしなくていいと首を振った。


追及を許さないような鉄壁の微笑みではあるが、また何かを一人で背負いこんでしまっているとまずい。


なのでネアは、ここは人間らしく強欲に真実を毟り取ってゆくことにした。



「………………ウィリアムさんがとても心配しているので、怖くなってきてしまいました。胸もばくばくしてきたので、いつもの朝食のパンを、二個くらいしか食べられなくなってしまうかもしれません…………」

「ネア……………。いや、…………だが、危ないからな」

「むぐぅ………………。あまり気になり過ぎると、人間は我慢出来なくなってその疑問に突撃してしまう習性があるので、秘密はとても危険だと思うのです」



なかなか頑なだった終焉の魔物だが、ネアがそう言えば苦しげに顔を歪めた。

ネアの前に跪いた姿勢のまま暫し悩み、やがて重たい口を開いてくれる。


「ネア。本当は言いたくないんだ。もし、危ないことをするようであれば、お仕置きだぞ?」

「しません!でも、教えて貰えないと気になってそわそわしてしまうのです……………」

「………………凍死の精霊は、……………そうだな、ムクムグリスに似ているんだ」

「ムクムグリス!!!」

「あっ、ネアが逃げた………」



切望していた体ごと飛び込めるもふもふの名前に、ネアは思わず立ち上がって窓の方に駆け寄ってしまう。

興奮のあまりはぁはぁしていたところで、後ろからひょいっと誰かに拘束された。

ぎくりとして振り返れば、穏やかに微笑んではいるものの、瞳は少しも笑っていないウィリアムではないか。



「ネア?」

「………………ふ、ふぐぅ。つい、窓からムクムグリスを見たいという欲望に駆られてしまい……………」

「だから言いたくなかったんだ。凍死の精霊が立ち去るまでは、この手は解かないからな」

「……………自分の愚かさの罪を、自分の体で贖う羽目になりました。恐ろしいもふもふです…………」

「凍死の精霊なんて……………」



ネアはその後、静かに怒っているウィリアムに拘束されてしまい、それとなくゆっくり寝ては如何だろうかと持ちかけたものの、膝の上に抱え上げられたまま決して離しては貰えなかった。


ディノはご主人様が取られたとおろおろしていたが、ウィリアムがどれだけ心配していたのかが伝わっていただけに、それ以上は荒ぶることはなかったようだ。




凍死の精霊は、ムクムグリスに良く似たふかふかむくむくの素晴らしい毛皮を持つ水色の生き物だという。



凍死の危険に見舞われた人々を、この毛皮に埋もれて眠れるのであればもういいと思わせてしまう危険なもふもふ具合であるらしく、今回の冬夜の行列でも、凍死の精霊達は最も多くの行方不明者を出したのだとか。


ネアとしては、行列参加の凍死の精霊が五十匹もいたと聞き、大きなもふもふが並んで歩く素晴らしい姿を見られなかったのは、たいへんな損失だと言わざるをえないが、ディノは沢山のもふもふが並んで歩いている姿を見てしまい、ウィリアムが来てくれて良かったと安堵していた。



森の向こうを冬夜の行列が歩く不思議な夜は思っていたよりもずっと長くなり、ネア達は久し振りに三人で並んで眠った。



ネアは、拘束を解かないままこてんと眠ってしまった疲労困憊のウィリアムの横顔に、死者の国でのことを思い出して少しだけ懐かしく思ったりもしたが、いつもの癖なのか裸になって眠ろうとするのはたいへん危険であるので、是非にやめていただきたいと思う次第である。














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