魔物と騎士と竜
「……………さて。会場に戻るか」
そう呟いたグレアムに、これはまた派手にやったなと苦笑したのはディートリンデだ。
こちらの妖精もまた、今代の犠牲の魔物の秘密をあっさり看破してのけた、目のいい古い隣人である。
「ニエークも手のかかることだな。だが、気難しく気分屋な魔物がこうなるのであれば、寧ろ俺は好ましい変化だと思ってしまうのだが」
「あなたは、昔からそのように考えるのだな」
「はは、かもしれん。どのようなものにも、愛するものがあるのは幸運なことだ。俺は、自分がそのようなものを得ずにいた頃でさえ、そうして得られる幸運の形を見るのは好きだった」
それならばこの雪の妖精王は、どのような思いで愛した全てが失われてゆく様を見ていたのだろう。
家族や友人達が、そして彼等と共に暮らした土地の思い出と証が奪われて壊されてゆく様を、どのような絶望と落胆で眺め、あの隔離地の森の扉を閉ざしたのだろう。
見上げた先で煌めいた飾り木に、このような季節だからこそ思う慕わしさを遠い過去に向けた。
当たり前のように迎え入れてくれていた愛する者が失われた時、その先へ歩いて行く困惑をどう乗り越えていったのだろうかと。
「やぁ、グレアム。久し振りだな」
会場に戻ると、擦れ違いざまに声をかけてきたのはオフェトリウスだ。
現在存命している剣の魔物の中でも最古参となる彼は、厳密に幾柱現存しているのかも曖昧な、剣を司る最高位の一人である。
道具から派生した者達の判別は難しい事が多く、妖精だが魔物に近しいものもいれば、精霊とされてきたが魔物だったというものもいて、剣の魔物には特にその傾向が強い。
(剣の魔物を見出すのは、多くの場合、人間達であることが多い)
だからこそ取り違えも多いのだが、そもそも剣の魔物達が好んで人間に紛れるので、必然的にそのような事が多くなる。
高位の魔物であっても、主人を得て人間の組織の中に紛れた剣を見つけ出すのは容易ではなく、そうすれば自らの力や知識も制限されると知りながらも、剣の魔物達は道具である資質に準じて主人を得ることを好むようだ。
だが、主人を持たない剣の魔物は享楽的で残忍になるので、彼等が主人を得ているという状態そのものは、こちらにとっても決して悪いものではない。
「久し振りだな、オフェトリウス」
「おや、同伴者はどうしたんだい?」
「今はハザーナと話をしているようだ。二人は姉妹だからな」
「ああ、それでなのか。君が一人でいるのは珍しいと思っていたんだ」
「………俺が?」
「周囲を見ていないのか?話をしたかったんだが、隙を見て近付くのは容易ではなかった」
そう言われて周囲を見れば、確かにこちらとの距離を測っているような女性達の姿が見えた。
今の自分にもそうした興味を向ける者達がいるのかと微かに眉を顰めそうになるが、伴侶をこよなく愛したと語り継がれる先代の犠牲の資質を今も望もうとする女性達も多いのかもしれない。
「少し前までは、遠巻きにされていたんだがな」
「それはそうだろう。君は、ここ数年で少し身に纏う空気が変わった。穏やかになったような気がする」
「俺が、か?」
「何だ、自分では分かっていないんだな」
そう笑うオフェトリウスは、グレアムに向けられる眼差しなどが可愛らしいものに思える程、多くの女性達の視線と思いを集める男だ。
例えばかつてのノアベルトのように、気に入った女性と過ごす時間を隠す様子もないという男ではないし、アルテアやウィリアムのように、気が向けばそれなりに付き合いもするという様子ですらない。
オフェトリウスは年頃の良識的な女性達の多くにとっては理想的な相手とされながらも、グレアムは、ただの一度も彼が心を傾けた恋人を見た事はなかった。
ひと時の相手ですら見かけないのだから、徹底して隠しているのか、全く興味がないのかのどちらかだろう。
「そういう君は、考えてみれば浮いた噂の一つも聞かないな」
「やめてくれ。君だって、本気で僕の私生活を知りたい訳じゃないだろう」
「はは、違いない。………ところで、俺に何か話があるようだが?」
「ああ。…………実は、ウィリアムが連れていた人間の少女なのだが、君は彼女のことを知っているかい?僕はここ五年ほどこちらの集まりに顔を出していなかったから、すっかり社交の常識とやらから遅れているようだ」
「……………どうして俺に?」
「告白すると、君が彼女と親しげに話しているのを見たんだ。あの少女は、………恐らくウィリアムとはかなり親しいのだろう。そしてなぜか、アルテアやヨシュアとも親しげにしている。随分と高位の魔物達との繋がりがあるようだなと気になっている」
顎先に手を当てて真剣な眼差しを見せたオフェトリウスに、グレアムはその真意を測りかねて瞳を細めた。
単純にネアへの興味と言うよりも、僅かな懸念にも似た気配を揺らしているこの男は、どのような意図でその関係を洗おうと思ったものか。
穏やかな声で話をして微笑む騎士が、決して善良な生き物とは限らない。
特にオフェトリウス程も生きた魔物が、老獪ではない筈もないのだ。
「率直に聞くが、どのような理由で彼女の事を調べようと思ったんだ?俺もある程度は親しくしているからこそ、理由如何では君を警戒しなければならなくなる」
「グレアム?」
こちらを見て驚いたように目を瞠ったオフェトリウスが、ややあって何かを得心したものか、ほっとしたように、けれども困ったように淡く微笑んだ。
「僕の贔屓にしている人間の、最も近くにいる人間が彼女なんだ。対面して会話を持ったところ、彼女自身の事も嫌いではなかったし、もし、魔物とのかかわり方をよく知らずに深入りしているのなら、あの子は可動域が低いようだから少し注視しておいてあげるべきかなと思ってね」
「…………その必要はないだろう。君が思うよりも、ウィリアムは勿論、アルテアもヨシュアも、彼女を大切にしている。不用意に削る事もない」
「うん、それならいいんだ。僕はどうもかなり嫌われていてね、もし不安要素があるようなら、君を通して注意を促せないかなと考えていたんだけれど、心配の必要はなかったらしい」
(……………こちらも、心配する必要はなかったか)
そう答えたオフェトリウスにほっと肩の力を抜き、男としての食指を動かされてもまずいが、会に入れるにしても扱い難い相手がその欲を持たなかったことに安堵した。
あまり知られていない事だが、剣にも季節的属性があり、このオフェトリウスは冬の系譜の剣だ。
資質的なものを考えると、主人を必要とする魔物で冬の系譜ともなれば、かなり危険な資質を持っていると言わざるを得ない。
「俺もほっとした。君が彼女に個人的な興味を向けたとなると、穏やかではないからな」
「……………グレアムが?ネアに向けているのは、そのような執着じゃないだろう」
「ああ。だが、………友人の伴侶である以上、君みたいな男は用心するべきだろう?」
「………ウィリアムではないよね?」
「さて。こればかりは、俺の一存では何とも」
「………………ウィリアムの伴侶なのであれば、指輪はせめて五十は必要………いや、伴侶となっているのであればもう魔術の浸透は済ませているのか。………だが、ウィリアムではないだろうな。彼が伴侶を得たら城から出すとは思えない。アルテアか?」
「ネアが話していない事を、俺が伝える訳にはいかないだろう」
呆れたように肩を竦めそう返しながら、ここでアルテアが相手ではと考えられるオフェトリウスの観察眼にひやりとした。
対面した相手を見極める事に長けたこの男が、もしどこかでシルハーン達の敵にでもなれば厄介なことになる。
ネアの周囲にいる魔物たちよりも階位は低くとも、これは戦ごとに長けた特等の魔物の一人だ。
一般的に剣の魔物として名を馳せている人物が伯爵位であるのに対し、殆ど世に出ないオフェトリウスは侯爵の魔物である。
資質上、特定の領域では更に階位を上げることもあるのだから、油断のならない相手なのは間違いない。
「確かにそうだな。話し難い事を聞いてすまなかった。思いの外、僕はあの人間の事が気に入っているらしい。ウィームには王の資質を持つ人間は一人ばかりかと思っていたが、まさかもう一人いるとは思っていなかった。……………昔、僕が気に入っていたウィームの古い王を思い出してしまう」
「……………ネアが?」
「おや、親しくしている君が知らないのであれば、彼女自身も知らないのかもしれない。だが、あの子には古い王家の血の気配があるようだ。王家の血に惹かれる僕だからこそ分かる程度だとすれば、もはや彼女自身も知らない程に薄いものだろう。ウィームは特に、王族が市井に下りる事にすら寛容な土地だったからな」
そんな事を話しているオフェトリウスに、グレアムは触れられている内容の不穏さにぞっとした。
ここで話していても何ら問題のない内容だが、それが、ウィームという領地の危うい成り立ちと、ヴェルリア王家とのかかわりの中で明かされるとなると、話は変わってくる。
ましてや、このオフェトリウスはヴェルリア王家に仕える騎士なのだ。
「オフェトリウス、ネアの来歴は聞いているが、彼女がウィーム王家の血を引いているという事はあり得ない筈だ。もしかすると、リーエンベルクにはたいそう気に入られているようだから、あの土地そのものが彼女を新しい主人の一人として受け入れたことで付随された微かな福音の気配なのではないか?」
「そうなのか?…………であれば、そうなのかもしれないな。王威を持つ土地が、新しい王族として誰かを選ぶことは珍しくはない。もしくは、王族相当の魔物の伴侶であることで、その資質が付与されたのかもしれないな」
「そんな事もあるのか…………」
であれば、オフェトリウスがネアから感じた王族の気配はまさしくそれ故だろう。
そのようにして負荷をかける訳ではないが、あの少女は王の伴侶であるのは間違いないのだから。
「……………オフェトリウス。君も、ウィームの難しい立ち位置を知っているだろう。ネアから感じるという王族の気配については、ヴェルリアでは触れないでくれ」
少し迷ったものの、オフェトリウスが気に入っているというウィームのもう一人の王族がエーダリアだと当たりをつけ、そのままの言葉で伝えてみる事にした。
この男は、下手に言葉を飾るような物言いは好まないだろう。
すると、こちらを見た剣の魔物は、澄み渡った瞳を丸くしてから、ふっと微笑みを深める。
「それは、魔物としての僕の知るところのものだ。僕は本来、ウィームに仕えたかったくらいであるし、そのような事を流布させれば、エーダリアの折角出来た良い友人を失う事になり兼ねない。ウィームを危険に晒すような事はしないから安心してくれ」
「そう聞いて安堵した。それにしても、魔物である部分との切り分けは、思っていたよりも厳密にしているんだな」
「どっち付かずに行動すれば、騎士としての誓いにも背く事になる。僕は、主人を変えるような時でもなければ、あまり魔物としての時間も持ちたくないくらいだからね」
そう笑ったオフェトリウスが立ち去った後、グレアムは暫く考え込み、敢えて魔術の壁を少し緩めて会話を聞かせていた友人を振り返った。
「……………どう思う?」
「主人を変えるのも吝かではないと取れなくもない、曖昧な言葉だったかな。とは言え、少なくとも、ご主人……………ネア様をヴェルリアに売るような真似はしないだろうね」
「やれやれ、注視しておかなければならない相手が増えたな。出来れば、シルハーンが伴侶だと明かせればいいのだが、どのような意図があって、ダリルがそれを告げていないのかを調べた方が良さそうだ」
そう呟けば、髪色を染めて擬態し給仕服を纏ったワイアートがゆっくりと頷く。
冬の系譜の中でも、その系譜の祝い子の竜である彼には、この冬告げの会場に入る正統な資格がある。
本来は変装などしなくてもいいのだが、同伴者などいらないし、心置きなくご主人様の様子を見守りたいと、一族の王であり冬の主柱の一人であるジゼルに直談判してこのような参加になったらしい。
普通であれば主催に退けられて終わるのだが、今回はニエークもそれを許可してしまった。
その結果、ワイアートは給仕として会場で伸び伸びと過ごしており、冬夜行が現れた事にいち早く気付いてウィリアムを呼びに行ってもくれている。
「騎士や従者としての資質を持ち派生した者達は、王の資質を求めると言われてきたが、初めてこの目で見たように思う」
「ああ。彼等には王を見付け出す才もある。少しひやりとした」
「…………もしかすると、狩りの女王に付随する階位を得られ始めているのでは?」
「彼女が得てきた祝福の数を思うと、そちらの線もあるな。だが、何らかの資質が発現するまで、我々にはそれを調べる術はない。オフェトリウスにも、王の資質を特定する術はなさそうだ」
例えばシルハーンにも、属性の曖昧なもの達の全てを判別する事は難しい。
何にも属さず何にも偏らないものも少なくはないし、その存在理由すら曖昧なものもこの世界には多い。
(先程の冬夜行とて、そのようなものなのだ…………)
冬の障りである冬夜行は、派生の理由までが分かっていても種族分類はない。
元々の資質があって変質する祟りものとは違い、獣に近い区分だが種族性は曖昧とされる怪物から生まれるものだからだ。
ネアから感じられるという王の資質をはっきりと調べられないのはすっきりしなかったが、違う世界から呼び落とされた彼女がウィーム王家の血を引くということはないだろう。
(……………恐らくは、リーエンベルクの選定もあるのではないだろうか)
ネアから話を聞くリーエンベルクの様子からすると、リーエンベルクは彼女を主人の一人として認識している節がある。
王宮に認められた者が王族とされるように、その認定はネアの資質に微かな王族の気配を落とすのかもしれない。
「ワイアート?」
「いや、……………ネア様をお乗せした馬車の、雪竜馬達が妬ましいと、少しだけ考えていた」
「……………そこまでを妬ましく思うのは、想定外だな」
「擬態してとも思ったが、さすがに終焉の魔物には気付かれてしまいそうだ」
「いや、それはアルテアも気付くだろう………」
「だが、彼はまだ銀狐の正体を知らないのでは?」
「……………そうだな」
今年の冬告げの会場には、会の者達が何人かいる。
ネアの顔見知りというところでは、ワイアートの他にも実はベージもいるのだが、思慮深く姿を見せずにいたからか、ネアは気付いていなかったようだ。
この舞踏会でしか会えない者達との再会を楽しんで貰いたいと話していたベージは、ウィリアムから得られた資質を受け、祝い子相当の階位を得て冬告げへの参加が可能となった。
今は、氷狼の事件で親しくなったという氷竜の王女と、ダンスを踊っている。
幼い王女を舞踏会に出したのは彼女の兄だが、経験を積ませたいという思惑とは裏腹に、彼女は兄のように慕うベージにべったりだ。
とは言え、竜の宝を人間に持つのであれば、いざという時の為に力を借りられる種族外の友人は作っておくべきだろう。
(だが、ベージならば、そのような事もしっかりと面倒を見るだろうな…………)
見渡した会場には、まだまだネアの知らない冬の系譜の者達がいるのだろう。
その中には、いつか彼女を傷付けるような者もいるのやもしれず、きっとこれからも様々な出会いや事件は起こるに違いない。
グレアム自身の手元でも、再編に荒れるカルウィなどは予断を許さない状態であるし、ロクマリア域にも不穏な影はちらほらある。
(だが、シルハーンが望まずにネアを喪うこともないような気がするのだ……………)
シルハーンにあんな思いをさせるつもりは微塵もないのだが、ここ最近、ウィリアムやアルテア達とネアとの関係を見ていてそう思えるようになってきた。
「グレアム、」
ここで、ディートリンデに呼ばれて振り返ったグレアムは、後ろに立っていた小さな少年を蹴り飛ばしそうになり、慌てて踏み留まる。
いつの間にこの位置に立っていたのだろうかと目を瞠れば、こちらを見た少年は水色の瞳をきらきらさせて小さな手を伸ばすではないか。
何だろうと思いその瞳を見返せば、思いもよらない告白が待っていた。
「ぼくは、あなたに求婚する!この会場の中で一番綺麗なのはあなただ」
「……………念の為に言うが、俺は男だぞ?」
「せいべつなど気にするものか。流氷に出来る事があれば、何でも言ってくれ」
澱みのない返答に思わず言葉を失ってしまえば、隣に立っていたワイアートが小さく笑いを堪えるような気配があった。
他人事だと思って楽しんでいるなと眉を寄せそうになってしまったが、再派生した流氷の魔物がこんなに小さいとは聞いていなかった驚きの方が勝ってしまう。
(いや、……………魔物ではない?)
よく見れば、その背中には影になっていてよく見えなかったものの、小さな羽があるような気がする。
では妖精だろうかと息を吐き、だからといって断らねばいけないのは同じなのだと今度は溜め息を吐きたくなる。
「すまないが、その求婚は受け入れられない。俺には思う女性がいるからな」
「……………そうなのか?」
「ああ。だから、他の誰かを選ぶつもりはない」
「………………………そうか。だが、わたしがあなたを愛していることは覚えておいて欲しい」
「愛……………」
そして、もう一度絶句してしまったグレアムに小さな体でお辞儀をすると、少年は慌てたようにこちらに走ってきていた女性に手を取られ、立ち去った。
その際に王子と呼ばれていたので、流氷の系譜のシーなのは間違いないだろう。
「そなたも、そろそろもう一つの愛について考えてみてはどうなのだ?」
「ディートリンデ、ここでその問いかけをするのはどうかと思うぞ。……………あの妖精は、せいぜい派生して十年程度だろう」
「人間の子供で言えば三歳程度か。だが、この会場で一番美しいのは犠牲の魔物だと判断したようだ」
「ミファーナと早く合流した方が良さそうだな……………」
「はは、そう怯えるな」
「ディートリンデ……………。ワイアートも、笑っていないで仕事に戻ってはどうだ?」
「……………っはは、いや、…………あの少年の思いを笑うつもりはないのだが、まさか、会場で一番美しいからと求婚されるとは思わなかった……………」
ネア達が帰ってからで良かったと思い、まだ声を殺して笑っているワイアートの背中をばしんと叩くと、こちらを見て固まっているネビアに顔を顰めた。
その隣でくすくす笑っているのは、ミファーナとハザーナだ。
「会長、まだまだ油断は出来なさそうだよ」
「……………ワイアート?」
「あの少年の求婚を聞いて、他にも君に求婚したい者達がいるようだ」
「……………っ、何であの返答でそうなるんだ」
「はは、人気のある男は大変だな」
「ディートリンデ、君も人のことを笑ってはいられないようだぞ?」
「なに……………」
頑張ってくれと言い残してワイアートは素早くその場を離れてしまい、グレアムはその後暫く、現在の恋人の有無などを尋ねてくる女性達への対処を余儀なくされた。
挙句の果てには、思う女性の名前を教えて欲しいとまで言う者まで現れ、先代の犠牲の伴侶の名前を出す訳にもいかず困り果てた。
「……………酷い目に遭った」
「大丈夫ですか?少し何か飲んでは?」
「……………すまないな、ベージ」
ハザーナとミファーナに話をして貰い、嬉しそうに笑っているハール王女の様子を見ながらやっと一息吐けるようになったグレアムは、深い深い溜め息を吐いた。
誰だか分からない想い人にかける情熱が窺えないとまで言われて途方に暮れたが、だからと言って、今はシルハーンとネアの幸せを見守るのが楽しみなのだと、有りの侭を言う訳にもいかない。
「だが、それが本音なのだがな」
「はは、俺も今はとても幸せですよ」
様々な幸福の形があるのだろう。
しかし、愛する伴侶を得て共に暮らすばかりが幸福ではない。
伴侶を喪いはしたものの、既に二つ目の充足の得られる暮らし方を見出せているグレアムは、幸福な男なのだろう。
「帰りに、残っている料理を少し包んで貰えるそうだ。約束通り持って帰れそうだな」
「途中、王女を国に送り届けなければいけませんが、俺も手伝いますよ」
「いや、ワイアートやニエークに頼むさ。君はそちらの王族達への挨拶もあるだろう。こちらに来るのは、ゆっくりでいい」
会員達から、ニエークが主催となる今年は、冬告げの舞踏会で残った料理を持ち帰って欲しいという要望が相次いだ。
ご主人様と同じ気分を味わいたいというのだが、会員達の心までは理解しきれないグレアムからすると、そのようなことを喜びとするのだなと驚くばかりだ。
ネアが食べ物を至上とする気質なので、彼女の喜びの跡を辿るのであれば食べ物をということになるのだろうかと考えつつ、はらはらと雪の降る美しい冬告げの舞踏会の会場を見回した。
ネアがよくそうすると話してくれたように、この天蓋になっている大きな飾り木に願いをかけてみようか。
(先程の騒ぎで摩耗した分で、願い事の対価としては充分だろう……………)
そう考えてくすりと笑うと、この仲間達とまた来年も冬告げの舞踏会を楽しめるようそっと祈りをかけた。
シルハーンとネアが、その二人を取り巻く全ての者達が幸福な一年を過ごし、また来年の冬告げの舞踏会でも仲間達とこうして笑い合いながら過ごしたいと願えば、大きな飾り木の枝が淡く光ったような気がした。
明日12/3の更新はお休みとなります。
TwitterでSSを書かせていただきますので、宜しければご覧下さい。




