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109. 更に思わぬ贈り物です(本編)




料理を取りに来たアンナがもぎゅもぎゅと鶏肉を食べていたネアを見て立ち去る一幕もあったが、ネア達は和やかな時間を終えて下の階に戻り、そこでまたウィリアムに挨拶をしに来た人々に囲まれた。



終焉の魔物と挨拶を交わしたいという者達は、毎年、ネアが思う以上にいるようだ。

今は穏やかな目をした砂色の髪の男性が話しており、隣にいる伴侶だという緑色の物体をネアは無言で凝視していた。


苔的なものなのか緑色の毛皮なのかは未確定だが、もう何なのかを推し量ろうとはせずに、もさもさした質感の緑色の棒だと思えばいいのだろう。



(……………多分、棒でいい筈……………む、)



和やかな歓談の途中でその緑色の毛皮棒がぐいんと曲がり、ネアは、この奥様は棒ではなく首の長い鳥だったことを知る事が出来た。

となると、苔でもなく毛皮でもなく、羽毛だったことになる。


ここで、なまじ良い棒感ですねなどと言わなくて良かったと慄いていたネアが、直後にかけられた声への反応が遅れたのは当然のことだろう。




「……………やあ、美しいドレスだ。お嬢さんは妖精かい?………おっと、終焉の王のお相手だったか。これは失敬」



不意に斜め後方から声をかけられ、ネアは目を瞬いた。

しかし、ドレスを褒めてくれた誰かは、ネアが振り返るよりも早く姿を消してしまったらしい。



「ほぇ」

「むう。ヨシュアさんしか残っていません」

「僕と踊りたいのかい?」

「その推理に至った経緯が知りたいのですが、なぜでしょう」

「ウィリアム、僕はネアと踊ってくるよ」

「……………ヨシュア」

「ロクサーヌがいるみたいだからね」

「…………っ、アルテアは、…」

「アルテアさんは、流氷の魔物さんととても大切なお話があるそうで、少し外されています」



ネアがそう言うと、ウィリアムは額に手を当てて深い溜息を吐いた。

グレアムの事を探していたようだが、折悪く周囲にはいないようだ。

こちらを見た眼差しに、ネアは小さく唇の端を持ち上げる。


ふすんと胸を張り、大丈夫だと微笑んで見せれば、ウィリアムはどこか途方に暮れたような無防備な目をした。



「あまり、望ましくないお話をしなければならないのであれば、私はここでヨシュアさんと待っていますね。もしくは、ウィリアムさんと一緒に戦います?」

「……………ネア」

「或いは、もう終わりまでずっと踊っていれば、誰にも話しかけられないかもしれませんよ?」



ネアがそう言えば、ウィリアムはふっと微笑み、自分の腕に手をかけていたネアの体をくるりと回し、こつんと額を合わせてくれる。


一瞬、伴侶な魔物の悪癖のせいで、頭突きをされるのかなと思ってしまったが、ふうっと深く吐き出された吐息にはウィリアムにしては珍しい疲弊の気配があった。


大きな美しい獣に甘えられているようで、ネアは伸び上がって頭を撫でてやりたくなるのをぐっと堪える。

周囲の人々は既にウィリアムの振る舞いに動揺しているようだが、この衆目の中で、綺麗な王冠を載せた頭を撫でてしまう訳にはいかない。



「…………すまない。少しばかり憂鬱な話をしてくる必要があるようだ。ヨシュア、その間ネアと…」

「僕は偉大だから、一曲踊ってあげるよ」

「はい。では、ヨシュアさんとさり気ない感じで一曲踊って来ますね。確か、一曲くらいなら問題はないのですよね?」

「ああ。ダンスが終わるまでには必ず戻るが、もし俺の姿が見えなければ、ヨシュアを離さないようにしておいてくれ。アルテアかグレアム、もしくはディートリンデ達が見付かればもっといい」

「はい。ではそのようにします」



指先でネアの頬を撫でてから、ウィリアムは体を屈めてネアの目元に口付けを落とした。


「少しだけ守護を厚くしておいた」

「ふふ、これで一安心ですよね。……む、あちらの奥にいたお嬢さんが倒れました……………」

「ほぇ、またいちゃいちゃしてる………」



ばさりとケープを翻して、ウィリアムはその場から立ち去った。

こちらから視線を外したウィリアムの横顔を見たネアは、ひやりとするような瞳の鋭さに胸が少しだけ苦しくなったが、ここは不安そうにしている様子は見せない事にした。



(ロクサーヌさんの弟さんを巡って、紅薔薇の妖精さん達と一悶着あった事は、ディノとノアから聞いたけれど……………)



ネアにとっては見知らぬ人外者ではあるが、ロクサーヌの弟だという妖精の振る舞いについてを聞き、心の狭い人間は出会う事があれば踏み滅ぼしてくれようと考えてはいる。

然し乍ら、ネアは自身はロクサーヌに対しての悪印象はないのだ。


とは言え、魔物達と紅薔薇の妖精の問題なので、ネアがどうこう言う問題ではない。

ディノやノアだからこそ、偶然に出会ってしまったりすると危険に発展しかねないからと詳細を共有してくれたものの、本来はネアに知らせる必要もないところで起きた事である。


歌乞いになる時にも学んだが、標的にされたのがネアであれ、魔物達が対処して判断した問題は彼等のものだ。

人間であれば夫婦の問題だからと割り込んでも許されるかもしれないが、異種族間では身を引かなければならない事もある。




(……………ヨシュアさんは、こういう時はとてもよく気付いてくれるのだな…………)



ネアは、踊るんだよとダンスの輪に向かうヨシュアの横顔を不思議な距離感で見上げた。

その半面には白く優美な模様があるのは以前から知っていたし、手を取るのも初めてではない。

でも、こんな風に季節の舞踏会で一緒に踊るとは思わなかった人でもある。



イーザの事が大好きで彼に甘える姿はよく見ているが、実際には多くの雲の系譜を従え、時に責務を放り出したりもしているものの、大きな問題なく統括地を治めているのが、このヨシュアだ。



「宜しくお願いします」


だからネアは、きちんとスカートの裾を摘んでお辞儀をして、正式なダンスの挨拶をした。

顔を上げれば、白銀の瞳を満足げに細めて微笑む雲の魔物がいて、あらためて高位の魔物としての怜悧なまでの美貌を再確認する。



微笑んではいるが、ヨシュアの微笑みの温度はウィリアムやアルテアのそれとはまるで違う。

格段に近く感じるのだとしても、寧ろジョーイなどの外周の魔物達の距離の人なのだ。



「僕は偉大だからね。足を踏まないようにするんだよ」

「はい。うっかりヨシュアさんを踏み滅ぼさないようにしますね」

「ほぇ…………」



優雅なバイオリンの旋律から始まり、また一つのワルツが始まった。

冬の系譜の者達のダンスではワルツが好まれると聞いていたが、冬告げの舞踏会でも実にワルツが多い。



(……………わ、………上手だわ)



そして、ヨシュアは飛び抜けてダンスが上手だった。

勿論、高位の魔物らしくきっと上手なのだろうとは思っていたのだが、例えば少し強引だとか、ぐいぐい回されるような踊り方だと思っていたので、ネアは密かに驚いてしまった。


優雅で滑らかな空気のような柔らかさは、ディノやノアとのダンスに近いのかもしれない。

男性主導で支えてくれるのだが、女性の動きを優先させて伸びやかに動かしてくれるダンスだ。



「ヨシュアさんのダンスは、とても素敵ですね」

「そうでなければいけないからね。僕は偉大だから、当然の事だよ」

「ふふ、それを再確認してしまいました。そして、こうして一緒に踊って下さって有難うございます」

「ネアはアヒルをくれたし、ポコのぬいぐるみに贈り物をくれたから特別だよ。僕は偉大だから、僕に出来ることは沢山あるんだ」

「ヨシュアさんのようなお友達がいる方は、きっと皆さん幸せで安心でしょうね」

「もっと褒めるといいよ!イーザも安心に違いないよ。だって、僕の友達だからね」

「ええ。間違いありません」



きりりと頷いたネアに、ヨシュアもこくりと頷いた。

ターンで膨らんだドレスの裾が、爪先の上でラベンダー色の小花を揺らす。


飾り木の枝から吊るされたシャンデリアの輝きが、細やかな光の粒子を立ち昇らせ、それとは反対に天上から降り注ぐ雪がある。

深い深い夜の中でその煌めきはひどく鮮やかで、飾り木の枝のオーナメントのビーズ刺繍がちかりと光った。



(ああ、……………)



あちこちでドレスの花が咲き、暗がりの向こう側にじわりと滲み消える様は、不思議で美しい夢の中にいるようだ。



そのふくよかさにうっとりとしていたネアは、ダンスを終えたヨシュアが、不意にびくりと体を揺らした事に気付き、こてんと首を傾げた。



「……………ふぇ」

「ヨシュアさん?」

「僕を守るといいよ。冬夜行だ」

「ふゆやこう……………?」



白銀の瞳をしょぼしょぼさせたヨシュアが、ネアの背中に隠れてしまう。

先程までの頼もしさは何だったのだと眉を寄せたネアに届いたのは、ひやりとした冷たい吐息だ。



それはまるで、冷たい氷の息を吐く目には見えない大きな獣の顎が、目の前に開かれているような感覚だった。



周囲には同じようにダンスを終えたばかりの人々がいるのだが、今年の冬告げの会場は何しろ暗い。

特に黒い霧のようなものがそこかしこに立ち籠めるこの層では、決して視界が良好とは言えないだろう。



だが、周囲の人達も体を抱くようにして奇妙な冷気に眉を顰めているように見えた。




「…………戻りましょう」

「ふぇ。こっちは行けないよ。………奥に行くんだ」

「こちらは行けないのです?」

「冬夜行は、向かい合わせの頭が二つあるんだ。後退すると口の中に入るかもしれないんだよ」

「絶対に避けたい展開です。では、冷気を避けて前進した方が良さそうですね」



ネアが、そう呟いた時だった。


ぎゃっという誰かの悲鳴が背後で聞こえた気がしたが、それは闇の向こう側で響いたのかもしれない。

慌てて声の聞こえた方を振り返ったが何も見えず、そちら側に広がっているのは深い闇ばかりだった。



じりじりと前に進み、背中にヨシュアをへばりつかせたまま冷気を感じない方向に進んだ。


自分の体を抱くようにして肌を温めている妖精の羽を持つ女性が見えたが、可動域の低いネアは冷気を感じられないと冬夜行を避けられそうにない。

ウィリアムが寒くないようにと作ってくれたドレスに感謝しながら、見えない獣に怯えている事に気付かれないように背筋を伸ばし、歩を進める。




「ネア」



こんな時ほど、すぐ近くで聞こえた優しい声を頼もしく思うことはないだろう。


伸ばされた手にしっかりと抱き寄せられかけ、ウィリアムはネアの背中にヨシュアがへばりついている事に気付いたのか、呆れたように息を吐く音が耳元で聞こえた。



「むぐ。ウィリアムさん………」

「すまない、迎えに来るのが遅くなったな。冬夜行か。…………ヨシュア?」

「ふぇぇ。僕は、寒いのは嫌いなんだよ!」

「…………やれやれ。ここに口を開けた冬夜行がいるとなると、誰かが対処を誤ったようだな」

「対処を誤ると、こうなってしまうのですか?」

「雪食い鳥と同じようなものだ。出会うとまず、問いかけがなされる。寒くないかと尋ねる冬夜行には、必ず、こちらも凍えていると返答しなければならない」

「その返答を間違えてしまった方がいるのですね………」

「もしかすると、冬走りの王の尾を切り落としたのは、冬夜行かもしれないな」

「……………となると、胴体の方はまさか、お腹の中に……」

「いや、流石にそうなれば、冬告げの舞踏会の場が崩れる。…………ネア、この中に」

「はい!ウィリアムさんのケープの中に入りますね」

「ふぇ。僕も寒いよ」

「……………ヨシュア、悪いが男を抱き寄せる趣味はない」




空気の波が揺らぐように、ぞっとする程に強まった冷気が肌に触れた。


しかし、ウィリアムがすかさずケープの中に入れてくれたので冷気は跡形もなく遮られ、ぬくぬくとした体温といい匂いに包まれる。

けれども、こちらを見た異形のものの視線も確かに感じていて、怖いと理解するのもまだなのに、冷たい視線に体が震えそうだ。




「これは俺のものだ。お前の空腹を満たす為に損なわれるつもりはない。立ち去れ」




その冷たさを切り裂いたのは、ネアが本能的に恐怖しかけた冷気よりも冷たく暗い、終焉の魔物の声だった。



大きな獣がとぐろを巻くように体を縮こまらせる気配がして、ずるりと重たいものを引き摺る音が耳に届く。



そして、出現と同じくらいに唐突に、そこにいた何かがいなくなったという感じがした。




「ウィリアムさん……っ、」


もういなくなったのだろうかと尋ねようとして、見上げたウィリアムの表情の冷たさに、ネアは息を飲みかけた。


ほんの一瞬だが思い出してしまったのは、ラエタの影絵の中で出会った見知らぬ終焉の、冷めきった魔物らしい眼差しだ。



(でもここにいるのは、私をケープの内側に入れてくれているウィリアムさんなのだ…………)



だからネアは、ぎくりとして息を飲むのをやめて、ぎゅっとそんな優しい魔物に体を寄せる。



「……………ネア。もう大丈夫だからな」

「ふぁい。あの冷たい何かは、立ち去ってくれたのですか?」

「ああ。俺が対処出来て良かった。…………こうなってしまうと、俺やアルテアくらいにしか追い払えなかっただろうからな」

「むむ、グレアムさんにもなのです?」

「グレアムの場合は、冬夜行とは相性が悪いんだ。あれは、生き物を食らって、少しでも熱を取り込もうとする冬の怨念そのものだから、術式を立てる際にその願いの強さに阻害されがちになる」

「まぁ………」




冬夜行は、冬に殺された生き物達から生まれる、冷気そのものの障りなのだそうだ。



獣の形をしてはいるらしいが、エアリエルと同じでその姿形を捉えられる者は殆どいない。

魔物の中でも、冬の系譜の高位の者達以外では、万象と終焉、選択と絶望くらいにしか見えないと知り、ネアは今更ながらに怖くなる。



周囲を見れば、ネア達と同じように冬夜行の冷気を抜けほっとしたような表情を見せている参加者達がいた。




「ふぇ。僕はもう帰る………」

「まぁ、お土産はいいのですか?」

「冬夜行もいたし、ここは凄く寒いんだ。冬なんて好きじゃないんだよ」

「あらあら、すっかりしょんぼりしてしまいましたね………」



ヨシュアが冬夜行を嫌がったのは単純に寒いからだったらしく、追い払えないとは言え危険はなかったようなのだが、冷気を浴びて弱ってしまった魔物は、もう少しいれば貰えるかもしれない冬告げの舞踏会の贈り物には興味がないようで、本当に帰って行ってしまった。



(アルテアさんはまだ戻ってきていないけれど、同伴者だった女性の方もいないみたいだし、そちらにいるのかも……………?)




雪の怪物であるクグルディと呼ばれる怪物への問答を間違えると現れるのが、冬夜行であるらしい。


この会場にいた誰かが、問答を間違えて顕現を許してしまったのは明白なので、雪の系譜の侍女達がお客の安否を確かめて回ったところ、冬走りの精霊王のお客であった霜柱の妖精が問答の相手らしいと判明した。




「だが、問答を間違えた者は冬夜行に食われてしまうからな。本当の事を確かめようにも、その妖精はもういないのだ。冬走りの精霊王は、自分のお客が食われた事に気付いて冬夜行を探し、尻尾を切り落とされたようだな」

「せ、精霊王さんはご無事なのですか?」

「ああ。無事なので安心してくれ。ただあまり機嫌は良くないな」

「その尻尾も、食べられてしまったりはしなかったのですね………」

「いやなに、冬の系譜の者からは温度を得られないので食わぬのだ。あれはそもそも、冬に殺された者達の成れの果てなのでな」



苦笑してそう教えてくれたディートリンデは、今年もあの冬宿りが現れたのだと疲れた様子で付け加える。


主催者側からの冬夜行への対処が遅れたのは、尻尾を切り落とされた冬走りの精霊王がすっかり落ち込んでしまい、その出現を誰かに伝えることもなく上の会場の飾り木の下で不貞寝をしていたからなのだが、ニエークやディートリンデ達もまた、冬宿りの出現でその歓迎にかかりきりで異変に気付いていなかったのだとか。



(冬走りさんは、不貞寝をしていたんだ……………)



傷が深くて動けないだとか、そのような理由ではないらしい。

だが、冬告げの舞踏会の中で、重要な連絡を放り出して不貞寝していたというのも実に精霊らしい反応なのかもしれなかった。



「そなたが無事で良かった。ウィリアムの守護のお蔭だろうな」

「………むむ。問答を失敗した方だけでなく、私でも食べられてしまう可能性があったのですか?」

「そなたの周囲の者達が身を損なわれなかったのは、冬の系譜の者達ばかりだったからに過ぎん。冬夜行の獲物となりうるそなたが生き延びたのは、獲物に出来ない高位の雲の魔物が共にいて、尚且つ高位の魔物達の守護があったからだろう。…………ウィリアム、端食いの薬は入り用か?」

「…………いや。必要ない。ネアの様子を見る限り、冬夜行の冷気に損なわれた場所はなさそうだ」

「それなら、少し気を緩めてやるといいだろう。俺の大切なウィームの子が心配しているからな」



ディートリンデに感じている心配を明かされてしまい、ネアは、はっとしたようにこちらを見たウィリアムに眉を下げた。

きちんと話し合うのだぞと年長者らしい眼差しで笑い、ディートリンデはネア達から離れる。




「ネア?」

「もしかして私が、安心して行ってきて下さいと言っておきながら冬夜行めに遭遇してしまったので、呆れてしまっています?」

「ネア、そうじゃないんだ……………」



勿論ネアは、ウィリアムの表情が未だにどこか強張っている理由が、そのようなものだとは思っていなかった。

だが狡猾な人間らしく悲しげに項垂れてみせたネアに、ウィリアムは少し慌てたようにその理由を教えてくれる。



「冬夜行は、……冬夜行と呼ばれるものは、土地の俗称が重複したせいで同じ名称の存在が何種かいるんだが、その中でも今回のものは、戦場にも多く現れる」




過酷な戦争では、本来なら人間達が立ち入り、留まらないような雪深い土地にも兵士たちが進軍する。


その結果戦場となった土地が冬夜行の棲家だっだということは珍しくなく、まだ息のあった負傷者や勝ち抜けた筈の兵士達が、次々に犠牲になる事があるのだそうだ。



「冬に殺された者達が温もりを求めて悪変するのは、大抵は森の奥深くを抜ける街道だったり、国と国を隔てる雪山だったりするからこそ、戦場と冬夜行の棲家が重なる事は多い」



憂鬱そうに呟いたウィリアムは、戦場に現れた冬夜行が育ち過ぎてしまい、近隣の村や町を襲って二次被害的な鳥籠へと発展した土地を幾つも見た事があるのだと話してくれた。



「そうなってくると、ウィリアムさんにとっては、お仕事を増やす因縁の相手という感じでもあるのですね?」

「戦場は冬夜行のいい餌場になる。だから冬夜行は、同じ終焉の気配を取り違えて、終焉の子供を食らうことも多いんだ」

「……………まぁ」



もしかすると、その中にはウィリアムが喪いたくなかった誰かがいたのかもしれない。


そんな過去を地続きのここでネアが冬夜行と接触してしまったのだから、ネアを獲物として認識した冬夜行はウィリアムをとても怒らせたのだろう。



(だからウィリアムさんは、怒っていたのだわ……………)



あの冷ややかな揺らぎは、どこからどう見ても怒りだった。


叱るべき時は叱ってくれるウィリアムがそうしないので、ネアは、この冷ややかさが自分に対して向けられた怒りではないことだけは察していたが、やっと理由が分かってほっとする。




「私のことは、ウィリアムさんが守ってくれました」

「…………ああ。迎えに行くのが間に合って、本当に良かった。ロクサーヌとの話も正直なところあまりいい話ではなかったから、迎えに行った先でネアの近くに冬夜行がいて、さすがに冷静ではいられなかった」

「……………むぅ。上の層で甘いものでも食べます?」



(ロクサーヌさんとの話は、あまり愉快なものではなかったみたいだ…………)




今日は、ネアがずっと楽しみにしていた冬告げの舞踏会である。



うっとりするような綺麗なドレスを用意してくれて、こんな素敵な髪型にして貰ったのだから、この美しい場所に連れてきてくれたウィリアムにも、是非に楽しい一日だったと思って貰いたい。


むしゃくしゃした時にはやはりケーキだろうかと首を傾げていたネアに、ふっと笑ったウィリアムは、白金の瞳を緩ませた。



「俺は、どちらかと言えば、ダンスの方が嬉しいかな」

「むむ、じゃあもう一回踊ります?」

「付き合ってくれるか?」

「はい!」



手を取られて優雅にエスコートされ、冬夜行とすれ違った場所からは少し外れたところで、ネアはもう一度ウィリアムと踊る事にした。


踊り始めでふぁさりと広がるドレスの裾に、ウィリアムの長いケープが重なるように揺れる。

見上げた先で微笑んだ終焉の魔物は、先程までの、冷たい炎が静かに燃えているような目はもうしていない。




「……………あの冬夜行に食われた者達は、永劫に冬夜行の中で彷徨い続ける事になる。古い友人が、そうして冬夜行の中に囚われていた事があった」



三回目のターンのところで、ウィリアムがぽつりとそんな事を話してくれた。

教えてくれるとは思わなかったと目を瞠ったネアに、淡い微笑みを浮かべて小さく頷く。



「……………その方は、もう自由になれたのですか?」

「砂漠や海の系譜に囚われた死者達のように、死者の道筋から引き離された者達が本来の場所に回帰する事は出来ない。入れ物を壊されてばらばらになるだけだ」

「ばらばらに………」

「本来は、冬夜行はある程度まで育ったら手を出さない方がいいんだが、戦場などで食事を済ませた冬夜行は大きな町を襲うようになるので滅ぼすしかない。………外殻である冬夜行を倒すと、かつての獲物だった者達が祟りものになって崩れ落ちてくる。その全てを滅ぼすまでが、冬夜行の駆除なんだ」

「……………ご友人の時は、ウィリアムさんが解放して差し上げたのですね」

「だが、もう二度と魂の形には戻せない。砕いて壊すだけなんだ。……………すまないな、せっかくのダンスなのにこんな話になってしまった」

「あら、私は、ウィリアムさんがこの話をしてくれて嬉しかったですよ?今回の遭遇でどのようなものかも分かりましたし、もしまたあの冬夜行さんに会う事があれば、ディノやウィリアムさんにすぐに助けを求めますね!」

「……………ああ。そうしてくれ。俺は、ネアがいなくなったら駄目になりそうだからな」



ふ、と体を寄せて口付けが一つ落とされる。

唇に触れた吐息の温度には声にはならないような切望が滲むようで、ネアは、寂しがりやな魔物達を思い、その祝福をそっと噛み締めた。



「あら、私は、老衰以外の理由ではどこにも行きませんよ?」

「ネア…………。ああ、そうだな。寧ろ、どんな理由でも困る」

「なぬ。老衰については許可して貰わなければならないのでは………」

「だとしても、俺が満足するまでは元気でいてくれ」

「となると、健康の為に狩りは続けないといけませんね!体を労わる為に、また砂風呂にも入らなければです」

「はは、それならいつでも。また一緒に行こうな」



(あ、いつものウィリアムさんに戻った………)



ディートリンデの話によれば、今年の冬告げの舞踏会に冬夜行が現れたのは、二年連続で冬宿りが現れてしまった事で、冬告げの舞踏会の魔術基盤が傾いたからだという。


吉兆が偏れば障りも現れるのがこの世界なので、自然の摂理としては当然の出現ということになるのだろう。



冬宿りは、昨年のふるまいで出されたお酒があまりにも美味しかったからまた現れてしまったようで、今年はそのお酒は避けて違うお酒を出したのだとか。


何か思っていたのと違うという微妙な表情で帰って行ったので来年は現れないだろうというのが、冬告げの舞踏会の主柱な者達の見解だ。



「そう言えば、ウィリアムさんとは何曲踊ったのでしょう…………?沢山踊りましたが、今日の装いがお気に入りなのではしゃいでいたのと、お喋りしながらだったのでうっかり数え損ねてしまいました」

「うーん、俺も途中からは数えていなかったな。足は疲れていないか?」

「ええ。この靴は、ふわっと軽くて履いていて気持ちがいいくらいなので、少しも足が疲れないんです」

「…………今ので九曲だ」

「むむ、アルテアさんが戻ってきました。ディートリンデさんから、アルテアさんも冬宿りさんの歓迎兼迎撃班にいたと教えて貰いましたが、宴会の体裁を整えなければいけないので、沢山飲まなければならなかったのですよね?」

「次からは、冬走りかウィリアムにさせろ。何で俺が手伝ってやる必要があるんだ」

「むむ、使い魔さんがとても荒んでいます………」

「はは、アルテア、俺はあくまでも招待客の一人ですよ。それは、冬の系譜が成すべき事でしょう」



はらりと、どこからともなく雪が降ってきた。

周りを見れば、あちこちで手を伸ばして落ちてきた雪片を手のひらで受け止める者達の姿が見える。



「むむ、始まりましたよ!今年も何かいいものが手に入れられるでしょうか?」




冬告げの舞踏会で降るこの特別な祝福の雪には、冬告げの舞踏会からの贈り物が隠されている。


手のひらで受け止めた雪片の中から贈り物が出てくれば当たりで、何も出てこなくても冬告げの祝福は得られるという仕組みになっているのだそうだ。



今年は主催も兼ねるニエークの降らせる雪なので、舞踏会の中盤ではなく終盤で行われるのだと聞いていたが、こうして降り始めると青白く光る雪がはらはらと落ちる様は圧巻の美しさであった。


暗い会場にかけられたシャンデリアの明かりや、光る結晶石や花々、結晶化した飾り木の煌めきが、舞い落ちる雪の輝きと混ざり合う。



ネアが差し伸べた手のひらに落ちた雪片は、しゅわりと暗い藍色に光って消えた後、一枚のチケットのようなものを手のひらに残した。



「……………あ、当たりです!」

「ん?………引換券?」

「おい、何だこの胡散臭いチケットは………」

「むぐる!これは私の当たり券なので、渡しませんよ!!」



ネアの他にも贈り物を貰った参加者達の手にあるのは、きらきらと光る宝石の花のようなものだ。

雪の魔物の侍従の一人から、今年の贈り物の雪白椿の結晶は、豊かさと財産の祝福があるのだと発表され、ネアは近くにいたレインカルの王子の手元を暗い目で凝視した。


レインカルの王子は強欲な人間からの鋭い視線に怯えたものか、そそくさと人波に隠れてしまう。




「……………ぎゅ。これは、当たりではないのですか?」

「引換券とあるから、ディートリンデに聞いてみた方が良さそうだな」

「ったく。やれやれだな」

「む。アルテアさんも自然について来ます………」

「さっさと済ませろよ。まだ踊っていないだろうが」

「なぜ叱られたのだ。解せぬ」

「アルテア、ネアは俺の同伴者ですよ?」




ネアが引き当てた引換券は、冬の味覚の詰め合わせという至高の一品であった。



贈り物にする際に魔術の繋ぎを切らなければいけないので、敢えての引換券となっていたのだ。


偶然品物の引き渡しの際に近くにいた人達が、その贈り物は何なのだとざわざわしていたが、焼くとじゅわりと甘い蜜粒が入っているようになる雪菓子の欠片を使ったソーセージや、祝祭鴨の燻製に雪棘牛の肉などの詰め合わせに大興奮の人間はそれどころではない。



「こ、これは……………!!」

「おい、何で弁当まで入っているんだ……………」

「………凄い組み合わせだな……………」

「幻の焼肉弁当の、冬塩味ですよ!ふぁ。この喜びをどう表現すればいいのでしょう。………じゅるり」

「………っ、情緒の欠片もない弾み方をするな!」

「良かったな、ネア」

「はい!!」




なお、アルテアにひょいと持ち上げられて連れ出されてしまい、ネアは使い魔とも一曲ダンスを踊る事になった。

ウィリアムと九曲踊ったのだから、こちらも補填しろと言われたネアは首を傾げるしかないが、それが使い魔の取り分なのだろう。



流石に冬の系譜のお気に入りな会場なだけあり、今年の冬告げの舞踏会は、この後も夜遅くまで続くのだそうだ。


優雅な旋律と給仕に運ばれるシュプリのグラスの煌めきにむふんと目を細め、ネアは、本日の戦利品を思うだけで口元が緩んでしまいそうになる。



なお、贈り物が嵩張るからと、ネア達の帰り道には雪馬車が用意されていた。

真っ白な雪結晶の馬車を牽くのは、トナカイのような角を持つ青く美しい精霊馬で、イブメリアの装いが美しい街を二つ経由してからウィームに送り届けてくれる仕様だ。




「ニエークさんやディートリンデさんが、私がリーエンベルクに住んでいると知っているからこそ、ご手配いただけたものですね」

「ネア、もっと体を寄せていいんだぞ?窓からの景色がきちんと見えているか?」

「……………ふぁい。ふぐぐ、なぜ二人乗りの馬車に三人詰めなのだ………」



一つだけ誤算があったとすれば、それは二人乗りの馬車になぜかアルテアも乗り込んでしまった事だろう。

どうせ行き先は同じだと言うが、そのせいでネアは、ウィリアムを椅子にする羽目になってしまい、恐縮しながらウィリアムの膝に乗っかっている。



(嵩張る舞踏会用の装いでなければ、三人くらい余裕をもって座れそうなのに………)



ネアは、せっかくの帰り道に窮屈な思いをさせてしまっただろうかと心配していたのだが、アルテア曰く、ウィリアムは腹黒いので大丈夫なのだそうだ。


窓から見下ろしたウィームの雪景色に心を弾ませ、ネアはこれから訪れる祝祭の季節と、そっと頭を撫でてくれた金色の瞳の飾り木を思い出した。




(今年も、これからもずっと、大切な人達と幸せな冬を過ごせますように…………)




そう心の中で呟けば、あのリノアールの飾り木の上で煌めく星飾りが、しゃりんと音を立てたような気がした。










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[気になる点] >冬走りの精霊王のお客であった霜柱の妖精が問答の相手らしいと判明した。 >「いやなに、冬の系譜の者からは温度を得られないので食わぬのだ。あれはそもそも、冬に殺された者達の成れの果てなの…
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