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107. 思惑通りにはいきません(本編)




「ネア、どうした?」

「……………むぐるる。以前の冬告げの舞踏会でぐいぐい来た霙的な感じの方の姿が、あちらに見えたような気がしたのです」

「それなら問題ない。ネアにはもう近付けないようにしてあるからな」

「まぁ、そうなのです?」

「冬の系譜の者達は、心を動かす事が少ない代わりに一度そうなると、…………諦めないんだ。まぁ、…………色々あってな」

「……………なぬ」



どうやらネアの知らないところでひと事件あったようだが、問題がないと知れば安心なので、ネアは知り合いと楽しくお喋りをすることにした。


よれよれとこちらにやって来た、こちらもまた一際白い特等の魔物は、宝石を飾ったターバンに、薔薇色がかった白銀の毛皮の長衣姿が艶やかだ。



「ふぇ、寒いんだ」

「まぁ、ヨシュアさんです。お相手の方はどうしたのですか?」

「冬の系譜は、一緒にいると寒いから置いて来たよ。僕は、イーザかルイザが良かったのに………。やっぱり、イーザを連れてくれば良かった……………」

「……………私は以前にそのような組み合わせを見ましたが、連れてこられた方の方がとても心に傷を負っていましたので、イーザさんはやめて差し上げた方がいいのでは……………」

「ほぇ………」



ネアにそう言われてもヨシュアはぴんと来ていないようだったが、ネア達が飲んでいるのが冬杏を使った温かな飲み物だと知ると、それを飲むのだと騒ぎ始めた。


幸いにも、雲の魔物を黙らせる為にウィリアムが実力行使をする前に、気付いた給仕が飲み物を持って来てくれる。



(今年の給仕さんは、会場の雰囲気に合った黒い燕尾服の方達だけれど、主催している系譜の従者さんは、銀色のヴェールで顔を隠した青いドレス姿の方々がそうなのかしら……………)



見回してみても、他に統一された装いの者はいないので、青いドレスの女性達で間違いなさそうだ。

顔を隠していても美しい女性達であることは分かるが、属性の見当はつかなかった。



「そう言えば、今年は精霊さんの主催ではないのですよね?」

「今年の冬告げを任されているのは、ニエークだ。補佐をしているのがディートリンデなので、問題はないと思うが、その分オルガやディートリンデは大変だろう」

「まぁ。ディートリンデさんをお見かけしないと思っていたら、今年は運営側だったのですね………」



となると前回までのようにゆっくりお喋りは出来ないかもしれない。


ニエークはどうでもいいのだが、ディートリンデとはゆっくり会いたかったネアは少しだけ残念に思いながら、けれどもそんなディートリンデが主催に加わっているのならば、きっと今年の冬告げの舞踏会は素晴らしいのだろうと瞳を煌めかせる。



「ほぇ、料理はまだ出ないのかい?僕は何か食べたいんだよ」

「上の区画にあるようですよ。もし良ければ、ご一緒しませんか?」

「ネア、ヨシュアは放っておいても大丈夫なんだぞ?」

「ふぇ、僕も一緒に行く……………」

「ウィリアムさん、あちらをご覧下さい。引き続き、どこかで見たことのあるような配色の男性がこちらを凝視しているのです。となると、いざという時の為にヨシュアさんはいてくれた方がいいのでは」

「……………まさか、今代の霙もなのか」



ネアが視線で示した先には、この薄暗い会場だからこそいっそうの恐怖を演出する立ち位置で、物陰からじっとこちらを見ている淡い緑色の髪にくすんだ水色の瞳の男性がいる。


深い緑色の盛装姿は艶やかで、以前とは違い髪は少し長めだろうか。

けれども間違いなく、見たことのある面立ちなのだ。


そちらの男性には同伴者の姿も見えないので、うっかり声をかけられない内にと、ネア達は料理のテーブルのある上の層に移動することにした。



「……………まぁ。何て綺麗な階段なのでしょう。絵のようです!」

「ネア、転ばないようにしっかり手をかけているんだぞ?」

「むぐ。ウィリアムさんにぎゅっとしていますね」

「ほぇ、こんな階段寒いだけだよ」

「おのれ、ぐいぐい引っ張らないで下さい!ゆっくり楽しみながら歩くのだ」

「ふぇ………」



階段沿いには見事な雪薔薇が満開になっており、淡く煌めくのは雪の結晶だろうか。

薄っすらと雪を乗せた白い薔薇の美しさに、ネアは避難中であることも忘れてうっとりしてしまう。


そして、登った先に待っていたのは、見たこともないような幻想的な情景であった。



「まぁ…………!大きな飾り木で包まれているようです!!」



伸ばされた枝葉が完全に覆いかぶさっているので、枝葉のテントの中にいるようだ。

そして、その大きな大きな飾り木の根元には、宝石のようにも見える花が咲き乱れていた。


淡い水色から深い瑠璃色までのありとあらゆる青の花が、雪の中できらきらと瞬くように光る。

花の形状としては、アネモネに似ているだろうか。

薄い花びらは硝子細工のようで、近付くと甘く爽やかな青林檎に似た香りがする。



(わ、…………床もとても綺麗)


床石は見事な雪の結晶石だった。

乳白色の石材はとろりとした藍色の光を帯び、これだけのものをどうやって揃えたのだろうと心配になってしまうのだが、よく考えなくても今年の主催は雪の魔物なのだ。



そっと踏み出して踏みしめた床は、新雪を踏んだときのようなぎしりという音を立てる。

その音にネアは嬉しくなってしまい、もう一歩踏み出してむふぅと息を吐く。



「……………不思議な床ですね。この雪結晶の上に立つと、まるで冬の日の夕暮れのような青い影が落ちるのです」

「雪影の祝福のある結晶石みたいだな。ネア、ディートリンデ達がいたぞ」



そう教えて貰い、ネアはぱっと顔を輝かせた。


不穏な影に慄いていたところで、会いたかった人に会えることほど嬉しい事はない。

おまけにお目当ての料理のテーブルのところにいてくれたので、お喋りしながら食事も堪能出来そうだ。


ネア達がそちらに向かって歩いてゆくと、澄んだ緑色の瞳に白檸檬色の髪をした男性がこちらを振り返る。

ネアも初めましてではない、白百合の魔物だ。



「ウィリアム、」

「ジョーイ、……………ん?君も同伴者はいないのか?」

「ほこりへの贈り物の相談を、ハザーナにしているところなんだ。話が終わるまでの間、同伴者には階下で友人達と話していて貰っている」

「ほこりも元気そうだな」


そう苦笑したウィリアムに、ジョーイの視線がネアの方を見た。

ふっと気配を揺らした白百合の魔物の瞳には、男性的な執着のない、さらりとした賛美の色が宿る。



「…………これは美しいな。仕立て妖精の女王のドレスか」

「はい。今日の装いは、ウィリアムさんに用意していただいたとっておきのドレスなので、褒めていただいて嬉しくなってしまいました。………ほこりへの贈り物を考えてくれているのですか?」



ドレスを褒めて貰ったお礼を言いつつネアがそう尋ねると、ジョーイは、ダイヤモンドダストの妖精達の城に現れた祟りものを、ほこりのおやつとして引き取る算段をしているのだと教えてくれた。



(成る程。これが、ジョーイさんの普段の温度なのだ……………)



得心してしまうのは、白百合の魔物の受け答えの声音に滲む温度である。

とても穏やかで優しい声で話していながらも、ネアへの返答はどこか整えられ過ぎた感があるので、社交用の優しさなのだろう。


白百合の魔物は、決してネアやネアを取り巻く環境に対して冷淡ではないが、ネアが知るものはこの魔物本人から与えられたものであった。

彼が自らの意思で何も差し出していない今は、直接の知り合いではないというある程度きちんとした距離感が保たれている。



「今年も、ウィリアム様とご一緒だと思っていましたよ」

「ご無沙汰しております。今年もハザーナさんにお会い出来て、とても嬉しいです」



一方で、妖精であるハザーナは、魔物とは違う線引きを付ける。


妖精達は、自分が気に入れば容易く懐に入れてくれる種族なので、こうして向けられる微笑みも、ぬくぬくとしていてとても親しみやすい。


とは言え、だからこそ妖精に気に入られると簡単に攫おうとしてくることも多く、人間側でも付き合いに見合った距離を取らねばならない生き物なのだった。


また会えたわねと微笑んだハザーナにとって、ネアはディートリンデに紹介された人間でしかないが、それでも再会を喜んでくれた。


見事な紫紺のドレスに細やかにダイヤモンドダストの祝福石を縫い留めており、藍色にダイヤモンドのような煌めきの散らばる羽と合わせて目を瞠るような美しさだ。


「ネア、エーダリアを何度も守ってくれたそうだな。感謝をする。そなたが無事でいてくれて良かった」

「ディートリンデさん、お久し振りです。今日はお二人に会えるのだと、楽しみにしていました!」

「はは、そう言って貰えるのも嬉しいものだな。そして、俺の大事なウィームの子の今年の装いは、なかなかに素晴らしい」

「ええ、私もそう思っていたんですよ。その髪型は髪結いの魔物かしら?」

「いえ、ウィリアムさんがやってくれたんです。すっかり気に入ってしまって、またお願いする気満々なのですよ」



ネアがそう言えば、ディートリンデとハザーナが目を丸くしただけでなく、隣で早速小さなパイ包みをお皿に取っていたヨシュアや、斜め向かいのジョーイも呆然と目を瞠った。


特にジョーイはふるふると首を横に振っているので、その事実を受け入れるのがまだ難しいようだ。




「ほぇ、ウィリアムがやったのかい?」

「ヨシュアさんも、褒めてくれてもいいのですよ?」

「……………ウィリアムが」

「むぅ。驚きの方が勝ってしまったようですが、パイ包みはしっかり食べています。中身は何だったのか教えて下さいね」

「クリームと鶏肉が入っているよ。あと、これはとろっとしてる」

「むむ、そちらは、色合い的にはフォアグラのテリーヌのようです。上に乗っているこなこなしているものは何でしょう?」

「砕いた木の実を蜂蜜で覆ったものらしい。甘くてかりかりしているぞ」

「ディートリンデさんの説明で、絶対に食べたくなってしまいました!私もいただきますね」



ネアはいそいそとお皿を手に取り、さっそく幾つかの料理をお皿に乗せた。


ジョーイは、ウィリアムがネアの手の届かなかった一段上のお皿の上のカナッペを取ってくれている姿をじっと見ていたが、観察している内に何やら自分の中で納得がいったようだ。


ハザーナと少し話をすると、なぜかヨシュアを迂回するようにして離れていった。




「………むむ、もう少しほこりの話を聞きたかったので残念です」

「ジョーイとヨシュアは、あまり相性が良くないからな」

「まぁ、そうなのです?」

「僕は、嫌いじゃない時もあるけど、嫌いな時もあるよ」

「ジョーイ様は、どちらかと言えばご自身の事情を、あまり外に明かしたくない方ですからね」



ハザーナがそう微笑めば、ネアにも何となくわかるような気がした。

白百合の魔物は、魔物らしい目をした柔和な印象の男性ではあるが、それはあくまで対外用のものという感じがする。


ネアのよく知る魔物達もそうだが、自分が線の内側に入れた者達以外に本心を語ることはないのだろう。

そうなると、ネアがいる以上は、さして親しくしていなくてもどうしてもほこりとの内輪の話が出てしまうこの輪は、少しばかりジョーイにとって都合が悪いのかもしれない。



「ネア、ローストビーフは取るんだろう?」

「はい!ふぁ、ローストビーフです!!」

「はは、俺のウィームの子はすっかり料理に夢中だな。これはどうだ?先程来ていた妖精達が気に入っていたものなのだが」

「むぐ。このざくざくビスケット風のカナッペに乗っているのは、燻製鱈のようです。上に乗ったソースがフェンネルの香りの強いタルタルソースのようなものでとっても美味しいです!」

「ほぇ。僕も食べる…………」

「ディートリンデ、ニエークの様子は大丈夫そうか?オルガが見張っているとは思うが、姿が見えないと心配になるな」

「はは、彼はあれでも冬の系譜の主柱の一人だ。さすがに、そうそうなことはするまいよ」

「うーん、だといいんだがな」



そう苦笑したウィリアムは、近年のニエークの状態を踏まえて懸念しているのだろう。

ネアもかなり残念な雪の魔物の姿しか見ていないので、是非に問題を起こさないでいてくれ給えという感じである。




「良いカナッペですね」

「…………む」



その時、ネアはすっと向かいに立った男性の姿を認め、遠い目になった。


首下までの薄い緑色の髪をゆるく巻き、くすんだ水色の瞳をした男性がいつの間にかそこに立っている。

そうですねという感じに厳かに頷きはしたものの、ネアは敢えて返答をせずにウィリアムにじじりと体を寄せた。


ネアにぴったり張り付かれたウィリアムも、いつの間にか接近していた要注意人物の姿にすっと瞳を細めている。



「その、もし装飾品などがお好きでしたら、指輪などをお贈りさせていただいても宜しいでしょうか?」

「…………全く察してくれません」

「まさか俺の前で切り出されるとは思わなかったな……………」

「その瞳の色に、ぴったりの指輪を贈りましょう。守護も祝福も、多い方が良いでしょう」

「謹んでお断りさせていただきます。伴侶は一人で充分ですし、よく知らない方からの贈り物は受け取れません」

「で、では、まずは親しくなりましょう。帰りに私の屋敷に寄ってゆきませんか?」

「お断りします」



きっぱりとそう言えば、なぜか新代の霙の魔物に違いないその男性は、微笑んで頷くではないか。


琥珀に見立てたコンソメジュレを崩しかけたローストビーフを頬張ったままのヨシュアも固まっているが、その男性を見るハザーナが可哀想なものを見る目になってしまっているのが、何とも言えないこの場の空気をよく表していた。



「ウィリアム様では、仕事が忙しく万事に気が回らないでしょう。今後は私がずっとお傍におりますので、日々の暮らしをより豊かにするとお約束出来ますからね」

「…………ぎゅわ。展開が一方的過ぎて怖いのです」

「ほぇ、すごい喋ってくるよ…………」

「ヨシュア、少しの間彼女を頼んでいいか?納得させるよりも、放り出して来た方が早そうだな…………」



そう呟きグラスを置いたウィリアムに、なぜか霙の魔物は悲し気な溜め息を吐いた。



「私は狭量ではありません。ウィリアム様も伴侶でいるのだとしても、その領域までを奪うつもりはありませんが」


そういう問題ではないのだと渋面になったネアは、そんな霙の魔物が立っている側にある生牡蠣が絶対に欲しいので、ここはもうきっぱりとお断りしてみることにした。


「個人的な好みの問題もありまして、私があなたの指輪をお受け取りすることは絶対にありません」

「ぎゃ!」



悲鳴を上げて蹲ってしまった霙の魔物は、なぜ終焉の魔物なんかが良くて自分は駄目なのだろうとぶつぶつと呟いているようだ。


にっこり微笑んだウィリアムが、ネアをヨシュアに預けてどこかに捨ててくるようだが、一応は雪の系譜の魔物なので後々にニエークの負担が増えそうな気がする。




「…………困ったものだわ。求愛の礼儀すらないだなんて、あの若者は見込みすらないわね」



そう呟いたハザーナにネアも頷き、慣れない感覚に少しだけそわそわと爪先を踏み替える。

せっかくドレスを着て舞踏会に来ているのだから、勿論、魅力的な女性だと思って貰えるのは吝かではない。


だが、今後そこから霙の魔物は除外していただきたい次第である。



暫くすると、青色のドレスを着た女性がやって来て、何やらディートリンデに話をしている。

雪の妖精王の眉が微かに寄せられたところを見ると、ディートリンデの手を借りる必要がある何かが起こったのかもしれない。


申し訳なさそうにこちらを見たディートリンデに、その言葉を察したネアは凛々しく頷き、ヨシュアの手をさっと掴んだ。



「すまないな、ネア。俺とハザーナはそろそろ行かなければいけないが、………二人で大丈夫か?」

「はい。この通り、ヨシュアさんが逃げないようにしっかり捕まえていますので、どうぞこの素敵な舞踏会の運営を優先させて下さい」

「ほぇ、どうして僕が君の面倒を見なければいけないんだい?」

「あら、私が後でイーザさんに、ヨシュアさんはとても頼りになったのですよと言えば、きっとイーザさんは褒めてくれるのではないでしょうか?」

「それならば構わないよ。僕は偉大だからね」



狡猾な人間に言い包められてしまった雲の魔物を、ディートリンデは困惑したように見ていたが、ネアがもう一度きりりと頷けば、ほっとしたように頷き返してくれた。



例えばここで人間ならば、ハザーナが残ってウィリアムが帰ってくるまで傍にいてくれたりもするのだが、そこは人外者なのでさらりと立ち去ってしまう。


ネアも、人外者がそこまでを差し出すのは自分の領域のものばかりだと知っているので、心細いと思うようなこともなかった。




(ヨシュアさんがいてくれて良かったな……………)



ウィリアムは、思っていたよりも霙の魔物の対応に手間取っているようだ。


何か困ったことになっていなければいいなと思い、ネアは、華奢なグラスに入った美味しい帆立と冬野菜のムース仕立てのカラスミ乗せをスプーンでいただきながら階下を覗いてみた。


すると、会場の端っこで床にへばりついて泣いている薄緑色の髪の男性と、そんな男性を引き摺って会場の外に放り出そうとしている終焉の魔物が見えたような気がしたが、ネアはさっと視線をお料理のテーブルに戻して何も見なかったことにした。


先程の男性が新代の霙の魔物だということは、ネアが以前に出会った霙の魔物はもういないのだろう。


しかし、どのような経緯で代替わりになったにせよ、以前のままのほうがまだ良かったのではと思えてならない。



「ふぇ、アルテアだ」

「まぁ、アルテアさんです?そう言えば今日は、まだお見掛けしていませんでした」



階下での騒ぎはなかったことにしたネアは、ヨシュアの声に振り向き、こちらの会場に上がって来る階段の方を見る。

するとそこには、珍しいというか意外というか、朗らかに会話を楽しむ二組の男女の姿があった。


こちらに気付いてゆっくりと眉を持ち上げた選択の魔物は、ウィリアムと同じ白一色を基調とした装いだ。


華やかな盛装姿は、僅かに青灰色がかった白に淡い青灰色の織り模様のある美しい生地で鮮やかにまとめられており、クラヴァット留めのブローチなどの装飾品がない代わりに、胸ポケットに深みのあるえもいわれぬ色合いの赤紫色の宝石の薔薇を挿している。


その胸元の薔薇は、薔薇の祝祭でアルテアに貰った薔薇をどこか彷彿とさせるものだ。



一緒にいる女性は、腰下までの絹糸のような紫紺の髪を結い上げた美女で、ともすれば妖艶な印象にもなりかねない女性らしい美貌を、どこか生真面目な表情が理知的に見せている。


言葉を交わす様子から、なかなか親し気だぞと感じたネアは僅かな期待に目を熱くした。



(……………おや、)



しかし、未来のお友達候補よりも、ネアが気になったのは一緒にいる男女の顔ぶれだった。

女性については見知らぬ人物なのは勿論なのだが、男性はどう見ても先日出会ったばかりの剣の魔物ではないか。


珍しく積極的に誰かと親交を深めているアルテアを見ただけでなく、相手が相手とあってネアは困惑してしまう。



(でも、オフェトリウスさんがいるからには、取り敢えずかかわらないようにしよう……………)



ネアの立場としては、使い魔がお世話になっておりますと挨拶でもするべきなのかもしれないが、利己的な人間はそんな一団には近寄らないことにした。


アルテアの同伴者はかなり気になるのだが、もし二人の付き合いが今後も続くのであれば、また顔を合わせる機会はあるだろう。

その時に友達になって下さいと言えばいいのだ。



しかし、そんなネアの決意も虚しく、こちらに気付いたアルテアは、せっかくそちらだけで和やかに盛り上がっていた輪を離れてこちらにやって来る。



「おい、ウィリアムはどうした?」

「むぐ。困った魔物さんをどこかに捨てに行ってくれております」

「ほお、また事故ったんだな?」

「なぜこちらを見るのだ。事故を起こしたのは、霙な魔物さんなのだ」

「ウィリアムは、ネアに求婚した霙を捨てに行ったんだよ。でもここには、偉大な僕がいるから問題ないよね」

「…………増やすなと言っただろうが」

「ぐぬぬ。増やしてなどおらぬのだ。一方的に付け狙われただけです」

「おい、ヨシュアの影から出て来い…………」

「むぐぅ。そちらにお会いしたくない方がいるのです」

「オフェトリウスなら、防壁がある。こっちには来ないだろう」



アルテアの言うような防壁があるようには見えなかったが、ここでネアが渋々ヨシュアの影から顔を出すと、アルテアは無言で眉を持ち上げた。




「……………そのドレスはウィリアムか。髪はどうした?」

「ウィリアムさんがやってくれました!とてもお気に入りなんですよ」

「……………くそ、あいつも本腰を入れ始めたな」

「なぜむしゃくしゃしているのか謎めいています。……………ぎゅむ」


ネアが、こちらの使い魔も褒めてくれて構わないのだとドレスの裾をひらひらさせると、アルテアは赤紫色の瞳を眇めて妙に仄暗い微笑みを深める。



「なんだ、褒めて欲しいのか?」



そう問いかける声ははっとするほどに蠱惑的だったが、ネアはそんな選択の魔物の背後を気にしていた。


「……………我々は、今日は他人です。さようなら、通りすがりのどなたかよ」

「……………は?」



ネアは素早くヨシュアの影に避難し、お料理目当てである以上は仕方のない事だが、こちらにやって来たオフェトリウス達の目に入らないよう工夫する。


幸い、前回の邂逅時にはアルテアがちびふわ姿であった。

ネアとしてはここで、知り合い繋がりがあったのかと会話の輪に引き込まれては堪らないのである。



「……………おや、君もここに来ていたのか。………ヨシュアと?」



しかし、運命とは時として無情なものだ。

ネアは、みんな大好きパイシチューを取るために屈んだヨシュアのせいであっさりオフェトリウスに発見されてしまい、世を儚む隠者の眼差しになった。

残念ながら、他人の筈のアルテアもまだ隣に立っている。


「俺とだ。……………すまない、待たせたな」

「ウィリアムさん!」

「思ったより、往生際が悪かった」

「おい、まさか下で泣き叫んでいたあいつじゃないだろうな……………」

「我々は一時的な他人ですので、黙秘権を行使しま………むぐ?!頬っぺたをつまむなど許すまじ」

「アルテア、彼女は俺の同伴者なので手を出さないで貰えますか?ネア、知らない相手に急に触られて怖かったな」

「ぎゅむる。今日の私には不都合な知人などいない筈なので、お料理の楽園に戻りますね……………」



ネアはウィリアムに救出して貰い、ささっと避難した。

折角、事前に察知した危険を回避しようとしたのだが、この先はもう、ウィリアムの防衛力に縋るしかなくなってしまったではないか。


ぐるると周囲を威嚇しつつ、ずっと手放さずにいたお皿の上に、皮目がこんがり飴色になった丸鶏の香草焼きや、円形のパイの中に入った素敵なブラウンシチューなどを乗せて、この盛り合わせはなかなかだぞと心の中で自画自賛する。

丸鶏の香草焼きには可愛らしい赤い実が添えられていて、ぷちりと甘酸っぱい実が味のアクセントになるのだ。

イブメリアの朝のような色どりのお皿と向き合っていたネアは、すっと落ちた影にぎりぎりと眉を寄せる。


飾り木の真下であるこの層は階下よりは明るいものの、こうして直接明かりを遮られてしまうとお皿の上が暗くなってしまう。

ましてや、飾り木からきらきらと落ちる祝福の光を切り分けた鶏肉に乗せようとしていたネアからしてみれば、その影の主は美味しい食卓の敵に他ならなかった。


「群れにお戻り下さい…………」

「ほお、雪研ぎの精霊への対処は、自分で出来るんだろうな?」

「……………なぬ。新しい登場人物です。……………というか、人型ですらない」



アルテアの視線を辿り足元を見たネアは、とげとげした氷の塊のような不思議な生き物にじっと見上げられていることに気付いた。

ネアの思う氷竜の質感に近かったが、残念ながらこの大きさではただの雪混じりの氷の塊だ。

つぶらな目をきらきらさせてこちらを見ているが、差し出されているものは何だろう。



「ウィリアムさん、こやつは何を差し出しているのでしょう?」

「自分の角だろうな。求婚に使うと聞いたことがある。………ネアが断ると危ないかもしれないから、俺に任せてくれるか?」

「むぐ。精霊さんですものね……………」


雪研ぎの精霊については、立ち位置を変えてくれたウィリアムが見下ろして威嚇し、魔物の伴侶なのだと告げて丁寧にお断りしてくれた。

幸い、だいぶ階位が違うのと雪研ぎの精霊は終焉の系譜でもあるそうで、今回は円満にお引き取りいただくことが出来た。



「成程、ネアは冬の系譜から好かれやすいのか」


しかし、そう呟き微笑んだ剣の魔物は、残念ながらまだ近くに残っているようだ。

ネアは、いつの間にか勝手に名前を呼びだしたこの魔物についても、一刻も早くお皿の上のジャガイモと鮭のミルフィーユ状になったグラタンを食べ終えてしまうべしという呪いをかけるべく、心の中で強く強く念じたのだった。









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