106. 冬告げの舞踏会で威嚇します
その日のウィームは、朝から雪が降り続けていた。
今年初めての本格的な雪を窓から眺めては、ネアはうきうきと鏡の中の自分と向き合う。
「これで完成だ。…………どうだ?」
「……………ふぁふ」
鏡越しに目を合わせたウィリアムが、どこか男性的な満足感を浮かべた眼差しで微笑む。
鏡の中のネアは、細やかな白い花と菫によく似た紫の花をふわりと巻いた髪全体に飾り、いつもの舞踏会とはまた違う印象に仕上がっている。
「今年の冬告げの会場は、ダムトクラムだからな。あえて髪は下ろしておいた」
「…………こ、ここの部分をカチューシャのようにして素敵に編み込み、でもとても自然な雰囲気にしつつも、髪の毛全体にお花を飾り込んでくれたのですね……………」
大きな曲線をつけて巻いた髪は裾広がりのシルエットになっているが、編み込んだ部分がカチューシャのように頭頂部をくるりと渡されたことでどこか夏至祭の乙女のような無垢さが出ており、華美になり過ぎないアレンジはまさに絶妙と言えた。
そんな髪全体に花を散らしていると、まるで妖精にでもなった気分で心が弾む。
今年の冬告げのドレスは、髪を結い上げると壮麗な雰囲気にもなるのだが、大人っぽくなり過ぎず、けれども人ならざるもの的なエッセンスが加わる仕上がりに、ネアは大満足で振り返る。
「とてもお綺麗ですよ。妖精の目から見ると、羽の庇護を与えたくなるような装いですね」
「まぁ、ヒルドさんに褒めて貰えたので、すっかり自信をつけてしまいました。………そして、ここに居た筈の私の魔物を知りませんか?」
「おや、ディノ様でしたら、ネイと一緒にカーテンの裏におりますよ」
「なぜそんなところに隠れたのだ………」
優しい目で頷いてくれたヒルドに、ネアはくるりと回ってドレスの全体も見て貰った。
小さな花を丁寧に髪全体に飾っているので、まるで花畑で転がってきたように見えるのかもしれない。
美しく清廉な森と湖のシーから、混じり気のない称賛の眼差しを向けられると、ネアは簡単にいい気分になってしまう。
盛装姿をもっと誉めて欲しい強欲な人間は次なる獲物を探してててっと窓際に走ってゆき、隠れていた魔物達をきゃっと言わせた。
「ディノ、この素敵な髪型を見て下さい!………むふぅ。この雰囲気は大好き過ぎて、私の素敵アレンジの歴史を更新したと言わざるを得ません!!」
「……………虐待」
「ディノ、カーテンの裏から出て来て下さいね。ほら、こうしてくるりと回ってもお花は落ちませんし、髪の毛がくりんと揺れても、飾ったお花の向きがまずい事にはならないのですよ」
「わーお。……………わーお」
「むぐぅ。ノアも見て下さい!このドレスも、とっても繊細な刺繍が素晴らしくて…」
「…………僕、この子をお嫁さんに欲しいんだけど」
「ネイ?」
「ごめんなさい…………」
ノアがヒルドに叱られている内に、ネアは伴侶な魔物の腕を掴んでカーテンの裏から引っ張り出してしまった。
目元を染めておろおろする魔物は、なぜか、いつものようにぺそりと項垂れてしまうことはない。
たいそう恥じらってしまっているが、どこか男性的な眼差しで片手で口元を覆っている。
「……………むぅ」
「………ネア、……………すごく可愛くて綺麗だよ。誰にも見せたくない……………」
「まぁ!今迄にない褒め方をして貰えました。もしかして、ディノもこの髪型が気に入ってくれたのです?」
「……………可愛い。ずるい」
「ふふ、抱き締めて隠してしまおうとしてくれるだなんて、ドレスを着た身としては、最大の賛辞のように感じてしまいますね」
ディノがとても気に入ってくれたので、ネアは、そんな素敵な装いを整えてくれたウィリアムを振り返って、にっこり微笑みかける。
戸口に立って微笑み返してくれたウィリアムの今年の装いは、ひやりとするような美しさが際立つ盛装姿だ。
いつものように軍服めいた盛装姿なのだが、どこか夜会服のように見える優美な装いで、前髪を上げ、王族相当の階位の証である水晶の小枝を編んだような冠を載せている。
実に見立てて飾られた宝石の煌めきはどこか硬質で、実に終焉らしい王冠ではないか。
羽織ったケープの内側は、白灰色を基調にネアのドレスの裾部分と同じラベンダー色の精緻な羽模様があり、表面は毛足の長い白い毛皮と白い羽を組み合わせたような素材になっている。
時折、光の角度できらりと光るので、結晶石も密かに縫い付けられているのかもしれない。
(このケープは、仕立て妖精の女王様の渾身の作品なのだとか……………)
優美な白い獣にも、大きな白い翼を持つ天使のようにも見えるケープは、けれどもそれを羽織るウィリアムと組み合わせると、ああ、これが終焉の魔物なのだと感じさせるのだから不思議だ。
そこから更に、銀水晶とダイヤモンドダストの祝福石を飾った長靴が全体の印象を鋭利に引き締めることで、ウィリアムの人ならざる者らしい美貌を引き立てている。
こんなに美しい魔物と踊れるだけでも、冬告げの舞踏会は楽しみだ。
そう考えたネアが、我慢出来ずにまた頬を緩めていると、ふっと視界が翳った。
横を見ると、なぜか真剣な目をしたノアがこちらを見ている。
「……………む?」
「この髪型が、ネアの雰囲気にぴったりなんだよなぁ。儚げだけど凛としていて、ちょっと秘密めいていて危うくて。……………悔しいけれど、凄く似合うよ」
「ふふ、ノアにも沢山褒めて貰いました。制限なく受け付けておりますので、何度言ってくれてもいいのですよ?」
「それと、寄せた胸の膨らみの下側が少しだけ見えるって、反則だと思う。………男に生まれたからにはさ、勿論、指を差し込みたくなるよね」
「なぬ……………」
「だから、ちょっと触ってもいい…」
「ネイ?」
「ごめんなさい…………」
またしてもヒルドに叱られている義兄に苦笑し、ネアは、ご主人様が可愛いのに出かけると周囲をうろうろしている伴侶な魔物を捕まえると、伸び上がって頭を撫でてやった。
お留守番の魔物の為には焼き菓子を作ってあるし、冬告げの舞踏会から戻ってきたら、リーエンベルクの広間で、このドレスのまま一緒に踊る予定なのだ。
試着の日にも一度踊ったのだが、今日の髪型がとても気に入ったらしいディノの為に、ネアは体力を補う魔術薬を飲むのも辞さない覚悟である。
「ネアが、可愛くてずるい………」
「こんなにディノが喜んでくれるのなら、またいつか、ウィリアムさんにこの髪型にして貰いますね。私もすっかり気に入ってしまいました」
そう話せば、ディノは目元を染めたままこくりと頷いた。
素直に頷いてしまったディノの姿に、ネアは、思わずウィリアムと顔を見合わせて微笑み合ってしまった。
そして、こんな時にウィリアムがほろりと垣間見せる、無防備で幸福そうな微笑みがネアはとても好きなのだ。
この終焉の魔物が、どれだけディノの事を大切に思ってくれているのかを教えて貰えるような気持ちになる。
「このドレスはやはり、ネアに良く似合うな。寒くもないだろう?」
「はい。しっかり素肌を見せるのは胸元だけですし、お袖が手の甲まであるので暖かいです。開いている胸元も、下半分は透けるレースで覆われているので、こちらもこっそり暖かいのですよ」
ネアのドレスの胸元は、コルセット状の立体的な縫製で胸をぐぐっと寄せている代わりに、寄せた胸の谷間よりも下の胸下までもが見えるくらいに深く開いている。
けれども、その胸元に施された刺繍とレースの上品さから、どこか禁欲的な印象すらあるのだから驚きだ。
胸の膨らみの下のラインを僅かに覗かせるあたりには、さり気なくレースが重ねられている。
綺麗に透けているので薄く頼りなくも見えるのだが、実際には、冷気も風も通さない鉄壁の魔術が施された特製のドレス用レースなのだった。
細く詰めたウエスト部分から広がったスカート部分は、裾に施されたラベンダー色の花飾りがえもいわれぬ繊細な美しさを見せてくれており、実は、プリンセスラインに膨らませたスカートの内側には、暖かな毛皮が裏打ちされている部分まである。
(ドレスを着ていて、とっても素敵で嬉しいという他に、何て軽いのだろうだとか、とても動きやすいと思う事はあるけれど、こんな風に、着ていて気持ちいいと思うのは初めてだわ……………)
上半身の縫製がしっかりと体を包むことで、背筋や腰回りの歪みまでを自然に治してくれそうな気がする。
それなのに締め付けが苦しいという箇所はなく、スカートの内側の毛皮の部分がストッキングのようなもので包まれた太腿に触れると、なんともぬくぬくで心地良い。
これまた羽のように軽い灰紫色の靴には、素晴らしい夜の祝福石や真珠が、上品さから逸脱しない範囲でふんだんに飾られており、踊ってスカートが揺れるとその煌めきが覗くようになっていた。
伸ばされたウィリアムの手に、指先を預ける。
今回の冬告げの舞踏会でのウィリアムの手袋は、甲の部分が浅めになった、装飾的なデザインのものだ。
「それなら良かった。今回の会場は、最も深い冬の夜の森だからな」
「確か、とても珍しい場所で、会場が暗めになるので飾り木がいっそうにきらきら光るのですよね?」
「ああ。ネアは好きだと思うぞ」
「……………ふぐ。期待のあまり、はぁはぁしてきました」
「え、そのドレスで弾むと胸が溢れそうで、眼福過ぎるんだけど…………!」
「ネイ。言葉を謹んで下さい……………」
なぜかここでノアがとてもはしゃいでしまい、ヒルドは、遠い目をして額を押さえている。
ネアとしては、襟ぐり部分は胸にぴったり吸い付くような魔術作用のある生地なので、ずばんと開いてしまうことはないのだと遠い目になった。
それどころか、体を捻っても今見えている以上のところが出てしまうことはない。
「ネア、間に合ったか………!」
そこにやって来たのは、ダリルからのシカトラームと封印庫の調査結果報告を受けていたエーダリアだ。
仕事を終わらせるなり慌ててお見送りに来てくれたウィーム領主は、珍しく目を瞠って固まっている。
「……………エーダリア様?」
「………っ、今回の装いは、人外者のようにも見えるのだな。その、……………とてもよく似合っている」
エーダリアは、王都では冷遇されていたとは言え、王子として育てられ、また、今はウィーム領主として社交の場にも出ている。
このような時にそつなく褒める用の賛辞くらい、幾つか用意している筈なのだ。
だが、最近は家族のような関係を深めて来たことで逆に気恥ずかしくなってきたものか、褒めてくれながら少しだけ照れるようになってしまった。
グラストと共に騎士研修でザルツに出ているゼノーシュは、今回のお披露目には不参加だ。
またリャムラみたいだと褒めて貰うチャンスだったので、強欲な人間はその機会を失ったことを少し残念に思っていた。
「それでは、シルハーン。ネアをお借りします」
「ディノ、行ってきますね!」
「……………ずるい」
「ふふ、ディノは、帰ってきたら一緒に踊りましょうね?」
「………可愛い……………」
「僕も!」
「なぬ。義兄の名前がダンスカードに増えました……」
お見送りの家族に手を振り、ウィリアムのエスコートで淡い転移を踏む。
(あ、……………)
転移のその中ではっと目を瞠ったのは、見たこともない青い闇の中を通り過ぎたからだ。
思わずきょろきょろしてしまったネアがその闇の色を掴む前に、周囲を取り囲む空気がふわりと変わった。
「……………まぁ」
そこに広がっていたのは、見たこともない不思議な絶景とも言える舞踏会場であった。
会場を囲んだ深い夜の森は、一瞬全てがホーリートの木に見えてしまったが、よく見ると葉っぱが柊のような形ではなく丸い葉になっている。
とっぷりと暗い夜の中でその赤い実がぼうっと輝き、会場を見下ろすような少し高くなった場所に聳える、巨大な飾り木をくるりと取り囲んでいた。
(今年の会場は、少しだけ高低差があるのだわ)
広大なバルコニーのような形の会場が、二層、棚田のように重なっているのだと言えばいいのだろうか。
主会場は周囲を森に囲まれているものの、一箇所だけが開けていて、そこから、どこまでも続く雪化粧の森を眺められるようになっている。
一層上の会場には、階段を上がって向かうようだ。
そこに立てられた飾り木は、せり出した枝が天蓋のように主会場にかかっていて、沢山の素晴らしいオーナメントが揺れていた。
はらはらと雪が降り続けているが、会場の上でしゅわんと光って消えてゆく。
飾り木から吊り下げられた幾つものシャンデリアが大ぶりなオーナメントのようだが、それが、主会場の照明にもなっているようだ。
「……………ほわ。リーエンベルクが覆われてしまいそうなくらいの、見たことのない大きさの飾り木です…………」
「最古の木の一つだろう。この会場は、冬告げでも百年に一度しか使われないんだ。今年は当たりだったな。周囲の木々はホーリートに育つには数が多すぎて祝福が足りていないが、魔術的には同種の木にあたるものだ。ホーリーテと呼ばれる事が多い」
「丸っこくて小さな葉っぱが可愛いですね!ぐぐっと暗い会場にこの木の実があちこちで光っていて、なんとも言えない幻想的な雰囲気になっています……………」
「この通り会場はだいぶ暗いんだ。冬の系譜はあまり強い光を好まないものが多いから、この会場こそが冬告げだと言う者も多い。はぐれないようにな」
「……………ディートリンデさん達も来ているでしょうか?」
ネアがわくわくとそう尋ねれば、ウィリアムがおやっと眉を持ち上げた。
どこか男性的な色香のある仕草に、ネアは髪の毛を揺らしてみせる。
「ディノにも好評なこの素敵な髪形を、ここぞとばかりに自慢する予定なのですよ」
「それは鼻が高いな。だが、まず先にグレアムのようだ」
「まぁ、グレアムさんです!」
今年の冬告げの舞踏会で最初に出会ったのは、蕩けるようなクリームイエローの髪を持つ美しい女性を伴った犠牲の魔物であった。
フロックコートはほんわりと毛先の白い極上の艶をもつ毛皮で、クラヴァットには冬の日の夜明けのような素晴らしい灰色の宝石が飾られている。
夢見るような瞳の美しさとその宝石の美しさで、この暗い夜の会場でも明るい光を纏うお客の一人だ。
「やぁ、ウィリアム。ネア、彼女はダイヤモンドダストのシーの一人なんだ。ハザーナの末の妹にあたる」
「まぁ、ハザーナさんは大好きな妖精さんですので、お会い出来て嬉しいです。何て綺麗な色の髪と瞳の方なのかと、ついついじっと見てしまいました」
「あらいやだ。こんなお婆ちゃんになってから、可愛い人間の女の子に目をきらきらさせて褒めて貰えるとは思わなかったわ。有難う、お嬢さん。あなたも、イブメリアの夜明けの空のようでとても繊細で可憐ですよ」
「有難うございます。ウィリアムさん、褒めて貰いました」
ネアがそう報告すれば、ウィリアムも微笑んで頷いてくれる。
ハザーナの妹である女性は、ミファーナという名前の、真昼のダイヤモンドダストを司るシーであるらしい。
夫である妖精は階位が低く冬告げの舞踏会には出られないので、参加するのは五年に一度と決めているのだそうだ。
ウィリアムとは初めて顔を合わせるようだが、からからと明るく笑って挨拶をしている姿に、ネアまでもがほっこりしてしまう。
ハザーナは静かな夜のような穏やかさがあるが、ミファーナには昼の系譜特有の弾けるような朗らかさも感じられた。
(それに、お婆ちゃんと仰っているけれど、とても魅力的な女性だわ…………)
銀白の髪で老婦人といった雰囲気のハザーナよりも、ミファーナは幾分か若く見える。
外見的な年齢としては、笑っている時などはハザーナの娘に見えないこともないくらいなので、もしかしたら年の離れた姉妹なのかもしれない。
「そう言えばオフェトリウスに会ったんだが、彼が存命だと思わなくて驚いた」
「ああ、……先代のことであれば、あの時に崩壊したのはオフェトリウスより高齢の剣の魔物だ。皆、アルトリウスが存命だとは思わなかったんだろう」
それは、先代の犠牲の魔物の悲劇的な最期に触れる話だ。
ネアは、こんなにあっさりと尋ねてしまうのだなと驚いたが、グレアムにも躊躇う様子はないので、そのあたりの線引きは古い友人同士である二人の間で理解し合えているのだろう。
ミファーナもいるので先代のという表現にしているものの、実際にその剣の魔物を崩壊させたのはグレアムなのだ。
「アルトリウスだったのか………。驚いたな。もっと前に代替わりしていたと思っていた」
「君のいた戦場には出てこなかったのか?彼は、歴代の剣の魔物の中でも、好戦的な方だった筈だが」
「どこかにいたとしても、誰かの臣下として姿を隠していたんだろう。主人を得ている時の剣の魔物は、俺が思っていたよりも見付け難かったようだ」
「オフェトリウスなら、先程向こうで見かけたな。ジョーイと話をしていたようだが、探してみるか?」
「ぐるる……………」
思わずネアが小さく唸れば、ミファーナがまぁと呟きくすりと笑う。
まるで孫にでもして貰ったかのような温かな笑顔に、すっかり甘えた気分になったネアは、その魔物は好まないのだと眉を下げてみせた。
「ネアは、あまり相性が良くないのか?彼は紳士だった筈だが…………」
不思議そうに首を傾げたグレアムに、ネアはぶんぶんと首を横に振る。
「はは、ネアには嫌われたみたいだな」
ウィリアムがそう笑えば、グレアムも頷いた。
「……………それなら、シルハーンとしては安心かもしれないな」
「俺も含めて、少し安堵している。オフェトリウスは特に人間への影響力が強い。葡萄の系譜や赤羽の妖精とは違うが、彼の信奉者は多いからな………」
「オフェトリウス様であれば、私の若い頃には、すぐ上の姉も熱を上げていましたよ。貴公子然とした優雅な所作に、武人としての才能もある方で、年頃の女の子達の理想の男性という感じでしたもの。高位の方は様々ですが、比較的育ちの良いお嬢さんが夢中になる男性という感じでしたかねぇ」
そう言われても、第一印象がさようならなネアは、ぎりぎりと眉を寄せるばかりであった。
そんなネアの様子を見たウィリアムが、小さく苦笑して指の背で頬を撫でてくれる。
これは、花を飾った髪を崩さないように頭を撫でる代わりなのだろうが、見ていたミファーナがあらあらまぁまぁと微笑んだ。
ざわりと揺れたのは、他の参加者達もだろうか。
よく見れば、王族相当の魔物の訪れに、舞踏会場の入り口付近には終焉の魔物を一目見ようと様々な人外者達が集まっていた。
ウィリアムが顔を上げてそちらを見れば、一斉にお辞儀をする。
(やっぱり、ウィリアムさんは人気なのだわ……………)
中には、ウィリアムがエスコートしているネアを見て、悔し気に顔を歪めている美しい女性もいる。
同伴者の男性が穏やかに窘めているが、それでもこちらから目を離せずにいるようだ。
会場の奥からは楽団による音楽が奏でられ始めており、ここでグレアム達とは別れ、ネア達はダンスの輪に加わることにした。
見回したところ、近くには食べ物のテーブルがないようなので、今年の冬告げはまずはダンスを優先することになったのだ。
会場の中央に辿り着くまでにも様々な人達に話しかけられ、ネアは昨年の冬告げよりも声をかけてくる人が多いことを不思議に思った。
ひと通りのお客達を抜けると、その間、ネアをぴったりと抱き寄せて守ってくれていたウィリアムは淡く苦笑する。
「すまないな、疲れただろう。ダンスを踊るまでに、まさかここまで時間がかかるとは思わなかった」
「今年は、皆さん積極的なのですね……………」
「と言うより、今年のネアが人外者に見えるからかもしれないな。ネアやシルハーンには喜んで貰えたが、まさかこんな弊害があるとは思わなかった」
「むむ、そうなのです?」
「……………俺達のような階位で人間の同伴者を連れている場合は、獲物か伴侶候補であることが多い。そのどちらでも、不用意に顔合わせをしてしまうと、こちらの事情に障ることがあるからな。俺達の関係を知らず、その危険を慮れる者は遠慮していたのだろう」
それだったのかと頷いたネアは、自然に手を持ち上げられて目を瞠った。
正面に立ったウィリアムは白金色の瞳を細めて深く微笑むと、まるでネアにダンスの相手を請うような恭しいお辞儀をしてくれる。
「ネア、俺と踊ってくれるか?」
「はい。こちらこそ宜しくお願いします」
恐らくウィリアムは、今日のネアの装いに合わせて言葉遊びをしただけなのだが、周囲にいた男女が呆然とこちらを見ているので、少し驚かせてしまったようだ。
ネアの手を取ったウィリアムは、まず指先に口付けを落とし、ダンスの始まりのホールドを取る。
この上なく大事にされているような擽ったさに微笑んだネアは、夜闇の艶やかさに紛れるような漆黒の燕尾服姿の楽団員達が、終焉の魔物の準備が整うのを待っていたことに気付いた。
(そうか。冬の系譜ではないけれど、ウィリアムさんのダンスで始めてくれようとしているのだわ………)
そのようなところでも、やはり王族相当の魔物は特等の扱いなのだろう。
指揮者がタクトを構え滑るように動かせば、心を震わせるようなワルツが奏でられ始めた。
大胆過ぎず、感情を動かし過ぎない軽やかで優雅なワルツに、ネアはうっとりと身を任せる。
最初のステップで踏んだ床をあらためて見れば、上質な夜結晶か、ネアが見たこともないような紫紺の結晶石を敷いてあるようだ。
正方形に切り出した石タイルの目地を埋めてあるのは、とろりとした濃密な漆黒の何かに見える。
まるでひたひたと湛えられた夜色の水のようにも見えるが、足元が濡れる気配はない。
しっかりと腰に手を回され、くるりとターンをする。
ふわっと体が浮くようなターンに唇の端を持ち上げれば、こちらを見たウィリアムもにっこりと微笑んでくれた。
時折、夜の色をした温度のない霧のようなものの中を抜けるが、そうすると瞳に映るシャンデリアの光にぼんやりと丸い光の暈がかかり、目に映る色彩が滲むのが面白い。
共にステップを踏み、体を捻る。
スカートの裾が大きく膨らみ、ターンでウィリアムのケープが広がる様は圧巻だった。
(ダンスを踊っている他の人達は、近付けば見えるのだけれど、少し遠ざかると途端に輪郭が曖昧になる……………)
まるで夜の向こう側にいるみたいだと思えば、この贅沢な場所で、二人きりで踊っているように感じる瞬間もあった。
はらはらと天上から舞い落ちる雪はこちらまで落ちてくることはないが、それでも花びらが舞うように夜空を美しく彩っている。
「料理のテーブルは、上の層みたいだな。ダンスが落ち着いたらそちらを見に行こう。飾り木を真下から見上げられるぞ」
「見上げていて気付いたのですが、この大きな飾り木は、枝葉の先の方まで結晶化しているのですね。枝にかけたシャンデリアの光を反射して、ちかりと光るのがとっても綺麗で見惚れてしまいます」
「この辺りは、昔から祝福が豊かな土地なんだ。ただし、冬以外の季節は存在してないと言われている」
そう教えてくれたウィリアムに、ネアは目を丸くした。
存在していないというのはどういう意味だろう。
「他の季節の間、ここはどうなっているのでしょう?」
「何てことはない、山の斜面があるだけだな。季節の祝福で派生する魔術的な特異点に近いが、一応は、見えている景色の内側にはいつも存在しているらしい」
その土地には古くから、冬の夜にだけ現れる不思議な大きな木と、ホーリートによく似た木の立ち並ぶ豊かな森があると言われていた。
その森に迷い込むと大きな財産を得るだとか、二度と戻れず恐ろしい目に遭うと言われているそうだ。
(……………何て不思議な場所なのだろう!)
黒い霧に見えるものは、凝った土地の魔術の祝福なのだそうだ。
夜の系譜にとっては階位を上げることすら叶うものなのだそうで、先程のミファーナは御夫君の為に小瓶に入れて持ち帰るのだとか。
「…………ウィリアムさん、先程のミファーナさんは、妖精さんの羽がなかったのですが、魔術で見えなくしていたりするのですか?」
「いや、あの気配だと、羽は取ってしまったのだろう。自分の階位を著しく落とすが、妖精ではごく稀に、伴侶や子供を延命させる為に自分で羽を取り、生き長らえさせる為に伴侶に与える者もいる。彼女の場合は、家族に使ったのだろうな」
「もしかして、ご主人にでしょうか?」
「冬告げに同伴出来ない夜の系譜となると、夜羊や夜狼かもしれない。そうかもしれないな」
ステップを踏んでウィリアムから離れ、預けた手を支点にお互いの位置を入れ替える。
腰に手を回してふわっと抱き上げられ、そのまターンをすれば、くらりと揺れた夜の艶やかさと静謐さのあまりの美しさに、ネアは胸がいっぱいになった。
降りしきる雪が、夜闇の中で輝くヴェールのようだ。
飾り木に吊るされた色取り取りの天鵞絨を剥ぎ合わせたオーナメントには、細やかなビーズ刺繍があって、尾っぽのようなタッセルがしゃらんと下がっている。
「……………ネア」
低く甘い声で名前を呼んだウィリアムが、ふっと体を屈めたのは、何曲目のダンスを終えてからだろう。
頬に落とされた口付けに微笑んだネアと目を合わせると、ウィリアムは片手をネアの頬に当てて顔を傾けさせると、晒された首筋にも口付けを一つ落とした。
この位置への口付はどんな祝福だったのだろうと首を傾げているネアに、美しい魔物が微笑みを深める。
「今年は、君にも話しかける者達が多い。虫除けをしておかないとな」
「………まぁ、虫除けの祝福があるのですね!ふふ、ウィリアムさんから、とても素敵な祝福を貰ってしまいました」
「そうか。ネアは虫があまり得意ではなかったからな。またいつでも頼んでくれ」
「とても得意ではありません……………」
ネアとて、苦味も解する大人の女である。
昆虫類がとても苦手なだけでなく、好意的な者達が多いからこそ、冬告げの舞踏会がとても危険な場所だということは理解しているのだ。
その言葉に凛々しく頷いたネアは、ひとまずのダンスを終え、飲み物を持った給仕を見付けて声をかけてくれているウィリアムの隣で、はっと息を飲んだ。
一昨年、ウィリアムが相手ならいけると呟いた青年の姿を、人影の向こうに見たような気がしたのだ。
ネアは、慌てて虫除けの祝福を貰えたばかりの首筋を押さえ、ぐるると唸り声を上げた。
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