105. みんなが怒ります(本編)
ネアはごく一般的な人間であり、か弱き淑女である。
しかしながら、善良な乙女にも荒ぶる事はあり、今回はまさにその対象であった。
(何しろ、今回の襲撃者は、ウィームの人達を文字通り餌にしようとしたのだ)
ネア達がアクテーから戻ったその日、ウィーム中央は武器狩りを利用した国崩しと思われる襲撃を受けた。
現在、沈黙させられた武器の数は二十六、捕縛者は七名に及ぶ。
今回の事件で稼働した武器の中には、最上位の白銀の座に位置するものが一点、次点のものが二点とかなり階位の高い武器が使われたことから、これが総力戦だったことも伺い知れた。
「……………ふむ。沈黙しました」
「ネア、……………沈黙したのではない。滅びたのだ」
そして現在、ネアはリーエンベルクの敷地内へ攻撃を果たした敵を見事に打ち滅ぼしていたところだった。
ネアの手には、きりんの剣が握られており、魔物達はへなへなになって隅っこに隠れてしまっている。
なお、きりんの剣というのは、その辺にあった適当な木の棒に、きりん手袋を上にかぶせ、きりん模様の紙テープを巻き付けただけの自作の武器であった。
遠目には、棒状のきりんを握り締めて振り回しているように見えるのだろう。
残念ながら俄か仕込みの武器なのでまだ鞘の備えはなく、ネアは羽織った上着の中に隠し持っていたのだ。
「ネア、ノアベルトが危ない。しまってくれるか?」
「……………む。偉大過ぎるのも考え物ですね。はい。これで大丈夫ですよ」
「……………わーお。僕も消し飛ぶかと思ったぞ……………」
きりん剣を避けつつ門の外の確認に出てくれていたウィリアムからの申し出を受け、ネアは慌ててきりん剣をコートの中に隠した。
すると、物陰に隠れていた魔物達がわらわら出てくる。
ここは、リーエンベルクの内部とは言え、門に最も近い位置にある外回廊で、夜の入りまで続いたカルウィの第九王子主導の襲撃はひと段落着いた筈だったのだが、まだ残党がいたらしい。
先程、厄介な呪いを付与された負傷者が運び込まれ、ネア達は対応を余儀なくされた。
負傷者のいる騎士棟に向かう外回廊を歩いていたところで、エーダリアが敷地外からの弓矢で攻撃を受け、怒ったネアがきりん棒を翳して殲滅したのであった。
「……………凄いな。武器も砂になるとは思わなかった…………」
ウィリアムが確認して来てくれた襲撃者は、さらさらと砂になってしまっていたらしい。
次射の為にこちらを見ていた時にきりん剣が取り出されたので、しっかり見てしまったのが死因だろうと伝えられると、ディノとノアはもう一度震えてしまう。
このきりん剣は、まったく魔術添付のない武器なので、視覚的な対抗魔術を警戒している襲撃者にも警戒されないというのが最大の利点であった。
(これが、接近戦の攻撃だと近付き過ぎていて難しかったから、弓矢での狙撃で良かったのかもれしれない……………)
他にも潜んではいまいかと鋭い目で周囲を見回すネアに、近くの茂みにいた妖精達が慌てて奥に逃げてゆく。
しかし、決して無差別に襲う訳ではないので、どうか怖がらないで欲しい。
「ネア、……………そのだな。リーエンベルク内部には力の弱い妖精達もいる。出来るだけ、刺激の強い武器は避けてくれ」
「ふぁい。エーダリア様に矢が刺さりそうになり、我を忘れて滅ぼしてしまいました。……………きりんさんで滅びたということは、この方は人外者さんなのですね」
「一瞬だけ見たけど、妖精だったんじゃないかなぁ。でもほら、もう砂だからさ」
「むぅ。……………少しだけ残るようにしないと、尋問が出来ません。次は、ちょっと死にかけるくらいの武器の開発を目指しますね」
「僕の妹が、どんどん攻撃的になっていくなぁ……………」
「ご主人様……………」
怯える魔物達に悲しい目で見られつつ、ネアは残忍過ぎる己の行いを少しだけ恥じた。
しかし、恥じるのはあくまでも情報を残せない事であって、家族を狙った敵を滅ぼしたことは後悔していない。
(……………エーダリア様に、矢が当たるかと思ったのだ……………)
武器狩りがよほど怖かったのか外回廊に逃げ込んできて震える小さな毛玉妖精を見付けてしまい、エーダリアが、ノアの影から顔を出してしまった瞬間だった。
いきなりぎゅんと飛んできた矢が、外回廊を外れ花壇の土に突き刺さり、ネアは、弾け飛んだ土片を見て心臓が止まりそうになってしまった。
勿論魔物達は刺客の気配に気付いていて、エーダリアにその矢が当たることはなかったそうなのだが、騎士達による捜索を退け、リーエンベルクのすぐ近くに潜んでいただけでもかなりのものではないか。
恐らくは襲撃者の中の誰かの代理妖精だったのではと思われるが、残念ながら証拠はない。
ウィリアムが回収してきてくれた少しの砂ばかりが、襲撃者の残骸の全てだった。
なお、エーダリアが立ち止まるきっかけになった毛玉妖精は、襲撃で放たれた矢に驚いて中庭の方に一目散に逃げていってしまっているので、もっと恐ろしい目に遭う事は避けられていた。
「……………後で、ヒルドにその砂を見て貰おうか」
「砂を……………かい?」
「うん。ヒルドは、妖精種の中でも上位妖精に属するからね。もしかすると、何かわかるかもしれないよ」
「むぐ。たいへん反省しております……………」
くすんと項垂れたネアに、苦笑したウィリアムが頭を撫でてくれた。
帽子は被っていないものの、終焉らしい軍服が夜闇の中で白く浮かび上がるようだ。
(これだけの接近を許したとなると、少し不安だけれど……………)
ディノ曰く、かなりの分厚い守護を誇るリーエンベルクなので、襲撃をしかけた妖精の位置からは、人型の影だけが見えており、エーダリアの姿までは捕捉出来なかっただろうということだった。
ネアも知らない不思議な魔術の守護において、リーエンベルク内部の者達の姿というのは、外周の壁の向こうからでは正確に捕捉されないようになっているのだそうだ。
勿論例外はあり、正門に面する外客棟の付近や門付近、また、何某かの式典などにおいて、内部の権限を持つ者が外部に姿を示したいと考えれば、術式を緩める事が出来る。
また、リーエンベルク内部に住む者達は術式の除外がされており、かなり高度な魔術なのは間違いない。
そんな仕掛けの巧さに安堵しつつ、けれどもこの古い術式で守られたリーエンベルクが統一戦争では落とされたのだから、決して油断も出来ないのだ。
「……………だが、このような攻撃があったと思えば、バンルをこちらに運び入れることにせず良かったのだな………」
「確かに、怪我人を運んでいるとなると、騎士達も外部への警戒が緩んだかもしれないね。ポプラの弓に砂食い鳥の風切り羽。彫り込まれていたのは、砂の系譜の魔術かな。あれを防げるとなると、騎士の中でも上位の四人くらいだったと思うよ」
「むぐぐ、許すまじ……………」
また少し荒ぶりかけたネアに慌てたのか、ディノはさっとご主人様を持ち上げてしまい、アルテアに預けられているらしい木苺のギモーブをお口に入れてくれた。
美味しいギモーブをもぐもぐしつつ、ネアは、外回廊から騎士棟に入り、問題の怪我人のいる部屋の扉をくぐる。
最初にむわりと鼻孔に届いたのは、薬草の匂いだった。
とは言え、担架のようなもので寝かされているということはなく、幸いにもバンルは椅子に自力で座っているし、表情もしっかりしている。
ネアは、それを見て少しだけ安堵した。
ただ、右腕部分の服地は血でずっぷりと重たく濡れているし、巻かれていた術式を書き連ねた包帯にも、血が滲んでいる。
「……………エーダリア様?!」
傷の具合について訊かれていたのか、近くにいたエドモンと話をしていたバンルは、エーダリアがこの部屋を訪れたことに驚いたようだ。
おまけにディノとノア、ウィリアムまでもが勢揃いしているので、バンルの、呪いによる傷が暴れた時の為にと部屋に待機している騎士達が、眩しそうに目をしぱしぱしている。
(アルテアさんはもう、統括の魔物として王都を見に行く為に出てしまったけれど、こうして考えるとリーエンベルクの守りは世界最高峰だったのでは………)
「その傷にかけられた呪いは、禁術なのだろう?ネアが術式の引き剥がしが出来なかった場合、私の知っている術式洗浄でどうにかなるかもしれない。……………それでもどうにもならなければ、ウィリアムに一度患部を切って貰う必要がある。痛覚の遮断が出来ない以上、かなりの苦痛を伴うが腕は残せるそうだ。……………すまない、その身を盾にして騎士を救ってくれたのに、万全の治癒を約束は出来ないのだ」
そう告げるエーダリアの声は硬く、表情も青ざめていた。
沈痛な面持ちの領主に対し、リーエンベルクの見習い騎士を守ってその傷を受けたバンルは、からりと穏やかに笑う。
「構いませんよ。自分の住処を守った名誉の負傷だ。それに俺は、元々は竜ですからね。痛みに弱いという事もない」
「バンル……………」
「それにほら、……………ウィーム領民にとって、エーダリア様は大事なウィームの宝のようなものですから、あなたを日々守っている騎士達は、身内みたいなもんですよ」
「わーお。エーダリアは僕の契約相手なんだけど…………」
「魔物は相変わらず狭量だな。そっちは家族、こっちは宝でいいだろうが」
「竜から宝って言われると、ちょっと心配なんだよね。まぁ、君は宝を得たことのある竜だからいいんだけれど、その辺の独り身の竜はちょっと警戒しなきゃだなぁ…………」
「ノア、エーダリア様は竜大好きっ子なので、規制が厳しいとしょんぼりしてしまいますよ?」
「僕の妹は、エーダリア経由で竜を飼おうとしていないかい?」
「……………なんのことやらさっぱりこころあたりがありません」
気安い口調で冗談めかしてはいるものの、ノアが少しだけ魔物らしい部分を見せているのは、エーダリアの竜好きを警戒してのことだろう。
バンルとは何だかんだエーダリア絡みで会う事が多いらしく、気心の知れた違う部署の同僚といった感じの関係だろうか。
本来であれば、ある程度の信頼関係もあるので、ノアが解術出来たのだろうが、今回は呪いの添付に使われた剣がまずかったらしい。
(でも、魔術の属性の相性が悪いといっても、全く歯が立たない訳ではないのだと思う…………)
ただやはり、魔物達にも、どれだけの手を尽くしてでも力を貸す者と、その場でどうにか出来ないのであれば諦める相手がいる。
今回のように、多少の苦痛は伴えども他に解決策があるような場合は、騎士達にまで優しいノアでも動かないのだ。
痛みに強いと話していた通り、バンルは顔色も良く、受け答えにも余裕がある。
元夏闇の竜の王子という異例の経歴を持つバンルは、絶望の魔物にカルザーウィルの呪いの壺に封じられ、そこから自由になる為に、船火の魔物に体を乗り換えた人物だ。
青い瞳はウィームの清廉な湖よりも力強い波のうねる海を想像させるが、ネアにももう、この人はウィームの大切な住人なのだという認識が根付いた。
彼の既に亡き竜の宝は、エーダリアの心にも残る優しい山猫のドロシーである。
バンルの隣の椅子に座り、ノアが包帯で覆われた傷を覗き込み、小さく唸る。
呪いの添付された魔術的な負傷なので、直接傷口を見ずとも分かる事もあるのだろう。
「うん。この封印は上手いね。滲んだ血の色からして、やっぱり炎の系譜なんだろうなぁ。……………あの招かれざる客達の暮らしている土地柄、その系譜の道具が多くなるのは分かるけれど、今回はさ、炎の系譜の武器持ちが多くて凄く不愉快なんだよね……………」
「階位の高い呪いの傷だね。武器そのものの持つ術式ではないから、斬りつけたものを確実に殺す為に、剣に呪いを染み込ませておいたのだろう」
「わーお。こうして見てみると、かなり周到に術式を組んでいるみたいだなぁ。咄嗟にバンルが庇わなければ、その騎士は即死だっただろうね」
「……………ネア、どうにかなりそうだろうか?」
「すっかり不安になってしまったエーダリア様の為にも、悪い傷口などくしゃりとやってみせます!………さて、ちび竜はどこですか?」
バンルの傷口には、黒い呪いの竜が潜り込んで骨を焼いているのだそうだ。
付与されたのは魂から削るような呪いなのだが、階位が高く魂に仇なす呪いであるからこそ、元は高位の竜だったバンルの命を奪うことはなかった。
もしこれが、肉体的な損傷をしかける呪いであれば、船火の魔物の体はそうそう丈夫とは言い難い。
かつての経験を活かした魔術的な知識は膨大であるものの、頑強な竜の肉体を手放してしまっているバンルでは、取り返しのつかない事になったかもしれない。
(勿論、相性のいい攻撃だからこそ、バンルさんは受けたのだろうけれど……………)
バンルもまた、その線引きを見誤るような人物ではない。
守りたい者を持つ彼が、自分より力にならない者を守る為に自分を手放すことはないのだろう。
よく竜は愚かだと言われているが、それでも、愛情の深い彼等だからこそ、自身の欲求を正確に理解し大切なものの為に必要な線引きはしっかりとつけている。
「よし、包帯を取ろうか。術布を外すとかなり痛むだろうけれど、我慢して貰うしかないね」
「ああ。俺もなかなかの年寄りだからな。若い竜どものように怪我に慄いて暴れたりはしないさ」
ネアの見守る先で、僕がやるよと言ったノアが、バンルの腕に巻かれた術式模様の包帯を外す。
すると、先程も感じた熱されたお湯で煮込んだような薬草の匂いがぷんと漂い、同時にぱちぱちという熾火の燃えるような不愉快な音が聞こえてくる。
燃えているのは、バンルの骨なのだ。
その音を拾い胸が悪くなるような思いで唇を噛み締めたネアは、すぐさま伴侶の魔物の腕の中に抱え込まれた。
手当をしたエドモン曰く、傷そのものの治癒は一度済ませているので、ネアが見たら失神してしまうような酷い有様ではないらしい。
深い一筋の傷が残っており、その隙間に黒い竜が潜んでいるのだそうだ。
最後の包帯の層がはらりと落ちると、ネアはそれでも小さく息を詰めてしまう。
確かに傷口は血も洗われすっかり綺麗になっているが、深く切り裂かれた皮膚の無残さに、縫合前の傷口を見ているような背筋の寒さに襲われる。
(……………いた)
そしてそこにいたのは、針金のように細い漆黒の竜だった。
封印の包帯を外されて自由になったものか、傷口の上に張り付き、キシャーと声を上げて鎌首をもたげている。
姿形は蛇寄りで、とは言え光竜や咎竜というよりは森竜のような毛皮寄りの生き物に見えた。
如何せん細すぎて細部が見えないくらいだが、これで、かなり階位の高い呪いなのだ。
「ネア、指輪のある方の手を使うようにね。それと、特別な守護を何層にもかけてあるけれど、相手は疫病の竜を核にして呪いが形を取ったものだ。もし指先に熱さを感じたら、それ以上は触れないようにするんだよ」
「はい。まずは、この生意気な奴めをむんずと……………」
自分を見ている人間が自分を鷲掴みにしようとしていると気付き、黒竜は馬鹿にしたような眼差しでこちらを見た。
しかし、その間にもバンルの骨を焼いているのだと思えば容赦などする筈もなく、ネアは、素早く手を伸ばしてその体をむんずと掴んでしまう。
「ギャルル?!」
「……………ふむ。何ともありません。じたばたされるのでこそばゆいくらいです」
「わーお。躊躇いもなくいったなぁ」
「竜の媚薬は使えそうかい?」
「目をじっと覗き込んで、説得してみますね」
ネアに鷲掴みにされて目を丸くしていた黒竜は、瞳を覗き込まれ、すぐさまふにゃんとなった。
これはいけるぞと考えた人間は、ちょっぴり引っ張って、バンルの体から引き剥がすようにしつつ呪いの竜への説得を開始する。
「竜さん、その方は私のお知り合いなので、傷付けたら許しません」
「ギャオ?!」
「いいですか、すぐさまそこから退去して下さい」
人間はとても身勝手な生き物だ。
説得とは名ばかりの言葉で地を這うような低い声で脅され、すっかり竜の媚薬でへなへなの黒竜は、びゃっと飛び上がった。
ではどこに行けばいいのだろうときょろきょろしていると、ノアがさっと差し出した壺を発見し、これ幸いとしゅばっと飛び込んでしまう。
すかさずノアが蓋をしてしまい、呪いの黒竜が入った壺は見事に封印されたようだ。
「ふむ。私の手にかかれば、こんなものです」
「……………随分とあっさり終わったのだな……………」
「ご主人様……………」
「……………元はとは言え、同じ竜種として複雑な思いだな。……………それも、封印の壺か」
「…………っ、バンル、治療をしよう」
思ってたよりもあっさり呪いの引き剥がしが済んでしまい、全員が暫し呆然としてしまったが、真っ先に我に返ったエーダリアが、バンルの傷付いた腕にリーエンベルク特製の魔物の傷薬をかけている。
こちらも、何しろ万象の魔物謹製なのでじゅわっと傷などなかったことになってしまい、バンルは目を瞬いた。
「……………む」
先程からなぜか、部屋に居る騎士達がネアを拝むような仕草をするのだが、どちらかと言えば今回は、手のひらを守ってくれるディノの指輪と、疫病の系譜に強いウィリアムの守護、そして竜の媚薬というものの効能でしかない。
ネアとしては、本来の自分の才能に起因する狩りの腕を崇めて欲しいところである。
「無事に終わったようだな」
「ウィリアム、ここまで来て貰ったのにすまないな」
「いや、寧ろ初手で済んで良かった。今回は幸運が重なったな」
「ああ。バンルがいなければ、そしてネアがいなければ、こうはならなかった。二人とも、感謝している」
バンルの腕は綺麗につるりとなってしまい、ウィリアムは、出番がなくて良かったよと微笑んでくれる。
封印用の包帯は片付けられ、後日浄化儀式で焚き上げられるのだそうだ。
しかし、せっかく来たのでそのくらいはと思ったものか、ウィリアムが青白い魔術の火でぼうっと燃やしてくれた。
エーダリアが慌ててお礼を言っていたが、これで焚き上げの儀式が不要になるので、武器狩りの影響の残る中その手配が必要なくなるだけでもかなり助かるのだろう。
今度は、死者の王の活躍に目元を染めてわなわな震えて感動している騎士がいるので、こちらはちょっとした終焉の信奉者かもしれない。
系譜や資質の問題もあるが、戦闘に従事するような職業の人間には、終焉の気質に惹かれる者も実は珍しくないのだ。
「……………エーダリア様、バンルの様子は……………おや、もう済んだようですね」
そこに戻ってきたのは、事後処理の為にリーエンベルクを離れていたヒルドだ。
捕縛された襲撃者達の隔離と、封印庫やシカトラームの確認作業に出ており、同行したアメリアは部屋の隅で観衆となりつつあった騎士達に、そろそろ時間だと見回りの交代を促している。
(成る程。この部屋にいた騎士さん達は、休憩時間中だったのだわ……………)
傷口の状態が悪化しバンルが暴れた時のことを考え、敢えて騎士達の休憩室に彼を運び入れたのだろう。
逆に言えば、そうして受け入れる程に、バンルはリーエンベルクにとっても大切な存在なのだ。
霧に濡れた外套を脱いでいるヒルドに、エーダリアが歩み寄る。
「ヒルド、封印庫の方は大丈夫そうだったか?」
「ええ、何の問題もありませんでしたよ。そもそも、あちらの魔術師達はかなりの腕ですからね。シカトラーム襲撃の後、二人ほどの武器持ちが現れたそうですが、すぐに始末してしまったそうですよ」
「……………始末なのだな」
「それと、街の方でも何件か報告を受けてきました。ハーツ氏が五人、フェルフィーズが三人、市場の紅茶屋の奥方が二人、櫛屋の女主人が二人、それ以外にも、十四人の武器持ちが一般領民の手で無力化されています。途中でアクスに標的を変えた者達もいたようですが、そちらも全滅しました」
「そ、そうか。………どれだけの数の武器持ち達がウィームに入り込んだのかという話でもあるが、……………その、街の騎士達でもなく、一般住人達が倒してしまったのだな……………」
少しだけ慄きながらそう答えたエーダリアに、バンルが、皆あなたが好きなんですよと淡く微笑む。
リーエンベルクを標的に据えた計画であったらしく、ウィームの他の土地では武器持ちの組織的な襲撃報告は上がってきていない。
ウィーム中央では今、グラストとゼノーシュを中心に各所の見回りが行われており、街の騎士団の他、街の有志の者達も参加しているようだ。
特に、祝祭の為の品物を扱う商店主達はかなり腹を立てており、インスの実や、祝祭用の花や飾り木に使う木などを侵入者が傷付けたら許さないと、完全に見付け次第跡形もなく滅ぼす気概で出かけていったのだとか。
「ほわ、ウィームの人達はとても頼もしいのですねぇ……………」
「だが、相手は銘のある武器を持ち、戦闘行為に慣れている可能性が高い。あまり無理をしないよう、注意喚起もした方がいいだろう」
「治療をしていただいた事ですし、戻りがてら俺が伝えておきますよ。ギルドからの常駐者である従業員達の事もあるので、商工会議所にも寄りますから」
「すまないが、頼んでもいいだろうか。騎士達も同行させる」
「いえ、ヒルド様のケープを見る限り、外にはエイミンが来ているんでしょう。やれやれ心配症だな」
「彼は、あなたの怪我の状態を案じていましたよ。自分がウィームを離れていた事で、防げなかったものもあったのだろうと」
「あいつは、仮にも精霊王ですよ。こちらばかりにかまけてもいられないでしょうに」
そう苦笑し、ゆっくりと立ち上がって傷のあった手を伸ばすと、完璧に治ったなとバンルは青い瞳を細めて満足げに笑い、ほっとしたように表情を緩めたエーダリアをどこか愛おしげに見つめる。
手袋専門店のオーナーの纏う漆黒の天鵞絨を使った豪奢なフロックコートは、編み上げの黒いブーツによく似合っていた。
船火の魔物は長身で細身、魅力的な容貌だが少々ひ弱という種族的な特徴を持つ魔物なのだが、バンルについては魂からの資質なのか、こんな黒衣の装いを竜のように着こなしてしまう。
深く鮮やかな赤色の髪は、どこか黒衣に深紅の薔薇を思わせる艶やかさだった。
「……………バンル、街はまだ完全に安全だとは言い難い。リーエンベルクの騎士を救ってくれた事には感謝しかないが、私は、お前も失いたくはないのだ。どうか無理はしないでくれ」
「勿体ないお言葉過ぎますよ、エーダリア様。……………ネア様、呪いを引き剥がしていただき、有難うございました」
「ちび竜が、素直な竜さんで良かったです。帰り道にも、どうぞ気を付けて下さいね」
「はは、霧の精霊王がいるんだ。もう、厄介な奴には遭遇もしませんよ」
その後、バンルは門の外で待っていたエイミンハーヌに付き添われて、街に帰っていった。
しかし、エーダリアの会の会長である彼から、大事なウィーム領主を直接狙った不届き者がいると伝えられてしまい、そちらの会の会員達はたいそう猛り狂ったそうだ。
結果として、夜の底のような暗い目をしたエーダリアの支持者達が、物陰や作り付けのあわいなどに侵入者が潜んでいないかを探す姿がリーエンベルクの周囲で数多く見られるようになり、魔物達はまた少しだけ怯えていたようだ。
「ディノ。今日は、怖い武器の投影魔術を防いでくれて、有難うございました」
「君は少し休めたのかい?」
「はい。思っていたよりもぐっすり眠ってしまいましたし、アルテアさんが隣にいてくれたので、とても安心出来ました。……………ディノは、怪我などはしていませんね?もし誰かが、私の大事な魔物を傷付けたのだとしたら、私はそやつをずたぼろにしなければなりません」
「ご主人様……………」
「ま、まさか…………」
「していないよ。ただ、君の気に入っていた冬楓の木の葉が、全部落ちてしまった。紅葉した葉が少しだけ残っていたのを気に入っていたのだろう?」
武器の中でも白銀の座にあたるものの錬成した魔術を造作もなく消し去ったという魔物が、そんなことでしょんぼりしている姿を見るのは、なんだか微笑ましい事のように思えた。
微笑んだネアは、手を伸ばしてよく頑張ってくれた伴侶の頭を丁寧に撫でてやり、期待するような水紺色の瞳のきらきらに負けて、爪先もぎゅっと踏んでやる。
「先程、エーダリア様から正式な終息宣言が出ました。ウィリアムさんは、戦闘が少し長引いたヴェルリアも含め、近隣の国々を見回ってくるそうです。アルテアさんは、お仕事が終わり次第こちらに来て、今夜は泊まってくれるようですよ」
ネアがそう言えば、ディノはひやりとするような美しい微笑みを閃かせた。
真珠色の三つ編みには、先日グレアム経由で内々に入手したばかりのリボンが結ばれていて、ネアは先程、よく頑張りましたのご褒美としてこの新しいリボンを贈呈したばかりである。
「……………今回のことは、恐らくガーウィンも無関係ではないようだ。ウィリアムがナインに調べさせると話していたから、近い内に判明するだろう」
「まぁ。あの方が、ウィームの為に調べてくれるのですね……………」
「ウィームが落ちれば、終焉の系譜にとっても看過できない事態になる。ただ、それを可能とする手段がない以上、ここが落ちるような事はないだろうけれどね」
「……………ヒルドさんが、あのホーリートの木も無事だったと教えてくれたんです。…………これだけの交戦で、まさかの死者なしの報告は勿論嬉しいのですが、そんな事にもほっとしてしまいました」
今回の襲撃に至った政治的な思惑や関係者などは、近く、そのような作業に長けた者達の手で洗い出されて議論のテーブルに乗ってくるだろう。
首謀者であるカルウィの王子を含め、なぜ国同士の取り決めを破る形で彼が動き、そして手を組んだロクマリア域の武器持ち達はどのようにして集められたものか。
カルウィの第一王子とガーウィンの対応など、予め何らかの情報を得ていたらしい者達の動きや、密約の気配などが見え隠れするのが、実に後味の悪い結末となった。
(……………ディノやノアの反応を見る限り、今回のことの顛末には、二人も影でこっそり手を出すのかもしれない……………)
魔物達は狭量だ。
そしてその執着が、時として災厄のような形で世に現れる事もある。
彼らは許さないものは許さないし、その意思を示す為に暗躍もする老獪な人外者達だ。
それは当然の資質なのだから、エーダリアに向かって飛んできた矢を見た瞬間、我を忘れて敵をきりん剣で滅ぼしてしまったネアが、そんな事はしないでと言うつもりはなかった。
「……………ディノ。今回の事で、ディノが必要だと思う何かをしなければいけないのだとしたら、一つだけ約束して下さいね」
「ネア……………」
「ディノは、私の大切な伴侶ですので、怪我をしたり欠けたりすることは絶対になりません。もし、隠れて危ない真似をしたら、繊細な伴侶は簡単に不安になってしまい、家出してしまいますからね?」
そんなことを言われてしまった魔物はぴゃっと飛び上がると、危ない真似はしないとネアをぎゅうぎゅう抱き締めてくれた。
その頃、エーダリアの執務室では、お疲れ様ということで温存しておく筈だったアクテーのバタークッキーをもう一枚食べようとしたエーダリア達が、うっかり全て食べてしまい落ち込むという事件が起きていた。
遅い時間になった簡単な晩餐の席でそれを知り、ネアは、慈悲深い微笑みで使い魔から貰ったクッキーがあるのでと、手元のひと缶を追加補充したのだった。




