104. 届け物は送り返します(本編)
ネアが目を覚ます頃には、リーエンベルクにウィリアムが戻ってきていた。
帽子を取った終焉の魔物は、ヴェルリアはなかなか忙しかったと少しだけ疲れた目をしていたが、幸いにもまだ鳥籠が展開されるという予兆はないらしい。
まだまだ武器狩りが続くと思っていたネアは、慌ててきりりとしたが、なぜかアルテアを捕獲して剣を抜いていたウィリアムから、明日の朝までには終わるだろうと言われて驚いてしまう。
床に落とされたアルテアが手首を押さえているが、まさか斬り落とされたなんてことはないと願いたい。
(と言うより、この二人に何があったのだ……………)
「まぁ。長い場合は十日程続くと言われていたのですが、終わってくれるのです?」
「先程、ガーウィンで、ラマンメディウムの書が発見されたんだ。それを表層から隠してしまえば、武器狩りは継続出来なくなる」
「…………それを聞いて安心しました。まさか、ウィームがこんなに狙われるとも思っていなかったので、私の大事なお家への悪さなど一刻も早く終わって欲しいです………」
「ああ。今回ばかりは、真夜中の座の精霊達に感謝だな」
「ミカさん達が、その……」
「おっと、書の名前を口に出さないようにな。名前を発するだけで軽微な災いがあるんだ」
「むぐ」
それなのにうっかり名前を出してしまったウィリアムはすまないなと苦笑し、ネアの口を塞いだ手を外してくれた。
聞くところによると、現在の真夜中の座の精霊達は、先日の夜会の成功を祝い、王様のお祝い会なる身内の晩餐会を計画中であるらしい。
本来、真夜中の座の精霊は武器狩りを楽しむ側の人外者としても有名だが、今回ばかりはこんな時期に始まるなんてとたいへん煩わしく思っているようで、早々に終わらせてしまう尽力をしてくれたのだそうだ。
第二席の真夜中の座の精霊が発見したその書物は、今夜中にも世界の裏側に捨てられてしまうらしい。
そんな事が出来るのは、あわいの最高位に近しいミカだけなのだとか。
(つまり、ミカさんが武器狩りを終わらせてくれるのだわ……………)
一緒に踊った美しい精霊王と、そんな王様が大好きなようだった真夜中の座の精霊達を思い出し、ネアはほっこりした。
彼等にとっては勿論、武器狩りなんかよりも、大好きな王様のお祝い会の方が大事なのだろう。
「禁忌にかかるような書は、真夜中の座の系譜のものでもあるんだ。スリフェアでも、真夜中の書架には、世界から弾き出された書物が多くあっただろう?」
「確かに夜の系譜の書架には、危険な雰囲気の本が沢山ありましたね。……………一つ気になるのですが、その書をぽいする場所は、安全なところなのですか?」
ネアがそう尋ねると、魔物達は薄く微笑んだ。
「……………当座の間は不可侵にはなるが、来春のスリフェアでは、真夜中の書架あたりに紛れ込んでいるだろうな。ろくでもない奴に買われる前にこちらで買い上げ、また世界の裏側にでも捨てておけばいいだろう」
「……………安全上仕方ないのかもですが、その運用になりますと、今後の維持費を思い悲しくなりますね…………」
武器狩りを引き起こすような書物なのだ。
購入額はかなりの高額だろう。
ザハのランチセット何回分だろうと考えたネアは少しだけ気が遠くなり、けれども、二度とこんな目には遭いたくないので安全を買っていると諦めるしかない。
(その為に必要なら、沢山カワセミを狩ればいいのだわ)
それでも足りなければ、何か珍しい生き物を一体滅ぼしてくればいい。
そう考えたネアは、狩りの女王である事をとても有り難く思った。
窓の外を見れば、いつの間にか夕闇が迫っている。
昼食を食べていないのはなぜだろうと首を傾げ、ネアは、仮眠程度の時間で誰かが起こしてくれる筈だったのではと、反対側に首を傾げ直す。
「……………私のお昼は、どこに行ってしまったのでしょう?」
「あの朝食で充分だろうが。言っておくが、体に残る影響はなくとも、アクテーでのことで体力は削られている。お前は、もう少し眠ってもいいくらいだ」
「も、もう少し眠ったら、せっかくのバタークッキーをおやつにいただく機会を逃してしまうではないですか!…………しかし、ディノはまだ戻っていないようなので、会食堂に回収しに行かなければなりません」
「ネア、シルハーンはノアベルトと一緒に外に出ているみたいだぞ。空腹なら、先に食べていたらどうだ?」
優しく微笑んだウィリアムにそう言われ、ネアは眉を下げた。
このバタークッキーは、共に辛苦を乗り越えてくれた伴侶と食べようと思っていたのだ。
おまけに、ディノが外に出ていると聞けば、俄かに不安になる。
「たいへん魅力的な提案なのですが、一緒に食べようねと買ったものなので、ディノが戻ってきてから食べることにします。ただ、貴重なクッキーだと聞いたので、ウィリアムさんにも食べて貰いたいのです。もし、もうこちらを出られてしまうのであれば、クッキーを包みますね」
「となると、アクテーのクッキーなんだな。だったら、四箱しか買えなかったんだろう?俺に分けると、ネアの分が足りなくなるぞ」
「む、………むぐ。滅多に食べられないものだからこそ、私とディノが足止めされている間リーエンベルクにいてくれたウィリアムさんと、修道院の中では謎の騎士さん役でちょっぴりお疲れなアルテアさんにもお裾分けさせて下さい」
「はは。それなら遠慮なく。鳥籠案件が出るまではここにいるつもりだ。一緒に食べようか」
「はい!……………む?」
「もう十箱買い足しておいてやったぞ。山葡萄味もある」
「……………やまぶど?」
ネアは、幻のバタークッキーが増えたということよりも、十箱も買えたことや、山葡萄味があることに動揺してしまった。
目を瞠りふるふるしていると、一刻も早く渡し給えの合図だと思ったのか、アルテアが大きな紙袋を取り出してくれる。
「……………十箱。私が購入した時に居た修道士さんは、お一人様四缶までだと嘘をつきました……………」
「それ以上は申請書が必要だ。第一騎士団の団長なら、その場で書ける書類だからな」
「ヴァルアラムさんだから、買えたのですね。……………こ、これが山葡萄様!」
目が覚めたのだから、着替えて皆の様子を見に行かなければと思いつつ、ネアはどうしても我慢出来ずに紙袋の中の山葡萄味の箱を見てしまった。
ネアが買った缶の何の装飾もない銀色の素朴さとは違い、箱は可愛らしい星の絵が描かれている。
山葡萄味のものは、そこに限定品のスタンプが押されており、赤いペンで山葡萄と書き添えられてた。
箱を開けるのが忍びなく、外側からくんくんしてみれば、しっかりと葡萄のいい匂いもしており目をきらきらさせてしまう。
「この、箱のクッキーは、私が買いに行ったときには隠れていたのでしょうか……………?」
「箱を指定しなければ、出てこないものだからな。内容量はこちらの方が多いし、限定の味のものも売っている時がある。ただ、日持ちは缶の方が長い」
なお、山葡萄のクッキーは、野生的な葡萄の風味と酸味が強く苦手な人もいるそうなので、今回はひと箱だけにしたのだそうだ。
アルテアには、そちらに行く用事が数ヶ月に一回とは言え定期的にあるようなので、欲しければ買っておいてやると言われ、ネアは小さく弾んでしまう。
「アルテアさん、有難うございます!」
「おい、弾み過ぎだぞ……………」
「これで心置きなく、後程、クッキーパーティーが出来ますね」
すっかりご機嫌になったネアは、短時間着替え記録を更新する華麗な素早さで着替えを済ませ、まずは会食堂に向かうことにした。
ぞんざいな着替えで襟口に巻き込んでいた髪をアルテアに出して貰いながら、ネアはいつもの廊下を少しだけどきどきしながら歩く。
(ウィリアムさんは外から帰ってきたばかりだから、大きな問題が起きているという事はないと思うけれど……………)
だが、ディノとノアが外に出ているとなると、出ておこうと思うだけの問題はあるのだろう。
窓の外を見てみたが、冬の入りで青みの増した美しい針葉樹や、夕闇の青さに禁足地の森の方がぽわりと光るのが見えるくらいであった。
冬が近づいてきたからか、夕闇の色は青さをより鋭くし、夜への切り替えには白みがかったラベンダー色が混ざるようになってきた。
ちかりと光るのは気の早い星々で、角度的なものかまだ月は見えないようだ。
(……………あれ?)
その時、きらきらと光るダイヤモンドダストのようなものが、僅かに風に混じったような気がした。
しかし目を凝らすともうそこにあるのはいつもの夕闇ばかりで、庭の花々や森の情景にも特に変わったところはなさそうだ。
(……………でも、感じた違和感をそのままにすると、物語では大抵良くないことが起こるのだ)
ネアはそう考えふんすと胸を張ると、隣に立っていたウィリアムの袖をくいくいっと引っ張る。
「ネア?」
「今、お庭の方に、何かきらきらした細かいものが降っていたような気がしたのです。見間違えたのかもしれませんが、念の為にご報告しました」
こちらを見て白金色の瞳を瞠ったウィリアムが、素早くアルテアと顔を見合わせる。
まだ廊下のシャンデリアに明かりが入る前の薄闇の中、瞳を眇めて微笑んだアルテアは、寧ろ、リーエンベルクに迷い込んだ悪しきものという感じさえした。
「……………魔術の残滓がこいつにも見えたとなると、余程大きな魔術が動いたようだな」
「ああ。……………何色だったか分かるか?」
「む、むぅ。きらきらという印象ばかりでしたが、強いて言うのであれば、僅かに緑色がかっていたような気もします」
「緑か。……………森の系譜、もしくは智の系譜だな。ウィリアム」
「ふぁ?!」
ここでネアは、ひょいとウィリアムに持ち上げられてしまい、魔物達は優雅な足取りながらもネアが歩くよりも格段に速い速度で会食堂に向かう。
途中、アルテアが何度か窓から外を見ており、一度だけ、冷ややかな声で武器だなと呟いた。
(……………武器)
その響きにひやりとし、ネアはしっかり抱き上げてくれているウィリアムの行動を妨げないよう、自分でもその肩にしっかりと掴まった。
こちらを見たウィリアムが、怖くないかと優しく訊いてくれるので小さく首を横に振る。
ネア達が会食堂に入ると、ちょうどそちらでも動きがあったところだった。
立ち上がったヒルドが、何か大きな細工板のようなものを手に部屋を出ようとしていたところのようだ。
「おや、ちょうどそちらに伺おうと話をしていたんですよ」
「ヒルドさん、何かあったのですか?」
「外にいるネイから、遠隔の投影武器の魔術反応があると一報が入りまして。リーエンベルクの守護結界を損なうものではないのですが、念の為に、我々は一か所に集まっていた方が良いでしょう。ネア様には少しでも長く休んでいただきたかったので、お部屋に伺おうとしていたところでした」
「…………ノアベルトは、投影がどこからなのか、話していたか?」
そう尋ねたアルテアに、ヒルドは短く首を振った。
「国境の外側だろうとは話していましたが、この距離ではゼノーシュの探索も難しいようです。広域もしくは遠隔の魔術投影型の武器となると、私はメーゲットの宝剣くらいしか存じ上げておりませんが、クリルワダルツの宝剣というものではないかと、ディノ様は考えられているようです」
「シルハーンがそう言ったのか?」
「魔術的な前兆から、その可能性があると」
「……………随分と古いものを持ち出したな。クリルワダルツの宝剣となれば、所有者は人間じゃない筈だ。あの宝剣は竜にしか使えないからな」
リーエンベルクには現在、前述のメーゲットの宝剣の守護がある。
これは、タジクーシャの妖精王がウィームへの補償として支払った魔術的な対価で、今回ほど、その付与が助けになるような機会もないだろうと、アルテアは溜め息を吐く。
ネア達は、会食堂に設けられた臨時執務室で、早速、エーダリアが立ち上げた水盤の映像を覗き込む。
そこには、騎士達に手際よく指示を出しているノアと、ゼノーシュと話し込んでいるディノの姿がある。
大きな影が落ちどきりとしたが、竜の姿でどこからか飛んできたものか、人型に転じて着地したのはベージのようだ。
氷竜達もウィームに籍を置く住人だ。
リーエンベルクとの関係の深いベージが、状況を共有する為に来てくれたのだろう。
「エーダリア様は、執務室でなくて良いのですか?もし設備の問題があれば、私達もそちらに移動しますが……………」
「いや、敢えてこちらに機能を移動させたのだ。状況に応じては、外部協力者達も招き入れるかもしれないからな」
「とは言え、外客棟の会議室よりはこちらの棟の方が守護が堅牢ですからね」
ヒルドが持っていた細工板のようなものは、ウィーム各地との魔術通信の基盤なのだそうだ。
通常時、この最も性能のいい魔術通信板はエーダリアの執務室と騎士棟にのみあるが、今回は執務室を出なければならなかったので、外して会食堂に持って来たのだとか。
椅子に座ったエーダリアは、少し顔色が悪いように思えた。
ウィリアムに下ろして貰い、向かいの席に座ったネアがじっと見ていると、困ったように大丈夫だと言ってくれたが、暗殺などの刺客を差し向けられるのではなく、こうして異国の兵器を向けられる戦乱のような状況でリーエンベルクが攻撃を受けるのは初めてであるらしい。
「クリルワダルツの宝剣というものは、どのような武器なのだろう?」
そんなエーダリアの問いかけに、その武器がどんなものなのか分からないネアも、その質問に背筋を伸ばした。
ウィリアムが俺が説明するよりもアルテアの方がいいだろうと言えば、座らず窓辺から庭の方を見ていたアルテアが、静かに振り返る。
「……………遠隔、広域のどちらにも対応している、竜の宝玉を使った宝剣だ。夏闇の竜の宝玉を使うことで、火力も魔術階位もかなり高い代わりに、竜の宝玉が障害になって竜にしか使えないものだ。鏡で光の反射をさせる様を想像してみろ。広域も可能だが、範囲を狭めて工夫すればかなりの遠距離の展開が可能になる。魔術投影自体は、光というよりも闇の系譜だがな」
「……………で、では、バンルがその武器について何か知っているだろうか?」
「いや、あいつが壺に封印されてからのものだ。まず知らないだろうな。闇の系譜の魔術投影となれば、幻惑やあわいに近しい効果が出る。こいつが見た魔術の粒子は、リーエンベルクに座標を定めたことでちらつき始めたんだろう」
アルテアの言葉を飲み込み、ネアは重たく苦しくなった胸をそっと押さえた。
隣のエーダリアが一度苦し気に目を閉じたので、思わずその腕にもそっと手を乗せてしまう。
「……………ネア。メーゲットの宝剣の展開がある以上、深刻な被害は出ないだろうと理解はしているのだ。だが、少なからず甚大な魔術の投影を受けただけの影響は現れるだろう。小さな生き物達が悪夢に魘されるかもしれないし、草花が変質してしまうかもしれない。土地の祝福も大きく削られるだろう。そうして、危険を理解しながらまだ間に合うというのに、私にはそれを防ぐ術も力もない。……………ウィームが最も華やぐ祝祭の季節が近づいている今、それが悔やまれてならないのだ……………」
「エーダリア様。…………あの風の剣でえいやっとは出来ないのでしょうか?」
そう言ってみたネアに、エーダリアは首を横に振った。
アルテアは何か方策を探っているものか、難しい顔をして考え込んでいる。
「投影魔術なのだから、恐らく顕現という形を取るのだろう。お前に託されたあの剣は、形はないがそこに在るもの、或いは姿の見えないものを斬るのには長けているものの、顕現の瞬間までそこには現れていないものを斬るのは難しい。……………また、幻惑やあわいのようなものであれば、斬って散らしてしまうことで、影響を及ぼす範囲を不用意に広げる訳にもいかないだろう」
「……………むぐぐ。何かこう、現れた瞬間包んでしまってぽいっとやるような……………」
苦し紛れにそう呟いたネアに、アルテアが目を瞬いた。
「……………シルハーンなら、影絵を作れるな」
「アルテア……………?」
「投影位置の上空に広域の影絵を立ち上げて、そこで受け止められれば、土地への影響はなしに出来る。リーエンベルクを中心にメーゲットの宝剣の守護があることを考慮すれば、密度の低いもので構わないだろう。受け止めたものを結び纏めての浄化が必要にはなるが、その程度であれば、ウィームには茨の魔術師やその血族がいるだろう」
「ディノにお願いしてみます?」
「……………俺が出てくる。確実に受け皿の上に誘導するには、ある程度の調整も必要だからな」
そう言ったアルテアは、一度振り返ると、ウィリアムと何やら視線を交わし会食堂を出て行ってしまった。
残されたネアははらはらするばかりだが、どうにか影響を少なくする手段が見付かったようだ。
(でも、……………広域の影絵を立ち上げる……………?)
何だかそれは、とんでもないことのような気もするのだが、果たして可能なのだろうか。
ぎりぎりと眉を寄せたネアに、見れば正面のエーダリアも同じような顔をしているではないか。
やはり簡単なことではないに違いないと、ネアもふすんと息を吐いた。
その時のことだった。
ざざっと掠れたような音がしたと思ったら、いきなり窓の向こうに鮮やかな光が弾けた。
人外者の多いウィームらしい煌めきではなく、明らかに魔術的な交戦が起きている。
「……………私が、」
「ヒルド、出ない方がいいだろう。外で展開されているのは季節風の系譜の上位武器だ。リーエンベルク内部の守護遮蔽を崩すと厄介なことになる。ネア、シルハーン達が投影魔術の初射を防いだら、夜紡ぎの剣を使った方がいいかもしれないな」
「……………ミカさんが、問題になっている書物を、表側から排除するまでの時間を短縮するのです?」
「ああ。……………エーダリア、今、外で交戦しているのはゼベルだろう。寧ろ、ゼベルでなければあの武器は防げない」
(これではまるで……………)
ネアは血の気の引く思いで、これまでに会話に上がった武器について考える。
国外から投影を可能にする剣は、かなり高位のものなのだろう。
最初にシカトラームを襲った者達の武器は、そこまでではなさそうだが、ディノが対処しているという場所で使われた武器はどんなものだったのか。
ノアも外に出ているし、今はアルテアまでがそこに加わった。
(ゼベルさんが戦っている人の武器は、ウィリアムさんが外に出ない方がいいと言うくらいのものなのだ。……………ディノ達の階位を考えても、今回の武器狩りでウィームに向けられた戦力は、かなりのものなのではないだろうか……………)
国崩しが目的とは言え、そこには多くの武器を動かすだけの明確な理由がある筈だ。
ガゼッタでも実感したが、武器は国の財産である。
今回の襲撃が、国主体ではなく、旧ロクマリア域の流れ者達の集まりによるものであっても、なぜリーエンベルクを狙ったのかは大きな疑問ではないか。
そう考えると怖くなり、ネアは自分の手をきゅっと握り締める。
誰も怪我をしませんようにと心の中で唱え、やっぱり、大好きなウィームのどこも損なわれませんようにとも付け加えた。
「……………ゼベルは、大丈夫なのだろうか。援護が必要であれば私が…………いや、それは短慮だな。他の騎士の応援の手配をさせる」
「彼一人であれば問題ないだろう。ゼベルにしか使えない魔術が多い以上、連携を取らずに援護の手を入れると却って足を引っ張りかねない。現状ではゼベルの方が勝っているし、彼は敢えて森での戦闘に持ち込んだみたいだ。ゼベルの伴侶は、夜狼なんだろう?」
「……………そうか!」
「むむ、夜狼さんな奥様は強いのです?」
「そのような力の持ちようではないのだが、夜狼は森の妖精の中でも古い種でそれ故に階位が高く、夜の森を整える役目を持つ。ゼベルの伴侶は夜狼の中でも高位のものだからな。森の魔術基盤を歪めるくらいのことはしてのけるだろう。風の系譜の魔術は、土地の魔術基盤の動きなどに操作を阻害されるものの一つだ」
それを聞いて安心したネアは、ほっと胸を撫で下ろした。
だが、ゼベルが交戦しているということは、投影型の武器を使うとなってもまだ、リーエンベルクを襲う者達がいるという事なのだろう。
(あのベルを使ってしまえたらいいのに…………)
鳴らした途端に皆が眠ってしまうベルは、けれども無差別に働くものである。
ここで耳を塞いでというように示し合わせておければいいのだが、仲間の多い場所では不利に働きかねない。
(でも、もし何かあったら……………)
ネアはここできりりと頷き、首飾りの金庫から激辛香辛料油入りの水鉄砲を取り出した。
どれだけ狩りの手腕に自信があっても、襲撃者達は、所詮人間であると考える高位の人外者でもなく、牙を剥いて襲いかかってくる獣でもない。
ネアの可動域で外に出ると二次災害になりかねないが、ヒルドに預けておけば、必要な騎士などに渡してくれるだろうか。
「ネア様……………?」
「これをお渡ししておけば、使うような場面はあります?」
おずおずとそう尋ねたネアに、ヒルドは優しい目で微笑んでくれた。
先程まで、寒い夜の入りのような鋭い目をしていたので、ネアはそんなヒルドの眼差しが緩んだことにも安堵する。
「武器狩りには、銘のあるものではなくても、武器の形状のものであれば参戦が可能です。では、有難くお借りさせていただきますね」
「……………む。武器の形状であれば」
となれば、剣のような形状のきりん的なものを作成すれば、偉大な武器になるのではないだろうか。
普段は鞘の中にしまっておけば、罪のない人々を傷付けてしまうこともない。
にやりと笑ったネアに、なぜかエーダリアが不安そうにこちらを見る。
(……………あ、)
ずずんと鈍い音がして、窓の向こうでひと際大きな光が揺れた。
ネアは思わず立ち上がってしまったが、エーダリアも同じようになってしまっているので、二人で顔を見合わせてしまう。
はらはらと舞い散る光の花びらのようなものは、地面に触れる前に光の粒子になって消えてしまい、森は静けさを取り戻したようだ。
身を屈めたヒルドが騎士棟に通信を繋ぎ、ゼベルからの報告をこちらにも共有するよう魔術を繋いだままにしてくれた。
「ご報告を」
そう始まる呼びかけは、リーエンベルク内での通信において、名乗らずとも誰だか分かるからこそ出来るものであった。
有事の際の通信では、名前を出さないような配慮がなされる。
席次や役職名だとしても、敵の近くでは余分な情報になってしまう。
リーエンベルクの騎士達や、エーダリアやヒルド、ダリル達は声で相手の判断をつけるのだ。
声に問題がある場合に使う通り名もあるが、固定はせず、自身を連想させるものの名前を使うらしい。
「……………こちらは、武器持ちを一人捕縛しました。ただ、強引に落としたので、目を覚ませるかどうかは分かりません。また、使い手との癒着の強い武器は破壊せざるを得ませんでした」
「では、こちらでは収監の準備をしておきましょう。怪我などがあれば報告をして下さい」
このような状況では、怪我などの確認も事務的になるのだが、これは万が一誰かが捕虜になっていた場合、リーエンベルクの騎士達と指揮系統の者達の間に、感情的な絆があることを悟られない為だ。
この手の規約はネアも教えられていたが、今回の対応は最上位といってもいい。
何しろ、国内での反乱となれば、まだ名前を使うことくらいは出来るのだ。
「少し深めの裂傷を右肩に受けましたが、傷薬を使いました。今は無傷どころか、体が軽いくらいです」
「おや、それは重畳ですね。周囲に問題がなければ、ネイ達に合流して下さい」
「御意」
やはり言葉の扱いも違うのだなとネアが新鮮な思いで聞いている間に、ゼベルとの通信は途切れた。
その場にいたものの、所在を明かすわけにもいかなかったエーダリアが、通信が切れたのを確認した後、小さく、本当によくやってくれたと呟いた。
「うーん。殲滅だけで言えば、俺が出た方が早いんだが、リーエンベルク内に万が一があるとまずい。この場にいさせてくれ」
「ウィリアム、武器狩りの忙しい時にすまない。宜しく頼む」
「寧ろ、今回の武器狩りにおいては、このウィームが一つの激戦地かもしれないな。他の土地からの大規模な交戦の連絡が入ってこない」
静かな口調でそう告げたウィリアムの言葉は、いっそ冷淡であったかもしれない。
しかしそれは、ウィーム領主であるエーダリアにだからこそ、伝えなければならない事だった。
「……………っ、今のウィームはいち領地に過ぎない。リーエンベルクを落としたところで、他国の者達になんの益があるだろう。例えここを占拠したとて、自然の要塞でもあるウィームは、彼等の仲間達を呼び込むよりも、作り付けの転移門から王都の鎮圧軍が到着する方が早いではないか。一体何の為に……………」
「俺もそれを考えていたんだ。……………制圧であれば、投影型の武器は使わないだろう。となると、目的は奪取及び、……………暗殺もしくは殺戮そのものだな」
ぐっと喉を鳴らしたのは誰だろう。
会食堂の中の空気が重たくなったその時、しゃりんと音を立てて転移の気配が揺れた。
「……………ありゃ、もしかして深刻な感じ?」
「ノア!」
「僕の妹は、……………うん。少し顔色が良くなったね。外はアルテアが出てくれたから、僕が一度こっちの様子を見に来たんだ。外側から、好き勝手にリーエンベルク内に転移出来るようになっているのは、僕とシルだけだからさ」
「ノアベルト、受け皿の影絵を作ることになったのか?」
そう尋ねたエーダリアに、こちらを見た塩の魔物は魔物らしい凄艶な眼差しで微笑んだ。
青紫色の瞳は光るようで、いつもの黒いロングコートにはどこか不穏な生き物の翳りがある。
「嫌だなぁ、エーダリア。僕にはもっと色々なことが出来るんだよ。シルにもね。僕達の家と家族を餌にしようとしておいて、攻撃を回避する程度のことでは許さないよね」
「ノアベルト……………?」
「投影の武器については、シルが、投影の展開があちらで始まるのと同時に書き換えて消すから大丈夫。アクテーでも書き換えを行ったばかりだから、広域の魔術基盤的な影響においては、釣り合いが取れていいくらいだってさ。つまりまぁ、なかったことになる。だからウィームには何の影響もない」
「そ、そうか……………!」
「ただ、それだけでは済ませないから、僕が、こちらからの魔術投影を行う予定だ。内容に関してはアルテアのとっておきがあるから、まぁ、死ぬ迄廃人だね。背後関係は洗い出し済だから、そっちはいらないよね?」
「と言うことは、敵の目的が判明したのだな?」
そう問いかけたエーダリアに、ノアはゆっくりと頷いた。
「まず第一に、ウィームへの侵攻はかなりの数だ。次に、ロクマリア域の連中は雇われの傭兵だね。雇用主はカルウィの王子だ」
「……………っ、カルウィのだと?!」
「彼等の目的は、……………魔術的な階位を上げる素材の捕食だった。悪食に転じながらも魔術階位を上げるやり口はニケ王子を連想させるけれど、今回はソロモンが情報元だね。本人はもう関わらないつもりでも、彼の知識を得た他の王子がその禁忌を冒す覚悟を決めたらしい。案外カルウィには、捕食で階位を上げる知恵が思っていたよりも浸透しているっていう証明になるかもしれない」
「……………リーエンベルクの騎士達や、ウィームの領民達を、……………喰らおうとしたのか」
そう呟いたエーダリアの顔色は酷いもので、ノアが、そんな契約の人間の頭にぽすりと手を乗せる。
項垂れたウィームの領主の姿には、悲しみと共に、ひりつくような怒りも確かに滲んでいた。
「投影を行う剣の使い手が、その王子だ。竜混じりってなると第九王子かな」
「……………ネイ。カルウィとの間には、ある程度の不可侵の約定が結ばれた筈ですが」
「うん。その背後関係については、ダリルが調べるってさ。でも、……………ネア達が見かけた第一王子もどきといい、こうなってくると、ヴェルクレアの目があるところに、カルウィの王族が揃い過ぎだ。第一王子については、今回の一件を内々に知り得た上で、敢えてアクテーでこちらの関係者の前に姿を見せた可能性も出てきたね。……………何しろ、第一王子であればフォルキスの槍なんか必要はない訳だから」
そう説明したノアに、ネアは目が醒める思いだった。
目的ではなく、自分がそこにいるという状況を作る為だけにあれだけの事をしでかしたのであれば、カルウィの王子はかなりの策略家だ。
フォルキスの槍とて、手に入ればそれはそれでいいのだから。
(……………そうか。カルウィの王族の人達からすると、これを機に国内の潰し合いを避けて、他国から利益を得られる絶好の機会なのだ。王族同士の凌ぎ合いを制する為に、敢えて最難関のウィームを狙うというのも有りなのかもしれない……………)
それは必然的に、ここでウィームが屈してしまえば、カルウィに対してウィームの脆弱さを示すことになる。
今回の襲撃は、絶対に防がなくてはならない。
「となると、カルウィとの衝突は必至か……………」
「いや、今回の対応だと武器の扱いに仕損じて自滅したようにしか見えないから、カルウィとの間に摩擦が生じることもないよ。そうなるからねって話を、一足先にダリルにも共有してある。さて、そろそろかな。……………じゃあ、僕は出てくるよ。ネア、シルが怖がっていないか心配してたけど、大丈夫かい?」
「すぐに開発出来そうなきりんさんの武器があるので、持っていきます?」
「え、戦う気満々なんだけど……………」
「むぐ。今回は、私がお外に出ても足手纏いになるので、武器開発だけに専念しますね」
「ネア、僕達だけで充分だから、その武器はいいかな!……………ほら、敵がウィームのあちこちで捕縛されているから、彼等の目的を知った領民も相当怒ってるんだよね」
きりんと聞き慌てたように逃げていったノアは、ウィリアムとも少し話をすると何度か頷き、外に戻っていった。
ヒルドが自分も同行するべきだろうと申し出ていたが、苦笑したノアはエーダリアの傍にいたいでしょとくすりと笑って手を振った。
「……………そう出来るということに、やはり慣れないものですね」
「ああ。そして、ノアベルトやディノ達がいてくれなければ、……………どんな事になったのか考えるのも悍ましい。彼等には、……」
「あら、エーダリア様。ディノとノアには、ここにいてくれて良かった。頼もしい家族であると伝えてあげることが、一番のご褒美なのですよ?」
そう言ったネアに、エーダリアは鳶色の瞳を瞠り、ふるふると震えさせるとゆっくり頷いた。
そうだなそうしようと呟いた声の中で噛み締めたのは、大事な家族への思いなのかもしれない。
「依然として、街の中でも不審な武器持ちの捕縛情報が上がっていますので、この後は残党の捜索と捕縛、或いは排除の流れになるでしょうね。エーダリア様とネア様は、どうか今日いっぱいはリーエンベルクを出ませんよう」
「………ああ。分かった」
「はい。お家から出ません!」
窓の外では、先程までの魔術の光とは違う美しい青白い光が、はらはらと雪のように降り出していた。
土地に影響が出ている訳ではなく、なぜか、この光はノアのものだと感じたネアは唇の端を持ち上げる。
ふいに、体がふわっとなったので目を丸くすれば、なぜかウィリアムの膝の上に乗せられたようだ。
「むぐ……………?」
「大きな魔術が動くからな。ネアは、……………可動域が低いから、念の為に」
「……………蟻には勝てるのですよ?」
「ああ。勿論知っているよ。それにネアは、狩りの名手なんだろう?」
「ふむ。今回のような場面では披露出来ませんが、後で皆さんにアルテアさんの系譜の生き物な、謎の踊るブロッコリー生物をお披露目しますね」
きらきらと光る魔術の光の雪に照らされ、リーエンベルクの庭の花壇では、花々が幻想的な影を落としている。
塩の魔物の魔術はなんて美しいのだろうと微笑みを深め、ネアは、ノアが説明に来てくれただけですっかり怖さの抜け落ちた自分をおかしく思った。
若干植物に塩の魔術の煌めきはどうなるのだろうと思ったが、そこはもう、なるようにしかならないと思う。
やがて、鮮やかで美しい光が花火のように煌めき、投影の魔術は無事に無効化され、塩の魔物からの贈り物が届けられたと一報が入った。




