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100. ちゃんと連れて帰ります(本編)



ネアは現在、とても困っていた。



何しろ目の前にいるのは、中身は使い魔だがそんな使い魔の意識はなさそうな、出会って二日目の美麗な騎士なのだ。


おまけに上はすっかり前を開いてしまい、腰の周りのベルトも緩め下に穿いているものをまとめて少し下げるというなかなか肌色な感じで、左前面の腹部から背中にかけての傷に傷薬を塗布して欲しいというのだ。



おまけにそんな怪我人は、絶賛騎士用のケープを装着しているので、ネアはケープの中に入って治療班をしなければならない。


手を回して肩口の留め金を外すケープは、脱ごうとすると傷口に障ると話しているが、恐らくは、治療中とは言えあまり無防備にならないようにしているのだろう。


体を捻ると痛いらしく、ここはもうやってあげるしかないものの、ネアは基本的に見知らぬ人との距離を詰めるのが苦手だ。


とは言え中身はアルテアなのだからと冒頭の思考に戻りつつ、渋々ヴァルアラムの前にしゃがもうとする。

恐らく、背後から腰に何かが噛み付いたのだろう。

傷のつき方を見て、ネアはそう確信した。



「この角度だと、お嬢さんも塗り難そうですね。寝台に座るのでそちらにしましょうか」

「なぬ。血を流している方を、寝台に……………」

「……………お嬢さんは時々、驚く程に冷たい時がありますね」



ヴァルアラムが何だか悲しい顔をしたので、ネアは渋々寝台の上に怪我人が乗ることを許し、ケープを後ろ側にえいっと広げて貰って腕の下に潜り込んだ。


ふわりと漂うのは、さらりとした夜に咲く花のような甘さと暗い夜の夜霧のような不思議な鋭さのある香りで、ネアのよく知る選択の魔物の香りとは少し違う。

そして、負傷した事で本能的に体温を上げた体の、温められた肌の匂い。



(……………思っていたより、傷が深い……)



傷薬を塗る為に患部を見ると、そこには思っていた以上に深い傷があった。


ぎざぎざしたもので無理やり抉られたような傷は、血を落とさないようにしたのか、無理やり焼き潰されている。


きりりと引き絞られた胸に小さく息を吸い、ネアは傷薬を染み込ませた布を丁寧に宛がった。


「……………っ、」



ぴくりと皮膚の表面が動いたのは、かなりの痛みがあったからだろう。

傷口が焼かれているのでその中までは見えないが、もっと切断面が綺麗だったなら、より傷の深さが分かったかもしれない。


覆いとは言え、造作もなく体の欠損も治せてしまう魔物とは違うのだ。

その痛みを想像したネアも竦んでしまったが、ここは頑張って貰うしかないとえいやっと治療を進めてしまう。


一番深い部分に布を当てると咄嗟に動きを封じたくなったものかぎゅっと抱き締められたので、ネアは、締め技をかけられたようになってむぐっと悲しい声を上げた。


胸元には大事な伴侶がいるので、是非に押し潰さないでいただきたい。



「………ぐるる。無償で傷を癒す善良な乙女を、なぜ攻撃するのだ。ゆるすまじ……………」

「あまりの苦痛に、お嬢さんに縋りたくなったんですよ。優しく看病してくれてもいい場面では?」

「ふむ。元気になったようですね」

「情けないことに、そう言えるかどうか。魔物の薬は傷は治癒出来ますが、俺の様に他の魔術を継続しながら使うと、その分の体力はしっかり削られますからね」


そう言うヴァルアラムの吐き出す息は、確かに熱っぽいような気がする。

体を起こしたネアに伸ばされた手が頬に触れ、ネアは、その手のひらの熱さに眉を顰めた。


ゆるりと抱き締められそれを許したのは、狡猾な人間がこの騎士の体調をより詳しく知る為だった。

腕の中で厳しく眉を寄せ、ネアは他の損傷を隠していないかどうか念入りに調べ上げる。



「……………お嬢さんの肌は、冷たくて気持ちいいですね。もう少し触れても?」

「ふむ。他には怪我を隠していないようですね。なお、冷たさを求めるのなら、窓硝子がお勧めです。ですが、少し休まれるのなら、氷嚢のようなものを持って来ましょうか?」

「うーん、既婚者ならもう少し色めいた情感があって然るべきじゃないのか…………」

「それとも、一人でお部屋に帰れますか?」

「さりげなく追い出そうとしないで下さい。本当に、お嬢さんは冷たいな」



瞳には相変わらずの酷薄さを滲ませたまま、わざとらしくそう呟き、ヴァルアラムはネアを抱え込むようにして倒れ込んでいた寝台から体を起こした。


脇腹に傷を負ったばかりの人が、ネアを抱えたまま腹筋と背筋だけの力で寝台の上で体を起こせたことに、ちょっとした驚きを覚えつつ、解放されたネアもよいしょと立ち上がる。



「これで、お嬢さんが朝まで添い寝してくれるなら、実にいい夜になるんですが」

「あまりにも手触りがいいのでうっかり買ってしまった竜さんのぬいぐるみがあるのですが、心細くなってしまったのなら、それを貸して差し上げましょうか?」

「俺は眠れないとぐずる子供じゃなくて、それなりにいい歳の男なんですがね……………」



シャツの前を留めながらそう呟いたヴァルアラムが、ふっとこちらを見て微笑みを深める。

どこからともなく取り出したのは、空っぽになった青い小瓶だ。



「ねぇ、お嬢さん。…………俺の部屋にこれを届けようと思ったのは、どうしてでしょうね」



その問いかけに、ネアは目を瞬いた。

傷を早く治し給え以外のどんな理由もないのだが、ヴァルアラムは妙に意味深く呟く。


目が合うと深く深く微笑んで、厄介な人ですねとどこか投げやりに囁かれた。



「俺でさえ、理解出来るんですよ。……………お嬢さんは多分、形ばかりの善意や評判の為には、部屋を出ない。その、いつも隠し持っている伴侶の為か、自分自身の為に、替えのきくものや自分の心の内側に入れないものはあっさり切り捨てるでしょう。………でも、そんなお嬢さんが、………星捨て場に投げ落とされたばかりなのに俺の部屋にこの薬を届けに来た」


重ねられた言葉は淡々としていて冷たかったが、氷の中で燃える炎のような不思議な熱があった。

こちらを見た眼差しにはどきりとするような仄暗さがひたひたと滲み、優雅に微笑んでいるくせにネアのことを憎んでいるようにも見える。



「だとしても、それは私の事情です。あなたがそれを負担に思ってむしゃくしゃせずとも、私の振る舞いは私だけのものなのです」

「……………ほら、そうやってまた捕まえようとすると逃げてゆく。まったく困ったご主人様だ。とは言え、お嬢さんの届け物のお陰で、幾つかの必要な仕掛けを済ませられました。魔物の錬成で出来たこの瓶は、返しておきましょう」



受け取った瓶を見て、ネアはおやっと眉を持ち上げた。


ネアが届けたのは中階位の傷薬ではあるが、丸々一本空にせずとも大抵の怪我は治るだろう。

ましてやヴァルアラムは、ネアが負傷に気付かないくらいには動けていたのだ。



「むむ、空っぽになっています…………」

「ああ、今の傷より少し派手だったので、丸々一本使いきりましたからね」



片手で前髪を掻き上げたヴァルアラムにそんな事を飄々と言われ、ネアはゆっくりと顔を上げた。


今の傷もかなりのものだったのに、それ以上の傷を負いながらも、周囲にはそれを悟らせないように振舞っていたのだろうか。



(星捨て場の時から?それとも、晩餐の前のことなのだろうか……………)



しかし、よく考えればヴァルアラムはそうするしかなかったのだ。


傷薬に頼ったという事は、今のヴァルアラムにはそこまでの傷の治癒は出来ないのだろう。

となれば、自分にそんな怪我を負わせた者の手前、弱っている様を見せる訳にはいかない筈だ。


既に、命を落としている者達がいる。

厄介な武器の使い手達や異国からの刺客達は、目障りな手負いの騎士を逃してくれる程に甘くはない。



(サヌウ騎士団長が寝込んでいても安全なのは、彼が……言い方はあんまりだけれど、能力に劣ると露見してしまったからだわ。邪魔にならないからこそ、動けないのならばと放置されているに過ぎない………)



対するヴァルアラムは、潰せるのであれば確実に潰しておきたいと思わせる厄介さを示している。

私情を絡めて襲撃しているアンセルムではなくても、隙さえあればと思う者はいる筈だった。


(ギナムさんから、潜入している人達が思ったより多いだろうと聞かなければ、ここまでしっかりと危険を感じ取れなかったけれど………)



「…………私のお届けの後にそこまで使ったということは、セレンさんは、治癒魔術があまり得意ではなかったのですね………?」


ネアがそう思ったのは、聖女というからには、治療系の魔術が得意なのではという先入観からであった。

何となくだが、このあたりは生まれ育った世界の影響が強いのだろう。


しかし、こちらの世界での聖女という肩書きは、そう名付ける資格を持つ組織にとっての良きものや、鹿角の聖女を思わせる乙女に与えられる称号なので、実際には様々な聖女がいる筈だった。



「俺が負傷している事は、彼女には伝えていません」

「………まさか、ちょっぴり格好をつけ過ぎてしまったのです?」

「……………勘違いしているようですから説明しますが、お嬢さんが部屋を訪ねた時のあれは、ああでもしなければ俺の負傷に気付かれるので仕方なくですよ。古い異教の魔術に長け、おまけに侵食魔術が得意な魔術師の前で、血を流していると悟らせるのは悪手以外の何物でもない」

「…………なぬ。身に迫る危険の中で、お互いの思いを再確認し、美しい恋が芽生えたのですよね?」

「やれやれ、お嬢さんは案外夢見がちなんですねぇ。この状況下で、打算以外であんなやり取りが行われる訳がないでしょう。寧ろ、本気で想う女をそんな目に遭わせる男がいたら屑ですよ」

「むぐぐ……………。となると、セレンさんはヴァルアラムさんへの恋心を利用されてしまったようですが、ちょっぴりつんつんしているものの、恋の話も出来ない純真なお嬢さんだったのですよ?」



ネアがそう言えば、ヴァルアラムは小さく声を上げて笑う。


笑われてしまったネアは憮然としたが、ヴァルアラムの笑い声には、どこか嘲るような冷ややかさも含まれていた。



「お嬢さんにはそう見えたのであれば、あの強欲な聖女は随分と演技が上手いようだ。あの女が慎ましやかなものか。あれはね、なかなかの悪女ですよ」

「………それは、ヴァルアラムさんの心が捻くれているからそう思うのではなく?」

「おっと、疑いますね。それならば話してしまいますが、あの女は西からの移民で、国内で秘密裏に行われている見目のいい子供を欲しがる弱小貴族の養子斡旋に乗る為に、そして聖女としての称号を得る為にと、それなりに上手く立ち回っていましてね。セレンの聖女認定の前には、彼女の親友とやらだった筈のコゴームの疫病の盾の最初の適合者が、実に不自然な死を遂げているようだ」



でもネアは、それならば彼女は純真ではないようだとは言わずに、静かに頷いただけだった。


自分の居場所を得る為に他者を蹴落とすからといって、そんな人間は恋に心を焦がさないとは限らない。

ネアだって、私利私欲の為に復讐に手を染め、罪のない人達を巻き添えにしたが、今更元通りにはならない心を持て余していつだって悲しかった。


今はこんな風に伸びやかに生きているものの、ネアの手の中にはいつまででも、あの日のジーク・バレットを殺したナイフが握られているのだ。



(セレンさんの眼差しのどこかに、とても真摯で透き通ったものが見えたような気がしたからこそ、私は彼女を普通のお嬢さんだと思ったのではないだろうか…………)



しかし残念な事に、野心を持ち手段を選ばないかもしれない少女にだって幸せになる資格があるように、残忍な魔物が捕まえた人間を都合良く利用してしまうのも自由なのだった。




「……………俺は何で、お嬢さんを選んだんでしょうね」



その問いかけに、ネアはぎくりとした。

そして、そんな風に思わず反応してしまったネアを見て、ヴァルアラムはどこか諦観を滲ませた微笑みを浮かべる。



窓の外にまた、ぼうぼうと燃える明るい星が落ちてゆく。


大きな翼を持つ恐ろしい獣の姿が光の中に見えたような気がしたが、ネアは窓に駆け寄ってその獣の姿を確かめに行く事は出来なかった。



「もしそうなのだとしたら、それを選んだのはあなたなので、ご自身との対話を是非にお勧めします」

「そうやって他人事のように突き放されると、不愉快になって、お嬢さんを殺したくなるかもしれませんよ」

「その場合は速やかに返り討ちにし、パンの魔物にして壁かけにしてしまいますよ?」

「ふうん。興味はないと示しながらも、あんな風に薬を届けておいて?」



こんな問いかけがあるだけで、ヴァルアラムの表層には、ネアの知る形でのアルテアの要素はないのだと実感した。



(これではまるで、いつかの繰り返しだ)



かつて、ネアが選択の魔物と出会ったばかりの頃には、何度もこんなやり取りがあった。

擬態しても根本的な気質は変わらないのかなと遠い目にもなるが、一度答えを出したアルテアは、森に帰ってしまう事はあっても自身の選択をもう一度捏ねくり回したりはしなかった。


寧ろ慣れるまでは、この魔物の息が詰まりそうになったらどう逃してやろうかと悩む事が多かったネアの方こそ、そんな心の定め方に何度も感嘆したものだ。



(だから、…………ここにいるのは、あくまでもヴァルアラムさんなのだ。それでいて、かつてのアルテアさんでもあって、その二つの混じり合ったとても厄介な人でもある…………)




「……………私はとても強欲なので、そこに自分のものがあるのだとしたら、必ず持って帰りたいのです」

「俺が、お嬢さんを利用する体で、殺してしまっても構わないと思いかけていたのだとしても?」

「お会いしてまだ二日ではありませんか。それっぽっちの時間でどんな期待があるというのでしょう。だからこそ、私は、私の執着とあなたの思いは別物だと思うのです」

「……………はは、少しも揺らぎませんね」



ネアが目の前のヴァルアラムを、ただのヴァルアラムとして話すせいか、二人の会話は噛み合う事はない。

けれど、きっぱりと言ってのけたネアを見て、黒衣の騎士の表情は不思議と緩んだようだ。



ふっと視界が翳ったと思ったら、ネアはもう一度ヴァルアラムの腕の中にいた。

攻撃かと思ってきりん札を取り出しかけてしまったので、大変に紛らわしいと言わざるを得ない。



「むぅ。なぜにまた拘束されたのだ」

「……………知っていますか、アクテーの中には今、星呼びで落とされた災いの獣がいるんですよ」

「もしや、孔雀さんな感じの獣さんではありませんよね?」

「孔雀となるとグリムドールかな。残念ながら、今回はカスムです。星食いの一種で、災いを呼ぶ願いに惹かれてその土地を滅ぼしにやって来ると言われている」

「…………星呼びということは、その獣さんを呼んでしまったのは、サスペア修道士なのですか?」

「それも残念。アナスの方ですよ。……………あれは、フォルキスの槍に食われてゆくサスペアを、息子のように思ってしまったんでしょう。サスペアに何かがあった場合の替えでもありながら、その役目を放棄してこの檻を壊そうとしている」


そう言われて、ネアは穏やかで気弱そうな修道士を思い出した。


修道院のような隔絶された場所で共に暮らし、強大な武器に身を削られる姿を見ていたのなら、その姿を哀れに思う事はあるだろう。



(優しそうな人だった…………)



けれども同時に、少しだけ脆そうな人でもあった。

彼は、サスペア修道士の嘆きや怒りに同調してしまったのだろうか。



「その獣さんが、武器狩りの中で皆さんを襲っているのですか?」

「カスムは人間を襲う事はありませんよ。ただ、災いを呼び寄せて土地を滅ぼすものだ。星を降らせて土地を燃やす。この場所に残された時間は後どれくらいでしょうか」

「……………星を降らせる」

「ええ。フォルキスの槍を欲するカルウィの連中も、フォルキスの槍の使い手に選ばれたい強欲な聖女も、そんな聖女に惚れた愚かな騎士も、皆想像もしていなかったでしょうね。まさか、誰も注視していなかった不揃い者が、カスムを呼び寄せるとはね」



明日の晩にはと、ヴァルアラムは薄く微笑む。

だからそれまでにはせめて、少しでも邪魔なものを減らしておかなければと。


ネアは、先程の星の光の中に見えた獣の姿を思い出そうとしたが、見えたのは輪郭だけだった。

蛇と鳥が混ざり合ったような、聖典の中の魔物の姿をしていたようも思えるのだがどうなのだろう。



「カルウィの連中の手引きをしたのも、アナスでしょう。あれだけの置き換え魔術を、戒律の厳しい修道院で人知れず行うのは難しい。サスペア自身が繋がっていれば、まだマシだったんですが、どうやらあちらはあちらで、武器狩りが始まるまでここから逃げ出したいという様子を微塵も見せなかったようですね」

「……………つまり、サスペア修道士とアナス修道士は、別々に動いているのですね?」

「サスペア側は、逃げ出そうとしている事が露見すれば監視をつけられかねない。アナスは、ここから出してやろうとしている責を、本人には負わせない為というところかな。カスムを呼び寄せたのはアナスにとっても完全に誤算だ。何しろあの獣は、一帯を更地にしてしまう」

「…………っ、防衛魔術を解かなければ、私達はここから出られないのですよね?」

「そう。だから気付いたアナスは焦ったんでしょう。防衛魔術を解く為には、内側にいる厄介者達を排除しなければならない。けれども、カルウィの連中までもとなるとアナス如きでは到底手が及ばない。だから、あの神父に助けを求めた」

「アナス修道士が、アンセルム神父に…………」



呆然と頷きつつ、だからなのかと思う。

ヴァルアラムを襲ったのは、アンセルムだけではなく、サスペアでもなく、それ以外の修道院側の者でもあったようだ。


(そうか。アナス修道士はもう、守る者も狙う者も、その全ての区別をつけずに減らそうとしているのだ。どうにかして防衛魔術を解き、滅びる土地から逃げ出さなくてはいけないから……………)



それはもしかすると、自分自身の為ではなく、息子のように思っているかもしれないサスペアを逃がす為なのかもしれない。



「元々アナスは、不揃い者と呼ばれる死の精霊の愛し子です。願いや魔術が不揃いで、何かと災厄や終焉に見舞われる人間というのがごく稀にいましてね。そんな者達は、いつもどうしても揃わないんですよ。…………まぁ、そんな獲物がいるからこそ、あの精霊もここを訪れたのかもしれませんね」

「……………ヴァルアラムさんは、アンセルム神父が、死の精霊だとご存知だったのですね」

「そりゃ、俺も中身は魔物ですからね。とは言え、この剣のせいで完全に切り離されていますから、禁則事項を反映することと、必要な時に知識を引き出せるくらいで、あまり役には立ちませんが」


あっさりそう言われてしまい、ネアはぽかんとした。

驚いた事に、ヴァルアラムはその事実を認識しているようだ。


「それもご存知だったのですね……………」

「寧ろ、知っていなければまずいんでしょう。俺の中身的にはね。……………お嬢さんが、俺のご主人様であることも、最初から知っていましたよ。だから利用する体で殺してしまおうかなと思ったんですが、どうにもそのあたりは魔術誓約が邪魔をするらしい。おまけにお嬢さんはやはり、……………俺が選んだものではあるようだ」



どこか独白にも似たその言葉を、ネアは静かに聞いていた。


やはり窓の外は時折ぼうっと明るくなり、誰かが戦っているような不穏な気配もする。

アナス修道士が焦っていることで、それまでは腹の探り合いをしていた者達も含め、盤面が一気に動き始めたのだろう。


ギナムは大丈夫だろうかと考え、ふと、彼は祝福と災厄を司るのだと目を瞬いた。

その資質は、災いの獣とやらには作用しないのかなとも思ったが、彼もまた、擬態をしているとままならない部分があるのかもしれない。



「……………人間である俺の目から見ると、魔物の恩寵の在り方は随分とおかしなものですね。でもまぁ、俺も納得したんですから、お嬢さんはやはり、この魂には必要なものであるらしい。……………という事ですので、俺はまた少し外に出てきます。修道院に敷かれた魔術にとっての障りになるものを殺し尽くせば、防衛魔術は解ける訳ですからね」



指の背で頬を撫でられ、ネアは、むぐぐっと眉を寄せる。


あんな怪我をしたばかりのこの騎士は、もう一度扉の外の戦場に出て行こうとしているのだ。

カルウィからの侵入者だけならいざ知らず、アンセルムがそこに加わるとなれば分が悪いのは間違いないだろう。



(そもそも、同じ目的の人達もいるのに、混戦状態なのが問題なのでは……………)



ひとまずは一致団結してカスムとやらを滅ぼし、その後でもう一度武器狩りを始めればいいのにと思ってしまうのだが、そんなネアの考え方はやはり甘いのだろうか。



しかしここで、素直にヴァルアラムを行かせていいのかどうかは悩ましいところだ。

どうにもこうにも、アンセルムの存在が気掛かりである。



「ふむ。…………ひとまず、その獣さんを私が滅ぼせばいいのですね」

「……………え?」

「その獣さんがいなければ、破滅的な危機は避けられるのです。幸い私は狩りが得意ですし、星食いさんであれば以前にも狩ったことがありますから、そやつを滅ぼしてしまいましょう。とは言え今の私には出来ない事もありますので、獣さんのところまで案内して貰っても良いでしょうか?」

「星食いを……?……………いや、どうしてそもそもその発想になったんですか!」

「……………む?そやつを滅ぼすのが、一番手っ取り早いからですよね。いっそもう、アンセルム神父も脅せば協力してくれるのでは…………」

「死の精霊を脅すのはやめましょうか。だいたい、あの男はかなりの階位の精霊ですよ」



そう言ってから、ヴァルアラムは自分の中身の魔物も、目の前の少女の使い魔であることを思い出したらしい。


どこか呆然としたような目でこちらを見た美麗な騎士に、ネアは、こちらにおわすは偉大なる狩りの女王であると厳かに頷いた。

選択の魔物については、パイなどの献上品を美味しくいただいただけで狩ってしまった訳ではないのだが、使い魔には違いない。



「だいたい、どうやって死の精霊を脅すつもりなんですか?交渉ごとで精霊を言い包めるのは、簡単ではありませんよ」

「あら、言葉で説得なんてまどろっこしいことはせず、泣いて嫌がるような怖いものを掲げ、まずは弱体化させてから言う事をきかせればいいのです。なお、とても暗い目でこちらを見ていますが、ヴァルアラムさんの中身の魔物さんはそうして脅迫した訳ではありませんからね?」

「そんな捕縛方法だったら、俺はお嬢さんをとうに殺している筈ですよ。それが出来ないということはまぁ、………恩寵なんでしょうけれどね」



(恩寵……………)



その響きはまるで、歌乞いの魔物のようだ。

選択の魔物にとっての恩寵は、献上品を美味しくいただき、尚且つもふもふになった時に丁寧に撫でてくれるご主人様なのかもしれない。


であれば恩寵であるのも吝かではないと我欲にまみれた人間はふんすと胸を張り、なぜだかヴァルアラムからは胡散臭そうな目を向けられてしまった。



(それでも、ヴァルアラムさんの内側だろうと何だろうと、ここに使い魔さんがいるのなら、私はちゃんと連れて帰るのだ)



そう考え、もう一度厳かに頷いていたネアは、ここでかっと目を見開くと、傷を治したばかりのヴァルアラムをぺっと引き剥がして窓辺に走った。



「お嬢さん?!」

「キュ?!」



それまでネア達のやり取りを静観していたムグリスディノも慌ててしまい、ネアの胸元からぴょこんと顔を出す。



そんな中窓辺に駆け寄ったネアは、容赦なく窓をえいやっと開けてしまい、ばさりと翼を振るった獣の羽ばたきで吹き込んだ風にむがっとなる。



風に煽られてカーテンがはためき、燭台の蝋燭の火が消えた。



星明かりだけを背にした巨大な獣は、やはり鳥の翼と足を持つ蛇のような奇妙な生き物だ。


竜には似ておらず、しゅうしゅうと音を立てて燃える尾羽に、体は深い青色に銀色の斑がある。

星を埋め込んだような銀色の瞳で突然窓を開けた人間を嘲るように睥睨した獣は、たまたま通りがかった場所の窓から覗くちっぽけな人間が、自分を滅ぼすような恐ろしいものを持っているとは思わなかったのだろう。



(ここはきりん札でもいいけれど、この好機を逃がす訳にはいかないから……………)



そう考えたネアが投げつけた小箱は、カスムの頭上でぽぽんと大きくなった。


さっと胸元から顔を出したままなムグリスな伴侶の目を手で覆ったネアの視線の先で、獲物を見付けて大きくなったきりん箱が、箱の内側を見上げて凍り付いた獣をぱくんと飲み込んでしまう。



その直後、災いの獣の断末魔が、修道院を取り巻く夜の中に響き渡った。



あまりの声に耳がきいんとなったネアはぱたんと窓を閉めてしまい、獲物を飲み込んだ箱はしゅるしゅると小さくなるとどこかに落ちていった。


初期のものとは違う改良版のきりん箱は、中身の獲物が滅びると自動的に箱も滅びる仕様になっているので、危険な武器としての回収の手間がなくなっている。


なかなか儚い生き物だったなと小さく首を振り、ネアは、胸元でふるふるしている伴侶の頭をそっと撫でた。



「……………キュ」

「自分を狩ろうとしている人間の目の前に現れてしまうとは、あの獣さんもなかなかうっかりな生き物でしたね」

「キュ……………」

「……………お嬢さん、もしかしなくても、カスムを滅ぼしましたね?」

「今頃は激辛香辛料油に沈んでいる筈ですが、箱が閉じる前に翼がぼろぼろになっていたので、既にお亡くなりになっていたのかもしれません。体を残しておけば高く売れたかもしれないのにとても残念です………」

「お嬢さんの、残念がる箇所が冷酷過ぎる……………」

「………む?」



かくして、発覚したばかりの危機は未然に回避出来たようだ。


修道院そのものが消滅する危機は回避出来たので、後はもう併設空間の中の厨房に隠れていても支障がない。



「ですが、ひとまずアンセルム神父も弱らせておきます?」

「もしかしなくても、この修道院の中で一番凶悪なのは、お嬢さんだったのかもしれませんね……………」



ネアは、か弱い乙女に対し、武器を持ちしっかり戦っている人達にそんな事は言われたくないと、ぶんぶんと首を横に振ったが、残念ながらヴァルアラムの同意は得られなかった。


突然のカスムの最期を目撃したアンセルムが、一体何をしたのだと部屋に乗り込んでくるのは、もう少し後の事である。














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