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優しい眠りと秘密の贈り物




夢の中で不思議な苦痛に苛まれ、ベージは指先を丸めようとして思い通りにならない体に小さく絶望した。



(そうか。俺はとうとう祟りものになってしまったのか…………)




つらつらと、随分と都合のいい夢ばかりを見ていたような気がする。

そこは見たこともない美しい月夜の花畑で、甘く清廉な香りに包まれて空には宝石をばら撒いたような星が瞬いていた。




“ベージさん……………”




夢の中でネア様がそう名前を呼んでくれたから、それだけでもうこの悪夢は悪夢ではなくなるのだ。

この心が残された短い時間の終わりに聞くのがその声であれば、きっとこの魂は祟りものになったとしても最後の救いを得られる筈だから。



骨まで軋ませた苦痛はいつの間にか抜け落ちて、どこかふかふかとしたところに横たわり、誰かの静かな呼吸が耳元で聞こえたような気がした。




(ああ、………花びらが夜空に舞う…………)



はらはらと。

はらはらとどこまでも。


満開の花が咲き乱れる花畑は、きっと初夏のあたりの光景だろう。

魔術の恩恵を使えば見られないということもないが、氷竜であるベージには決して見慣れた光景ではない。



雪景色や樹氷の森のその白さと青さではなく、あの花畑はどこまでも命の賛歌に溢れた瑞々しく美しい場所だった。

胸の奥にまで届いた芳しい花の香りと、彼女ではない誰かの灰色の双眸を思えば、なぜだかその夢には、会長まで登場していたようだ。


どうやら自分は、彼との友情もだいぶ気に入っていたようだ。




“君であれば、俺の秘密が知られたことも不愉快ではないな”



そう呟き淡く微笑んだ瞳は、幼い頃にウィーム王家の式典の夜に見たものと同じ。

ベージが最初にその秘密に気付いたのは、昨年のことだ。



一族の一番小さな王女が、ウィームに暮らす人間の少年を竜の宝としたという一報が入り、そんな二人の関係を見極めようと街角にある一本の大きな木の上に姿を隠していた時に、その近くにあったあわいの入り口から、ベージが所属する特別な会の会長と霧雨の妖精王が現れたのだ。


最初は、その白灰色の髪の男性が会長であることなど勿論知る筈もなく、幼い頃に見かけたことのある、とある高位の魔物のひと柱と遭遇してしまったことに慄き、畏怖にも近しい思いを抱いた。



(……………今代の犠牲の魔物を見たのは初めてだ。…………彼もまた、こうしてウィームを訪れることもあるのか。イーザの父君と一緒にいるのであれば、この土地の人々に害を為すこともないだろう…………)



妙なところを隠れて目撃してしまったという思いもあったが、特段気にかけることもあるまい。

これは、ベージにとって何の関係もない高位の魔物の日常の一幕に過ぎないのだから。



そう思って早々に立ち去ってくれないだろうかと考えていた時、彼等はベージが決して聞き逃せないような会話を始めたのだ。



“…………で、君はいつもの擬態を纏う訳だ。喪われた自分をここに呼び戻す為の対価を支払うのも楽ではないな”

“いや、これでも俺は今の生活を気に入ってもいる。かつてはその幸福までを見届けることが出来なかったあの方や、あの方を幸せにしてくれたネアが暮らしているその側で暮らせる訳だし、新しい友人達との日々はなかなか楽しいんだ”

“はは。案外この暮らしは、君に合っていたのかもしれないのか…………”




そんなやり取りの後にそこに立っていたのは、ベージもよく知っている会長であった。



あまりにも驚いてしまい、ベージは思わず木の上で体勢を崩してばきりと音を立てた。

その後はもう、物語などではありがちなお互いの秘密を交換する対話と共有の時間となる。



そうして彼は、どこかほっとしたような瞳で、ベージであればこの秘密を知られたことも悪くないかもしれないと言ってくれたのだ。




とある対価の支払いがあり、彼はこのウィームで人間として暮らしているのだという。

意図的にその事実を知らしめることはならないが、今回のように完全な偶然から秘密が露見し、双方がそれを意識していなかった場合のみ、魔術の抜け道となるのだとか。


とは言えベージのような知り方をした者は初めてで、イーザやリドワーンやミカ、更にはネア様やその伴侶の万象の王や塩の魔物達もその事実を知っていると言う。



そんな限られた輪の中に入れば、より深い様々な会話が可能となった。

会長やイーザとは、統一戦争時のウィームのことを話し、その終戦を境に失われた氷竜とウィームの人々との絆を取り戻したいのだと、久し振りにもどかしい胸の内を吐露したような夜もあった。



こちらを見て微笑む犠牲の魔物の眼差しは、遠い昔見たその魔物の面影を呼び起こす。

彼が時々触れる過去の話は、先代の犠牲の魔物の時代ではなかっただろうか。

それを思えばまた、この友人の不可思議な運命に思いを巡らせる。



あの頃の氷竜の一族はウィームの人々をこよなく愛し、祝祭で共に騒いだり式典に共に出たりと、ウィームの住人達と深い愛情と信頼で結ばれていた。


統一戦争の後、共にその頃の日々を取り戻さんと尽力したベージの親友は、統一戦争で命を落としたウィーム王族の傍流の血を持つ少女への思いが竜の宝のそれだったと気付き、翌年に自ら命を絶った。



それは、最も親しくした者達が全て喪われた日で、統一戦争で命を落とした弟や妹と、その前の戦で命を落とした父と母に連れられて、共に犠牲の魔物の姿のあるウィームの新年の祝いを訪れた幼い頃のことを思い出して彼の墓の前で泣いたのも、もう遠い昔。



幼いベージ達が公爵位の魔物だとこっそり父の足の影から見ていた犠牲の魔物が、今は同じテーブルで酒を酌み交わしている。




(ああ、俺にも沢山の友人が出来た。国の外には沢山の形の違う宝があって、そのどれもがあの国を出なければ見付けられなかった尊いものなんだ…………)



だから。

だからと、思う。



あの日のベージは、会長と別れてから慌てて監視の任務に戻り、末王女と人間の少年との微笑ましい友情を見守った。

少年はどうやら、小さなインク工房で働く人間の夫婦の末息子であるらしい。


夜の系譜の魔術の祝福を持ち、夜に纏わるインクの材料の採取に長けている彼は、夜になると森に出かけて行き、両親の工房の為にインクの材料を集める生活を送っている。

両親とは生活の時間が違うが、それでも家族は仲良しで、時折息子に会いに来る明らかに人間ではない少女のことも、少年の家族は温かく迎えてくれていた。



少年と少女は、夜のインク材料の採取の時間を共に過ごし、ウィームの森で少年の水筒から注がれた花蜜の紅茶を飲んで微笑みを交わす。




(…………あの少年はいつか、ハール王女の伴侶になるかもしれない…………)



幸せそうなその姿にベージまで嬉しくなってしまい、二人の友情やその先の日々に翳りがないことを確信した帰り道は、とてもいい気分だった。


ハールは王家の王女ではあるものの、あまり力の強い氷竜ではないので、こうしてお気に入りの少年に会いに来るだけの自由を与えられている。


力に重きを置く竜の中で、弱いということは時として残酷なことでもあるが、彼女にとってのその弱さは、王族でありながらもこうして愛する者達と過すことを許される恩寵となったようだ。



(確かあの末王女は、カップケーキがまた食べたくて、頻繁にこちらに通っていたようだったが、そのどこかであの少年と出会ったのだろう…………)



ベージは氷竜の国に戻ると、心配そうに待っていたハール王女の補佐官や護衛達に、あの一家であれば、王女が交友を深めたとしても問題ないだろうと伝えておく。


末王女派の氷竜達は、他の種族との交流を禁じない穏やかな竜達だが、まだあまり外界に出た経験がなく、その人間の家族がハール王女との友情に相応しいかどうかの判断はつけられず、ベージに調査の依頼をしたのだ。


ベージの報告を聞いた彼等はあらためてハール王女と話し合い、今後についての相談をしたようで、後日ハール王女本人から、周囲の者達と事前に話をしておかなかったことで迷惑をかけたという謝罪が入った。


そうしてその日からベージは、ウィームの街に出かけて行ったその先で見かけるそんな二人の幼い友情を、かつての一族の姿を知る者として影ながら見守ってもいたのだ。


小さな二人の友情と、そこに混ざるほんのひと匙の初恋のような甘酸っぱさは、見かけると心が弾むような幸せな光景だった。

ベージはそこに、氷竜という種の幸福な未来を見たのだと思う。




愛する者達を無残に奪われることは、辛く恐ろしい。

けれども世界は、恐れずに飛び込めば、愛する喜びと誇りを与えてくれる。

その輝きは何物にも代え難く、ベージは自ら命を絶った友にだって、あの少女と出会わなければ良かったのにとは言えない。


扉の向こうに自分の宝がいるかもしれないのに、愛する者を得られずに空っぽの胸を持て余して竜の宝玉だけを抱いて死んでゆく仲間達もいるのだ。



(だから、幼い氷竜がその宝を失くすようなことにならなくて、本当に良かった…………)



ボラボラにかぶれて顔を赤くしたハール王女が、側仕えの肩を借り泣きながらベージに会いに来れば、良くないことが起こったのだとすぐに分かった。


守護に異変があったと聞いてすぐさまその場に駆けつけ、明らかに自然派生したものではない禍々しい悪変を纏う氷狼がその少年を咥えて振り回している姿を見た時に、ベージは様々な覚悟を決めた。



長く生きたのだ。



外の世界で至高とする主人を見付け、そこに関わる生活からたくさんの友人が出来て幸せな日々を送っていた自分にはもう、これ以上の贅沢は望めない。


であればここから先は、未来のある若い者達の為に出来る限りの事をしてやろう。


何の迷いもなくそう考えたのは、この先に続くであろう優しい日々を、ハール王女や彼女の大切な少年にも知って欲しかったからだと思う。


それくらいに、ベージは幸せな日々を送っていた。




「………っ、」



目の裏が赤く染まる苦痛に奥歯を噛み締める。

生きたまま噛み砕かれるようなその痛みの中で、ベージは、こればかりはどうか早く終わらせてくれと自分の体を抱え込んだ。


この先の道を譲り渡すことに後悔はない。

ないけれど、これだけの苦痛が続いてしまうと、もう一度あの人に会いたくなる。




ああ、あの方が、こちらを見て微笑んでくれたなら。

せめて下賜されたあの縄を握っていたなら、この苦痛だって何てことはなかっただろうに。




「…………ベージさん」



そこで、柔らかな声にふっと瞼が緩んだ。

差し込んだ光を眩しく感じながら瞬きをし、がちがちに強張った体からそろりと力を抜く。


不思議なことに、先程までこの身を苛んでいた苦痛は、もうどこにも残っていなかった。




「…………フキュイ?」

「…………良かったです、目を覚ましてくれましたね。………とても魘されていたので、心配していたんですよ。あんな事があったばかりですので、怖い夢を見てしまったのでしょうか。今日の朝食はお昼と一緒にしてしまったので、ベージさんもこちらでもう一眠りして下さいね」



甘い声でそう言われて、自分がいつもの姿ではないことに気付く。




(そうだ………………。俺は確か……………)



霧が晴れるように徐々に記憶が戻ってくる。

ベージはあのまま祟りものになってしまった訳ではなく、力を貸して悪変を取り除いてくれた恩人達のお陰で、 無事にあの穢れを取り除けているのだ。




(ネア様……………)



夢から覚めたような思いで視線を向ければ、後で後悔しても構わないから、伸ばされた手にどうしても触れたいと思った。

小さな足を動かして、誰かの手のひらからご主人様の手のひらに移動すると、その温もりの心地良さに体が震える。




「フキュイ」



ここからもう二度と動きたくないという衝動に駆られ、ベージはその温かな手のひらの上でくるりと丸まった。




「……………ベージさん…………」

「……………悪夢を見ていたようだね。症状や悪変が戻ってしまった訳ではなさそうだよ」

「うーん、俺の側で寝かせたのが良くなかったかな……………」

「今回は祝福との兼ね合いもある。ウィリアムの資質に、彼が受けたばかりの記憶が反応したのかもしれないね。………ネア、寝台に乗せるのは構わないけれど、体の上に乗せて寝るのはいけないよ?」

「ええ。ディノと私の枕の間に、もふふかちびふわ寝床を作りました。このタオルの上で眠って貰えば、また怖い夢を見てもすぐに声がかけられますからね」

「……………フキュイ」



指先でそっと首裏を撫でられ、あまりの気持ちの良さに短い手足を伸ばす。


竜の姿の時とはまるで違う感覚だが、少女の手のひらに乗ってしまうような小さな体という脆弱さとはまた別に、今迄感じたことのない方向へ魔術が伸びるようで、少しだけその魔術の動きが気になった。



(これは、………何の系譜の魔術だろう…………)



ただ、何か大切なものが足りないような心細さがあって、けれどもそれが何なのかが思い出せない。


そのもどかしさが嫌で意識を自分の内側から外側に切り替えると、部屋の中で交わされる会話が耳に届いた。




「いや、俺はこのまま床でも構わないんだが、………困ったな」

「でも、昨日も夕方までは戦場にいたのですから、ウィリアムさんには、体を伸ばしてゆっくりと眠って疲れを取って欲しいんです。ベージさんにとても心を傾けてしまって心配でならないのは分かりますが、出来れば向こうの部屋にある元ディノの寝室の寝台で…………」

「いや、そういう訳じゃないんだが…………。それと、そこはシルハーンの部屋だろう。俺は、向こうの部屋の長椅子で構わないさ」

「ウィリアムなら、寝台を貸しても構わないよ」

「……………シルハーン」

「ふふ、ウィリアムさんは、ディノの大切なお友達ですものね」



ここで部屋の中には柔らかな空気が漂い、ベージは自分が欲しかったものが何だか分からないまま、うとうとしてしまった。



優しい眠りの淵からはたと気付き目を覚ますと、すぐ側に眠るネア様の寝顔が見えた。

こんな風にベージを隣に置いてもすっかり安心しているようで、そのあまりにも無垢な信頼には少しばかり男としての欲も揺らいだ。



(けれども、……………)




けれども、そんな甘やかさは、あの美しい花畑で無骨な荒縄を手にこちらを見ていた彼女の姿を思い出すと、あっという間に霞んでしまう。


あの瞬間の、やはりこの方に心を捧げて良かったという安堵と誇らしさは、他の感情とは引き換えに出来ないものだ。


だからベージは、愛おしい主人の寝顔にそっと男として触れたいという欲求よりも、偉大な主人の庇護の下で眠れる贅沢さを堪能するべくまた目を閉じる。




しかし、次に目を覚ました時には、驚くべき試練が待ち受けていた。




「ネア、その竜は置いて行こうか」

「………しかし、竜さんですから、問題はないのでは?」

「洗う必要はないと思うよ。それに、…………ベージも疲れているだろう」

「…………むむぅ。疲れているのであればこそ、このぱたぱたちびふわ姿の内にお風呂に入れてあげたかったのですが、余計に疲れてしまいますか?」

「ああ。俺もやめておいた方がいいと思うぞ」

「ウィリアムさんもそう言うのなら、お風呂は諦めますね。その代わり、お腹マッサージで疲れを吹き飛ばすべく、大事に撫でて差し上げましょう」

「フキュイ?!」



そう宣言したネア様に容赦なくひっくり返されると、問答無用で腹部を丹念に撫で回された。


竜にとって、その腹部を差し出すことは命を捧げることに等しい。

突然のことに呆然としている間に忘我の渦に巻き込まれてしまい、また暫く意識を失っていたようだ。



遠くから、焦ったような終焉の魔物の声が聞こえてくる。



「ネア、竜の腹部は駄目だ!強制的に忠誠を誓わせる儀式や、力尽くで婚姻を迫るような意味になる!」

「……………なぬ」

「ネアが、また毛皮の生き物に……………」

「ディノ、今回は竜さんのお作法を知らなかっただけなのです。幸い、ベージさんはこてんとなってしまいましたので、このまま忘れて貰いましょう!」

「ベージなんて…………」

「こ、この通り素敵に撫で回されて儚くなってしまっているので、夢だったということにして押し通せば良いのです…………」

「ネア、これからは竜への対処は気を付けてくれ。種族ごとに文化が違うからな…………」

「……………ふぁい。危うく、無事に悪変から生還したばかりのベージさんを襲った痴女になるところでした。都合よく意識を失ってくれて良かったです…………」

「ご主人様…………」

「むぐぐ。ディノがすっかり荒ぶってしまったので、ここは差し出された爪先を踏むしかありません…………」




辛うじて意識があったのはそこまでで、また次に目覚めた時には、馴染みのない部屋で長椅子に寝かされていたようだ。

ぼんやりと目を開けて周囲を見回せば、ほっとしたような顔でこちらを見た彼女がいる。



鳩羽色の瞳に浮かんだ安堵に、なぜか胸が潰れそうになった。





「ディノ、ベージさんが目を覚ましてくれました」

「……………ネア様」

「はい。ベージさんは、五分ほど前に擬態魔術が解けたのですが、ご気分はどうですか?…………その、眠ってしまう前のことを覚えていますか?」



そう尋ねたネア様の眼差しにはどこか不安げな翳りがあったので、これは最後のことは覚えていないふりをしておいた方が良いのだろうなと判断する。

沢山の夢を見ていてあまりよく覚えていないと告げれば、ほっとしたように肩の力を抜いていた。



すぐに、彼女の伴侶である万象の魔物がやってきて、一緒にいた塩の魔物から簡単な診察を受ける。

意識をなくす前に見た終焉の魔物は、もうこの部屋にはいないようだ。




「…………うん。全快だね。引き剥がし作業の時の疲労は残ってるだろうけど、それは問題ないと思うよ。ウィリアムが起きたら、祝福についての説明を聞くといい」

「………………祝福?」

「そうそう。君は、悪変から生還したことで、終焉の系譜の魔術の祝福を得ているんだ。ここはまぁ、魔術の理だから細かいことは気にしなくていいかな。せっかくウィリアムがここにいるんだから、扱い方や諸注意について話しておくといい」

「……………祝福を」



確かに、試練とされるものを奇跡的に乗り越えるとその系譜の祝福や叡智を授かることがある。

体を起こして自分の胸に手を当ててみれば、そこに、氷の魔術ではない特別な何かが加わっているのは明らかだ。



けれども、塩の魔物が愉快そうにこの祝福について告げたことを考えれば、これは自然に授かったものではないのかもしれない。




(だとしても、それは俺がどうこう言うことではないだろう……………)




授かった魔術が一族の助けになるものだと理解すれば、それはただ恩寵であることに変わりはない。

奇遇にも、保守派の筆頭であるゲーテ王女の得意とする魔術の上位魔術であった為に、国内での立ち位置としては、少しの変化が訪れそうではある。



だとしても、年長者であるベージの意見を尊重し、氷竜達の外部との交わりを後押ししてくれていた第一王子達が少しでも国の改革をし易くなれば、騎士団長としても、ベージ個人としても幸いだ。



統一戦争後は、力における統治ではなく治癒魔術などの防御における魔術の優位性を主流として国内の勢力図が成り立っていた為、力では一族の筆頭とされる第一王子や、そこに続く騎士団の氷竜達は、ゲーテ王女の一派に劣るとされてきた。

今回のことで、ベージが密かに彼こそが一族の次の王に相応しいと思っていた聡明な王子や、騎士団の部下達が少しでも発言権を得られるのなら、彼の剣の師としては喜ばしい限りである。




なお、快癒したベージを迎えにきた一族の者達の前でネア様がこぼした一言から、氷竜の騎士団長は終焉の魔物のお気に入りだという噂が一族の中に駆け巡った。


実際にあの朝は終焉の魔物の隣で寝かされていたらしいが、当人の言葉の温度からは、決して気に入られている訳ではないどころか、たいそう警戒されているのだなという様子が伝わってきたので、終焉の魔物にとても大切にされているということはないだろう。


恐らく、終焉の魔物は、ベージの悪変が再発しないように近くで見張ってくれていただけなのだと思うが、一度広がった噂はどうにもならず、己の手落ちで危うく一族から祟りものを出しかけたベージには、結局何のお咎めもなかった。





「あなたにも、お礼を言わなければと思っていました。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」



そんな騒ぎから数日後、ベージは会長と会でよく使う馴染みの店で、ささやかな快気祝いをしていた。

この後からイーザやリドワーンも来る予定だが、まずは彼にきちんと礼を伝えておきたかったのだ。



「いや、俺は自分の友人の為に尽力したに過ぎない。………得た祝福の馴染みはどうだ?」



こんな風に話すとき、彼はザハの給仕である会長ではなく、新しく教えられたシェダーという名前の友人になる。

ベージは他の者達の手前、対価となった秘密が露見しないようにと、親しい者達との輪以外ではこれまでのように会長と接していたのだ。



「…………まだ、使いこなせてはいないようだ。だが、戦うばかりではなく救えるということは、実に頼もしい。有事の際に出来ることが増えるのはとても助かる」

「政治的な思惑があっても?」

「それは然程問題にはならなさそうだ。ゲーテ王女は、俺を見ると終焉の魔物の報復を恐れて怯えるようになったが、元々あまり親しくしていた方ではなかったからな」



そう告白すると、シェダーは小さく笑う。

穏やかな眼差しとは相反し、彼にはなかなかに辛辣な部分や冷酷な部分があり、それが高位の魔物というものなのだろうと、ベージは考えていた。



そんな彼が誰よりも大切にしているのは、ネア様の伴侶である魔物の王だ。



「…………今回のことであらためて考えたのだが、万象の魔物はとても慈悲深い方なのだな。伴侶と使う寝台に、弱っていた俺を寝かせてくれた」

「あの方は、そういう方なんだ。だから俺は、シルハーンには一つでも多くの幸せを得て欲しいと思っているし、その為にはネアにも誰よりも幸せでいて欲しいと思っている」

「…………であれば、ネア様が俺を部屋に入れたことは、あまり快く思っていないだろう?」

「いや、ウィーミアはウィーミアだからな。我が君にもウィーミアの良さは伝わっているだろう」

「そ、そうなんだな………」



どうやら友人は、ベージを擬態させたあの獣がとても好きなようだ。

あの獣であれば、中身は何であれ、万象の魔物も喜んで可愛がるだろうと考えている気がして少しだけ心配になる。



けれどもその話題の前に、まずはこちらの話をしておく必要があるだろう。




「それと、ネア様から快気祝いで、沢山の縄を貰った。…………その、なぜか、竜は縄を好むものだと思い込んでいらっしゃるようなのだが、正直どうしてそのような誤解が生まれたのか分からないんだ。…………もしかすると俺は、意識が朦朧としている間に、何かまずいことを口走ったのだろうか……………」



そう相談してみると、シェダーは微かに瞳を揺らし淡い微笑みを浮かべてこちらを見る。




「…………そのような事はなかったと思うが、ウィーミアの時に、悪変の削り落としが終わる前に君が混乱して逃げ出してしまわないようにつけたハーネスにじゃれていたからかもしれないな…………」

「……………そうか。そこで誤解させてしまったのかもしれないな。………正直なところ、これ程に心を震わせる贈り物もないのだが、縄を送られる度に箍が外れそうで困っているんだ…………」

「………………はは、悩ましいな」



どんな理由でその誤解を解けばいいのかの答えは出なかったが、とりあえずこの贈り物については公表しないように手を打って貰うことにした。



もし、抑制の効かない若い会員や野良下僕達に、ベージがご主人様に贈られた縄が五本を超えたと知られたら、それこそ暗殺されてもおかしくない。



とは言えそんな死に方も、決して悪くはないと思えてしまうのだから、やはりベージはとても幸せな竜なのだろう。



その翌日、スケート場で偶然出会ったネア様から、もし仲間達に内緒でこっそり縄で遊びたいのなら、ウィーミア姿の擬態符を使って協力すると言われた。


なおその場合は、伴侶の魔物が荒ぶるといけないのでムグリスの姿になった万象の魔物も一緒だと言われてしまい、とても困惑した。

彼女と一緒にいた使い魔の魔物はこちらをあまり良く思っていないようだったが、図らずも終焉の魔物の系譜の祝福を得てしまったことで、手を出せなくなったようだ。




「とは言え一つだけ懸念がある。君があの影絵の中で目を覚ました時、その目覚めに影響したのが調伏の木の実であることが分かった。あれは本来、実の持ち主が魔獣や野生の竜などに与えて調伏する為のものだ。………あの子の願いに応じて目を覚ましたことといい、場合によっては、君は魔術的にネアに忠誠を誓わされたような状態かもしれないんだよね。…………でもまぁ、君はそれでいいのかな?」



悪変から解放され、リーエンベルクを出る前にベージにそう話したのは塩の魔物だ。

同席した万象の魔物は、どこか困ったような顔をしてこちらを見ていた。




「…………そのようなものが作用したにせよ、俺は今迄通りだと思います。ですが、ご不快であれば、その魔術の繋ぎを切る術を探しますが…………」

「…………あまり好ましくはないけれど、悪変などを祓う魔術の祝福を君が得るのであれば、それは幸いかもしれない。あの子は近い内に特殊な魔術の敷かれた土地への潜入調査が控えている。そこで展開される魔術は悪変に近しい古い時代の支配魔術の一つだ。君との間の魔術が、何らかの助けになるかもしれないからね…………」

「であれば、俺に出来ることは何なりと仰って下さい」




そんな会話を思い出し、ベージは自分の胸をそっと押さえた。

あの苦痛の暗闇に届いた柔らかな声を自分にも守れるのであれば、それは望外の喜びではないか。




やはり、自分はとても幸福な竜であるらしい。







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